可愛いはつくれる!?
以前、化粧品のCMで「可愛いはつくれる!」という
コピーを聞いて愕然としたことがあった。
同じようにテレビを見たまま凍りついた男性諸氏も多かったと思う。
可愛いの定義は、先天的および遺伝的なものに内包していて、
フィットネスやジム、美容エステに通っても、
その努力は肉体的なものを追及した別次元、
可愛いは持って生まれついた者だけに、そう簡単には
手に入れることはできないはずと信じていたからだ。
それが化粧ひとつで、文字どおり可愛く変身してしまうのである。
もしくは化けてしまうのである。
可愛いが一部の人だけの特権であったものが、
あのCMで一般に解放された歴史的瞬間だったのだ。
まさに可愛いの革命。
以後、可愛いという言葉は特別な意味を持たなくなり、
ゲームのキャラクター、携帯電話の着信音、先の丸い靴にまで、
可愛いが使われるようになったと結論づけるのは言い過ぎか。
さて何故、可愛いについて考えたのかというと、
今マトリョーシカ制作の真っ只中。
可愛いマトリョーシカは何ぞやという疑問が沸いたからである。
だいたい初めてマトリョーシカを見る人は、
十中八九、見るやいなや「可愛い!」を連発する。
それが作家もの、工場ものでも、絵が稚拙、芸術的でも、
そんなことはまったく気にしている様子はない。
つまりマトリョーシカ=可愛いという回路に繋がっているのだ。
可愛くつくることを意図していない作品にまで、
可愛いの一言で片付けてしまうのだから、
それではつくる側としては少し淋しい。
そこで逆転の発想で、自分なりの定義する可愛いは何かと
試行錯誤してつくったのが上の写真である。
一般的に可愛いと呼ばれるものは単純化されている。
キティーちゃん然り、ミッフィー然り、チェブラーシカ然り。
単純なものほど、目や口の位置、大きさや角度で
全然印象が変わってしまう。
ほんの1mm違うだで大人の顔になってしまうのである。
究極の可愛いは、単純化されたもの。
今回は名だたるキャラクターのデザインの深さに眩暈を感じた次第。
そのうち化粧品のCMで「可愛いはシンプル!」という
コピーが発せられるかもしれない。
(店主YUZO)



















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