2012年2月20日 (月)

エレナ・ジョリー聞き書き「カラシニコフ自伝」

  

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「マトリョーシカの国2012」が終わり、

祭のあとの空虚感にも似た欠落した気持ちにおそわれている。

心のなかを隙間風が吹き抜けているかのようである。

こういうときの休日は何処にも行かず、

家で本を読むのにかぎる。

 

というわけで「カラシニコフ自伝」。

カラシニコフといえば世界一有名な、

もしくは最も使用されている銃を開発した設計者である。

アフガニスタンや中東の兵士たちが手にしているのを、

テレビで目にした方も多いだろう。

 

砂漠の灼熱の大地だろうと、

鬱蒼としたジャングルに点在する沼地だろうと、

故障することのないタフな銃で、

現在に通じる銃器の基礎をきずいた

設計の父という存在である。

 

ただ銃器の開発は国家機密であり、

その所在すら明らかにされていない人物。

その謎に包まれた人物が、ソビエト崩壊後

陽の当たる場所に出て、半生を語ったのが本作である。

 

こう書き進めていくと、人を殺す冷徹な武器についての

開発苦労話に終始している内容と思われそうだが、

大戦から現在にいたるロシア人の生活や習慣も

多く語られていて、それを知るだけでも興味深い本である。

なにしろこの本が出版された時点で83歳なのである。

20世紀ロシアの生き証人とも言えるのであ。

 

たとえば

「普段は白樺の皮を使ってさまざまな容器をつくっていた。家には食器類が足りなかったし、買う金もなかったからだ」

木の香でも販売しているベレスタが近年まで

実際に食器として使っていたことが伺えるし、

「おばあちゃんは、ロシアの家族における中心人物でもあり、どんな場面でも頼りになる存在だった。事実カーチャの母親は、若い娘夫婦の中の仕事を日常的に引き受けてくれた」

といった記述は、今のロシアの家庭にも

脈々と受け継がれているのではないだろうか。

 

最後にカラシニコフの語り口は、

謙虚であれながら筋の通った職人そのもので、

勤勉であり、かつ頑な。

 

自分が銃の設計に情熱を傾けたのは、

祖国をナチスの侵略から守るためであり、

自分は銃の売買で1コペイカたりとも儲けていないと

力強く語る。

そして現在の誰もが祖国を思わず、

拝金主義となったロシア社会の実情を嘆く。

 

古きロシア人気質を感じさせる本でもある。

(店主YUZO)

2月 20, 2012 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年12月30日 (金)

山之口獏「定本山之口獏詩集」

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2011年も残すところあと2日。

今年もいろいろな出来事がありましたと締めくくるのも

簡単だが、今年ばかりそうは済まされない。

 

震災が安全神話を根本から薙ぎ倒しただけでなく、

誤報、無責任、保身、虚偽、饒舌、二枚舌が

連日繰り返されて、

どんよりとした憂いに胃のあたりが苛まれたかと思うと、

奇跡、復興、友情、連帯、絆、信念に

ふと息のつまった胸をなでおろすという1年であった。

この震災を境にして、情報を鵜呑みすることはなくなり、

価値観の転換を余儀なくされたといっても過言ではない。

 

このような地獄絵図に目を瞠らした以上、

自然もしくは地球を人智、科学、技術でコントロール

できると過信していたことに猛省すべきで、

さらなる巨費を投じてバベルの塔のごとき防波堤や

原子力発電所を建てたとしても、

それを嘲笑うかのように、自然は想像を絶する力で、

または百年千年という長い時間をかけて、

それを破壊し瓦礫に変えてしまうだろう。

 

生活に快適をもたらしてきた原子力には、

一旦暴れ出したたら止めることができない怪物の顔が

安全という覆面の下にあることを厭というほど思い知らされた。

そもそも快適な暮らしとは何ぞやと立ち止まってみることを

迫られのが今年なのかもしれない。

 

山之口獏という詩人がいる。

沖縄に生まれたその人は、戦争を憎み、原爆や水爆実験を

繰り返す国家の愚かさを憂いたが、

ただその飄々とした語り口はユーモアと風刺が、

ほどよくブレンドされて思わず微笑まずにはいらない。

日本には類をみない稀有の詩人である。

また貧乏生活で金策に窮していた生涯でもあったが、

敢えてそのような生活を望んでいた節もあって、

それが生活臭と人間臭を帯びていて、

実に良い味をだしている。

 

「座蒲団」と題した代表的な詩を紹介。

 

座蒲団

土の上には床がある

床の上には畳がある

畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ

楽の上にはなんにもないのであらうか

どうぞおしきなさいとすすめられて

楽に坐ったさびしさよ

土の世界をはるかにみおろしているやうに

住み馴れぬ世界がさびしいよ

 

もし詩人が現代を生きていたら、

今回の震災の一部始終を

どのような言葉で語ってくれただろうか。

(店主YUZO) 

12月 30, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年12月28日 (水)

米原万里「ヒトのオスは飼わないの?」

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先回はペットの話をしたが、今回はその続き。

我が家は狭苦しいマンション住まいなので、

原則的に犬猫を飼うのは禁止。

飼うことができるのは昼夜吼えたりしない、

徘徊をしない動物だけに限られる。

そのため我が家のペットはナマズの仲間みたいな魚と

娘が小さい頃に飼いたいとねだったミニウサギだけである。

 

どこの家庭でも見られるように、

泣くまでして飼いたいとせがんだミニウサギは、

いつの間にか妻が飼育係となり、魚の世話は私が担当に。

かれこれ10年近くが過ぎようとしている。

 

この風変わりな魚を飼う羽目になったのも、

娘と川遊びに行ったときの話しで、

5ミリ程度のおたまじゃくしに似た生き物を網で掬った途端、

「これ何になるんだろ?飼いたい!飼いたい!」

と娘が騒ぎ立てたおかげである。

娘の熱しやすく冷めやすい銅鍋のような性格は熟知していたので、

綺麗な水で飼わないと死んじゃうから無理だよと

何とか思い留まらせようとしたものの、一向に引く気配がない。

最後はこちらが根負けをして持ち帰ることになってしまった。

 

小指の先ほどの身体つきなのに食欲は旺盛で、

自分の背丈ほどある糸ミミズを何匹も平らげ、

一年もしないうちに、今の15センチぐらいまで成長した。

こうなると立派な成魚というより、いっぱしのオヤジ魚となって、

水槽の底でゆうゆうと暮らしている。

横に広がった口は笑っているようにも見え、ニタリと名づけた。

 

ペットというのは飼い主に似てくるといわれるが、

ニタリも同様で、食事以外は横ばいになり、

さらに進むと一瞬死んだと思うぐらいに

腹を天に仰いで高鼾と洒落込んでいる。

 

仕事に疲れて帰り、ぼんやりとニタリを眺めていると、

そんなに忙しく働かなくてもいいんじゃないの?

と言われているようで、その寝姿に癒される。

 

さて遅れてしまったが本の紹介。

この本は、著者が捨てられた犬猫を拾ってきては

家族一員になっていくのをユーモアを交えて描かれている

心温まる作品。

古参の猫たちが新顔の犬を受け入れるまでの話や

モスクワの街頭で売られていたブルー・ペルシャに

一目惚れした話など、

波乱万丈の生活ぶりが、何とも微笑ましい。

 

とくに傑作だったのは全ロシア愛猫家協会会長の話。

ネコ語が話すと自負する会長は、猫たちと世間話をしては、

過去の出来事を次々と言い当てる。

驚きを隠せない著者にネコ語は万国共通なのだと告げる。

猫たちに国境も国籍もないという驚愕の事実。

だから猫は無益な争いは好まないかもしれない。

(店主YUZO)

12月 28, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年12月26日 (月)

町田康「猫にかまけて」

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動物愛護法が改正されるそうである。

私はそれについては全くの無知で、

友人のメールで知らされた。

 

論点となっているのは、ブランド犬猫を量産するため

劣悪な環境で、産めや増やせやと、

飼育している悪徳繁殖業者の取り締まり、

インターネットや店舗を持たないペット販売の規制、

夜間販売の禁止、実験動物や畜産動物についてなど

多岐に渡って議論が交わされているそうだ。

 

改正の元となっているのは、年間約28万匹の犬猫が、

飼い主からの依頼や飼育放棄、

捨てられたり野良化したものが処分されているという現実。

しかもそれら捨てられた動物たちは、

飼い主に飼育放棄された心の傷が癒える前に、

狭い部屋に閉じ込められて、

怯えながら恐怖心だけ残して死んでいく。

 

まったく無知とは恐ろしいもので、ペットを飼うと決めた以上、

そのの愛犬なり愛猫なりが死ぬまで面倒をみるのが、

最低限の心得だと思っていたし、これほど夥しい数の動物が、

飼い主の身勝手な理由で殺されているとは、

事実を知って呆然としたまま

開いた口が塞がらない状態である。

 

この本は、今飼っているペットを処分しようかと

悩んでいる人に読んでもらいたいので紹介します。

 

著者と22年間、連れ添った愛猫ココアがおとろえから、

だんだんと食事もミルクも摂らなくなり、

日を追う毎に衰弱していく。

もう死は扉の前まで来ている。

もしかすると奇跡が起こり昔のような元気な姿に戻るのではと

無償の愛を注いで、献身的に介護をする姿が痛ましく、

涙なしでは読み進めることができない。

楽しいことも悲しいことも共に過ごしてきたのだから、

ココアの最後は後悔することだけははたくないと、

全身全霊でもって尽くすのである。

 

しかし自然の摂理には抗えない。

ココアは空へと旅立ってしまう。

 

放心状態のなか著者は、こう記している。

「もっとも辛いのはココアがいなくなっても普通の日々が続いているということだ。

今日も部屋に日が差し込んで、新聞が届けられ、私は仕事に出掛ける。ココアがいなくなってもココアがいたときと同じように毎日が続いていく。」

 

あなたにも、この絶望的な喪失感を、

今捨てようとしているペットに対して持っていたとしたら、

いかなる理由があろうとも留まるべきだと思います。

(店主YUZO)

12月 26, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年12月 8日 (木)

荒木経惟・藤井誠二「開国マーチ」

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日本にはたくさんの外国人が生活しているのは周知のとおり。

ただどのようなコミュニティをつくり、

どんな生活をしているかまでは、あまり知られていない。

謎のままである。

仕事を共にすることがないかぎり、たとえ近所に住んでいても

知ろうとも思わないのが実情か。

 

その日本国内でありながら知られていない内なる外国に、

ずんずんと分け入っていったのが、この本である。

 

さすが天才とうたわれたアラーキーの仕事。

異国で暮らし祖国を思う外国人というような

感傷的なショットは一切なく、

写真から中華料理の油やキムチ、ニョクマムの臭いが、

むんと鼻をついて咽返るようである。

とにかく登場する外国人は日本人のように草臥れていない。

エネルギーに満ち溢れている。

 

経済的な理由で出稼ぎに日本に来るにしても、

祖国を離れている限り、この国で生きていかなければならない。

それならば辛いと悲しむより、人生を楽しんだほうがいいと、

心に決めているかのようである。

 

その屈託のない雰囲気が自然と写真に映ってしまうのは、

周りの人々を(外国人でさえも)巻き込む

アラーキーの持つ独特の魔力のおかげだろう。

アラーキーという大釜のなかで、ぐつぐつと煮込まれて、

国名や人種は判別できなくされて、

ひとりひとりの人間に剥き出しされている。

フィリピンも、タイも、韓国も、ブラジルも、ラオスも、中国も、

ペルーも、ロシアも、イスラム教も、仏教も、キリスト教も。

まさにエネルギーとエネルギーの核融合。

 

自粛、経済停滞、円高と、今の日本は沈滞ムードにある。

それに同調して、生きるエネルギーまでも失っていないだろうか。

 

またこの本では、在日外国人についての法律の実情、

習慣の違いからくる問題点なども載せてあり、

日本に簡単に外国人を受け入れない土壌があることを、

日本で起きた外国人にまつる事件を下敷きにルポしている。

この島国根性丸出しの閉鎖性が、

真の国際性を持ち得ない原因となっていると論じている。

この筆も熱い。

 

エネルギーに満ちた写真と熱い筆先。

その相乗効果で独特のカオスを生み出している本である。

(店主YUZO)

12月 8, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年12月 6日 (火)

箱石博昭「スパシーバ!ロシア」

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1990年代がロシアに関する本の出版ブームだったのではと、

今になってそう思う。

世界を二分していたイデオロギーの片方の総本山が、

戦争によってではなく、改革を進めていくうちに

自ら崩壊してしまったのだから、その内情や経過を

知りたい気持ちが出版ブームを後押ししたのも無理もない。

ただ政治や経済に終始していて、

ロシアの生活や文化、芸術といったものを、

ほとんど伝えていなかったのは、残念であるが。

 

幅広く伝えていれば、未だによく訊かれる

「物が不足しているんでしょうね」

「ロシア人は、物静かで暗いんでしょ?」

「ロシアマフィアには気をつけてくださいね」

といった質問も減っていたはずである。

 

だいたいロシアマフィアがマトリョーシカ仕入れに奔走している

着る物に無頓着な汚い格好した日本人を付狙うわけがない。

せいぜいスリが後を付けてくれば良い方である。

 

この本は著者が1995年から3年間、大使館付属の

日本人学校の教員として赴任した思い出を綴ったものである。

まだソビエト崩壊から数年しか経っていない混乱期とあって、

今の私たちのように気軽に地下鉄やバスに乗れるわけでもなく、

安いカフェやレストランで食事ができるわけもないので、

行動範囲も限られため私的な事柄が主な話題。

ただ読んでいて10年経って変わらないと思うことが、

いくつかあったのが興味深かった。

 

友人にはとても親切にする性格や

何でも自分で道具をつかって作り上げてしまうなど、

いつも世話になるコブロフさんやミーシャさんにそっくりである。

また警官が犯罪から守ってくれる頼りになる存在でなく、

賄賂目当てに尋問し、いい加減な理由をでっち上げて

金を巻き上げることも。

 

私たちも先々回、チェリパシカ氏がバウチャー(滞在証明書)を

所持していなかったことで捕まった経験がある。

明日ホテルが発行してくれると説明しても、

ホテルの領収書など見せても取り合ってくれず、

なんだかんだと言いがかりをつけて違反金と称する賄賂を取られた。

釈放されたときの警官の文句が、輪をかけて小憎らしい。

「今度ほかの警官に捕まったら、俺の名前を出せ。

そしたら金を取られずに釈放されるから」

 

この手の話を書くと、まだまだロシアは物騒だと思われるから、

この辺りで止めておこう。

この手の話はいくつかあるけれどネ。

(店主YUZO)

12月 6, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月30日 (水)

小沢昭一「道楽三昧」

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今や平成生まれの子供たちが社会人になる時代である。

昭和は遠くになりにけりの心境をひしひしと感じるこの頃である。

この何ともいえない感情は大正生まれの人にはわからないであろう。

 

自身は戦争に担ぎ出され、空襲で老いも若きも焼け出され、

終戦を迎えたときには着の身着のまま。

財産といえば痩せこけた身体ひとつという状況である。

時代が変わったと感じたのは、高度成長期に入った

昭和30年代になってからではないだろうか。

 

今の平成生まれといえば、ゆとり教育の世代。

落ちこぼれを出さず、優劣をつけず、

運動会の順位も決めずといわれた世代。

どう話せば、こちら意志が伝わるかと腫れ物に触るように、

慎重に言葉を選ばないと、突然キレるてしまうか、

すぐに仕事を辞めてしまう世代なのである。

そのため明日の話題を何にしようかと、

わけもわからぬ流行音楽を聴いたり、人気ドラマを観たり、

仕事では極力叱咤せず、褒めて褒めて、褒め殺すぐらいが、

適度ではないかと悩んでいる管理職が多いのではと察する。

 

それがいけない。

もう人生の半ばを過ぎたのに、

そんなことで胃を痛めてはいけないのである。

憤っても何もならないのである。

かつて自分たちも若い頃は、新人類などと命名されて、

やる気のないだの、ガッツが足りないだの、不可解な行動だの、

上の世代から言われ放題だったではないか。

 

この本は道楽のかぎりを尽くした著者が昭和を振り返りつつ、

当時の流行や風俗、生活を思い出いっぱいに語っている。

著者は私の父とほぼ同世代。

かつて私たちを新人類扱いした世代である。

 

この本を読むかぎり昭和は思うほど彼方へ去っていない。

子供の頃に遊んだベーゴマ、めんこ、虫取りなど、

遊びの質は違えど、熱中する気持ちは同じ。

そして年を経るごとに遊びが変わり、

相撲に野球、やがては競馬に釣りと、

ホビーだの趣味だの洒落た言葉で言ってみても、

所詮、人が歩むべく道は道楽なのである。

 

仕事は道楽を極めるためにあり、

道楽は仕事の気分転換に必要不可欠である。

平成生まれが入社したからって浮き足だっては、

道楽を極める道のりが遠のくだけである。

 

道楽三昧の人生を過ごした著者も、締めくくりとしてこう話ている。

「その日その日をしのいできた道楽のなかで、なんべんも仕事に疲れて溺れかかっているのを、道楽に助けてもらって這いあがってきたような、そんな気がしています」

 

芸だけでなく道楽も身を助けるのである。

(店主YUZO)

11月 30, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月28日 (月)

柳家小三治「ま・く・ら」

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立川談志が死んだ。

またひとつ巨星が墜ちた。

私は熱心な落語ファンというわけではないが、

一抹の淋しさがある。

 

昔、テレビでは寄席番組がたくさんあって、

身近に落語を楽しむ機会があった。

今のお笑い芸人が嵩じる学芸会にも似た悪ふざけではなく、

長年の研鑽と経験に磨かれた極上の話芸を楽しめたのである。

牧伸二が司会の「大正テレビ寄席」、「花王名人劇場」、

昼のNHK「お好み演芸会」など。

それが時代が流れるにつれ、

日本人の生活の質や習慣が変わるにつれ

今や残っているのは長寿番組の「笑点」と

たまにEテレで放映される「日本の話芸」ぐらいではないか。

 

ただ別の視点から見れば噺家にとって、10分や15分程度で

演目をするのは、かなり困難を要したのではと思う。

まくらにしても手短に終えて本筋にいかなければならないし、

その本筋もかなり削り落とさなければならない。

となると話すのが本筋ではなく、粗筋になってしまう。

噺家がテレビに登場しなくなったのも、それが要因にあるのではないか。

 

以前に林家菊扇の落語を聞きに行ったときだが、

とにかくまくらが面白い。

「笑点」でみせる与太郎キャラではなく、芸能界から政治、

さらには当時幅を利かせていた細木数子の占いまで、

ユーモアと風刺精神に溢れていて、

その目の付けどころの鋭さにほとほと感心したし、

何よりも噺のテンポがよく腹の皮がよじれるぐらい楽しめた。

一時間の演目が、まくらで終わったぐらいである。

 

さてこの本は、まくらの面白さでは定評のある柳家小三治の

上物ばかりをセレクトしてまとめたもの。

ほとんど英語がわからないのに単身アメリカに渡り、

むりやり英会話学校に入学してしまう「めりけん留学奮戦記」。

賃貸駐車場でなぜか自分のエリアにホームレスが住み着き、

追い出すこともできず、強く抗議することもできないうちに、

逆にその生活態度の潔さと合理性に感心してしてしまう

「駐車場物語」。

18もの新鮮な極上ネタが惜しみなく大盤振る舞いされている。

 

最近「木のあしあと」も趣味に走って

ロシアから遠ざかりはじめたとお嘆きの方、

実はこの本にも、ちゃんとロシアの話が隠されていました。

「あのロシアという国にいきますと、ソバの花から取れたミツは貴重品として非常に重んじられているとか、そういうことがね、いろいろと調べているうちに・・・べつに面白くないですね。こんな話(笑)

顔をみればわかります。

あーあ、あいつもとうとうああいう世界にいっちゃったのかって(笑)

そうなんです、だけどね、ロシアのパンってのは、真っ黒けなパンでしょ。カラスムギだとか燕麦だとか、ああいう。それにつけてみっとうまいんですよ。フランスパンなんかにつけると、そのえごさというか、まずさというか、なにこれ、泥食わされてる、ニス食ってんじゃねぇかと思うような、色もそうなんですがね、非常にまずい。

それがね、ロシアのパンにつけるとおいしいんですよ。けっこう深いですよ。これ」

 

こんなに鮮やかに評されるとロシアのハチミツが一筋縄ではいかない

奥深いものだとわかって、すぐにでも食したくなるでしょう?

それと以前に紹介したハチミツ市のでの話が嘘でないことも(笑)

(店主YUZO)

11月 28, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月24日 (木)

本秀康「レコスケくん」

 Leco 

何かをコレクションしている人ならば身に沁みていると思うが、

長年かけて蒐集した物も、他人からすれば、

何の価値もないガラクタ同然の代物にすぎないことを。

特に生活を共にしている家族は、それが顕著に出ていて、

いつか全てを処分してすっきりしたいと企んでいる。

 

もっとも家族の立場からすれば、

年を追うごとにネズミ算式に増え続けるコレクションは、

生活スペースを圧迫する侵略者にしか見えないのだろう。

私の場合は本とCDなのであるが、

今や置き場所に困り、布団の隙間に押し込んであったり、

勝手に服を捨てて衣装ケースに納まっていたりするので、

その怒りにも似た気持ちがわからないでもない。

 

マトリョーシカ・コレクターの方も同様の悩みがあるようで、

常連さんからこんな話を聞いた。

家族に増えたのを気づかれないように毎日置き場所を変え、

新しいのを買う前は、5個型の中身をひとつひとつ並べて、

実際の数を把握させないようにして目眩ましをする。

また家族から「また新しいの買った?」と訊かれると、

「前からあったじゃない」と冷静を装って答えるらしい。

 

この涙ぐましい努力と深層心理をついた深い知恵。

 

私は思わず「同志!」と叫んで、

しっかりと手を握ったことは言うまでもない。

 

この漫画は、そんなコレクター心理を描いた、

いわばコレクター応援歌のような物語。

主人公のレコスケくんは中古レコード屋巡りを日課としている

ジョージ・ハリスン好きの愛すべきキャラ。

しかも彼女までいて一緒にエサ箱を漁ったり、

収穫した代物を聴いたりしているのが何とも羨ましい。

(註・エサ箱とはレコードが並んだ箱のことです)

 

家族の理解や置き場所の問題で、

コレクター道を挫けそうになったときに読むと、

心底から癒されて、気分一新して

まだまだ続けるぞという気持ちになること請け合いです。

(店主YUZO)

11月 24, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月20日 (日)

朽見行雄「イタリア職人の国物語」

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今日はロシアでなくイタリアの話。

イタリアといえば伝統と美を重んじる国という

イメージが私にはある。

新しい方法を安易には取り入れず伝統に基づいて熟考し、

地に足がついていて、浮つくことがない頑なイメージ。

一度も訪れたことがないのに、そのようなイメージを抱くのは、

以前に展示会でイタリアの工芸品の素晴らしさを

眼にした経験からきているのだろう。

 

この本ではイタリアの代表的な工芸品をつくる工房を

24件、紹介している。

ベネチアン・ガラスやバイオリン制作、カメオつくりといった

世界に名だたる工芸品から、カポデモンテ焼きや

牧人笛といったこの本で初めて耳にしたものまで、

イタリアには様々な工芸品があることに、

まず驚かされる。

 

また著者は車を手配して工房を訪問するという

安易な方法をとらず、

時刻表を睨んで鉄道とバスを乗り継いで訪ね行く。

おかげで伝統工芸が息づく街の風景や気質、

空の色までもが思い浮かべることができる。

風土や気候は工芸品が成り立つには

欠くことができない要素であり、

また住人の気質によって生み出されるからだ。

 

先祖代々、長いと数百年単位で受け継いできた

職人たちの言葉は深い洞察と人生哲学に彩られていて、

現代社会が何を失いつつあるかと考えさせてくれる。

その偉大なる職人(マエストロ)の言葉を紹介。

 

「ゴンドラは左右対称ではないので、右側と左側の丸さ、カーブの具合を目で覚えることが必要です。目だけが判断できるのです。目がなければ、どんなに素晴らしい技術があっても、何もできません」

 

「祖父も父も、八十歳以上まで生きていましたが、仕事をやめると死にました。一日八時間以上働く習慣があったから長生きしたのだと思います。父は仕事ができなくなると家にばかりいて、太ってきて死にました。私も古い機械に似ています。止めると錆が出てきます」

 

「日本人はイタリア人ほど自分たちの街を散歩しないと聞きましたが残念ですね。みなさん自分たちの住んでいる街のすばらしい通りを、ゆっくり眺めながら散歩するようになったら、きっと日本人もステッキがとてもいい散歩の友になることがわかると思いますよ」

 

「いつも他人の仕事を見ながら、目を使って仕事を覚えてきた。なぜなら他の人は教えてくれないから。何にでも注意深く、我慢強くなければならなかった」

 

「一つ一つ手で作ったものと機械製は全然ちがう。全部手で作ったものはこの世界でたった一つしかないものであり、機械で作ったものはいくらでもある。そのちがいは、絵と写真のちがいと同じことだ」

 

残念ながら本に載っている写真は、

すべてモノクロなので、手が生み出す工芸品の素晴らしさを、

十分に目で楽しむことはできない。

ただし言葉の感動はある。

(店主YUZO)

11月 20, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月14日 (月)

リュドミラ・ウリツカヤ「ソーネチカ」

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現在、ロシア文学界で、

もっとも注目されている作家の中編小説。

訳は「テレビでロシア語」でお馴染みの沼野恭子さん。

 

と書くと、自分がかなりロシア文学に精通しているように

思われそうだが、ロシア文学に関しては

ドストエフスキーやトルストイといった文豪の作品を

数冊読んだにすぎない。

 

というわけでロシア文学界で注目云々というのも、

あとかぎからの受け売りである。あしからず。

しかしこの小説は海外で大きな反響があったようで、

フランスのメディシス賞、

イタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞を受賞している。

 

粗筋は以下の通りである。

本好きで容姿も華やかでないソーネチカが、

逆らいがたい運命の悪戯で画家のヴィクトロヴィチと結婚する。

戦争が始まった年に、二人の暮らしははじまり、

スターリンの大静粛には流刑地で苦しい生活を強いられ、

ソビエトの歴史に寄り添うように運命はすすんでいく。

しかし、どんな辛い生活が待っていようともソーネチカは、

つねに素晴らしいことがあるはずと前向きに受け入れ、

決して弱音や苦言を吐かない。

人生の黄昏期を迎えたときに夫に愛人がいると知ったときも

(しかも娘の友人!)

夫の創作活動が新たな方向に向かうのなら、

こんな幸せなことはないと心の底から喜ぶのである。

 

著者はソーネチカに対して特別な思いを入れて書くのでなく、

むしろ身に降りかかる出来事を淡々と描くのである。

 

本の帯には「紙の恩寵に包まれた女性の静謐な一生の物語」

とあるが、その言葉にはどうしても違和感を禁じえない。

もしこの物語が白痴か精神薄弱者が主人公で、

その純粋無垢な魂によって、夫の罪も生活苦も救っているのだと

暗喩しているのらば納得もできよう。

しかしソーネチカは読書好きで分別もある。

神の恩寵とは別の次元にいる気がしてならないのである。

 

ただソーネチカは人生に起こる様々な出来事を現実としてでなく、

一篇の短編小説のように美しいと感じたり、

長編小説のように波乱とロマンに満ちていると感じている節がある。

 

この本が書かれたのは1997年。

ロシアに市場経済が雪崩れ込み、

人々の生活が日毎脅かされていた頃。

著者は時代からどんな息吹を感じとって、

この不可思議な希望の物語を書いたのだろう。

 

いろいろと考えずにはいられない物語である。

(店主YUZO)

11月 14, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月12日 (土)

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

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年を重ねると中学や学校の学友が、

何をしているのだろうと想うのか、

同窓会や学級会がたびたび開かれる。

そんな大規模なものでなくても、クラブやサークル単位の集いは、

気心が知れた仲間なだっただけに、

懐かしさをともなって話題が尽きることがない。

 

私の場合も多聞にもれず、

同じ釜の飯を食べた間柄だっただけに、

クラブの仲間とは最近は頻繁に会うようになった。

当時の失敗談や象徴的な出来事が話題に上がるのは

当然としても、血糖値やコレステロール値、人間ドックの話が

つい口をつくのも年齢からくる特長的な話題か。

 

そのなかで若くして病気や事故で亡くなった友の名前が出ると、

一瞬、飲み会の座はしんと静まり返る。

ふつうだったらこの場にいるべき友がいない寂しさと、

まだやりたいことがあっただろうと友の無念さと。

 

この本は小学校のときに通っていた

プラハあったソビエト学校の友達に

40年近くのときを経て再会する話である。

当時のソビエト学校は、東欧の国々から来た共産党幹部の子女から

非合法活動家として亡命したきた一家の子息など、

様々な生い立ちの子供たちが席を並べていた。

その学校生活の様子は子供ならではの見栄や自慢があったり、

まだ見たことのない祖国への憧れだったりと、

私たちの学校生活と変わらない微笑ましいものだ。

 

そして時は流れソビエト崩壊後、それぞれの友だちに

数奇な運命を背負い込むことになる。

著者の構成の上手さもあって、何十年ぶりの友人との再会は、

映画の1シーンを見ているようである。

 

その中でユーゴスラビアの友人は、

民族紛争が勃発し、国に自由が訪れるどころか、

いつNATO軍の爆撃によって命を落としかねない

過酷な状況に置かれている。

 

「この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップひとつさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに悲しみが増えるだけだ、という思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家が皆殺しなってしまうかもしれないって」

その友人が悲痛な表情を浮かべ、今の心情を打ち明ける。

爆撃は数十キロ先の街で起こっていて、

今すぐにも爆弾の雨が降り注いでも不思議ではない状況。

 

このような状況に、

私ならばどんな言葉で友を勇気づけるのだろうかと考える。

戦争に巻き込まれなくても、

似たような状況が親しい人に起こらないとはかぎらない。

 

この本を読むと昔の友は何しているだろうかと、

無性に手紙を書きたくなる。

そんな気持ちにさせてくれる本です。

(店主YUZO)

 

11月 12, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月10日 (木)

C.ハリソン&k.リーデン著「モスクワの女たち」

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今回も本の紹介。

ソビエト時代、モスクワの女性に子育て、家事、仕事、結婚、

男女平等などについてインタビューした本。

20代~70代までの10人が、それらの問題について語っている。

 

本が刊行されたのは1980年。

ソビエト当局の監視の目をくぐって、

これだけの取材を行ったことは驚嘆に値する仕事内容である。

実際にこの本で登場する女性は、外国人に話す開放感からか、

実に溌剌と自身の生活について、価値観について答えている。

 

彼女たちが語る事柄に、共産主義体制の非効率性や

矛盾を見つけ出して、こんな国だから消滅すべくして消滅したのだ

と、論ずるのは容易い。

たとえば買い物をするにも長蛇の列に並ばなければならないとか、

証明書をひとつ取るのに役所を盥回しにされ何日もかかることに。

ただその視点では、この本が暗示している

根源的な問題点には行き着くことはできないだろう。

 

ソビエトの女性は共働きがほとんどで、

夫婦で稼ぐお金だけでは生活できず

親からの仕送りで何とか遣り繰りしている。

また幼い子供を預ける保育所も充実しておらず、

衛生面など決して良い環境とはいえない施設に

仕方なく面倒をみてもらっている。

もちろん住宅事情も悪く、狭いアパートに

何家族が暮らしていることも別に不思議なことではない。

そして男女平等といっても管理職は男性が中心。

 

彼女たちはそのような厳しい環境のなか、

仕事と家庭を両立させながら、自身の夢である

大学の研究者になりたいとか、考古学を専攻したいといった夢を

必死になって追い続けている。

 

と、ここまで読んだらお気づきかと思うが、

今の日本の状況とほとんど変わりがないのである。

国の体制が違えども、そこで暮らす人々は日々の生活に追われ

子育ての悩み、生活費、住居といった問題で、

どう遣り繰りしていこうかと頭を抱えているのは同じなのだ。

そして社会的には男女平等と謳っていても、

家庭内では、女性が仕事だけでなく、

同時に家事と子育ての重荷を背負わされてしまうのも同じ。

 

ちなみに当時のソビエトは少子化が問題になっている。

彼女たちも、子供はたくさん欲しいが今の収入では無理と

半ば諦めているのも、今の日本と似ているではないか。

 

国家や社会が、すべての国民の幸福を保証する、

もしくは国民は等しく幸福になる権利があると明言したところで、、

崇高な理念と達成までの持続的な実行力が伴わないと、

実現が不可能なのではとさえ思えてしまう。

 

ただこの本で語り口が、まったく異なるのが70才の女性の証言。

夫も兄も兵隊に取られただけでなく、

村は戦争の最前線となって破壊され財産をすべて失い、

靴ひとつ買ってあげられないような極貧生活のなか、

三人の子供を学校に行くまで育てたことを口重く語っていて、

一言一句がずっしりと胸に響き、先を読むのが辛かった。

 

戦争は最愛の人を失わせるだけに留まらず、

衣食住といった基本的な生活さえも破壊し尽くしてしまう。

そこには幸福になる権利という言葉さえ虚しく響く。

(店主YUZO)

 

11月 10, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月 8日 (火)

小林和男「1プードの塩」

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今日は本の紹介。

長年NHKでモスクワ支局長を務めた著者が、

ロシアで出会った人々の回想録である。

出会った人々といっても、ゴルバチョフ、ブブカ、ニクーリン、プリセツカヤ

とロシアに精通していなくても、その名は一度は聞いたことがある

著名人が紹介されている。

 

NHKの支局長だから名だたる著名人と交流が持てたのだろうと、

斜めにものを見てしまいがちだが、

そんな簡単に物事が進むわけがない。

お互いの家に友人として招き合う親密な関係になるには、

自身が誠実であるのは当然のこと、

豊富な話題を有している理知的な人柄でないと、

これら著名人と末永く交友するのは難しい。

 

私なんぞでは、著名人を前にしたら3分と経たずに話題が尽き、

ひたすら酒をあおって理性をなくすか、

日本の童謡でも歌って場を有耶無耶にするかがオチである。

 

支局長を務めた時期が84年から95年ということもあって、

ソビエト崩壊からロシア誕生の混迷期が話題の中心となり、

その激動の歴史のなかで運命を翻弄された人、

機運を掴んで登りつめた人などが登場する。

なぜか運命を翻弄された人は政治家や実業家が多く、

芸術家は生活が苦に瀕しても信念を曲げることはない。

古今東西、その気質は共通している。

 

その典型的な例として、以下のエピソードを。

世界的な指揮者でありチェリストでもあるロストロポーヴィチが、

反体制的な作家として迫害され、

便所の同然の掘っ立て小屋に住まざるえなかった

ソルジェニーツィンをかくまったことについての言葉。

「君も知ってのとおり、ソビエト時代には友人を裏切って当局に売り渡し、それによって給料や地位を上げてもらったり、家を割り当ててもらうことができた。高い給料、新しい家は最初のうちは満足かもしれない。しかし、いつかそんな自分の行為を問い返さなければならない時がやってくる。自分が売り渡した友人が亡くなった時、なぜあんなことをしたのかと、自分を許せない瞬間が必ずやってくる。良心に責められるのだ。良心に照らし合わせて、自分の行為は正しかったのだと思えるような生き方をしている人にとって、良心は見方であり、力を与えてくれるものなのだ」

 

この言葉に出会えただけでも、この本は価値がある。

(店主YUZO)

11月 8, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年10月20日 (木)

米原万理「旅行者の朝食」

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今日は仕入れの話ではなく本の紹介。

なぜこの本を紹介したかというと、

数年前にこのブログで「ウォッカの40度というアルコール度数は、

「ロシアで人間の血液濃度やアルコール吸収度などの研究を重ねた結果、身体に一番良いとされる度数なのです」

と力説していたニコライさんの話を書いたが、

それと同じ内容がこの本に書かれていたからである。

 

かなり長い引用になるが詳細は以下である。

 

十九世紀末にロシア政府はウォトカ製造・販売の、十五世紀から数えて四度目の独占化に踏み切る。その準備段階で、メンデレーエフ博士にウォトカ製造技術向上にの組成解明を依頼。当時の平均的なウォトカは水対アルコールの容積比が1:1で、これだとアルコール度数(=水・アルコール混合液中のアルコール比)が41~42度になる。水と混ざったアルコールが凝固するためだ。しかし混ぜる前の水対アルコールの重量比は、やはりこの凝固のために混合後の重量比に等しくならない。そのためメンデレーエフは小刻みに重量比を変えて試飲を繰り返し、1リットルのウォトカが953グラムのときに、度数が40度となり桁違いにおいしくなることを発見した。

 

ウォトカがウォトカあるべきために、

この涙ぐましい努力を重ねた結果、メンデレーエフ博士は、

ついに黄金律を発見。

ウォトカはロシアが原産であるということを

証明するために尽力した博士は、

高校で習った化学元素の周期律を発見した化学者でもある。

 

というわけでニコライさんは冗談で言っていたのではなく、

半ばロシア人の誇りとして言っていたのだ。

 

それを出来すぎたネタと酒の肴として、

笑い飛ばした御無礼をお許しいただきたい。

 

身体に良いお酒という目線でカフェやレストランに行くと、

ロシア人のウォトカの飲み方が千差万別で面白い。

 

ウォトカをぐいっと一杯あおった後に、

チェイサー代わりにビールを飲むおじさん。

一本のウォトカをすごい勢いで回し飲みする若者たち。

こちらも揃いも揃って、ぐいっとあおる。

公園で紙袋に隠しながら、人目を忍んでぐいぐいと飲む老人。

(知人にたかられるのを恐れているのだろうか?

もしくは奥様の目に怯えているのだろうか?)

 

とにかく老若男女のちがいこそあれ、

あれほど度数が強い酒を水のごとく飲んでいるのである。

 

ちなみにウォトカはグラム単位の量り売りが主なのもロシアならでは。

この「旅行者の朝食」というのは、

以前にロシアで売られていた缶詰の名前らしい。

どんな空腹感に襲われようとも、

口にすることを躊躇ってしまう不味さで、

ロシア人は「旅行者の朝食」というだけで、

小咄のオチが何十通りも出来てしまうほどの味。

誰もが思い浮かべて、苦笑いしてしまうぐらいの

不味い食べ物の代名詞となっている。

 

幸か不幸か、私はまだ「旅行者の朝食」を食したどころか、

お目にかかったことさえもない。

ただ少し気になる存在ではある。

(店主YUZO)

10月 20, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年10月 4日 (火)

開高健著「生物のとしての静物」

Photo 開高健には名随筆が多い。

戦争を語り、食べ物を語り、釣りを語り、人生の機微を語る。

 

この随筆では、万年筆、ライター、ジーンズ、

ナイフ、煙草、パイプといった

男の嗜好品について語り始めるや、話題はベトナムの戦場へ

アラスカの海へ、アマゾンの原生林へと話は飛び立ち、

大空を旋回し、留まることを知らない。

 

残念ながらマトリョーシカを語ることはなかったが、

もし語っていれば寒空のモスクワの露天商から、

シベリアの大自然までを豊穣な言葉で語っていたかもしれない。

 

ただ開高健が生きた時代は、ソビエト連邦だったせいか、

入国して旅をした内容の紀行文はないのも、

ひとりのファンとして寂しい気がする。

 

物を饒舌に語ることは、いかにしてその愛用品が

自分の手となり、身体の一部となりえたのかを

証明する行為である。

 

「この一本の夜々、モンブラン」での一文。

「飼いならし、書きならし、使いならしていくうちに好きとそうでないものが出てくるのであって、それにはやっぱり忍耐というのがどうしても求められる。忍耐してもいいという気になれるものとそうでない物があるんで、それは究極のところ、ブランドはありますまい。これは小さなことだけども、じつにむつかしいことでありますよ」

 

好きなったものに理由や説明はいりますまい。

恋愛と同様に。

 

今や私にとってマトリョーシカは、 

傍から見て稚拙な絵柄であっても、名も無き作家物であっても、

その作品や作家との出会いを含めての存在なので、

どれがお勧めかと訊かれても言葉に窮することがある。

 

そういうときは、

「第一印象ですよ。ビビッときたマトリョーシカが運命の出会いです」

とお答えしている。他意はない。

 

毎日見ていても飽くことがない。

それがその人にとっての究極のマトリョーシカだと思うからである。

 

(店主YUZO)

10月 4, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年10月 2日 (日)

開高健・CWニコル著「野生の叫び声」

Photo 先日、BSプレミアムで開港健の特集が、

2日間にわたって放映された。

 

何を隠そう。私は開高健が好きである。

釣りをする開高、語る開高、食べ尽くす開高を見ながら、

ひとり画面に向かって黄色い歓声を上げていた。

 

とくに2日目放映の、最晩年に背中の痛みに耐えながら

カナダで友人と釣りを楽しみ、最後の晩餐を愉しむ姿に、

自然と涙が頬をつたわってしまった。

 

年齢を重ねると涙腺やら足腰やらが弱るから困る。

 

開高健は自然を愛した人である。

 

若い頃に戦争の本質を知るために、

ベトナムへ従軍記者として旅立ち、

中年になってから釣りを始めると、

自然について本質を語りだした。

 

この対談本のなかでも

「迷いがないということになると、にわかに魚釣りがしたくなる。そうすると、鳥の声やらビーバーの姿が見えてくる。おそらく若いときは見えにくいと思います。若い人でもナチュラリストには見えるかもしれませんけれども、私に言わせると、三十五歳以後に森に入るともっとよく見えるでしょうね」

と語っている。

 

この気持ちよくわかるなぁ。

若い頃は都会の雑踏は一日中いても楽しめたのだが、

今は一時間としてもたず、心が音立てて折れてしまう。

それに合わせるように我が心は、

自然や森林を求め始めているし。

 

今日の一文は、

テレビでも紹介していた釣り師に関する中国のことわざ。

開高健も好んだ言葉のようで、たびたび引用している。

 

一時間、幸せになりたかったら酒を呑みなさい

三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい

八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい

永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい

 

もちろん私は、その境地まで達していない。

(店主YUZO)

 

 

 

10月 2, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年9月30日 (金)

白井裕子著「森林の崩壊」

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先日、紹介した「日本の美林」が、

森林の豊かさがどれだけの恵を人々に授けてくれるのか、

古代の人々の知恵はなぜ森を守ることができたのか、

を説いた本ならば、

こちらは戦後の国の森林政策がいかにして、

日本の森林および林業を崩壊させてきたのか、

を強い口調で書かれた本である。

 

林業に従事する現場の人々の声をきかず、

予算計上したからには年度内に使ってしまおうとする行政。

補助金をもらうためにあれこれと書類制作追われる自治体。

 

多額のお金が飛び交う一方で、

実際の森林は荒れ果て、林業を職とする人は減り続け、

輸入木材に頼り切っている現状。

 

日本の行政の矛盾がここでも起きている

森林の崩壊は机の上で起きているのではない。

現場で起きているのだ

と危険と隣り合わせで一生懸命に森を守る人々の声が、

聞こえてきそうである

 

就職難でワーキングプアが作り出される都市生活と

片や後継者や希望者が減って荒れ放題の山林に里山。

人々に金融経済という価値しか示さない

市場原理などを越えて両者を結びつける方法はないものか。

 

マトリョーシカ屋の店主でさえ頭を抱えてしまう問題である。

 

それでは好例の印象に残った一文。

「木は生物材料であり、それぞれに性質が違う。人も生物であり、みな違って当然である。木を使って人が建てる木造建築も同じである。そこにあまりにも均質なもの、同質なものをもとめるのは、おかしくないのだろうか」

(店主YUZO) 

9月 30, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年9月28日 (水)

井原俊一著「日本の美林」

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今日は森林についての一考。

先日の紀伊半島をおそった記録的な豪雨を見て、

これは天災ではなく人災なのではと、ふと思った。

 

山肌を滑って谷底へと流れていく杉の木立は、

何と細くて貧弱なのだろうと。

しっかりと根を張っておらず、土も岩もがっしりと掴んでおらず、

杭のように整列したまま奈落へ落ちていく。

 

紀伊半島は森の神が住まわれる聖地である。

 

その聖地には神木や何世紀にも渡って生き抜いた巨木が、

山々のいたる所に生えていると想像してしまうが、

あのような光景を目の当たりにすると、

神々は人間の業に飽きれて、もしくは疲れきって、

もう日本とはちがう自然豊かな日出ずる国に、

住まいを移してしまったのかと痛感しまう。

 

日本の森林が荒れ果てた原因は、

戦後まもなく国の森林政策であるといわれている。

復興住宅の需要を考えて、山のいたる所に杉を植えた。

そして杉が育成する時間を考えず、というより時間を惜しんだのか、

木材の輸入自由化をして、安い外材を大量に買い込んだ。

 

そして追い討ちをかけるように、林業従事者の減少である。

国土の70%の森林を有しているのに、

5万人前後の人で守っているのである。

哀呼。

 

この本は、日本の林業政策を批判、暴露しているものではない。

日本の森林の美しさを伝えるために、

全国24箇所を巡った紀行文である。

もちろん吉野の山々や紀州・ウメバガシ林の記述もある。

 

そして、これらの森林の美しさは原生林ではなく、

古代の人々の知恵と経験から代々受け継いできた

人の手が入った森林だということ。

 

50年先、100年先を見込んで森林を管理していたのである、

古代の人々は悠久の時間で物事を考えていたのだ。

森林を守ることは、山の恵だけでなく、

海の幸の恩恵を授かることにもつながっていく。

 

今や常識的に語られるこの事実も、

古代の人々は科学的にでなく、直感的に知っていたのである。

 

この本の結びの項の言葉。

「森づくりでは、時間を縮めることが進歩ではない。時間をかけてこそ、新たな価値が生まれていく。機械を使うとすれば、人手を助け、森の生命を育むためでなければならない」

 

時間を短縮的に、効率至上主義的に、もしくは切り売り的に使うことで、

経済発展という甘い汁を享受してきた

私たちの価値観を変える時期にきているのかも。

(店主YUZO)

 

9月 28, 2011 ブックレビュー | | コメント (2)

2011年9月26日 (月)

小我野明子著「おとぎの国 ロシアのかわいい本」

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今日レビューをするのは、

ソビエト時代の絵本を紹介したカタログ本。

 

第一印象は、よくもまあこれだけ集めましたと、

尊敬の念にも似た気持ち。

 

紹介されているほとんどの絵本が

16~24頁ぐらいの薄っぺらいもので、

印刷も紙も粗雑で、よくいえば素朴な装丁。

しかもつくられたのがソビエト時代。

たぶんソビエトの崩壊で版権がうやむやどころか、

版下も無いと思わせるものばかりである。

 

これらの絵本を集めるには、

まめに蚤の市や露天商、古本屋などを巡らないと

手に入らないときている。 

 

私も人に頼まれて探したことがあるのだが、

状態の良いものは少なくて、

子供の落書きがあったり、ページが破れていたりと、

絵本というより小学生のお絵描き帳のような散々な状態。

苦い気持ちで手にしては、元に戻していた。

 

ただこの時代のロシアの絵本は、

素朴な優しさに満ちていて、いったんツボにはまると

とことん蒐集したくなってくる。

私に頼んだ人もそのような想いだったのだろう。

たとえでいうならば、

「ひかりのくに」の月間絵本をすべて集めたくなる

気持ちにも似た感覚である。

 

だいたい最近のロシアの絵本は、

欧米的な眼が大きく可愛く描いた趣向になってきて、

絵が面白いものが少なくなってきているし、

あの少し暗めのタッチでしっかりとした画風は、

ロシア・東欧独特なもの。

この伝統は続けてほしいと願うのは私だけでないはず。

 

これだけ希少な絵本を、一冊にまとめた

この本はささやかだけど情熱にささえられた労作だと思う。

 

この絵本で勉強したら

ロシア語が話せるようになるかもしれない。

と、ふと誰もいない場所でそっと呟いてみた。

(店主YUZO)

9月 26, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年9月22日 (木)

石郷岡健著「ロシア最前線」

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ロシアは広い国である。

そして意外に忘れているのは、他民族国家だということ。

 

モスクワに行くと実感するのだが、

スラブ系の白人だけしかいないと思っていたのが大間違いで、

私たちと同じ極東アジア系の顔がいれば、

中央アジア系の茶褐色で顔の彫りが深い人、

中東系の髯が似合う顔も大勢いる。

さすがにアフリカン系は見たことはないけども。

 

アメリカは人種の坩堝と言われるけど、

なかなかロシアもいろいろな人種が集まっているのだ。

だいたい、あれだけ大きな国で、ひとつの民族だけが、

住んでいるわけがない。

それでは狭い日本に住む私たちに不公平である。

 

また「ロシアは美人が多いでしょ?」訊かれるけれども、

「美人の割合は日本と一緒だよ」と

と答えるようにしている。

 

美人の定義や解釈は

個人の好みと美意識によるのことが大きいし、

断言してしまうのは、平和への道につながらないからね。

 

この本はソビエト崩壊後、あまり論じられることがない

コサックやタタール、クリミヤ地方、ロシア正教分離派教徒の生活を

ルポルタージュしたものである。

 

私に限らず日本人のコサック観といえば、

足腰が強靭でないと出来ないスクワットにも似た舞踊だし、

ロシア正教もイコン画を大切にしているぐらいの知識程度。

 

この本で記されている

スラブ系民族に対する諸民族の感情は、

とうてい理解できるようなものでない。

それはソビエトが支配した70年程度の歴史より、

さらに遡り脈々と続くから私こどきが理解できるはずもなく、

支配する側と支配された側の溝の深さだけが、

ずっしりと言葉としてくる。

 

この本で興味深かったのは、

ロシア正教分離派教徒の生活態度について。

日々の糧に神への感謝の気持ちを忘れない、

ラジオやテレビなどの退廃した文化は受け入れない、

質素で凛とした生活は、

物が溢れかえった日本では想像さえしにくい生き方。

 

しかし成熟した資本主義になった国に住んでいる身として、

つねに浪費と消費をし続けないと景気が悪いと、

騒ぎ立ててしまう狂乱した生活と比較すると、

どういう生活が人間らしい生き方なのかと、一考してしまう。

 

ふむふむ。 

哲学的な問題になってしまうね。 

まあ無理やりに結論付けると、

先日レビューした「ロシア・アンダーグラウンド」より面白い本です。

 

(店主YUZO)

 

9月 22, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年9月20日 (火)

M・ブレジンスキー著「ロシア・アンダグラウンド」

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昔から古本屋と中古レコード屋を巡るのは好きである。

古い物だけが醸し出す空気と、時代に取り残されたような雰囲気が

体質に合うのか、中学生ぐらいから、

古本屋という看板があると躊躇することなく、

店の扉を開けてしまうのである。

 

最近は職業柄か背表紙にロシアという文字があると、

ついつい購入してしまう傾向にある。

 

ソビエト崩壊後、ロシアを論じた本は無数に出ていて、

渾身のルポルタージュから眉唾的ないかがわしいもの、

政治論やら軍事論といったサラリーマンのおじさんが好みそうなもの

そして伝統工芸やデザインといった私的にはストライクなもの、

とにかくソビエト時代は語られることが少なかっただけに、

ここ20年はロシアを語るのがトレンディなのかもしれない。

 

さてこの本の内容だけれども、

資本主義経済が怒涛のごとく流入し、濁流となり、

ロシア国民を渦に巻き込み、価値観の転換を迫られた時代、

その一方で金のなる木を嗅ぎつけて、

短期間に巨万の富を築く人々をルポルタージュしたもの。

 

市場経済だの、投資だの、株式だの、為替相場だの、

金の切れ目が縁の切れ目だの、

ほとんどの国民が理解できないなか

頭の良い人たちは、国営企業をいち早く私有化していって

欧米やヨーロッパから資金調達して巨大企業化させたらしい。

 

・・・らしいと書いたのは、本の内容が眉唾かということでなく、

自分にはこのたぐいは興味の無い話だからで、

金儲けをたくらむ人たちは、市場予測が早く、

行動が早いのだろうと、その決断力に感心するばかり。

自分に少しでもその才があればねぇと唖然とした面持ち。

 

この本でアルバート通りをこう記している。

「プラーガはモスクワでは有名なレストランで、アルバート通りの一番端にある。丸石が敷き詰められたその歩行者専用の大通りは、かつてプーシキンが住む優雅な青色の豪邸があったが、今は職人たちが、笑みを浮かべたエリツィンやクリントンのマトリョーシカ(入れ子人形)を売り歩いている」

 

ここ10年、アルバート通りは変わっていない。

(この本の出版は2001年)

 

その事実を知るために、400頁もあるこの本を、

かすれ眼を擦りながら、

読んでいたのかもしれないというのが読後感。

(装丁はロシアン・ア゛ヴァンギャルドな表紙で良いセンスだと思う)

 

(店主YUZO)

9月 20, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)