2018年10月 9日 (火)

第48回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『ザ・コブラ・セッションズ1956-1958』(コブラ/P-vine)

オーティス・ラッシュが亡くなった。
ここ数年は糖尿病を患って体調が優れないと言われていたから、とうとうこの日が来たかと腹は決めていたものの、訃報を耳にしてしまうと、どうにもやるせない。
颱風が接近しているのを理由にして、夕方早々から弔い酒を片手に呑んでいる。
もちろんオーティス・ラッシュが遺した一連の作品を肴にして。


オーティス・ラッシュの代表作といえば、ブルースの情念が熱いマグマとなって噴き出した、コブラ・レコード時代ということに異論の余地はないだろう。
デビューして間もない22才の若者が、ここまでブルース魂を搾り出してことに驚愕し、天賦の才能が成せる表現力という以外、何ものでもない。


しかしデビューで強烈な一撃を与えてしまったことは、不幸でもあった。
以後の録音については、覇気がないだの、気紛れだの、厳しい評価がつきまとって、正統な評価が得られなくなってしまった。
だがこの不運もオーティス・ラッシュが背負いこんだブルースと言えなくもない。


今回、順を追って聴いていくと、コブラ以降は録音機会に恵まれず、言わば飼い殺し状態。
移籍したチェス・レコードの「So many roads so many trains 」は渋めのスロー・ブルースでオーティス・ラッシュらしさが出ているものの、次に移籍したデューク・レコードの「Homework 」はR&B調の当時の流行を取れ入れたスタイル。
出来栄えは悪くないが、どちらもヒットとは縁遠かった。


音楽シーンがブルースからロックンロール、R&Bへと移り変わる時代に、レコード会社がオーティス・ラッシュの性根の座ったブルースを上手くプロデュースできなかったことが、この不運に繋がっている気がする。
オーティス・ラッシュ自身も器用な人でない。
音楽シーンに合わせて、自身のスタイルを変化させるなんて無理な相談である。


しかし近年、オーティス・ラッシュの未発表音源が発表されるなか、傑作ライブ盤『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』を聴くと、約束事の多いスタジオ録音よりも、瞬時にブルース魂を昇華できるライヴのほうが、性に合っていたのだろうと思う。
バック・バンドに恵まれて、自身も気分に乗っているときは、桁違いのパーフォマンスを見せつけてくれる。


1995年に日比谷野音でオーティス・ラッシュの雄姿を観た時もそうだった。
夕暮れ時の周囲のビル郡が紅く染まるなか、マーシャル社のアンプに直接シールドを突っ込み、バック・バンドの倍以上の音量でギターを響かせ、振り絞るように歌う姿に、完全にノックアウトされ、不覚にも涙が出てしまった。
ひとつ、ひとつのギターの音が、唸るような歌声が、オーティス・ラッシュが背負いこんだブルースであり、人生が凝縮されていたからだ。
ブルースはその人の生き様、そのものが音楽だと思った。


年が過ぎ行くにつれ、好きなミュージシャンが天に召されていく。
安らかに。

(店主YUZOO)

10月 9, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月30日 (木)

第47回 耳に良く効く処方箋




O.V.ライト『ライブ・イン・ジャパン』(ハイ)

魂の歌唱と謳われたサザンソウル・ファンのなかでは人気の高いライブ盤である。
その理由としては実際にコンサート会場に足を運んだ人が、O.V.ライトの鬼気迫る歌に神々しさを感じ、伝説として伝わっているからだろうか。
来日を果たした翌年に帰らぬ人になっている。

O.V.ライトが来日したのは1979年。
残念ながら、私はO.V.ライトの歌う勇姿を眼の当たりにしていない。
何せ、当時はニキビや恋に悩む蒼き高校生である。
サザンソウルの濃厚な塩辛い歌に心を奪われるような年頃ではないし、60年代ブリティッシュ・ビートやパンクにどっぷりと浸った耳しか持ち合わせていない。
だからO.V.ライトの来日するファンの熱気は知る由もないのだが、別の見方をすればこのアルバムにパッケージされた放射するエネルギーが原体験。
邪推することなく純粋な気持ちで、向き合うことができるのが、冷静な判断につながる。
体験に勝るものはないけれども、未体験だけに想像力が武器となる。

結論から言ってしまおう。
このアルバムは死期を悟ったO.V.ライトが、特別な感情に突き動かされ、聴衆に何か伝え残したいという意志を貫いた、他とは比較しがたい名盤である。
いわゆる凡庸なライブにありがちな、薄っぺらなメッセージを伝えたいという感情ではない。伝え遺したいという強靱な魂で貫抜かれている。
渾身の力を振り絞って歌う姿に、魂を揺さぶられるのは当然のこと、O.V.ライトの遺言といっても過言ではないアルバム。


ゴスペル・シンガーとしてキャリアが始まった人である。
「ソウルは教会音楽だ」と断言するような信仰に篤い人である。

白眉は代表曲をメドレーで歌う6曲目。
「God blessed our love 」から「You’re gonna make me cry 」と滔々と歌っていく姿をこの日、目の当たりにした観客は神の恩恵とO.V.ライトが説く愛の尊さに、目頭が熱くなったにちがいない。
このアルバムの一番の聴きどころである。
このメドレーを聴けるだけでも、購入する価値は十二分にある。

惜しむべきは、CDの時代にあってLP時代のストレートな再発ではなく、この伝説のコンサートの全貌をパッケージした完全ライブを望みたい。
体調不良ゆえに声が出来れていない曲があってもいい。
それでもO.V.ライトの歌に対する真摯な姿勢に、涙を流さずにはいられないだろう。

しかしそれは酒の湧く泉を見つけるのと同様、塩辛いオヤジの叶わぬ夢なのだろうか。
もしそんな盤が発売されたら、日本のオヤジの3%ぐらいは元氣になると思うのだが。

(店主YUZOO)

8月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月28日 (火)

第46回 耳に良く効く処方箋




アレサ・フランクリン『レア&アンリリースド・レコーディングス』(アトランティック)

アレサ・フランクリンが天に召された。
あまりにも偉大な存在ゆえに、音楽を愛する者の喪失感は計り知れない。
ここ数日はアレサが残した遺産に静かに耳を傾ける日々が続いている。
そんな喪に服している人も多いのではあるまいか。私もその一人。

しかし不思議なもので、力強く聴く者を包み込むような歌声は、気分が落ち込んでいればいるほど、憂鬱に苛まれている私を励ましてくれているようで、逆に勇気づけられている気分になる。
「悲しみに打ちひしがれてないで、顔を上げて前を向きなさい」と諭されているようである。

アレサの長い音楽生活のなかで充実期といえば、コロンビアからアトランティックに移籍して数々の名演名曲を発表した60年代。
ソウルの女王という称号を授かった時期という見解は、誰もが一致することだろう。
公民権運動の機運が高まり、ブラック・イズ・ビューティフルが声高に主張していた頃、時代の寵児として颯爽と登場した印象が強い。
(残念ながらアレサの登場時期は、まだ私は虫捕り網を振り回して蝉を取っていた厚顔の美少年。原体験ではなく、追体験になってしまうのだが)

あなたは考えた方がいいわ
あなたが私に何ができるかということを
考えた方がいいわ
あなたの心が解き放たれて自由になることを「Think 」

女だって人間よ
そのことあなたは理解すべきだわ
単なる慰めものじゃない
あなたと同じように新鮮な血が通っているのよ
「Do right woman -Do right man 」

他人が書いた曲であろうと、アレサ流に解釈して、普遍的なメッセージ・ソングへと昇華させてしまう才能。
ゴスペルに幼い頃から慣れ親しんだアレサは、社会の不正義や差別する人間の不誠実に対して、この才能をたずさえて、それらに戦いを挑んだのだろう。
しかしそこには神を信じる者だけが救われるといった偏狭なものではない。
その伸びのある歌声は、抑圧された人々に勇気を与え、自由で新しい世界を、人間が人間らしく生きる世界を、創り上げようという意志に変える力があった。

この説得力のある歌唱と時代の機運をとらえた歌詞が、当時の人種差別に苛まれた黒人に、エネルギーと意識を高めたのかは、想像に難くない。
とくに黒人女性にとっては自分たちの気持ちを代弁してくれる、輝かしい女性として映っていたのではないだろうか。

さてこのアルバムは、アレサが神がかっていた頃の未発表曲とレア音源を2枚にまとめたもの。
2008年に発表されてソウル・ファンの間では、かなり話題になったアルバム。

今回、アレサの死を機に聴いてみようと思う人には不向きだが、全盛期のアレサがどれだけ才能を解き放っていたのかを知るには絶好の1枚。
未発表曲、つまり採用されなかった曲ばかりを収められているのに、凡人で到達できないようなクォリティで、既発表曲と何ら遜色はない。
ソウルの女王と呼ばれた理由が、否応なくわかるアルバム。
ひと通り聴いたら、ぜひ耳にしてもらいたい一枚です。

(店主YUZOO)

8月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月23日 (月)

第45回 耳に良く効く処方箋




エリス・レジーナ『エリス・エスペシャル』(フィリップス)

エリス・レジーナが瞬く間に、国民的歌手に昇りつめた1968年に発表されたアルバム。
次作が永遠の名盤『イン・ロンドン』だけに、その前哨戦ともいうべき1枚。


興味深いのは、次作でも歌われたエドゥ・ロボ「Corrida de jangada 」と「Upa neguinho 」の2曲を取り上げていること。
生涯、エリスを代表する曲だけに、聴き比べてみるのも面白い。
アレンジやテンポに大きな違いはないのだが、エリスの歌い方に大きな変化がある。
本アルバムではメロディを重視した元歌に近いのに対し、次作ではリズムに乗って弾けんばかりに歌い上げる。
わずか1年あまりの間に、同じ曲をまったく異なるアプローチを試みて、表現の幅を広げているのだ。
この曲はリズム感良く歌うのが一番と感じ、それを実現させてしまうのが、並みの尺では計れない才能を感じるところである。


私のような凡才からみれば、その豊かな才能を羨むなど、露の先ほども思わない。
こんな凄い歌手に出会えたことに感謝するばかり。
爪の垢を煎じようとさえ思わない。
多謝のうえに多謝である。


このアルバムでは、シコ・ブアルギとジルベルト・ジルの曲を取り上げているのも注目。
当時、2人とも新進気鋭の若手の音楽家だっただけに、才能を発掘することにも、エリスが長けていたことに気づかされる。
自身で作曲しない分、優れた曲を見出すことに、天性の勘があったのだろう。
36年という短過ぎる生涯で、ブラジルを代表する歌手になれたのも、優れた曲を嗅ぎ分ける能力があったのと、新しいジャンルにも果敢に挑戦する気持ちがあったことも無視できない。
懐メロ歌手に甘んじることは、決してなかった。


アルバムの最後はマンゲイラを代表するサンバ・メドレーで幕を閉じる。
祖国ブラジルが軍事独裁政権下にあっても、媚びることなく、常に民衆の側に立ちたいという意志が、このサンバ・メドレーに表れているのではと思う。
小粒ではあるが、ピリッとした辛味を感じるアルバムである。


(店主YUZOO)

4月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月21日 (土)

第44回 耳に良く効く処方箋




エリス・レジーナ『サンバ,エウ・カント・アッシン』(フィリップス)

ブラジルに歌の上手い歌手は数多くいるけど、エリス・レジーナだけは別格である。
歌姫などという安易な表現では、その才能と個性を言い表せない、絶対的な存在である。
最初に聴いたのは、エリスを代表する名盤『イン・ロンドン』。
バックを務めるミュージシャンの超絶な演奏力に舌を巻いたが、そのタイトな演奏を従えて、抜群のリズム感と表現力で歌うエリスの姿に、鮮やかにノックアウトされたのである。


鳥のように軽やかに、どこまでも自由に、歌声と声量を思うがごとく操り、取り上げた曲をエリス流に創り上げてしまう手腕は、アレサ・フランクリンを思わずにいられなかった。
神に選ばれし歌声を持つ者だけが、辿り着ける高みである。
『イン・ロンドン』を聞き終えた時の幸福感は、昨日のことのように覚えている。


このアルバムは、エリスが本格的にキャリアをスタートさせた、フィリップス・レコードに移籍してからの1枚目である。
それ以前にも数枚アルバムを発表しているのだが、エリスの才能に見合うだけの曲とプロデュースが至らず、消化不良に陥っているものばかりだった。
その辺りもアレサと一緒で、CBSからアトランティック・レコードに移籍して、一気にその才能を開花させた経歴も似ている。


このアルバムでは、ボーナス・トラックと合わせて、13曲中4曲、当時新進気鋭の作曲家エドゥ・ロボの作品を取り上げている。
エドゥのアフロ・リズムを取り入れたビートの強い曲調は、エリスの才能に馴染んだのだろう。
自分のためにエドゥが作曲してくれたと確信しているかのように、自由奔放にイマジネーションが向くままに歌い、エリスらしい世界観を創り上げている。
エドゥの曲と出会えたことは運命的で、キャリアの始めにの段階で、この出会いはターニングポイントとなったと思う。


アルバムの題名を訳すと「サンバ,私ならこう歌う」。
ジャケットのドヤ顔といい、そう言い切る自信に、その後、国民的な歌手への道を昇りつめる歌手になるのを、暗示しているようである。
まだ20歳を迎える前の作品である。
才能に満ち溢れた人は、末恐ろしい。

(店主YUZOO)

4月 21, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月20日 (金)

第43回 耳に良く効く処方箋




マリア・マルダー『オールド・タイム・レディ』(リプライズ)

先日、紹介したジェフ・マルダーの相方。
コンビ解消後の翌1973年に、早くもこのソロ・アルバムを発表している。
交流ある音楽仲間が共通しているせいか、エイモス・ギャレット、クリストファー・パーカーが参加。
またライ・クーダー、クラレンス・ホワイト、ドクター・ジョン、さらにサザン・ソウルの重要人物スプーナー・オールダムがピアノで参加と、こちらもジェフと同じく豪華メンバーを揃えている。


題名通り、古き良きアメリカの香りが漂う、ご機嫌なナンバーが収められ、南部の安酒場のステージを見ているようで心地よい。
しかも曲調もバラエティに富んでいて、ダン・ヒックス調小唄あり、ニューオリンズ風R&Bあり、カントリー、ジャグとアメリカのルーツ音楽というべきスタイルが、キラ星のごとく詰まっている。


このアルバムが名盤と呼ばれる所以は、ヒットした「真夜中のオアシス」が収められていることもあるだろう。
アルバム内では異質の光を放っている曲で、都会的に洗練されたサウンドをバックに、軽やかなマリアの歌声が絡む。
そして流麗なフレーズが印象に残るエイモス・ギャレットのギター・ソロ。
ヒットしたのも頷ける名曲である。


ただこの曲だけで、あとは埋め合わせの駄曲だと、くれぐれも短絡的にお考えならないように。
少し毒気のある見方をすれば、この曲はアルバムのなかでは浮いている、空気の読めない自己主張の強い子と言えなくもない。
生徒会長にならないと、機嫌を損ねるタイプ。
アメリカの古き良き音楽を感じないのである。


たぶんこの曲だけは、アルバム制作とは別に、シングル盤用として先に作られたのではないのだろうか。
大ヒットしたおかげで、アルバムを売る為に、少しばかり毛色が違うが収録してしまおうというレコード会社の思惑が、見え隠れする。

個人的には、ドクター・ジョンのニューオリンズ臭がむんと漂うピアノが嬉しい。
このアルバムでは数曲に参加し、さらにホーン・アレンジを担当して、オールド・タイムを具現化するのに一役買っている。
ベスト・トラックは、ピアノが前面に出た「Don’t you feel my leg 」。
ドクター・ジョンのピアノに導かれて、マリアはニューオリンズの歌姫になったかのように、エッジの効いた歌唱を聴かせてくれる。


このアルバムが何度聴いても飽きないのは、マリアの歌手としての才能と個性があるからこそ。
この澄んだ清らかな歌声が、世間の荒波に飲まれて、荒みきったオヤジの心を、どれだけ癒してくれただろうか。
つい金曜日の夜に聴いてしまう。
胃もたれしない身体と耳に優しいアルバムである。


(店主YUZOO)

4月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月18日 (水)

第42回 耳に良く効く処方箋




ジェフ・マルダー『ワンダフル・タイム』(リプライズ)

ポール・バターフィルド・ベターデイズ解散後に発表されたジェフ・マルダーのソロ・アルバム。とにかく参加ミュージシャンの顔ぶれが豪華絢爛。
エイモス・ギャレット、コーネル・ドュプリー、ロン・カーター、バーナード・パーディ、クリストファー・パーカー、ビリー・リッチ、ジェームス・ブッカーといった面々。
アメリカ音楽シーンを陰で支えた腕のたつ強者ばかりである。
これだけの面子が揃えば、ワールドカップの一次予選は余裕で通過できる。うらやましい。


アルバムは、1930年の映画『ザ・ビック・ポンド』の挿入歌で幕を開ける。
古き良きアメリカのジャズ楽団が偲ばれる小粋なアレンジで、ジェフの音楽的懐の深さを十分に感じさせる1曲。
以前、マリア・マルダーと組んだアルバムに映画『未来世紀ブラジル』のテーマ曲を歌っていたけれども、そのセンスは健在。
4曲目にも『バッグダッドの盗賊』のテーマ曲を挿入しているのをみると、ジェフの音楽ルーツに映画音楽があるのは間違いないだろう。


このアルバムに聴きどころは数多くあるが「Gee baby ain’t I good to you 」におけるエイモス・ギャレットのギターソロ。
名演奏と謳われたマリア・マルダー「真夜中のオアシス」、ベターデイズ「Please send me someone to love 」と並び称されるほど印象深い。
流麗なフレーズを弾きながら、饒舌にならず
、俗ぽいドラマ性を求めず、淡々としたソロでありながらも、表情豊かで情緒があり、里帰りにも似た安堵感がある。
ギター小僧ならば、この1曲だけでも価値がある。


個人的にはヒューイ・ピアノ・スミス「High blood pressure 」を取り上げてくれたのが嬉しい。
奇才ジェームス・ブッカーのコロコロと転がるピアノで始まり、アフタービートの効いたリズム隊、歯切れの良いフレーズを吹くホーンが繰り出す様は、1950年代のニューオリンズ黄金期を彷彿させてくれる。


そしてボビー・チャールズ「Tennessee blues 」を元妻マリアと愛娘ジェニーと仲睦まじく歌い、アルバムは終わる。
その数曲前のトラックでも、マリアと出会いの場となったジャグ・バンド時代のスタイルで共演。
こういう未練がましいダメ男ぶりも、ジェフの魅力だと思うのは、私だけだろうか。
優しくて、傷つきやすい人なんだろうね。

(店主YUZOO)

4月 18, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月16日 (月)

第41回 耳に良く効く処方箋




リル・リンドフォッシュ『たった一人のあなた』(ポリドール)

完全無欠のジャケ買いである。
清楚で凛々しい顔立ちの娘が、微笑むわけでなく、何かを伝えたいわけでなく、じっとこちらを見つめている。
アイドルのつくられたグラビアの笑顔よりも、こういう意味深な表情の方が、いろいろと想像力を掻き立てられて、エロティシズムを感じる。
青春をはるかに昔に置き忘れたオヤジは、普通とは違うものに、ときめいてしまうのである。


発表されたのが1967年。
「夢見るシャンソン人形」でヨーロッパ中の男を虜にしたフランス・ギャルと同時代ということも後押しして、300円を払い、我が家に連れて帰ることにした。
この手のジャンルは需要が低いのか、だいたい中古レコード屋の片隅に置かれ、タダ同然の値段しかつかない。
掘り出し物が潜んでいる穴場コーナー。
私はワンコイン・ジャンルと呼び、好んでエサ箱を漁っている。


肝心の内容はというと、映画音楽やボサノヴァのスタンダードといった曲を中心に組まれている。
オープニングはフル・オーケストラをバックに歌われる「禁じられた遊び」。
元はギターの練習曲で歌詞がついていないのだが、哀愁を帯びた美しい曲調のため、世界各地で独自に歌詞がつけられて、愛唱歌となっている。
ちなみに日本でも歌詞がついたものが、東京放送児童合唱団が歌っているので一聴を。
YouTube で聴けます。
このスタンダードを、リル・リンドフォッシュは、アイドル風に舌足らずにコケティッシュな魅力で迫るという姑息な手段は取らずに、堂々と歌っているのが潔い。


さらに映画『いそしぎ」の主題歌と続き、注目はセルジオ・メンデス&ブラジル66が世界的に大ヒットさせた「マシュケナダ」。
原曲のポルトガル語ではなく母国フィンランド語で歌われていて、英語とドイツ語が掛け合わさったような言葉の響きが新鮮で、今まで口にしたことのないエスニック料理を味わった時のように、そう簡単に納得しない頑固な耳も嬉んでいる。


13曲目はボブ・ディランの曲で、邦題は「ほっといてよ」。
そんな題名の曲があっただろうかと、頭を縦に横にとひねったが、該当する曲が思い当たらないし、歌詞から推測しようにもフィンランド語では、取りつく島もない。
アレンジもお洒落な北欧アイドル・バージョン(?)に変えられていて、ボブ・ディランの片鱗もない。
微かに原曲を感じるメロディから「Don’t think twice,It’s all right 」だと踏んでいるが、如何だろうか。


全曲を聴いて思うには、リル・リンドフォッシュは世界中のヒット曲やスタンダードを歌いながらも、一貫しているのは、すべてフィンランド語で歌っていること。
今でも第一線で活躍しているというから、その要因は、徹底した母国愛、世界市場をターゲットにしない姿勢にあるのではないかと、勝手に邪推。
それともフィンランドにも、漣健児のような天才的な訳詞家がいたのだろうか。


60年代洋楽アイドル好きは、ぜひ揃えておきたい1枚。


(店主YUZOO)

4月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月23日 (金)

第40回 耳に良く効く処方箋




シルヴィア『ザ・クィーン・オブ・セクシー・ソウル』(オール・プラティナム)

だいたいこのジャケットからしていけないのである。
地方のスナックにあるような安物のソファに腰掛けて、もうつまらない話は止めにしてベッドに行きましょうよと送る流し目に、手を伸ばせば届きそうなはち切れんばかりの胸元に、キスするためにあるような濡れた唇に、すべての男が目尻を下げて、彼女の言いなりに着いて行く。


男という生き物は、セクシーな女性の前では、従順な飼い犬なのである。
牙などないのである。
あとは野になろうと、山になろうと、有り金のすべてを失おうと、冷静な判断は出来るわけがない。
撃沈あるのみ。


このシルヴィアという妖艶な女は、男達を手玉に取り一筋縄ではいかない、したたかさを持っている。
お近づきになるには、よほどの覚悟ないといけない。
ライナーによると、デビューしたのは1950年頃。
その後、ぎたーの名手ミッキー・ベイカーと組んで、ミッキー&シルヴィアと名乗り「Love is strange 」というヒット曲を放つ。
さらに1967年に夫婦でオール・プラティナムというレーベルを設立し、今度は事業主として手腕を発揮するのである。


喩えて言うのならば、若い頃に風俗産業に、身を投じたが、身体がしんどい割には実入りが少ないと気がつき、業界の金の流れを学び、コネをつくること、他人を使って稼ぐこと、つまり経営者になるのが一番だと悟ったようなもの。
さすが女帝といわれる女だけある。




このアルバムは彼女を代表する『ピロー・トーク』と3作目『シルヴィア』を、カップリングしたお得盤。
全編にわたって、しっとりとした甘くて妖艶な歌声が聴ける。
またシルヴィアは、経営者以外にも作曲家としての才能を合わせ持ち、オール・プラティナムで契約していた甘茶ソウルの名グループ、ホワッツノウツ、モーメンツに、名曲の数々を提供している。
それらの名曲を女帝自ら、甘茶ソウルは、こういう風に甘くセクシーに歌うものよと、アレンジを変えて実演しているのも嬉しい。
砂糖菓子のような甘い夜の帳が降りてくる。

今回、家族に聴かれてはいかないと、思わずステレオのボリュームを下げてしまったのは、マーヴィン・ゲイのカバー曲「You sure love to ball 」。
シルヴィアが跨って、上となり下となり、ベッドの軋む音までも聞こえるようなエクスタシィ・ボイス。
見事な絶頂期の艶唱を堪能させてくれる。


音楽を聴いていて、AVを観ているような錯覚に陥る、唯一無比の妖艶盤です。

(店主YUZOO)

2月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月22日 (木)

第39回 耳に良く効く処方箋




村八分『アンダーグラウンド・テープス』(ハガクレ)

未発表音源やアウトテイク集は、音質的に問題があるものが多いが、それを差し置いても、ファンならば聴きたいもの。
昨今のボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ドアーズといった大物アーティストが、ブートレッグで流通していた音源をリミックスし直して、正規盤として発売に至るのも、そのファンの要求を満たすためなのだろう。


ファンとは満足することを放棄した生き物。
ボーナス・トラックに数曲の未発表音源が収録されているときけば、喜んで買ってしまう悲しい性の生き物なのである。


このアルバムは、再発レーベルのハガクレ・レコードが、2003年に村八分の未発表音源集として、何枚かのCDに分けて発表されたもの。
結論から言うと、ファン心理的には昨晩の酒が影響して消化不良を起こした感じとでも言おうか、この貴重な音源を耳にできる喜び半分、ハガクレの雑な仕事ぶりに落胆が半分が正直なところ。




ライナーや録音データもなく、帯を代用したシールに、1972年に行われた京都KBC放送のラジオ番組用に録音されたと書いてあるのみ。
ジャケットをぼんやりと眺めて、当時の状況を想像するしかないのである。
英国ケント/エースの丁寧な仕事、ドイツベア・ファミリーの録音データに対する異常なまでの執念、日本オールディズのジャケットへのこだわりなどを見習って欲しい。


収録曲は「ぐにゃぐにゃ」が3テイク、「のうみそ半分」が2テイク、「鼻からちょうちん」が1テイクの全6曲。
どのラジオ番組のために録音されたのか知る由もないが、このCDに収められたのが全テイクだとすると、スタジオ・ライヴというより、村八分がデビューする1年前だけに、今若者間で人気のあるバンドの紹介という形で録られたものかもしれない。
それ以外は推測しようがない。


2016年にリマスター版が出て、録音風景や未発表音源が追加されているらしいが、同じのを2枚購入するのを厭わない自分でも、二の足を踏んでしまう。
未だに消化不良である。

(店主YUZOO)

2月 22, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月20日 (火)

第38回 耳に良く効く処方箋




はっぴいえんど『グレーテスト・ライヴ!オン・ステージ』(ソリッド)

最近、耳がどんどん頑固になっていくようで、中古レコード屋で漁るのは、もっぱら未発表音源をまとめたものばかり。
ついこの間も、The Doorsの未発表ライヴ音源を3枚、村八分の未発表音源も3枚、まとめて購入。
そして以前買い忘れていたこのアルバムも同時にゲット。


相変わらずである。
新しい音楽を聴くというチャレンジがない。
何故ならば、新しいスタイルの音楽を聴くのは体力がいる。
まして加工され過ぎた音は人工的で、音に温かみ感じない。
耳というのは、年を重ねると遠くなるのではなくて、新しいものを聞き入れ無くなるだけなのではなかろうか。


はっぴいえんど。
日本のロック黎明期に燦々たる軌跡を残した名グループなのは周知の通り。
3枚のオリジナル・アルバムと何枚かの編集盤を残したのみで、その活動期間も1969年から1973年と非常に短い。
実際には1972年でグループとしては終焉、1973年のサード・アルバムは海外録音するという条件で再結集したに過ぎないと、解析する評論家もいる。
つまり伝説のグループの実動は非常に短かい。


このアルバムでは、デビュー前の「ロック叛乱祭」でのステージが3曲収録されていて、はっぴいえんど以前のグループ名、バレンタイン・ブルーとして紹介されているのが、興味深い。
そのほかの音源は、1971年「加橋かつみコンサート」、「第3回中津川フォークジャンボリー」となっている。




はっぴいえんどは、スタジオ録音は良いが、ライヴはイマイチという評価が長い間なされているが、このアルバムを聴く限り、それは音楽業界の都市伝説に過ぎないように思える。
この音源自体は、レコード化されることを想定されていないゆえ、非常にラフなミックスで、各楽器の音のバランスが悪いが、そのなかでも鈴木茂のギターは一際光っている。
当時は未だ19歳なのに、一瞬の煌めきで弾くフレーズやソロは独創的で、ルーツが何処にあるのか解らないほど個性的だ。


それと細野晴臣のベース。
のちにティン・パン・アレーを結成して、鈴木茂とともに日本のミュージック・シーンを支え、それどころか歌謡曲まで視野に入れた活動の原点を感じさせる、懐の深いベース・ライン。


このアルバムは、本人たちが発表を意図していない音源なのだが、こうして耳にすることによって、都市伝説が崩れ去るという好例だと思う。
頑固になった耳が、そういうのだから間違いない。


(店主YUZOO)

2月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月16日 (金)

第37回 耳に良く効く処方箋




メリー・クレイトン『ギミー・シェルター』(オード)

メリー・クレイトンと聞いて、すぐに誰だかわかる人は、ストーンズ・ファンに違いないと思うけど、というより『レット・イット・ブリード』で、このアルバムのタイトル曲で、ミックとのデュエットが印象的なシンガー。
「ギミー・シェルター」も彼女の歌声が無ければ、あの時代の張り詰めた空気感を表した名曲にならなかったかもしれない。


とにかくゴスペル仕込みのパワフルな歌声を聴かせる女性である。
経歴を見ると、小さい頃は教会で歌い、ティーンエイジャーになるとレイ・チャールズのバックコーラス隊、レイレッツのメンバーとして活躍、その血統書良さに納得のいくところ。


そのサラブレッドのレコーディングに、デヴィッド・T・ウォーカー、ビリー・プレストン、ジョー・サンプル、ポール・ハンフリーなど、超腕利きミュージシャンが集うのだから、羨ましい限り。
これで凡庸なアルバムしか創れなかったというのなら、全てプロデューサーの責任ということになる。


収録されている曲は、表題曲の他に、「明日に架ける橋」、ジェームス・テイラー「カントリー・ロード」、映画『ヘアー』の挿入歌「アイヴ・ガット・ライフ』、ヴァン・モリソン「グラッド・ティディングス」など、このアルバムが発表された1970年頃にヒットしていたり、注目されていた曲が中心になっている。
歌の上手い歌手と名うてのミュージシャンがヒット曲を演れば、良いものが出来て当然なのだが、何故かポピュラー史に名盤としてが残ることがなかった。




何故だろうか。
その原因を考察してみると、このアルバムが発表された時代背景があるのではないかと思う。


折しも、この時代に圧倒的な支持を得たのは、キャロル・キングやジェームス・テイラーといったシンガーソングライター。
もしくはニュー・ソウルと台頭と呼ばれたマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラッグという面々。
歌の上手さが求められるよりも、内省的で淋しい心を癒してくれる歌であり、力強い歌声が求められたのは、60年代後半の政治の季節に同調した頃で、このアルバムの手法は、少し古く聴衆の心を捉えることができなかったのではないか。


私論であるが、1969年と1970年以降では、わずかその1年には精神を左右する大河が流れていて、誤解を恐れずに言うならば、カウンターカルチャー的な高揚感が潮が引くように消え、私的な出来事や問題を考える方が重視されるようになった。
オルタモントの悲劇が原因だという評論もあるが、本当のところ、この1年の間に人々の心に何があったのか知る由もない。


ただメリー・クレイトンという歌手が才能ないと言っているわけではない。
繊細な表現に欠けるものの、非凡な歌手であり、このアルバムが発表されて50年近く経った現在の耳には、そのタイトなバックと併せて、レア・グルーヴの視点から再評価されるべきだろう。


このアルバムがカウンターカルチャー全盛期に発表されていたら、メリー・クレイトンは歌う女戦士という肩書きが付いていたのかもしれない。
歌は世につれ世は歌につれとは、良く言ったものである。


(店主YUZOO)

2月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月14日 (水)

第36回 耳に良く効く処方箋




ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、ボ・ディドリー『スーパー・スーパー・ブルース・バンド』(チェス)

レコード会社というのは、経営難になると突飛もない企画をして、再生を図るものである。
50年代、飛ぶ鳥を落とす勢いだったチェス・レコードも、このアルバムが録音された1967年頃には、ヒット曲も無く、かと言って期待の新星も見当たらず、完全に経営が行き詰まりの状態。
社主レーナード・チェスも、ここは奮起と斬新な企画を熟考に熟考を重ねる。
もしかしてブルース界の帝王が一堂に会してにレコーディングに臨んだら、想像を超えた化学反応が起こるのではというアイデアを元に製作されたのが、このアルバムである。


このアイデアを例えるならば、北島三郎と勝新太郎のショーに、トニー谷が乱入したようなもの。
ただでさえ我の強いブルースマンなのに、シカゴ・ブルースの大御所に鎮座するハウリンとマディの二人に、変わり者のボが割り込んでくる図式。
最初から新時代のブルースを創り上げようという意気込みはない。
存在するのは俺様がブルース界の一番だ、顔役だという自我の対立のみ。
譲り合いの精神など初めからない。


しかし予定調和に小さくまとまったアルバムよりも、この自我のぶつかり合いが、意外に病みつきになるもので、この三人の心境を想像しながら聴くのが面白い。
トニー谷的立場のボは、完全におちゃらけていて、クッキー・ヴィという女性コーラスと一緒に奇声をあげたり、トレモロを効かせた銭湯のようなチャプチャプ音のギターを弾いたり、やりたい放題。




頑固オヤジのハウリンは、当然そんなトニー谷的ボを快く思うわけもなく、ボの持ち歌になると、明らかに馬鹿にした態度で、浪花節的な唸り声をあげて、曲をぶち壊そうとする。
その様子を見ながら苛立ったのか、完全に主役を取られると焦ったのか、マディは他人が気持ち良く歌っている途中でも、強引にリードを取ろうとする。


とっくに不惑の年など超えた大御所が、臆面もなく自我とブルース魂を放出していることに、美しささえ感じてしまうのだ。
今の言葉で言うならば、空気の読めないオヤジ連中と揶揄されるかもしれない。
若い奴の自我の強さは青臭いが、一本筋の通ったオヤジのそれは、生き様という以外に何と言おうか。


このブレない人生を突き進む美しさ。
小さく人生をまとめてしまっては、何も語ることができなくなるぜと諭されているようである。

(店主YUZOO)

2月 14, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月10日 (土)

第35回 耳に良く効く処方箋




村八分『草臥れて』(ゲイターワブル)

この音源が発見されてCD化されとき、大きな話題になった。
何しろ村八分は、ライヴ盤1枚のみ発表して解散してしまった伝説のバンドであり、日本のロック黎明期において、はっぴいえんどと同じく、重要な位置にある。
そのバンドのスタジオ音源が存在したことに、驚きで眼の玉がぐるりぐるりと廻ったのを、昨日のことように覚えている。


ただスタジオ録音といっても、ミックスダウンが施され、各パートのバランスを均等にした、いわゆる完成された音源ではない。
ライヴ前のリハーサルのような一発録り。
このバンドの生々しい音がダイレクトに伝わってくるだけに、このラフミックスは、伝説をさらに雲の上へと昇らせる迫力がある。


ボーカルのチャーボーの独特の歌唱と山口冨士夫のブルージーで歯切れの良いギターが素晴らしい。
そして何よりも歌われている世界観が、デカダンス、アウトロー、ニヒリズム、ダダイズムに酔っているような、もしくは怠惰、堕落、無頼、厭世を宣言しているような、他者を拒絶した詩の世界をつくりあげている。
この「操り人形」の歌詞は、徹底したニヒリズムが歌われているが、チャーボーの描く世界は絶望のなかに純粋が潜んでいると、私は思うのだが如何だろうか。


神(の子)を殺して
人の心に葬ってやった
人を殺すかのように
引き裂いてやった
流れる人混みを弄び
馬鹿な人間どもを操り人形のように
操ってやる 操ってやる


また最終トラックの「あッ!」では、こんな詩が歌われている。


俺は片輪、片輪者
心の綺麗な片輪者




ここでは片輪という言葉を、尊いものへと昇華させて、聴く者の精神に混沌と疑問を与える。
それは常識への問いかけかもしれない。
言葉というのは、ひとつだけの意味付けしかされないと、時代の価値観と共に風化してしまい消えていく運命にある。
解釈の多様性によって言葉は、時代の流れのなかを生き抜き、常に新鮮な響きをもって迎え入れられるのだ。
あえて差別用語として嫌み嫌う言葉を使って、このような美しい世界を創りあげることができるのだと、ロック的なカウンターカルチャーな挑戦なのである。


残念ながら、ロックがカウンターカルチャーの代名詞だった70年代は終わり、この系譜をひくバンドは無くなってしまったが。


村八分が伝説になったのは、活動期間が短く、アルバムを1枚しか残さなかったからではない。
このチャーボーが描く世界、それに応呼するように、蛇が這い回るような湿った山口冨士夫のギターが、ライヴを観た者を釘付けにして、心に反抗的精神が巣食ってしまったからだろう。
伝説は必然的に生まれたのだ。


(店主YUZOO)

2月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 8日 (木)

第34回 耳に良く効く処方箋




リック・ダンコ『リック・ダンコ』(アリスタ)


ザ・バンドが解散してから、メンバーそれぞれが発表するアルバムに、どこかザ・バンドの残り香を探そうとするのは、いけないことだろうか。
メンバーにとっては新しい船出にあたって、栄光の遺産ばかりを求められるのは、迷惑な話かもしれない。
過去はその名の通り過ぎ去った出来事。
現在の姿をその二つの目で見届けてくれという心境が、本音であろう。
過去に甘んじていては、懐メロ歌手として、ディナーショーを巡るような、昔の名前で出ています的な時代遅れのミュージシャンに成り下がってしまう。


リック・ダンコはザ・バンド解散後に、最初にソロ・アルバムを発表したのだが、その心境は過去との決別だったのかというと、そう言い切れないものがある。
メンバー全員が一堂に会する曲はないものの、全員が参加しているし、ザ・バンドのアルバムに収録されていてもおかしくない曲が、数多く散りばめられているからだ。
御多分に洩れず、私はザ・バンドのメンバーが参加している曲に、その残り香を求めてしまうのだが。




ガース・ハドソンが参加した「New mexicoe 」に、ロビー・ロバートソンの「Java blues 」に、リチャード・マニュエルの「Shake it 」に、リヴォン・ヘルムの「Once upon a time 」に。
当然のことながら、それらの曲にザ・バンドで見せてくれた独特の一体感が見て取れるし、こちらもつい眼を細めてしまう。
眼の横皺も多くなる。深くなる。


リックの意気揚々としたボーカルに癒されながらも、ふと判らなくなってしまった。
それならば何故ザ・バンドは解散してしまったのだろうか。
公には、ロビー・ロバートソンと他のメンバーとの確執が解散に至ったと言われているが、それならばソロ・アルバムを録音するにあたって、ロビーを呼ぶ必要はないだろう。
さらに他のメンバーが参加するのも得策ではない。
これからの自分の音楽人生を占う初のソロなのである。
過去との決別こそ最初に成すべきではないだろうか。


そこでリック・ダンコの心境を想像してみる。
もしかするとリックはザ・バンドの解散は手放しでは喜んでいなくて、もしくは後ろ髪を引かれる思いで合意したのではと。
少し休息をとってから、リフレッシュしたら昔のように楽しくやろうよ、まずは俺のソロ・アルバムで楽しく演ることから始めて。
そんな風に想像すると、このアルバムが俄然素敵な音に聴こえてくる。


ボビー・チャールズの「Small town talk 」なんて、少し皮肉の混じった曲を収録して、小さな街の噂話にすぎないよと歌うリック・ダンコ。心憎いね。

(店主YUZOO)

2月 8, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 6日 (火)

第33回 耳に良く効く処方箋




ポール・バターフィールド・ベターデイズ『ライヴ・アット・ウィンダーランド・ボールルーム』(ベアーズヴィル)

この未発表ライヴが発売されると音楽雑誌に載った時の興奮は、今でも昨日のことのように覚えている。
ポール・バターフィールドのブルースハープの音色に、高校生の時にガツンと衝撃を受けて以来、その音を聴きたいが為に、いろいろとアルバムを漁ってきたが、その理想形としてベターデイズのファースト・アルバムがある。
そのベターデイズの未発表ライヴが出るのである。


好きな女の子から告白されたぐらいの興奮。
発売日が来るのを指折り数えるだけでは飽き足らず、もしかしてフライングで発売日前に売っている店はないかと、レコード屋を巡ったりした。
もちろん店頭に並んでいるわけがない。
早く聴きたいけど、その音源は手に入らないもどかしさ。
もしかすると著作権の関係で、発売中止になる憂き目に合うかもしれないのである。
こんな初々しい気持ちが、身体を包み込むのも久しぶりのことであった。


ようやく販売当日。
手に入れると、何処にも寄らずに一目散にステレオの前へ。
このベターデイズはエイモス・ギャレット、ロニー・バロン、ジェフ・マルダー、クリス・パーカー、ビリー・リッチと腕利きミュージシャンが集合しただけでなく、ソロで活躍できる程、自身のスタイルを完成した強者ばかり。
2枚のアルバムを発表しただけで解散したゆえに、残された音源は限られている。
ライヴとなるとどんな融合が起こるのか、想像すらつかないのだ。
しかもファースト・アルバムを発表して1ヶ月後の凱旋ライヴである。




オープニングの「Countryside 」で、いきなりポールの壮絶なブルースハープ・ソロで幕が開ける。
まるで蒸気機関車の汽笛。
こんな凄まじいブルースハープを聴いたことない。
新しい組んだバンドへの並々ならぬ心意気と入れ込みようが、その熱い息遣いからわかる。


そしてジャニス・ジョプリンの歌のない遺作「生きながらブルースに葬られ」とボビー・チャールズの傑作「Small town talk 」と続く。
リズムはタイトで、決してアンサンブルを崩すことなく手堅くグルーヴ感を紡ぎ出す。
その安定したリズムに載せて、エイモスのギターがツボを心得たソロやオブリガードを聴かせて、ロニーがニューオリンズ仕込みの転がるピアノを奏でる。
まさに至福のとき。


そしてファースト盤でも白眉のギターソロを聴かせてくれたパーシー・メイフィールドの名曲「Please send me someone to love 」に酔され、その興奮も醒めぬままに、再びポールが壮絶なブルースハープを聴かせる「He’s got all the whiskey 」へと雪崩れ込む。
この時点で蒸気機関は3両連結で、雪に埋もれた網走平野を爆走しているような、石炭が赤く煌々と燃え盛るような熱さ。
ポール・バターフィールドの凄まじいブルース魂が、溶岩となって吹き出している。


聴き終わって、じっとりと背中に汗をかくのは、このアルバムぐらいである。
全盛期のポールを止めることは誰もできない。
ぐっと冷え込んだ朝に、私はストーブ代わりにこのアルバムを聴く。
身体の芯から温まる。

(店主YUZOO)

2月 6, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 5日 (月)

第32回 耳に良く効く処方箋




マリア・マルダー『オールド・タイム・レディ』(リプライズ)


最近の休日は、古き良きアメリカ音楽の匂いがするアルバムばかり聴いている。
肩肘を張らずに、何も考えずぼんやりと聴いていられる音楽が、この季節は良いのである。
先日の皆既月食は美しかったとか、このまま雪は四月まで残ったりしてなどと、たいして重要でないことを徒然なるままに思い返しては、音楽に心を合わせているだけで、和んだ気持ちになる。


その中でマリア・マルダーは、この季節に相応しい歌姫である。
古き良きアメリカ音楽の最良の部分を、その細身の身体いっぱいに蓄えて、澄んだ歌声で聴かせてくれる。
しかもこのアルバムでサポートするのは、ドクター・ジョン、ジム・ケルトナー、ライ・クーダー、エイモス・ギャレット等々の同じく古き良きアメリカ音楽に精通した面々。
何が不満があるだろうか。


1曲目はライ・クーダーの軽快なギターのピンキングに合わせて、歌姫が歌い出す「Any old time 」。
スライド・ギターに聴こえるのは、ディビッド・リンドレーのハワイアン・ギター。
この曲でこのアルバムのコンセプトがわかるというもの。
そして永遠の名曲「Midnight at the oasis 」へと流れていく。


この名曲の聴きどころは、何と言ってもエイモス・ギャレットの流麗なギターソロ。
このエイモス、隣に住んでいるギター好きのお兄さんのような人懐こっさがあるのに、ギターを持つと繊細かつ知的なソロやバッキングを聴かせてくれる、ただならぬ人物なのである。




このアルバムが出た1970年代は、ドラマチックで激情的なギター・ソロが支持を得ていたのだが、それとは異なるアプローチ。
この曲と同じく、ベターデイズで聴かせてくれた「Please send me someone to love 」も名演で、併せて聴けば、エイモスのギターの虜になるのは請け合いである。


また何処を切っても金太郎飴的なドクター・ジョンのピアノが軽快に転がる「Don’t you feel my leg 」、
ダン・ヒックスばりのジャジーな小唄「Walking one & Only 」など、バックの演奏を聴きながら、歌姫の美声に心をときめかせる曲が、たくさん詰まっている。
最後のデザートまで妥協せず、丁寧に作られたアルバムである。


正月太りしたなと腹の肉をつまみ、ジョギングをしようと考えている諸兄の皆さま。
こんな寒い時に外に出るのは、抵抗力も落ちているだけに身体に悪い。
ここは春の訪れを思い浮かべながら、良い音楽を聴いて、まずはやさぐれた心をマリア・マルダーの歌声で治すことから始めようではないか。
冬来りなば春遠からじである。

(店主YUZOO)

2月 5, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 2日 (金)

第31回 耳に良く効く処方箋




オムニバス『ジャニス・ジョプリン・クラシックス』(P-VINE)

このアルバムは不世出のロックシンガー、ジャニス・ジョプリンがカバーした名曲を辿って、その軌跡を改めて認識しようという企画盤。


P-VINEが得意とする企画盤で、ローリング・ストーンズやビートルズ、レッド・ゼッペリンなどが同じく発売されていたが、最近はまったく音沙汰がないので淋しいかぎり。
オリジナル曲を1曲ずつ蒐集するのは、たいへん骨が折れることだけに、こういう明確な意図を持って企画されたアルバムは、ロックを聴いていて、更にそのルーツとなるブルースやソウル、R&Bを辿ろうとする金の無い若者には、うってつけなのだが。
一音楽ファンとして再考を願いたい。


さてこのアルバム。
まずはデビュー前にコーヒー・ハウスなどで演奏していた、フォークソングやフォーク・ブルースのスタンダード曲が並ぶ。
保守的なテキサスの町で生まれたジャニスは、馴染むことが出来ず、ビートニクに憧れてロサンゼルスに移り住んだりしたものの、望むような居場所を得ることが出来ず、その中で、ここで収められた「San Francisco bay blues 」や「Careless love 」を歌ったり、聴くことことが心の拠り所だったという。


そしてジャニスを一躍時の人にした伝説のモンタレー・ポップ・フェスティバルでの「ボール&チェイン」熱唱。
この曲は豪傑ブルース・ウーマン、ビック・ママ・ソートンのレパートリーだが、独自の解釈で完全に自身の持ち歌にしている。


ここでよく言われるのが、ジャニスの実力に比べてバック・バンドの演奏力の拙さが惜しまれるという指摘。
確かにリズムはタイトではないし、ファズを効かせたギターはノイズの垂れ流しで、冗漫な演奏ではある。
ただこのノイズまみれの演奏に乗せて、ジャニスが心を蝕む憂鬱を吐き出すように歌ったからこそ、ロック全盛期の新しいブルース表現者として、赤裸々に感情を吐露した女性シンガーとして、カウンターカルチャー全盛の60年代を代表する一曲になったのだし、この曲でジャニスは伝説のシンガーになったのだと思う。




もしブッカーT&The MG’sやハイ・リズムのような手堅くタイトな音を紡ぎ出すバックだったら、黒人みたいに歌える女性シンガーという枠に収まっていただけかもしれない。
やはり私にとってジャニスは、既成のブルースシンガーではなく、今までにないカテゴリーづけできない女性シンガーなのである。


ジャニスの遺作となった『パール』は、ソウルを中心にアルバムが組まれている。
興味深いことにスタックスやゴールドワックスのようなディープ・ソウルではなく、ガーネット・ミムズやハワード・ヘイトといったディープな色香を残しながらも都会的なシンガーの曲を多く取り上げている。
プロデューサーの意向が反映されているのかもしれないが、ここでも原曲の雰囲気を残しつつも、ジャニスらしい感情の起伏をストレートに表現した、素晴らしい歌声を聴かせてくれる。


ジャニス=ブルースという図式で語られることが多いけれども、そんな枠組みでは収まりきれないスケールの大きさを、この原曲を年代順に並べた編集アルバムを聴き、改めて感じる。
やはり不世出の天才シンガーだった。

(店主ЮУЗОО)




2月 2, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 1日 (木)

第30回 耳に良く効く処方箋




ザ・バンド『ザ・バンド』(キャピトル)

このジャケットの5人の顔立ち、堪らなく良い。
アメリカ開拓時代に生きているような厳しい眼つき、ゴールドラッシュで幸運を掴み損ねた敗北者のようで、写真から人生の機微が滲み出ている。
当時人気が上がり始めたグループとは思えない、実に重苦しいスナップ写真。


エリオット・ランディというカメラマンが撮影した一葉なのだけど、しかし、これ程までにザ・バンドの音楽を適切に表現したものもない。
ザ・バンドの音楽は、ルーツミュージックを礎にして、どこか懐かしい音楽を創り上げたが、そこには社会の底辺で生活している人々の息づかいがするのが魅力で、ビアホールで酔漢が歌い出すと、それにつられて周りも歌い始めるような親しみ易さと、底知れぬ哀愁がある。
それがこのジャケット写真に端的に表現されている。


高校生の時にこのアルバムを買ったらポスターが付いていて、部屋の天井に貼って、寝る前に眺めていたのを思い出す。
こんな汗臭い男たちに思いを寄せる高校生というのも、今考えると偏屈な若者だったと、改めて深く反省した次第。




このアルバムはデビュー盤と甲乙つけがたい、どちらも名盤なのは変わりないのだが、何故かこちらの方がプレイヤーに載ることが多い。
曲の順番がデビュー盤よりも決まっていて、LPでいうA面の流れは、ライヴを耳にしているような感覚。
ジャグ、カントリー、ニューオリンズなどの古き良きアメリカ音楽をモチーフにした曲が続き、音楽でアメリカ旅行をした最後に流れる「Whispering pines 」の美しいバラードで、このA面の旅を終える、心憎い演出である。
その余韻に浸ったあとにB面に返すわけである。


今回聴いて、昔はレヴォン・ヘルムのむせ返るような男臭いソウルフルな歌声が好きだったけど、今の心情は、リチャード・マニュエルの繊細な男心を歌う姿に惹かれたのが収穫。
私も年を重ねたということだろうか。


改めてジャケット写真を見つめる。
この写真が撮られた時のザ・バンドのメンバーは、まだ20代である。
どれだけ老成していたのだろうね。

(店主YUZOO)

2月 1, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月31日 (水)

第29回 耳に良く効く処方箋




ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』(キャピトル)

冬真っ盛りの季節となると、外に出ようという気もなく、ひたすら音楽を聴く休日になる。
あまり聴いていないアルバムを掘り出して新鮮な驚きに満たされるのも良いが、もう何百回と聴いたお馴染みを聴くのもいい。
そのアルバムを初めて聴いたときの喜びを思い出したり、サビのところを一緒に口ずさんだりする。
そんな冬の過ごし方も悪くない。


ザ・バンドのこのアルバムと2枚目は、何度聴いただろうか。
ボブ・ディランとリチャード・マニュエルの共作「怒りの涙」で始まる本作は、最初の1曲でその世界に入り込める稀有なアルバムである。
古き良きアメリカを思い浮かべるハートウォーミングなサウンドは、カナダ出身のメンバーが占めているグループでながらも、ロニー・ホーキンスやボブ・ディランのバックで演奏力を高め、ルーツミュージックを学んでいったのであるのだろう。


とくにロニー・ホーキンスのバックを離れ、独立した時は、場末のバーや安酒場のステージに立ち、ヒモや娼婦、アルコール中毒を相手にしていたというから、耳を傾けて聴く相手でもないのに、様々なレパートリーを要求されて、さらにバンドの結束力が高まり、このメンバーでしか出せない音を作り上げたに違いない。




例えで言うならば、ロック・バンドを目指している若者が「あんたら、楽器持っているんだから、『三年目の浮気』を演ってくれや」と酔漢からリクエストされるような状況。
その中でこのバンドならではの独特なサウンドが創り上げられた。
この例え、ちょっと違うかな。


このアルバムのベスト・トラックは「The weight」、「I shall be released 」なのは、誰もが認めるところ。
とくに「I shall be released は、1986年に残念ながら自殺してしまうリチャード・マニュエルがリード・ボーカルを取っていて、この人の哀愁を帯びた歌声に胸を締め付けられる。


俺には朝日が輝き出すのが見える
西に沈んだ太陽がまた東から昇るのが
いつの日かまた
いつの日かまた
俺は自由の身になるだろう


リチャードだからこそ、描くことができた世界だと思う。
武骨な男の繊細な心を聴くことことができる。
自ら命を絶ったのが口惜しい。

(店主YUZOO)

1月 31, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月30日 (火)

第28回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』(デルマーク)

このライヴ盤を聴かずして、オーティス・ラッシュを語ること無かれ。
とにかく表題どおりの嘘偽り無しの激情ライヴである。


ブルースのガイド本で語られるオーティス・ラッシュは、デビュー当時のコブラ録音が凄まじいブルースを放っていたため、以後のアルバムは評価が厳しく、今ひとつだの、眠れる巨人はいつ目覚めるのかと、手放しで受け入れられることがなかった。
最初に後世に残る傑作群を発表してしまうと、次作以降は手厳しくなってしまうのは、世の常かもしれないが、長年にわたって言われ続けると、さすがの巨人だって不貞寝したくもなる。


私観だが、オーティス・ラッシュはスタジオでこじんまりと録音するよりも、鉄壁のバンキングに煽られているうちに、自身のブルース魂に火がつき、抑えていた激情をボーカルに、ギターに解き放つのではないか。
何テイクも録音して、トラックを重ねていくスタジオは合わない。
ライヴに本領を発揮するブルースマンなのである。


日比谷野音で行われたブルース・フェスティバルでも、オーティス・ラッシュは周りのビル郡のガラスが震えて落ちるぐらいのギターを聴かせてくれたし、艶のある男気に満ちたボーカルは、巨人の名に相応しい素晴らしいものだった。
このアルバムは、その時のライヴを彷彿させ、ブルースメーターの針を振り切った最高潮の音を聴かせてくれる。




とくにスローブルースで聴かせるボーカルとギターは極上で、オーティス・ラッシュの実力をまざまざと見せつける。
「You’re breaking my heart 」、「Mean old world 」、「Gamblers blues 」など感情を抑えたボーカルの後に、斬り込むように入るギターソロは鳥肌もの。
完全に自己の世界に観客を引き摺りこみ、陶酔させている。
この世界を目の当たりにするなんて、この時の観客が羨ましい。


この音源は、30年経った2005年に陽の目を見ているのだが、すぐに発表していれば、眠れる巨人と揶揄されずに済んだのに。
オーティス・ラッシュの1枚を選べと言われたら、迷わずこれを選ぶ。
そう思うと口惜しい。
デルマーク・レコードの罪である。

(店主TUZOO)

1月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月28日 (日)

第27回 耳に良く効く処方箋




シュレルズ&キング・カーティス『ギヴ・ア・ツイスト・パーティ』(セプター)

ツイスト・ブーム真っ盛りの1962年、この流れに乗って企画されたアルバム。
当時「Will you love me tomorrow 」、ビートルズもカバーした「Baby it’s you 」などのヒット曲を連発していた人気のガールズ・グループ、シュレルズと売れっ子サックス奏者、キング・カーティスが組んだら、どんなご機嫌なアルバムが出来上がるのだろうと、レコード会社が熱を入れた企画だったのがわかる。


このアルバムの企画で注文すべきは、何曲かキング・カーティスがボーカルを取っていること。
サックスでは艶めかしい音色が特徴のカーティスだけど、ボーカルは意外にも軽めの豚骨味で、手本にしていたのはレイ・チャールズだと、はっきりわかるスタイルが微笑ましい。
「Take the last train home 」は、完全にリズムからボーカルまでレイの「What’d I say 」の影響が大きいナンバー。
心の底からレイのことを陶酔していたのでしょうな。思わず目頭が熱くなります。




シュレルズ・サイドの聴きどころは、一曲目の「Mama here comes the bride 」。
結婚行進曲のイントロに導かれて、嬉々として歌い始める姿に、箸が転んでも笑い転げる女の子たちの若さが弾けんばりのボーカルに、もう目尻が下がりニヤケてしまいます。
はち切れんばかりの若さがないと、こんなにエネルギッシュに歌えませんな。
目尻の皺が目立つ私には、もう逆立ちしたって、こんな曲は歌えません。


あとジェシー・ヒルのヒット曲「Ooh poo pah doo 」でディープな歌唱を聴かせて、シュレルズの違った一面を見られたのが、意外な収穫。
星の数ほどあるガールズ・グループの中でも、実力はひとつ抜き出ていたことを証明してくれる影の注目曲です。


ソウル・ジャズ好きとガールズ・グループ好きの両方のお腹を満たせてくれる良盤。

(店主YUZOO)

1月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月27日 (土)

第26回 耳に良く効く処方箋




ヴァン・ダイ・パークス『ムーンライティング』(ワーナー・ブラザーズ)

ヴァン・ダイ・パークスが1998年に発表したアッシュ・グローヴでのライブ盤。
音源自体は、1996年に録音されたというから、2年の歳月を経て発表というあたり、実に奇才音楽家らしい。
きっとミックス・ダウンしながら、左右の音のバランスが悪いだの、奥行きを感じられないだの、ぶつぶつと小言を並べて、遅々として作業が進まなかったのだろう。


満を持して発表された音だけに、悪い訳がない。さすが職人が成せる技といいたい。
昨今、納期に間に合わずため、原価を下げるため、データを改竄して安直にモノづくりを行う輩がいるけれど、ヴァン・ダイ・パークスの爪の垢を煎じた上に、更に発酵させて、熱いお茶と共に飲んでもらいたい。
良いモノをつくるには、手間隙と妥協をしない心持ちが大切なのである。




さてこのアルバムは、ベスト・オブ・ヴァン・ダイ・パークスという体裁を取っていて、新旧の名曲を織り交ぜており、老若男女が愉しめる内容になっている。
もっとも寡作の音楽家だから、この時点で活動歴30年のベテランでありながら、発表されたアルバムは10枚にも満たない。
しかし曲つくりの姿勢が一貫しているので、違和感なく聴くことができる。
まさに頑固職人の風情。
世間に流されず、目を向けずの精神である。


フル・オーケストラが優雅に奏でる名曲の数々は、旧き良き映画音楽のサントラを聴いているようであり、アメリカが輝いていた時代を思い浮かべる。
そのこだわりは、SP盤を模したジャケット・デザインにも現れている。
20世紀は終わりに近づいているけども、戦争に明け暮れていただけではない、素敵な音楽もたくさん生まれたんだよと言わんばかりに。


そしてクレジットを眺めて驚いたのだが、コンサート・マスターは、ダン・ヒックス&ザ・ホットリックスでバイオリンを弾いていた、シド・ページなのである。
旧き良きアメリカ音楽を知り尽くしている2人が、タグを組んでいるのだ。悪い訳がない。


(店主ЮУЗОО)

1月 27, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月25日 (木)

第25回 耳に良く効く処方箋





ウッドストック・マウンテンズ』(ラウンダー)

前作から5年を経て、再びハッピー&アーティ・トラウム兄弟の呼びかけで、ウッドストックにあるベアズヴィル・スタジオに名うてのミュージシャンが集まって制作されたのが本作。
この5年の間に音楽シーンは激変したのだが、古き良きアメリカ音楽を現在に再現することが主のプロジェクトのため、ディスコでフィーバーしようとパンクが吹き荒れようと、まったく関係ない。


もっとも当時、この優しきアコスティークな音が、若者の耳が受け入れたのかと問われると、心許ない。
当時は輸入盤で良く見かけたのは覚えているものの、手に取って眺めた記憶はないし、ここに参加しているミュージシャンで知っているのは、ポール・バターフィールドぐらいだし、トラウム兄弟については、猫の額ほどの知識もない。
ブリティッシュ・ロックに眼を輝かしていた紅顔の高校生だったから、このような渋い音楽を知らないのは仕方ないとも言えるが。


このアルバムで活躍しているのは、ラヴィン・スプーンフルのリーダーだったジョン・セバスチャン。
ハート・ウォーミングなハーモニカを随所に聴かせてくれて、ラスト曲「Amazing grace 」では、ポール・バターフィールドとの夢の共演を果たしているが嬉しい。




前作と同じく収録曲はすべて吟醸の香りに満ちているが、敢えて選ぶならば、その大活躍のジョン・セバスチャンと主催者ハッピー・トラウムが、二人で仲良く歌う「Morning blues 」。
ギター二本のみの演奏だが、ジャグ・バンド風の愉しさに溢れていて、思わず眼を細めてしまう。


このマッド・エイカーズは形を変えて続けられているプロジェクトらしいが、残念なことに、その音源を再発するレコード会社は少なく、前作共々、世界初CD化したのは日本のヴィヴィッド・サウンドである。
多感な高校生のポピュラー音楽という大海に船出し始めた頃、スルーしていたアルバム群を、現在、こうして聴けるように再発してくれたことに感謝。
そうでなければトラウム兄弟を知らずに、あちらの世界に行くところでした。

(店主YUZOO)

1月 25, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月24日 (水)

第24回 耳に良く効く処方箋






マッド・エイカーズ『ミュージック・アマング・フレンズ』(ラウンダー)

昨日、紹介したエリック・ジャスティン・カズが幻の名盤を録音していた同時期に参加したのが、このアルバム。
ハッピー&アーティ・トラウムというウッドストック派と呼ばれる兄弟が企画したアルバムで、ハドソン河をピクニックしながら、レコード会社の制約を受けない自由奔放なセッションをして、古き良きアメリカのフォークやカントリー、ブルースを愉しもうという、何ともユニークなものだった。


参加したミュージシャンは、マリア・マルダー、ビル・キース、トニー・ブラウン、ジム・ルーニー、リー・バーグなど、ウッドストック派ではお馴染みの人で占められている。
曲ごとに参加するメンバーが異なるのだが、古き良きアメリカ音楽という共通言語で結ばれているので、まったく違和感がない。
この人懐っこいサウンド作りは、70年代の高田渡や細野晴臣に多大なる影響を与えたと思う。


ベスト・トラックは全曲と言いたいところだが、あえて独断で決めさせていただくならば、マリア・マルダーとリー・バーグの歌姫が歌う「Oh , The rain 」をあげさせてもらおう。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンという戦前に活躍した盲目のブルースマンの曲なのだが、原曲の重苦しい曲調に比べると、二人のハーモニーの美しさを強調しているものの、原曲にある物哀しさを失っていない。
幼い頃から、この曲を良く口ずさんでいたのではと思えるほど、しっくりとした歌いぷりである。




さてエリック・ジャスティン・カズは、このアルバムでの役割というと、ピアノとハーモニカで曲を支え、自身も1曲目の「Cowpoke 」でリード・ボーカルを取っている。
子供が歌う童謡みたいな曲で、同時期に『イフ・ユアー・ロンリー』を製作していたのだと考えると、何となく微笑ましくなる。
このセッションは、大切な息抜きの時間だったのだろうね。


解説で鈴木カツ氏が「マッド・エイカーズの素晴らしさは、アメリカン・ミュージックの財産をロック全盛の70年代に掘り起し、ノスタルジックな気分におぼれることなく、うたは歌い継がれてこそ生きのびることができるのだ、と教えてくれた点にある」と書いておられる。
深く共感する。

(店主YUZOO)

1月 24, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月23日 (火)

第23回 耳に良く効く処方箋




エリック・ジャスティン・カズ『イフ・ユアー・ロンリー』(アトランティック)

幻の名盤と銘打たれたアルバムは数多くあれど、ほとんどが迷盤、駄盤、凡盤の類いで、真に心に響くものは数少ない。
このアルバムは1972年に発表されたが、さほど話題にならず、日本での発売は1978年。
CD化されたのは1998年に「名盤探検隊」シリーズの1枚として、しかも日本で世界初という有様。
だいたい1978年は、ディスコ・ブームでフィーバーしていた時代、こんな地味なアルバムが話題になる訳がない。


1曲目の「Cruel wind 」からこのソングライターの資質が表れていて、実直で朴訥ながらも、意志の強さが伺える。
一語一語を丁寧に歌いながら、救われることのない家族の悲しみを描き出す。
泥沼化したベトナム戦争の最中だっただけに、反戦歌として捉えられる向きもあるようだが、もっと社会の底辺で生きる人々を慈悲深く歌っているように、私には思える。


父親は愛する息子を失った
母親は気が付かなかった
ぼくは冷酷な風に運ばれた
ぼくは引きずりこまれてしまった
冷酷な風に運ばれた

弟は泣きだした
ほかにどうすることが出来ようか
潮の流れは変わるかもしれない
しかしお前には分からない

この世界がどうなったのか
この世界がどうなったのか





全曲が短編小説ような世界が紡がれている。
アメリカ小説の礎となったシャーウッド・アンダーソンの一編を読んでいるような、哀しみに打ちひしがれた家族や生活が歌われ、神に救いを求めているしかないと嘆く。
エリック・ジャスティン・カズの経歴はわからないが、信仰心の篤い人なのだろう。
奏でるピアノはゴスペル調で、決してテクニックを披露するようなことはしない。
なかなか神が降臨しないことに悲嘆しながらも、この苦難に満ちた世界に生きていくのは、信仰心を失わないことだと、朴訥とした歌声で説いているのだ。


こう書いたものの、神を持たない信仰心のない私には、彼の描く世界観を真に理解するのは無理だろう。
しかし歌に対して真摯に向き合う姿に惹かれてしまうのも事実だ。
ほろりと苦味を感じるアルバムである。

(店主YUZOO)

1月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月21日 (日)

第22回 耳に良く効く処方箋




デラニー&ボニー『モーテル・ショット』(アトコ)

窓から注ぐ冬の陽だまりのなか、猫を膝に乗せて、ぼんやりと空を見上げいる。
夏の強い陽射しとは違って柔らかく、身体に染み込んで来る穏やかさである。
空気が乾いているからだろうか。
雲ひとつない。どこまでも青く澄んでいる。
中秋の物悲しき夕暮れ時も好きだが、この冬の静けさも、また心安らぐ季節もない。


1971年に発表されたこのアルバムは、この季節に最適な作品である。
元祖アンプラグド・アルバムと称されているだけに、ギターやベースなどすべてアンプを通さないサウンドで仕上げられている。
しかしスタジオ録音でなく、アルバム・タイトル通り、宿泊先のモーテルで、気心の知れた音楽仲間同士が集まったセッションである。
たぶんマイクの配置も、それほど気を配ってはいないだろう。
一聴すると、海賊盤に匹敵するような音質だが、それがこのセッションがリラックスのもとに生まれたものだと解する。




参加ミュージシャンは、当時の名うて腕利きばかり。
グラム・パーソンズ、デイヴ・メイスン、デュエン・オールマン、レオン・ラッセル、カール・レドル、ボビー・ウィットロックなどの豪華な面々。
彼らが親しんだフォーク、ブルース、ソウル、ゴスペルの名曲群を肩肘張らずに「この曲でも演ってみるかい?」という気楽な気分で演奏し始める。


このセッションで演奏面での核は、ピアノのレオン・ラッセルであることは間違いないが、ゴスペル・タッチの指さばきが、堪らなく良い。
1曲目「Where the soul never dies 」、「Will the circle be unbroken 」、「Going down the road feeling bad 」などで、そのピアノの腕前を堪能できる。
当然のことながら、主役のデラニー&ボニーのご両人も、リラックスしているせいか、スタジオより愉んでいる様子。


決して名盤として讃えられるものではないが、冬の陽だまりのように、ホッとひと息できるアルバムである。
こういう気楽なセッションを演ってみたいなと、楽器を手にする者ならば、思わずにいられないアルバムでもある。

(店主YUZOO)

1月 21, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月20日 (土)

第21回 耳に良く効く処方箋




キング・カーティス『オールド・ゴールド』(Tru-Sound )

キング・カーティスの推薦盤として『アット・フィルモア・イースト』と共に挙げられるのが、このアルバム。
1961年に新興レーベル、トゥルー・サウンドより発表。
嬉しいことに日本では、オールディズ・レコードが紙ジャケットで再発している。
オールディズ・レコード、相変わらず良い仕事をしています。
再発レーベルの鑑。


『アット・フィルモア・イースト』がファンキー・ソウルの名盤だとしたら、こちらはソウル・ジャズの名盤と言えようか。
若き日のエリック・ゲイルのギター、ポスト・ジミー・スミスのオルガン奏者ジャック・マクダフ参加と、ひと癖ある実力者が名を連ねているのも注目。
ここでのキング・カーティスは、ジェイ・マクリーニーやジミー・フォレストからの系統、ジャンプ・ブルース流儀のサックスを聴かせてくれる。


こういうサックス・プレイは、正統派ジャズ愛好家は、眉を八の字に、眉間に縦皺を走らせてしまう下卑た音。
知性を感じられないと嫌悪するマッチョな音なのだが、私はこちらの方が豚タンと同じくらいの大好物。
高級焼肉店よりも下町のホルモン焼きが、私の耳には合っている。




特にそのマッチョぶりが最高潮に達するのは、ジャズ・スタンダードの「Harlem nocturne 」。
玉のような脂汗で汗臭いの、肩の辺りが筋骨隆々だの、男汁が飛び散るの、サックスが熱い吐息で悲鳴をあげているだの、我こそが夜の帝王キング・カーティスだといわんばかりの黒光りするブローで主張しているのだ。


今宵はお前を寝かさないぜというより、今宵はお前をバターにしてやるという男気のある音色。
そういえばバターがとろける名作「チビ黒サンボ」は、差別を助長する絵本に指定されて、今は絶版になっているそうだ。
トラがバターになって、ホットケーキにかけられるという自由奔放な発想は、突拍子なくて好きなんだけどなあ。


このアルバム。
ミッドナイトに独り聴いてはいけない。
キング・カーティスのマッチョぶりが強烈なあまり、ベッドの横に誰もいない自分の境遇が、惨めに思えて仕方なくなってくる。


そんな私に、ジャケットのキング・カーティスが、今宵は熱い夜を過ごせよと、ウィンクしているのが心憎い。
まったく。

(店主YUZOO)

1月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

第20回 耳に良く効く処方箋




オムニバス『ブルース・アット・ニューポート1963』(ヴァンガード)


ニューポート・フェスティバル。
なんと甘美な響きだろう。


戦前から活動していたブルースマンがフォーク・リバイバルによって再発見された頃、このニューポートで行われたフェスティバルは、間近にその勇姿を観られる最良の場であった。
たぶん聴衆は白人のフォークファンが中心だったのだろうが、ブルースマンのギター・テクニックに酔い痴れ、歌詞が描く豊穣な世界観に深く溜息をついたに違いない。
たとえボブ・ディランやジョン・バエズを目当てに会場に足を運んだのであっても。


のちにこのニューポートでは、伝説となったボブ・ディランがバンドを率いてロック・スタイルでライヴを行い、センセーショナルを巻き起こしたのだが、このアルバムから2年後の出来事である。
それ故、このアルバムが録音された1963年は、フォークギターの弾き語りが主で、エレクトリック・バンドは未だない。


このアルバムには6名のブルースマンが収録されているが、聴きどころは、ゲイリー・ディヴィス牧師とジョン・リー・フッカーだろう。




ゲイリー・ディヴィス牧師は、ライ・クーダーの師匠にあたる人物で、その卓越したフィンガー・ピッキングの軽快さは、溜め息が出るほどに美しい。
YouTubeでその指さばきを確認したのだが、親指と人差し指を中心に弾くツーフィンガー・スタイル。
素早い指さばきでリズミカルに動き、そう簡単に真似することが出来ない。
フォークギターを弾く人は、一度聴かないといけないギターリストである。


ジョン・リー・フッカーは、唸り声を上げるだけで、一瞬にしてその世界観に引き摺り込んでしまう、圧倒的な存在感。
まるでミシシッピ河に棲んでいるアリゲーターのようだ。
足踏みしながらブルースを唸る姿に、聴衆も聞き惚れているというより、完全にジョン・リー・フッカーに耳を呑み込まれている雰囲気で、手拍子ひとつ叩くことが出来ない。
曲が終了すると、我に返り拍手をする有様だ。


他にもブラウニー&マギー、ミシシッピ・ジョン・ハート、ジョン・ハモンド、ディヴ・ヴァン・ロンクを収録。
アコスティーク・ギターを弾くブルースファンは、一度聴いてみてください。

(店主YUZOO)

1月 19, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月17日 (水)

第19回 耳に良く効く処方箋




ザ・バーズ『バードマニア』(コロンビア)

ロックとフォークの融合、カントリー・ロックの創始者とロック界に、燦然たる業績を残したバーズ。
実は私が最初に買ったのがこのアルバムである。
普通ならば、デビュー盤『ミスター・タンブリング・マン』か、ロック史では避けては通れない『ロデオの恋人』を、最初に聴くのが定石なのだろうが、何をどう間違ったのか。
悩み多き高校時代は、ときおり理解不能の行動に出ることがある。実に甘酸っぱい。


このアルバムは音楽評論家の間では、当時酷評されていて、たぶん現在でも駄作という烙印が押されている、不憫な評価になったままで、前に進んでもいなければ、後退りもしていない。
その哀しき迷盤が先日、リサイクルショップで500円均一で売られていたのを見て、ついつい懐かしく思い、高校時代の私が何にのぼせ上がって、泣け無しの小遣いで買ったのだろうと確認する意味で買ってみた。


一曲目「Glory,glory 」は、古いゴスペル・ソングをアレンジしたもの。
ポップな感じのアレンジになって聴き易くなっているが、実際の1940から50年代のゴスペル・クァルテット全盛期を経験してしまった今の耳には、凡庸に聴こえる。


R.Hハリスが率いたソウル・スタラーズの同曲なんぞは、良く響くリードボーカルの美声、ハーモニーの素晴らしさと、悶絶もののコーラスワークを聴かせてくれる。
ゴスペルを知らなかった高校生の私は、このアルバムで一番好きな曲だったのに、年を重ねるということは、昔輝いていたものを鈍色に変えてしまう。
やれやれ。





2曲目「Pale blue 」、3曲目「I trust 」とロジャー・マッギンの曲が続くが、そんなに悪い出来ではない。
当時の酷評ではアレンジ過多というのがあったが、バーズの系譜でみるのならば、その後のイーグルスやポコなどもストリングスを入れたり、仰々しいギターソロが挿入されたりと、ドラマチックな展開が定番になっていくのだから、その先駆けと思えば、自然に耳に入ってくる。
1971年の発売当時では、フォーク・カントリー系ロックでは、斬新過ぎたアレンジだったということか。


4曲目「Tunnel of love 」、5曲目「Citizen Kane 」と今度はベースのスキップ・バッティンの曲に変わる。
これがまったくバーズには無かった曲調で、しかも平凡極まりない駄曲なのである。
50年代R&B調に仕上げているのだが、歌は下手だし、使い古されたコード進行だし、バーズが演奏することに何の必然性も感じられない。


このつまらない曲を聴くならば、古いアトランティック盤の方が、どんなに耳に優しいか。
酷評の元凶を垣間見た思いである。


CDには3曲のボーナス・トラックが入っていて、ロジャー・マッギンが敬愛するボブ・ディランの「Just like a woman 」のカバーが聴けます。
これはなかなかの出来です。


(店主YUZOO)

1月 17, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月16日 (火)

第18回 耳に良く効く処方箋




ジム・ディッキンソン『ディキシー・フライド』(アトランティック)

20年ほど前、本の漫画をキャラクターにして「名盤探検隊」と銘打って、1960〜1970年代に発表された埋もれた名盤を発掘するシリーズがあった。
それはレコーディングの裏方さんだったり、寡作なミュージシャンの作品だったり、1枚だけ残して音楽シーンから消えてしまった人だったり、様々な視点から発掘していくユニークなシリーズだった。


このジム・ディッキンソンもこのシリーズで発掘されたひとり。
当時は初めて名前を聞くミュージシャンで、解説には「ライ・クーダーの名盤『紫の渓谷』の共同プロデューサー、ピアノ、キーボード・プレイヤーとして名を連ねて〜」と書いてあり、なるほどねと膝を叩いた覚えがある。
どちらかと言えば、プロデューサーとして、スタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを積んできた人だ。




タイトルが示すとおり、南部で活動している人で、このアルバムではジム自身のルーツとなる音楽スタイルを前面に出していて、まさにごった煮状態、悪く言えば何でもござれ的なアプローチになっている。
一曲目はリトル・リチャードばりのワイルドなロックンロール、次にゴスペル、カントリー、ヴードゥー的な呪術的な音楽、トラディショナル・フォーク、カントリー・ブルースと続きアルバムが終わる。


個人的には、デラニー&ボニーやウッドストック派にみられるようなブルースに敬意を表した一曲「Casey Jones 」がお気に入り。
戦前のブルースマン、フェリー・ルイスの曲とクレジットされているが、たぶん古くから歌われている、作り人知らず的なホーボーソング。
戦前ブルースマンのアルバムには、この曲がよく収録されている。


この曲をジムのホンキートンク調のピアノとアコスティック・ギター、ベースとドラムというシンプルな編成で、寛いだ雰囲気で歌われる。
こういう味わいを醸し出せるのは、南部音楽にどっぷりと浸っているからこそ。
他の地域だと、ついつい教科書的なお堅い演奏になってしまうのが常である。


南部音楽の豊潤さを十分に味あわせてくれる好アルバムである。
フライドチキンを片手に聴いてはいかが。

(店主YUZOO)

1月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

第17回 耳に良く効く処方箋




ジョニー・オーティス・ショウ『同』(キャピトル)


R&Bのゴッドファーザーと謳われたジョニー・オーティス。
バンドリーダーであり、ミュージシャンであり、作曲家であり、そして自らナイト・クラブを経営し、日夜ご機嫌なR&Bやロックンロールで観客を熱狂の渦に巻き込んだ顔役として、才能も発揮し一時代を築いた男。
ジャケットからも判るように、大所帯のバンドを率いて、様々な出し物で観客を魅了したのだろう。
才能に溢れた人というのは、どこの世界にもいるものである。


このアルバムは、ロックンロールが世界を席巻した1958年に発表。
元々はジョニー・オーティス・ショウのライヴを、鮮度そのままに録音しようと企画されたが、観客の熱狂ぶりが尋常過ぎて、取り止めに。同じパッケージを、観客無しで録り直したらしい。
そのような逸話が残されているぐらい、ジョニー・オーティス・ショウは人気があったのだろう。


「紳士、淑女の皆さま。オルフェウム劇場がお届けします、ジョニー・オーティス・ショウ。衝撃のロックンロール・エンターテイメント!さあ、登場です!キング・オブ・ロックンロール、ジョニー・オーティス!」のMCで幕が開ける。
このMCで一挙に時空を超えてロックンロールとR&Bが華やかし時代へと、タイムスリップである。





まずはジョニー・オーティス御大が歌う「Shake it,lucy baby 」。
その後に続けて、ふくよかさん3人組コーラス、スリー・トンズ・オブ・ジョイの軽快なナンバー「In the dark 」、「Loop de loop 」でヒートアップ。


そして伊達男メル・ウィリアムズ「Lonely river 」がゆったりとバラードを聴かして、オバサマ方のハートを鷲掴み。
吉本新喜劇のようにステージを熟知していても、この鉄板進行に何人もの観客が、ジョニー・オーティスの策略に堕ちていく。
そんな王道ステージが、このCDでは再現されている。


映画『アメリカン・グラフティー』が青春だった貴兄には必聴盤である。
枕は悦びで濡れるだろう。股間も久々に応答してくれるだろう。昔の彼女から電話がかかってくるだろう。


ご機嫌な音楽とは何かと問われれば、このアルバムの中に答えがあると断言できる。
武士ではないが、二言はない。

(店主YUZOO)

1月 14, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

第16回 耳に良く効く処方箋




スリーピー・ジョン・エスティス『1935ー1940』(MCA )

故中村とうようの偉業は、世界各地の音楽を紹介し、その魅力と歴史などを知識豊かに説明してくれたことだろう。
ロックのルーツとなるとブルースを語るのが一般的な見解だが、さらにその先まで見据えて、リズムから発声方法まで掘り下げて分析し、分かり易く紹介してくれた。


なぜ清く澄んだ発声とは対極に、濁らせて小節を回して歌う歌唱法が、大衆音楽では好まれるのかという分析には、私の小さな眼が見開き、ぎょろりと瞳が唸ったものだった。
ブルースと浪花節を同系列で語れる斬新さがあった。


その中で私には馴染みの深い仕事は、MCAの豊富なカタログから「GEMシリーズ」と銘打って、戦前のブラック・ミュージックや大衆音楽を系統立てて、普段耳にしないような音楽を紹介してくれた。
レコーディングの意味を、録音より記録という部分に重きを置いていたように思える。





このスリーピー・ジョン・エスティスも、戦後再発見のデルマークでの録音ばかりが語られるなか、全盛期の1930年代を主に編集し、この悲運がつきまとうブルースマンの最も輝いていた時代にスポットを当ている。
この時代から盟友ハミー・ニクソンと活動を共にしていて、ほとんど曲で彼のハーモニカが聴ける。


二人とも技巧派というより、素朴さが前面に出ていて、ホームパーティで演奏しているようだ。たぶんジャグ・バンドの影響が強いのだろう。
デルマーク時代にはない明るさがある。

また歌っている内容も、生まれ故郷のブラウンズヴィルで起こった小事件だったり、彼女から手紙が来ていないかと郵便配達人に問いかける歌だったり、自身の生活での出来事を題材にしているものばかり。
それを独特の甲高い声で歌うのだから、何とも味わい深い。

こういう丁寧な仕事のおかげで、デルマーク盤のイメージが先行していた、スリーピー・ジョン・エスティスの全盛期を聴くことができるようになったのだ。


戦前の音源を、ドキュメントやヤズーといった再発専門レーベルではなく、大手レコード会社が復刻したのは、中村とうようの功績と言わなければなるまい。
スリーピー・ジョンも、ようやく真っ当な評価が成されて、草葉の陰で喜んでいるはずである。

(店主YUZOO)

1月 13, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月12日 (金)

第15回 耳に良く効く処方箋




オムニバス盤『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル1962-63』(オールディズ)

またまた買ってしまったオールディズ・レコード。
このジャケットの佇まいも良いね。
色遣いも落ち着いていて気品がある。
24bitマスターを使用して、アナログ盤の音質に近づけようとする精神に、身も心も洗われるようですね。
大切になさってください。
と、中島誠之助にでもなったように気分で、じっとジャケットを見つめている。


このアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァルは、1962年から8年間続いた伝説的な音楽フェス。
ヨーロッパ各地を巡業したようで、この時に大物ブルースマンが若いミュージシャンに影響を与えたことは、間違いない。
若きローリング・ストーンズもヴァン・モリソン、エリック・クラプトンも、本場仕込みのブルースを間近にして、興奮冷めやらずに夜を過ごしたんだろうなと想像する。


マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン、ジョン・リー・フッカー、Tボーン・ウォーカー、メンフィス・スリムなどなど、伝説のブルースマンが一堂に会し、演奏を繰り広げるのだから、興奮の神に憑かれるのは当然のこと。
こうして50年以上も前の音源を聴いている私も、聞き入ってしまうのだから仕方ない。




また現在だからこそ、聴いていて面白く思うのは、スタイルの違うブルースマン同士が、それぞれの曲の時にバックに回る違和感が、微妙な化学反応が起きていて興味深い。


ワン&オンリーの孤高のブルースマン、ジョン・リー・フッカーに、都会派ブルース・ピアニストのメンフィス・スリムがバックにつく。
ジョン・リーはブルースの基本12小節など意に介さず、時には13にも14にも小節が変化するから、メンフィス・スリムも付いていくのが大変で、何とか小節のヅレを誤魔化している。
ジョン・リーのバックだけは演りたくないと、メンフィス・スリムの心中を察してしまうほど。
ドラムのジャンプ・ジャクソンは、勢い余ってスティックを落としているし。


ただ唯一堂々たる演奏をしているのは、シカゴ・ブルース界のボス、ウィリー・ディクスン。
百戦錬磨、百戦百勝の俺だ。
演奏が空中分解するような下手なマネはしねえと、安定したベースラインを刻んでいく。


当時のヨーロッパの観客は概してお行儀良く、ブルースマンたちが日常活動している、シカゴのウェストサイドやバレルハウスの雑多な雰囲気がないので、猥雑でどろりと濃厚なブルースは臨めないが、それを差し置いても貴重な記録である。
ウクレレを弾いて歌うブルースウーマン、ヴィクトリア・スピヴィなんていう異色派も収録されているし。
ブルース・ファンなら揃えておきたい1枚。

(店主YUZOO)

1月 12, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月10日 (水)

第14回 耳に良く効く処方箋




ベイビー・ワシントン『ザッツ・ハウ・ハートエイクス・アー・メイド』(SUE原盤/オールディズ)

またも買ってしまったオールディズの再発盤。
たぶん以前に英ケントから出ていたブツを持っているはずなのだが、この丁寧な仕事に敬意を払って購入。
今や部屋のなかがCDタワーが林立した状況で、英ケント盤を探し出すのは、石油を掘り当てるぐらい困難だし、仕方ない。
しかし再度地震が来たとき、このCDタワーが崩れ落ちて下敷きになるのかと想像すると、やはり断捨離することも大事かとも思う。
物欲と虚無の板挟みである。


このCDは1963年にSUEレコードから出たファースト・アルバムに、ボーナス・トラックを加えたものである。
タイトル曲がR&Bチャート10位に上がり、その勢いに乗って編集されたアルバムのようで、以前に発表されたシングル盤などが加えられている。


ソウル黎明期に活躍だけに、R&Bの香りを残しながらも、バラードやミディアム・テンポの曲に実力を見せた歌手である。
少しハスキーで力強い歌声は、耳にまとわりつく甘ったるさはなく、辛口の吟醸酒のようである。
タイトル曲は当然のことながら、アルバム最後に収めらた「A handful of memories 」にも、その表現力豊かな歌唱を聴かせてくれる。


個人的にはシングル・カットされず、数合わせのために収録されたようなミディアム・ブルース調のナンバー「Standing on the pier 」。
ワシントンのハード・ブルースばりの歌唱力も素晴らしいが、バックで支えるハモンドオルガンの音色が不可思議で、耳を惹く。
鍛冶屋のふいごのような、喘息持ちのお爺さんの寝息のような、何とも形容し難い音色。
思わずうがいをしたくなる。


ベイビー・ワシントン。
後世に名を残すようなヒット曲には恵まれなかったが、アーリー・ソウル好きには忘れがたい歌手である。


(店主YUZOO)

1月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 8日 (月)

第13回 耳に良く効く処方箋




リンダ・ルイス『ラーク』(リプリーズ)

このアルバムが世界初CD化が成された時、かなり話題になった。
故中村とうようが、ミュージック・マガジン誌で、この名盤を幻のままにしておくのは何たることかと、かなり強い口調で書かれていて、それに同意する声に押されて、レコード会社が重い腰を上げたと記憶している。
またクラブ・シーンで「sideway shuffle 」が話題になり、何度もターンテーブルに乗ったことも後押しになった。


世の中に幻の名盤と言われるレコードは数多くあれど、ほとんどが迷盤か冥盤の類で、このアルバムのようにじっくりと聴けるものは、皆無に等しい。
しかしこれ程、慈愛と歌うことの喜びに満ちたアルバムが、1972年発売日当時は、ほとんど話題にならなかったのだろう。


シンガーソングライターの旗手として、キャロル・キングやローラ・ニーロが注目されて、マーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーも新しいタイプのソウル・ミュージックを創り上げていく。




このアルバムもカテゴリーに囚われない様々な音楽の要素が煮込まれていて、ジャズ、ゴスペル、ボサノヴァ、カリプソなどの最良の味覚が溶け込んでいる。
話題になっても不思議ではないのだが、当時の最新スタイルよりも、さらに半歩先を進んでいたため、どう評価して良いのか判断がつかなかったのではないか。


それほどまでにリンダ・ルイスは歌うことに自由で、このアルバムのタイトルどおり、天に向かって囀る雲雀のように歌う。
これ程、気の赴くままに自由に歌うことができる女性シンガーは、アレサ・フランクリンとエリス・レジーナぐらいしか思いつかない。
まさに神に選ばれた天性の歌声。


このアルバムがCD化されたのは1995年。
再び幻の名盤にならないように祈るばかりである。


(店主YUZOO)

1月 8, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

第12回 耳に良く効く処方箋




ビリー・ポール『360ディグリーズ』(フィィラデルフィア・インターナショナル )

久しぶりの三連休だというのに、何もヤル気がおきず、音楽を聴くか、本を読むか、うつらうつらと転寝するかで、一歩として外に出ていない。
ヤル気スイッチなど初めから付いていないようである。


外が寒いからという理由ではない。
今流行りのオヤジの更年期というやつが、心身を侵しているのか。
前世がハシビロコウで一日中、川の流れを見ていても飽きない性格。それが年を重ねて露わになったということなのか。
どちらにせよ、万歩計を見ると1日200歩程度しか動いていない。
転寝好きのハシビロコウである。やれやれ。


このアルバムはビリー・ポールの特大ヒット「Me and Mrs Jones 」が入ったもので、フィィラデルフィア・インターナショナルを代表する1枚となっている。
ギャンブル=ハフのプロデュース体制で、最初に放ったNo.1ヒットでもある。
この特大ヒットは、言わば不倫ソングで有名な曲で、艶かしい昼ドラマのような歌詞が、当時、御婦人や殿方の心を捉えたのだろう。


僕とミセス・ジョーンズ
二人は秘密を持っている
よくないこととは知りながら
忘れるにはあまりに強いこの思い
これ以上気持ちが高まらないように
ぼくらは必死に努めてきた




そしてジャケットに写るビリー・ポールは、色事師の典型といった顔つきだけに、さらに妄想が膨らんで、歌詞にリアリティが加わったにちがいない。


会うのはよくないと口では言っておきながら、カフェでお互いの手を絡め合わせて、次に会う計画をたてているのである。
必死に努めるというのは、謙虚に受け止めると同義語で、もっと周到な計画をたてていること。
これも色事師の常套句ではないか。



ただ実際のビリー・ポールは、色事師でも不倫萌え男でもなく、公民権運動に携わり、二度逮捕されたという経歴を持つ、社会の不正と戦う活動家でもあった。
このアルバムにも自身が作曲した「I’m a prisoner 」、「I’m gonna make it this time 」というメッセージ色の濃い曲を歌っている。



それを思うと、ビリー・ポールは気の毒である。
特大ヒットを放ってしまったおかげで、そのイメージが先行して、勝手に色事師シンガーと型にはめられてしまい、本来の自身が抱いている思いや感情は、聴く側は伝わることなく、ヒット曲だけが勝手に先へと進んでいく。


その後、これ以上のヒット曲に恵まれなかったのだから、尚更であろう。
たぶん今でも場末のキャバレーで、年増の御婦人から、あの曲を歌ってとせがまれて、脂ぎったバリトンボイスで、その御婦人の耳元で囁くように歌っているにちがいない。
可哀想なビリー・ポール。


ハシビロコウの私が憂いているのだから間違いない。

(店主YUZOO)

1月 7, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

第11回 耳に良く効く処方箋




ブレイヴ・コンボ『ポルカス・フォー・ア・グルーミィ・ワールド』(ラウンダー)


テキサスで誕生したポルカ・バンド。
ブレイヴ・コンボは、いろいろな国の民族音楽をポルカに仕立て上げ、どのアルバムも掛け値無しで楽しませてくれる。
我々日本人にとっては、日本の古い流行歌をまとめた『ええじゃないか』というアルバムが、親しみ易さではひとつ頭抜けていて、当然、私もそのアルバムを聴いてから、このバンドに注目するようになったクチ。
以後、中古レコード屋のカビ臭い棚から見つけては、コレクションにしている。


このアルバムでも雑食的に世界中の民族音楽をポルカに仕上げていて、ドイツ民謡、テックスメックス、チェコとその食指を動かしているが、やはり個人的な注目は、ロシア民謡「カチューシャ」を、どのような味付けを施しているかが気になるところ。


「カチューシャ」と言えばロシア国歌ともいうべき歌で、元々は第二次世界大戦時に広く歌われた軍歌。
戦地に赴く若い兵士を、無事に帰郷することを祈る娘の心情を歌ったもの。
今でも戦勝記念日の5月9日では、ロシア各地のイベントで「カチューシャ」が声高らかに歌われる。


日本でも♬リンゴの花ほころび〜と、歌声喫茶の世代では思い出の一曲だ。


さてそのロシアを代表する曲を、どのような味付けで料理に仕上げたのか。
メキシコ風ピリ辛料理か、ドイツ風ザワークラウト風味か、東欧風肉料理か。
イントロは「ヴォルガの舟歌」で重々しい前菜のあと、テンポが変わり「カチューシャ」とメイン料理が運ばれてくるが、意外にも正当なロシア料理。脂肪分と塩分の高い味付けで、大量のスメタナで食欲を促してくる。
そして歌詞も、ちゃんとロシア語で歌われている。





『ええじゃないか』の時もすべて日本語で歌っていたのだが、リーダーのカール・フィンチは言葉を聴き取る耳力が良いのだろう。
どの言語でも違和感なくメロディアスに歌ってしまう。


その器用さが逆にアダになる節もあって、よく駅前で売られている海賊盤みたいに聴こえてしまうのも正直なところ。
もっと怪しげなエセ無国籍性を全面に出ていれば、左眼で笑って、右眼で頷いていたのにと惜しまれる。
器用過ぎるというのも、面白味が煮崩れせずに、身が固くなるというきらいがある。


最後の曲は「In heaven,there is no beer 」。
歌詞が掲載されていないので、詳細はわからないが、私の拙い耳の聴き取りによると、天国は良いところだけども、ビールもワインも、さらにSEXさえないんだ、愉しむのならば現世が最高だよ、といった内容。
やはりこういう歌は、ブレイヴ・コンボの独壇場。


左眼も右眼も笑っている自分がいる。

(店主YUZOO)

1月 6, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

第10回 耳に良く効く処方箋




ジェームス・ブラウン『セイ・イット・ライヴ&ラウド』(ポリドール)

JBの発掘ライヴ音源で重要な位置を占めるのが、このアルバムとブッチー&キャットフィッシュのコリンズ兄弟が参加したパリ公演盤になるが、歴史的な重要性という観点から見れば、こちらの作品に軍配が上がるだろう。
JBのドキュメンタリー映画『ピュア・ダイナマイト』を観た時も、このダラス公演は、映画のハイライトになっていた。


このアルバムの副題にある08.26.68は、この公演が開催された日付。
公民権運動が最高潮のうねりとなってアメリカ全土を席捲していた。
その中で中心をなしていた指導者キング牧師、マルコムXが相次いで暗殺され、まさにアメリカは二分されて、いつ各地で暴動を起こるかわからない緊張に満ちていた。
とくにダラスは対立が先鋭化して、危ないと言われていた、まさにその時。
その緊張を強いられていたダラスで、黒人たちの怒りを納めようとライヴを企画するのである。


映画では、そのステージに立ったメンバーが、この歴史的なライヴを回想する場面があるのだが、いつ暴漢が乱入してきても、凶弾で狙われても、おかしくない状況だったと口々に言う。
その一触触発の出口なしの状況のなか、JBはステージに立ち、このコンサートに来てくれた人々に礼を言い「I’m black and l’m proud 」を高らかに宣言し、歌い出すのである。


俺は黒人で、俺には誇りがある。


この時代に、これほどシンプルで美しいメッセージがあるだろうか。
先日紹介した『ブルースだってただの唄』の中でも、インタビューされた黒人女性は、このメッセージにどれほど勇気づけられたかと、熱く語っていた項がある。


このアルバムは、このダラス公演の全てを収録している。
JBのボーカルは、言うに及ばず神が降臨しているが、バックの演奏力の高さもハンパではない。
クライド・スタブルフィールドのファンキー・ドラムとチャールズ・シュレールの野太いベースのコンビネーションに、リズムと一体となって、会場全体を激しく揺らしている。
このライヴの山場「Cold sweat 」、「There was a time 」でみせるファンク魂は悶絶もの。
黒人である誇りを高らかに、音楽にして宣言しているようだ。


とにかく神が宿っているアルバム。
体験すべし。

(店主YUZOO)

1月 4, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

第9回 耳に良く効く処方箋




プロフェッサー・ロングヘア『ザ・ラスト・マルディグラ』(アトランティック/タワーレコード)

このアルバムで眼を瞠るべきは、再発をタワーレコードが「良盤発掘隊」というシリーズで行なっていること。
以前は新星堂がフランスのサラヴァ・レーベルやブラジル・サンバの再発を積極的に行なっていたが、大手レコード販売会社が直接再発に乗り出すのは、それ以来ではないか。
ドーバー海峡を泳いで横断したくらいの快挙である。快呼。


ただ世界初CD化というのではなく、以前にライノという再発レーベルから『ビック・チーフ』、『ラム&コーク』という2枚に分割された形で、この音源は世に出ている。
もちろん2枚とも所有しているが、オリジナルに忠実でない曲順だったり、1992年というデジタル音源化が発展途中の頃だっただけに音質が平べったく聴こえたり、あまり印象に残らないアルバムになってしまっている。


その印象を覆し、2枚のCDにまとめてオリジナル通りに再発した、タワーレコードの担当者の心意気には頭が下がる。
長髪教授の講義には、熱心に出席している生徒である私が言うのだから間違いない。


もうひとつ、この仕事ぶりに頭が下がるのは、1982年にLPで国内盤が出た時のライナーを、そのまま掲載していることで、日暮泰文氏の愛情溢れる文章に、このニューオリンズが産んだ稀代のピアニストの生涯に触れられる。





フェスには7人の子供がいた。35才くらいの長男から18才の娘までだが、その娘が「大学へ行きたいっていうんで、どんなことがあっても入れてやりたいんだ」と語っているフェス。その娘が大学へ入ったとすれば、彼は全ての子供を育て終わったという、緊張が解けた頃、この世に別れを告げたということになる。


長髪教授の特異性や革新性、音楽的な素地だけを論ずる文を目にすることが多いなか、生活の糧として音楽を演奏していたという視線は、目から鱗が落ちる思いであり、ひとりの父親像として立派に仕事を成し遂げたのだと、枕を涙で濡らしてしまうほど。
ちなみに我が家も今年で子育てが終わるので、この文章の一節は、なおさら感慨深い。


さてアルバムの内容はというと、娘を大学へ入れるために、いつも以上に張り切って鍵盤を打ち鳴らす、長髪教授の快演が聴ける。
この2年後に死を迎えてしまうとは、そんな翳りを一切感じさせない。


最後まで父親としても、ひとりの音楽家としても、その筋を通したのである。
偉大な音楽家である。

(店主YUZOO)

1月 2, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月29日 (金)

第8回 耳に良く効く処方箋




ジェームス・ブラウン『ライブ・アット・ガーデン』(キング)


ジェームス・ブラウンの怒涛のライヴを捉えたアルバムは数多くあれど、この1967年に発表された作品は、名盤『ライヴ・アット・ジ・アポロ』などと比べると、かなり知名度が低い。
CD化も2007年に日本で発売されたのが、初めてとなる。
しかし、そんな事はどうでもいい。
「ぐるなび」の点数がその店の味を表しているわけでないように、点数の低い店は全て不味いとはならない。


60年代半ばから70年初めにかけてのジェームス・ブラウンとゴッドファーザー・オブ・ファンクは同義語だったことは、誰もが納得するところ。
いや、ファンクの神様が降臨していたと言ってもいい。
ジェームス・ブラウンがいなければファンクという音楽が完成していなかったし、これほどカリスマ性を帯びたミュージシャンは、比するべき人物は、ほとんどいない。
ワン&オンリーの絶対的な存在。
ステージに降り立った瞬間、観客は興奮の坩堝と化し、神様のシャウト、スクリームに熱狂し、会えた悦びで失神する。
もうステージというより、宗教的な儀式である。


その辺りは、YouTubeでジェームス・ブラウンで検索してみてください。
神様が激しく踊り、マイクスタンドを操り、シャウトを繰り返す姿に、崇高な気持ちで体温と精神がヒートアップしてきます。
こんな凄まじいステージを年間300以上もこなしていたのである。人間の為せる事ではない。
神様以外の何者でもない。


このアルバムもその儀式の瞬間をパッケージした名盤である。
「Out of sight 」、「Bring it up 」で観客の体温を5℃ほど熱くさせ、「Try me 」で少しクールダウンさせる。
鋼を製造するがごとく、熱してから冷ますという作業をすることで、ステージと客席が一体感になることを、神様は熟知しておられるのだ。


白眉は「Hip bag ‘67」という即興的な曲で展開する人知を超えたシャウト&スクリーム、「Ain’t that a groove 」でみせる観客を煽り立てる姿。
ものすごい熱気と一体感である。


ラストはお決まりの「Please please please 」のマントショーで大団円を迎えるのだが、この完璧なステージの流れを見せられて、興奮で鼓動は高まったまま。
神様は人々に歓喜と悦びを与えられたことで、満足して楽屋裏へと去っていく。


ジェームス・ブラウンのライヴに駄盤なし。
すべてが神様の尊い儀式を捉えた名盤である。

12月 29, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月27日 (水)

第7回 耳に良く効く処方箋




マルコス・ヴァーリ『シンガー・ソングライター』(オデオン)

マルコス・ヴァーリのブラジル本国での2枚目。
マルコスのボサノヴァ時代を代表する1枚で、メロディメーカーとして類い稀な才能を発揮した名盤である。
アメリカで大ヒットしたアルバム『サンバ68』は、ここに収められている曲を再アレンジしたものが多く、原点を知るならば、この1枚ということになる。


お洒落なカフェの必聴曲「summer samba 」、「バトゥーカーダの響き」、「If you went away 」など、絶対に一度は耳にした曲が勢ぞろい。
私のなかでは、ブラジルを代表する偉大なる作曲家といえば、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、マルコス・ヴァーリとなるが、その事についても異論はないだろう。


才能がある人が実力を発揮したときほど、美しく歓びに満ちている作品が創造される。
私のような凡庸な人物には、それは手の届くことのない羨望の的であり、それを耳にすることができる悦びであり、音楽の魔力というものを、否応にも思い知らされる。


音楽は音として流れている時にしか、その美しさを感じることができない。
終われば静が訪れる。
言わば線香花火のような、一瞬の儚さがある。
マルコスは、その音楽の宿命を熟知しているのか、流麗で物悲しいメロディを紡ぎ出しては、わずか3分程度に納めて、余韻だけを残していく。


ジャケットのアートワークといい、その後のアメリカでの活躍を思うと、地味な印象を受けてしまうが、決して内容が悪い訳ではない。
むしろ、若き日のマルコス・ヴァーリの溢れんばかりの才能が、大輪の花の如く開花したアルバムだといえる。


いつ聴いても、心の処方箋となる珠玉の逸品。

(店主YUZOO)

12月 27, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月26日 (火)

第6回 耳に良く効く処方箋




キング・カーティス『インスタント・グルーヴ』(アトコ)

刑事ドラマの1シーンのようなジャケットである。
敏腕刑事カーティスは、晩秋の公園で長年探していた詐欺集団の親玉を、とうとう見つけ出す。
振り込め詐欺で多くの老人たちから金を騙し取り、その額たるや数十億円。
騙された老人のなかには、悲嘆に暮れて自殺した人もいるし、家族に顔向けできず失踪した人もいる。


それらの人々の心の内を思うと、善良な市民と同じく公園で優雅に散歩を愉しむなど、とうてい許されない行為であり、即刻捕まえて、冷たいコンクリートに囲まれた独房に叩き込みたい気持ちでいっぱいである。


しかし敏腕刑事カーティスを思い留ませることがあった。
この極悪非道の犯人も長年負い続けたせいか、だいぶ年を重ねていて、騙した老人たちの世代に近づいている。
その証拠に犯人の右手をぎゅっと握った孫娘の姿が視線の先にあるのである。
二人は落ち葉で埋まった散歩道を、ときおり笑顔を見せて、寄り添いながら歩いている。
逮捕される犯人の姿を孫娘には見せたくはない。


大木の陰に身を隠したカーティスは、今何処からか聴こえてくるこの曲が終わったら逮捕に踏み切ろう、と気持ちが揺れ動いたままだ。


その時流れていたのが、このアルバムの表題曲「Instant groove 」。
この黄昏の季節に似合わない極太のファンキー・ソウル・チューンである。
コーネル・デュプリーの歯切れの良いギター・カッティング、バーナード・パーディの機関車のような重量感のあるドラム、ジェリー・ジェモットのごりごりと唸るベース、その上をキング・カーティスのサックスが豪快に鳴り響くのだ。


センチメンタルな気持ちに陥っている暇はない。
とにかく音楽に必要なのは、老若男女が自然と身体が動いてしまうようなグルーヴを醸し出すことに尽きる。
そこの一歩先に進めない刑事さんよ、ここで奴に逃げられたら、それこそ、あんたは一生後悔し続けることになるんだぜ。
あの悪党は、人から騙し取った金でオモチャを買っているんだから、可愛い孫娘にまで詐欺しているのと変わりない。
改心するかどうかは、あいつが刑に服して自身で考えることだ。


ありがとう、キング・カーティス。
あなたの熱いサックス・ブローにソウルとは何なのか思い知らされたよ。
あの悪党には真実のソウルはない。
見せかけのソウルで一瞬だけ善人面を装っているだけさ。


そう敏腕刑事は呟くと、雲ひとつない晩秋の青空を見上げて、それから犯人の元へと歩み寄っていった。

(店主YUZOO)

12月 26, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月18日 (月)

第5回 耳に良く効く処方箋




ネヴィル・ブラザーズ『ヴァレンス・ストリート』(コロンビア)

現在、ほぼ活動休止状態のネヴィル・ブラザーズ。
名前のとおり、アート、チャールズ、アーロン、シリルの4兄弟が中心となっていて、90年代に来日した際は、よくライブを観に行った思い出深いグループである。


それぞれ音楽の嗜好が異なる4人だけども、兄弟だけに化学反応が起きて、統一感のあるアルバムが出来上がる。
代表作は1989年に発表された『イエロー・ムーン』であることに異論はないが、このアルバムも4人の個性がバランス良く溶け込んだ好盤だと思う。


ピート・シーガーの代表曲「If I had hammer 」をアーロンの甘い歌声に、シリルのカリビアン嗜好が上手くマッチしているし、インスト・ナンバー「Valence street 」や「The dealer 」は、ニューオリンズ出身のグループならではの抜群のリズムを刻みこむ。
ワイクリフ・ジーン(フージーズのリーダー)との共演作「Mona lisa 」は2世代ぐらい差があるのに、ジェネレーションの違いなど物ともせずに、スローに熱くグルーヴしていく。


そして何よりも嬉しい収穫は、ファンク・マスターの長男アートが、ミーターズ時代を彷彿させるような最高のファンク魂をみせる「Real funk 」。
ニューオリンズ産のファンクは、俺様が創り上げたんだと言わんばかりに、シンコペーションし躍動するリズム、チャールズのサックス、そしてバャバャ〜〜と豪快に鳴り響くアートのハモンドオルガン。


アートのオヤジ声も素晴らしい。
この老舗旅館の番頭みたいな歌声で、50年近く音楽業界を生き抜いてきたのである。
まさに伝統の一献。
この声の艶と響きに旨みを感じないようであれば、音楽の肝というものが理解していないことになりますゾ。


仲良き兄弟の音楽は、聴くものを幸せにしてくれる。

12月 18, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月15日 (金)

第4回 耳に良く効く処方箋




アリス・コルトレーン『ア・モナスティック・トリオ』(インパルス)

アルバート・アイラーの精神性を重視したフリージャズを聴いてしまったので、同じくジョン・コルトレーンに多大なる影響を受けたアリス・コルトレーンのアルバムを聴く。
名前が表すとおり、アリスは、ジョン・コルトレーンの細君。
公私ともに夫が死に直面する時まで、添い遂げたのだから、真の継承者といえるかもしれない。


ウィスキーのロックでは、精神性の高いジャズはそぐわないと痛感したので、ここは焼酎に切り替える。
庶民的な酒を片手に、下世話な耳で聴いた方が、素直に修行僧のようなジャズの高尚さが、すんなりと入ってくるというものだ。


解説によると、このアルバムはコルトレーンの死後、最初に発表された作品で、鎮魂歌集にあたるもの。
「Ohnedaruth 」、「Gospel trane 」など黒人文化に根ざした主題とコルトレーンが理想とした世界を表現することに、全身全霊を傾けている。
最愛の人を失った悲しみと、その意志を引き継ごうという決意が全面に出た気迫極まる演奏である。
こういうジャズならば、下世話な私にでも理解できる。焼酎が心地良い。


アリスはピアニストなのだが、ジャケットでもわかるように、ジャズでは珍しくハープに挑んだ曲もある。
ハープは琴のような響きがあって、そのせいか東洋的な安らぎを感じることができ、日本人の耳には親しみがある演奏。
コルトレーン・カルテットのベース奏者、ジミー・ギャリソンがウッドベースが、良く響いていて、華を添える。


「Atomic peace 」は、下世話な私の耳には、極楽浄土を表現しているようで、自然に手が、焼酎をグラスに注いでしまう。
何億光年の彼方から届いた星の光は、もしかすると私たちが眼にした時には、もう砕け散って存在していないのかもしれないのだ。
逆を言えば、コルトレーンはこの世を去ってしまったが、その精神性は光となって何億光年の彼方へと解き放れているとも考えられる。


この大宇宙のなかにコルトレーンの精神は消滅することなく、永遠の魂をともなって生き続けている。合掌。


高尚なアルバムだったけど、私なり多少は、理解できた作品。
毎日は聴きたくはないけれどね。
さて、もう一杯。

12月 15, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月14日 (木)

第3回 耳に良く効く処方箋






アルバート・アイラー『イン・グリニッジ・ヴィレッジ』(インパルス)

前回、ルイ・アームストロングの紙ジャケット・アルバムをリサイクルショップでゲットしたと紹介したが、同じくゲットしたのが、このアルバート・アイラー。
ジョン・コルトレーンと同じレコード会社に所属していて、その精神性の継承者として注目されていたアルバート・アイラーだけに、このサイケデリックなジャケットと相まって、大きな期待を寄せる。
何せ、アルバート・アイラーを初めて聴くのである。


まずウィスキーのロックを用意。
この手のジャズは、ビールやハイボールのようなパンチの無い酒では、耳にガツンとはいってこないのである。
1曲目の題名「For John Coltrane 」。
敬愛する師に捧げる曲である。


手法はフリージャズか。
なんか楽屋裏でピッチ合わせをしているような音。
がちゃがちゃとした音の洪水が理解できない。
口元までグラスがいくが、酒がすすまない。


2曲目も同じ。
3曲目はマーチのリズムに耳を惹くが、やはりサックスのフレーズ垂れ流しに、耳が閉じていく。
精神性を重んじる時代。
このアルバムが発表された前年に、尊師ジョン・コルトレーンも『アセンション』という精神性の高い解読不能な作品を発表していたが、そういう時代だったのだろう。


こういうジャズを聴くなら、インド音楽の方が精神が昂まり覚醒すると考えるのは、私だけだろうか。
だいたい自分の人生に精神性を求めたことが、一度もない凡庸な人間である。
理解するだけの土壌がない。


ジャケット・デザインは良いのにと、繁々と見てみる。
気がついたら、グラスの氷が溶けて水割りになっている。とりあえず飲み干した。

12月 14, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月13日 (水)

第2回 耳に良く効く処方箋




ルイ・アームストロング『ハロー・ドーリー!』(キャップ)

1964年発表の名盤。
ルイ・アームストロングを聴くと、どんなに辛い事があっても、どんな災難に巻き込まれても、憂鬱で気が滅入りそうになっても、聴いている間だけは、幸せな気分に浸れることができる。
わすが30分程度の魔法であっても、その時間だけは、すべての嫌なことを忘れさせてくれる。
真のエンターテイナーとは、ルイ・アームストロングのような人物を指すのだろう。

ただ私の耳は、ルイの嗄れたダミ声にブルースの響きを、その親しみある人懐っこい歌の中に感じてしまう。
誰も一緒に口ずさみたくなるような歌を歌うルイだが、その明るくハッピーにさせてくれる歌に、なぜか計り知れないブルースが潜んでいるように聴こえるのだ。
人生が輝いているのは一瞬のこと。
それだからこそ、今宵を今日一日を愉しんで生きようではないかと、そんな気分が見え隠れするのだ。

酸いも甘いも人生の機微を熟知しているからこそ、明るい曲にもブルースが入り込んで、奥深い表現になっているのではないか。
この辺りの考察は、もう少しルイを聴かないと、その本質に近づけないだろうが。
まだ聴いている枚数が少な過ぎる。

大ヒット曲「Hello dolly 」はもちろん素晴らしいナンバーだが、他にも聴きどころが満載。
映画『ティファニーで朝食を』のタイトル「Moon river 」などは、アンディ・ウイリアムスの気障な歌より親しみがあるし、ファッツ・ドミノで有名な「Blueberry hill 」も牧歌的な歌唱で、指でリズムを取って、一緒に歌いたくなる。

このアルバム、紙ジャケット仕様のものを、近所のリサイクル・ショップで500円で購入。
何でまたとお得な買い物に驚く反面、この名盤を手放した人の事情が知りたくもなる。
よほどの理由があったとしか思えない。
だって、30分の魔法を手放したのだから、その心中を察したくもなる。

12月 13, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月29日 (水)

第1回 耳に良く効く処方箋




コーデッツ『リッスン』(CBS)

意外かと思われるかもしれないが、アカペラ・コーラス・グループが好きである。
無伴奏で人の声が紡ぎ出すハーモニー。
余計なモノを出さず、原材料にこだわるというウィスキー会社の心意気と似て、人の声本来の美しさを録音するというのは、なみなみならぬ努力がある。
今のように録音後にミックス作業で声のピッチを合わせたり、残響音を強めることができない、一発録音。
昔のアルバムのほうが、グループの実力が垣間見え、さらに加工されていない歌声だけに、良いブツに出会えると、自然と目尻が下がりだす。

オリジナル・アルバムは1957年発表。
「ジャケガイノススメ」シリーズの中の1枚で、世界初CD化として2007年に再発されている。
まず驚かされるのは、50年以上も前の録音なのに、ほとんどノイズは無く、女性コーラスの妙を十二分に愉しめること。
休符の部分でジャリジャリとノイズが聴こえてしまうと、純粋無垢な乙女にひそめたる残忍な気持ちを知ってしまったようで、興醒めする以上に、うら寂しくなってしまう。

アルバムのは「sentimental journey 」、「Basin street blues 」といったスタンダードナンバーやミュージカル曲を中心とした、今の観点から言えばラウンジ音楽的な構成。
音楽的な冒険はないが、4人の巧みなコーラス・ワークが愉しめる内容になっている。
金曜日の夜、バーボン片手に、若き日の甘酸っぱい思い出に想いを馳せながら聴くには、極上の酒の友。
彼女たちの歌声に、あの頃好きだった女の子が、グラスの底に見え隠れする。

コーデッツはCBSを契約後、ケイデンス・レコードの専属グループとして迎え入れられ、ロックンロール時代に順応して、「Mr sandman 」、「Lollipop 」などのヒット曲を連発して、音楽史に名を残すことになるが、もちろんその時はアカペラ・コーラスではない。
この純粋無垢な歌声は、このCBS時代しか味わえないものである。

どちらが好きかと言えば、私は断然に前髪パッツンのお下げ髪のようなCBS時代。
純粋にハーモニーを奏でる喜びに満ち溢れているし、若い女性の声のピッチが共鳴すると、音楽の魔法が現れる。
しかし楽器を取り入れたアレンジは、時代とともに風化し、時代が過ぎるとオールディーズの響きに変わってしまう。
それは音楽が流行という宿命を負わされているゆえ、仕方がないのかもしれない。
しかし歌声だけのアカペラは、時代を超えて普遍的な魅力がある。

それと忘れてならないのはジャケット・アートの清々しい美しさ。
女の子のスカートにはディズニー映画「わんわん物語」が描かれいる。
このカップルは初めてのデートで、田舎ゆえ行く場所は地元に一軒だけある喫茶店か、緑が美しい自然公園のなかを散策すること。
ただ二人で歩くだけでも、愉しくて仕方がないし、人生はどれだけの喜びに満ちているのかと考える。
そんな二人が写るジャケットを眺めているだけでもキュン死である。

11月 29, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月21日 (木)

セピア色になることのない音楽のために

Z 

先回に引き続きポール・マッカトニーの話。

  

今回のツアーでは

ビートルズ時代の曲が多いと巷では噂されているが、

思え返せば、すでに40年以上前に解散したバンドの曲。

  

ふつうならば古き良き時代の音楽として、

同時期に青春を謳歌した人々の懐かしのメロディとして

胸の奥に静かに納まり、

たまに酒場の片隅から流れる有線放送に合わせて

口ずさむのが、流行歌の正しい在り方。

もしくは行く末。

  

消えゆくことはあるが、もう輝くことはない。

  

しかしそんな俗説、何をか言わんやである。

  

時代が移り変わろうとも、

ビートルズは新しいリスナーを獲得し続け、

初めて聴いたときの感動をそのままに、

決して古びることはない。

  

良いメロディは永遠であると嘯くことは可能だけども、

そんな教科書のごとき言葉が解答であるはずがない。

決して言葉で言い表せない、

ポピュラー音楽だけが持ちうる魔法が、

ビートルズが創り出した音には、

たくさん散りばめられているからだ。

  

それを証拠に、じっくりと耳を傾けると、

聴き慣れた曲のはずなのに、新たな音の発見があり、

ふとしたことで別のメロディの美しさに気づかされる。

これを魔法と呼ばずして、何と言い表そう。

  

ビートルズは世界で一番聴かれていると同時に、

一番カバーされているバンドでもある。

ジャズ、クラッシック、ソウル、レゲエ、

マンボ、フォーク、カントリー、果ては日本の民謡まで、

ジャンルを問わずにカバーされてきた。

 

  

在る者は、その魔法を解明するために。

在る者は自分も魔法が使えないかと望みを託して。

在る者は純粋に魔法の世界にどっぷりと浸かりたくて

 

この『健’z』というアルバム。

エル・アールの黒沢健一と

音楽評論家の萩原健太のユニットで、

ポールに対する限りない愛情とリスペクトに満ちた、

煌めく魔法に酔える好アルバムに仕上がっている。

 

アコスティック・ギターのみのシンプルな伴奏は

メロディラインの美しさを際立たせるし、

丁寧に歌う姿勢は曲への感謝の気持ちに溢れている。

 

数あるカバー・アルバムのなかでも、

純度の高さにおいて指折りの名盤ではなかろうか。

 

ちなみに2曲だけ入っている

ブライアン・ウイルソンのカバーも胸キュンもの。

 

今宵は、明日訪れる夢の時間にそなえ、

はやる気持ち抑え、このアルバムを聴いている次第。

というのも、実は明日東京ドームにポールのコンサートに

急遽行くことになったのである。

 

ゆえに興奮抑えきれない微熱な文章になってしまった。

 

氷上のシロクマのような気分で申し訳ない。

 

(店主YUZOO)

11月 21, 2013 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2013年11月18日 (月)

ポール・マッカートニーがやって来る!!ヤー!ヤー!ヤー!

  

Photo_2  

ポール・マッカートニーが来日している。

11年ぶりの日本公演。御齢71歳でのステージである。

私は熱心なポールマニアというわけではないが

1980年あたりまでの作品は、一通り聴いている。

  

なぜ1980年までかというと、

ポピュラー音楽業界が肥大化するにつれ、

消費システムに飲み込まれ、実験性や革新性を失い、

どの曲も同じようなアレンジ処理がなされ、

売れている曲こそ名曲であるという

流れになってきたためである。

 

そのような仰々しい曲を一括りにして

産業ロックと半ば皮肉って呼んだのも

この頃だったと思う。

ポピュラー音楽と決別したのは、

そんな音楽をつまらないと感じたためである。

 

 

もちろんポールのせいではない。

 

そんな私の勝手な思い込みとはよそに、

ポールは一度たりとも創作活動を滞らせることなく、

稀代のメロディーメーカーとして新譜を発表し続け、

こうしてツアーにも出て、

はるばる日本までやって来たのである。

  

しかし、なぜこの年齢になってツアーに出る

必要があるのだろうかと、凡人ならではの疑問もわく。

日本でいえば、

あと4年で後期高齢者に達する年齢である。

いつも通り、良い曲を書き続け、

コンスタントにアルバムを発表しているだけで

十分なのにと考えてしまうのは、浅墓ゆえか。

  

ポールの本音は何処にある?

  

さてこの疑問を少しばかり和らげてくれるのが

中山康樹『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』

という新書。

この本には60年代のロック黎明期に

輝かしくデビューを飾り、今も現役で活躍する

ミュージシャン14人の生き様を論じている。

もちろんポールについての項もある。

<すなわちポールは、ビートルズ時代から変わらず挑戦意欲を持ち続け、前衛芸術に対する抑えきれない創造的衝動を抱えたまま、創作活動を継続している>

とポールの創作への姿勢を見極め、

下記の言葉で締めくくっている。

<その引き算の潔さと高い音楽クォリティー、そして無尽のエネルギーと創造力。……ビートルズ時代に十分に与えたにもかかわらず、さらに多くのものを分かち与えようとしている>

すなわち、今回のツアーは

懐古的なものでも集大成的なものでもない。

たとえ演目にビートルズ時代の曲が多くとも、

そこには創造というスパイスが効いているはずである。

  

ポール、ここ30年ばかり熱心に聴かなくて、

本当にごめんなさい。

  

(店主YUZOO)

 

 

 

11月 18, 2013 ブックレビュー, 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2012年5月18日 (金)

ドナルド・ダック・ダンの死

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今週は長かった。

一週間が千日でひと回りしているようにさえ思えた。

 

月曜日にドナルド・ダック・ダンが亡くなった。

この日本の地で。

しかも前日には素晴らしいステージを披露していたというのだ。

ダック・ダンは誰だろうと思われる方がいると推するので、

簡単に説明すると、ソウル・ミュージック黄金時代の

1960年から70年代にスタックス・レコードのベーシスト

として屋台骨を支え続けた人物である。

 

映画『ブルース・ブラザース』でパイプを咥え、

渋くベースを弾いていた姿も印象深い。

 

とにかく南部録音のソウル・レコードのクレジットを見たら、

必ずといってよいほど、ギターのスティーヴ・クロッパーと

共に明記されていて、この名前が載っていれば、

内容は保障できるという、

いわばソウルの「特保マーク」のような存在。

 

私事になるが、二十年ほど前バンド活動をしていたときに、

憧れとしてあったのが、ダック・ダンが在籍していた

ブッカーT&MG'sとニューオリンズ・ファンクの雄ミーターズ。

もちろん私達の拙い演奏力では、その足元どころか、

影を踏むことさえ出来なかったのだが。

 

さてダック・ダンのベースの特長というと、

ずっしりと重く響くものの、決して音数は多くなく、

バスドラムに程良くからんで南部特有のグルーヴ感を出す。

 

一聴すると地味な印象を与えるが、歌の伴奏者とすれば、

これほど心強く頼りになる、歌心を知っている人はいない。

それゆえに一流のソウル・シンガーから多大な信頼を受け、

オーティス・レディング、サム&ディヴ、ルーファス・トーマス

たちと数々の名曲を作り上げることができたのだろう。

 

上記のアルバムはブッカーT&MG'sの未発表曲集。

ソウルやブルースの名曲が歌なしで演奏されていて、

曲をグルーヴさせるにはベースとドラムの相性だと

再認識させてくれる優れもの。

 

この一週間はこればかり聴いている。

人間の身体のなかで耳が一番頑固なのかもしれない

と、ふと感じながら。

(店主YUZO)

5月 18, 2012 CDレビュー | | コメント (0)

2012年3月26日 (月)

音楽で花粉症は治るか?

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春は。

春は別れと出会いの季節と言いたいところだが、

私にとっては花粉の季節。

眼は産卵中のウミガメのようにウルウルとして、

鼻の穴は廃坑になった炭鉱のように深く閉ざされたまま。

無気力の井戸に放り込まれて、休日はひたすら惰眠を貪る

怠惰な生活に堕ちている。

 

潤んだ眼では読書する気分にもならないし、

もちろんマトリョーシカをつくろうという気分も起こらない。

 

ということで音楽を聴く時間が必然的に多くなる。

鼻の穴はずっしりと塞がったけれど、耳の穴は通じている。

清涼感のある音を聴いて、

少しでも閉塞した気持ちを耳から開放したいのである。

 

昨日は二十数年前に流行したブルガリアン・ヴォイスを聴いた。

当時、神秘のハーモニーと注目され、

ワールド・ミュージック・ブームも追い風となって来日も果たしている。

残念ながらコンサートに行くことはできなかったが、

音楽評論の大家・故中村とうよう氏に

「ブルガリア合唱を体験すると、音楽に対する感性がフッ切れるのである」

と言わしめた素晴らしいステージを繰り広げた。

 

その言葉とおり、この公演期間中、日本独自の企画で

ライブ盤1枚と録音盤2枚の、3枚ものCDがつくられた程だった。

 

人間の歌声とハーモニーは、どんな楽器よりも優れている

という言葉を再認識させてくれる中身の濃いCDである。

 

ちなみにブルガリアン・ヴォイスを簡単に説明すると、

日本人が好んで歌う合唱曲や

ウィーンの聖歌隊のような澄み切った歌声で歌うミサ曲でもない。

ブルガリアの古い民謡や祝祭歌、農作業の歌などを

現代的にアレンジして歌われる、いわば土着の歌である。

発声も地声のままに歌われ、何の装飾もない。

ただハーモニーとリズムは複雑に絡み合いながら融合し、

幾何学模様の手織物のようである。

もし興味ある方がいましたら、一度聴いてみては?

 

さて冒頭の花粉症の問題。

以前、雑誌にヨーグルトを食べ続けたら、いつの間に治っていた

という記事が載っていて、早速試したことがある。

1年間、3日に1箱というペースでブルガリア・ヨーグルトを食べた。

砂糖は不要、常温で食べたほうが効果ありというので、

それも律儀に守って。

 

結果は言うまい。

(店主YUZO)

3月 26, 2012 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月24日 (土)

クリスマスはソウルを聴きながら・PART4

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いよいよクリスマス・イヴ。

クリスマスに聴きたいソウル・アルバムも最終章。

 

今まで紹介したのは男女間における愛をテーマにしたものばかり。

本当のところ、神の御加護に近い広い意味での愛、

家族愛、人類愛、無償の愛、

さらには地球上で生を営んでいるものに対しての愛でなければ、

クリスマスが意味する愛の高みには至らないのだと思います。

 

数多くのソウル・アルバムのなかで、

その高みに到達した作品は、残念ながらそう多くありません。

もっと他のジャンルにおいても同じですが。

その中で壮大なスケールでサウンドを構築し愛を表現しして、

聴く者すべてに幸せを与えてくれるアルバムといえば、

マーヴィン・ゲイの『What’s going on』

と音楽好きならば誰もが認めるところでしょう。

 

宇宙の谷間から湧き出ているかのような浮遊感のあるストリングス

新しい時代の夜明けを告げるようなパーカッションの響き、

今までには無い手法を施したアレンジは、

ソウルというカテゴリーに収まれきらない雄大さを感じます。

その宇宙規模のサウンドの上を、

セクシャルで優しいマーヴィンの歌声が乗るわけですから、

聴く者が至福の愛に満たされるのは当然の成り行き。

 

歌われているメッセージは、

ベトナム反戦、黒人公民権運動への同胞への呼びかけ、

環境問題、信仰心についてと、

当時の時代を色濃く反映しています。

ただマーヴィンの歌声は

それらのいつの世も人類が抱える問題を

普遍的なもの変える力があり、慈愛に満ちた表現は、

まるで愛の力を説く宣教師の説教のようにさえ感じます。

このアルバムを「愛の聖書」と名づけても

何ら違和感がありません。

 

今年のクリスマスはテレビを見ないで、

静かに音楽に耳を傾けることをお勧めします。

大切な家族と、親しい友達と、最愛の恋人と、

無事にクリスマスを過ごせることを感謝するために。

また震災でかけがえのない人を失ってしまった人々と

ともに鎮魂のために。

 

すでに天国に召されたマーヴィンですが、

人々が忘れがちな愛について考える機会を与えるため、

日常の何気ない出来事にも愛があることを

気づかせるために、

このアルバムをつくったのだと思います。

Happy Christmas!!

(店主YUZO)

12月 24, 2011 CDレビュー | | コメント (2)

2011年12月22日 (木)

クリスマスはソウルを聴きながら・PART3

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たいへん参考になると大好評の

クリスマスに聴きたいソウル・アルバム第三弾。

ただ過去に紹介したのはファルセット・ボイスばかり。

これでは聴いているうちに涙が溢れ出して

クリスマスどころか通夜になってしまうのご指摘、

探してみたものの全然見つからず草臥れ損とのご批判、

深く肝に銘じ、海よりも深く反省し、

慈愛の絹糸に包まれた大ヒット曲「二人の絆」を含む

とっておきの名盤をご紹介します。

 

もちろんレコード店に行けば、

すぐに見つかることも保障します。

 

この『ハロルド・メルヴィン&ザ・フルーノーツ』、

官能のバリトン・ボイスの持ち主テディ・ペンダーグラスを

リードシンガーに、洗練されたアレンジでは

右に出るものはいないと言われるギャンブル&ハフが

プロデュースしています。

このギャンブル&ハフがプロデュースした作品は、

俗にフィリー・サウンドと呼ばれ、

70年代に数多くの名盤を制作しています。

不倫ソングの大定番ビリー・ポールの

「ミー・&ミセス・ジョーンズ」もこのコンビの作品。

聖なる夜に不倫ソングを紹介する恥知らずなことを、

さすがの私も致しませんのでご安心を。

 

本盤に戻ります。

最大の魅力と上げれば、テディの艶のある歌声に尽きます。

あたかも貴方が彼女に伝えたい気持ちを代弁して、

歌っているかのようです。

伝えたい言葉をすぐに発せずに感情を抑えているものの、

だんだんと抑えきれずに自分の思いが勝ってしまい、

気持ちが昂ぶって、ついには叫んでしまう。

そんな男の無骨な気持ちを全編に渡って表現しています。

 

付き合って2,3年、そろそろ結婚を考えている貴方、

もしくは長い春が続いてるので、もう一度付き合った頃に

戻りたいと思っている貴方に、テディの感情豊かな表現は、

きっと強い味方になってくれるはず。

このアルバムには、

貴方の奥にしまわれた感情の扉を開く力があります。

 

テディの歌に心を動かない女性は絶対にいません。

もし仮にいたとしたら、

そんな彼女はこちらから願い下げです。

テディの歌の力を借りて、貴方の気持ちを彼女に伝え、

二人の記念となる思い出のクリスマスにしてくださいネ。

(店主YUZO)

12月 22, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月20日 (火)

クリスマスはソウルを聴きながら・PART2

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先回に引き続きクリスマスに聴きたいソウル・アルバム第二弾。

ゆっくりと恋人、もしくは恋人未満の人と音楽を聴いて

ムードを高めたいのに、選曲機能を使うなんて

気持ちが冷めてしまうとお嘆きの貴方、全曲ファルセットで

甘く切なく歌い上げる逸品あります。

 

もう切ないという言葉が虚しく響くぐらいの悲哀で歌うのは、

植木屋で刈ってもらったような真ん丸のアフロヘアが

いかしているテリー・ハフ。

このテリー・ハフ&スペシャル・デリヴァリー『ザ・ロンリー・ワン』

その筋では昔からファルセットの名盤と謳われたアルバムで、

レコード・コレクターズ誌のソウル・ファンク・ベスト100選で、

ぎりぎり94位にランクインしたお墨付きのブツ。

 

クリスマス・イヴは少し部屋の明かりを暗くして、

二人で甘く切ない歌声に耳を傾けるだけで、

この聖なる夜が永遠に続くような気分にさせてくれます。

未だ友達の線を踏み越えられないと悩んでいる貴方には、

テリーの歌声が優しく背中を押してくれるはず。

経験者から助言しますと、

音楽について余計なウンチクを言うのような

野暮なことは絶対してはいけません。

 

それとひとつ注意していただきたいのは、

母国語が英語圏の彼女、英語が堪能の帰国子女と

一緒に聴くのは禁物です。

実はテリーの得意としているは失恋バラードで、

このアルバムも全編、失恋の美学で占められています。

 

一緒に失恋ソングを聴くことで

独りでいる寂しさに気づき、二人見つめ合った瞬間に

恋に落ちたという話もありますが、

それはかなり危険な賭け。

ここは無難に英語のわからない者同士で

聴くのをお勧めします。

 

二人の気持ちが最高潮に達するのは10曲目。

テリーの唯一のヒット曲であり、

メロディ良し、アレンジ良し、切なさ良しのバラード。

言葉をひとつひとつ噛みしめるような歌声に導かれて、

貴方はそっと彼女の肩を抱き寄せるだけで十分です。

テリーの力を信じましょう。

 

検討を祈ります。

(店主YUZO)

12月 20, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月18日 (日)

クリスマスはソウルを聴きながら・PART1

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クリスマスまで10日をきり、秒読み段階へ。

さすがに節電の自粛ムードも薄れ、街のあちらこちらで

ライトアップされて、電飾が赤や青の光を放ち、

聖なる一夜を演出している。

けれども今年は未曾有の大震災のせいで、

心からクリスマスを楽しむことができないのも事実。

 

派手に騒いで一夜を過ごすよりも、我が家で家族と、

もしくは友達や恋人とホームパーティ風に

静かに楽しむ方も多いのではと思う。

そこで静かなクリスマスにお似合いのソウルの名盤を

イヴまで厳選して紹介します。

 

第1回は、刑務所で結成された囚人グループとして話題を

呼んだエスコーツのセカンド・アルバム「3 down 4 to go」。

アルバム・タイトルは3人が出所して4人は服役中の意味。

それだけ聞くと、極悪非情でメタリックな轟音を垂れ流す

グループと想像してしまうが、それとは正反対の

トロトロに甘いハーモニーを聴かせるコーラス・グループです。

 

プロデューサーは愛の伝道師ジョージ・カー。

ソウル界では、その名前を聞いただけで

腰がメロメロになってしまう甘茶ソウルの大御所。

それだけでもスィートな音は保障されたようなもの。

(註・甘茶ソウルとは、極上なスィート・ハーモニーを

聴かせるソウルの総称。ソウル検定に出ます)

 

曲は全部で11曲入っていて(1曲がボーナス・トラック)

奇数がダンス・ナンバー、偶数がバラードと

交互に収録されているが、聴きどころはやはり偶数サイド。

CD選曲機能をつかってバラードだけを流せば、

音楽が流れている間は二人だけのドリーミーな世界、

デザートよりも甘いとろけるような一夜を過ごせることを、

ジョージ・カーに代わって保障します。

また残念ながら独りでイヴを過ごす羽目になった人には、

涙で枕が濡れるぐらいに恋の思い出に浸れることを、

これまたジョージ・カーに代わって保障します。

 

とにかく2曲目の「Let's make love (at home sometimes)」

の悲しくなるほど美しいファルセット・ボイスは、

うぶ毛がそそり立ち心を鷲づかみにされるほど。

ソウル・バラードに名曲は数々あれど、

個人的には3本指に入る名曲だと信じています。

もし、これを聴いて甘茶ソウルの美学を感じられない人は、

元々甘茶の味が合わないのかも。

 

♪たまには家でメイク・ラヴしようよ~

と囚人に歌わせるジョージ・カーの愛の伝道師としてのセンス。

その美学も壮絶すぎて絶句。

(店主YUZO)

12月 18, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月16日 (金)

忘年会にはブルースを

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最近、ノンアルコール系の飲み物が売上を伸ばしていて、

ついにその勢いに乗じてカクテルまでも登場した。

アルコールが入っていないカクテルならばジュースだと思うが、

実際に飲んだ人に訊いたところによると、

アルコールが入っているような気持ちにさせるらしい。

訊いた相手は元々酒豪で、身籠ったため今は控えている身分。

そんな人を納得させるのだから開発者の情熱はたいしたものである。

 

しかしどのようなニーズから、

このような飲み物を開発するに至ったのだろうと思う。

お酒が飲めない下戸ならば、

きっぱりとジュースやお茶を頼んでしまえばいいのに感じるが、

そう簡単な図式では語れない或る事情が、

この一連のノンアルコール商品開発には潜んでいるのではと、

つい斜に構えて考えずにはいられない。

 

私の結論はこうである。

年末の風物詩である忘年会対策のために、

下戸の人たちの声に耳を傾け開発されたのではと睨んでいる。

上司から酒を勧められても簡単に断れず、

かといって盛り上がっているなか、

独りジュースを吸っているのも気が引ける。

せめて見た目には皆と同じように宴の輪に紛れていたい。

飲めないことで目立ちたくない。

そういう日本人的な集団依存の感性の声を訊き、

その人たちをこのような地獄の境地から救うべく、

ノンアルコールが生み出されたのではと踏んでいる。

 

表向きの理由として飲酒運転を撲滅するためと嘯いても、

酒が飲みたい輩というのは、自分も含めて、

酒の味が好きなのこともさることながら、

それ以上に酔ってこの世のウサを晴らしたいのである。

ノンアルコールで満足できるわけがない。

 

さてこの写真のアルバムはハウンドドッグ・テイラー

『この猟犬スライドに憑き』という題名の未発表ライブ音源を

収めたもので、2004年に発表されている。

ハウンドドッグ・テイラーの歪んだスライドギターの音で、

脳天を一撃されてぐちゃぐちゃにされ、

いつまでも鼓膜が振動している音といおうか。

腹を空かせた猟犬に耳を喰い千切られたような

恐ろしく凶暴な音。

シカゴの黒人街で鍛えられた胆入りのブルースが聴ける。

 

これを聴くと、ブルースが悪魔の音楽と言われたのも頷ける。

このようなブルースが毎晩演奏されるクラブやライヴハウスでは、

絶対にノンアルコール系はメニューない。

そんなもの頼んだら

「坊やの来るところじゃねえな。とっと帰ってママに抱かれて寝ちまいな」

と言われるのが関の山である。

そう考えたら、忘年会で飲めないことで悩んでいる光景は、

実に平和な日本の健全な在り方かもしれない。

  

ちなみにハウンドドッグ・テイラーが壮絶なギターが弾けるのは、

指が6本あるからだと言われている。

そのハウンドドッグ・テイラーの左手が下の写真。

・・・・・・・ブルースの世界は本当に末恐ろしい。

(店主YUZO)

 

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12月 16, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月10日 (土)

「君の友だち」を口ずさみながら

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先日、大学の先輩同士が再婚した。

 

親に反対されてお互いに本意でない相手と結婚したものの、

その想いの火は消えず、

それどころか一緒にいたい気持ちは募るばかり、

そして月日が流れることウン十年、念願かなって結ばれた。

・・・・・・というようなドラマティックな結婚話ではない。

たぶん第二の人生を気心の知れた人と過ごしたい

というのが真意だと思うが。

 

その真意を単刀直入に訊くのも野暮だし、

分別のわかる年齢になった以上、大人の恋愛を

根掘り葉掘りきくのも見苦しい。

私は粋を心情にしている人間である。

 

その信念に従ってささやかな結婚パーティの席でfは

お祝いにマトリョーシカをプレゼントして、

「マトリョーシカを閉めるときに、願いことを言うと叶うというジンクスがありますので、それだけは忘れないでください。いつまでもお幸せに」

とさらりと祝詞を述べただけに留めた。

 

これが粋というものである。

常日頃から粋というものに細心の注意を払っている私にとって、

高倉健のように祝詞では多くを語らないことが

最大の美徳としているところだが。はて?

 

この結婚パーティにはたくさんの友だちが集まり、

アットホームな雰囲気に包まれ、始終笑いが絶えなかった。

十数年ぶりの再会も何の違和感のなく、

やあやあという気軽な感じで話しているのを見て、

友だちというのは本当に良いと思った。

月日を重ねれば重ねるほどに、

味わい深く、愛おしい存在になっていく。

 

君は僕の名前を呼ぶだけでいい

どこにいようと君に逢いに飛んでいくよ

冬でも春でも、夏でも秋でも

君が呼びかけてくれれば

すぐに行くよ

それが友だち

 

これはキャロル・キングがつくった曲。

たくさんの人に歌われている名曲だけれども、

ジェームス・テイラーの歌が一番好き。

少し線の細いジェムス・テイラーの歌声が、

ふだんは気弱で頼りない僕だけども、君が淋しいときや

辛いときには、いつでもどんなときでも駆けつけるからねと、

切々と歌う姿に、本当の優しさを感じてしまうからかもしれない。

 

1971年発表の「マッド・スライド・スリム」に入っています。

(店主YUZO)

12月 10, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月 4日 (日)

地球の裏側の儚き歌声

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12月に入ってから急に冬らしくなった。肌寒い。

今年は暖冬になるとか、温暖化が一段と進んだとか、

他愛のない酒場談義をしていたのが嘘のようである。

 

しかし地球の裏側では、これから夏を迎えようとしている。

交通機関や通信手段が発達して、

どんどん地球のサイズが小さくなろうと、

そんなのは人間が勝手に行っていることで、

この水をたっぷりと湛えた天体は、我関せず、

きっちり正確に太陽系の軌道を巡り、

北が冬の時は南は夏になり、南が冬になれば北に夏が訪れる。

 

たとえ人類が核戦争で滅亡しても、

その営みは揺らぐことなく続けられるのだ。

腕の良い職人がつくった時計のように。

 

その地球の裏側の国ブラジルに夏の終わりの風景を

一篇の詩のようにつづった「三月の水」という名曲がある。

『エリス&トム~バラに降る雨~』というアルバムに

収録されていて、すべての曲を書いているのは、

ボサ・ノヴァの三聖人、もしくはブラジルが生んだ

偉大なる作曲家とうたわれるトム・ジョビン。

「三月の雨」は一曲目に収められている。

 

歌詞の一部を紹介しよう。

 

足跡、橋、ヒキガエル、アマガエル

残された森林、朝の光

夏の終わりを告げる三月の雨

人生の誓いを心の中で

 

つい口ずさんでしまいそうな流麗なメロディに乗せて、

同じくブラジルが生んだ不世出の歌手エリス・レジーナと

少し感傷的になりながらも恋人たちが囁きあうように歌うのだ。

夏の喧騒が終わりに近づいた寂しさと物思う秋の到来を、

茶目っ気たっぷりに歌うエリスの感性の瑞々しさ。

 

今年の夏は楽しかったけれど、もう終わったこと。

でもこれから訪れる秋も、あなたと一緒ならば悪くないかも。

そんな心のうちが映し出されたエリスの歌声に、

ぼそりぼそりと優しく語り返すように歌うトム。

二人の歌に絶対的な永遠の美を感じてしまう。

 

 

長い冬が終わりを告げ春の足音が聞こえ始めた頃、

地球の裏側では、こんなに切なくも美しい曲が歌われている。

(店主YUZO)

12月 4, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年12月 2日 (金)

掟破りのジョージ・フェイム

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粋に生きることは難しい。

宵越しの金は持たねぇというような江戸っ子気質の気風の良さは、

この物が溢れかえった次代には、

かえって困難な生き方だという気がする。

 

目に飛び込んでくるのは購買意欲を駆り立てるキャッチコピーや

魅力的なパッケージに彩られていて、

所詮、いずれは物なんぞは壊れてしまうか、

こちらがこの世からおさらばしちまうんだからと嘯いてみても、

視線はずっと見つめたまま、その場から立ち去ろうとしない。

財布のなかを見つめて、

明日から給料日まで牛丼で過ごせばいいんだからと、

勝手に納得させて、ついつい買ってしまう。

 

これがいけない。

染みっ垂れていて実に粋ではない。

そもそも蒐集するという道楽は

粋とは正反対の生き方かもしれない。

しかし敢えて粋な心意気で蒐集する道を探り出すのが、

真のコレクター道楽なのかと考えた次第。

 

具体的に説明すると、自分のなかで様々なルールをつくって、

その範囲内で蒐集していくのである。

10年以上探し続けている喉から手が出るほど欲しい逸品でも、

ルールを越えていれば、きっぱり未練なく諦める。

間違って同じ物を買ってしまっても後悔しない。

セット物なら5000円まで、その他は2000円以下、

新譜は買わない、購入は一度に5枚まで、

と次々と粋なコレクター道を探るべくルールをつくっていった。

 

しかしそのルールを一度だけ破ってしまったのが本作である。

もう5年も前のこと。

世界初CD化で出るという情報を訊きつけ、

思わずアマゾンで予約してしまったのである。

 

このアルバムはLP時代は中古レコード屋の超レア盤扱いで、

うちの店はこれを持っているだぞとばかりに誇らしげに壁に飾られていた。

それが何とも羨ましく、価格を仰ぎ見るとゼロが5つも並んでいる。

当時私は中学生。

買えるはずもなく、指を咥える以外になかった。

 

しかしレア盤には惜しみなく金を出す人がいるもので、

3ヶ月も経たぬうちに中古レコード屋の壁から消えていた。

それ以来、28年ぶりの涙の再会だったのである。

 

ルールは破るためにあると嘯くどころか、

気が焦りすぎて、震える指先で何度も購入手続をミスする有様。

それでも売切にならず購入が

成立したときの至福感は忘れられない。

そして届いた日は、はしゃぎ過ぎて何度も聴き返し、

家族から白い目で見られる始末である。

 

粋に蒐集することは、実に難しい。

(店主YUZO)

12月 2, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年11月26日 (土)

ローラ・ニーロ「Gonna take a miracle」

Laura20nyro 

今日は音楽の話。

ローラ・ニーロと聞いただけで

甘酸っぱい気持ちになるのは、私だけだろうか。

 

喩えるならば憧れ慕うお姉さま。

ピアノを弾いて歌うものの人を笑わすようなMCはせず、

孤高を愛し、誰かが話しかけてもニコリと笑うだけで、

決して多くを口にすることはない。

 

きっとそのイメージはそれ以前の作品、

『イーライと13番目の懺悔』や『ニューヨーク・テンダベリー』

のモノクロを基調にしたジャケットと、

収録されている内省的な歌の数々が

そう想起させたのだろう。

 

ちょっと近づき難いけれども、

その才能には寄り添っていたいお姉さまなのである。

ある解説でローラ・ニーロを「火のように寂しい」

と評していたのがあったが、

この表現が実によく合った雰囲気を醸している。

 

そのお姉さまが普段は見せない表情で歌ったのが本作。

子供の頃にストリートで歌っていたR&Bやソウルの名曲を、

実に気持ちよく歌っていて、その歌声も力強くて美しい。

バックコーラスのラベルも好サポートしていて、

極上のブラック・ミュージックに仕上がっている。

(註・ラベルはパティ・ラベルが在籍していたグループ)

 

 

「火のように寂しい」と思っていたのに、

実は身体の中では「火のように燃えている」。

このアルバムを聴くたびに、

お姉さまが今まで見せなかった笑顔を、

自分だけに見せてくれたような気分になって、

思わず萌えとなってしまうのである。

 

残念ながらローラ・ニーロは、もういない。

47歳の若さで帰らぬ人になってしまった。

多作な人ではなかったけれども、

残していたアルバムは女性(母親)としての優しさと

歌うことへの情熱に満ちている。

(店主YUZO)

11月 26, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年11月22日 (火)

テルミン博士とブライアン・ウィルソン

Photo  

手で触れることなく演奏できる不思議楽器。

「テルミンは取り扱っていないのですか?」もしくは、

「マトリョミンありますか?」と訊かれることがある。

残念ながら楽器まで取り扱いを広げるのは不可能なので、

丁重にお断り申し上げている。

 

テルミンはロシア生まれの電子楽器で、ウィッキペデアによると

1919年にテルミン博士によって完成したとある。

1919年といえばロシア革命が起こってまだ日が浅い年、

国の体制が大変革を遂げているとぎに、

こつこつと電子楽器の研究をしていたのだから、

このテルミン博士は胆のすわった大人物か、

計り知れない変人ではないかと窺える。

 

実際、レーニンがテルミンの発明を喜んで600台を購入。

鑑賞会の後は、はヨーロッパに演奏旅行、

アメリカで販売契約まで結んだというのだから恐れ入る。

 

ただ音程が定まりにくいテルミンは曲の中で使われることは少ない。

恐怖シーンや不気味な場面の効果音として使われことが多い。

有名どころではビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」ぐらいか。

 

1966年、当時は破格の5万ドルの制作費をつかって作られた

ビーチ・ボーイズの、いやポピュラー音楽の永遠の名曲である。

作者である孤高の天才ブライアン・ウイルソンは、

この曲を完成させるために20以上のテイクを撮り、

さらに完成に至ったテイクも11バージョンが存在するという。

まさにブライアンならではのこだわりの大仕事。

おかげで見事全米チャート1位に輝いている。

テルミンはサビの部分で独特の浮遊する音が、

効果的に使われている。

 

ポピュラー音楽が日々変革を遂げていた60年代。

ブライアンがテルミンの不思議な音色に魅せられたのも頷ける。

 

さて多少強引に結論づけると、

あの何処に着地するのかわからないフワフワした音が、

大きな変革のある時代に合う音色なのかもしれない。

ロシア革命とカウンター・カルチャーの時代。

ふむ。やはりこの結論はかなり強引だな。

似ていてようで、似て非ざるか。

 

ちなみに「グッド・バイブレーション」は

ビーチ・ボーイズのベスト盤や未完の名盤

「スマイル」などに収録されています。

(店主YUZO)

 

11月 22, 2011 CDレビュー | | コメント (0)