2018年11月14日 (水)

第48回 紙の上を旅をする




高野秀行『怪魚ウモッカ格闘記』(集英社文庫)

今回も旅行記である。
前回、仕事のストレスがたまると、ついつい旅行記に手が伸びてしまうと書いたが、その心境において一番安らぎを与えてくれるのは、高野秀行の諸作になるだろう。
辺境ライターと名乗るだけあって、アマゾンやアフリカの奥地にUMA(未確認不思議生物)を探しに行ったり、アヘン栽培地に潜入したり、内戦が絶えないソマリアとその隣のソマリランドを行き来したりと、その行動力と発想は常軌を逸していて、むしろ清々しい。
この本もインドに棲息するというUMAウモッカを捕獲に悪戦苦闘する旅行記となる。


結論からすれば、ウモッカは捕獲できなかった。
もっとも、もしウモッカを捕獲していたら、世紀の大発見となって、マスコミを賑わしていただろうから、そんなニュースがなかった以上、本を読む前から「水戸黄門」のラストのように、お約束事としてわかっている。
それでも、はやる気持ちでページをめくってしまうのは、捕獲のための情報収集と計画遂行に対する並々ならぬ情熱が、ついこちらの指先まで熱くさせるのだろう。




著者は過去の旅もそうだが、自ら現地の言葉を取得することを信条としているゆえ、今回もオリヤー語を勉強するために奔走し、さらに最初にウモッカを目撃した人物に会い、当時の話を聞くどころか、ウモッカの最大の特徴であるトゲを持ったウロコの模型を製作してもらうのである。
ウモッカの目撃者が芸大出身の放浪者だったのも、偶然とはいえ、ヒキの強さを感じずにはいられない。
そしてウモッカを捕獲した際の運搬やマスコミへの通達など様々な業務を考慮して、長年の友人であるキタ氏に同行を依頼する。
用意周到という言葉がぴったりとくる準備ぶりである。


それでも読者としては、ウモッカが捕獲できなかったことはわかっている。
しかし、ここまで準備万端であっても、予期せぬ災難が待ち受けているのが、辺境の旅たる所以。何が起こるのかと背筋を立てて期待してしまう。
他人の不幸は蜜の味。
そう考えてしまうのが、旅行記好きの読者なのである。




その期待は、こちらの想像を遥かに凌駕していて、こんな顛末が本当に起こったのかと、小さな眼を大きく瞠いてしまった。
この徒労感に比べたら、札幌の時計台を見学した落胆の方が、数倍お気楽である。
しかしこの300ページにも及ぶ顛末記を飽くことなく、一気に読破させる筆力はすごい。
何が起こったのか気になる方は、一度この本を手に取られてはいかが。

(店主YUZOO)

11月 14, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月12日 (月)

第47回 紙の上を旅をする




下川裕治『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)

仕事に追われる日々が続くと、旅行記を読むことが多くなる。
それはひとときでも現実逃避したいという願望の表れかもしれない。
とくに困難極まる破天荒な旅に惹かれる傾向がある。
その視点から見れば、この本の題名は、世界最悪のというタブロイド紙のような見出しはいただけないが、ユーラシア横断2万キロという言葉は、充分に魅力的である。


巻頭の地図を見ると、ロシアの極東からポルトガルの最西端の駅まで、すべて鉄道で走破しようという大胆な旅程。
しかもシベリア鉄道は使わずに、中国大陸、中央アジアを駆け抜け、トルコからバルカン半島、イタリア、スペインと巡り、ポルトガルに到達する。
この鉄道旅行が過酷で、幾多のトラブルに巻き込まれたのだろうと容易に想像できる。


飛行機の旅とはちがい鉄道の場合は、通過する国ごとに出入国審査を受けなければならず、そこには難癖をつけて賄賂を要求する職員がいたり、線路の規格ちがいで台車交換があって、思いがけず時間が浪費されたりと、時刻表とおりにコトは運ばない。
それ以外にも政情不安を抱えた国があり、鉄道自体が運行されない場合もある。




旅行は成田からサハリンのユジノサハリンスクまでのフライトから始まる。
そこからフェリーで極東の町ワニノに向かう。
著者が調べたところによると、ユーラシアの最東端の駅はワニノではなく、隣のソヴィエツカヤ・カヴァ二が緯度では該当駅と判明し、そこまで戻ってからの念の入れよう。
そこからの列車はゆっくりと時間をかけてウラジオストクに向かう。
平均時速34キロ。
都電荒川線並みの速度ではなかろうか。


そして中国国境へ。
入国審査の横柄な態度、切符を買うのに列をつくらない国民性、人で溢れかえった駅の構内。
そういうものに辟易としながらも、中国が世界に誇る新幹線「動車組」には、割り込み防止バーが備え付けられていることに、妙な関心を覚えたりする。


さらに中国以上に驚愕するのは中央アジアの国々。
職員の怠惰な仕事ぶりと時間感覚、ソビエトの構成国だった頃からの態度に、開いた口が塞がらない。
挙げ句の果てには、コーカサス地方に入った途端、一つ前の列車が爆破テロに遭い、そのおかげで足止めされ挙句、ロシアのアストラハンに戻され、列車運行の報せを待つうちにビザが切れるという最悪な状況へと追い込まれていく。
この苦い思い出が、つい世界最悪のと名付けてしまった要因だと想像に難くない。




様々な困難や問題が雷雨のごとく降り注いだ末、トルコへと抜けることができたのだが、そこはヨーロッパ。
嵐が去ったかのように災難は去り、誰もが憧れる「世界の車窓から」的な世界が訪れる。
著者も緊張から解放された虚脱感からか、筆先も急に淡白になっている。
鉄道による世界旅行が20世紀の遺産になりつつある現在、心身を削ぐような旅を成し遂げたことに、驚嘆の念を抱くし、アジア諸国には、先進国の概念では計れない魅力を知ることができたのが、大きな収穫。
紙の上でしか旅ができない者には、嬉しいことこの上ない。

世界はまだまだ広い。
未知なるものに溢れている。


※写真は日本の鉄道です。

(店主YUZOO)

11月 12, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 5日 (月)

第46回 紙の上を旅をする




高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫)

「青年老い易く学なり難し」と昔の人はよく言ったものである。
この歳になると、本を読んでは眼がショボつくし、何を記憶するにも翌朝にはケロリと忘れ、頭の中には一握の砂ほども残っていない。
そのくせ、若い頃の失態は憶えていて、ふとしたことで思い出すと、顔を赤くしたり、青くしたりと信号機のようになっている。
困ったものである。


先日、古本屋の店先にこの本が並んでいて、思わず手に取った。
実を言うと、この本の著者は私が大学の時に講義を受けていた先生、その人なのである。
児童文学についての講義だったと記憶しているが、何せ先輩から講義に出席しなくても、レポートさえ書けば単位が取れると吹聴されて受けたので、ほとんど内容については憶えていない。
高杉先生の経歴も研究テーマについても知る由もなく、たまに気が向いたら受講する、言わば幽霊のような存在。
それなのにレポート数枚で、卒業時の数少ない「優」のひとつをくださった、ありがたい先生なのである。

せめてもの罪滅ぼしと思い、いそいそと表紙を裏にしてレジに、この本を持っていった。
その時の私は断首台に向かうように頭を垂れ、エロ本を買うがごとく顔を赤くしている。
学生時代の自堕落な生活、将来の夢など抱かず酒三昧の日々、儚き初恋、根拠のない自尊心などが走馬灯のごとく巡ったからである。
アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい。




高杉先生は、戦前は改造社という、リベラルな出版社で編集部員として働き、またエスペラント語運動に共感していた、国際感覚を兼ね備えた人だった。
しかし戦争末期になると、そんな自由思想は弾圧され改造社は解散し、さらに徴兵されるや終戦を迎えシベリアに送られる。
想像を絶する過酷な重労働を強いられ、終戦から4年を経て、ようやく日本に帰国することができた。


この本はその抑留生活を綴ったものである。
旧日本兵60万人のうち6万人が、ロシアの地で死を迎えたというシベリア抑留で、どのように生き延びたのか、ソビエトという国はいかなる国家体制なのかを、思想に偏向しない眼と冷静な判断で見つめている。
そして非人道的なるものを強く批判する。
それはモスクワからの命令で重労働と抑留延長を強いるソビエト側に対しても、敗戦を迎えても変わらず権力然としている旧日本軍将校に対しても、その眼は揺らぐことはない。
その思いはあとがきに端的に著されている。

〈私は、四ヵ年の抑留生活のなかで、いい意味にせよわるい意味にせよ、忘れがたく心に残ったソヴィエトの人々の人間性を描くことによって、この国についてひとつの真実を伝えたいと思った。ここで私が努力したのは、できるだけ正直に書くことと、すべてのものが政治的な時代であるにしても、望むらくは、せまい党派的なものにかたづけてしまうことができないものの意味をできるだけあきらかにすること、であった〉




学生時代にいずれロシアに関係する仕事に就くとわかっていたら、もっとロシアについての質問を投げかけていただろうと、本当に悔やまれる。
人生は未来が見えないから面白いというが、私の場合は進むにつれて、恥が多い人生だったと思わずにいられない。

(店主YUZOO)

11月 5, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月22日 (月)

第45回 紙の上を旅をする




ロシア・フォークロアの会なろうど『ロシアの歳時記』(東洋書店新社)


ロシアに関する書籍はプーチン大統領の動向と政治分析、軍事力、それに北方領土と、どうもキナ臭いものが多い。
私としては仕事の関係上、ロシアの文化、風習、芸術、伝統行事、食物といった一般庶民の生活を伝えるものを欲しているのだが、なかなか書棚に並ぶことはない。
とくにユーラシア・ブックレットを刊行し、ロシア語の入門書など、すれっ枯らしオヤジにも分かり易い本を出版していた東洋書店が、2016年に倒産したのは、かなり痛かった。


今後、ロシアをテーマにした書籍は、プーチン大統領と北方領土ばかりになってしまうのならば、さらに両国の友好は遠のくばかりになるだろうと、枕を涙で濡らして嘆いたほどである。



しかし、どういう経緯か計りかねるが、東洋書店新社という屋号で、ロシアとユーラシアに関する書籍を刊行する出版社が再び現れたことは、素直に嬉しい。
東洋書店新社のホームページには、わざわざ東洋書店とは別会社ですと断り書きを掲載しているだけに、何かしら関係があるだろうと邪推したくなるものの、それは野暮天というもの。
不惑の年をむかえた者は、軽率な発言や友達への忖度にうつつを抜かしてはいけない。
「背後」ぐらいは読めなくてはいけない。




さてこの本、『ロシアの歳時記』という題名だけに、ロシアの古くからの風習、農作業、民族衣装、祭事、民間信仰などを、エッセイ風に書かれているので読みやすく、当時の生活を伺い知ることができる。
中世から20世紀初頭の帝政ロシアまでの庶民の生活は、ロシア革命によって激変したかというと、そう単純なものでなく、表向きは変えつつも根幹は変えていないことも興味深い。

それは政治体制の変革にともなった生活の変化よりも、ロシアの厳しい自然の中で生きる農民は、春の何時頃に種子を撒き、夏の陽射しで今年の収穫量を予測し、そして秋に刈り取りをするという不変的な営みがあるから、暦の上での祭事を無視することはできなかったのだろう。
これらの祭事が頭の片隅に入っているだけで、ロシア文学や民話を読む際に、さらなる豊穣なイメージを喚起させてくれるはず。

またマトリョーシカに描かれているパンやご馳走は、どの祭事で振舞われるものなのか知ることになり、さらに愛でたい気持ちになること請け合いである。
他にもプラトークに描かれた花がいつ頃咲くのか、林檎、苺、きのこ、ナナカマドの実が、いつ頃収穫されるのだろと思いを馳せてはどうだろう。




昔、学校で習った世界史では、帝政期のロシアは農奴制で、ヨーロッパよりも100年近く遅れていたと記述されることが多い。
しかし厳しい自然環境のなかで、自然の猛威を神の怒りや悪霊の仕業と畏れながらも、豊かな文化を根付かせて、地域社会を形成したことに、ある種の感慨を覚えるはずだ。
ロシア文化を知る上で、外せない一冊。


(店主ЮУЗОО)

10月 22, 2018 ブックレビュー, ロシア語, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 9日 (火)

第48回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『ザ・コブラ・セッションズ1956-1958』(コブラ/P-vine)

オーティス・ラッシュが亡くなった。
ここ数年は糖尿病を患って体調が優れないと言われていたから、とうとうこの日が来たかと腹は決めていたものの、訃報を耳にしてしまうと、どうにもやるせない。
颱風が接近しているのを理由にして、夕方早々から弔い酒を片手に呑んでいる。
もちろんオーティス・ラッシュが遺した一連の作品を肴にして。


オーティス・ラッシュの代表作といえば、ブルースの情念が熱いマグマとなって噴き出した、コブラ・レコード時代ということに異論の余地はないだろう。
デビューして間もない22才の若者が、ここまでブルース魂を搾り出してことに驚愕し、天賦の才能が成せる表現力という以外、何ものでもない。


しかしデビューで強烈な一撃を与えてしまったことは、不幸でもあった。
以後の録音については、覇気がないだの、気紛れだの、厳しい評価がつきまとって、正統な評価が得られなくなってしまった。
だがこの不運もオーティス・ラッシュが背負いこんだブルースと言えなくもない。


今回、順を追って聴いていくと、コブラ以降は録音機会に恵まれず、言わば飼い殺し状態。
移籍したチェス・レコードの「So many roads so many trains 」は渋めのスロー・ブルースでオーティス・ラッシュらしさが出ているものの、次に移籍したデューク・レコードの「Homework 」はR&B調の当時の流行を取れ入れたスタイル。
出来栄えは悪くないが、どちらもヒットとは縁遠かった。


音楽シーンがブルースからロックンロール、R&Bへと移り変わる時代に、レコード会社がオーティス・ラッシュの性根の座ったブルースを上手くプロデュースできなかったことが、この不運に繋がっている気がする。
オーティス・ラッシュ自身も器用な人でない。
音楽シーンに合わせて、自身のスタイルを変化させるなんて無理な相談である。


しかし近年、オーティス・ラッシュの未発表音源が発表されるなか、傑作ライブ盤『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』を聴くと、約束事の多いスタジオ録音よりも、瞬時にブルース魂を昇華できるライヴのほうが、性に合っていたのだろうと思う。
バック・バンドに恵まれて、自身も気分に乗っているときは、桁違いのパーフォマンスを見せつけてくれる。


1995年に日比谷野音でオーティス・ラッシュの雄姿を観た時もそうだった。
夕暮れ時の周囲のビル郡が紅く染まるなか、マーシャル社のアンプに直接シールドを突っ込み、バック・バンドの倍以上の音量でギターを響かせ、振り絞るように歌う姿に、完全にノックアウトされ、不覚にも涙が出てしまった。
ひとつ、ひとつのギターの音が、唸るような歌声が、オーティス・ラッシュが背負いこんだブルースであり、人生が凝縮されていたからだ。
ブルースはその人の生き様、そのものが音楽だと思った。


年が過ぎ行くにつれ、好きなミュージシャンが天に召されていく。
安らかに。

(店主YUZOO)

10月 9, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月26日 (水)

第44回 紙の上を旅をする




色川武大『喰いたい放題』(光文社文庫)

異色のグルメ本である。
大方の食べ物に関する書籍は、名も知れぬ名店や創業時の味を頑固までに貫いている老舗店、あとは食に関するウンチク、たとえば烏賊は呼子に限るとか、英虞湾の牡蠣を食さなければ真の食通とは言えないとか、とにかく読者の口内を唾で満たすことを主眼においたものばかりである。
そのため絶品料理を芸術作品や宝石箱などという洒落た表現を使って、文字で舌先を疼かせるわけである。
文字で腹を満たさなければならないから、ありきたりの比喩ばかりでは、読者が胃もたれを起こしてしまう。
一筋縄ではいかない分野である。


この本は、読者に名店や絶品グルメを紹介するために書かれていないゆえに、異色なのである。
色川武大はアウトロー、無頼としてその名を知られた作家。
晩年はナルコレプシーに悩まされ、心臓疾患や高血圧など満身創痍の状態。
医者からは食事制限をきつく言われ、このまま野放しにしておくと着実に死が訪れると恫喝されている、出口なしの状況なのである。
その半病人が頭でわかっていても、身体は食べ物を眼の当たりにすると、つい欲望が優ってしまう。


《年齢相応、体調相応に、淡白なものばかり喰べているせいだろうか。ここのところは、主治医のセンセイ方には、ぜひご内聞にねがいたいのだが、どうも全体に、喰い物に対する意志がたるんできて、守るべき筋を守っていないきらいがある》と反省の弁を述べたものの、その数行後に《油でぎらぎらしたものが喰いたい》と政治家の公約のように前言を翻し、胃袋の欲求に導かれるように、あれやこれや食してしまう。
さらになかなか改善しない体重を医師から咎められるのだが、相談しているのは主治医ではなく、主治医の友人である神経科医というのだから恐れ入る。


なぜ主治医のもとに行かないかという理由が《もうすくなくとも十キロほど痩せ、不摂生を排し、血圧を下げるなどして、心身ともにクリーンにしてから主治医の前に現れたい。今のままではあまりに見苦しい》というのだから恐れを通り越して、苦い笑いを浮かべてしまう。


この本は健康診断の結果を見るたびに、落第点を取ってしまった子供のごとく首を垂れる我らが世代が、とくに共感できる内容である。
若かりし頃のように溌剌した身体に戻すために、ジョギングや水泳で汗を流し、果ては高価なサイクリング車を買ったりするものの、足腰を痛めて1ヶ月と続かない。
3日も保てば上出来であるという貴兄も共感できる。
医食同源というものの、食と酒に対しては節度をわきまえないのが、成人病と背中合わせに生きている世代なのである。


美味しいものは脂肪と糖でできているという言葉は、真を射ている。
よく言ったものだ。たしかに。

(店主YUZOO)

9月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月30日 (木)

第47回 耳に良く効く処方箋




O.V.ライト『ライブ・イン・ジャパン』(ハイ)

魂の歌唱と謳われたサザンソウル・ファンのなかでは人気の高いライブ盤である。
その理由としては実際にコンサート会場に足を運んだ人が、O.V.ライトの鬼気迫る歌に神々しさを感じ、伝説として伝わっているからだろうか。
来日を果たした翌年に帰らぬ人になっている。

O.V.ライトが来日したのは1979年。
残念ながら、私はO.V.ライトの歌う勇姿を眼の当たりにしていない。
何せ、当時はニキビや恋に悩む蒼き高校生である。
サザンソウルの濃厚な塩辛い歌に心を奪われるような年頃ではないし、60年代ブリティッシュ・ビートやパンクにどっぷりと浸った耳しか持ち合わせていない。
だからO.V.ライトの来日するファンの熱気は知る由もないのだが、別の見方をすればこのアルバムにパッケージされた放射するエネルギーが原体験。
邪推することなく純粋な気持ちで、向き合うことができるのが、冷静な判断につながる。
体験に勝るものはないけれども、未体験だけに想像力が武器となる。

結論から言ってしまおう。
このアルバムは死期を悟ったO.V.ライトが、特別な感情に突き動かされ、聴衆に何か伝え残したいという意志を貫いた、他とは比較しがたい名盤である。
いわゆる凡庸なライブにありがちな、薄っぺらなメッセージを伝えたいという感情ではない。伝え遺したいという強靱な魂で貫抜かれている。
渾身の力を振り絞って歌う姿に、魂を揺さぶられるのは当然のこと、O.V.ライトの遺言といっても過言ではないアルバム。


ゴスペル・シンガーとしてキャリアが始まった人である。
「ソウルは教会音楽だ」と断言するような信仰に篤い人である。

白眉は代表曲をメドレーで歌う6曲目。
「God blessed our love 」から「You’re gonna make me cry 」と滔々と歌っていく姿をこの日、目の当たりにした観客は神の恩恵とO.V.ライトが説く愛の尊さに、目頭が熱くなったにちがいない。
このアルバムの一番の聴きどころである。
このメドレーを聴けるだけでも、購入する価値は十二分にある。

惜しむべきは、CDの時代にあってLP時代のストレートな再発ではなく、この伝説のコンサートの全貌をパッケージした完全ライブを望みたい。
体調不良ゆえに声が出来れていない曲があってもいい。
それでもO.V.ライトの歌に対する真摯な姿勢に、涙を流さずにはいられないだろう。

しかしそれは酒の湧く泉を見つけるのと同様、塩辛いオヤジの叶わぬ夢なのだろうか。
もしそんな盤が発売されたら、日本のオヤジの3%ぐらいは元氣になると思うのだが。

(店主YUZOO)

8月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月28日 (火)

第46回 耳に良く効く処方箋




アレサ・フランクリン『レア&アンリリースド・レコーディングス』(アトランティック)

アレサ・フランクリンが天に召された。
あまりにも偉大な存在ゆえに、音楽を愛する者の喪失感は計り知れない。
ここ数日はアレサが残した遺産に静かに耳を傾ける日々が続いている。
そんな喪に服している人も多いのではあるまいか。私もその一人。

しかし不思議なもので、力強く聴く者を包み込むような歌声は、気分が落ち込んでいればいるほど、憂鬱に苛まれている私を励ましてくれているようで、逆に勇気づけられている気分になる。
「悲しみに打ちひしがれてないで、顔を上げて前を向きなさい」と諭されているようである。

アレサの長い音楽生活のなかで充実期といえば、コロンビアからアトランティックに移籍して数々の名演名曲を発表した60年代。
ソウルの女王という称号を授かった時期という見解は、誰もが一致することだろう。
公民権運動の機運が高まり、ブラック・イズ・ビューティフルが声高に主張していた頃、時代の寵児として颯爽と登場した印象が強い。
(残念ながらアレサの登場時期は、まだ私は虫捕り網を振り回して蝉を取っていた厚顔の美少年。原体験ではなく、追体験になってしまうのだが)

あなたは考えた方がいいわ
あなたが私に何ができるかということを
考えた方がいいわ
あなたの心が解き放たれて自由になることを「Think 」

女だって人間よ
そのことあなたは理解すべきだわ
単なる慰めものじゃない
あなたと同じように新鮮な血が通っているのよ
「Do right woman -Do right man 」

他人が書いた曲であろうと、アレサ流に解釈して、普遍的なメッセージ・ソングへと昇華させてしまう才能。
ゴスペルに幼い頃から慣れ親しんだアレサは、社会の不正義や差別する人間の不誠実に対して、この才能をたずさえて、それらに戦いを挑んだのだろう。
しかしそこには神を信じる者だけが救われるといった偏狭なものではない。
その伸びのある歌声は、抑圧された人々に勇気を与え、自由で新しい世界を、人間が人間らしく生きる世界を、創り上げようという意志に変える力があった。

この説得力のある歌唱と時代の機運をとらえた歌詞が、当時の人種差別に苛まれた黒人に、エネルギーと意識を高めたのかは、想像に難くない。
とくに黒人女性にとっては自分たちの気持ちを代弁してくれる、輝かしい女性として映っていたのではないだろうか。

さてこのアルバムは、アレサが神がかっていた頃の未発表曲とレア音源を2枚にまとめたもの。
2008年に発表されてソウル・ファンの間では、かなり話題になったアルバム。

今回、アレサの死を機に聴いてみようと思う人には不向きだが、全盛期のアレサがどれだけ才能を解き放っていたのかを知るには絶好の1枚。
未発表曲、つまり採用されなかった曲ばかりを収められているのに、凡人で到達できないようなクォリティで、既発表曲と何ら遜色はない。
ソウルの女王と呼ばれた理由が、否応なくわかるアルバム。
ひと通り聴いたら、ぜひ耳にしてもらいたい一枚です。

(店主YUZOO)

8月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月28日 (土)

365日ぶりのご無沙汰でした!




1年ぶりに阪急うめだ本店に登場である。
残念ながら最近は心身ともに劣化がひどくなったせいか、昨年のように搬入から搬出まで全日参加という体力もなく、この企画展半ばにしての出場である。
いよいよ真打ち登場とか、抑えの切り札の出番とか、そんな大それたことではない。
単にポンコツに成り下がっただけである。

だいたい近年は物忘れがひどい。
何事も面倒くさい。
すぐに結果を求める。
典型的なオヤジ体質が進行しているので、木の香のスタッフが私の身を案じてか、もしくは煙たがっているのが理由で、シーズン半ばに参加と相成ったのである。
とかくオヤジ体質は敬遠されがちである。




こう書くと我が身のことを暗喩しているのではと、気もそぞろになる貴兄尊父もいるかと思うが、それは宿命として諦めるより他ない。
だいたい説教じみた言葉が増えた時点で、人生の第三コーナーを回っているのだ。
老兵は去るのみ。
右眼で若者を諭し、左眼で微笑まなければ、誰も貴兄の言葉に耳を傾けることはない。
悲しいことに、これは宿命である。
もしくは生老病死にも通づる生命の真理である。
尊父はどう思うか。




しかし愚痴を言っても始まらない。
今回の展示スペースは前回をはるかに超えて広大である。
喩えるならば、アメリカ大陸からロシアに変わったぐらい広い。
現時点で、日本国内で最も多くのマトリョーシカが観られるのは、阪急うめだ本店である。
マトリョーシカ愛好家の聖地である。
その為、すべてのマトリョーシカはモスクワに向けられている(嘘)

こんな機会は滅多にあるものではない。
ぜひ聖地に足を運んでくださればと願う次第である。
お待ちしています。

(店主ЮУЗОО )

7月 28, 2018 展示会情報, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月25日 (月)

帰国の愉しみ




10日ほどの買付を終えて帰国の途に着く際、愉しみにしていることがひとつある。
日本の地を踏んだら、まず寿司をつまんで舌鼓を打ち、日本酒の繊細な芳香と味わいに身も心も委ねたいとか、鄙びた温泉宿で何も語らず、何も思考せず、ぼんやりと過ごしたいとか、他愛のない妄想に耽ることではない。
フライト時間は10時間近くあるゆえ、そのような妄想に費やしたとしても、時間はサッカーの試合3回分ぐらいは残る。


それに寿司を想像したところで、回転するレーンの上を黙々と通り過ぎる鉄火巻や紙のように薄い鮪の赤身ぐらいしか浮かばず、薄っぺらい財布では名店の暖簾をくぐれないのが現実。
妄想によって己れの甲斐性の無さを思い知らされことになり、陰鬱に首を垂れるだけになってしまう。
そんな思いをするのならば、機内食を口に放り込んで早々に寝てしまうのが、精神衛生上一番の得策とも言える。


飛行機はドモジェドボ空港を17時45分に飛び立ち、翌日の朝8時頃には日本に到着する。
日付をまたぐことになる。
この夜を飛び越えることが、帰国の愉しみの重要ポイントなのである。
5月の北半球は夏至が近いので、強い陽射しのなか飛行機は飛び立ち、1時間もすると眼下にはロシアの大平原が広がり、やがてはシベリアの鬱蒼とした太古の原野へと変わる。
見渡すかぎり深く豊饒とした緑一色で、人間の生活空間はどこにも感じられない。
蛇行する大きな河があり、湿地か湖沼か区別がつかない水溜りが点在するだけである。


その頃にはあれほど栄華を極めていた太陽は心なしか衰えを見せ、柔らかな光をシベリアの森林に注ぐ壮年期に入っている。
さらに機内食が配膳される時間になると、太陽は好々爺の表情となり、もはや力強い陽射しの面影は微塵もない。
そして機内食が終わると室内灯は消され、弱々しくなった陽の光が唯一の光源となる。




私は座席に備えられた小さなモニターで映画を観るのは好まないから、窓の外へと視線を移す。
この時間帯が帰国の愉しみとなる。
相変わらず、人間の手垢で染まっていない果てることのないシベリアの原野があり、陽を受けた河川は鈍色に輝いている。
東の空は暮れ始め、濃紺の空に星々が煌めきはじめる。
あれほど若さに満ち溢れていた太陽は、白、黄、橙、赤、紅、茜と変化して、今では肉眼でじっくりと眺められるほどだ。
すっかり老いてしまった太陽は、西方の果ての終の住処へと家路を急ぐ。
落陽する周辺の雲は、黄金色に燃えて美しい。
それも、ほんの一瞬。
地平線を辿るように細いひと筋の光が流れると、そのあと空と大地のけじめがつかない暗闇が訪れる。
星が瞬く。
シベリアは漆黒の原野となり、静かな眠りにつく。




まるで人の一生を垣間見ているかのようである。
太陽の生老病死があり、それに伴って太陽と共にあったものが静寂に包まれていく。
森羅万象。
この自然が織りなす悠々かつ深遠なる美を眼に焼き付けたいがために、ロシアに買付に行っていると思うほど、感情が滔々して昂ぶり、深い息を飲まされる。

この美しい自然の芸術を愉しむことができるのは、左側の座席のみ。
ヨーロッパ方面から帰国される方は、多少窮屈な思いをしても、左側の窓側席を確保することをお勧めする。
涙を流すのも良し、何かを悟るのも良し。
旅の終わりを締めるには、これ以上の美は他にない。

(店主YUZOO )

6月 25, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 1日 (金)

買付人の食生活




いよいよ帰国の日が来た。
ある方面からは、ロシアではマトリョーシカや工芸品を愛でて、夕餉はロシア料理に舌鼓を打っていると思われている節があるが、それは根も葉もない風説。
実際は、毎日財布の中身と相談しながら切り詰めた生活を送っている。
移動手段は地下鉄、バス、路面電車といった公共交通を利用し、そこから現地まで徒歩で行く。
自慢ではないが、ロシアに来てから一切タクシーを利用したことはない。


買付人は悲しいことに、贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは、という旧日本軍の思想が未だに根付いている職業である。
ここで贅沢しなければ、あと2つマトリョーシカが買えると考えてしまう哀しき性根の持ち主なのである。
一度でもいいからキエフ風カツレツやビーフストロガノフを心の底から堪能し、グルジア・ワインに酔い痴れたいのだが、これは叶わぬ儚い夢である。




ではどのようなところで食を満たしているかというと、ロシアのファーストフード、「クローシュカ・カルトーシュカ」か「テレモーク」の安セットを頼むことにしている。
「クローシュカ・カルトーシュカ」はロシアの主食であるジャガイモをオーブンで焼いたものが定番の店で、「テレモーク」はボルシチやブリヌイなどロシア家庭料理をメニューにした店。
これを食してロシア料理を語るのは間違いで、回転寿司を食べた後に江戸前寿司を論ずるようなもの、あくまでもファーストフードの域を超えない味である。
ただ一食につき500円程度住むのは、財布には嬉しい。


また仕事終わりの一杯にしても、スーパーで買ってきたハムやチーズを肴とする慎ましい宴。
鮮度の良い刺身や焼トン串があればと思う時もあるが、それは空想上のメニューとして頭のなかで食し、缶ビールをグラスに傾け、良しとしている。
ロシアのビールは様々な銘柄があり、また隣国チェコやドイツ産のものも幅を利かせているが、今回は浮気をせず「バルチカ」と「トリー・メドベーチ(三匹の熊)」の二枚看板のみで、1日の締めとした。




「バルチカ」も「トリー・メドベーチ」も日本のビールと変わらないドライで少し苦味のある味で、ドイツビールのようにずっしりとした重みはない。
飽きのこない、締めに相応しい味である。

ただ最期の晩ぐらいは、少し違う銘柄を試そうと、ペットボトルに入った自家製ビールなるものを買ってきた。
どの家で作られたのかは計りかねるが、スモーク臭が強い、スコッチウィスキーをホッピーで割ったような一癖ある味。
ハムを肴にすると良い塩梅だが、日本から持参した柿の種だとスモーク臭が勝って、ビールの気軽さがない。




やはり浮気がいけなかったのか。
味覚を刺激するような主張の強いビールは、気の強い女性と同様に、私には合わないという結論に至った次第。
こうして買付最後の貧しい晩餐は幕を閉じた。

(店主ЮУЗОО )

6月 1, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月28日 (月)

アルファホテル・インフェルノ




グジェリからホテルに戻ったら、買付史上、最大の災難が起きたのである。
その日はアントン君にグジェリ駅まで送ってもらい、近郊電車に乗って意気揚々と常宿であるイズマエロボのホテルが林立する地へと帰った。
イズマエロボのホテル群は、1980年のモスクワ・オリンピックの選手村だった場所で、オリンピック閉幕後、ホテルへと生まれ変わった。


買付人としては近くにはベルニサージュという市場があるし、中心部へも地下鉄で乗り換えなく行ける。
また最近は外環状線が全通したおかげで、モスクワ郊外に行くにも便利になった。
エアコンが付いていない部屋が殆どなので、観光客には向いていないかもしれないが、買付人にとっては絶好の立地条件なのである。




それはさて置き、大量のグジェリが入ったバッグを両手に、左にヨタヨタ右にトボトボと歩き、ようやくアルファ・ホテルへと辿り着いた。
このアルファ・ホテルはイズマエロボ・ホテル群では、一番施設が充実していると、仲間内からは噂されている由緒正しきホテルである。

部屋に辿り着いて万歩計を見ると、15,000歩を超えている。
その事実からも、両手に10キロ以上の陶器を持って歩いた行程の過酷さが、お分かりいただけるだろう。
買付は目が利く審美眼を持つこと以上に体力勝負なところがある。




椅子に座って小休止。
買付した戦利品を眺めてニヤニヤと微笑んで、お茶を飲んでいると、突然激しくドアを叩く音がする。
ドアを開けると部屋清掃のおばちゃんが、鬼の形相で仁王立ちし、私に対して抗議をするがごとく強い口調で捲したてる。
「あなた!部屋が違うわよ!出て行きなさい!」と咎める風でもなく、
「休んでなんかいないで、陽が暮れるまで働きなさい!そんな法律が日本で成立したでしょ!」と弾劾しているわけでもない。


こういう時はロシア語が話せないのは、実に困る。
ただ「早く、一階に降りなさい!」という意味だけは理解できたので、着の身着のまま、廊下に出てエレベーターに乗ろうとすると、非常階段で降りなさいと理不尽な指示をする。
11階から歩いて降りなさいとは、砂糖がかかった秋刀魚の塩焼きを食べさせられるような災難だと思いつつ、おばちゃんの勢いに急かされて一階フロアに降りると、何やら物々しい様子。
ただ事ではない。


消防士がホースを持って入ってくるわ、辺り一面が白い煙で充満しているわ、ヘリコプターが旋回しているわ、消防車が何台も停まっているわの大騒動。
そこで初めて何が起きているのか理解したのである。
「火事やんか!」



その後、多数の宿泊客とともに駐車場から様子を眺め、どのような顛末になるのか、買付たモノが焼けたら嫌だなとか、もう少し着込んでくればよかったなとか、携帯電話を忘れたなとか、取り留めのないことを考えて、収まるのを待った。
幸いにも火の手が上がるような地獄絵にはならず、怪我人も出ず、ただのボヤ騒ぎで済んだ。
後になって知ったのだが、エレベーターの一機が出火元のようである。




ただし無事に消火されても、現場検証を行ったり、換気をして煙を排出したり、水浸しになったフロアの清掃があったりして、すべてが終わるまで部屋に戻ることを許されず、ようやく部屋に戻れたのは夜中の11時半。
もちろんエレベーターは使用不可で、降りたときと同様に非常階段で、11階までひたすら部屋を目指して登ったのである。
やれやれ。


(店主ЮУЗОО )

5月 28, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月27日 (日)

グジェリの名も無き逸品




今回の買付はマトリョーシカ以上に陶器に主眼を置いている。
しかもインペリアルポーセレン=ロモノーソフというような高級陶器ではなく、グジェリ、リュドーボといった、誰でも手に取って愉しむことができる一般的なもの。
日本でいえば瀬戸物に類する庶民派の陶器である。


庶民が日常的に使っているモノにこそ藝術性が秘められていると提議したのは柳宗悦だったか、此の国ロシアでも革命時に「民衆のなかへ!」をスローガンにロマノフ王朝を倒した歴史があるだけに、生命力が漲るモノは庶民性のなかに宿っているはずである。
煌びやかな高級品に目を眩まされて、高いモノは良いモノだという単純思考に陥ることなく、鋭い眼光で庶民的なモノからキラリと輝く名品を見つけ出すことこそが、真の買付人の仕事ではなかろうか。




なんて、そんな深い洞察をもとに買付している気持ちは爪先ほどもなく、結果としては高級品よりも庶民的なモノが、性に合っているからである。
元来、四畳半と六畳二間の文化住宅で育った人間である。
高尚なモノの良し悪しを見極める審美眼など持ち合わせていない。
グジェリのユーモラスな動物の置物が、私の眼には良く馴染む。

さてグジェリに直接買付となると、車が無いとかなり不便を要して、近郊電車でグジェリ駅で降りたとしても、野原のど真ん中に置き去りにされたようで、前にも横にも進めない。
今回はコブロフさんの息子のアントン君が手伝ってくれた。
アントン君に最初に出会ったときは、まだ中学生。
それが大学を卒業して父親の仕事を手伝いながらも、新しいビジネスを模索しているのだから、時が経つのは早いものである。
しかもアントン君がヘビィーメタルに陶酔していたときにプレゼントしたメタリカのTシャツを、今も大切に来ているのが嬉しい。




買付に来たのはグジェリ工場の直営店。
グジェリには11ほどの窯元が点在しているが、このお店ではそのほとんどの製品が置いてあるので、1日かけて工場を巡るよりは時間の節約ができ、さらに価格もリーズナブル。
しかもグジェリの名工が制作した逸品も取り揃えているので、至れり尽くせり、ビールの付け出しに落花生が添えられているような塩梅である。


ただ名工の逸品と名も無き職人が制作したものが、同じような熊の置物であっても、価格差が5倍も違うのには、思わず眼を瞠ってしまう。
一緒に並べたら画力に雲泥の差があるのは一目瞭然なのだが、単品として置かれたら、名も無き作品でも堂々とした風格を感じてしまうのは、私の眼が節穴だからなのか。


とりあえず名工と名も無き職人の作品関係なく、眼に止まったものを、次々と買付していたら、その数は優に100個を超え、アントン君も店のおばさんも、半ば呆れ顔で見ている。
審美眼を持ち合わせていないと、買付量が増える傾向にあると痛感した次第。
まだまだ人生の途上である。

(店主ЮУЗОО )

5月 27, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月23日 (水)

ボゴロツコエ・フェスティバル




今回の買付のメインとなるのがボゴロツコエ・フェスティバル。
買付人としては、以前にセミョーノフ、ゴロジェッツと工芸が盛んな町で同様のフェスティバルに足を運んだとき、大きな成果を上げただけに、否応にも期待が高まる。
ボゴロツコエについて多少説明すると、大きな熊の彫り物や柱の彫刻など、木彫に関することならばわが町にお任せください、という職人気質が今も息づいている町。
私のレベルでは、等身大の熊を発注して輸送するノウハウも売り先もないので、紐のついた玉を回すと板のうえに乗ったニワトリが順番に餌を啄ばむ、クローチカという素朴なおもちゃを主に買い付けているが、本当は木彫が知られた町なのである。

その地で開催されるフェスティバルとなれば、クローチカを主に製造している工場以外にも、新たな工場や工房が見つかるかもしれない。
セミョーノフやゴロジェッツのフェスティバルでは、200近くの出店が軒を連ね、いくつかの逸品、珍品、希少品を掘り出した確固たる実績もある。
新たな出逢いの物語が、この町で始まるはず。
その期待が初恋をした若き頃のように心臓の鼓動を高めている。




当日は小雨が降っているものの、傘を差すほどではない。
ようやく運にも恵まれてきたようだ。
フェスティバル会場に入ると、簡易ステージが眼に飛び込んでくる。
風船で装飾された学園祭並みのステージだが、その質素な佇まいこそ、未だ見ぬ工芸作家が片隅で出店を暗示しているようで、思わず細い眼をさらに細める。


インターネット全盛の時代に自ら宣伝するわけでもなく、ひっそりとフェスティバルのために、作品をつくっているバブーシュカ(お婆ちゃん)が、机いっぱいにマトリョーシカや木のおもちゃを並べている姿を想像してしまう。
バブーシュカは、木彫も得意で子熊や仔猫の愛くるしい作品も並べている。


プラトークからのぞく風貌は、この世の不幸をすべて見てきたという苦渋に満ちているが、一旦話を始めると止まらなくなるバブーシュカ。
日本人と話したのは生まれて初めてだよと顔をくしゃくしゃにして笑うバブーシュカ。
計算が苦手なバブーシュカ。
私の頭のなかでは、初めてロシア買付をした10年前に巡り逢ったナジェンダ・ニコライバさんの再来を、勝手に想像している。


こうなると、ボゴロツコエは大いなる叙事詩である。
ステージの裏手には広場があり、その外れでバブーシュカは私との出逢いを待ち侘びているはず。
ボゴロツコエで生まれた隠れた名品が、日本に紹介されるときは、今そこまで来ている。




だが、しかし、詰まるところは、叙事詩は遥か彼方へと流れていった。
ステージ裏には10数軒の出店のみ。
東西南北、前後左右、何も無い。
空を見上げても青い鳥は飛んでいない。
もちろん苦虫を潰した表情のバブーシュカもいなかった。

結局、いつも買付をしているクローチカ工場で、気分転換に大人買いをした次第。
フェスティバルのせいか、いつもロシア的な対応の社員も殊の外対応が良く、何人もの社員が出てきてひとつずつビニール袋に入れていたのは、その非効率的な大らかさに口元が緩んだ。

結論。
ボゴロツコエ・フェスティバルは、町内会の餅つき大会と同じである。
以上。

(店主ЮУЗОО )

5月 23, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月22日 (火)

雨のロシア蚤の市





ロシアに着いてから雨降り続きで、毎日空を眺めては溜め息ばかりついている。
買付の天敵は雨降りなのは周知の事実だが、とくに蚤の市が出る土日が雨なのだから、こちらの無念を察していただけるだろう。
雨となると、絵本、絵葉書、ポスターといった所謂紙モノも呼んでいる出店者が暖簾を掲げることがないので、それらを好物としている私としては、濡れた靴下を履き続ける以上に淋しい。


たとえ出店していたとしても、天候を気にせず店を出すような無頓着な出店者だから、当然のごとく商品管理もゴミ屋敷のような煩雑ぶりで、表紙が無くなっていようと、絵葉書が水を吸って色変わりしていようと、気にも留めない。
形ある限り、商品は商品であるという哲学を貫き通している。
ロシア蚤の市ならではの美学である。




そこで今回は紙モノは諦め、陶器党へと鞍替えして再出馬することにする。
ロシアの陶器は日本の焼き物と違って、釉薬のかかり具合や箱書きの真偽、その器自身の佇まいや歴史など、あらゆる角度から精査して価値を判断するという熟練した鋭い眼力は必要ではない。
絵柄やデザインを見て気にいるか否かが重要であって、骨董屋のように斜めにモノを見ることもない。
ロモノーソフ、リュドーボ、グジェリといった産地を頭の片隅に入れているだけで充分。
気楽な稼業ときたもんである。


私のなかの買付ポイントは、絵柄がロシア的であるか、置物ならばちょっとしたユーモアを感じるか、カップ&ソーサーならば両方ともしっかりと揃っているかぐらいで、審眼に深みも苦みもない。
私レベルの買付ならば、その日から誰でもできる。
カップ&ソーサーが揃っているかと書いたのは、サイズや絵柄を確かめないと、実は異なっているのにセットとして堂々と売られていることがあるからだ。
つまり出店者が強引に結婚を強いて、庶民派のリュドーボと貴族出身のロモノーソフが、セット組として何食わぬ顔で販売されていることがある。
ただ鑑定士の眼を持っていないと判断できないという巧妙な手口ではなく、カップ&ソーサーをそれぞれ裏返して工場のマークを確かめれば済むことである。




同じ手口はマトリョーシカでも行われるが、セルギエフパッサードのなかからセミョーノフが出てくれば、さすがに素人でもわかる。
しかしマトリョーシカで良くある巧妙な手口として、わざと陽に晒したり、雨に打たれたりして、アンティークに見せかけて値段をふっかけてくる場合がある。
その場合は、ある程度の知識がないと出店者に軍配が上がってしまうので、自信がなければマトリョーシカを選択肢から外すことを勧める。


そんなことを考えながら、お客様が眼を細めて可愛いと囁いてしまうような逸品を求めて、雨のなかを彼方へ此方へと彷徨い歩いている。
何を手に入れたのかは7月までお愉しみに。

(店主ЮУЗОО)

5月 22, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月21日 (月)

ロシアに里帰りします!






いよいよロシア買付の旅が始まる。
もう10年以上も彼の国を訪れていると、特別な感慨もなく、一旗揚げようという妙な力みもなく、未だ見ぬロシアの逸品を見つけ出すと意気込みもなく、里帰りの気持ちに近い。
実際に、年を追うごとに、各家庭に招かれたり、パーティに呼ばれたりすることが多くなり、家族構成や好みも知っているので、それぞれに合った御土産を持参することにしている。
家族ぐるみの付き合いと言っても過言ではない。
ロシア語どころか英語でさえ満足に話せなくても、このような関係になるのだから、人と人との出会いは不思議である。
年月が成せる技だろうか。




また10年前と大きく変わったのはインターネットの日進月歩の発展。
地球の裏側に住む人たちと気軽に知り合えるようになり、相手のことを簡単に知ることになった。
気軽に連絡を取れるようになったのも、大きな要因だろう。
時差を感じることさえなく、コミュニケーションが取れるのだから、世界が年々縮んでいくような気分である。

もはや私にとっては、今やロシア買付も東北出張も同じ感覚。
さらに翻訳サイトが出現したことが、言葉が不自由な私には、バース、掛布、岡田が連ねていた1985年のタイガースのごとき安心感につながっている。




「来週、マトリョーシカを買いに行くから、適当なものを見繕ってくれよ」
「あいよ!合点だぁ。1年ぶりだからその後酒でも呑もうや」
「今回、日本酒と焼酎の良いやつを買っていくぜ」
「たまらんなぁ。日本酒にありつけるなんて天国や」

こんな会話も翻訳サイトのおかげで、長屋の八つぁんと熊さんのごとく、粋なやり取りが出来てしまうのである。
この状況を、やがて世界全体がひとつの価値観で覆い尽くされ、その国や地方の文化や伝統が廃れていく端緒が、このインターネットの発展に潜んでいると危惧する社会学者がいるが、私のような凡人は雲の上の論争。
深く考察しようにも洞察力も、未来を想像できる千里眼も持ち合わせていない。


コミュニケーションは、例え文法や語彙が間違えようとも、まずは自分の言葉で話し、まったく寄る辺ない状況ならば、翻訳サイトを使ってでも何かしら相手に伝えようと必死になった方が、沈黙しているよりは、何倍も平和裡に物事が運ぶものである。
買付の場面では、沈黙は金ではない。
それに長い人生で自身が培った第六感をフルに発揮すれば、自ずと路は拓かれる。
あとは良いマトリョーシカに会えるかは、星の巡り合わせにかかっている。


というわけで、ロシア買付の旅、いや里帰りに行って参ります!

(店主ЮУЗОО)


5月 21, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月10日 (木)

第45回 紙の上をめぐる旅




岡本太郎『青春ピカソ』(新潮文庫)

最近どういうわけが気分が沈殿し、休日は予定を入れず家に篭りきり、外出する気にさえなれない。
四月は花粉症ゆえ、あえて外出を控えていたのだが、それが板についてしまったようである。
日頃の痛飲、鯨飲、暴飲に愚痴を言わず辛抱強く最後まで付き合ってくれる肝臓を休めるには好い機会と思いつつも、黄金週間のほとんどを家で過ごしているというのは、さすがに不健全である。


今、巷で囁かれている男の更年期とは思いたくない。
単に出不精の性格が、この年齢になって再び顔を出したのだと思いたい。
子供の頃は、昆虫図鑑や鉄道の時刻表を眺めては、ぼんやりと夢想したり、徐ろに絵を描いたりして、夕飯まで過ごしていることが多かった。
旅するのは好きだが、突き詰めれば私の性根は、筋金入りのインドア派なのである。
そんな部屋に篭りきりの私に呆れ顔の家族を尻目に、読書三昧の日々を過ごしている。


本日は岡本太郎『青春ピカソ』を読んだ。
出版されたのが昭和28年だから、岡本太郎が42歳の時の作品になる。
青白いエネルギーで満ち溢れていた青春の日々とピカソの永遠に流転する創作活動を重ね合わせて、このような甘酸っぱい題名にしたのだろう。
それは若き日、ピカソが既成概念を破壊する凄まじい光を放つ作品群を観た瞬間、血肉が熱く沸騰し、産毛が逆立ち息もできない程の衝撃を食らいつつも、同時にピカソが創作した新しい芸術に対し、今度はこの芸術を破壊し新たな芸術を創造するのが、自分の使命だと感じた野心も表している。


《いうまでもなく芸術は創造である。とすれば過去の権威を破砕することによって飛躍的に弁証法的に発展すべにものである。芸術家は対決によって新しい創造の場をつかみとるのだ。もっとも強力な対決者を神棚に祀り上げてしまったのでは、この創造的契機は失われる》


私は美術史や美術様式については門外漢なので、低い声でボソボソと呟くしかないが、この自身の創作に対する所信表明は、諸手を上げて共感する。
権威ある芸術の模倣だけで終わってはならないは、画家にかぎらず、詩人、小説家、音楽家、舞踏家も同じである。
その芸術表現に激しく魂を揺さぶられ、畏敬の念を表しながらも、自身が手にした絵筆は、それを超越する表現を模索しなければならない。
この創作態度は、終始一貫していて、岡本太郎が残した他の著書でも、繰り返し述べられている。
たぶんその頑なな創作姿勢に魅かれて、没頭してしまうのだろう。


最後に何年ぶりかのピカソとの邂逅についての随筆が載っている。
世界的な名声を得た大芸術家と旧交を温めつつ、日本文化や今日の芸術について、若い頃のように議論を戦わすことなく、世間話風に寛いでいる姿に、つい眼を細めてしまう。
ピカソと親友でいる日本人が存在したのが誇らしいというような下世話なことではない。
同時代に旧態然とした価値観を破壊して、新しい芸術を創造しようと挑戦し続けた、規格外の芸術家が日本にもいたことが嬉しく思うからである。
ピカソとの邂逅は、戦争の世紀だった20世紀に、芸術家として共に戦った戦友との思い出話と言えなくもない。

(店主YUZOO)

5月 10, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月 8日 (火)

ハイボール!ハイボール!




どうも私の舌は高貴な酒には順応していないようである。
居酒屋に行っても、まず眼に飛び込んでくるのは、ホッピーやハイボールといった品書きであり、幻の銘酒や限定入荷の類、ボジョレーヌーヴォー入荷しましたという売り文句は、我が網膜には映らない。


小洒落たショットバーで、スコッチが透明な氷に反射して琥珀色にきらめくのを愉しみながら、舌先で堪能するというような芸当は持ち合わせていないのである。
居酒屋の馬鹿明るい蛍光灯のしたで、まずはビールにしようか、いやプリン体が気になるから最初からハイボールでいくよなどと、戯れ言を呟きながら、最初の酒を決めかねているのが性に合っている。
先頭バッターに銘酒やワインが告げられることは、まずない。
ビールかハイボールのどちらが、今宵の切り込み隊長に適しているか、ちまちまと悩むのである。
お気楽な監督には違いないのだが。




さて長年先頭バッターとして君臨していたビールの座を脅かす存在となったハイボールであるが、どうにも腑に落ちない点がある。
酒造メーカーの積極的な宣伝活動も功を制して、居酒屋の壁には色香が漂う女優が「今宵はハイボールにしましょ」と潤んだ目で見つめるポスターがあり、品書きには何種類ものハイボール・メニューが連ねていて、今や空前のブームと化している。
本来ハイボールというのは安ウィスキーをソーダで割っただけの酒なのに、ジンジャー、レモン、トニックなどの味付けがなされたもの、普通ならばロックで味わう高級ウイスキーを使ったものまで、堂々と名を連ねているのが、一介の酒呑みとしては許し難いのである。


安ウィスキーとはいえ、他の味を加えられるのは、本人としても浮かばれないだろう。
自分は誰かの手助けがなければ、呑兵衛の安直な舌先さえも満足させられない未熟者に成り下がったみたいで、もしくは甲種焼酎と同等の扱いをされたことに一抹の悲哀を感じているにちがいない。
甲種焼酎は一時期、イチゴ、キウイ、パイン、ピーチなど様々な果汁で割ったもの、ピンク、ブルー、バイオレットといった色彩豊かなものまで登場して、居酒屋メニューの看板スターとなった。
しかし一世風靡したのも今や昔。
あの毒々しい色彩の酎ハイを注文する輩は皆無である。


安ウィスキーは同じ末路を辿るのではないかと不安なのである。
その逆に高級ウイスキーは、安物と同じ待遇に、そのプライドが許さない。
ソーダで割ることで、蒸留時に染みついたスモークな匂い、樽の香りといった自慢の芳香を掻き消され、しかも酒造メーカーの名前が印刷された安直なカップに注がれ、製氷機の四角い濁った氷に浸かるのが、憤懣やるせないのである。
ガラス玉のように透き通った丸い氷と共に、切り子細工の鮮やかなグラスに注がれ、琥珀色の身体とスモークな深い味わいを愉しんでもらうのが本望であると。


そのような観点からハイボールの品数が乱発されるのが嫌なのである。
私の望むハイボールは、少し濃いめでソーダは強くてパンチの効いたもの、氷はひとつのみというのが好い。
この単純明快なハイボールは、時間が経過しても、薄くならずキリッと立っていて、酔いが進んでも適度に鈍った舌を刺激してくれる。
単純な味覚こそ美味い。真理である。

(店主YUZOO)

5月 8, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月 7日 (月)

酒席の話題について




人は何故酒を呑むのかと問われたら、それは一日の憂さやストレスの発散だと長年思っていたが、近頃はそんな単純な理由だけではない気がしている。
気のおけない友と結論もオチもない与太話をけじめなく話し、安酒をあおりながら豚串を肴に呑んでいると、わずか三千円程度の宴が、とても愛おしい時間に思えてくる。
何の生産性も発展もない。

目の前にあるのは、竹筒に並んだ串の数とホッピーの空瓶だけである。
話題も三週間も逃げ回った脱走犯が捕まったこととか、体脂肪や血圧といった健康にまつわるもの、あとは昔のテレビ番組といった他愛のないものばかりである。

話題に政治、宗教、プロ野球は御法度。
春風が通り抜ける見晴らしの良い丘で呑んでいたような清々しい気分が、一転して激論、討論、諍論の修羅場と化し、相手が言葉を逸し黙り込むまで延々と議論を浴びせることになる。
先ほどまでの銘酒を前にして目尻を下げていた酒席が、急運風を告げて、血で血を洗う内戦に変わってしまうのだ。

その時の言葉遣いといったら、酒という発火装置が体内を巡っているだけに、素面の時に聞いたら耐えられないものばかりである。
それも普段ならば、無口で紳士然とした名士だったり、いつも笑顔を絶やさない好々爺だったりするから、その豹変ぶりに、ただでさえ小さな私の眼が見開いて白黒してしまう。
酒の力は使い所を間違えると恐ろしい。




しかし政治、宗教の話題が酒席では控えた方がよいのは理解できるが、プロ野球は解せない尊父貴兄もおられるかと思う。
御贔屓のチームが同じ者同士であっても、盛り上がるかといえば、そう単純なものではない。

喩えば優勝争いをしている終盤戦、天下分け目の大一番で惜敗した試合を思い浮かべればわかる。
敗因の分析を酒瓶が転がるテーブルの上に乗せ、エースだからといって長いイニングを任せた監督が悪い、いや、ここ一番で三振した四番の責任だ、いやいや、あの疑惑の判定で流れが変わったから審判がボンクラだと、それぞれが一流解説者になった口ぶりで自論を展開していく。
最初のうちは他人の意見にも頷きつつ耳を傾けるが、酒量が増えるうちに、聡明だった耳は早々に閉店し、代わりに翌日にならないと反省しない口が、相手を論破すべく言葉尻を捉えては、あんたのようなファンしかいないから大事な試合を落とすんだと、極論で抑えつけようとする暴挙に出る。

もはや戦線布告である。
帰納法も演繹法も、もちろん弁証法もあったものではない。
唯存在しているのは、アルコールの霧の彼方に見える相手を黙らせてやろうという一途な感情だけである。

酒は舌を滑らかにさせるが、感情のタガを外すことになるのも、肝に銘じた方がよい。
酒を呑むときは、他愛のない話題をするのが、お互いの平和のためである。

(店主YUZOO)

5月 7, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月 3日 (木)

第44回 紙の上をめぐる旅




長谷川恭男『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)


現在、日本は改憲派と護憲派と別れて論戦を繰り広げているが、というか改憲派が多数派の論理で、ゴリ押しして憲法改正まで漕ぎ着けようとしている感がある。
私を含めて、ほとんどの国民が憲法が改正されたら、どう生活が変わるのか、未来はどうなっていくのか、青写真を描くことができないまま、社会は揺れ動いているにちがいない。


それは戦後70年以上の間、憲法について活発な議論がなされていない事実と、何よりも国民に憲法とはどういう理念で成立しているか、国家においてどのような位置づけにあるのかを、きっちりとその定理を説明してこなかったし、教育もなされなかったことに一因がある。
法律と憲法は同じ位置にあり、いつでも時代に応じて変えられると、考える人も多いのではないか。


そこで今、熱い議論がなされている憲法について、どのような経緯をもって立憲主義が生み出されたのか、憲法にうたわれる理念とは何なのかを、今一度、アルコールで軟弱になった頭を使って考えてみようと思った次第。
何も知識がないままに、この今後の国の体制をうらなう問題をジャッジするよりは、何かしら腑に落ちた結論を持った上で決めないと、未来に生きる世代に迷惑がかかる。


この本では、近代社会が立憲主義に至るまでの経緯を、ルソー「社会契約論」、ホッブスやゴーティエなどをテキストに、何故に基本的人権や生存権といった概念が論議され、個人の自由を保障するようになったのかを解説する。
そのなかで興味深いのは、大多数が希求することが、決して万人の幸福を導くことに当たらないとして、民主主義的な多数決の論理を、全面的に肯定していないということ。


そこには宗教や人種などが混在している国家において、少数民族や少数の宗派が弾圧されることになりかねないという考えに基づいている。
また権力者によって、特定の団体や結社を優遇し、多数がその方向になびいた場合、社会的な価値観まで脅かすことになりかねず、個人の自由を侵害する恐れことになりうる。
つまり憲法とは、時代の潮流や権力に容易く流されなれないようにつくられた防波堤である。


著者は立憲主義についてこう書いている。


《この世の中には、社会全体としての統一した答えを多数決で出すべき問題と、そうでない問題があるというわけである。その境界を線引きし、民主主義がそれを踏み越えないように境界線を警備するのが、立憲主義の眼目である。》


この立憲主義の考えに至ったのは、何も第二次世界大戦が終わってから、その犠牲を教訓にして人類が得た叡智ではない。
フランス革命後に市民社会が出現し、そのなかで試行錯誤を繰り返しながら辿り着いた叡智なのである。


ひとりの愚鈍な権力者が、議会のルールを無視し、多数の論理で押し切って、変えられるような安直なものではない。
徹底して議論を重ねた上で、憲法改正について国民に信を問わなければ、この国の民意の成熟度を疑われるし、立憲主義に辿り着いた歴史が、リセットしかねない。

(店主TUZOO)

5月 3, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月 2日 (水)

第43回 紙の上をめぐる旅




高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)


高橋源一郎の本を読むのは『ペンギン村に陽は落ちて』という、どう解釈して良いのか判断できかねる小説以来2冊目。
よって、熱心な読者ではないし、思い入れ過ぎによる偏向した読み方もできない。
結論から言うと、民主主義とは何だろうと、市井の人々の目線で考えられる、なかなかの良書である。


民主主義は人類が到達した高度な思想だとは、考えていない。完成されたものではなく、色々な不備や欠陥がある発展途上の思想だと思っている。
個人の自由、平等、権利に重きを置きながらも、その解釈は地域、文化、歴史、風習、強いては男女間によっても異なるだろうし、多種多様な価値観があるなかで、国家としては一番最適な決定を選択しなければならない。


発展途上である以上、常に緊張感をもって、為政者は国民の大多数が納得する、より良い方向へと駒を進めていくべきもの。


学生時代に受けた講義で、憲法学者の古関彰一教授が「民主主義とは何事決まるのに、一番手続きが面倒な国家体制です」と言ったのを未だに覚えている。
スズメの涙ほどの思考力しかないボンヤリした私でも、この言葉は常に心の隅にあって、社会人になった今でも、会社や地域で決め事がある度に、パブロフの犬のように条件反射として反芻してしまう。
それほどまでに私にとって強烈な一撃だった。


それならば、一個人として何をしなければならないのか。
それは周囲やマスコミに流されない自分自身の意見を持つことであり、反面、対峙する意見にもしっかりと耳を傾ける寛容さが、必要なのだと、この呑んだくれオヤジは考える。


いみじくもサルトルがアンガジェという言葉で、社会へのコミットを促したように、偶然にもこの国に生まれてしまった以上、積極的な社会参加や異議申し立てを自身の意見として持つことが、この国が堕落していかない唯一の手段であると思う。
ちなみに今宵は、それほど酒はすすんでいない。


この本の題名のような『ぼくらの民主主義なんだぜ』という国家を、権利を、個人を身近な問題として捉える意識が、この国に生きる者として必要だと信じている。
国家なんて、国民が自ら口を閉ざしてしまえば、いくらでも為政者の好きな方向に突き進んでしまうのだ。


「民主主義とは何事決まるのに、一番手続きが面倒な国家体制です」という言葉を信条としている者として、その思いは揺るがない。

(店主YUZOO)

5月 2, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月23日 (月)

第45回 耳に良く効く処方箋




エリス・レジーナ『エリス・エスペシャル』(フィリップス)

エリス・レジーナが瞬く間に、国民的歌手に昇りつめた1968年に発表されたアルバム。
次作が永遠の名盤『イン・ロンドン』だけに、その前哨戦ともいうべき1枚。


興味深いのは、次作でも歌われたエドゥ・ロボ「Corrida de jangada 」と「Upa neguinho 」の2曲を取り上げていること。
生涯、エリスを代表する曲だけに、聴き比べてみるのも面白い。
アレンジやテンポに大きな違いはないのだが、エリスの歌い方に大きな変化がある。
本アルバムではメロディを重視した元歌に近いのに対し、次作ではリズムに乗って弾けんばかりに歌い上げる。
わずか1年あまりの間に、同じ曲をまったく異なるアプローチを試みて、表現の幅を広げているのだ。
この曲はリズム感良く歌うのが一番と感じ、それを実現させてしまうのが、並みの尺では計れない才能を感じるところである。


私のような凡才からみれば、その豊かな才能を羨むなど、露の先ほども思わない。
こんな凄い歌手に出会えたことに感謝するばかり。
爪の垢を煎じようとさえ思わない。
多謝のうえに多謝である。


このアルバムでは、シコ・ブアルギとジルベルト・ジルの曲を取り上げているのも注目。
当時、2人とも新進気鋭の若手の音楽家だっただけに、才能を発掘することにも、エリスが長けていたことに気づかされる。
自身で作曲しない分、優れた曲を見出すことに、天性の勘があったのだろう。
36年という短過ぎる生涯で、ブラジルを代表する歌手になれたのも、優れた曲を嗅ぎ分ける能力があったのと、新しいジャンルにも果敢に挑戦する気持ちがあったことも無視できない。
懐メロ歌手に甘んじることは、決してなかった。


アルバムの最後はマンゲイラを代表するサンバ・メドレーで幕を閉じる。
祖国ブラジルが軍事独裁政権下にあっても、媚びることなく、常に民衆の側に立ちたいという意志が、このサンバ・メドレーに表れているのではと思う。
小粒ではあるが、ピリッとした辛味を感じるアルバムである。


(店主YUZOO)

4月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月21日 (土)

第44回 耳に良く効く処方箋




エリス・レジーナ『サンバ,エウ・カント・アッシン』(フィリップス)

ブラジルに歌の上手い歌手は数多くいるけど、エリス・レジーナだけは別格である。
歌姫などという安易な表現では、その才能と個性を言い表せない、絶対的な存在である。
最初に聴いたのは、エリスを代表する名盤『イン・ロンドン』。
バックを務めるミュージシャンの超絶な演奏力に舌を巻いたが、そのタイトな演奏を従えて、抜群のリズム感と表現力で歌うエリスの姿に、鮮やかにノックアウトされたのである。


鳥のように軽やかに、どこまでも自由に、歌声と声量を思うがごとく操り、取り上げた曲をエリス流に創り上げてしまう手腕は、アレサ・フランクリンを思わずにいられなかった。
神に選ばれし歌声を持つ者だけが、辿り着ける高みである。
『イン・ロンドン』を聞き終えた時の幸福感は、昨日のことのように覚えている。


このアルバムは、エリスが本格的にキャリアをスタートさせた、フィリップス・レコードに移籍してからの1枚目である。
それ以前にも数枚アルバムを発表しているのだが、エリスの才能に見合うだけの曲とプロデュースが至らず、消化不良に陥っているものばかりだった。
その辺りもアレサと一緒で、CBSからアトランティック・レコードに移籍して、一気にその才能を開花させた経歴も似ている。


このアルバムでは、ボーナス・トラックと合わせて、13曲中4曲、当時新進気鋭の作曲家エドゥ・ロボの作品を取り上げている。
エドゥのアフロ・リズムを取り入れたビートの強い曲調は、エリスの才能に馴染んだのだろう。
自分のためにエドゥが作曲してくれたと確信しているかのように、自由奔放にイマジネーションが向くままに歌い、エリスらしい世界観を創り上げている。
エドゥの曲と出会えたことは運命的で、キャリアの始めにの段階で、この出会いはターニングポイントとなったと思う。


アルバムの題名を訳すと「サンバ,私ならこう歌う」。
ジャケットのドヤ顔といい、そう言い切る自信に、その後、国民的な歌手への道を昇りつめる歌手になるのを、暗示しているようである。
まだ20歳を迎える前の作品である。
才能に満ち溢れた人は、末恐ろしい。

(店主YUZOO)

4月 21, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月20日 (金)

第43回 耳に良く効く処方箋




マリア・マルダー『オールド・タイム・レディ』(リプライズ)

先日、紹介したジェフ・マルダーの相方。
コンビ解消後の翌1973年に、早くもこのソロ・アルバムを発表している。
交流ある音楽仲間が共通しているせいか、エイモス・ギャレット、クリストファー・パーカーが参加。
またライ・クーダー、クラレンス・ホワイト、ドクター・ジョン、さらにサザン・ソウルの重要人物スプーナー・オールダムがピアノで参加と、こちらもジェフと同じく豪華メンバーを揃えている。


題名通り、古き良きアメリカの香りが漂う、ご機嫌なナンバーが収められ、南部の安酒場のステージを見ているようで心地よい。
しかも曲調もバラエティに富んでいて、ダン・ヒックス調小唄あり、ニューオリンズ風R&Bあり、カントリー、ジャグとアメリカのルーツ音楽というべきスタイルが、キラ星のごとく詰まっている。


このアルバムが名盤と呼ばれる所以は、ヒットした「真夜中のオアシス」が収められていることもあるだろう。
アルバム内では異質の光を放っている曲で、都会的に洗練されたサウンドをバックに、軽やかなマリアの歌声が絡む。
そして流麗なフレーズが印象に残るエイモス・ギャレットのギター・ソロ。
ヒットしたのも頷ける名曲である。


ただこの曲だけで、あとは埋め合わせの駄曲だと、くれぐれも短絡的にお考えならないように。
少し毒気のある見方をすれば、この曲はアルバムのなかでは浮いている、空気の読めない自己主張の強い子と言えなくもない。
生徒会長にならないと、機嫌を損ねるタイプ。
アメリカの古き良き音楽を感じないのである。


たぶんこの曲だけは、アルバム制作とは別に、シングル盤用として先に作られたのではないのだろうか。
大ヒットしたおかげで、アルバムを売る為に、少しばかり毛色が違うが収録してしまおうというレコード会社の思惑が、見え隠れする。

個人的には、ドクター・ジョンのニューオリンズ臭がむんと漂うピアノが嬉しい。
このアルバムでは数曲に参加し、さらにホーン・アレンジを担当して、オールド・タイムを具現化するのに一役買っている。
ベスト・トラックは、ピアノが前面に出た「Don’t you feel my leg 」。
ドクター・ジョンのピアノに導かれて、マリアはニューオリンズの歌姫になったかのように、エッジの効いた歌唱を聴かせてくれる。


このアルバムが何度聴いても飽きないのは、マリアの歌手としての才能と個性があるからこそ。
この澄んだ清らかな歌声が、世間の荒波に飲まれて、荒みきったオヤジの心を、どれだけ癒してくれただろうか。
つい金曜日の夜に聴いてしまう。
胃もたれしない身体と耳に優しいアルバムである。


(店主YUZOO)

4月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月18日 (水)

第42回 耳に良く効く処方箋




ジェフ・マルダー『ワンダフル・タイム』(リプライズ)

ポール・バターフィルド・ベターデイズ解散後に発表されたジェフ・マルダーのソロ・アルバム。とにかく参加ミュージシャンの顔ぶれが豪華絢爛。
エイモス・ギャレット、コーネル・ドュプリー、ロン・カーター、バーナード・パーディ、クリストファー・パーカー、ビリー・リッチ、ジェームス・ブッカーといった面々。
アメリカ音楽シーンを陰で支えた腕のたつ強者ばかりである。
これだけの面子が揃えば、ワールドカップの一次予選は余裕で通過できる。うらやましい。


アルバムは、1930年の映画『ザ・ビック・ポンド』の挿入歌で幕を開ける。
古き良きアメリカのジャズ楽団が偲ばれる小粋なアレンジで、ジェフの音楽的懐の深さを十分に感じさせる1曲。
以前、マリア・マルダーと組んだアルバムに映画『未来世紀ブラジル』のテーマ曲を歌っていたけれども、そのセンスは健在。
4曲目にも『バッグダッドの盗賊』のテーマ曲を挿入しているのをみると、ジェフの音楽ルーツに映画音楽があるのは間違いないだろう。


このアルバムに聴きどころは数多くあるが「Gee baby ain’t I good to you 」におけるエイモス・ギャレットのギターソロ。
名演奏と謳われたマリア・マルダー「真夜中のオアシス」、ベターデイズ「Please send me someone to love 」と並び称されるほど印象深い。
流麗なフレーズを弾きながら、饒舌にならず
、俗ぽいドラマ性を求めず、淡々としたソロでありながらも、表情豊かで情緒があり、里帰りにも似た安堵感がある。
ギター小僧ならば、この1曲だけでも価値がある。


個人的にはヒューイ・ピアノ・スミス「High blood pressure 」を取り上げてくれたのが嬉しい。
奇才ジェームス・ブッカーのコロコロと転がるピアノで始まり、アフタービートの効いたリズム隊、歯切れの良いフレーズを吹くホーンが繰り出す様は、1950年代のニューオリンズ黄金期を彷彿させてくれる。


そしてボビー・チャールズ「Tennessee blues 」を元妻マリアと愛娘ジェニーと仲睦まじく歌い、アルバムは終わる。
その数曲前のトラックでも、マリアと出会いの場となったジャグ・バンド時代のスタイルで共演。
こういう未練がましいダメ男ぶりも、ジェフの魅力だと思うのは、私だけだろうか。
優しくて、傷つきやすい人なんだろうね。

(店主YUZOO)

4月 18, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月16日 (月)

第41回 耳に良く効く処方箋




リル・リンドフォッシュ『たった一人のあなた』(ポリドール)

完全無欠のジャケ買いである。
清楚で凛々しい顔立ちの娘が、微笑むわけでなく、何かを伝えたいわけでなく、じっとこちらを見つめている。
アイドルのつくられたグラビアの笑顔よりも、こういう意味深な表情の方が、いろいろと想像力を掻き立てられて、エロティシズムを感じる。
青春をはるかに昔に置き忘れたオヤジは、普通とは違うものに、ときめいてしまうのである。


発表されたのが1967年。
「夢見るシャンソン人形」でヨーロッパ中の男を虜にしたフランス・ギャルと同時代ということも後押しして、300円を払い、我が家に連れて帰ることにした。
この手のジャンルは需要が低いのか、だいたい中古レコード屋の片隅に置かれ、タダ同然の値段しかつかない。
掘り出し物が潜んでいる穴場コーナー。
私はワンコイン・ジャンルと呼び、好んでエサ箱を漁っている。


肝心の内容はというと、映画音楽やボサノヴァのスタンダードといった曲を中心に組まれている。
オープニングはフル・オーケストラをバックに歌われる「禁じられた遊び」。
元はギターの練習曲で歌詞がついていないのだが、哀愁を帯びた美しい曲調のため、世界各地で独自に歌詞がつけられて、愛唱歌となっている。
ちなみに日本でも歌詞がついたものが、東京放送児童合唱団が歌っているので一聴を。
YouTube で聴けます。
このスタンダードを、リル・リンドフォッシュは、アイドル風に舌足らずにコケティッシュな魅力で迫るという姑息な手段は取らずに、堂々と歌っているのが潔い。


さらに映画『いそしぎ」の主題歌と続き、注目はセルジオ・メンデス&ブラジル66が世界的に大ヒットさせた「マシュケナダ」。
原曲のポルトガル語ではなく母国フィンランド語で歌われていて、英語とドイツ語が掛け合わさったような言葉の響きが新鮮で、今まで口にしたことのないエスニック料理を味わった時のように、そう簡単に納得しない頑固な耳も嬉んでいる。


13曲目はボブ・ディランの曲で、邦題は「ほっといてよ」。
そんな題名の曲があっただろうかと、頭を縦に横にとひねったが、該当する曲が思い当たらないし、歌詞から推測しようにもフィンランド語では、取りつく島もない。
アレンジもお洒落な北欧アイドル・バージョン(?)に変えられていて、ボブ・ディランの片鱗もない。
微かに原曲を感じるメロディから「Don’t think twice,It’s all right 」だと踏んでいるが、如何だろうか。


全曲を聴いて思うには、リル・リンドフォッシュは世界中のヒット曲やスタンダードを歌いながらも、一貫しているのは、すべてフィンランド語で歌っていること。
今でも第一線で活躍しているというから、その要因は、徹底した母国愛、世界市場をターゲットにしない姿勢にあるのではないかと、勝手に邪推。
それともフィンランドにも、漣健児のような天才的な訳詞家がいたのだろうか。


60年代洋楽アイドル好きは、ぜひ揃えておきたい1枚。


(店主YUZOO)

4月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月13日 (金)

第42回 紙の上をめぐる旅




ソルジェニーツィン『短編集』(岩波文庫)

長い間、探していた本を、ようやく神田で見つけた。
今はインターネットで検索すれば欲しいものを容易に手に入れられる時代ではあるが、クリックひとつで実現してしまうのは、何だか味気ない。
古本屋の薄暗い灯りの下で、眼をしょぼつかせながら、本棚を一段ずつ右から左へと追っていき、ようやく見つけ出した時の喜びは、金鉱を掘り当てような気分で、何ものにも代え難い。


まさに一期一会。出会いに物語がある。


何故ゆえにこの本を探し続けていたかというと「マトリョーナの家」という短編が収められているからである。
マトリョーナといえば、マトリョーシカの元となったロシア女性の名前で、マトリョーシカが生まれた19世紀には、かなり一般的な名前だったと言われているものの、意外にも文学作品で巡り合わない。


私が読んだ範囲では、ネクラーソフ「だれにロシアは住み良いか」とドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」に出てきたぐらい。
ネクラーソフのマトリョーナは大地に生きる逞しい女性がいきいきと描かれていたが、ドストエフスキーのマトリョーナは、下働きの貧しい女性で、個性も乏しい。
それだけにソルジェニーツィン版マトリョーナに対する期待は、否応にも高まるというもの。


発表されたのは、スターリン批判が行われた第22回ソビエト共産党大会があった1961年、雪解けの頃。
その歴史的な批判から2年後の1963年に「新世界」から出された。
マトリョーナの一生を描いた、この物語は1953年に設定され、1893年生まれの60才にしているところに、思わず細い眼をさらに細くしてしまった。
マトリョーシカが誕生したのが、1890年代末と推測されているので、ほぼ同年代だからである。


マトリョーナはとても貧しいのだが、困っている人があれば無償で手助けし、多くの資産を持たず、他人に騙されても、それなりの理由があるからだろうと考える、温厚で信心深い人柄として描かれている。
ソルジェニーツィンはその温厚な人柄に、ロシア革命以前の古き良き共同体が成立していた社会と、ノルマを達成することと個人財産を守ることに終始する、今のソビエト社会に生きる人々と対比させている。
マトリョーナの生き方を通じて、どちらの社会が人間らしい生活を送っているのかと、問題提起しているのだ。


物語は、奪われた自分の財産を乗せたトラックが線路で立ち往生した時に、お人好しのマトリョーナは手助けに行き、非業の死を遂げてしまう。
ソルジェニーツィンはその死を悼み、慈しみ深い言葉でこう結ぶ。


「自分の夫にすら理解されず、棄てられたひと。六人の子供をなくしながら、おおらかな気持ちをなくさなかったひと。妹や義理の姉とちがって、滑稽なほどばか正直で、他人のためにただ働きばかりしていたひと(中略)われわれはこのひとのすぐそばで暮らしておりながら、だれひとり理解できなかったのだ。このひとこそ、一人の義人なくして村はたちゆがず、と諺にいうあの義人であることを」


この小説が書かれた時とマトリョーシカが生まれた時代は、70年以上の隔たりがある。
しかし私が手にしているマトリョーシカは、無償の愛を兼ね備えた人が生きた時代。
この人のように生きなさいという願いを込めて付けられたのである。
そう思わずにはいられない。


(店主ЮУЗОО)

4月 13, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月10日 (火)

第41回 紙の上をめぐる旅




アファナーシェフ『ロシア民話集(下)』(岩波文庫)

昨日紹介した本の下巻。
上巻は動物が登場する童話や滑稽譚が、比較的に多かったのに対し、下巻は宗教的色彩を帯びた訓話、物語の展開も、血族同士の争い、欲深い商人が悲惨な末路を辿るもの、地の果てまで魔王を倒しに旅をするというようなドラマティックなものが主になっている。


もちろん「その酒盛りにわたしも呼ばれて蜜酒を飲んだけど、蜜酒はひげをつたって流れてしまい、一滴も口に入らなかった」というユーモア溢れる締めの言葉もない。


瞠目するのは「金の卵を生む鶏(鴨)」。
周知の粗筋は、金の卵を毎日生む鶏を手に入れた老夫婦が、毎日1個の卵では飽き足らなくなり、もしやこの腹のなかには大きな金塊が入っているのではと思い立ち、絞め殺してしまうが、お腹には何もなかったというもの。
欲をかき過ぎると、毎日1個の金の卵というささやかな幸せさえ失ってしまうのだという教訓譚。


しかしこちらに収められている話は、知られているものとはまったく違う粗筋と結末。
金の卵を生む鴨を手に入れたことで、貧乏家族の暮らし向きが良くなった頃、夫の留守中に妻が不貞をはたらき、鴨の存在を間男に話してしまう。
その鴨のお腹を見ると「この鴨を食べる者は王になり、心臓を食べる者は金の唾を吐くべし」と書かれていたので、すぐさま鴨を絞め殺すが、間男が席を外した隙に、二人の息子がその重要な部位を食べてしまう。


間男はその母親に息子を殺しを命じて、同じ部分の肉を取り出してこいと叫び、慌てた二人はお互いを励まし合いながら逃げていく。
それはそうだろう。
実の母親に命を狙われるのだから。
そして最後に悪は成敗され、息子たちと父親には未来永劫続く幸せが訪れ、母親は元の貧乏人に成り果てるという現実味のある物語となっている。


母親が息子たちを殺害しようと企てる様は血なま臭く、現代社会の病巣にも通ずるもの。
背筋が薄ら寒くなる話である。
ほかにも血を分けた兄弟が殺し合う話、魔王である実の父親を殺害するのを手助けする王女の話など、血縁関係をめぐるおどろおどろしい物語が多い。
「カラマーゾフの兄弟」が書かれた時代に、このアファナーシェフの民話集が出版されたことも興味深い。


あとがきで「十九世紀中葉のロシアはツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイなどの大作家を輩出させたが、彼らが最も盛んに活動した「小説の黄金時代」は、この国でフォークロアすなわち口承文学の収集と刊行が本格的に開始された時期と一致している」と冒頭に書かれていて、膝を叩き、目を瞠り、大きく納得した次第。


民話に登場するイワンは、お人好しでバカな人物ばかり。
それゆえに住んでいる国や家族に幸せをもたらしてくれる、尊い存在として描かれている物語も多い。
そういえばトルストイ「イワンのばか」のあとがきで、ばか=白痴を純粋無垢な存在、神にも似た存在として信仰の対象になっていたと書かれていたような気がする。


ロシアは奥深い。


(店主ЮУЗОО)

4月 10, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 9日 (月)

第40回 紙の上をめぐる旅




アファナーシェフ『ロシア民話集(上)』(岩波文庫)

19世紀半ば、ロシア・フォークロア学者として大きな功績を残したアファナーシェフ。
この偉大なる学者の長年にわたる口承文芸の採取と編纂のおかげで、こうして話し言葉が文字になり、海を隔てた国でも気軽に愉しむことができるのである。
後世に残る仕事は、何も大きなビルやプラントを造ることだけではない。


仕事柄、マトリョーシカや陶器に描かれた物語を訊かれることがあるが、物語の多くは民話だったり、プーシキンの小説だったりする。
訊かれても微笑みだけを返して「何でしょうね」と応じているようでは、専門店の名に恥じる行為であり、また資料を眼にしてボソボソと答えているようでは、何処ぞの国会答弁と一緒である。
相手の眼を見て、清々しく答えなければならない。


この本には36編の民話が収められている。
日本でも知られている「蕪(大きなかぶ)」も収められているのだが、ほぼ粗筋は同じなものの、登場人物が違うのが、口承文芸の興味深いところ。
私たちが幼い頃に手にした絵本では、お爺さん、お婆さん、孫娘、仔犬、猫、鼠と続いていくのだが、こちらの本では、仔犬から続くのは足で、次々と出てくる。
しかも何の足か明記はなく、しかも5本が並んだ末に、見事に蕪が引き抜かれたという結末。実にシュールな光景。


子どもの頃に聞いたときは、最後に非力な鼠の力添えで蕪が抜けたことが面白くて、何度も読み聞かせてもらった。
しかし物語の核心は、そんな牧歌的な顛末ではなかったのである。
5本の毛深い足が、お互いの毛を絡ませながら引っ張る姿を想像してもらいたい。
気色悪いと思うのが現代的な感覚であって、近世のロシア民衆気質は、その光景に面白さを求めていたのではないか。
何しろゴーゴリに「鼻」を書かせた国である。


他にも「テレモック」に似た「動物たちの冬ごもり」といった興味深い話もある。
もちろん森に住む魔女バーバー・ヤガーは様々な物語に登場して、訪ねた者を大釜で茹でて一飲みしたり、魔術で様々な物に変えてしまう。
こんな怖い話を、蝋燭の灯りの下で聞かされてたら、子どもたちだけではなく、大人たちも震えがったのだろう。


そして多くの話が「その酒盛りにわたしも呼ばれて蜜酒を飲んだけど、蜜酒はひげをつたって流れてしまい、一滴も口に入らなかった」という言葉が、締めとして慣用句となっている。
口承文芸は酒宴の席で、話術の得意な者が話しただろうから、言わば落語の「お後がよろしいようで」同様の結びの言葉として、一般化したのかもしれない。
いろいろと興味の尽きない本である。

(店主ЮУЗОО)

4月 9, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月30日 (金)

第39回 紙の上をめぐる旅




岡本太郎『美の世界旅行』(新潮文庫)

旅行記を読むのが好きである。
自分が訪れたことのない国の見聞も良いし、何度か訪れた場所であっても、感性がちがうと印象までも異なってしまうことに驚かされるのも良い。
そのような視点で観られなかった自分の感性の未熟さを思い知らされ、顔を赤らめて口を噤んでしまうこともある。


人の数だけの感性があるのならば、その数だけ旅先での体験や感動があるはずである。
それは何度も訪れた場所でも、実は表層しか見ていなくて、まだ自分はその土地について、何も知らないという事実につながる。
無知の知というか、未知の地。
世界は驚きに満ちている。


この本で岡本太郎は感性の触角をピンと張って、世界の様々な芸術作品と対峙している。
その感性は大きく時代を遡り、騎馬民族が世界を席巻した頃まで辿り着き、「北ユーラシアの大草原、ウラル・アルタイ、そしてモンゴルを通って朝鮮半島に吹きつけて来た流動感。私はそれを「風」として素肌に感じとるのだ」と感慨深く語るのである。
それもチャンスンという発祥の地、韓国でも忘れられた存在になっている、ひょろりと長く伸びた棒切れを眼の前にして。
その感性の自由さ。大らかさ。
時代も文化もひとつの凝縮した塊となって、それは棒切れでなく、隆盛を極めた騎馬民族の証しとして、岡本太郎の眼には映っているのだ。


その類稀なる感性をもって、スペインのサクラダファミリア教会に、メキシコのアステカ文化に、インドのタントラに、激しく揺さぶられて、強く共鳴していく。
漲るエネルギーを内包して。


岡本太郎が創り出す芸術作品、美術論に共感できない人は多いかもしれない。
しかし、これだけの鋭い感性とエネルギーの放射をもって、対象物と対峙したことはあるだろうか。
有名な絵画だから素晴らしいとか、世界的な画家だから一流だという、固定観念で鑑賞していないだろうか。
岡本太郎の眼は世界的な評価という束縛を嫌い、一貫して原初的なプリミティブな作品に対して、畏敬を抱いて見つめている。


我の眼は濁っているか、澄んでいるか。

(店主YUZOO)

3月 30, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月27日 (火)

第38回 紙の上をめぐる旅




柳家小三治『もひとつ ま・く・ら』(講談社文庫)

映画や小説の世界では、続編というのは概ね二番煎じの粋を出ず、面白味が半減するか、酷いものになると初編の面汚しになりかねない。
しかし次作も初編同様のクオリティと鮮度を保つことができれば、人気シリーズとして定着するという甘い蜜もあり、魅力的である。
そこが制作者の悩むところだろう。
潔く一作で打ち止めというのは清々しい態度ではあるものの、甘い香りが漂ってくる以上、同じ企画で、その蜜を味わいたいという心理も、人間味溢れた心理であり、その皮算用もまた清々しい。


前作『ま・く・ら』で抱腹絶倒の世界観を繰り広げ、小三治ファンのみならず絶大な支持を集め、この勢いでと2匹目の泥鰌と狙ったのが本作である。
結論から先に述べると、やはり続編は前作に劣るという方程式が、ここでも成り立ってしまっている。
前作は、まくらの小三治と呼ばれる師匠だけに、ベスト・オブ・ベスト言える珠玉の名作が収められていた。
それと比べたら、見劣りするのは仕方がないのだが。


前作が球界を代表する名選手を揃えたドリーム・チームならば、本作は阪神タイガースのみでオーダーを組んだ、変わり映えのしないチームと喩えれば、解りやすいだろうか。
つまり阪神タイガースのファンの立場から見れば、十分に納得できる内容なのである。
何のこっちゃ。


この本のあとがきに、小三治師匠はこのような一文を載せている。
「最後にもひとつお願い。厚い本だからと先を急がないで下さい。
例え黙読でも、私がおしゃべりしているのと同じ速度で読んでくれませんか」


そうなのである。
この本は小説でもなければ、随筆でもない。
寄席に行ったときと同じような面持ちで読むことで、この本の表す人生の滋味に向き合うことにつながるのである。
近頃の私の読書というと、年を追うごとにせっかちになるせいか、呼吸をするのも忘れ、酷い時には2、3行飛ばして読んだり、粗筋を追うことに終始してしまっている。
そういう態度では、自分の人生も表層だけをなぞっているのだろうと、あとがきで小三治師匠に諭されているようだ。


この本には21編のまくらが収められている。
「外人天国」では、老舗鰻屋で働く外国人が増え江戸風情がなくなってきたのを嘆いたり、「笑子の墓」では、テレビの人気者になって芸を磨くことを忘れていた自分に、痛烈な一言を告げた女の子の訪ねてみたりと、様々な場面での人生の機微が詰まっている。
中でも虚をつかれたのは、パソコンに翻弄される自分を自虐的に話す「パソコンはバカだ!!」。
飄々と語るまろやかな舌先は、現代日本社会の病巣を白日に晒したようで、今や国民皆、モバイルの画面を1時間に一度は見ないと不安になる精神状態を、同じ庶民の目線から見透かしているようだ。
舌先はまろやかで、目線は鋭い。


21編あるのだから、ここは慌てず、先を急がず、一日に一編読むぐらいが丁度良い。
読みながら、観客になった気分で時折拍手をすると、さらに良い。

(店主YUZOO)

3月 27, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月26日 (月)

第37回 紙の上をめぐる旅




忌野清志郎『忌野旅日記』(新潮文庫)

文庫本だからといって、侮れないことがある。
単行本が文庫サイズに変わったという単純な図式ではないことがある。
例えば加筆訂正が加えられていたり、単行本未収録の作品が追加されたりと、読者泣かせの編集がなされている場合があるからだ。
この辺りは、CDが売れなくなったのでリマスターを施したり、デモ・バージョンを収録したり、音楽業界と似ているのかもしれない。
少しずつかたちを変えて、何度でも買ってもらおうという魂胆が見え隠れする。


この本も文庫化にあたって、新たに5編の随筆が収録されている。
これを商魂丸出しの由々しき事態と捉えるべきか、吉報ととるべきが二つの意見があると思うが、この場合はその5編のために財布の紐を緩めなくてはならないマイナス面を差し引いても、後者の意見になるだろう。


この5編には、細野晴臣と坂本冬美と組んだHISのレコーディング風景や敬愛するバンド、ブッカーT &The MG’sとの交流が綴られていて、永遠に新作が発表されない現実を思うと、このような文章と邂逅することで、在りし日のキヨシローが多くの音楽仲間に愛されていたことを、追想することができる。


細野晴臣がリズムのサンプリングを創り出すのに、2、3時間も器材と格闘していて、退窟極まりなかったというエピソードは、その情景が浮かぶようだし、「恋のチュンガ」のボーカル録音時に、恥ずかしがる細野さんを無理やり説き伏せたら、暗くしたボーカル・ブースのなかで顔を真っ赤にして歌っていたという話は微笑ましい。


この頃の細野晴臣といえば、アンビエントだの、エレクトロ力だの、ニューエイジだの、眉間に皺が寄るような小難しい音楽ばかり演っていて、自身が歌うことがなかっただけに、この時期の貴重な本人歌唱曲となっている。
そんな後ろ向きな細野晴臣を口説き落とせたのも、キヨシローの人柄によるものに違いない。
同じように、数多くの音楽仲間とのエピソードが綴られていく。
スティーヴ・クロッパー、イアン・デューリー、山下洋輔、ドクトル梅津、片山広明、坂本龍一、仲井戸麗市などなど。

この本を読んで、改めてキヨシローが残した音楽を聴くと、この本に登場するミュージシャンと行ったレコーディングやコンサート、イベントが、お互いに敬意を払った交流だったから、あのような素晴らしいものが出来上がったのだと気づかされる。


ファンならば財布の紐が緩んでも、仕方がないと思える一冊。

(店主YUZOO)

3月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月23日 (金)

『マトリョーシカはかく語りき』前夜





以前から、マトリョーシカのコレクター、研究者、買付人などを一堂に会した「マトリョーシカ茶会」のようなものを企画したいと思っていた。
マトリョーシカにどっぷりとハマった人たちが、自身のマトリョーシカ観を語り、研究者は成果を発表し、買付人は苦労話を話す。
マトリョーシカをキーワードに、それぞれ気ままに談話する交流の場となれば愉しいだろうなと、ぼんやりと夢想していたのである。

明日開催する『マトリョーシカはかく語りき』は、その夢想を少しばり具現化した企画と、自分では思っていた。
何しろ、アンティーク・マトリョーシカ・コレクターの草分け、道上克さんとの座談会である。
今、展示してあるアンティーク・マトリョーシカをご覧にになったお客様が、マトリョーシカについての知識をつけてもらうことで、更にその魅力を感じてもらえばという、言わばギャラリー・トーク的なもの。
それほど、大上段に構えた企画ではなかった。



しかし。だが。何とも。もはや。
座談会の参加希望者は、マトリョーシカの知識と研究では五本指に入る、名だたる大御所ばかり。
私からお伝えする新事実など何もなく、ただ頭を垂れて教えを乞うようなことにならないかと、この企画の無謀さに恐れ慄いている。

幕下力士が千秋楽で白鵬とあたるようなもの。
素人が紅白歌合戦でトリを務めるようなもの。
ダルビッシュの直球を素手で捕るようなもの。
もうすでに脇の下にじっとりと脂汗をかいている。



この半月、マトリョーシカに関する文献を読み直したり、簡単な資料を作って整理したりと、呑む量を減らして格闘しているのだが、ロシア語が読めないことには、先にも横にも進めない。
日々、こつこつと勉学に励むことの必要性を思い知らさせれた次第。
バイカル湖より深く猛省。

明日はどんな風が吹くのやら。

(店主ЮУЗОО)

3月 23, 2018 展示会情報, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月14日 (水)

第12回 一生に一度はお伊勢参りの旅





お伊勢参りが終わってしまえば、あとはおかげ横丁を散策して、時間が許すかぎり食べ歩き、もとい呑み歩くだけである。
それはオヤジたちの性分だから仕方がない。
参拝したからといって、厳かな気持ちで、静かに東京に帰るわけにはいかないのである。


相変わらず空模様は曇天で、時折小雨が降り出しては風が舞い、思いのほか寒い。
何処か酒を振る舞う茶屋を見つけて一服しようかと話になったが、それだと尻に根が生えて動くのが億劫になるに違いないと思い返し、さらりと立ち飲みで数軒巡り、最後は名古屋で反省会というコースで一同納得。
そこに「生酒あります」という看板が出ているのを見つける。
渡りに船、眠りに枕、腰痛にインドメタシンとは、このことである。


「菊兄ぃ、ここで一杯やりましょうや」
と弥次喜多道中記になった気分で、菊池さんの袖を引っ張って、店の暖簾をくぐる。
菊池さんも満更でもないなという顔で、躊躇なく店の敷居をまたぐ。
お店は造り酒屋らしく、ずらりと日本酒が棚が並び、奥には酒樽が積まれているのが見える。

この酒蔵で造られているのは「おかげさま」という銘柄。
伊勢神宮の内宮を流れる五十鈴川の伏流水を使って造られているというから、日頃酷使している五臓六腑にも御利益があるというもの。
なみなみと注がれた盃に、口先を尖らせて、キュッといただく。
冷え切った身体の芯に、ポッと暖が灯り、胃袋がじわりと熱くなる。
喉越しは、昨日の「作」、「義左衛門」よりも日本酒度はかなり高めで、きりっと締まった辛口。
灘の酒を思わせる。
敢えて小女子の佃煮を肴にしたら、甘味と辛味が舌先で争って面白そうな味わい。




長尻しないのが取り決めなので、二杯目は頼まず、潔く店を出る。
不惑の年のK点を越してからは、三人とも名犬ラッシーのように聞き分けが良くなり、次行こうかの一声で、すぐに出る支度ができるようになった。
そのあとは立ち飲みで松阪牛の串焼と生ビール、お土産に七味唐辛子を買って、伊勢路を後にする。
後ろ髪を引かれず、適度に愉しんで終わりにするのも、大人になった証しである。




名古屋の反省会は、大海老フライや味噌カツを肴に、今回伊勢路では口にしなかった焼酎で、旅の疲れを癒す。
こうなると、東京だろうが名古屋だろうが、まったく変わらない。
酒呑みは品格、酒の肴は美味いものを少しだけという、伊勢路で生まれた名言は、アルコールとともに記憶の彼方へと消え、立て続けに焼酎のロックを注文する。

果たして、伊勢神宮の御利益は、オヤジたちにもあったのだろうか。
あったとすれば、こうして三人が一緒になって、酒を酌み交わせたことかもしれない。
もしかすると、それは小さいようで大きな御利益である。


(終わり)

店主YUZOO

3月 14, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月12日 (月)

第10話 一生に一度はお伊勢参りの旅





昨日は呑み過ぎて、ホテルに着いたのは1時をまわっていた。
せっかくの高級ホテル宿泊なのに、寝るために帰るだけでは、いつも泊まるビジネスホテルと何ら変わらない。
百年経っても変わらない。


当初は、清々しい朝にホテルの庭園内を散策して、春の息吹を樹々に求めたり、湾内をぼんやりと眺めたりと、計画を立てていた。
しかし今朝から小人が頭のなかに住み始め、鍛冶屋が鉄を叩いていたり、楽団がラッパを吹いたりしているのである。
窓から臨む英虞湾を横目で見て、そそくさと布団に潜り込む。
せっかく伊勢路まで来ているのに、布団のなかで海女さんの真似をしているなんて、何たる堕落者と叱咤するものの、その程度の心の罵声で治るような宿酔いではない。
結局、チェックアウト近くの10時まで、布団の奥深くまで潜っていた。


チェックアウト後、すぐに伊勢神宮の内宮に赴くのは早いということになり、英虞湾クルーズにでも参加するかという話になる。
クルーズといっても漁船を改造したような観光船で、一時間ほどかけて湾内を巡る、小さな船の旅。
観るものといえば、点在している島々の風景と真珠養殖のいかだぐらい。
眼を瞠るような観光名所はない。
私としては、海風にあたって宿酔いを醒ます方が、重要かもしれない。




船内は三人ほど座れるベンチシートが左右に10脚ぐらい並んでいて、ガイド嬢が乗船するわけでなく、無機質な声の案内テープが流れるのみ。
船を操る赤いジャンパーの船長の捩り鉢巻きが「兄弟船」を思わせ、観光クルーズとは程遠い出で立ち。
思い起こせば、ここは鳥羽一郎の郷里でもある。


船のエンジンが喧しく鳴り響くなか、流れ聞いた案内によると、御木本幸吉が苦悩の末に編み出した真珠養殖が、この地に根付いたのは19世紀末頃。
以後、真珠養殖は金になるということで、たくさんの人々が移住し、空前の賑わいを見せたという。
現在は62ある湾内の島のなかで、人が住んでいるのは、わずかに2つになってしまったが、最盛期はそれぞれの島で人々が生活を営んでいた。




そう言われて、島々に眼を凝らしてみると、廃屋、防波堤、船の停留所、島を囲むように電柱が立ち並んでいたりする。
それらは年月とともに朽ち果てるのを待つだけで、再び昔の賑わいを見せることはないだろう。
基幹産業の衰退と運命を共にして、人々の生活が消えていく。
文化が失われていく。
今、日本各地で急速に進んでいる地方の過疎化、崩壊という現実が、この真珠養殖で全国に名を轟かせた英虞湾にも迫っている。
伊勢志摩サミットで注目されても、それは一過性の出来事であって終了すれば、否応なく夢から覚めて、このような現実を突きつけられるのだろう。


一介の呑んだくれの旅人は、表層的なことしか理解できず、この地にある根源的な問題点を知る由もないし、声高に語る資格もない。
ただ屋根が崩れ落ちて、再び自然のもとに帰していく家屋をみると、人間が望む繁栄の脆さを感じてしまう。
永続する繁栄など、幻想に過ぎないのではなかろうか。
今日の宿酔いは長引きそうだ。


(つづく)
店主YUZOO

3月 12, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 8日 (木)

第9話 一生に一度はお伊勢参りの旅





2軒目。
結論から話すと、的矢牡蠣の店は生牡蠣以外はオヤジ連中を唸らせる逸品がなかったので、早々に引き上げ、タクシー運転手のお墨付きの店へと向かう。
鵜方という土地は、呑兵衛横丁や○○銀座といった繁華街はなく、ぽつりとビルの一角や街角に青白い看板が出ているだけで、喧騒や活気がない。
外出禁止令が発令されたかのように静まり返っている。
駅前も没個性な駅舎がそびえているだけで、ロータリーにはタクシーも路線バスも停まっていない。


「本当にこの先に店があるのかね」
「タクシー運転手は嘘はつかないのが、全国共通でしょ」
「俺の住んでいるさがみ野駅前より寂しいよ」
「大網駅前よりもね」


住宅街を右へ左へ、上へ下へと迷った挙句、ようやく目的の店を見つけることができた。
彷徨した時間30分。
山中を遭難しかかった時に山小屋の灯を見つけたぐらいの感動、もしくは生き別れになった妹と30年ぶりに再会したぐらいの感涙。
オヤジ三人は手を取り合って、その店が幻でなかったことを喜んだ。


お店は五人ほどが座れるカウンターがあり、冷凍ケースには旬の食材が並ぶ、小綺麗な内装で、その日のお勧めからメニューはすべて手書き。
小太りな料理人とその息子が営んでいる、キリッとした緊張感を心なしか漂わせているのがいい。
もちろん小上がりに入らず、カウンターに席を取る。


呑み直しということで、とりあえず最近流行りの氷点下ビールと好物の姫竹の天ぷらと平目の刺身を注文。
姫竹は10年ほど前に山形を旅をした時に、地元の人にご馳走になり、塩茹でしたものが言葉を失うほど美味しかった。
なかなか東京ではお目にかかれないので、こうして伊勢路で邂逅できたのが嬉しい。
姫竹のほろ苦いなかにも甘味があって、シャキッとした歯応えがたまらない。
ビールの肴にはもったいない。
すぐに日本酒に選手交代。ビールは始球式みたいなものである。


日本酒は「作」といって三重県鈴鹿市の銘酒。
「義左衛門」と同じく果実酒のような芳香がふわりと漂わせて、喉越しも留まらずさらりと流れていくのだが、後味は少しばかりの辛味を残す、奥行きの深い味わい。
出会った時は何の印象も残らなかったのに、何故か心に残る清楚な女性という感じ。
何杯呑んでも、飽きのこない酒である。


当然、肴も細やかな気配りが為されて、すべて美味しく、地元タクシーが太鼓判を押すだけある。
菊池さんも内海さんも、ここに来てから頬も口元も緩みっぱなしで、舌先が滑らかになって、つい饒舌になる。
まさに至福の時。旅行の醍醐味。
神々が住まう土地で、ようやく地上の楽園を見つけた気分である。

閉店まで呑み続けたのは言うまでもない。

(つづく)

店主YUZOO

3月 8, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 7日 (水)

第8話 一生に一度はお伊勢参りの旅





1軒目。
英虞湾で獲れる的矢牡蠣は、三重県が推すブランドで、その身は小粒だが、栄養分が豊富なリアス式海岸で育っただけに、他のよりも甘みが強い。
また紫外線を使った独自の殺菌方法で知られ、世界一安全な牡蠣とも言われている。
お店は座敷が4卓ほどしかないこじんまりとした店。
先客は地元の同窓会で賑わっている。

お店の看板である的矢牡蠣をと刺し盛を注文し、最初はお決まりのビールという名のサイダー。
すぐに地酒といきたいところだが、何事も急いてはいけない。
刺し盛が運ばれてこないことには、地酒の登場はないのである。
自論だが、地酒は郷土料理と新鮮な魚介類に合わせて作られていると思っている。
外房ではなめろうの味噌に合わせてキリッとした辛口の酒が多く、富山では寒ブリの脂でぎっとりした舌先を洗い流すようなさっぱりとした酒が主になる。
言わば、郷土の味覚と地酒は、仲の良い夫婦と同じ。
お互いを引き立て合って、その土地の味を育んでいる。
この関係、見習いたいものである。

生牡蠣が運ばれてきたところで、三重県伊賀市の若戎酒造「義左衛門」の純米吟醸生酒の登場を願う。
的矢牡蠣は評判とおり、仄かな甘味を感じ、雑味のない上品な味。
つるりと喉元を過ぎて、胃袋へと落ちていく。
牡蠣特有の苦味もない。
その後を追うように舌の上で舞い踊る「義左衛門」は、こちらも舌を刺すような辛口ではなく、フルーティな芳香が鼻を抜けていく、果実酒のような味。
ガード下の焼き鳥や煮込みで慣らされたオヤジの舌には、高貴な組み合わせである。
舌先にいつまでも留まるような主張はしない。
仄かな味覚や食感を堪能するところは、伊勢うどんと同様。
これが三重の味なのだろう。

さて貴兄は牡蠣フライは、何のソースをかけて召し上がるだろうか。
私はタルタルソースは、どうも苦手である。
晩飯のおかずならば口の中がマヨネーズで、とろりねちゃねちゃとなっても、別段腹も立たないのだが、酒の肴となると話も違ってくる。
タルタルソースの後では、繊細な味わいが持ち味の日本酒は、とろりねちゃねちゃに舌先が染まり、何も感じられなくなる。
ビールも同様。タルタルソースの火消し役としての役目しかない。
望むところは、ウスターソースを数滴垂らすか、醤油が一番である。
もちろん何もつけなくてもいい。

酒宴では、あくまで主演は酒であり、助演は新鮮な刺身や珍味といった肴。
タルタルソースは村人A程度の役柄。
その村人Aがわずか1行の台詞を朗々と語られては、たまったものではない。
タルタルソースには猛省を願いたい。


(つづく)

3月 7, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 6日 (火)

第7話 一生に一度はお伊勢参りの旅





本日のスケジュールは、三重の美味しいものを食すだけとなった。
もっとも地場の食材に舌鼓を打つのがオヤジ会の主題と言っても過言でないから、いよいよ真打ち登場というところ。
日頃は馴染みの薄い三重の地酒が、どのような喉越しなのか、辛口なのか旨口なのか、歴史を辿れば御神酒をつくる古き蔵があるのか、いろいろと興味が尽きない。
思い浮かべただけで、もう口の中は甘酸っぱくなっている。


予め下調べしておいたのが、遊覧船乗り場の周辺に点在する浜焼き屋が数軒。
地元の魚介類を炭火で焼いて愉しむ、海水浴場にある海の家のようなお店。
ホテルでセレブを気取っているのだから、こういう庶民的なお店が、性に合っているし、いつまでも高貴に振舞っては肩が凝る。


新鮮な魚介を塩と醤油で味付けて、豪快に喰らおうという魂胆なのだが、先程から港の露地をあちらへこちらへと歩き回っていても、それらしい看板もなければ、賑わう酔客の声も聞こえない。
まるで漆喰の闇の中を、出口を探して手探りで歩いているようである。
店に電話してもコール音が鳴り響くのみ。
狐か狸か、果ては海坊主に騙されているような気分。





後になって知ることになるのだが、賢島は元々無人島で、近鉄が開発したリゾート地でゆえ、地元民として生活している人は、ほぼ皆無。
浜焼き屋も営業時間が終われば、自宅へとそそくさと帰ってしまうらしい。
と言うことは、今の状態は閉店後の遊園地で、レストランやカフェを探しあぐねているようなものである。


呑み食いするのならば、隣町の鵜方まで足を伸ばさないといけない。
この誰も住んでいないという治安の良さが、サミット会場に選ばれた理由のひとついうのだから、苦虫を噛み潰したような顔にならずにはいられない。


いろいろと教えてくれたのは、賢島駅前でぽつりと一台停まっていたタクシーの運転手。
途方に暮れている草臥れたオヤジ三人を不憫に思ったのか、私たちが狙い目をつけていた的矢牡蠣のお店以外に、地元民が足繁く通うお店を紹介してくれる。
運転手の話によると、賢島の由来は徒歩(かち)でも渡れる島が変化してその名になったと言われ、実際にタクシーで通過すると、本土と賢島を隔てる海の幅は10メートル程度。
実際に干潮時には歩いて渡れたらしい。


歴史が息づく伊勢路にあって賢島は、ようやく掴まり立ちができるようになった赤子のようなもの。
無人島に文化やコミュニティ、酒が呑めるような歓楽街が根付いているわけがない。
とにかく、呑みに行くのならば鵜方に賭けるしかないのである。

(つづく)
店主YUZOO

3月 6, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 5日 (月)

第6話 一生に一度はお伊勢参りの旅





日の入り迄は、2階のゲストラウンジで過ごすことにした。
ゲストラウンジは、その名のとおり宿泊客が気軽に過ごせる場所として設けられていて、本棚には伊勢志摩のガイド本や写真集、バーコーナーや軽食などが用意、ホテルに居ながらに自宅のリビングのような寛いだ気分になるサービスが施されている。
また窓辺のカウンター席からは、英虞湾が一望できて、大小の島や岩が浮かぶ水墨画のような風景を愉しむことができる。
宿泊客の心身だけでなく、眼にもリラックスしてもらおうという計らいなのだろう。

菊池さんと私は、ビールという名のサイダーを手にして、カウンターに腰かけた。
西陽を受けたグラスが、ビールを黄金色に輝やかせて美しい。
オヤジ三人が横に並び、何も語ることなく、何も案ずることなく、呆けたようにぼんやりと海を見つめて過ごしている。
行き交う漁船もない、海鳥の鳴き声さえ聞こえない、静寂した光景なのに、不思議なことに退屈だとは思わない。
何も考えないことが、最高の贅沢だというのならば、今のこの時間を指すのだろう。
正に至福のとき。
ただ他人から見れば、リストラに遭ったオヤジたちが、途方に暮れ人生の黄昏を感じている風にしか見えないだろうが。

そろそろ陽が傾きかけて、周囲の島々を茜色に染め始めた頃、ゲストラウンジを出て展望台へと向かう。
陽は西の彼方に沈もうとして、空を深いオレンジ色に染め上げ、島を影絵のように黒いシルエットにして浮かび上がらせる。
日本には赤の違いを表すのに、様々な言葉がある。
唐紅。銀朱。臙脂。柘榴。赤銅。真朱。珊瑚朱。鉛丹などなど。
古代の人々は、この刻々と変化していく夕陽の赤をどう言い表すかと考え抜いた末に、このような様々な言葉を作り上げたのでないかと、沈むゆく陽を目の前にして思う。
これほど多彩に色の表現がある日本語は美しい。

きっと伊勢志摩サミットに出席した各国の首脳も、一日の終わりに見せる自然が描き出す色彩の変化を前に、貿易摩擦、金融対策、地域紛争などを議論することに、人間が抱える問題のスケールの矮小さを感じてしまったのではないだろうか。
そんな風に思ってしまう、朱が織りなす深遠なる光景である。

やがて太陽は一筋の光を放って、明日のある向こう側へと消えていった。
空と地平線との境界に、けじめがつかなくなった。
代わって星空が色濃くなる。

(つづく)
店主YUZOO

3月 5, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 2日 (金)

第5話 一生に一度はお伊勢参りの旅





伊勢市駅から近鉄特急に乗って、一時間ほど南へ下って行くと賢島駅に着く。
もうひとつのメインである志摩観光ホテルの投宿となる。
何故に、これほどの名門ホテルに擦れ枯らしのオヤジ連中が宿泊するのかと、疑問視する声もあるだろう。
だいたい「オヤジ会」の基本綱領は、交通費と宿泊費を如何にして削り、呑み食いの予算を確保するかなので、過去の実績は五千円以下のホテルが多く、今回のような伊勢志摩サミットの主会場だったホテルを予約をするのは、異例中の異例。


不惑の歳を超えて、バカンスぐらいは最高級の贅沢をという境地になったのかと思われそうだが、実際は早めの予約だったので特別価格で手配できただけで、本質は何も変わっていない。
話のタネに志摩観光ホテルでも泊まろうか、というぐらいの軽い気持ちである。


現に、こういう高級リゾートホテルは、館内の施設で寛ぎ、絶品のディナーを愉しむのが本来の正しい過ごし方なのに、予約した時点で、素泊まりですと宣言してしまう小市民性。
そのディナーが自分の半月分の小遣いに匹敵すると知っただけで、電話の声が震えるほどの小心者。
さらに、朝食はどういたしましょうかと訊かれて、この金額ならば居酒屋にいけるなと、断ってしまう浅ましさも兼ね備えている。
性根からして貧乏性。
決して大物には成れない性格である。


ただ天下にその名を轟かせた高級ホテルだけに、ポーターやスタッフの対応は、凛として丁寧で、チェックインの待ち時間が、まったく苦にならない。
ホテルの扉が開いた途端に、急に時間の流れが緩やかになったみたいで、荷物を運んでくれるポーターの姿も優雅に見える。
高級ホテルは、宿泊する場所ではなく、時間を買う場所だと言われる所以が、貧乏性の私にも少しわかった気がする。




案内されたのは、英虞湾を臨む部屋。
真珠を養殖する筏が、遠くに見える。
「当ホテルは、英虞湾に沈む夕陽がたいへん美しいので、ぜひご覧くださいませ。本日は若干の雲がありますが、きっと綺麗な夕陽がご覧になれることと思います。伊勢志摩サミットで各国の首脳は、あちらの展望台で夕陽をお愉しみになられました。ぜひ行かれてはいかがでしょうか。本日の日の入りは、5時45分頃になります」

ポーターの細やかな説明に、オヤジ三人は、さすが高級ホテル、いいんじゃないのと、独りごちになり、今までにはないサービスに少し戸惑い気味。
また、ゆったりとした時間の流れに完全に身を委ねてしまっているせいか、ありがとうと大物俳優の台詞のように、余所行きの声で言ってしまうのが情けない。
ポーターが戻った後に、チップは渡すべきだったのだろうかと、頭を付き合わせて話し合うのが、さらに情けない。

日の入りまで一時間ほどある。

(つづく)

店主YUZOO

3月 2, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 1日 (木)

第4話 一生に一度はお伊勢参りの旅





伊勢うどんを食べ終え、外宮参拝へと向かう。
しかしビール数本とうどん一杯だけで、芯から温まるものではない。
骨身に染みるような冷たい風が吹くたびに、明日の内宮だけにして、もう宿に向かおうかと、心が折れそうになる。
落語の世界ならば「おれは、ちょっと用ができたから、悪いがおれの代わりにお参りしてきてくれねえか」と、菊池さんに餞別をホイと渡して済ますだろうが、そういう訳にもいかない。

因みにこれから向かう外宮は、内宮に鎮座されている天照大御神に食事を司る神様、また衣食住と産業の守り神でもある豊受大御神が祀られている場所。
当然ながら内宮の方が歴史は古い。
その経緯から外宮から内宮という順番で、参拝するのが正式なお伊勢参りとなっている。
つまり外宮に最初に詣でないと、墨を擦らないないで書道をするようなもの、風邪をひいて歯医者で受診するようなもの、パスポートを取らずに海外旅行に行くようなものと同じ。
物事のイロハもわかっちゃいない大バカ野郎に等しく、当然ながら、土産話のひとつにもなりゃしない。

一生に一度行けるか行けないかのお伊勢参りである。
ここは日頃の怠惰極まりない性格を悔い改めて、ここは奮起して向かうのが筋である。



外宮の入り口には鳥居があり、その奥に橋が渡されている。
橋の下を流れる川は宮川で、この川を渡ることで下界から天宮に入ったという意味となる。
その聖なる川である宮川は、古来は参拝前に身を清める為の契川として、参拝者は実際に入水し、心身の穢れを洗い流してから神宮へ向かったそうである。
確かに清らかな水を湛えているが、今にも雪が降り出しそうな寒さのなか、川辺に降り立って水を浴びる気にはなれない。
宮川に深く一礼をして済ます。

それでは不謹慎極まりないので、手水舎で手と口を清め、豊受大神宮へと進んで行く。
砂利を踏んだ時のざくりざくりと鳴る音が心地よい。
ただ天気は晴れ間が出てたかと思うと、急に小粒の雨が降り出す、不安定な空模様。
これも日頃の信心の足りなさが、このような天候にさせているのかと思ってしまうのは、何故か詣でをするときだけ。
日頃は何とも感じないのに、神社仏閣を前にすると、妙に信心深くなるのが、自分でも可笑しい。
貴方も思い当たるフシがあるのではあるまいか。




15分ほど歩いて豊受大神宮に到着。
参拝の順番を待つ間、何の願掛けをしようかと考えたが、頭に浮かぶことは一縷の光もなく、ただ真っ白なだけである。
今更、一旗上げようと躍起になるような志もなく、世界を股にかけるといった野望もない。
もちろん合格祈願もなければ、恋愛成就もない。
そうなると健康ぐらいしか思いつかないのである。

それは不惑の年になって、森羅万象について深い慈しみの心で見られるようになったということではない。
祈願したからには、その後は自身で努力しなければ成就しないという図式が、もはや億劫になっただけである。

こうして三人でお伊勢参りができたことに感謝して、早々に豊受大神宮をあとにした。
同様に、別宮である土宮、風宮、多賀宮の詣も簡単に済まして、外宮参拝を終えた。
30分程度の短い滞在であったが、盛り沢山に願掛けをするのも品格がない。
このぐらいが性に合っている。

(つゞく)

境内の写真がないのは、神様のお住まいを撮るなんて畏れ多いと思ったので。
代わりに参道にある洒落た建物を撮りました。



3月 1, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月28日 (水)

第3話 一生に一度はお伊勢参りの旅




もちろん三人が注文するのは伊勢うどん。
それも海老天付き、山かけというプチ贅沢な逸品。
出来上がるまで時間があるというので、ビールで喉を潤そうという話になる。
いつもと同様に、ビールはお酒としてカウントしないという、オヤジ会のロシア的な発想によるもの。


早くも伊勢路に着いた時の初心を忘れてしまい、毎度のことながら、土鳩と戯れる伝書鳩のような志の低さに呆れてしまう。
周知の通り、ビールはれっきとした酒であり、サイダーではない。
メニューに地酒が無かったのが、せめてもの救いと思わなければなるまい。
神様が住まう伊勢に感謝である。


肴は玉子焼き。
ほんのりと甘く適度に固い、お弁当によく母親が作ってくれた懐かしい味で、意外にビールに合う。
「ふわふわの玉子焼きだと、ビールには不向きだね。このくらい固いほうがいい」
「懐かしい味で涙が出てきたよ」
などと、お互い言い合っているうちに、すぐにビールの追加となる。


こういう食堂は生ビールではなく、瓶ビールしかないことが多く、お互いのコップに注ぐ合うので、通常よりも呑むペースが早くなる。
私はこれを「瓶ビールの法則」と呼んで畏れている。
しかしビールの苦味と玉子焼きの甘味の絶妙な組み合わせに、たはっと舌鼓を打ちながら昼間から呑むのは、幸せの冥利に尽きる。
早くも旅行気分が全開。




「お待たせねえ」
と伊勢うどんが運ばれてきた。
奥様が私の母親と同じぐらいの歳だけに、その優しい言い方といい、すっかり家で食べているような気分になる。
関西の友人によると、伊勢うどんはコシのない、ハンペンのようなふわふわとした食感で、あれを同じうどんと呼ぶのは差し控えたいらしい。
丼には、蒲鉾のように真っ白い肌をした麺が、真っ黒い出汁に浸かっていて、出汁と混ぜて食べてくださいと言う。
麺は讃岐うどんのような透明感がないので、出汁と混ざると、味の染みた大根のような色になる。


まず一口すすってみると、舌先で千切れてしまうような柔らかな食感。
うどん特有の弾力もない。
赤ん坊の掌のように、ふわりとしている。
「なんか病院食を食べているようだな。お粥みたい」
「消化良すぎて、すぐに腹が減りそう」


二人にはあまり評判は良くないようである。
カツオと濃い口醤油でとった出汁に絡める味は、捉えどころがないが、老若男女問わず誰でも受け入れやすい味でもあり、多くの参拝者で賑わう伊勢という土地柄に合っているのかもしれない。


だいたい古来から神様を祀っている聖地で、脂でぎっとりした豚骨や口から火を噴きそうな激辛は、当然ながら似合わない。
私は伊勢うどんに対しては、肯定せず否定もせずという中道の立場をとることにする。

(つづく)
店主YUZOO

2月 28, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月27日 (火)

第2話 一生に一度はお伊勢参りの旅





まず外宮に向かう前に手荷物を預かり所に手渡す。
神社や寺院は砂利が敷き詰められていることが多く、スーツケースをひいていると殊の外難儀することは、長年の旅で経験済み。
楽こそは人生の桃源郷的境地。
いつでも楽が買えるのならば、お金が続く限り、そうしたい。


さて荷物を預けてしまうと、無性に腹が減っていることに気がつく。
想像していた以上に、海から吹き寄せる伊勢路の風は冷たく、腰や膝に痛みを抱えているオヤジには、サウナ後の水風呂のような身が縮む辛さが襲う。
普段は無口な内海さんが「早く店を探して暖まろう」と半ば訴えるように言い出し、菊池さんに至っては「日本酒で暖まりたいな」と呪文のように呟く始末。
神様にお参りする前に酒を呑むとは、何と罰当たり、不届き千万な発言なんだと、菊池さんを咎めつつ、ご当地ソウルフードの伊勢うどんを食べることで、意見が一致する。
松坂牛のステーキでは初日から散財し過ぎだし、身分相応の食事ということでは、正しい判断したわけである。




見つけたのは、参道から離れた鄙びたお店。
年老いた夫婦が二人が切り盛りし、旦那が厨房を担当、奥様がう注文を伺う、昭和の香りが漂う小さな食堂である。
表看板には、営業時間は11時から17時までと、頑固な店主がこだわりの逸品しか出さない名店のようだが、店の佇まいからして、遅くまで店の灯りをつけていたところで、客足が増える感じではない。
もしくは長い間、一生懸命に店を続けてきたし、余生は無理せずに仕事したいという気持ちの表れなのだろう。


しかしこういうお店が、三人のなかでは、着飾らない、儲け主義に走らない、地元で愛されている店という目安になり、ガイドブックには載らない影の名店との判断になる。
今までに何百回という出張で鍛えてきたベテラン・スカウトの眼である。
引き当て率は7割を誇る。
店の暖簾をくぐると昭和食堂らしいレトロな椅子とテーブル。
煤けた壁には芸能人の色紙などなく、セピア色になった観光ポスターと伊勢まつりのスナップ写真が数葉。
懐かしい百円入れて占う卓上占星術機まで、申し訳なさそうにテーブルに置いてある。
飾り気なく、ひっそりとしているのがいい。

(つづく)

2月 27, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月26日 (月)

第1話 一生に一度はお伊勢参りの旅





「東海道中膝栗毛」や上方落語「伊勢参宮神乃賑」しかり、日本人として生まれてきた以上、伊勢神宮に参拝しなければならぬ。
機会があればと長年思っていたのだが、今回大阪本社の会議に合わせて、会社の同期、擦れ枯らしオヤジ二人と、伊勢まで足を延ばすことにした。
その同期、内海さんと菊池さんとは三十年来の付き合いで、十年ほど前から「オヤジ会」と称して、四十七都道府県をすべて巡る計画を立てている。
今までに10程度の都市や観光地を回った。
もちろん三重県は初めての旅行。


大阪から伊勢に向かうには近鉄特急が便利である。
大阪なんばから奈良路、伊賀の里を抜けて、高級和牛で有名な松坂に入り、伊勢に至る。
宿泊は、更に一時間ほど南に下った賢島にある、伊勢志摩サミットで一躍有名になった志摩観光ホテル。
東横インやアパホテルに慣れきった私たちには、リゾート型ホテルに泊まるのも、今回の旅の楽しみのひとつである。
10時過ぎに出発の近鉄特急に乗り、伊勢神宮のある伊勢市駅に向かう。





いつもの三人の旅行だと、車内で呑む酒も重要な愉しみなのだが、伊勢参宮という神聖な行事ゆえ、缶コーヒーで我慢して、車窓の景色を旅の友とする。
真冬の奈良路は収穫を終えた田畑が、白茶けた土を剥き出しにして目の前に広がり、代々続く農家なのだろう、瓦の立派な曲り家や白壁の土蔵が時折見える。


遠くにそびえるのは生駒山だろうか。
その後、三重県との県境に差しかかると、長いトンネルの連続。
先頭の展望車両に行ってトンネルの出口を待ったり、今宵の三重県の地酒を調べてみたり、電車が到着するのをひたすら待つ。


約2時間ほどで伊勢市駅に到着。
JRも乗り入れているターミナル駅なのだが、綺麗に整備された駅前は参拝客の賑やかさはなく、ひっそりとしている。
落語が描く賑わいを思い浮かべていただけに、あまりにも差があり過ぎて、オーソレミーヨと唄いたくもなる。
ここから歩いて参拝できるのは、伊勢神宮の外宮。
伊勢参拝のメインとなる内宮は、伊勢市駅からバスで15分ほど行った先で、たぶん参拝客はここには寄らず、直接そちらに向かってしまうのだろう。




本日は外宮のみの参拝。
何事も急いでは、御利益が半減するだろうし、元々分刻みのスケジュールなど頭にない気儘な旅行なので、誰一人として異論はない。
だいたい三十分も歩けば、喫茶店で休もうとボヤくし、そこに酒があれば、いつの間にか宴を始めてしまう、三人とも低い場所へと流されていく性格。
1日にひとつ観光すれば充分である。


外宮は衣食住の守り神である豊受大御神を祀る宮代であり、外宮を詣した後に内宮に向かうのが、本来の正しき参拝の順序だという。
その意味では、オヤジ三人の選択は筋の通った行程。
何事も無理をしてはいけない。
旅のスケジュールも腹八分目が、一番愉しむことができる。


(つづく)

♪今回は鉄ちゃん風な写真を撮ってみました。
店主YUZOO

2月 26, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月23日 (金)

第40回 耳に良く効く処方箋




シルヴィア『ザ・クィーン・オブ・セクシー・ソウル』(オール・プラティナム)

だいたいこのジャケットからしていけないのである。
地方のスナックにあるような安物のソファに腰掛けて、もうつまらない話は止めにしてベッドに行きましょうよと送る流し目に、手を伸ばせば届きそうなはち切れんばかりの胸元に、キスするためにあるような濡れた唇に、すべての男が目尻を下げて、彼女の言いなりに着いて行く。


男という生き物は、セクシーな女性の前では、従順な飼い犬なのである。
牙などないのである。
あとは野になろうと、山になろうと、有り金のすべてを失おうと、冷静な判断は出来るわけがない。
撃沈あるのみ。


このシルヴィアという妖艶な女は、男達を手玉に取り一筋縄ではいかない、したたかさを持っている。
お近づきになるには、よほどの覚悟ないといけない。
ライナーによると、デビューしたのは1950年頃。
その後、ぎたーの名手ミッキー・ベイカーと組んで、ミッキー&シルヴィアと名乗り「Love is strange 」というヒット曲を放つ。
さらに1967年に夫婦でオール・プラティナムというレーベルを設立し、今度は事業主として手腕を発揮するのである。


喩えて言うのならば、若い頃に風俗産業に、身を投じたが、身体がしんどい割には実入りが少ないと気がつき、業界の金の流れを学び、コネをつくること、他人を使って稼ぐこと、つまり経営者になるのが一番だと悟ったようなもの。
さすが女帝といわれる女だけある。




このアルバムは彼女を代表する『ピロー・トーク』と3作目『シルヴィア』を、カップリングしたお得盤。
全編にわたって、しっとりとした甘くて妖艶な歌声が聴ける。
またシルヴィアは、経営者以外にも作曲家としての才能を合わせ持ち、オール・プラティナムで契約していた甘茶ソウルの名グループ、ホワッツノウツ、モーメンツに、名曲の数々を提供している。
それらの名曲を女帝自ら、甘茶ソウルは、こういう風に甘くセクシーに歌うものよと、アレンジを変えて実演しているのも嬉しい。
砂糖菓子のような甘い夜の帳が降りてくる。

今回、家族に聴かれてはいかないと、思わずステレオのボリュームを下げてしまったのは、マーヴィン・ゲイのカバー曲「You sure love to ball 」。
シルヴィアが跨って、上となり下となり、ベッドの軋む音までも聞こえるようなエクスタシィ・ボイス。
見事な絶頂期の艶唱を堪能させてくれる。


音楽を聴いていて、AVを観ているような錯覚に陥る、唯一無比の妖艶盤です。

(店主YUZOO)

2月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月22日 (木)

第39回 耳に良く効く処方箋




村八分『アンダーグラウンド・テープス』(ハガクレ)

未発表音源やアウトテイク集は、音質的に問題があるものが多いが、それを差し置いても、ファンならば聴きたいもの。
昨今のボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、ドアーズといった大物アーティストが、ブートレッグで流通していた音源をリミックスし直して、正規盤として発売に至るのも、そのファンの要求を満たすためなのだろう。


ファンとは満足することを放棄した生き物。
ボーナス・トラックに数曲の未発表音源が収録されているときけば、喜んで買ってしまう悲しい性の生き物なのである。


このアルバムは、再発レーベルのハガクレ・レコードが、2003年に村八分の未発表音源集として、何枚かのCDに分けて発表されたもの。
結論から言うと、ファン心理的には昨晩の酒が影響して消化不良を起こした感じとでも言おうか、この貴重な音源を耳にできる喜び半分、ハガクレの雑な仕事ぶりに落胆が半分が正直なところ。




ライナーや録音データもなく、帯を代用したシールに、1972年に行われた京都KBC放送のラジオ番組用に録音されたと書いてあるのみ。
ジャケットをぼんやりと眺めて、当時の状況を想像するしかないのである。
英国ケント/エースの丁寧な仕事、ドイツベア・ファミリーの録音データに対する異常なまでの執念、日本オールディズのジャケットへのこだわりなどを見習って欲しい。


収録曲は「ぐにゃぐにゃ」が3テイク、「のうみそ半分」が2テイク、「鼻からちょうちん」が1テイクの全6曲。
どのラジオ番組のために録音されたのか知る由もないが、このCDに収められたのが全テイクだとすると、スタジオ・ライヴというより、村八分がデビューする1年前だけに、今若者間で人気のあるバンドの紹介という形で録られたものかもしれない。
それ以外は推測しようがない。


2016年にリマスター版が出て、録音風景や未発表音源が追加されているらしいが、同じのを2枚購入するのを厭わない自分でも、二の足を踏んでしまう。
未だに消化不良である。

(店主YUZOO)

2月 22, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月21日 (水)

第28回 紙の上をめぐる旅




ニコライ『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫)

幕末から明治にかけて、日露交流の礎として、ニコライの布教活動が大きく寄与したことは間違いないだろう。
この本は、そのニコライが1869年にロシアに帰国した際に、雑誌『ロシア報知』に寄稿した、日本の印象について書いたもの。
もちろん職業柄、日本人の宗教観、精神性などが主題になるのは仕方ないが、それでも当時の庶民生活がしのばれて興味深い。


冒頭で日本の政治体制下の庶民生活について「ヨーロッパの多くの国々の民衆に比べてはるかに条件は良く」と述べ、乞食はほとんど見かけず、東洋の他国に比べて、支配者の前に声なく平伏す東方的隷従はないと、その特殊性を考察。
更に識字率の高さに眼をむける。
国民の全階層にほとんど同程度にむらなく教育がゆきわたり、その要因は孔子を教材として読み書きを習うことにあると、推論している。




ニコライが来日したのは1961年。
来日時は日本語を話すことさえ儘ならぬ状況だったのに、日進月歩で読み書きを覚えつつ、同時に日本について冷静沈着な眼で分析していく。
その溢れんばかりの熱意は、ロシア正教会を日本の地に根付かせたい、ニコライの許に集まり始めた信者の心性を理解したいという思いからきているのだろう。

一方で、西欧人では計ることのできない、一途になりがちな狂信的な傾向、自身が永遠に神々の寵児だと信じている、国民性を危惧している。
それは二十五世紀の間、彼らの一度として頭を垂れて他国民の軛につながれたことがなかった歴史にあると、アイヌや朝鮮半島への侵略の歴史、中国との関係から結論づけている。

このニコライの危惧どおり、国力が諸外国と肩を並べるようになった途端、戦争への道をひたすら突き進むのだから、先見性のある考察。
来日して数年で、日本人の好戦的な志向を読み取ったニコライに驚嘆せざるを得ない。
ふと、当時の指導者はこの国民性を見極めていたから、戦争を選んでも支持されると判断していたのならば、その非人道性なる先見性に薄ら寒くなった。




ほかにも神道の原始的な信仰について、禅や法華経といった仏教、カトリックの非合理性など、事例を挙げて批判しているが、その方面は門外漢なので、眼を細めるだけで、これといった感慨はない。

武士社会から近代国家へ移行する、歴史が大きく変わろうとしているなかで、日本についてほとんど知識がなかったロシアの宣教師が、市井の人々と触れ合い、知識を得ていくうちに、どのような印象をもったのかを窺い知るだけでも、眼を瞠ざる得ない。
知を刺激される本である。


(店主YUZOO)

2月 21, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月20日 (火)

第38回 耳に良く効く処方箋




はっぴいえんど『グレーテスト・ライヴ!オン・ステージ』(ソリッド)

最近、耳がどんどん頑固になっていくようで、中古レコード屋で漁るのは、もっぱら未発表音源をまとめたものばかり。
ついこの間も、The Doorsの未発表ライヴ音源を3枚、村八分の未発表音源も3枚、まとめて購入。
そして以前買い忘れていたこのアルバムも同時にゲット。


相変わらずである。
新しい音楽を聴くというチャレンジがない。
何故ならば、新しいスタイルの音楽を聴くのは体力がいる。
まして加工され過ぎた音は人工的で、音に温かみ感じない。
耳というのは、年を重ねると遠くなるのではなくて、新しいものを聞き入れ無くなるだけなのではなかろうか。


はっぴいえんど。
日本のロック黎明期に燦々たる軌跡を残した名グループなのは周知の通り。
3枚のオリジナル・アルバムと何枚かの編集盤を残したのみで、その活動期間も1969年から1973年と非常に短い。
実際には1972年でグループとしては終焉、1973年のサード・アルバムは海外録音するという条件で再結集したに過ぎないと、解析する評論家もいる。
つまり伝説のグループの実動は非常に短かい。


このアルバムでは、デビュー前の「ロック叛乱祭」でのステージが3曲収録されていて、はっぴいえんど以前のグループ名、バレンタイン・ブルーとして紹介されているのが、興味深い。
そのほかの音源は、1971年「加橋かつみコンサート」、「第3回中津川フォークジャンボリー」となっている。




はっぴいえんどは、スタジオ録音は良いが、ライヴはイマイチという評価が長い間なされているが、このアルバムを聴く限り、それは音楽業界の都市伝説に過ぎないように思える。
この音源自体は、レコード化されることを想定されていないゆえ、非常にラフなミックスで、各楽器の音のバランスが悪いが、そのなかでも鈴木茂のギターは一際光っている。
当時は未だ19歳なのに、一瞬の煌めきで弾くフレーズやソロは独創的で、ルーツが何処にあるのか解らないほど個性的だ。


それと細野晴臣のベース。
のちにティン・パン・アレーを結成して、鈴木茂とともに日本のミュージック・シーンを支え、それどころか歌謡曲まで視野に入れた活動の原点を感じさせる、懐の深いベース・ライン。


このアルバムは、本人たちが発表を意図していない音源なのだが、こうして耳にすることによって、都市伝説が崩れ去るという好例だと思う。
頑固になった耳が、そういうのだから間違いない。


(店主YUZOO)

2月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月16日 (金)

第37回 耳に良く効く処方箋




メリー・クレイトン『ギミー・シェルター』(オード)

メリー・クレイトンと聞いて、すぐに誰だかわかる人は、ストーンズ・ファンに違いないと思うけど、というより『レット・イット・ブリード』で、このアルバムのタイトル曲で、ミックとのデュエットが印象的なシンガー。
「ギミー・シェルター」も彼女の歌声が無ければ、あの時代の張り詰めた空気感を表した名曲にならなかったかもしれない。


とにかくゴスペル仕込みのパワフルな歌声を聴かせる女性である。
経歴を見ると、小さい頃は教会で歌い、ティーンエイジャーになるとレイ・チャールズのバックコーラス隊、レイレッツのメンバーとして活躍、その血統書良さに納得のいくところ。


そのサラブレッドのレコーディングに、デヴィッド・T・ウォーカー、ビリー・プレストン、ジョー・サンプル、ポール・ハンフリーなど、超腕利きミュージシャンが集うのだから、羨ましい限り。
これで凡庸なアルバムしか創れなかったというのなら、全てプロデューサーの責任ということになる。


収録されている曲は、表題曲の他に、「明日に架ける橋」、ジェームス・テイラー「カントリー・ロード」、映画『ヘアー』の挿入歌「アイヴ・ガット・ライフ』、ヴァン・モリソン「グラッド・ティディングス」など、このアルバムが発表された1970年頃にヒットしていたり、注目されていた曲が中心になっている。
歌の上手い歌手と名うてのミュージシャンがヒット曲を演れば、良いものが出来て当然なのだが、何故かポピュラー史に名盤としてが残ることがなかった。




何故だろうか。
その原因を考察してみると、このアルバムが発表された時代背景があるのではないかと思う。


折しも、この時代に圧倒的な支持を得たのは、キャロル・キングやジェームス・テイラーといったシンガーソングライター。
もしくはニュー・ソウルと台頭と呼ばれたマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、ロバータ・フラッグという面々。
歌の上手さが求められるよりも、内省的で淋しい心を癒してくれる歌であり、力強い歌声が求められたのは、60年代後半の政治の季節に同調した頃で、このアルバムの手法は、少し古く聴衆の心を捉えることができなかったのではないか。


私論であるが、1969年と1970年以降では、わずかその1年には精神を左右する大河が流れていて、誤解を恐れずに言うならば、カウンターカルチャー的な高揚感が潮が引くように消え、私的な出来事や問題を考える方が重視されるようになった。
オルタモントの悲劇が原因だという評論もあるが、本当のところ、この1年の間に人々の心に何があったのか知る由もない。


ただメリー・クレイトンという歌手が才能ないと言っているわけではない。
繊細な表現に欠けるものの、非凡な歌手であり、このアルバムが発表されて50年近く経った現在の耳には、そのタイトなバックと併せて、レア・グルーヴの視点から再評価されるべきだろう。


このアルバムがカウンターカルチャー全盛期に発表されていたら、メリー・クレイトンは歌う女戦士という肩書きが付いていたのかもしれない。
歌は世につれ世は歌につれとは、良く言ったものである。


(店主YUZOO)

2月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月15日 (木)

君はサマゴーンを呑んだことがあるか





今回は酒の話を少しばかり。
ロシアを代表する酒はウォッカなのは周知の事実なのだが、そのなかでも絶大なる支持を得ているのがサマゴーンである。
サマゴーン。
端的に言えば、自家製ウォッカの名称である。
その製造方法は百者百様であり、代々受け継がれた秘伝の製法があり、奥深い一家言があり、この世で最高のサマゴーンを製造できるのは我が家だけという自負がある。
たぶんロシアの酒造会社が生産する数量よりも、サマゴーンの方が更に上をいっているのではないか。


モスクワやサンクトペテルブルクといった都会では、私たちがよく眼にする酒造会社のウォッカが幅を利かしているが、マトリョーシカを製作しているような片田舎では、圧倒的にサマゴーンが王座の地位を占めている。
それはワインやウィスキーの瓶をリサイクルしたものに入れられているので、ラベルはナポレオンでありカミュであり、ボジョレーヌーヴォーの顔つきをしていて、宴のテーブルに鎮座しているのだ。
今宵、家主は張り込んだなと目を細めたら大間違い。
一気に煽ると、その目を白黒させることになる。


というのも、ほとんどの市販のウォッカはアルコール度数が40%だが、自家製だけに伝統的な手順をついて完成したものが、我が家の濃度となる。
つまり家主しか知らない。もしくは家主さえも詳しい濃度についてわからないのが、実はほとんどである。
その純粋なアルコールに、キノコや白樺、香草などで香り付けをして、我が家流のサマゴーンが完成する。




以前、パーティで意気投合したアゼルバイジャン出身のゲーナさんが、友好の証として秘蔵のサマゴーンを、わざわざ家まで取りに戻ってくれて振舞ってくれたことがある。
「友達になった祝いに乾杯!」
とそのサマゴーンをショットで二杯呑んだ瞬間、私の身体から骨身が抜けて、一枚の紙切れとなって、テーブルの下に滑り落ちていった。
のちに周りの人々の証言を聞くと、風に揺られた木の葉が枝から舞い落ちるようだったという。
それなりに酒の強さを自負している私だが、わずかショット二杯で沈没したのは、初めての経験だった。


乾杯前にゲーナさんが訊いたところ、香り付けはキノコと言っていたが、今思うにアチラの世界へ誘うマッシュルームなのではと踏んでいる。
あの身体が紙切れ一枚のようになった時の心地良さは、雲の上を歩いているような感覚。
後にも先にも、あのような感覚を味わったことはない。


しかしサマゴーンを振舞ってくれるのは、テーブルに所狭しい並べられる手づくり料理と同様に、遠く日本から会いに来てくれた感謝と歓迎の表れである。
その気持ちが、心に染み渡る。
そしてサマゴーンを酌み交わしながら、談話をしたり、歌を唄ったり、久しぶりの邂逅を愉しむのだ。


その時、家主から「今年のサマゴーンは上手く出来たよ」と耳打ちされると、何故かドキッとする。
だいたい気負い過ぎて、アルコール度数が高くなっているのが、常だからである。


ぜひロシアの家庭に呼ばれた時は、サマゴーンに挑戦してはいかがか。
ロシアと酒に対する認識が変わりますゾ。

(店主YUZOO)

2月 15, 2018 ロシア語, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月14日 (水)

第36回 耳に良く効く処方箋




ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、ボ・ディドリー『スーパー・スーパー・ブルース・バンド』(チェス)

レコード会社というのは、経営難になると突飛もない企画をして、再生を図るものである。
50年代、飛ぶ鳥を落とす勢いだったチェス・レコードも、このアルバムが録音された1967年頃には、ヒット曲も無く、かと言って期待の新星も見当たらず、完全に経営が行き詰まりの状態。
社主レーナード・チェスも、ここは奮起と斬新な企画を熟考に熟考を重ねる。
もしかしてブルース界の帝王が一堂に会してにレコーディングに臨んだら、想像を超えた化学反応が起こるのではというアイデアを元に製作されたのが、このアルバムである。


このアイデアを例えるならば、北島三郎と勝新太郎のショーに、トニー谷が乱入したようなもの。
ただでさえ我の強いブルースマンなのに、シカゴ・ブルースの大御所に鎮座するハウリンとマディの二人に、変わり者のボが割り込んでくる図式。
最初から新時代のブルースを創り上げようという意気込みはない。
存在するのは俺様がブルース界の一番だ、顔役だという自我の対立のみ。
譲り合いの精神など初めからない。


しかし予定調和に小さくまとまったアルバムよりも、この自我のぶつかり合いが、意外に病みつきになるもので、この三人の心境を想像しながら聴くのが面白い。
トニー谷的立場のボは、完全におちゃらけていて、クッキー・ヴィという女性コーラスと一緒に奇声をあげたり、トレモロを効かせた銭湯のようなチャプチャプ音のギターを弾いたり、やりたい放題。




頑固オヤジのハウリンは、当然そんなトニー谷的ボを快く思うわけもなく、ボの持ち歌になると、明らかに馬鹿にした態度で、浪花節的な唸り声をあげて、曲をぶち壊そうとする。
その様子を見ながら苛立ったのか、完全に主役を取られると焦ったのか、マディは他人が気持ち良く歌っている途中でも、強引にリードを取ろうとする。


とっくに不惑の年など超えた大御所が、臆面もなく自我とブルース魂を放出していることに、美しささえ感じてしまうのだ。
今の言葉で言うならば、空気の読めないオヤジ連中と揶揄されるかもしれない。
若い奴の自我の強さは青臭いが、一本筋の通ったオヤジのそれは、生き様という以外に何と言おうか。


このブレない人生を突き進む美しさ。
小さく人生をまとめてしまっては、何も語ることができなくなるぜと諭されているようである。

(店主YUZOO)

2月 14, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月13日 (火)

オリンピックが始まる、オヤジの小言が多くなる







平昌オリンピックが始まった。
世界が集うスポーツの祭典という表の顔が半分、期間限定のエンターテイメント・テーマパークという裏の顔が半分という気がしてならない。
巨額な資金が注ぎ込まれるため、建築物やデザインの受注を取るに、政官界が影で動き、黒幕が暗躍し、権力者が微笑むという公式を軸に、密約、策略、裏工作、接待、談合などが図られ、この晴れの舞台が出来上がっているのだろう。


右手で握手して、左手で札束を数えている図式。
平昌オリンピックを批判しているのではない。
東京オリンピックのエンブレムや会場設営のゴタゴタを見て、そう感じるようになっただけである。

擦れ枯らしのオヤジは、何事にも純粋に煌めく眼差しを注ぐことができず、常に斜から批判的に見てしまう癖が、習慣づいてしまっている。
札幌オリンピックで感動した純心は、とうに失ってしまっているのだ。
もしくは心の奥底に、何重にも鍵がかかった小部屋に、ひっそりと仕舞われていて、なかなか人目に触れることはなくなった。
年を重ねて様々なことを経験するとは、何かを失うことでもある。哀呼。


炬燵でゴロ寝してテレビを眺めていたら、冬季オリンピックでは過去最高の92の国と地域が参加とアナウンスされ、つい身を乗り出して画面を見入った。
クロアチア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルセゴビア、マケドニアは元はユーゴスラビア連邦だった国々。
ジョージア、モルドバ、アゼルバイジャン、ウクライナ、ウズベキスタン、カザフスタン、バルト三国などの国々も元ソビエト連邦。
自国の旗を振りながら嬉々として入場する姿に、目頭が熱くなったり、細い目を瞠ったりと、忙しい。


1991年にソビエト連邦崩壊後、それぞれの地域が独立した結果であって、過去最高の出場数と言われても、その歴史的背景を考えると素直に喜べない。
ユーゴスラビア連邦はNATO軍の大規模な空爆が分裂に一役買ったわけだし、ソビエト連邦崩壊後に堰を切ったようように各国が独立に動いたのは、モスクワを中枢とした政治体制が原因であるのは周知のとおり。
さらにジョージアは、ロシア語読みだったグルジアという名前を英語読みに変更してまで、ロシア的なるものから離れようとしている。




イスラエルは豊富な資金で選手団を送り出すことができるけど、パレスチナの人々にとっては、オリンピックは遠い星で開催される祭典なんだろうぐらいしか思っていないのだろう。
また開会式入場のハイライトだった北朝鮮と韓国合同の選手団は、国民の切なる願いというよりも、政治的な思惑が働いたとしか見えない。
オリンピックは、世界が平和にひとつになるという精神に基づいているというが、そんな絵空事で括れないと、暗澹たる気分になってしまう。
国家とはなんぞや。平和とはなんぞや。


擦れ枯らしのオヤジは画面に向かって小言を繰り返す。
聖火台が点火されると、快呼と拍手を送る。
トンガの選手の肉体美にも、快呼と拍手を送る。
マイナス2度の極寒の世界で、あの筋骨隆々とした肉体を観客に見せつけるのは、ある意味、確信犯的な犯罪である。


呆れた家族は夕飯が終わると、そそくさと自分の部屋へと退散。
居間に残されたのは、擦れ枯らしのオヤジが独り。咳しても一人。
今日は休肝日と決めていたから、酒を呑みながら愚痴をこぼさないだけマシだと、独りごちになりながら番茶を啜る。


何だかんだ小言を嘯きながらも、一番オリンピックを愉しんでいるのだ。
しかし世界が平和にひとつになる以前に、家族がそのうち独立宣言をしそうな気配である。哀呼。

(店主YUZOO)

2月 13, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月10日 (土)

第35回 耳に良く効く処方箋




村八分『草臥れて』(ゲイターワブル)

この音源が発見されてCD化されとき、大きな話題になった。
何しろ村八分は、ライヴ盤1枚のみ発表して解散してしまった伝説のバンドであり、日本のロック黎明期において、はっぴいえんどと同じく、重要な位置にある。
そのバンドのスタジオ音源が存在したことに、驚きで眼の玉がぐるりぐるりと廻ったのを、昨日のことように覚えている。


ただスタジオ録音といっても、ミックスダウンが施され、各パートのバランスを均等にした、いわゆる完成された音源ではない。
ライヴ前のリハーサルのような一発録り。
このバンドの生々しい音がダイレクトに伝わってくるだけに、このラフミックスは、伝説をさらに雲の上へと昇らせる迫力がある。


ボーカルのチャーボーの独特の歌唱と山口冨士夫のブルージーで歯切れの良いギターが素晴らしい。
そして何よりも歌われている世界観が、デカダンス、アウトロー、ニヒリズム、ダダイズムに酔っているような、もしくは怠惰、堕落、無頼、厭世を宣言しているような、他者を拒絶した詩の世界をつくりあげている。
この「操り人形」の歌詞は、徹底したニヒリズムが歌われているが、チャーボーの描く世界は絶望のなかに純粋が潜んでいると、私は思うのだが如何だろうか。


神(の子)を殺して
人の心に葬ってやった
人を殺すかのように
引き裂いてやった
流れる人混みを弄び
馬鹿な人間どもを操り人形のように
操ってやる 操ってやる


また最終トラックの「あッ!」では、こんな詩が歌われている。


俺は片輪、片輪者
心の綺麗な片輪者




ここでは片輪という言葉を、尊いものへと昇華させて、聴く者の精神に混沌と疑問を与える。
それは常識への問いかけかもしれない。
言葉というのは、ひとつだけの意味付けしかされないと、時代の価値観と共に風化してしまい消えていく運命にある。
解釈の多様性によって言葉は、時代の流れのなかを生き抜き、常に新鮮な響きをもって迎え入れられるのだ。
あえて差別用語として嫌み嫌う言葉を使って、このような美しい世界を創りあげることができるのだと、ロック的なカウンターカルチャーな挑戦なのである。


残念ながら、ロックがカウンターカルチャーの代名詞だった70年代は終わり、この系譜をひくバンドは無くなってしまったが。


村八分が伝説になったのは、活動期間が短く、アルバムを1枚しか残さなかったからではない。
このチャーボーが描く世界、それに応呼するように、蛇が這い回るような湿った山口冨士夫のギターが、ライヴを観た者を釘付けにして、心に反抗的精神が巣食ってしまったからだろう。
伝説は必然的に生まれたのだ。


(店主YUZOO)

2月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 9日 (金)

酒呑みは如何にして鍛えられたか





齢五十を越えると、持病がないといけないようである。
最近、同期や同級生と呑みに行くと、最初に口をついて出るのは健康診断の結果で、ガンマーGDPや血糖値の数字について医者並みに詳しくなり、再検査の数を誇らしげに語り始める。
仕事や家族の話などの話題は、二の次になり、もちろん昔のような初々しい恋愛話など、俎上にすら上らない。


「糖尿病予備軍なんて言われちゃってさぁ。だから最近は日本酒を辞めて、ハイボールにしているんだよね」
「俺なんか痛風だから、ビールはタブーなの。あと鯖や鰯といった光り物もね。だから刺身盛りは鮭しか食べないよ」
「体脂肪率が30%を超えると、どうなるかわかる?寒さを感じないんだよ。ハハハ」


それならば酒を断てば良いのにと思うのだが、それは健康とは別の問題であって、呑む酒の種類を変えることで、簡単に解決できると考える。
酒呑みが厄介なのはこの思考回路があるからだろう。
根本的に酒は百薬の長と信じている節がある。




また朋友の話を聞いているうちに、健康な身体は、教会で懺悔しなければならないような罪深いことのように思えてくるのが、酒場の談義の不可思議さである。
そんな大酒呑みなのだから、身体の何処かに不調をきたしていないのは、酒の神バッカスか酒呑童子の子孫だと、半ば呆れられる。
当然、酒呑みは不摂生の権化みたいな存在ゆえ、絶対に肝臓なり膵臓なりが悲鳴をあげていなければ、正しい酒呑みではないと逆に非難されることになる。
酒は百薬の長であると右目で語り、大酒呑みは内臓に疾患がないといけないと左目で悟すわけである。


相反する事柄に整合性を持たせるのは、酒呑み独自の弁証法。
酔うか覚醒かの二次元で世界は成り立っていると考えている。
よく缶ビールや缶チューハイに、お酒は節度を持って飲みましょうと書いてあるが、あれはこの弁証法から遠く外れて、酔うために呑んでいるのに、何を戯れ言を掲げているのだという論理になる。


そこで三十年以上も酒と付き合っていると、ひとつの考えに至る。
記憶を失ったり、ヘラヘラと壁を見て笑い続けていたり、終電を乗り過ごしたり、いかがわしい店でボッタクられたりを繰り返しながらも、なぜ酒を辞めたと思わないのかと。
もちろん二日酔いの朝に布団の中で、酒辞めたと叫ぶことはある。
しかしそれは一過性のことであって、夕方には何事も無かったように振る舞ってしまう。




酒呑みは学習能力が低いことは否めないが、それ以上に好奇心が旺盛なのではと思う。
美酒、銘酒、希少酒、王道酒、珍酒、奇酒、変酒、稀酒など、目の前で酒瓶がちらつくと呑まずにはいられない。
どのような芳香が鼻腔をつき、ゴクッとした時の喉越しが辛いのか、苦いのか、水の如しなのか、そのあとに五臓六腑にどう染み渡るのかが、知りたくて居ても立ってもいられないのである。
そこには健康診断の結果は存在しない。


盃一杯であちらの世界に誘う強い酒だったとしても、その酒に出逢えたことに満足するだろうし、何本呑んでも酔いが回らないパンチの弱い酒であっても、それはそれで幸せな出逢いなのである。


今宵も朋友は、今度の土曜日が再検査なんだと愚痴を言いながら、初めて耳にする銘柄を嬉々として注文している。
明日は明日の風が吹く。


(店主YUZOO)

2月 9, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 8日 (木)

第34回 耳に良く効く処方箋




リック・ダンコ『リック・ダンコ』(アリスタ)


ザ・バンドが解散してから、メンバーそれぞれが発表するアルバムに、どこかザ・バンドの残り香を探そうとするのは、いけないことだろうか。
メンバーにとっては新しい船出にあたって、栄光の遺産ばかりを求められるのは、迷惑な話かもしれない。
過去はその名の通り過ぎ去った出来事。
現在の姿をその二つの目で見届けてくれという心境が、本音であろう。
過去に甘んじていては、懐メロ歌手として、ディナーショーを巡るような、昔の名前で出ています的な時代遅れのミュージシャンに成り下がってしまう。


リック・ダンコはザ・バンド解散後に、最初にソロ・アルバムを発表したのだが、その心境は過去との決別だったのかというと、そう言い切れないものがある。
メンバー全員が一堂に会する曲はないものの、全員が参加しているし、ザ・バンドのアルバムに収録されていてもおかしくない曲が、数多く散りばめられているからだ。
御多分に洩れず、私はザ・バンドのメンバーが参加している曲に、その残り香を求めてしまうのだが。




ガース・ハドソンが参加した「New mexicoe 」に、ロビー・ロバートソンの「Java blues 」に、リチャード・マニュエルの「Shake it 」に、リヴォン・ヘルムの「Once upon a time 」に。
当然のことながら、それらの曲にザ・バンドで見せてくれた独特の一体感が見て取れるし、こちらもつい眼を細めてしまう。
眼の横皺も多くなる。深くなる。


リックの意気揚々としたボーカルに癒されながらも、ふと判らなくなってしまった。
それならば何故ザ・バンドは解散してしまったのだろうか。
公には、ロビー・ロバートソンと他のメンバーとの確執が解散に至ったと言われているが、それならばソロ・アルバムを録音するにあたって、ロビーを呼ぶ必要はないだろう。
さらに他のメンバーが参加するのも得策ではない。
これからの自分の音楽人生を占う初のソロなのである。
過去との決別こそ最初に成すべきではないだろうか。


そこでリック・ダンコの心境を想像してみる。
もしかするとリックはザ・バンドの解散は手放しでは喜んでいなくて、もしくは後ろ髪を引かれる思いで合意したのではと。
少し休息をとってから、リフレッシュしたら昔のように楽しくやろうよ、まずは俺のソロ・アルバムで楽しく演ることから始めて。
そんな風に想像すると、このアルバムが俄然素敵な音に聴こえてくる。


ボビー・チャールズの「Small town talk 」なんて、少し皮肉の混じった曲を収録して、小さな街の噂話にすぎないよと歌うリック・ダンコ。心憎いね。

(店主YUZOO)

2月 8, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 7日 (水)

昭和オヤジ哀れ歌





来年には平成も終わり、新たな年号になるそうである。
そうなると昭和生まれはさらに化石と化して、若い世代とは会話が覚束なくなり、意思の疎通ができないままに、東西冷戦の如き断絶が起こる。
またモバイルを上手く使えない姿に、憐れみ混じりの飽きられ顔で見られることが、今以上に多くなるに違いない。
とにかく飲み会の席では「ここでドロンします」とか「メートルが上がってきた」など安易に口にしないこと。
さらには部下や後輩に無理に酒を勧めないことが、昭和の化石が長く生き長らえるコツである。


また昭和生まれが理想としていた男の生き方は、その価値観は180度変わったと考えた方がいい。
仕事一筋で必要最低限のことだけを話し、あとは黙して、目標を達成するまで根気強く打ち込んでいくという「男は黙ってサッポロビール」的な生き方は、現代では通じない。
今の価値観ならば、自分に合わない仕事ならば早々に辞めればいいし、コツコツとひとつのことをやり遂げるほど、時間はゆっくりとは進んでいないのである。


そんな時代の流れのなかで、昭和生まれのオヤジ達は、どう生き延びていかなければならないのか。
3年ほど前のことであるが、仕事でイラストレーターを学ばないといけなくなり、基礎の基礎を習いに行ったことがある。
全5回の講座で、丸を作ったなかに色を付けましょうとか、招待状に花のイラストを添えてみましょうといった類いの、熟練者から見れば微笑ましくなるような内容であった。
そんな小学生が嬉々としてできる講座なのに、最初の1時間で、早くも落ちこぼれ生徒に成り下がってしまったのだ。


まず専門用語がわからない。
間違った操作をした時に、元に戻すことができない。
集中力が持続しない。
画面を見続けていると眠気が襲う。等々。
異国に留学したような気分であった。




世間では四十の手習いなどと「中年よ、大志を抱け」的な格言があるけど、あまりにも専門的な分野だと、基礎知識が欠落しているために、その土俵の上にも上がれない。
せいぜい新しく何かを始めるとしたら、花の名前を覚えるとか、近所をジョギングをする、血圧を下げる薬を飲むのが、精一杯であろう。


もう自分ができる事だけを地道にやるしか、擦れっ枯らしのオヤジに残された生き方はないのである。
紅顔の美少年だった頃に、自分が寝る間も惜しんで熱中したことを思い出し、もう一度それに情熱を注ぐしかないのである。
たとえ出来ることが、このデジタル全盛の世の中、古臭いものだとしても、恥ずかしがらずつづければいい。


「まだ手紙を書いているのですか。メールで送れば楽なのに」
「車のナビだったら地図無くても平気ですよ」
「まだ写ルンですで写真撮っているんですか?」
そんな周囲の言葉に動揺してはいけない。
若い世代に白眼視されることなど当然のこととして受け止め、自分の意のままにやり遂げれば良い。
長年培ってきた経験値と好きこそ物の上手なれの精神は、あなただけの宝物である。


金曜日には疲れ切って電車を寝過ごしてしまう、昭和生まれの諸兄。
もう私たちの目の前には道はないが、振り返れば道は残っている。
君たちはどう生きるか。

(店主YUZOO)

2月 7, 2018 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 6日 (火)

第33回 耳に良く効く処方箋




ポール・バターフィールド・ベターデイズ『ライヴ・アット・ウィンダーランド・ボールルーム』(ベアーズヴィル)

この未発表ライヴが発売されると音楽雑誌に載った時の興奮は、今でも昨日のことのように覚えている。
ポール・バターフィールドのブルースハープの音色に、高校生の時にガツンと衝撃を受けて以来、その音を聴きたいが為に、いろいろとアルバムを漁ってきたが、その理想形としてベターデイズのファースト・アルバムがある。
そのベターデイズの未発表ライヴが出るのである。


好きな女の子から告白されたぐらいの興奮。
発売日が来るのを指折り数えるだけでは飽き足らず、もしかしてフライングで発売日前に売っている店はないかと、レコード屋を巡ったりした。
もちろん店頭に並んでいるわけがない。
早く聴きたいけど、その音源は手に入らないもどかしさ。
もしかすると著作権の関係で、発売中止になる憂き目に合うかもしれないのである。
こんな初々しい気持ちが、身体を包み込むのも久しぶりのことであった。


ようやく販売当日。
手に入れると、何処にも寄らずに一目散にステレオの前へ。
このベターデイズはエイモス・ギャレット、ロニー・バロン、ジェフ・マルダー、クリス・パーカー、ビリー・リッチと腕利きミュージシャンが集合しただけでなく、ソロで活躍できる程、自身のスタイルを完成した強者ばかり。
2枚のアルバムを発表しただけで解散したゆえに、残された音源は限られている。
ライヴとなるとどんな融合が起こるのか、想像すらつかないのだ。
しかもファースト・アルバムを発表して1ヶ月後の凱旋ライヴである。




オープニングの「Countryside 」で、いきなりポールの壮絶なブルースハープ・ソロで幕が開ける。
まるで蒸気機関車の汽笛。
こんな凄まじいブルースハープを聴いたことない。
新しい組んだバンドへの並々ならぬ心意気と入れ込みようが、その熱い息遣いからわかる。


そしてジャニス・ジョプリンの歌のない遺作「生きながらブルースに葬られ」とボビー・チャールズの傑作「Small town talk 」と続く。
リズムはタイトで、決してアンサンブルを崩すことなく手堅くグルーヴ感を紡ぎ出す。
その安定したリズムに載せて、エイモスのギターがツボを心得たソロやオブリガードを聴かせて、ロニーがニューオリンズ仕込みの転がるピアノを奏でる。
まさに至福のとき。


そしてファースト盤でも白眉のギターソロを聴かせてくれたパーシー・メイフィールドの名曲「Please send me someone to love 」に酔され、その興奮も醒めぬままに、再びポールが壮絶なブルースハープを聴かせる「He’s got all the whiskey 」へと雪崩れ込む。
この時点で蒸気機関は3両連結で、雪に埋もれた網走平野を爆走しているような、石炭が赤く煌々と燃え盛るような熱さ。
ポール・バターフィールドの凄まじいブルース魂が、溶岩となって吹き出している。


聴き終わって、じっとりと背中に汗をかくのは、このアルバムぐらいである。
全盛期のポールを止めることは誰もできない。
ぐっと冷え込んだ朝に、私はストーブ代わりにこのアルバムを聴く。
身体の芯から温まる。

(店主YUZOO)

2月 6, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 5日 (月)

第32回 耳に良く効く処方箋




マリア・マルダー『オールド・タイム・レディ』(リプライズ)


最近の休日は、古き良きアメリカ音楽の匂いがするアルバムばかり聴いている。
肩肘を張らずに、何も考えずぼんやりと聴いていられる音楽が、この季節は良いのである。
先日の皆既月食は美しかったとか、このまま雪は四月まで残ったりしてなどと、たいして重要でないことを徒然なるままに思い返しては、音楽に心を合わせているだけで、和んだ気持ちになる。


その中でマリア・マルダーは、この季節に相応しい歌姫である。
古き良きアメリカ音楽の最良の部分を、その細身の身体いっぱいに蓄えて、澄んだ歌声で聴かせてくれる。
しかもこのアルバムでサポートするのは、ドクター・ジョン、ジム・ケルトナー、ライ・クーダー、エイモス・ギャレット等々の同じく古き良きアメリカ音楽に精通した面々。
何が不満があるだろうか。


1曲目はライ・クーダーの軽快なギターのピンキングに合わせて、歌姫が歌い出す「Any old time 」。
スライド・ギターに聴こえるのは、ディビッド・リンドレーのハワイアン・ギター。
この曲でこのアルバムのコンセプトがわかるというもの。
そして永遠の名曲「Midnight at the oasis 」へと流れていく。


この名曲の聴きどころは、何と言ってもエイモス・ギャレットの流麗なギターソロ。
このエイモス、隣に住んでいるギター好きのお兄さんのような人懐こっさがあるのに、ギターを持つと繊細かつ知的なソロやバッキングを聴かせてくれる、ただならぬ人物なのである。




このアルバムが出た1970年代は、ドラマチックで激情的なギター・ソロが支持を得ていたのだが、それとは異なるアプローチ。
この曲と同じく、ベターデイズで聴かせてくれた「Please send me someone to love 」も名演で、併せて聴けば、エイモスのギターの虜になるのは請け合いである。


また何処を切っても金太郎飴的なドクター・ジョンのピアノが軽快に転がる「Don’t you feel my leg 」、
ダン・ヒックスばりのジャジーな小唄「Walking one & Only 」など、バックの演奏を聴きながら、歌姫の美声に心をときめかせる曲が、たくさん詰まっている。
最後のデザートまで妥協せず、丁寧に作られたアルバムである。


正月太りしたなと腹の肉をつまみ、ジョギングをしようと考えている諸兄の皆さま。
こんな寒い時に外に出るのは、抵抗力も落ちているだけに身体に悪い。
ここは春の訪れを思い浮かべながら、良い音楽を聴いて、まずはやさぐれた心をマリア・マルダーの歌声で治すことから始めようではないか。
冬来りなば春遠からじである。

(店主YUZOO)

2月 5, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 4日 (日)

第27回 紙の上をめぐる旅




渡辺光一『アフガニスタンー戦乱の現代史』(岩波新書)


アフガニスタンに最初の国際社会の眼が向けられたのは、1979年ソビエトが侵攻した時だろう。
まだ東西陣営に世界が分かれて、西側諸国はソビエトの暴挙に抗議し、経済制裁や渡航制限などの圧力をかけ、さらに象徴的だったのは、1980年のモスクワ・オリンピックをボイコットした。
メダル候補だったマラソンの瀬古や柔道の山下が出場できないことに、落胆した国民は多かったはず。
その後、2001年の同時多発テロ事件を受けて、ブッシュ大統領が「テロとの戦い」宣言し、大掛かりな掃討作戦に出る。


長年にわたってアフガニスタンが、戦乱の惨禍にあることをニュースとしては知っているのだが、それは時間の経過という横軸だけの認識であって、なぜ自国が絶えず戦争に巻き込まれなければならないのかという縦軸の認識がない。
資源に乏しく、大きな産業もなく、高山に囲まれた自然が厳しい国が、大国の論理に翻弄され、常に戦場とならなければならない理由を知りたいのである。
慣れ親しんだ土地を追われ、家族を惨殺され、難民になるのは、派遣された兵士ではなく、そこに生きている人々ゆえ、大多数のアフガニスタン国民は戦場になることは望んでいないはずだ。




この本はその問いかけに、アフガニスタンを構成する民族から、文化や宗教に至るまでを分かり易く説明してくれる。
冒頭の章から驚かされるのは、アフガニスタンは、過去一度たりとも国勢調査が実施されたことなく、国連機関やNGOが発表する人数は、あくまでも推定の域を出ていない。
しかし援助金や補助金を得るためには、推定でも明記しなければならず、多くの資金を調達するために、割増に申請するという悪しき慣習さえある。


他にも近代イギリスが、インド、パキスタンの植民地をロシアから守る要所として、三度の戦争があったことが記されている。
アフガニスタンは経済的に貧困国ではあるが、交通の要所として重要だっただけに、その地を有利に治めるため、強国から狙われていた。
やがては東西イデオロギーの要ともなり、前述のロシアによる侵攻があり、報復という名のアメリカ出兵がある。


この本が発刊されたのは2003年。
タリバン勢力が掃討され、困難で険しい道のりであるが、国を建て直すために、アフガニスタンの諸勢力が会議のテーブルに着いたことに、一筋の光を案じて締めの言葉としている。
だが15年を経た現在、著者の祈りは天に届くことなく、歴史が逆行するような事態となってしまった。
タリバン勢力は資金調達ルートから判断して、再び興隆することはないと、著者は断定的な発言をしていたのだが。


いつ終わるかわからない果てない内戦に、途切れることなく武器が調達されていく。
国民の生活さえ困難な国なのに。
どのような力関係によって、もしくは論理によってアフガニスタンが、このような過酷な運命に晒さなければならないのか。
祈るしかないだけの無力感だけが残る。

(店主YUZOO)

2月 4, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 2日 (金)

第31回 耳に良く効く処方箋




オムニバス『ジャニス・ジョプリン・クラシックス』(P-VINE)

このアルバムは不世出のロックシンガー、ジャニス・ジョプリンがカバーした名曲を辿って、その軌跡を改めて認識しようという企画盤。


P-VINEが得意とする企画盤で、ローリング・ストーンズやビートルズ、レッド・ゼッペリンなどが同じく発売されていたが、最近はまったく音沙汰がないので淋しいかぎり。
オリジナル曲を1曲ずつ蒐集するのは、たいへん骨が折れることだけに、こういう明確な意図を持って企画されたアルバムは、ロックを聴いていて、更にそのルーツとなるブルースやソウル、R&Bを辿ろうとする金の無い若者には、うってつけなのだが。
一音楽ファンとして再考を願いたい。


さてこのアルバム。
まずはデビュー前にコーヒー・ハウスなどで演奏していた、フォークソングやフォーク・ブルースのスタンダード曲が並ぶ。
保守的なテキサスの町で生まれたジャニスは、馴染むことが出来ず、ビートニクに憧れてロサンゼルスに移り住んだりしたものの、望むような居場所を得ることが出来ず、その中で、ここで収められた「San Francisco bay blues 」や「Careless love 」を歌ったり、聴くことことが心の拠り所だったという。


そしてジャニスを一躍時の人にした伝説のモンタレー・ポップ・フェスティバルでの「ボール&チェイン」熱唱。
この曲は豪傑ブルース・ウーマン、ビック・ママ・ソートンのレパートリーだが、独自の解釈で完全に自身の持ち歌にしている。


ここでよく言われるのが、ジャニスの実力に比べてバック・バンドの演奏力の拙さが惜しまれるという指摘。
確かにリズムはタイトではないし、ファズを効かせたギターはノイズの垂れ流しで、冗漫な演奏ではある。
ただこのノイズまみれの演奏に乗せて、ジャニスが心を蝕む憂鬱を吐き出すように歌ったからこそ、ロック全盛期の新しいブルース表現者として、赤裸々に感情を吐露した女性シンガーとして、カウンターカルチャー全盛の60年代を代表する一曲になったのだし、この曲でジャニスは伝説のシンガーになったのだと思う。




もしブッカーT&The MG’sやハイ・リズムのような手堅くタイトな音を紡ぎ出すバックだったら、黒人みたいに歌える女性シンガーという枠に収まっていただけかもしれない。
やはり私にとってジャニスは、既成のブルースシンガーではなく、今までにないカテゴリーづけできない女性シンガーなのである。


ジャニスの遺作となった『パール』は、ソウルを中心にアルバムが組まれている。
興味深いことにスタックスやゴールドワックスのようなディープ・ソウルではなく、ガーネット・ミムズやハワード・ヘイトといったディープな色香を残しながらも都会的なシンガーの曲を多く取り上げている。
プロデューサーの意向が反映されているのかもしれないが、ここでも原曲の雰囲気を残しつつも、ジャニスらしい感情の起伏をストレートに表現した、素晴らしい歌声を聴かせてくれる。


ジャニス=ブルースという図式で語られることが多いけれども、そんな枠組みでは収まりきれないスケールの大きさを、この原曲を年代順に並べた編集アルバムを聴き、改めて感じる。
やはり不世出の天才シンガーだった。

(店主ЮУЗОО)




2月 2, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 1日 (木)

第30回 耳に良く効く処方箋




ザ・バンド『ザ・バンド』(キャピトル)

このジャケットの5人の顔立ち、堪らなく良い。
アメリカ開拓時代に生きているような厳しい眼つき、ゴールドラッシュで幸運を掴み損ねた敗北者のようで、写真から人生の機微が滲み出ている。
当時人気が上がり始めたグループとは思えない、実に重苦しいスナップ写真。


エリオット・ランディというカメラマンが撮影した一葉なのだけど、しかし、これ程までにザ・バンドの音楽を適切に表現したものもない。
ザ・バンドの音楽は、ルーツミュージックを礎にして、どこか懐かしい音楽を創り上げたが、そこには社会の底辺で生活している人々の息づかいがするのが魅力で、ビアホールで酔漢が歌い出すと、それにつられて周りも歌い始めるような親しみ易さと、底知れぬ哀愁がある。
それがこのジャケット写真に端的に表現されている。


高校生の時にこのアルバムを買ったらポスターが付いていて、部屋の天井に貼って、寝る前に眺めていたのを思い出す。
こんな汗臭い男たちに思いを寄せる高校生というのも、今考えると偏屈な若者だったと、改めて深く反省した次第。




このアルバムはデビュー盤と甲乙つけがたい、どちらも名盤なのは変わりないのだが、何故かこちらの方がプレイヤーに載ることが多い。
曲の順番がデビュー盤よりも決まっていて、LPでいうA面の流れは、ライヴを耳にしているような感覚。
ジャグ、カントリー、ニューオリンズなどの古き良きアメリカ音楽をモチーフにした曲が続き、音楽でアメリカ旅行をした最後に流れる「Whispering pines 」の美しいバラードで、このA面の旅を終える、心憎い演出である。
その余韻に浸ったあとにB面に返すわけである。


今回聴いて、昔はレヴォン・ヘルムのむせ返るような男臭いソウルフルな歌声が好きだったけど、今の心情は、リチャード・マニュエルの繊細な男心を歌う姿に惹かれたのが収穫。
私も年を重ねたということだろうか。


改めてジャケット写真を見つめる。
この写真が撮られた時のザ・バンドのメンバーは、まだ20代である。
どれだけ老成していたのだろうね。

(店主YUZOO)

2月 1, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月31日 (水)

第29回 耳に良く効く処方箋




ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』(キャピトル)

冬真っ盛りの季節となると、外に出ようという気もなく、ひたすら音楽を聴く休日になる。
あまり聴いていないアルバムを掘り出して新鮮な驚きに満たされるのも良いが、もう何百回と聴いたお馴染みを聴くのもいい。
そのアルバムを初めて聴いたときの喜びを思い出したり、サビのところを一緒に口ずさんだりする。
そんな冬の過ごし方も悪くない。


ザ・バンドのこのアルバムと2枚目は、何度聴いただろうか。
ボブ・ディランとリチャード・マニュエルの共作「怒りの涙」で始まる本作は、最初の1曲でその世界に入り込める稀有なアルバムである。
古き良きアメリカを思い浮かべるハートウォーミングなサウンドは、カナダ出身のメンバーが占めているグループでながらも、ロニー・ホーキンスやボブ・ディランのバックで演奏力を高め、ルーツミュージックを学んでいったのであるのだろう。


とくにロニー・ホーキンスのバックを離れ、独立した時は、場末のバーや安酒場のステージに立ち、ヒモや娼婦、アルコール中毒を相手にしていたというから、耳を傾けて聴く相手でもないのに、様々なレパートリーを要求されて、さらにバンドの結束力が高まり、このメンバーでしか出せない音を作り上げたに違いない。




例えで言うならば、ロック・バンドを目指している若者が「あんたら、楽器持っているんだから、『三年目の浮気』を演ってくれや」と酔漢からリクエストされるような状況。
その中でこのバンドならではの独特なサウンドが創り上げられた。
この例え、ちょっと違うかな。


このアルバムのベスト・トラックは「The weight」、「I shall be released 」なのは、誰もが認めるところ。
とくに「I shall be released は、1986年に残念ながら自殺してしまうリチャード・マニュエルがリード・ボーカルを取っていて、この人の哀愁を帯びた歌声に胸を締め付けられる。


俺には朝日が輝き出すのが見える
西に沈んだ太陽がまた東から昇るのが
いつの日かまた
いつの日かまた
俺は自由の身になるだろう


リチャードだからこそ、描くことができた世界だと思う。
武骨な男の繊細な心を聴くことことができる。
自ら命を絶ったのが口惜しい。

(店主YUZOO)

1月 31, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月30日 (火)

第28回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』(デルマーク)

このライヴ盤を聴かずして、オーティス・ラッシュを語ること無かれ。
とにかく表題どおりの嘘偽り無しの激情ライヴである。


ブルースのガイド本で語られるオーティス・ラッシュは、デビュー当時のコブラ録音が凄まじいブルースを放っていたため、以後のアルバムは評価が厳しく、今ひとつだの、眠れる巨人はいつ目覚めるのかと、手放しで受け入れられることがなかった。
最初に後世に残る傑作群を発表してしまうと、次作以降は手厳しくなってしまうのは、世の常かもしれないが、長年にわたって言われ続けると、さすがの巨人だって不貞寝したくもなる。


私観だが、オーティス・ラッシュはスタジオでこじんまりと録音するよりも、鉄壁のバンキングに煽られているうちに、自身のブルース魂に火がつき、抑えていた激情をボーカルに、ギターに解き放つのではないか。
何テイクも録音して、トラックを重ねていくスタジオは合わない。
ライヴに本領を発揮するブルースマンなのである。


日比谷野音で行われたブルース・フェスティバルでも、オーティス・ラッシュは周りのビル郡のガラスが震えて落ちるぐらいのギターを聴かせてくれたし、艶のある男気に満ちたボーカルは、巨人の名に相応しい素晴らしいものだった。
このアルバムは、その時のライヴを彷彿させ、ブルースメーターの針を振り切った最高潮の音を聴かせてくれる。




とくにスローブルースで聴かせるボーカルとギターは極上で、オーティス・ラッシュの実力をまざまざと見せつける。
「You’re breaking my heart 」、「Mean old world 」、「Gamblers blues 」など感情を抑えたボーカルの後に、斬り込むように入るギターソロは鳥肌もの。
完全に自己の世界に観客を引き摺りこみ、陶酔させている。
この世界を目の当たりにするなんて、この時の観客が羨ましい。


この音源は、30年経った2005年に陽の目を見ているのだが、すぐに発表していれば、眠れる巨人と揶揄されずに済んだのに。
オーティス・ラッシュの1枚を選べと言われたら、迷わずこれを選ぶ。
そう思うと口惜しい。
デルマーク・レコードの罪である。

(店主TUZOO)

1月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月29日 (月)

第26回 紙の上をめぐる旅




伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書)

スペインに滅亡されられたインカ帝国の遺産として、今や全世界で栽培されるに至ったジャガイモ。
生産性が高く栄養も豊富ゆえ、「貧者のパン」とまで言われるようになったジャガイモが、如何にして海を渡ってヨーロッパへ、アジアへ、そして日本へ辿り着き、飢饉や動乱であえぐ庶民の空腹を満たす食材として重宝されたのかを紐解いてくれる。
それは戦争や自然災害で翻弄される庶民の歴史でもある。


日本史の教科書で初めての公害事件として記される足尾鉱毒事件。
公害により先祖代々続く土地を、泣く泣く離れなければならなくなった住民を、県と国は言葉巧みに、北海道開拓移民の道を勧め、オホーツク海をのぞむ極寒地の佐呂間へと入植させるのである。そこは未だ人間が足を踏み入れたことのない原生林が生い繁る太古の原野。
その未開の土地を額に汗をして、少しずつ開墾して、何とか人の住める土地へと変えていく。


この本に当時の写真が掲載されているが、住居は藁葺きの掘っ立て小屋。
冬には−20度を超える厳しい生活が見てとれ、この入植が過酷極まりないものだと想像できる。
その地で人々の生命を現世に繋ぎ止めてくれたのは、ジャガイモのだったという。




ロシアでもジャガイモに救われた話が、20世紀の終わりに起きている。
ソビエト崩壊後の経済が混迷するなか、自給自足で何とか食をつなぐことができたのは、ダーチャとジャガイモのおかげだと、当時を知る者は口々に話す。
人々はスーパーに並ぶ1日ぶんの給料を超えるような食材を尻目に、ダーチャで畑を耕し、ジャガイモを植え、家族の飢えを満たすことができた。


「ジャガイモは五百キロぐらいとれたから一年分あったね。野菜類を含め、食べ物の半分はダーチャの作物で賄えた。両親は本当に喜んでくれた」
この言葉に、当時のロシア人がダーチャとジャガイモに助けられた事実に実感がある。


第二次世界大戦敗戦後のドイツでは、国民ひとりあたり1日1000キロカロリー以下にまで貧窮したため、公園の敷地を耕作可能な土地にして、市民農園として貸出たという。もちろん、主に植えられるのはジャガイモである。


またジャガイモが疫病に罹り、大飢饉に陥ったアイルランドの例も紹介している。
やむなく母国を離れ他国へ移り住んだ人と餓死した者を合わせると、250万人以上だという。
ジャガイモの収穫の良し悪しが、国の根幹さえ揺るがしてしまうのである。


世界を揺るがしたジャガイモに、うむと唸ることさえできず、ただ眼を瞠るばかり。
そして、ふと思う。
スペインに侵略され滅亡に至ったインカ帝国だけども、ジャガイモによって平和裡に世界征服をしているのかもしれないと。

(店主YUZOO)

1月 29, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月28日 (日)

第27回 耳に良く効く処方箋




シュレルズ&キング・カーティス『ギヴ・ア・ツイスト・パーティ』(セプター)

ツイスト・ブーム真っ盛りの1962年、この流れに乗って企画されたアルバム。
当時「Will you love me tomorrow 」、ビートルズもカバーした「Baby it’s you 」などのヒット曲を連発していた人気のガールズ・グループ、シュレルズと売れっ子サックス奏者、キング・カーティスが組んだら、どんなご機嫌なアルバムが出来上がるのだろうと、レコード会社が熱を入れた企画だったのがわかる。


このアルバムの企画で注文すべきは、何曲かキング・カーティスがボーカルを取っていること。
サックスでは艶めかしい音色が特徴のカーティスだけど、ボーカルは意外にも軽めの豚骨味で、手本にしていたのはレイ・チャールズだと、はっきりわかるスタイルが微笑ましい。
「Take the last train home 」は、完全にリズムからボーカルまでレイの「What’d I say 」の影響が大きいナンバー。
心の底からレイのことを陶酔していたのでしょうな。思わず目頭が熱くなります。




シュレルズ・サイドの聴きどころは、一曲目の「Mama here comes the bride 」。
結婚行進曲のイントロに導かれて、嬉々として歌い始める姿に、箸が転んでも笑い転げる女の子たちの若さが弾けんばりのボーカルに、もう目尻が下がりニヤケてしまいます。
はち切れんばかりの若さがないと、こんなにエネルギッシュに歌えませんな。
目尻の皺が目立つ私には、もう逆立ちしたって、こんな曲は歌えません。


あとジェシー・ヒルのヒット曲「Ooh poo pah doo 」でディープな歌唱を聴かせて、シュレルズの違った一面を見られたのが、意外な収穫。
星の数ほどあるガールズ・グループの中でも、実力はひとつ抜き出ていたことを証明してくれる影の注目曲です。


ソウル・ジャズ好きとガールズ・グループ好きの両方のお腹を満たせてくれる良盤。

(店主YUZOO)

1月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月27日 (土)

第26回 耳に良く効く処方箋




ヴァン・ダイ・パークス『ムーンライティング』(ワーナー・ブラザーズ)

ヴァン・ダイ・パークスが1998年に発表したアッシュ・グローヴでのライブ盤。
音源自体は、1996年に録音されたというから、2年の歳月を経て発表というあたり、実に奇才音楽家らしい。
きっとミックス・ダウンしながら、左右の音のバランスが悪いだの、奥行きを感じられないだの、ぶつぶつと小言を並べて、遅々として作業が進まなかったのだろう。


満を持して発表された音だけに、悪い訳がない。さすが職人が成せる技といいたい。
昨今、納期に間に合わずため、原価を下げるため、データを改竄して安直にモノづくりを行う輩がいるけれど、ヴァン・ダイ・パークスの爪の垢を煎じた上に、更に発酵させて、熱いお茶と共に飲んでもらいたい。
良いモノをつくるには、手間隙と妥協をしない心持ちが大切なのである。




さてこのアルバムは、ベスト・オブ・ヴァン・ダイ・パークスという体裁を取っていて、新旧の名曲を織り交ぜており、老若男女が愉しめる内容になっている。
もっとも寡作の音楽家だから、この時点で活動歴30年のベテランでありながら、発表されたアルバムは10枚にも満たない。
しかし曲つくりの姿勢が一貫しているので、違和感なく聴くことができる。
まさに頑固職人の風情。
世間に流されず、目を向けずの精神である。


フル・オーケストラが優雅に奏でる名曲の数々は、旧き良き映画音楽のサントラを聴いているようであり、アメリカが輝いていた時代を思い浮かべる。
そのこだわりは、SP盤を模したジャケット・デザインにも現れている。
20世紀は終わりに近づいているけども、戦争に明け暮れていただけではない、素敵な音楽もたくさん生まれたんだよと言わんばかりに。


そしてクレジットを眺めて驚いたのだが、コンサート・マスターは、ダン・ヒックス&ザ・ホットリックスでバイオリンを弾いていた、シド・ページなのである。
旧き良きアメリカ音楽を知り尽くしている2人が、タグを組んでいるのだ。悪い訳がない。


(店主ЮУЗОО)

1月 27, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月26日 (金)

第25回 紙の上をめぐる旅




室謙二『非アメリカを生きるー〈複合文化の国で』(岩波新書)

良い意味で裏切られた本である。
表題から察すると、アメリカ永住権を取得した人が、かの地で生活していく際に、立ちはだかる人種差別や文化の違いに翻弄される半生を綴ったものと想像してしまうが、その内容とは異なる。


この本に登場するのは、最後のインディアンと呼ばれたイシ、スペイン戦争に自ら志願して赴いた若者たち、ジャズの革命児マイルス・ディヴィス、禅に人生の意味を問うビートニク、生き延びる術を幼い頃から身につけるユダヤ人。
それらの人々が信念として内に秘めているアイデンティティこそが、アメリカが本来理想として掲げている自由なる精神を体現しているのではないかと、鋭く考察している。


スペイン戦争に参加することは、共産主義に傾倒する恐れがあるとして禁止し、不当に取り締まる母国アメリカに屈せず、密航してまでもスペインに向かい、しかも武器も充分に手にしないまま約3割が命を落とす。
自ら危険を冒してまでスペインへと駆り立てたアイデンティティとはと、友人であるハンクの言動や回想録に答えを求めようとする。
またビートニクが東洋思想にこそ真理が在ると、仏教や禅にそれを求める姿に、たとえその修行が我流であったとしても、その姿にアメリカらしい自由なる精神が現れていると、著者は考える。




ひとつの音楽スタイルに安住することなく、飽くなき挑戦を続けたマイルス・ディヴィスの精神からも、征服者アメリカに敵対心を抱かず、インディアン文化を貫いたイシの精神からも、迫害と流浪の歴史から論理的思考を身につけることで現実を知るユダヤ人の精神からも、同様の自由なる精神があると考える。


敢えて著者が題名に「非アメリカ〜」と書いたのは、逆説的な意味合いを含んでいて、これらの人々はアメリカ社会では、少数で構成されたコミュニティであり、アウトローであり、落伍者であり、アメリカの大多数を表しているのではない。
しかしその「非アメリカ」が示す多様性に、価値観に、アメリカが独立宣言のときに高らに謳った精神が息づいていると考えたからこそ、副題に〈複数文化〉と加えたのだろう。


著者は終章で、アメリカについてこう綴っている。

《アメリカに住んでいて「自由さ」を感じるのは、この国には多様な要素があり、雑多なものが多く紛れ込んでいるからだ。さまざまな人種が住み、さまざまな場所(空間)がある。そこには異なった歴史と文化がある》


白人至上主義の大統領が就任しようとも、アメリカの魅力は、ここにある。

(店主ЮУЗОО)

1月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月25日 (木)

第25回 耳に良く効く処方箋





ウッドストック・マウンテンズ』(ラウンダー)

前作から5年を経て、再びハッピー&アーティ・トラウム兄弟の呼びかけで、ウッドストックにあるベアズヴィル・スタジオに名うてのミュージシャンが集まって制作されたのが本作。
この5年の間に音楽シーンは激変したのだが、古き良きアメリカ音楽を現在に再現することが主のプロジェクトのため、ディスコでフィーバーしようとパンクが吹き荒れようと、まったく関係ない。


もっとも当時、この優しきアコスティークな音が、若者の耳が受け入れたのかと問われると、心許ない。
当時は輸入盤で良く見かけたのは覚えているものの、手に取って眺めた記憶はないし、ここに参加しているミュージシャンで知っているのは、ポール・バターフィールドぐらいだし、トラウム兄弟については、猫の額ほどの知識もない。
ブリティッシュ・ロックに眼を輝かしていた紅顔の高校生だったから、このような渋い音楽を知らないのは仕方ないとも言えるが。


このアルバムで活躍しているのは、ラヴィン・スプーンフルのリーダーだったジョン・セバスチャン。
ハート・ウォーミングなハーモニカを随所に聴かせてくれて、ラスト曲「Amazing grace 」では、ポール・バターフィールドとの夢の共演を果たしているが嬉しい。




前作と同じく収録曲はすべて吟醸の香りに満ちているが、敢えて選ぶならば、その大活躍のジョン・セバスチャンと主催者ハッピー・トラウムが、二人で仲良く歌う「Morning blues 」。
ギター二本のみの演奏だが、ジャグ・バンド風の愉しさに溢れていて、思わず眼を細めてしまう。


このマッド・エイカーズは形を変えて続けられているプロジェクトらしいが、残念なことに、その音源を再発するレコード会社は少なく、前作共々、世界初CD化したのは日本のヴィヴィッド・サウンドである。
多感な高校生のポピュラー音楽という大海に船出し始めた頃、スルーしていたアルバム群を、現在、こうして聴けるように再発してくれたことに感謝。
そうでなければトラウム兄弟を知らずに、あちらの世界に行くところでした。

(店主YUZOO)

1月 25, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月24日 (水)

第24回 耳に良く効く処方箋






マッド・エイカーズ『ミュージック・アマング・フレンズ』(ラウンダー)

昨日、紹介したエリック・ジャスティン・カズが幻の名盤を録音していた同時期に参加したのが、このアルバム。
ハッピー&アーティ・トラウムというウッドストック派と呼ばれる兄弟が企画したアルバムで、ハドソン河をピクニックしながら、レコード会社の制約を受けない自由奔放なセッションをして、古き良きアメリカのフォークやカントリー、ブルースを愉しもうという、何ともユニークなものだった。


参加したミュージシャンは、マリア・マルダー、ビル・キース、トニー・ブラウン、ジム・ルーニー、リー・バーグなど、ウッドストック派ではお馴染みの人で占められている。
曲ごとに参加するメンバーが異なるのだが、古き良きアメリカ音楽という共通言語で結ばれているので、まったく違和感がない。
この人懐っこいサウンド作りは、70年代の高田渡や細野晴臣に多大なる影響を与えたと思う。


ベスト・トラックは全曲と言いたいところだが、あえて独断で決めさせていただくならば、マリア・マルダーとリー・バーグの歌姫が歌う「Oh , The rain 」をあげさせてもらおう。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンという戦前に活躍した盲目のブルースマンの曲なのだが、原曲の重苦しい曲調に比べると、二人のハーモニーの美しさを強調しているものの、原曲にある物哀しさを失っていない。
幼い頃から、この曲を良く口ずさんでいたのではと思えるほど、しっくりとした歌いぷりである。




さてエリック・ジャスティン・カズは、このアルバムでの役割というと、ピアノとハーモニカで曲を支え、自身も1曲目の「Cowpoke 」でリード・ボーカルを取っている。
子供が歌う童謡みたいな曲で、同時期に『イフ・ユアー・ロンリー』を製作していたのだと考えると、何となく微笑ましくなる。
このセッションは、大切な息抜きの時間だったのだろうね。


解説で鈴木カツ氏が「マッド・エイカーズの素晴らしさは、アメリカン・ミュージックの財産をロック全盛の70年代に掘り起し、ノスタルジックな気分におぼれることなく、うたは歌い継がれてこそ生きのびることができるのだ、と教えてくれた点にある」と書いておられる。
深く共感する。

(店主YUZOO)

1月 24, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月23日 (火)

第23回 耳に良く効く処方箋




エリック・ジャスティン・カズ『イフ・ユアー・ロンリー』(アトランティック)

幻の名盤と銘打たれたアルバムは数多くあれど、ほとんどが迷盤、駄盤、凡盤の類いで、真に心に響くものは数少ない。
このアルバムは1972年に発表されたが、さほど話題にならず、日本での発売は1978年。
CD化されたのは1998年に「名盤探検隊」シリーズの1枚として、しかも日本で世界初という有様。
だいたい1978年は、ディスコ・ブームでフィーバーしていた時代、こんな地味なアルバムが話題になる訳がない。


1曲目の「Cruel wind 」からこのソングライターの資質が表れていて、実直で朴訥ながらも、意志の強さが伺える。
一語一語を丁寧に歌いながら、救われることのない家族の悲しみを描き出す。
泥沼化したベトナム戦争の最中だっただけに、反戦歌として捉えられる向きもあるようだが、もっと社会の底辺で生きる人々を慈悲深く歌っているように、私には思える。


父親は愛する息子を失った
母親は気が付かなかった
ぼくは冷酷な風に運ばれた
ぼくは引きずりこまれてしまった
冷酷な風に運ばれた

弟は泣きだした
ほかにどうすることが出来ようか
潮の流れは変わるかもしれない
しかしお前には分からない

この世界がどうなったのか
この世界がどうなったのか





全曲が短編小説ような世界が紡がれている。
アメリカ小説の礎となったシャーウッド・アンダーソンの一編を読んでいるような、哀しみに打ちひしがれた家族や生活が歌われ、神に救いを求めているしかないと嘆く。
エリック・ジャスティン・カズの経歴はわからないが、信仰心の篤い人なのだろう。
奏でるピアノはゴスペル調で、決してテクニックを披露するようなことはしない。
なかなか神が降臨しないことに悲嘆しながらも、この苦難に満ちた世界に生きていくのは、信仰心を失わないことだと、朴訥とした歌声で説いているのだ。


こう書いたものの、神を持たない信仰心のない私には、彼の描く世界観を真に理解するのは無理だろう。
しかし歌に対して真摯に向き合う姿に惹かれてしまうのも事実だ。
ほろりと苦味を感じるアルバムである。

(店主YUZOO)

1月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月22日 (月)

チェブラーシカ『誕生日の唄』





先日、木の香でオープンから一緒に仕事をしているTさんが誕生日だったので、チェブラーシカ好きならば誰もが思い出す「誕生日の唄」についてひとつ。


チェブラーシカの第2話の冒頭で唄われる「誕生日の唄」は、ロシアでは特別な歌であるようだ。
この第2話が製作されたのは1971年だから、もう40年以上も前になる。
元々は童話作家エドゥアルド・ウスペンスキーが、1966年に書いたワニのゲーナを主人公にしたシリーズ童話だったのを、ロマン・カチャーノフが監督し、キャラクター・デザインをレオニード・シュヴァルツマンを担当して、映画が製作され、あの愛らしいキャラクターが誕生した。


レオニード・シュヴァルツマンがのちにインタビューで、チェブラーシカ誕生について、こう発言している。
「本には耳のことが書いてなかったから、他のすべての動物と同じく、上に立った耳を最初に描いた。それから大きくするようになり、動物ではなく、人間のように頭の両側まで耳を『降ろした』。撮影前、人形には短い足がついていて、人形使いが苦労していた。だから足関節から下の部分だけを残したら、キャラクターの不思議さが増した。尻尾も取ったら、人間の子どものようになった」(ロシアNOW より)


第1話が上映されたのは1969年。
好評だったのか、すぐに第2話が製作されるのだが、人形アニメは製作が困難なのか、ロマン・カチャーノフが細部にまでこだわる正確なのか、完成は2年後。
さらに次作へと入るのだが、3話が1974年にようやく上映。
そして1983年に4話が上映された後、長い沈黙に入る。
つまり14年で4話しか製作されていないアニメなのである。
それなのにロシア人ならば誰もが知っている、国民的なアニメになっているのだから、その完成度の高さとキャラクターの愛くるしさが、心を捉えているのだろう。


それゆえに「誕生日の唄」は、ロシアでは「Happy birthday to you 」に代わる愛唱歌になっている。
昨年、セミョーノフのマトリョーシカ工場の社長の誕生日祝いには、50歳という節目だけあって、集った人々がホールに響き渡るぐらいに、この唄を歌ったし、私の誕生日の時も、ささやかにこの唄で祝ってくれた。
残念なことに誕生日は一年に一回しかないんだという歌詞が、愉しいことは続かないけど、今夜だけは特別な日だよと祝福されているようで、心にしんみりと響く。
ロシア人もその歌詞が好きなようで、この部分になると歌声もひときわ大きくなる。


年を重ねると、それほど誕生日が特別な日だ思わなくなっていたけど、この唄を聴くと、みんなで「誕生日の唄」を歌ってくれたことを思い出し、自分にとって大切な日じゃないかと思い返す。
ロシア語なので簡単に口ずさんむことは出来ないけど、ぜひ覚えて、大切な人の誕生日に歌ってあげてはいかがでしょうか。


映像は下記のYouTubeからどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=8hmrzZxbtB8

歌詞はこちらになります。

Пусть бегут неуклюже
Пешеходы по лужам,
А вода - по асфальту рекой.
И неясно прохожим
В этот день непогожий,
Почему я веселый такой.

я играю на гармошке
У прохожих на виду...
К сожаленью, день рожденья
Только раз в году.
К сожаленью, день рожденья
Только раз в году.

Прилетит вдруг волшебник
В голубом вертолете
И бесплатно покажет кино,
С днем рожденья поздравит
И, наверно, оставит
Мне в подарок пятьсот "эскимо".

雨の中を水たまりを避けて急ぐ人々
アスファルトには水が溢れ
川となって流れていく
みんなはわからないだろうね 
こんな最悪な日に
私がなんで陽気でいられるのかなんて

私はアコーディオンは奏でる
往き交う人を眺めながら
けれども残念なことに誕生日は
一年に一度しかないんだ

大きな青いヘリコプターで
魔法使いがやってきて 
無料で映画を見せてくれたよ
誕生日を祝ってくれて
プレゼントには500個のアイスクリーム

私はアコーディオンを奏でる
往き交う人を眺めながら
けれども残念なことに誕生日は
一年に一度しかないんだ



1月 22, 2018 ロシア語, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月21日 (日)

第22回 耳に良く効く処方箋




デラニー&ボニー『モーテル・ショット』(アトコ)

窓から注ぐ冬の陽だまりのなか、猫を膝に乗せて、ぼんやりと空を見上げいる。
夏の強い陽射しとは違って柔らかく、身体に染み込んで来る穏やかさである。
空気が乾いているからだろうか。
雲ひとつない。どこまでも青く澄んでいる。
中秋の物悲しき夕暮れ時も好きだが、この冬の静けさも、また心安らぐ季節もない。


1971年に発表されたこのアルバムは、この季節に最適な作品である。
元祖アンプラグド・アルバムと称されているだけに、ギターやベースなどすべてアンプを通さないサウンドで仕上げられている。
しかしスタジオ録音でなく、アルバム・タイトル通り、宿泊先のモーテルで、気心の知れた音楽仲間同士が集まったセッションである。
たぶんマイクの配置も、それほど気を配ってはいないだろう。
一聴すると、海賊盤に匹敵するような音質だが、それがこのセッションがリラックスのもとに生まれたものだと解する。




参加ミュージシャンは、当時の名うて腕利きばかり。
グラム・パーソンズ、デイヴ・メイスン、デュエン・オールマン、レオン・ラッセル、カール・レドル、ボビー・ウィットロックなどの豪華な面々。
彼らが親しんだフォーク、ブルース、ソウル、ゴスペルの名曲群を肩肘張らずに「この曲でも演ってみるかい?」という気楽な気分で演奏し始める。


このセッションで演奏面での核は、ピアノのレオン・ラッセルであることは間違いないが、ゴスペル・タッチの指さばきが、堪らなく良い。
1曲目「Where the soul never dies 」、「Will the circle be unbroken 」、「Going down the road feeling bad 」などで、そのピアノの腕前を堪能できる。
当然のことながら、主役のデラニー&ボニーのご両人も、リラックスしているせいか、スタジオより愉んでいる様子。


決して名盤として讃えられるものではないが、冬の陽だまりのように、ホッとひと息できるアルバムである。
こういう気楽なセッションを演ってみたいなと、楽器を手にする者ならば、思わずにいられないアルバムでもある。

(店主YUZOO)

1月 21, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月20日 (土)

第21回 耳に良く効く処方箋




キング・カーティス『オールド・ゴールド』(Tru-Sound )

キング・カーティスの推薦盤として『アット・フィルモア・イースト』と共に挙げられるのが、このアルバム。
1961年に新興レーベル、トゥルー・サウンドより発表。
嬉しいことに日本では、オールディズ・レコードが紙ジャケットで再発している。
オールディズ・レコード、相変わらず良い仕事をしています。
再発レーベルの鑑。


『アット・フィルモア・イースト』がファンキー・ソウルの名盤だとしたら、こちらはソウル・ジャズの名盤と言えようか。
若き日のエリック・ゲイルのギター、ポスト・ジミー・スミスのオルガン奏者ジャック・マクダフ参加と、ひと癖ある実力者が名を連ねているのも注目。
ここでのキング・カーティスは、ジェイ・マクリーニーやジミー・フォレストからの系統、ジャンプ・ブルース流儀のサックスを聴かせてくれる。


こういうサックス・プレイは、正統派ジャズ愛好家は、眉を八の字に、眉間に縦皺を走らせてしまう下卑た音。
知性を感じられないと嫌悪するマッチョな音なのだが、私はこちらの方が豚タンと同じくらいの大好物。
高級焼肉店よりも下町のホルモン焼きが、私の耳には合っている。




特にそのマッチョぶりが最高潮に達するのは、ジャズ・スタンダードの「Harlem nocturne 」。
玉のような脂汗で汗臭いの、肩の辺りが筋骨隆々だの、男汁が飛び散るの、サックスが熱い吐息で悲鳴をあげているだの、我こそが夜の帝王キング・カーティスだといわんばかりの黒光りするブローで主張しているのだ。


今宵はお前を寝かさないぜというより、今宵はお前をバターにしてやるという男気のある音色。
そういえばバターがとろける名作「チビ黒サンボ」は、差別を助長する絵本に指定されて、今は絶版になっているそうだ。
トラがバターになって、ホットケーキにかけられるという自由奔放な発想は、突拍子なくて好きなんだけどなあ。


このアルバム。
ミッドナイトに独り聴いてはいけない。
キング・カーティスのマッチョぶりが強烈なあまり、ベッドの横に誰もいない自分の境遇が、惨めに思えて仕方なくなってくる。


そんな私に、ジャケットのキング・カーティスが、今宵は熱い夜を過ごせよと、ウィンクしているのが心憎い。
まったく。

(店主YUZOO)

1月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

第20回 耳に良く効く処方箋




オムニバス『ブルース・アット・ニューポート1963』(ヴァンガード)


ニューポート・フェスティバル。
なんと甘美な響きだろう。


戦前から活動していたブルースマンがフォーク・リバイバルによって再発見された頃、このニューポートで行われたフェスティバルは、間近にその勇姿を観られる最良の場であった。
たぶん聴衆は白人のフォークファンが中心だったのだろうが、ブルースマンのギター・テクニックに酔い痴れ、歌詞が描く豊穣な世界観に深く溜息をついたに違いない。
たとえボブ・ディランやジョン・バエズを目当てに会場に足を運んだのであっても。


のちにこのニューポートでは、伝説となったボブ・ディランがバンドを率いてロック・スタイルでライヴを行い、センセーショナルを巻き起こしたのだが、このアルバムから2年後の出来事である。
それ故、このアルバムが録音された1963年は、フォークギターの弾き語りが主で、エレクトリック・バンドは未だない。


このアルバムには6名のブルースマンが収録されているが、聴きどころは、ゲイリー・ディヴィス牧師とジョン・リー・フッカーだろう。




ゲイリー・ディヴィス牧師は、ライ・クーダーの師匠にあたる人物で、その卓越したフィンガー・ピッキングの軽快さは、溜め息が出るほどに美しい。
YouTubeでその指さばきを確認したのだが、親指と人差し指を中心に弾くツーフィンガー・スタイル。
素早い指さばきでリズミカルに動き、そう簡単に真似することが出来ない。
フォークギターを弾く人は、一度聴かないといけないギターリストである。


ジョン・リー・フッカーは、唸り声を上げるだけで、一瞬にしてその世界観に引き摺り込んでしまう、圧倒的な存在感。
まるでミシシッピ河に棲んでいるアリゲーターのようだ。
足踏みしながらブルースを唸る姿に、聴衆も聞き惚れているというより、完全にジョン・リー・フッカーに耳を呑み込まれている雰囲気で、手拍子ひとつ叩くことが出来ない。
曲が終了すると、我に返り拍手をする有様だ。


他にもブラウニー&マギー、ミシシッピ・ジョン・ハート、ジョン・ハモンド、ディヴ・ヴァン・ロンクを収録。
アコスティーク・ギターを弾くブルースファンは、一度聴いてみてください。

(店主YUZOO)

1月 19, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月17日 (水)

第19回 耳に良く効く処方箋




ザ・バーズ『バードマニア』(コロンビア)

ロックとフォークの融合、カントリー・ロックの創始者とロック界に、燦然たる業績を残したバーズ。
実は私が最初に買ったのがこのアルバムである。
普通ならば、デビュー盤『ミスター・タンブリング・マン』か、ロック史では避けては通れない『ロデオの恋人』を、最初に聴くのが定石なのだろうが、何をどう間違ったのか。
悩み多き高校時代は、ときおり理解不能の行動に出ることがある。実に甘酸っぱい。


このアルバムは音楽評論家の間では、当時酷評されていて、たぶん現在でも駄作という烙印が押されている、不憫な評価になったままで、前に進んでもいなければ、後退りもしていない。
その哀しき迷盤が先日、リサイクルショップで500円均一で売られていたのを見て、ついつい懐かしく思い、高校時代の私が何にのぼせ上がって、泣け無しの小遣いで買ったのだろうと確認する意味で買ってみた。


一曲目「Glory,glory 」は、古いゴスペル・ソングをアレンジしたもの。
ポップな感じのアレンジになって聴き易くなっているが、実際の1940から50年代のゴスペル・クァルテット全盛期を経験してしまった今の耳には、凡庸に聴こえる。


R.Hハリスが率いたソウル・スタラーズの同曲なんぞは、良く響くリードボーカルの美声、ハーモニーの素晴らしさと、悶絶もののコーラスワークを聴かせてくれる。
ゴスペルを知らなかった高校生の私は、このアルバムで一番好きな曲だったのに、年を重ねるということは、昔輝いていたものを鈍色に変えてしまう。
やれやれ。





2曲目「Pale blue 」、3曲目「I trust 」とロジャー・マッギンの曲が続くが、そんなに悪い出来ではない。
当時の酷評ではアレンジ過多というのがあったが、バーズの系譜でみるのならば、その後のイーグルスやポコなどもストリングスを入れたり、仰々しいギターソロが挿入されたりと、ドラマチックな展開が定番になっていくのだから、その先駆けと思えば、自然に耳に入ってくる。
1971年の発売当時では、フォーク・カントリー系ロックでは、斬新過ぎたアレンジだったということか。


4曲目「Tunnel of love 」、5曲目「Citizen Kane 」と今度はベースのスキップ・バッティンの曲に変わる。
これがまったくバーズには無かった曲調で、しかも平凡極まりない駄曲なのである。
50年代R&B調に仕上げているのだが、歌は下手だし、使い古されたコード進行だし、バーズが演奏することに何の必然性も感じられない。


このつまらない曲を聴くならば、古いアトランティック盤の方が、どんなに耳に優しいか。
酷評の元凶を垣間見た思いである。


CDには3曲のボーナス・トラックが入っていて、ロジャー・マッギンが敬愛するボブ・ディランの「Just like a woman 」のカバーが聴けます。
これはなかなかの出来です。


(店主YUZOO)

1月 17, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

第24回 紙の上をめぐる旅




R.Oハッチンソン『ゆがんだ黒人イメージとアメリカ社会』(明石書店)

公民権運動というアメリカに大きな改革を迫った歴史的な出来事ののち、以後どのような社会の変革がなされ、人々の意識がどう変化したのか、昔から興味があった。
国を震撼させるほどの運動が起これば、その後には前進的な発展と、それとは逆に反動がある。
一夜過ぎれば、元の社会に戻るような祭り事ではない。


法の改正や人権の向上など善き改革があれば、それとは正反対の障壁が築かれるこたもある。
「365歩のマーチ」ではないが、三歩進んで二歩下がるといった軌跡をたどりながら、社会は迷走しつつ発展していくのではないか。


先日紹介した藤本和子著『ブルースだってただの唄』が、公民権運動後に黒人女性の意識や生活にどのような変化や芽生えがあったのかを、インタビュー形式で行ったレポートであったが、この著書は黒人男性が、どのような立場に置かれているのかを論じたものになっている。
『ブルースだって〜』が出版されたのが1986年。
この著書は1994年で、公民権運動から30年を経た現状を捉えたものになっている。


この本で一貫して著者が訴え続けているのは、黒人は働くのが嫌な怠け者、まともな家庭を築けない堕落者、すぐ怒る乱暴者、セックスしか頭にない好色者、といった負のイメージ日常的に市民社会に拡散していく偏見に、強く異議をとなえている。
その汚れた手法は、アンクル・トムと蔑まされた100年前の奴隷時代と、ほとんど変わらないという。




たとえばダウンタウンやゲットーで起こった殺人や麻薬密売など、人口に対する犯罪比率は、ほぼ変わらない。
むしろ白人社会の方が多いのに、新聞の一面は黒人が起こした犯罪で占められる。


有名な事件では、警察官の職務尋問で、不当な暴力を受けたロドニー・キング氏に対しても、警察を非難する記事は少なく、主要各紙は、夜中にあんな大きな黒人がうろついていたら怖いに決まっている、警察官の行動は、むしろ正当防衛であるという論調が主となる。
被害者が加害者に変わっていく。
著書は同じ事件が起こっても、白人でも同様の扱いを受けるのかと、強い疑問を投げかける。


残念ながら私はハーレムに住んでもいないし、ゲットーを目の当たりにしたこともないので、軽はずみな言動は差し控えるが、アメリカ史において輝かしい一頁を刻んだ公民権運動後も、何ら現状は変わらないと弾劾されると、市民社会に根付く不誠実に、陰鬱な気分になる。

偏見と非寛容。
日本の市民社会にも同じく、強く根を張っているのだろう。
沖縄、フクシマ、在日、ホームレス、同性愛、ハンセン病.....。
本当に市民社会は、紆余曲折しながらも、より善き社会に向かっているのだろうか。

(店主YUZOO)

1月 17, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月16日 (火)

第18回 耳に良く効く処方箋




ジム・ディッキンソン『ディキシー・フライド』(アトランティック)

20年ほど前、本の漫画をキャラクターにして「名盤探検隊」と銘打って、1960〜1970年代に発表された埋もれた名盤を発掘するシリーズがあった。
それはレコーディングの裏方さんだったり、寡作なミュージシャンの作品だったり、1枚だけ残して音楽シーンから消えてしまった人だったり、様々な視点から発掘していくユニークなシリーズだった。


このジム・ディッキンソンもこのシリーズで発掘されたひとり。
当時は初めて名前を聞くミュージシャンで、解説には「ライ・クーダーの名盤『紫の渓谷』の共同プロデューサー、ピアノ、キーボード・プレイヤーとして名を連ねて〜」と書いてあり、なるほどねと膝を叩いた覚えがある。
どちらかと言えば、プロデューサーとして、スタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを積んできた人だ。




タイトルが示すとおり、南部で活動している人で、このアルバムではジム自身のルーツとなる音楽スタイルを前面に出していて、まさにごった煮状態、悪く言えば何でもござれ的なアプローチになっている。
一曲目はリトル・リチャードばりのワイルドなロックンロール、次にゴスペル、カントリー、ヴードゥー的な呪術的な音楽、トラディショナル・フォーク、カントリー・ブルースと続きアルバムが終わる。


個人的には、デラニー&ボニーやウッドストック派にみられるようなブルースに敬意を表した一曲「Casey Jones 」がお気に入り。
戦前のブルースマン、フェリー・ルイスの曲とクレジットされているが、たぶん古くから歌われている、作り人知らず的なホーボーソング。
戦前ブルースマンのアルバムには、この曲がよく収録されている。


この曲をジムのホンキートンク調のピアノとアコスティック・ギター、ベースとドラムというシンプルな編成で、寛いだ雰囲気で歌われる。
こういう味わいを醸し出せるのは、南部音楽にどっぷりと浸っているからこそ。
他の地域だと、ついつい教科書的なお堅い演奏になってしまうのが常である。


南部音楽の豊潤さを十分に味あわせてくれる好アルバムである。
フライドチキンを片手に聴いてはいかが。

(店主YUZOO)

1月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月15日 (月)

第23回 紙の上をめぐる旅




立川談志『世間はやかん』(春秋社)

ここで言う「やかん」というのは、お湯を沸かすためのひょっとこ口のらあれではなく、楽屋の符丁で「知ったかぶり」のこと。
その語源は、長屋の住人の八五郎とご隠居との問答が噺になった「やかん」からきている。


というわけで、この本もインタビューという形式はとらず、八五郎(聞き手)の問いに対して、ご隠居(談志)が回答する形式をとり、落語だけでなく、文明とは、知識とは、欲望とは、女性とは、人間と動物のちがいはなど、縦横無尽に話題が飛びつつも、落語風なひとつの噺として体を成すことを主題としている。
ただこの形式で、談志が常日頃から抱いている、落語や世間に対する思索の核心まで触れることができたかというと、その思惑の半分も満たさなかったのだろう。





その歯軋りしたくなるようなジレンマがあったのか、本の帯には「ナニィ、談志の本買い?よした方がいいよ」と赤字で大書し、あとがきにも「言い訳しないと恥ずかしくて、保たない。買わないことだ」と綴っている。
得てして、実験的な試みは、十分な満足いく結果にはならない。


常に喉元に魚の小骨がつっかえたような違和感が残るもの。
ひとりの読者としては、それほど内容を否定するような、悪い出来映えには思えないのだが。
そこは立川談志という天才肌の噺家。
この程度の出来映えでゼニを取るなど恥の上塗りと思ったのだろう。いやはや。


そのせいか話題が停滞する兆しがあると、少しでも読んで耐えられるものにしようと、随所に世界の小噺やジョークを挟み込んでくれる。
なかにはロシアのアネグドートまで披露するので、その博識、笑いに対する並々ならぬ姿勢に舌を巻くばかり。
小噺を拾い読みするだけでも、この本の元は十分に取れる。
では、そのなかでも秀逸なものをひとつ。


談志と中国人ガイドとの会話
「アナタは変わったヒトですね」
「なんで?」
「アナタはオンナの処へ連れてけとか、そういう要求しませんネ」
「いわねぇんだ。そういうの好きぢゃねぇんだよ」
「そうですか、・・ところで、それはイイんですけど、あそこにずっと一緒に来ているアサハラさんと信者の皆さん、みなさんきちんとして、ちゃんとして、礼儀のイイひとたちばかりですね」
「そうかい」
「ただワカラナイことが一つ」
「なんだい?」
「アサハラさんが入ったお風呂の残り湯、みんなで飲みます」


おあとがよろしいようで。

(店主YUZOO)

1月 15, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

第17回 耳に良く効く処方箋




ジョニー・オーティス・ショウ『同』(キャピトル)


R&Bのゴッドファーザーと謳われたジョニー・オーティス。
バンドリーダーであり、ミュージシャンであり、作曲家であり、そして自らナイト・クラブを経営し、日夜ご機嫌なR&Bやロックンロールで観客を熱狂の渦に巻き込んだ顔役として、才能も発揮し一時代を築いた男。
ジャケットからも判るように、大所帯のバンドを率いて、様々な出し物で観客を魅了したのだろう。
才能に溢れた人というのは、どこの世界にもいるものである。


このアルバムは、ロックンロールが世界を席巻した1958年に発表。
元々はジョニー・オーティス・ショウのライヴを、鮮度そのままに録音しようと企画されたが、観客の熱狂ぶりが尋常過ぎて、取り止めに。同じパッケージを、観客無しで録り直したらしい。
そのような逸話が残されているぐらい、ジョニー・オーティス・ショウは人気があったのだろう。


「紳士、淑女の皆さま。オルフェウム劇場がお届けします、ジョニー・オーティス・ショウ。衝撃のロックンロール・エンターテイメント!さあ、登場です!キング・オブ・ロックンロール、ジョニー・オーティス!」のMCで幕が開ける。
このMCで一挙に時空を超えてロックンロールとR&Bが華やかし時代へと、タイムスリップである。





まずはジョニー・オーティス御大が歌う「Shake it,lucy baby 」。
その後に続けて、ふくよかさん3人組コーラス、スリー・トンズ・オブ・ジョイの軽快なナンバー「In the dark 」、「Loop de loop 」でヒートアップ。


そして伊達男メル・ウィリアムズ「Lonely river 」がゆったりとバラードを聴かして、オバサマ方のハートを鷲掴み。
吉本新喜劇のようにステージを熟知していても、この鉄板進行に何人もの観客が、ジョニー・オーティスの策略に堕ちていく。
そんな王道ステージが、このCDでは再現されている。


映画『アメリカン・グラフティー』が青春だった貴兄には必聴盤である。
枕は悦びで濡れるだろう。股間も久々に応答してくれるだろう。昔の彼女から電話がかかってくるだろう。


ご機嫌な音楽とは何かと問われれば、このアルバムの中に答えがあると断言できる。
武士ではないが、二言はない。

(店主YUZOO)

1月 14, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

第16回 耳に良く効く処方箋




スリーピー・ジョン・エスティス『1935ー1940』(MCA )

故中村とうようの偉業は、世界各地の音楽を紹介し、その魅力と歴史などを知識豊かに説明してくれたことだろう。
ロックのルーツとなるとブルースを語るのが一般的な見解だが、さらにその先まで見据えて、リズムから発声方法まで掘り下げて分析し、分かり易く紹介してくれた。


なぜ清く澄んだ発声とは対極に、濁らせて小節を回して歌う歌唱法が、大衆音楽では好まれるのかという分析には、私の小さな眼が見開き、ぎょろりと瞳が唸ったものだった。
ブルースと浪花節を同系列で語れる斬新さがあった。


その中で私には馴染みの深い仕事は、MCAの豊富なカタログから「GEMシリーズ」と銘打って、戦前のブラック・ミュージックや大衆音楽を系統立てて、普段耳にしないような音楽を紹介してくれた。
レコーディングの意味を、録音より記録という部分に重きを置いていたように思える。





このスリーピー・ジョン・エスティスも、戦後再発見のデルマークでの録音ばかりが語られるなか、全盛期の1930年代を主に編集し、この悲運がつきまとうブルースマンの最も輝いていた時代にスポットを当ている。
この時代から盟友ハミー・ニクソンと活動を共にしていて、ほとんど曲で彼のハーモニカが聴ける。


二人とも技巧派というより、素朴さが前面に出ていて、ホームパーティで演奏しているようだ。たぶんジャグ・バンドの影響が強いのだろう。
デルマーク時代にはない明るさがある。

また歌っている内容も、生まれ故郷のブラウンズヴィルで起こった小事件だったり、彼女から手紙が来ていないかと郵便配達人に問いかける歌だったり、自身の生活での出来事を題材にしているものばかり。
それを独特の甲高い声で歌うのだから、何とも味わい深い。

こういう丁寧な仕事のおかげで、デルマーク盤のイメージが先行していた、スリーピー・ジョン・エスティスの全盛期を聴くことができるようになったのだ。


戦前の音源を、ドキュメントやヤズーといった再発専門レーベルではなく、大手レコード会社が復刻したのは、中村とうようの功績と言わなければなるまい。
スリーピー・ジョンも、ようやく真っ当な評価が成されて、草葉の陰で喜んでいるはずである。

(店主YUZOO)

1月 13, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月12日 (金)

第15回 耳に良く効く処方箋




オムニバス盤『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル1962-63』(オールディズ)

またまた買ってしまったオールディズ・レコード。
このジャケットの佇まいも良いね。
色遣いも落ち着いていて気品がある。
24bitマスターを使用して、アナログ盤の音質に近づけようとする精神に、身も心も洗われるようですね。
大切になさってください。
と、中島誠之助にでもなったように気分で、じっとジャケットを見つめている。


このアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァルは、1962年から8年間続いた伝説的な音楽フェス。
ヨーロッパ各地を巡業したようで、この時に大物ブルースマンが若いミュージシャンに影響を与えたことは、間違いない。
若きローリング・ストーンズもヴァン・モリソン、エリック・クラプトンも、本場仕込みのブルースを間近にして、興奮冷めやらずに夜を過ごしたんだろうなと想像する。


マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン、ジョン・リー・フッカー、Tボーン・ウォーカー、メンフィス・スリムなどなど、伝説のブルースマンが一堂に会し、演奏を繰り広げるのだから、興奮の神に憑かれるのは当然のこと。
こうして50年以上も前の音源を聴いている私も、聞き入ってしまうのだから仕方ない。




また現在だからこそ、聴いていて面白く思うのは、スタイルの違うブルースマン同士が、それぞれの曲の時にバックに回る違和感が、微妙な化学反応が起きていて興味深い。


ワン&オンリーの孤高のブルースマン、ジョン・リー・フッカーに、都会派ブルース・ピアニストのメンフィス・スリムがバックにつく。
ジョン・リーはブルースの基本12小節など意に介さず、時には13にも14にも小節が変化するから、メンフィス・スリムも付いていくのが大変で、何とか小節のヅレを誤魔化している。
ジョン・リーのバックだけは演りたくないと、メンフィス・スリムの心中を察してしまうほど。
ドラムのジャンプ・ジャクソンは、勢い余ってスティックを落としているし。


ただ唯一堂々たる演奏をしているのは、シカゴ・ブルース界のボス、ウィリー・ディクスン。
百戦錬磨、百戦百勝の俺だ。
演奏が空中分解するような下手なマネはしねえと、安定したベースラインを刻んでいく。


当時のヨーロッパの観客は概してお行儀良く、ブルースマンたちが日常活動している、シカゴのウェストサイドやバレルハウスの雑多な雰囲気がないので、猥雑でどろりと濃厚なブルースは臨めないが、それを差し置いても貴重な記録である。
ウクレレを弾いて歌うブルースウーマン、ヴィクトリア・スピヴィなんていう異色派も収録されているし。
ブルース・ファンなら揃えておきたい1枚。

(店主YUZOO)

1月 12, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月11日 (木)

第22回 紙の上をめぐる旅




A.プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)

ロシアに関係する仕事をしていると、どうしてもプーシキンは避けて通ることはできない。
ロシア語を文学芸術に昇華させた偉人であり、ロシア人ならば誰もがプーシキンの詩の一節を諳んじることがある、もっとも親しみ深い詩人であり作家であるからだ。


マトリョーシカのお腹に描かれた絵には、プーシキンが創った物語であることが多いのだが、浅学の私は、お客様に絵について問われると、しどろもどろになって、たぶんロシアで古くから伝わるお話でしょうと、お茶を濁してしまう。
口惜しい。
美味しい刺身を目の前にして、醤油を切らした時のように口惜しい。


ロシア工芸品を取り扱う店であっても、常にプーシキンの影が見え隠れして、極めようとするかぎり、その存在を無視することは到底できない。
そこで岩波文庫の出番となったわけである。
さすが戦前から知の世界をリードしてきた出版社だけに、昨今流行している新訳ではなく、「スペードの女王」(昭和8年)、「ベールキン物語」(昭和12年)と、当時のロシア文学研究の第一人者、神西清の旧訳を現代仮名遣いに改めたものになる。


時折、現れる文語調の訳は、プーシキンが紡ぎ出す物語に格式を与え、「彼が酩酊いたしおるを見掛けしことは、迂生ただ一度も無之(これ実に当地方にあっては空前の奇跡とも申すべし)」のような文脈に目が深く微笑む。




「ベールキン物語」五つの短編を織り込んだ作品集だから、この本には合計六つの物語を収められている。
悲劇、喜劇、ロマンス、怪奇譚など様々な手法の作品に富んでいるが、なかでも現代に通じる物語は「スペードの女王」であろう。


賭事には人知では計ることができない法則があると信じられていて、それを知ることができれば、永遠に勝負に勝ち続け、巨万の富をこの手にすることができる。
現代人もその法則を我がものにしたいがために、宝くじはこの売り場で3時に買う、競馬場には7番の扉からしか入場しない、パチンコは足した番号が9になる台しか打たない、それぞれ縁起を担いで見極めようとする。


「スペードの女王」の主人公ゲルマンも同じこと。
ある霊感を持った貴婦人から勝つための法則を聞き出し、言われた通りに賭けトランプに興じ、一夜にして今までに手にしたことないのない富を手にする。
それから熱病に罹ったように毎晩、賭博場に出入りするようになったゲルマンの行く末は。
ここでは結末は明かさないが、悪銭身につかずの諺にある通りである。


プーシキンが現在でもロシアで読まれる理由がわかる気がする。
物語はフィクションである以上、読書に心地良い裏切りがないといけない。
プーシキンの作品はロシア語の美しい響きも合わさって、読者を魅了しているのだろう。
もっとも原書で読まないかぎり、ロシア語の美しさを堪能することはできないのだが。

(店主YUZOO)

1月 11, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月10日 (水)

第14回 耳に良く効く処方箋




ベイビー・ワシントン『ザッツ・ハウ・ハートエイクス・アー・メイド』(SUE原盤/オールディズ)

またも買ってしまったオールディズの再発盤。
たぶん以前に英ケントから出ていたブツを持っているはずなのだが、この丁寧な仕事に敬意を払って購入。
今や部屋のなかがCDタワーが林立した状況で、英ケント盤を探し出すのは、石油を掘り当てるぐらい困難だし、仕方ない。
しかし再度地震が来たとき、このCDタワーが崩れ落ちて下敷きになるのかと想像すると、やはり断捨離することも大事かとも思う。
物欲と虚無の板挟みである。


このCDは1963年にSUEレコードから出たファースト・アルバムに、ボーナス・トラックを加えたものである。
タイトル曲がR&Bチャート10位に上がり、その勢いに乗って編集されたアルバムのようで、以前に発表されたシングル盤などが加えられている。


ソウル黎明期に活躍だけに、R&Bの香りを残しながらも、バラードやミディアム・テンポの曲に実力を見せた歌手である。
少しハスキーで力強い歌声は、耳にまとわりつく甘ったるさはなく、辛口の吟醸酒のようである。
タイトル曲は当然のことながら、アルバム最後に収めらた「A handful of memories 」にも、その表現力豊かな歌唱を聴かせてくれる。


個人的にはシングル・カットされず、数合わせのために収録されたようなミディアム・ブルース調のナンバー「Standing on the pier 」。
ワシントンのハード・ブルースばりの歌唱力も素晴らしいが、バックで支えるハモンドオルガンの音色が不可思議で、耳を惹く。
鍛冶屋のふいごのような、喘息持ちのお爺さんの寝息のような、何とも形容し難い音色。
思わずうがいをしたくなる。


ベイビー・ワシントン。
後世に名を残すようなヒット曲には恵まれなかったが、アーリー・ソウル好きには忘れがたい歌手である。


(店主YUZOO)

1月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 9日 (火)

第21回 紙の上をめぐる旅




ロナルド・サール『ワイン手帖』(新潮文庫)

酒呑みとは、酒について何かしらウンチクを語りたい人種である。
ただ酔えば泰平というものではない。
酒の種類は言うに及ばず、銘柄から産地まで、強いてはその土地の風土からお国柄まで申さないと、気が済まない。


「日本酒は純米酒に限る。醸造アルコールを含んだのでは、この酒の良い部分を殺してしまっている」
「この◯◯正宗は、年間500本しか造らない小さな酒蔵でね。昔ながらの技法を忠実に守っているわけよ。酒の基本は、何も引かず、何も足さずだからな」
しかし聴く側も黙って盃を傾けているわけではない。
「私の舌が感じるには、◯◯正宗は甘味があり、刺し身には合わない。それに比べて見よ。この△△誉れは。水の如く滑らかで、刺し身にはもってこいの銘酒である」
と鼻の穴を膨らませて、やり返すのである。





安酒場では、この議論が延々と続くわけだが、論理が破綻しようとも、天地がひっくり返ろうとも構わない。
酒場の論議は、結論が導き出されることを好まないからである。


この「ワイン手帖」なる本。
ワイン通も日本酒党と同様に、酒について一席講釈をたれないと済まないようである。
著者は、それら酒を語る自称ソムリエたちを、苦い目つきで見つつ、ワインを語るのならば、しっかりと詩情を含んだ美しい表現で語りなさいと、叱咤するように綴っている。
皮肉とエスプリに満ちたイラストを添えて。


裏を返せば、この著者も多かれ少なかれ、我々と同じ安酒場の唎酒師と同じ血が流れているのではあるまいか。
ただワイン通が味を表現するのに、これほど言葉豊かに表現しているのに、それほどの詩情はなく、ひと言だけ、旨いと済ましてしまっている。
真の唎酒師だったら、その言葉の拙さにアルコールの酔いだけでなくとも、頬を赤く染めてしまうはず。


「ピリッとした辛さの残る熟成の頂点を過ぎた大年増の味」
「天国にいるような芳香」
「まだ若過ぎる、熟成させれば魅力が出るのは確か」
「心地よいスモーキーなあと味」


安酒場の唎酒師は、舌の経験値を上げるとともに、言葉遣いを鍛錬しなければならない。
しかし、頂点を過ぎた大年増の味がするワインというのを、一度呑んでみたい気がする。

(店主YUZOO)

1月 9, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 8日 (月)

第13回 耳に良く効く処方箋




リンダ・ルイス『ラーク』(リプリーズ)

このアルバムが世界初CD化が成された時、かなり話題になった。
故中村とうようが、ミュージック・マガジン誌で、この名盤を幻のままにしておくのは何たることかと、かなり強い口調で書かれていて、それに同意する声に押されて、レコード会社が重い腰を上げたと記憶している。
またクラブ・シーンで「sideway shuffle 」が話題になり、何度もターンテーブルに乗ったことも後押しになった。


世の中に幻の名盤と言われるレコードは数多くあれど、ほとんどが迷盤か冥盤の類で、このアルバムのようにじっくりと聴けるものは、皆無に等しい。
しかしこれ程、慈愛と歌うことの喜びに満ちたアルバムが、1972年発売日当時は、ほとんど話題にならなかったのだろう。


シンガーソングライターの旗手として、キャロル・キングやローラ・ニーロが注目されて、マーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーも新しいタイプのソウル・ミュージックを創り上げていく。




このアルバムもカテゴリーに囚われない様々な音楽の要素が煮込まれていて、ジャズ、ゴスペル、ボサノヴァ、カリプソなどの最良の味覚が溶け込んでいる。
話題になっても不思議ではないのだが、当時の最新スタイルよりも、さらに半歩先を進んでいたため、どう評価して良いのか判断がつかなかったのではないか。


それほどまでにリンダ・ルイスは歌うことに自由で、このアルバムのタイトルどおり、天に向かって囀る雲雀のように歌う。
これ程、気の赴くままに自由に歌うことができる女性シンガーは、アレサ・フランクリンとエリス・レジーナぐらいしか思いつかない。
まさに神に選ばれた天性の歌声。


このアルバムがCD化されたのは1995年。
再び幻の名盤にならないように祈るばかりである。


(店主YUZOO)

1月 8, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

第12回 耳に良く効く処方箋




ビリー・ポール『360ディグリーズ』(フィィラデルフィア・インターナショナル )

久しぶりの三連休だというのに、何もヤル気がおきず、音楽を聴くか、本を読むか、うつらうつらと転寝するかで、一歩として外に出ていない。
ヤル気スイッチなど初めから付いていないようである。


外が寒いからという理由ではない。
今流行りのオヤジの更年期というやつが、心身を侵しているのか。
前世がハシビロコウで一日中、川の流れを見ていても飽きない性格。それが年を重ねて露わになったということなのか。
どちらにせよ、万歩計を見ると1日200歩程度しか動いていない。
転寝好きのハシビロコウである。やれやれ。


このアルバムはビリー・ポールの特大ヒット「Me and Mrs Jones 」が入ったもので、フィィラデルフィア・インターナショナルを代表する1枚となっている。
ギャンブル=ハフのプロデュース体制で、最初に放ったNo.1ヒットでもある。
この特大ヒットは、言わば不倫ソングで有名な曲で、艶かしい昼ドラマのような歌詞が、当時、御婦人や殿方の心を捉えたのだろう。


僕とミセス・ジョーンズ
二人は秘密を持っている
よくないこととは知りながら
忘れるにはあまりに強いこの思い
これ以上気持ちが高まらないように
ぼくらは必死に努めてきた




そしてジャケットに写るビリー・ポールは、色事師の典型といった顔つきだけに、さらに妄想が膨らんで、歌詞にリアリティが加わったにちがいない。


会うのはよくないと口では言っておきながら、カフェでお互いの手を絡め合わせて、次に会う計画をたてているのである。
必死に努めるというのは、謙虚に受け止めると同義語で、もっと周到な計画をたてていること。
これも色事師の常套句ではないか。



ただ実際のビリー・ポールは、色事師でも不倫萌え男でもなく、公民権運動に携わり、二度逮捕されたという経歴を持つ、社会の不正と戦う活動家でもあった。
このアルバムにも自身が作曲した「I’m a prisoner 」、「I’m gonna make it this time 」というメッセージ色の濃い曲を歌っている。



それを思うと、ビリー・ポールは気の毒である。
特大ヒットを放ってしまったおかげで、そのイメージが先行して、勝手に色事師シンガーと型にはめられてしまい、本来の自身が抱いている思いや感情は、聴く側は伝わることなく、ヒット曲だけが勝手に先へと進んでいく。


その後、これ以上のヒット曲に恵まれなかったのだから、尚更であろう。
たぶん今でも場末のキャバレーで、年増の御婦人から、あの曲を歌ってとせがまれて、脂ぎったバリトンボイスで、その御婦人の耳元で囁くように歌っているにちがいない。
可哀想なビリー・ポール。


ハシビロコウの私が憂いているのだから間違いない。

(店主YUZOO)

1月 7, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

第11回 耳に良く効く処方箋




ブレイヴ・コンボ『ポルカス・フォー・ア・グルーミィ・ワールド』(ラウンダー)


テキサスで誕生したポルカ・バンド。
ブレイヴ・コンボは、いろいろな国の民族音楽をポルカに仕立て上げ、どのアルバムも掛け値無しで楽しませてくれる。
我々日本人にとっては、日本の古い流行歌をまとめた『ええじゃないか』というアルバムが、親しみ易さではひとつ頭抜けていて、当然、私もそのアルバムを聴いてから、このバンドに注目するようになったクチ。
以後、中古レコード屋のカビ臭い棚から見つけては、コレクションにしている。


このアルバムでも雑食的に世界中の民族音楽をポルカに仕上げていて、ドイツ民謡、テックスメックス、チェコとその食指を動かしているが、やはり個人的な注目は、ロシア民謡「カチューシャ」を、どのような味付けを施しているかが気になるところ。


「カチューシャ」と言えばロシア国歌ともいうべき歌で、元々は第二次世界大戦時に広く歌われた軍歌。
戦地に赴く若い兵士を、無事に帰郷することを祈る娘の心情を歌ったもの。
今でも戦勝記念日の5月9日では、ロシア各地のイベントで「カチューシャ」が声高らかに歌われる。


日本でも♬リンゴの花ほころび〜と、歌声喫茶の世代では思い出の一曲だ。


さてそのロシアを代表する曲を、どのような味付けで料理に仕上げたのか。
メキシコ風ピリ辛料理か、ドイツ風ザワークラウト風味か、東欧風肉料理か。
イントロは「ヴォルガの舟歌」で重々しい前菜のあと、テンポが変わり「カチューシャ」とメイン料理が運ばれてくるが、意外にも正当なロシア料理。脂肪分と塩分の高い味付けで、大量のスメタナで食欲を促してくる。
そして歌詞も、ちゃんとロシア語で歌われている。





『ええじゃないか』の時もすべて日本語で歌っていたのだが、リーダーのカール・フィンチは言葉を聴き取る耳力が良いのだろう。
どの言語でも違和感なくメロディアスに歌ってしまう。


その器用さが逆にアダになる節もあって、よく駅前で売られている海賊盤みたいに聴こえてしまうのも正直なところ。
もっと怪しげなエセ無国籍性を全面に出ていれば、左眼で笑って、右眼で頷いていたのにと惜しまれる。
器用過ぎるというのも、面白味が煮崩れせずに、身が固くなるというきらいがある。


最後の曲は「In heaven,there is no beer 」。
歌詞が掲載されていないので、詳細はわからないが、私の拙い耳の聴き取りによると、天国は良いところだけども、ビールもワインも、さらにSEXさえないんだ、愉しむのならば現世が最高だよ、といった内容。
やはりこういう歌は、ブレイヴ・コンボの独壇場。


左眼も右眼も笑っている自分がいる。

(店主YUZOO)

1月 6, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 5日 (金)

第20回 紙の上をめぐる旅




『努力とは馬鹿に恵えた夢である』(新潮社)

立川談志らしい辛辣でありながら、哲学的な題名である。
江戸落語に描かれた庶民像は、現代に生きる人間の精神や思考にも通じ、時代が変われども、所詮人は人、何の進歩もなければ後退ももない。
人間の精神性に、江戸と現代の間に優劣はなく、ただ生活様式が変化しただけであると、考えるのが健全である。


ただ人はこの世に生を授かった以上、業を背負って生きなければならず、その言動や行動は他人が伺い知ることではなく、至って本人は真面目に取り組んでいるが、本人以外は滑稽に思え、何であんなにも慌てているだろうねなどと、周囲の笑いを誘う。
笑いの本質として、俺ならばあんなことしないけどなぁという心理、浅はかな奴だね、見ていられないよというような優越感が、笑いへと変換されるのではないか。


本来、理解不能な他人を演じるのが落語という芸の本質ならば、その芸を高めるには深い洞察力や観察眼が要求される。
熊さん、八つぁん、長屋の御隠居、古女房など、それぞれの人間関係や距離感などを見極め、独りで何役も演じるわけである。
独り何役。笑いを観客に提供する芸としては、世界広しといえども落語だけではないのか。





この本は談志没後3年、とくに円熟期から晩年に書かれたエッセイを中心に編集されたものである。
自身の老いや病を自覚しながら、落語の本質、人間の業をえぐり出そうとする姿勢は、鬼気迫るものがある。
晩年の談志が何を追い求め、何を畏れていたのかが、ひしひしと伝わってくる。
この題名も、自嘲気味に己に向けて発した言葉なのではとさえ思えてくる。


伝説と謳われた2007年の独演会で演じた「芝浜」。

「神が(芸術の神が)立川談志を通して語った如くに思えた。最後はもう談志は高座に居なくなった。茫然自失、終わっても観客は動かず、演者も同様立てず、幕を閉めたが、又開けた、また閉めて、又開けた。その間、演者は何も云えなかった。だった一言
“一期一会、いい夜を有難う”としか云えなかった。


このくだりは、一瞬、談志の遺書か遺言かと思えてくる。


そして爆笑問題との対談がこの本の締めくくりとなる。


「何なのかネ、そんな重大なことでなくても、他人に伝え、自分が納得することによって人間生きているのかもしれないネ。してみりゃ話題なんて何でもいいのかも知れない」


こう呟くところに、談志の人間を洞察力の奥深さを感じる。
やはり天才肌の落語家であった。

(店主YUZOO)

1月 5, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

第10回 耳に良く効く処方箋




ジェームス・ブラウン『セイ・イット・ライヴ&ラウド』(ポリドール)

JBの発掘ライヴ音源で重要な位置を占めるのが、このアルバムとブッチー&キャットフィッシュのコリンズ兄弟が参加したパリ公演盤になるが、歴史的な重要性という観点から見れば、こちらの作品に軍配が上がるだろう。
JBのドキュメンタリー映画『ピュア・ダイナマイト』を観た時も、このダラス公演は、映画のハイライトになっていた。


このアルバムの副題にある08.26.68は、この公演が開催された日付。
公民権運動が最高潮のうねりとなってアメリカ全土を席捲していた。
その中で中心をなしていた指導者キング牧師、マルコムXが相次いで暗殺され、まさにアメリカは二分されて、いつ各地で暴動を起こるかわからない緊張に満ちていた。
とくにダラスは対立が先鋭化して、危ないと言われていた、まさにその時。
その緊張を強いられていたダラスで、黒人たちの怒りを納めようとライヴを企画するのである。


映画では、そのステージに立ったメンバーが、この歴史的なライヴを回想する場面があるのだが、いつ暴漢が乱入してきても、凶弾で狙われても、おかしくない状況だったと口々に言う。
その一触触発の出口なしの状況のなか、JBはステージに立ち、このコンサートに来てくれた人々に礼を言い「I’m black and l’m proud 」を高らかに宣言し、歌い出すのである。


俺は黒人で、俺には誇りがある。


この時代に、これほどシンプルで美しいメッセージがあるだろうか。
先日紹介した『ブルースだってただの唄』の中でも、インタビューされた黒人女性は、このメッセージにどれほど勇気づけられたかと、熱く語っていた項がある。


このアルバムは、このダラス公演の全てを収録している。
JBのボーカルは、言うに及ばず神が降臨しているが、バックの演奏力の高さもハンパではない。
クライド・スタブルフィールドのファンキー・ドラムとチャールズ・シュレールの野太いベースのコンビネーションに、リズムと一体となって、会場全体を激しく揺らしている。
このライヴの山場「Cold sweat 」、「There was a time 」でみせるファンク魂は悶絶もの。
黒人である誇りを高らかに、音楽にして宣言しているようだ。


とにかく神が宿っているアルバム。
体験すべし。

(店主YUZOO)

1月 4, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 3日 (水)

第19回 紙の上をめぐる旅




立川志の輔『志の輔旅まくら』(新潮文庫)

当然ながら落語家だって旅をする。
もちろん酪農家だって旅をする。
生まれながらにして人には、ここより他の場所に行きたい気持ち、異邦への憧れ、まだ見ぬ桃源郷を希求する遺伝子が色濃くある。


この本、立川志の輔の旅をテーマにしたまくらをまとめたもので、同じく柳家小三治『ま・く・ら』という名著があるが、それと双璧をなすぐらいの快書である。

ただこういう肩肘を張らずに読める本の解説を目にするほど、つまらないものはない。
外国の小噺を通訳を介して聞くようなもので、鮮度が落ちるのは当然のこと、さらに妙に教訓めいたお堅い話に変わってしまう。


小噺は諺ではない。
というわけで、思いついたことを、つれづれなるままに書くことにしよう。

立川志の輔が巡った旅のなかで、羨ましく思うのは映画『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』を観て、キューバ行きを思い立ったこと。
太い葉巻を加えてビシッとしたスーツを着た、90才のミュージシャン、コンパイ・セグンドの「俺の人生そのものが、恋だった」と粋な台詞にガツンとやられて、こんなに人生と音楽を満喫している老人が住むキューバとは、いったいどのような国と好奇心が芽生えたのが発端。


このフットワークの軽さと行動力。
私の行きたい国No. 1が長年キューバなので、羨ましいと言ったらこの上ない。





この誰も行こうとは思わない国こそ、何か面白いことが隠されていると考えるのが、この稀代の落語家の勘どころで、インド、北朝鮮、メキシコ、羽咋市、高知市へと足を延ばしていく。


石川県羽咋市はUFO の町で宇宙博物館があるそうで、そこに飾られている宇宙船ルナ24号がロシアから届くまでの顛末記。
門外不出と思える宇宙船を、どうやってロシアから運んできたのかという件は、NHK『プロフェッショナル』よりも面白い。
羽咋市には失礼だが、国内でも魅力的秘境は、まだあると再認識した次第。


この本の正しい読み方。
まず『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』をツタヤで借りてくる。観終わったのちに、この本を読む。
次に羽咋市の場所をグーグルで探し、自分の家からどれだけ時間がかかるのか調べてみる。そして空を見上げて、UFO かミサイルが飛行していないか確認する。
安心したところで、羽咋市と北朝鮮の旅を読む。これが正しい。

(店主YUZOO)

1月 3, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

第9回 耳に良く効く処方箋




プロフェッサー・ロングヘア『ザ・ラスト・マルディグラ』(アトランティック/タワーレコード)

このアルバムで眼を瞠るべきは、再発をタワーレコードが「良盤発掘隊」というシリーズで行なっていること。
以前は新星堂がフランスのサラヴァ・レーベルやブラジル・サンバの再発を積極的に行なっていたが、大手レコード販売会社が直接再発に乗り出すのは、それ以来ではないか。
ドーバー海峡を泳いで横断したくらいの快挙である。快呼。


ただ世界初CD化というのではなく、以前にライノという再発レーベルから『ビック・チーフ』、『ラム&コーク』という2枚に分割された形で、この音源は世に出ている。
もちろん2枚とも所有しているが、オリジナルに忠実でない曲順だったり、1992年というデジタル音源化が発展途中の頃だっただけに音質が平べったく聴こえたり、あまり印象に残らないアルバムになってしまっている。


その印象を覆し、2枚のCDにまとめてオリジナル通りに再発した、タワーレコードの担当者の心意気には頭が下がる。
長髪教授の講義には、熱心に出席している生徒である私が言うのだから間違いない。


もうひとつ、この仕事ぶりに頭が下がるのは、1982年にLPで国内盤が出た時のライナーを、そのまま掲載していることで、日暮泰文氏の愛情溢れる文章に、このニューオリンズが産んだ稀代のピアニストの生涯に触れられる。





フェスには7人の子供がいた。35才くらいの長男から18才の娘までだが、その娘が「大学へ行きたいっていうんで、どんなことがあっても入れてやりたいんだ」と語っているフェス。その娘が大学へ入ったとすれば、彼は全ての子供を育て終わったという、緊張が解けた頃、この世に別れを告げたということになる。


長髪教授の特異性や革新性、音楽的な素地だけを論ずる文を目にすることが多いなか、生活の糧として音楽を演奏していたという視線は、目から鱗が落ちる思いであり、ひとりの父親像として立派に仕事を成し遂げたのだと、枕を涙で濡らしてしまうほど。
ちなみに我が家も今年で子育てが終わるので、この文章の一節は、なおさら感慨深い。


さてアルバムの内容はというと、娘を大学へ入れるために、いつも以上に張り切って鍵盤を打ち鳴らす、長髪教授の快演が聴ける。
この2年後に死を迎えてしまうとは、そんな翳りを一切感じさせない。


最後まで父親としても、ひとりの音楽家としても、その筋を通したのである。
偉大な音楽家である。

(店主YUZOO)

1月 2, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月29日 (金)

第8回 耳に良く効く処方箋




ジェームス・ブラウン『ライブ・アット・ガーデン』(キング)


ジェームス・ブラウンの怒涛のライヴを捉えたアルバムは数多くあれど、この1967年に発表された作品は、名盤『ライヴ・アット・ジ・アポロ』などと比べると、かなり知名度が低い。
CD化も2007年に日本で発売されたのが、初めてとなる。
しかし、そんな事はどうでもいい。
「ぐるなび」の点数がその店の味を表しているわけでないように、点数の低い店は全て不味いとはならない。


60年代半ばから70年初めにかけてのジェームス・ブラウンとゴッドファーザー・オブ・ファンクは同義語だったことは、誰もが納得するところ。
いや、ファンクの神様が降臨していたと言ってもいい。
ジェームス・ブラウンがいなければファンクという音楽が完成していなかったし、これほどカリスマ性を帯びたミュージシャンは、比するべき人物は、ほとんどいない。
ワン&オンリーの絶対的な存在。
ステージに降り立った瞬間、観客は興奮の坩堝と化し、神様のシャウト、スクリームに熱狂し、会えた悦びで失神する。
もうステージというより、宗教的な儀式である。


その辺りは、YouTubeでジェームス・ブラウンで検索してみてください。
神様が激しく踊り、マイクスタンドを操り、シャウトを繰り返す姿に、崇高な気持ちで体温と精神がヒートアップしてきます。
こんな凄まじいステージを年間300以上もこなしていたのである。人間の為せる事ではない。
神様以外の何者でもない。


このアルバムもその儀式の瞬間をパッケージした名盤である。
「Out of sight 」、「Bring it up 」で観客の体温を5℃ほど熱くさせ、「Try me 」で少しクールダウンさせる。
鋼を製造するがごとく、熱してから冷ますという作業をすることで、ステージと客席が一体感になることを、神様は熟知しておられるのだ。


白眉は「Hip bag ‘67」という即興的な曲で展開する人知を超えたシャウト&スクリーム、「Ain’t that a groove 」でみせる観客を煽り立てる姿。
ものすごい熱気と一体感である。


ラストはお決まりの「Please please please 」のマントショーで大団円を迎えるのだが、この完璧なステージの流れを見せられて、興奮で鼓動は高まったまま。
神様は人々に歓喜と悦びを与えられたことで、満足して楽屋裏へと去っていく。


ジェームス・ブラウンのライヴに駄盤なし。
すべてが神様の尊い儀式を捉えた名盤である。

12月 29, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月28日 (木)

第18回 紙の上をめぐる旅




藤本和子『ブルースだってただの唄』(朝日選書)

この挑発的な題名の本を書いた著者は、60年代アメリカを代表する作家、リチャード・ブローディガンを日本に紹介してくれた翻訳家。
学生時代にブローディガンの描く刹那的でありながら、独特のユーモアを散りばめた作品群に虜になっていた私には、その仕事ぶりに感謝しなければならない方なのである。


この本が出版されたのは1986年。
もう30年以上も前になる。
新刊として本屋に並んだ際に、すぐに購入したのだが、今回、近所の古本屋のワゴンセールで背焼けしているのを見て、懐かしさと同時に居た堪れなく再購入した次第。
もう内容は記憶の彼方に消えてしまっているし、アルコールで毒されていない紅顔の文学青年だった頃を、回顧する気持ちも後押しして。


この本、題名の通りにブルースについて論じたものではない。
公民権運動がアメリカ全土を席捲した時代から20年経て、黒人コミュニティにどのような変革や意識の変化があったのかを、インタビューを通して探る内容。
すべてインタビューされるのは黒人女性というのも、この本のユニークなところ。





一章は、臨床心理医、ソーシャルワーカー、放送局オーナーなどコミュニティに密接な関係する仕事をしている女性。
二章は、詐欺犯と殺人犯と刑に服している女性。
三章は、両親が奴隷だった百歳を超える女性。

それぞれが黒人女性であることで受ける差別や困難を、雄弁に語りつつも、地域に根ざしたコミュニティを形成していく行動力がある。
本の題名のように、悲嘆に暮れてブルースを歌っても何も前に進んで行かないじゃないかという強い意志が感じられる。
コミュニティが分断され孤立に陥ったら、今まで脈々と受け継がれてきた、文化や伝統、芸術までも失うことになり、黒人であることの意味さえなくなる。
それは死に等しいことなのだと言葉にする。
どのインタビュアーも黒人であることに誇りを持っていて力強い。

最後の百才を超えたアニー・アレクサンダーさんの言葉が特に印象的である。

「ふつうの人びとよりひどい目にあってきたとは思いません。ごくふつうの生と死でした。愛する者たちを失うのはとてもつらい。でも避けられない。陽の光と雨。人間には二つながら必要なのですから」

この本が出版されてから22年後、アメリカに黒人初の大統領が選出されたことを、どう感じたのだろう。
そう思わずにはいられない。

(店主YUZOO)


12月 28, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月27日 (水)

第7回 耳に良く効く処方箋




マルコス・ヴァーリ『シンガー・ソングライター』(オデオン)

マルコス・ヴァーリのブラジル本国での2枚目。
マルコスのボサノヴァ時代を代表する1枚で、メロディメーカーとして類い稀な才能を発揮した名盤である。
アメリカで大ヒットしたアルバム『サンバ68』は、ここに収められている曲を再アレンジしたものが多く、原点を知るならば、この1枚ということになる。


お洒落なカフェの必聴曲「summer samba 」、「バトゥーカーダの響き」、「If you went away 」など、絶対に一度は耳にした曲が勢ぞろい。
私のなかでは、ブラジルを代表する偉大なる作曲家といえば、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、マルコス・ヴァーリとなるが、その事についても異論はないだろう。


才能がある人が実力を発揮したときほど、美しく歓びに満ちている作品が創造される。
私のような凡庸な人物には、それは手の届くことのない羨望の的であり、それを耳にすることができる悦びであり、音楽の魔力というものを、否応にも思い知らされる。


音楽は音として流れている時にしか、その美しさを感じることができない。
終われば静が訪れる。
言わば線香花火のような、一瞬の儚さがある。
マルコスは、その音楽の宿命を熟知しているのか、流麗で物悲しいメロディを紡ぎ出しては、わずか3分程度に納めて、余韻だけを残していく。


ジャケットのアートワークといい、その後のアメリカでの活躍を思うと、地味な印象を受けてしまうが、決して内容が悪い訳ではない。
むしろ、若き日のマルコス・ヴァーリの溢れんばかりの才能が、大輪の花の如く開花したアルバムだといえる。


いつ聴いても、心の処方箋となる珠玉の逸品。

(店主YUZOO)

12月 27, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月26日 (火)

第6回 耳に良く効く処方箋




キング・カーティス『インスタント・グルーヴ』(アトコ)

刑事ドラマの1シーンのようなジャケットである。
敏腕刑事カーティスは、晩秋の公園で長年探していた詐欺集団の親玉を、とうとう見つけ出す。
振り込め詐欺で多くの老人たちから金を騙し取り、その額たるや数十億円。
騙された老人のなかには、悲嘆に暮れて自殺した人もいるし、家族に顔向けできず失踪した人もいる。


それらの人々の心の内を思うと、善良な市民と同じく公園で優雅に散歩を愉しむなど、とうてい許されない行為であり、即刻捕まえて、冷たいコンクリートに囲まれた独房に叩き込みたい気持ちでいっぱいである。


しかし敏腕刑事カーティスを思い留ませることがあった。
この極悪非道の犯人も長年負い続けたせいか、だいぶ年を重ねていて、騙した老人たちの世代に近づいている。
その証拠に犯人の右手をぎゅっと握った孫娘の姿が視線の先にあるのである。
二人は落ち葉で埋まった散歩道を、ときおり笑顔を見せて、寄り添いながら歩いている。
逮捕される犯人の姿を孫娘には見せたくはない。


大木の陰に身を隠したカーティスは、今何処からか聴こえてくるこの曲が終わったら逮捕に踏み切ろう、と気持ちが揺れ動いたままだ。


その時流れていたのが、このアルバムの表題曲「Instant groove 」。
この黄昏の季節に似合わない極太のファンキー・ソウル・チューンである。
コーネル・デュプリーの歯切れの良いギター・カッティング、バーナード・パーディの機関車のような重量感のあるドラム、ジェリー・ジェモットのごりごりと唸るベース、その上をキング・カーティスのサックスが豪快に鳴り響くのだ。


センチメンタルな気持ちに陥っている暇はない。
とにかく音楽に必要なのは、老若男女が自然と身体が動いてしまうようなグルーヴを醸し出すことに尽きる。
そこの一歩先に進めない刑事さんよ、ここで奴に逃げられたら、それこそ、あんたは一生後悔し続けることになるんだぜ。
あの悪党は、人から騙し取った金でオモチャを買っているんだから、可愛い孫娘にまで詐欺しているのと変わりない。
改心するかどうかは、あいつが刑に服して自身で考えることだ。


ありがとう、キング・カーティス。
あなたの熱いサックス・ブローにソウルとは何なのか思い知らされたよ。
あの悪党には真実のソウルはない。
見せかけのソウルで一瞬だけ善人面を装っているだけさ。


そう敏腕刑事は呟くと、雲ひとつない晩秋の青空を見上げて、それから犯人の元へと歩み寄っていった。

(店主YUZOO)

12月 26, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月25日 (月)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記⑥





今日はクリスマス。
クリスマス・マーケットも最終日。
月曜日だけども、今日は有給休暇を申請して、家族とともに、恋人とともに過ごしている人もいるにちがいない。
いくら年末の忙しい時期だからといって、仕事を優先してばかりでは、家族や恋人に愛想をつかされてしまうと、賢明な判断をしたのだろう。

今日も背広に着替え、出社しようとしているあなた。
あなたが1日休んだぐらいでは、会社は潰れはしない。
今からでもいいから、お腹が痛くなったり、風邪をひいたりと、仮病を迫真の演技で演じて休むべきである。
さあ、しゃがれた声で呻くように、会社に電話をしてみよう。
神様はその程度の罪に罰は与えない。
クリスマスは年に一度だけである。
と書いている私自身が、典型的な日本人みたいに働いているんだけどね。トホホ。





今回、マトリョーシカを展示するにあたって、購買志向には地域の特色があることに気づき、その違いに驚いている。
たとえば夏に関西で同じような展示をしたときは、こんな感じである。
「この人形、なかにポコポコと入っているんわやろ?」
「はい。なかに4個ぐらい入っています」
「見せてぇ」
「こんな感じにですね。次から次へと出てきます」
「ほんまや。おもろいなあ。ほな、ひとつ買うとくわ」
会話のやりとりがあって、初めて商談が成り立つのである。
黙って買っていった人は一人もいない。





それに対して名古屋のお客様は、じっくりと選ぶタイプ。
自分の気に入ったものを、いくつか並べて、納得するまで比較する。
こちらは、マトリョーシカの産地や作家の特長を説明して判断材料にしてもらうのだが、その説明にも真剣に耳を傾けてくれる。
眼差しも熱い。
会話を楽しむというよりは、「納得」がキーワードで、それだけにお気に入りが見つかると、マトリョーシカに満面の笑みを浮かべてくれるので、こちらも幸せな気分になる。
いつまでも大切に飾ってくれる光景が目に浮かぶ。

それに名古屋の人は親切で律儀な人が多かったように思う。
探している店を尋ねると、その店の前まで案内してくれるし、行ったお店のマスターも昼時に奥様と一緒に、私たちを訪ねてくれる。
木の香を知っているお客様は、楽しみにしてしていましたと、嬉しい言葉をかけてくれる。
今回の展示で、納得と律儀が名古屋人の印象。




楽しかったなあ。名古屋。
また機会があれば是非とも出店したいなと思っています。
ありがとうございました。

(店主YUZOO )

12月 25, 2017 展示会情報, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月24日 (日)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記⑤





昨日の土曜日。
オルガン広場では、2時間毎にパイプオルガンが演奏される。
その荘厳な響きは、この一年間に起こった出来事を追想しつつ、ほんの小さなことで喜怒哀楽を露わにした自身を反省。
来年こそ穏やかで清々しい自分でありますようにと、切に願う次第。
パイプオルガンの響きは、人々をそんな気持ちにさせる天からの声に似ている。

クリスマス直前だけに、クリスマス・ソングをアレンジした曲が多かったなかで、思わず耳の産毛が逆立ったのは、ジョン・レノンの「Happy Christmas 」。
街中では原曲が流れることが多く違和感ないのだが、アレンジして歌う輩には、この歌の最も重要な部分「War is over ,If you want it,War is over now!!」を割愛して歌う不届きものがいる。




お前さんが歌が上手いのは、はいはい解りました。
それだけ声量豊かに歌えば、聴く方も感動のひとつ、涙腺のひとつも緩みましょう。
しかしねえ、お前さん。
この曲に込められたジョンの切なる希望を、爪の垢ほどもわかってねえじゃねえか。
それじゃ、ぜんぜんハッピーなクリスマスにならねえな。
臍が茶を沸かすぜ、すっとこどっこい野郎が‼︎
と江戸っ子に成り代わって愚痴のひとつも言いたくなるのだ。

しかしオルガン広場の演奏者は、♫War is over 〜をジョンからメッセージを天国から授かったという厳かな雰囲気で、この部分を繰り返し弾いてエンディングにしたのである。





江戸っ子は親の死に目にしか泣いてはいけないのに、自然と涙が頬を伝っていくのが、わかりましたよ。
この涙は希望の涙だ。
戦争を起こしたい下衆な野郎が、核兵器だのミサイルだのほざいている昨今、しっかりとこのオルガン奏者は、今に通じるジョンのメッセージとして伝えてくれたんだ。
これを聴く機会を与えてくれたことに、深く感謝しましたよ。





オルガン演奏は土日と祝日に開催されるそうです。
名古屋に住んでいる方も、その近隣に住んでいる方も、関東圏や関西の方も、東北や九州、四国の方も、一度は松坂屋に来られて、パイプオルガンの響きに酔い痴れてください。
もちろん北海道、沖縄の方も来てください。
一聴の価値はあります。

(店主・YUZOO )

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2017年12月23日 (土)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記④





オルガン広場に佇んで4日目。
クリスマスもカウントダウンに入り、町中、愛で満たされて始めている。
昨晩も名古屋に来た以上、「世界の山ちゃん」に行かないといかんばいと思い立ち、ホテル近くの店舗で慰労会。
そこでは若いカップルがラ○ホと勘違いしているのかと、こちらが赤面するぐらい濃厚にイチャイチャしているのである。
もちろん手羽先をしゃぶりながら、カルピスハイなど、お飲み遊ばせながらである。

横に座った塩辛いオヤジには刺激的な光景で、早く酔わないと目のやり場に困るとばかりに、いつも以上のペースで盃を交わすはめに。
焼酎のボトルなど頼んで、こちらは胃のなかが熱々になるぐらいに呑んでしまったのだよ。
つまりオヤジは負けじと胃袋とイチャイチャしてしまったわけである。トホホ。





今や、全国チェーンの居酒屋になった「世界の山ちゃん」。
手羽先と愛と平和をお客様に提供している店に成長しているのかと、その企業精神に敬服。
ちなみに手羽先の味は、神田で食すのと変わらないけれどね。





さて個人的に嬉しいことをひとつ。
ロシアで買付したアンティーク陶器類が、ことのほか好評で、カップ&ソーサやティーセットなど、ほぼ完売。
ご購入されたお客様からは「安くて良いものが手に入りました」と嬉しい言葉をいただき、独りごちている。

目利きでもない私がアンティークを買い付けるのは、我流で茶道をするようなもので、趣味の領域を出ていない。
蚤の市で何となく目に留まったものを、お店のディスプレイのつもりで少しばかり買い求めているだけである。
もしかして自分は天性の目利きかもしれない、いづれは骨董品屋でも始めようかなと、自惚れてしまいそうである。

イチャつく恋人達を横目に、思い返しては独りニヤリと目尻を下げていた次第。

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2017年12月22日 (金)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記③





昨晩、名古屋の夜はシャチホコが空を飛んでいた。
街路樹には光の実がたわわに実っていた。
恋人達の季節、到来である。

マトリョーシカを買い求めるお客様も、大切な人に、可愛い我が子に、プレゼントするために真剣な眼差しで見つめては迷われている。
私はこの迷っている姿を見るのが好きである。
ロシアに買付に行く身としては、作家や工房を巡り、こちらも迷い悩みながらセレクトして、日本に持ち帰ったのである。
お客様にも真摯に迷われた末に、お気に入りのマトリョーシカを選んでもらった方が、自分の買付した時の気持ちが伝わったようで、初夢に富士鷹茄子が現れたように嬉しく感じてしまう。




昨日もお志乃の説明を聞きながら、いろいろと悩まれた末に、イリーナ・ガモアさんのマトリョーシカを買っていかれたお客様がおられた。
お志乃との会話を愉しみながら、マトリョーシカを見つめる表情は和らいで嬉々としている。
その時の横顔は美しいと思う。
人生、眉間に縦ジワがよるような悩みが多いなか、たまに目尻が下がるような悩みがあっても良いではないか。





オルガン広場に射し込む冬の陽射しに微睡み、私は定年を迎えた草臥れたオヤジのように、その光景を目を細めて見つめ、意味なく微笑む。
ブランコに乗って「ゴンドラの唄」でも歌いたくなる。
黒澤明の『生きる』の名場面である。

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2017年12月21日 (木)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記②





今回のクリスマス・マーケットの会場には、パイプオルガンが設置してある。
音楽ホールではない場所でパイプオルガンが置いてあるのは珍しいし、こちらとしては何時になると、その荘厳な響きが奏でられるのかと、気になるところ。
クリスマスにパイプオルガンの響きなんて、塩辛いオヤジでもロマンチックな気分になる。
演奏が始まったら「アヴェ・マリア」でも歌ったろうかいな。

しかしマツザカヤのスタッフに訊くと、土日に演奏するそうで、平日は無いらしい。
「アヴェ・マリア」もお預けである。




さて、このクリスマス・マーケット出店にあたって何が喜ばれるのだろうかと、お志乃とアヤと打ち合わせした末、作家のマトリョーシカは、オリガ・イリーナ姉妹・ガリーナ工房の作品を中心にすることが決まった。
名古屋のイメージは、パステルカラーでゴージャス。
そこにゴールドが散りばめられていれば、クリスマス気分が否が応でも高まるというもの。




彼氏や旦那さんから、オリガ・イリーナ姉妹のクリスマスツリーでもプレゼントされたら、たぶん1年間は出逢った頃の初々しい気持ちで過ごせること請け合い。
クリスマス・イヴも華やいだ雰囲気で過ごせる。
それほどオリガ・イリーナ姉妹のマトリョーシカは、強力な演出者、中日にいた助っ人パウエルのような頼れる存在なのである。

今年のクリスマスはパウエルと過ごそう!
なんのこっちゃ。

(つづく)

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2017年12月20日 (水)

いざ出陣‼︎マツザカヤ名古屋店顛末記①





いよいよ、今日からマツザカヤ名古屋店のクリスマスマーケットの開幕である。
この日のために5キロも減量したくらい、身も心も引き締まる思い。
何せ、名古屋で仕事をするのは初めて。
尾張名古屋は城でもつと言われたぐらいの地であり、世界の山ちゃんの発祥の地であり、餡かけスパゲッティを嬉々として食す御国柄である。





一筋縄で治めることができるとは思っていない。
どんな県民性なのか判らないだけに不安もある。
しかし、かの地にもマトリョーシカを愛する人は、必ずやいるはずである。
その人に会えるのを愉しみに、相模の国、駿河の国を新幹線で駆け抜け、ただいま三河安城駅を予定通り通過しましたという車内放送を耳にして辿り着いたわけである。






この出陣には、二人の名参謀が参加している。
軍師で名を馳せた志乃と隠密では右に出る者がいないアヤ。
2人と共に、ほぼ半日かけて店の装飾と搬入を行う。
自慢ではないが余計な会話はせず、何も足さず何も引かず、寒川神社の狛犬のごとく阿吽の呼吸で、クリスマスの雰囲気を創り上げる。

10時開店。
今回はどんな素敵な出逢いがあるのか、開店時間が待ち遠しい。

(つづく)

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2017年12月19日 (火)

第17回 紙の上をめぐる旅




芥川仁・阿部直美『里の時間』(岩波新書)

季刊新聞「リトルヘブン」で連載されていた記事を編集したのが、この新書。
残念ながら、この季刊新聞については目にしたこともなければ、聞いたこともない。
ゆえにこの謙虚なタイトルに誘われて読んでみた。


この本には、つい最近まで日本各地で営まれていた生活が、どこか懐かしい写真とともに綴られている。
それは山の麓にへばりつくように在る集落だったり、豊かな里山を背にした農村だったりする。


都会に住み続けている私が、そんな集落や農村の生活を懐かしいなどと形容するのは、おこがましいのも程があるのだが、なぜそのような感慨に浸ってしまうのだろう。
この本にあるように脈々と続いた日本人が営んでいた生活様式が、近年著しく減少、崩壊し、もはや絶滅危惧種の様相を見せているからなのだろうか。

その土地には明治維新より前から、豊穣祈願、収穫祭、風習、慣習、文化などがあり、絶えることなく続いていた。それを継承することは、次世代へのバトンであり、永年に渡って続けることで、その土地の文化が豊かで実りのあるものになっていく。


日本人は、便利な生活様式と引き換えに、それらの文化を棄ていった、もしくは棄てざるおえなかったのだろう。お金がすべての生活の上に鎮座していて、背に腹はかえられぬ状況だったに違いない。
それは高度成長期にあった集団就職や出稼ぎ労働者といった史実から推測できる。


便利な生活を長年享受してきた私が、二枚めの舌で、田舎に帰ろうといった論戦を張るつもりはない。
ただこの本で伝えている土地に根ざした生活は、実に豊潤で、仕事に対しても、人間関係に対しても、悦びに溢れている。


もう便利な生活は、人生の悦びと同義語にはならないのではないのか。多様な価値観があってこそ、生活や文化を豊かにさせ、自身の人生の意義に繋がっていくのではないか。
この本に映る満面の笑みを浮かべるお婆さんたちを見ると、そう思わずにいられない。

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2017年12月18日 (月)

第5回 耳に良く効く処方箋




ネヴィル・ブラザーズ『ヴァレンス・ストリート』(コロンビア)

現在、ほぼ活動休止状態のネヴィル・ブラザーズ。
名前のとおり、アート、チャールズ、アーロン、シリルの4兄弟が中心となっていて、90年代に来日した際は、よくライブを観に行った思い出深いグループである。


それぞれ音楽の嗜好が異なる4人だけども、兄弟だけに化学反応が起きて、統一感のあるアルバムが出来上がる。
代表作は1989年に発表された『イエロー・ムーン』であることに異論はないが、このアルバムも4人の個性がバランス良く溶け込んだ好盤だと思う。


ピート・シーガーの代表曲「If I had hammer 」をアーロンの甘い歌声に、シリルのカリビアン嗜好が上手くマッチしているし、インスト・ナンバー「Valence street 」や「The dealer 」は、ニューオリンズ出身のグループならではの抜群のリズムを刻みこむ。
ワイクリフ・ジーン(フージーズのリーダー)との共演作「Mona lisa 」は2世代ぐらい差があるのに、ジェネレーションの違いなど物ともせずに、スローに熱くグルーヴしていく。


そして何よりも嬉しい収穫は、ファンク・マスターの長男アートが、ミーターズ時代を彷彿させるような最高のファンク魂をみせる「Real funk 」。
ニューオリンズ産のファンクは、俺様が創り上げたんだと言わんばかりに、シンコペーションし躍動するリズム、チャールズのサックス、そしてバャバャ〜〜と豪快に鳴り響くアートのハモンドオルガン。


アートのオヤジ声も素晴らしい。
この老舗旅館の番頭みたいな歌声で、50年近く音楽業界を生き抜いてきたのである。
まさに伝統の一献。
この声の艶と響きに旨みを感じないようであれば、音楽の肝というものが理解していないことになりますゾ。


仲良き兄弟の音楽は、聴くものを幸せにしてくれる。

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2017年12月15日 (金)

第4回 耳に良く効く処方箋




アリス・コルトレーン『ア・モナスティック・トリオ』(インパルス)

アルバート・アイラーの精神性を重視したフリージャズを聴いてしまったので、同じくジョン・コルトレーンに多大なる影響を受けたアリス・コルトレーンのアルバムを聴く。
名前が表すとおり、アリスは、ジョン・コルトレーンの細君。
公私ともに夫が死に直面する時まで、添い遂げたのだから、真の継承者といえるかもしれない。


ウィスキーのロックでは、精神性の高いジャズはそぐわないと痛感したので、ここは焼酎に切り替える。
庶民的な酒を片手に、下世話な耳で聴いた方が、素直に修行僧のようなジャズの高尚さが、すんなりと入ってくるというものだ。


解説によると、このアルバムはコルトレーンの死後、最初に発表された作品で、鎮魂歌集にあたるもの。
「Ohnedaruth 」、「Gospel trane 」など黒人文化に根ざした主題とコルトレーンが理想とした世界を表現することに、全身全霊を傾けている。
最愛の人を失った悲しみと、その意志を引き継ごうという決意が全面に出た気迫極まる演奏である。
こういうジャズならば、下世話な私にでも理解できる。焼酎が心地良い。


アリスはピアニストなのだが、ジャケットでもわかるように、ジャズでは珍しくハープに挑んだ曲もある。
ハープは琴のような響きがあって、そのせいか東洋的な安らぎを感じることができ、日本人の耳には親しみがある演奏。
コルトレーン・カルテットのベース奏者、ジミー・ギャリソンがウッドベースが、良く響いていて、華を添える。


「Atomic peace 」は、下世話な私の耳には、極楽浄土を表現しているようで、自然に手が、焼酎をグラスに注いでしまう。
何億光年の彼方から届いた星の光は、もしかすると私たちが眼にした時には、もう砕け散って存在していないのかもしれないのだ。
逆を言えば、コルトレーンはこの世を去ってしまったが、その精神性は光となって何億光年の彼方へと解き放れているとも考えられる。


この大宇宙のなかにコルトレーンの精神は消滅することなく、永遠の魂をともなって生き続けている。合掌。


高尚なアルバムだったけど、私なり多少は、理解できた作品。
毎日は聴きたくはないけれどね。
さて、もう一杯。

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2017年12月14日 (木)

第3回 耳に良く効く処方箋






アルバート・アイラー『イン・グリニッジ・ヴィレッジ』(インパルス)

前回、ルイ・アームストロングの紙ジャケット・アルバムをリサイクルショップでゲットしたと紹介したが、同じくゲットしたのが、このアルバート・アイラー。
ジョン・コルトレーンと同じレコード会社に所属していて、その精神性の継承者として注目されていたアルバート・アイラーだけに、このサイケデリックなジャケットと相まって、大きな期待を寄せる。
何せ、アルバート・アイラーを初めて聴くのである。


まずウィスキーのロックを用意。
この手のジャズは、ビールやハイボールのようなパンチの無い酒では、耳にガツンとはいってこないのである。
1曲目の題名「For John Coltrane 」。
敬愛する師に捧げる曲である。


手法はフリージャズか。
なんか楽屋裏でピッチ合わせをしているような音。
がちゃがちゃとした音の洪水が理解できない。
口元までグラスがいくが、酒がすすまない。


2曲目も同じ。
3曲目はマーチのリズムに耳を惹くが、やはりサックスのフレーズ垂れ流しに、耳が閉じていく。
精神性を重んじる時代。
このアルバムが発表された前年に、尊師ジョン・コルトレーンも『アセンション』という精神性の高い解読不能な作品を発表していたが、そういう時代だったのだろう。


こういうジャズを聴くなら、インド音楽の方が精神が昂まり覚醒すると考えるのは、私だけだろうか。
だいたい自分の人生に精神性を求めたことが、一度もない凡庸な人間である。
理解するだけの土壌がない。


ジャケット・デザインは良いのにと、繁々と見てみる。
気がついたら、グラスの氷が溶けて水割りになっている。とりあえず飲み干した。

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2017年12月13日 (水)

第2回 耳に良く効く処方箋




ルイ・アームストロング『ハロー・ドーリー!』(キャップ)

1964年発表の名盤。
ルイ・アームストロングを聴くと、どんなに辛い事があっても、どんな災難に巻き込まれても、憂鬱で気が滅入りそうになっても、聴いている間だけは、幸せな気分に浸れることができる。
わすが30分程度の魔法であっても、その時間だけは、すべての嫌なことを忘れさせてくれる。
真のエンターテイナーとは、ルイ・アームストロングのような人物を指すのだろう。

ただ私の耳は、ルイの嗄れたダミ声にブルースの響きを、その親しみある人懐っこい歌の中に感じてしまう。
誰も一緒に口ずさみたくなるような歌を歌うルイだが、その明るくハッピーにさせてくれる歌に、なぜか計り知れないブルースが潜んでいるように聴こえるのだ。
人生が輝いているのは一瞬のこと。
それだからこそ、今宵を今日一日を愉しんで生きようではないかと、そんな気分が見え隠れするのだ。

酸いも甘いも人生の機微を熟知しているからこそ、明るい曲にもブルースが入り込んで、奥深い表現になっているのではないか。
この辺りの考察は、もう少しルイを聴かないと、その本質に近づけないだろうが。
まだ聴いている枚数が少な過ぎる。

大ヒット曲「Hello dolly 」はもちろん素晴らしいナンバーだが、他にも聴きどころが満載。
映画『ティファニーで朝食を』のタイトル「Moon river 」などは、アンディ・ウイリアムスの気障な歌より親しみがあるし、ファッツ・ドミノで有名な「Blueberry hill 」も牧歌的な歌唱で、指でリズムを取って、一緒に歌いたくなる。

このアルバム、紙ジャケット仕様のものを、近所のリサイクル・ショップで500円で購入。
何でまたとお得な買い物に驚く反面、この名盤を手放した人の事情が知りたくもなる。
よほどの理由があったとしか思えない。
だって、30分の魔法を手放したのだから、その心中を察したくもなる。

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2017年12月12日 (火)

雪やコンコン旭川の旅(下)





会社からの特命を滞りなく終えて、今宵は旭川に宿泊となる。
ホテルのフロントの話では、土日は寒波が来て−15℃まで下がるから、良い時に来たということ。
つまり今日は過ごしやすい日という意味だが、都会の軟弱者には、凍れる寒さはすべて同じで、三寒四温のような繊細な肌の感覚が理解できない。
寒さに対する感覚が、根本から違うのである。
きっと3月には少しの温度差で、春の訪れを感じることができるのだろう。





さて特命慰労の晩餐会。
旭川ではラーメンを是非ご賞味くださいと、同僚が口にするのだが、残念ながら私にはラーメン愛はない。
以前に伝説のラーメン屋という名店に、長時間待ち覚悟で並んだが、ようやくカウンターに座るや否や、店主が従業員を怒鳴り散らす場面に遭遇。
さらにスープの最期の一滴まで飲み干してくださいという張り紙を見て、うんざりしてしまったのである。

食事は愉しく食べたいもの。
怒鳴り散らしている所では、自分が怒られているようで、ゆっくりと味わうことさえ気が滅入る。
また自信の表れだろうが、食べ方にまでウンチクを語る店では、その作法通りに食べないと、尻を叩かれそうで、こちらも気が滅入る。





とういう理由からフロントがお勧めの居酒屋へ。
私は北海道に来たら、まず最初に食べたいのは厚岸産の生牡蠣。
肉は艶々と輝いてプルプルとして、たっぷりとしたお汁。レモン汁を絞って、そのまま一気に口に入れる。
醤油をかけるのは邪道である。生牡蠣がその身に受けた潮水が、レモン汁と溶け合って、程よい塩味となる。
舌と頬が喜ぶ。美味し。
牡蠣の産地は、日本各地にあれど厚岸産が一番である。





二軒目はショットバー。
店に流れるのは、70年代のブラックミュージックのみ。草臥れたオヤジには、この上ない極楽浄土である。
ふとミーターズの「People say 」が久しぶりに聴きたいと思った途端、店内にあの独特のリズムが流れ始めた。
偶然なのだろうが、何か啓示を感じる。
特命を成し遂げた私へ、神様からのご褒美なのかとさえ思う。
今宵はそのぐらい思い上がっても、バチは当たらないだろう。

ようやく雪が降り止んだ。
旭川の夜はしんと静まり優しかった。






※残念ながら携帯をホテルに忘れたため、厚岸産の生牡蠣の写真はなし。
旭川は家具で有名な町だけに、駅舎も木をふんだんに使って温もりがあります。


12月 12, 2017 国内仕入れ, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月11日 (月)

雪やコンコン旭川の旅(上)







急遽、会社からの特命で、北海道の旭川まで行くことになった。
もちろん深圳と同じく極秘事項だけに、ここでは明かすことはできないが、とにかく早朝の羽田から千歳へと旅立ったのである。
初冬の朝焼けは、空気が澄んでいて美しい。

千歳空港までは約1時間40分。
東京から名古屋ぐらいの時間で着いてしまうのだ。日本は年を追うごとに狭くなっていく。旅情を愉しむことなど、遠い昔の絵空事になってしまった。
ウトウト、ムニャムニャと寝言をつぶやいているうちに到着となる。






着陸前の機内放送では「ただ今、外気の温度は−9°C。東京と気温差がありますので、くれぐれもお身体をお崩しになりませんように」と、艶のある声で伝えてくれる。
12月初めにして−9°Cとは、さすが悠久の大地、北海道である。
顔から霜柱が生える。
産毛に樹氷が林立する。

感心するのと同時に、背広に革靴、それに薄手のジャンパーで北海道に来た自分の無策に、思わず溜飲を下げる。
いくつになっても甘いんですな。
未来予想図などないのですな。




JRのホームに向かうと、電車遅延のお知らせがあり、その理由も北海道ならではの大らかさ。
電車の車輪が凍結したためのこと。
人身事故やら扉に荷物が挟まったためなどという人為的な理由でないので、やり場のない怒りで腹立つこともない。
車輪も縮み上がるような寒さなのである。車輪の気持ちもよく分かる。
ちょっとしたスキで、凍れてしまったのである。




札幌で特急ライラックに乗り換え、一面雪の大地のなかを旭川に向かって驀進する。
車窓は水墨画のよう。
樹々が凍り、きりきりと音をたてる世界。
タロウの上にもジロウの上にも、雪はしんしんと降り積もる。

(つづく)






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2017年12月 8日 (金)

第16回 紙の上をめぐる旅




A.チェーホフ『チェーホフ短編集』(集英社)

最近は記憶海馬がアルコールで濁っているせいか、名作といわれる文学作品をいつ頃読んだのか、それどころか粗筋まで忘れている始末で、実に心許ない。
かと言って、今更若い頃のように甘酸っぱい気持ちで、それらの名作の世界に入り込めるかと言うと、それも心許ない。
あまりにも世間を斜に見ることに慣れてしまい、新鮮で真っ直ぐな心持ちで、世の中の事象に対峙できなくなっている。

そんな擦れっからしのオヤジに嬉しいのは、古典的名作を新訳で新たな息吹きを与えようとする、昨今の出版社の動向である。
これならば満員電車で横目で覗かれても、今更青臭いものを読んでいるヘンなオヤジと、侮蔑の眼差しで見られることはない。
実にありがたい。

この『チェーホフ短編集』もロシア文学者の第一人者、沼野充義の新訳である。
しかも短編小説ごとに詳細な解説があって、それが大学の講義を受けているようで、作品の理解に深みを与えてくれる。
書かれたときの時代背景、ロシア語の日本にはないニュアンスをどう訳したかなど、作品を読むだけでは味わえない愉しさがある。

題名も過去の翻訳に囚われず、大胆に変更しているのも新訳らしく、ロシア語の文法では、こういうニュアンスと解説されると、思わず、満員電車のなかでフムと声が出てしまうほど。
「可愛い女」→「かわいい」。
「犬を連れた奥さん」→「奥さんは仔犬を連れて」。
題名が変わるだけで、小説の印象も変わってしまうようで、その試みはチェーホフの作品が現代でも通用する普遍性を持っているかと、大胆に挑戦しているかのようだ。

この短編集でとくに唸らされたのは「せつない」、「ワーニカ」、「ロスチャイルドのバイオリン」。
チェーホフが不条理と思えるユーモアを兼ね備えながらも、人間に対する深い理解をもって描いていることがわかる。
満員電車のなか、スマホに目が離せない昨今、新訳を手にして文学青年然として読書するのも、なかなかの快感ですゾ。

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2017年12月 7日 (木)

第15回 紙の上をめぐる旅




ジョージ・オーウェル『動物農場』(ちくま文庫)

飲んだくれ農場主を追い出して、動物たちが理想の国を築く。最初の数ページ読むと、動物たちは均等に食物が分配され、労働もそれぞれの得意なものに従事でき、何事も集会を元に決定される。
一見、ユートピア小説のように、もしくは原始共産制への回帰小説のように思えるが、読み進めるにつれ、独裁者が誕生すると、宣伝役が生産計画を代弁し、お互いを監視していく社会に変わっていくデトピアの様相を呈してくる。

そして最後は、敵対関係にあったはずの人間と指導者たちは手を結び、この動物農場はもはや理想社会ではなく、全体主義国家に変貌させるという結末になる。
否応にも、国家とは何か、理想的な社会とは何かと、いつまでも反芻させられる後味が苦い小説である。

デトピアを提示することで、ユートピアについて考えさせられる羽目になる。
これはこの小説が誕生した1945年が大きく影響しているのだろう。
第二次世界大戦の惨禍は、ヨーロッパの隅々まで焼き尽くしたにもかかわらず、その終戦間近では、早くも東西冷戦の悪臭を放つ花が芽を出し始める。
共通の悪の帝国だったファシズムが滅亡したにもかかわらず。

また人民のための国家として誕生したソビエト連邦も、スターリンの大粛清によって、全体主義国家の面を露呈した。
やがてアメリカも核開発と民主主義という飴と鞭で、同盟国という名の支配を世界に広げていく。世界の警察として。
まるで新しい手法の植民地である。

この小説は寓話的に書かれているだけに、国家の本質を突いているのではいか。
ファシズムも共産主義も民主主義も、本質的には一本の幹から枝分かれした国家体制であって、その幹とは権力を維持するシステムの構築であると、呑んだくれの塩辛い頭のオヤジでも考えてしまう。

開高健が解説で「権力ノ目的ハ権力ソレ自体ダ」という提議を果敢にも試みた小説家と、オーウェルのことを評しているが、この提議、グローバル化の名の下に価値観が一元化され、情報過剰な社会の中で思考するのをやめつつある現代人にも通ずるものではないだろうか。

多数決の原理を逆手にとって、きな臭い方向に突き進む国に住む人間にとって、この小説は、ほろ苦い。実にほろ苦い。

12月 7, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日 (水)

第14回 紙の上をめぐる旅




吉村昭『大黒屋光太夫』(毎日新聞社)

井上靖と同じく、大黒屋光太夫を題材にした歴史小説。
著者は、大黒屋光太夫と共に、再び日本の地を踏むことができた磯吉の陳述記録があることを、郷土史家から知らされ、磯吉から見た光太夫の人物像が加わることで、この漂流譚に新たな物語が芽吹くのではと考え、執筆に至ったとあとがきで述べている。


井上靖は光太夫が感情に流されない剛健な人物として、吉村昭は情感豊かで社交性に富んだ人物として、それぞれ描いている。
吉村昭の光太夫は情に厚く、極寒の生活に堪えられず命を落とした仲間に対して、感情を抑えきれず涙を流し、また漂着先のアムチトカ島の島民の苛酷な生活に心を悼める。
同じ人物とは思えないほどに、その墨の色がちがう。


イルクーツクに置いて行くことになる庄蔵との別れは、このような描写で筆がすすむ。


庄蔵の泣き叫ぶ声が遠くなったが、悲痛な声がなおもきこえる。
やがて、声はきこえなくなった。路上に倒れ、身をもだえて泣きわめいている庄蔵の姿が思い描かれた。
かれは走るのをやめ、頬に流れる涙をぬぐうこともせず歩きはじめた。耳に庄蔵の泣き声がこびりつき、光太夫は嗚咽した。


また新たな資料が発見されたことで描かれた、井上靖の小説にはない場面。
限られた期間であるが故郷の伊勢で過ごす光太夫は、このような懺悔の心情に苛まれている。


光太夫の帰郷を知った水主の遺族が、訪ねてくることもあった。その度に、かれは手をついて頭をさげ、死をまぬがれさせられなかったことを心から詫びた。遺族は、光太夫の語る死の状況を涙を流しながらきいていた。


この数奇なる運命の漂流譚。
どちらの小説が、読者の心の柔らかい部分を刺激するのかは、人それぞれの好み次第だが、個人的には吉村昭のほうが、大黒屋光太夫の人柄に血の通った情が入っていて、読んでいて気持ちが良い。
もちろん井上靖の明治生まれの作家らしい堅苦しい文章も嫌いではないが。

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2017年12月 5日 (火)

第13回 紙の上をめぐる旅




井上靖『おろしや国酔夢譚』(文春文庫)

大黒屋光太夫の漂流譚を題材にした長編小説。
のちに映画化されるに至って、この数奇な運命を辿った光太夫の名が世に知られることになったことでも、マイルストーン的な作品。


光太夫を船主とした17名は、7か月の太平洋漂流後、アリューシャン列島にあるアムチトカ島に漂着。その後、ロシアに渡り過ごすこと10余年。
その間に、12名はロシアの大地に倒れ、2名はロシアの地に残ることになる。
仲間が1人消え、2人消えていこうとも、帰国へ思いは減ずることなく強くなるばかり。様々な策を講じたのちに、晴れて女帝エカテリーナの命で、日本の地を踏むことになる。
帰国は3人。
大黒屋光太夫とは如何なる人物であったのかと、俄然興味が湧くのは、人なればこそ。


この小説に描かれている大黒屋光太夫の人物像は、鋼のように強い精神力とリーダーシップ。それに事の成り行きを正確に判断できる洞察力を持った人物。
ややもすれば、計画遂行のためには非情な決断も辞さない性格にも映る。
たぶん極寒のイルクーツクでの生活に耐える人物として、そのように鉄の意志を持たなければ、とうてい悲願の帰国まで成し得なかったという著者の思いがあるのだろう。
仲間のうち12名が、帰国の願い叶わず落命したのだから、その意図もわからぬわけでもない。


イルクーツクへの旅が決まったときの光太夫の言葉。


「人に葬式を出して貰うなど、あまいことは考えるな。死んだ奴は、雪の上か凍土の上に棄てて行く以外に仕方ねえ。むごいようだが、他にすべはねえ。人のことなど構ってみろ。自分の方が死んでしまう」

また帰国が決まったものの、凍傷で片足を失った庄蔵をロシアの地に残さなければならない。それを告げたときの光太夫の行動。


すぐ庄蔵の許を離れ、そのまま背を見せて宿舎を出たが、外へ一歩踏み出したところで、小児のように泣き叫ぶ庄蔵の声を聞いた。うしろ髪をひかれる思いだったが、それに耐えた。


ただこの苦行僧のような感情を押し殺した精神力だけで、漂流した仲間が謀反を起こさず光太夫に追随したとは思えないし、帰国の途につけるように多くのロシア人が尽力したとは、信じ難い。
ロシア語を身につけるのが早く、問題に対して機転が利き、そして社交性に富む人柄に、多くの人を惹きつける魅力があったのではと思うのだが。

とくに光太夫の帰国に並々ならぬ情熱を燃やしたラックスマンは、友情を超えた魂の結びつきがあったと思う。
光太夫たちに不自由な思いさせないように配慮し、さらに帰国の嘆願書を書き、幾度も女帝エカテリーナに上申している。
同情だけでは、これ程までに突き動かされるわけがない。


発表されたのは1967年だから、すで50年の歳月が流れている。
その間に大黒屋光太夫についての研究はすすみ、この本に描かれているような、帰国後も幕府監視下、幽閉の生活を強いられたわけではなく、一度郷里の伊勢に帰るのを許されている。
そのあたりは、のちに発表された小説、吉村昭『大黒屋光太夫』に詳しい。


歴史は、新たな古文書や資料が出てくることで、その人柄に血が通い、人物像に奥行が出てくる。
また50年後、大黒屋光太夫を題材にした小説が登場したら、この数奇な人生に新たな視線が投影され、更なる魅力的な人物となるに違いない。

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2017年12月 4日 (月)

第12回 紙の上をめぐる旅




桂川甫周『北槎聞略』(岩波文庫)

日本でロシアについての見聞録を残した、最初の記述書であり、現代においても当時のロシアを知る貴重な資料となっている。
奇跡的な帰国を果たした大黒屋光太夫への質疑応答を元にした内容は、難破してロシアへ辿り着いた経緯からロシア人の生活や言語に至るまで、詳細に綴られており、その頭脳明晰ぶりと観察力には、ただ舌を巻くばかり。

10年の歳月を経て帰国するまでの大黒屋光太夫の冷静かつ的確な行動も、魅力のひとつとなっている。
何しろ、船が難破してロシアに辿り着いた者は以前にもいたが、日本に帰国できたのは光太夫と乗組員だった3人のみ。
しかし1人は根室に着くなり、病に伏し無念の死を遂げている。
しかも光太夫は、女帝エカテリーナに拝謁できた唯一の日本人でもある。
井上靖、吉村昭といった歴史小説家が、その波瀾万丈の一生を見過ごすわけがない。

さて歴史小説家ではない、愚鈍なる頭脳の持ち主の私は、この記述書をどう読んだか。
大黒屋光太夫が、まったく未知の言語であるロシア語を覚え、さらに女帝エカテリーナとの拝謁がゆるされるほどにまで、どのようにして習得したのかが、知りたかったのである。
ロシア語は格変化が多彩だけに、会話ができるまでには、相当な言語的感性が求められる。
マトリョーシカ買付が10年になるが、未だに提示された価格を聞き取れず、さらに希望の個数を50と500を間違える、私が言うのだから間違いない。

江戸時代の書物ゆえ、読み慣れない文語体だけに、行きつ戻りつ読み進めていったのだが、驚くべきは、光太夫の記憶力。
難破して同乗していた仲間がどのようにして亡くなったのか、同じ漂流民としてロシアの地で亡くなった人の末路、願い叶って帰国の途につく際に、女帝エカテリーナ、ロシア貴族や親友からいただいた餞別の品々までも克明に覚えている。
ロシア人の名前も、ほぼ父性を含めてのフルネームで記憶。
さらに光太夫が廻船問屋の出身だからというのも差し引いても、餞別の品々の数量や重さまでも記憶しているのには、恐れ入谷の鬼子母神である。
残念ながら、如何にしてロシア語を学習したのかという記述はないが、この驚愕べき記憶力があればこそ、難解極まるロシア語も、砂に水が染み込むように難なく覚えていけたのではと思う。

『北槎聞略』は11の巻に別れていて、映画化にもなった漂流については3巻、ロシアの地名、風習、政治制度、物産などの記述が一番多く7巻、巻末付録のようにミニ露和辞典が1巻で構成されている。
この巻末付録が日本語訳が絶妙で、つまらない旅行用の会話本より面白い。

ドロカ=高直にうる
ズダラア=平安を賀する
ドモーイ=やどに居る
カクソート=名は何と
ウォーツカ=美酒

ウォッカは美酒である。
日本人が珍しかった当時、事あるごとに会食に呼ばれ盃を酌み交わした光太夫が、ウォッカを美酒と伝えたことに、お主もいけるクチだのうと、つい眼を細めてしまう。

これからロシアに行かれる方は、この偉大なる先人、大黒屋光太夫が残した『北槎聞略』をガイドブックとしてお勧め。
慣れない文語体に最初は引いてしまうが、丁寧な註釈があるので、ゆっくり読み進めていくと、冒険譚のような面白さと同時に中世ロシアを知るという一挙両得な内容です。

12月 4, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 1日 (金)

第11回 紙の上をめぐる旅




林芙美子『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)

先日、紹介した『女三人のシベリア鉄道』での底本にもなっていた、この本を神保町の古本屋で見つけることができた。
やはり引用文を読むだけでは物足りない。実際に林芙美子の文章を辿りながら、当時のシベリア鉄道の旅を味わいたい。
その逸る気持ちが後押しして、古本屋を見つける度に、本棚を前にして背表紙を探していた。
快呼である。

ただこの本は、日本から巴里までの旅程を綴ったものではなく、生前に林芙美子が書いた旅にまつわる紀行文や随筆をまとめたものである。
国内旅行や樺太を主題としたものもある。
編集は立松和平。

まず眼を瞠ったのは、昭和初めの封建的な時代に、大胆に女性の一人旅を試みた個性と、自由奔放なる精神。
バックパッカーという言葉もない時代、好奇心と行動力で、言葉の問題など意に返さず、巴里や倫敦まで鉄道や船舶を乗り継いで、行き着いてしまう。
計画もどちらかと言えば無計画。
気の向くまま、足が向くままに、行き先を決めていく。大胆。奔放。流浪。享楽。無鉄砲。規格外。根無し草。
どの言葉も林芙美子の精神を、的確に言い表すことはできない。

「二ツある椅子ときたら背が高くて、足がどうしてもぶらんこしてしまいます。だが、時々笑いころげるにいい椅子。この椅子から楽しい仕事が出来ればなんぞ野心を持たぬ事。笑いころげて笑いころげて死んでしまう時は、この椅子にかぎります」

巴里で借りることになる、お世辞にも綺麗とは言えない部屋を見て、こんなことを思う好人物は、なかなか居るまい。

人生の意義を問い続けると、どうしても刹那的になりがちである。そして塞ぎこむことが多くなる。
しかし林芙美子はそのような薄弱さはない。

「私はいったい楽天家でしめっぽい事がきらいだが、そのくせ、孤独を全我としている。私の文学はあこがれ飢えることによって、ここまで来たような気がする」

そして現実的な生活者であった。
この本でも家計簿のように、食料、衣服、運賃などの価格を詳細に書き残している。
入金があると、飛び上がって喜んだ。
林芙美子の魅力は、この庶民性と決して虚勢を張らない生き方、そして生活者だけが理解できるユーモアが、今も愛されている理由だろう。


12月 1, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月30日 (木)

第10回 紙の上をめぐる旅




森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』(集英社)

題名から想像すると、妙齢の女性三人がわいわいと騒ぎながら、姦しくシベリアを旅行する珍道中記と思えるが、実は戦前にシベリア鉄道を旅した、三人の女流作家の足取りをめぐる旅行記。
その足取りを著者が辿る、鉄道と文学の愛好家を満足させる内容になっている。

その三人の女流作家とは、与謝野晶子、林芙美子、中條(宮本)百合子のこと。
三人とも同時ではないが、戦前にシベリア鉄道を使って、それぞれの目的地までの長旅をしている。
それぞれの目的地と書いたのは、与謝野晶子と林芙美子は、目的地は花の都パリ。中條百合子は、当然のことながらモスクワ。

シベリア鉄道は、愉しむ旅というより、あくまでも移動手段であり、車窓から見える延々と続く白樺林と草原に、ほとほと厭気が差していたところは、三人は共通している。
ほぼ一週間、風呂にも入れず、豪華な食事を愉しむこともなく、頰杖をついてぼんやりと窓辺に佇む旅。

著者は現代人らしく、始発駅のウラジオストク、バイカル湖で有名なイルクーツク、エカテリンブルクのダーチャでロシアの生活を愉しみつつ、同様にパリまで足を運び終着地としている。
今や、鉄道の旅を旅することは、贅沢の極みとなり、飛行機が海外旅行の主力となっている。
戦前、女流作家たちが車中で唇を噛み締めながら、ほとんど言葉の通じない車中で、不安に押し潰されてそうになっている時代とは、雲泥の差がある。

この本の中で、ひと際煌めいているのは、林芙美子。
ほとんど通じない言葉で、三等車で同乗となったロシア人やドイツ人と仲良くなってしまう、天性の朗らかさに胸が熱くなる。さすが『放浪記』の著者。
お互いの持ち物を交換したり、覚えたてのロシア語で親しくなり、一緒にお茶を飲む間柄にまでになっている。
つい自分が初めてロシア買付に行った頃と重なってしまった。
底本となった林芙美子の旅行記が読みたくなる。

この本、単なるシベリア鉄道乗車記にせずに、50年以上前に旅した女流作家と織り成すことで、旅する意味を再考させるのに成功している。
旅のない人生など何の深みもない。
そして異国を旅する時に生じる希望や不安は、どんなに交通網が発達しても、50年前と変わらない。そのことを証明している。

11月 30, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月29日 (水)

第1回 耳に良く効く処方箋




コーデッツ『リッスン』(CBS)

意外かと思われるかもしれないが、アカペラ・コーラス・グループが好きである。
無伴奏で人の声が紡ぎ出すハーモニー。
余計なモノを出さず、原材料にこだわるというウィスキー会社の心意気と似て、人の声本来の美しさを録音するというのは、なみなみならぬ努力がある。
今のように録音後にミックス作業で声のピッチを合わせたり、残響音を強めることができない、一発録音。
昔のアルバムのほうが、グループの実力が垣間見え、さらに加工されていない歌声だけに、良いブツに出会えると、自然と目尻が下がりだす。

オリジナル・アルバムは1957年発表。
「ジャケガイノススメ」シリーズの中の1枚で、世界初CD化として2007年に再発されている。
まず驚かされるのは、50年以上も前の録音なのに、ほとんどノイズは無く、女性コーラスの妙を十二分に愉しめること。
休符の部分でジャリジャリとノイズが聴こえてしまうと、純粋無垢な乙女にひそめたる残忍な気持ちを知ってしまったようで、興醒めする以上に、うら寂しくなってしまう。

アルバムのは「sentimental journey 」、「Basin street blues 」といったスタンダードナンバーやミュージカル曲を中心とした、今の観点から言えばラウンジ音楽的な構成。
音楽的な冒険はないが、4人の巧みなコーラス・ワークが愉しめる内容になっている。
金曜日の夜、バーボン片手に、若き日の甘酸っぱい思い出に想いを馳せながら聴くには、極上の酒の友。
彼女たちの歌声に、あの頃好きだった女の子が、グラスの底に見え隠れする。

コーデッツはCBSを契約後、ケイデンス・レコードの専属グループとして迎え入れられ、ロックンロール時代に順応して、「Mr sandman 」、「Lollipop 」などのヒット曲を連発して、音楽史に名を残すことになるが、もちろんその時はアカペラ・コーラスではない。
この純粋無垢な歌声は、このCBS時代しか味わえないものである。

どちらが好きかと言えば、私は断然に前髪パッツンのお下げ髪のようなCBS時代。
純粋にハーモニーを奏でる喜びに満ち溢れているし、若い女性の声のピッチが共鳴すると、音楽の魔法が現れる。
しかし楽器を取り入れたアレンジは、時代とともに風化し、時代が過ぎるとオールディーズの響きに変わってしまう。
それは音楽が流行という宿命を負わされているゆえ、仕方がないのかもしれない。
しかし歌声だけのアカペラは、時代を超えて普遍的な魅力がある。

それと忘れてならないのはジャケット・アートの清々しい美しさ。
女の子のスカートにはディズニー映画「わんわん物語」が描かれいる。
このカップルは初めてのデートで、田舎ゆえ行く場所は地元に一軒だけある喫茶店か、緑が美しい自然公園のなかを散策すること。
ただ二人で歩くだけでも、愉しくて仕方がないし、人生はどれだけの喜びに満ちているのかと考える。
そんな二人が写るジャケットを眺めているだけでもキュン死である。

11月 29, 2017 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月27日 (月)

中国深圳驚天動地の旅(下)





さて次の日。
会社から特命任務の遂行に与えられたのは24時間。まさにミッション・インポッシブル。
その間にミッションを任務を達成しなければならないので、同行の3人も緊張で表情が強張る。
深圳は巨大な都市。
最先端と雑多なものが、きらびやかに渦巻いている。ひと言で深圳を表すとすれば、華麗なる混沌。
新宿と秋葉原が同棲しているような都市である。




特命の内容は明記できないので、個人的な感想を述べるに留めるが、まだまだ中国はエネルギーに満ちていて、着実に進歩しているのを肌身に感じる。
十数年前に上海に行った時は、竹でつくられた足場でビルが建てられ、露地のあちらこちらに物売りが膝を抱え、ホテル周辺に得体の知れない屋台群が渋滞をつくっていた。
ぎょろりとした目つきで、こちらの動向を伺い、獲物と判断すれば捲したてるように話かけてくる。
華麗はなく混沌しか感じなかった。





しかし今はちがう。
メイン通りはネオンが煌めき、高層ビルが林立し、往き交う人々もお洒落で表情も輝いている。
香港に近い都市という理由だけでは説明できない、もっと根源的な要因があるはずだ。

国内に資金が満ちて、人々の生活水準が上がったのも当然だろうが、それ以上にインターネットにより世界が狭くなり、最先端技術や最新の動向が身近になったのが大きいはず。
人々がそれぞれの価値観で人生を謳歌しているのがわかる。
国の目指す価値観と国民が望む価値観が、乖離しているのは、世界中のどの国も同じなのではないか。

会社の特命を終えたあと、街中を歩いて興味深かった事柄を何点か。

街の中心地ある商業ビルが、すべてのフロアがワークショップのできる施設になっていて、油絵、革細工、切り絵、陶芸、フラワーアレンジメントなど、ホビーと名がつく手芸なら何でも体験できる。
日本には小さな規模ならばあるけれど、これほどの敷地で常設になっているのは無い。
しかも予約不要、その場でやりたければ参加できるようで、じっと見ていたら「やりませんか?」と勧められた。




今、日本では「モノ売りからコト売りへ」と、売上が伸び悩んでいる小売業界は、スローガンのように言葉にしているが、こんなにも大胆に、コト売り施設に資金を投じるのは、絶対に二の足を踏むに違いない。
誰かが最初の一歩を踏み出したら、その日の夕方には追随しているとは思うが、なかなかその最初の足を前に出す企業はない。

あとストリートミュージシャンの投げ銭には、思わず目を瞠って、数分まばたきを忘れてしまった。
投げ銭の箱にQRコードが貼られていて、携帯電話をかざすだけで、募金ができてしまうのである。
帽子やギターケースを広げて、ここにお金を投げ入れてくださいという方法は全時代的。最先端はキャッシュレス。
受け取る側としても、小銭を数える手間が省けるという塩梅なのだろう。

ストリートミュージシャンまで効率重視かと思うと、背筋に薄ら寒いものを感じたのも正直なところ。
便利さを追求し過ぎて、人類はどこに向かっているのかと問いかけたくもなる。





その晩は、昨晩と同じく広東料理。
このお店、中国版ぐるナビでは、五つ星の人気店。店の装飾や照明も静かなトーンでまとめていて、老若男女が集まるのがわかる。
値段もそれほど高くないので、少し高級な気分で晩餐を迎えるには、最適なお店だろう。

そこで10品ほど料理を頼んだのだが、驚くことにほんの2分ほどで、熱々の料理が運ばれてくる。
瞬時に円卓の上は料理で満ち足りて、ビールグラスを置く場所にさえ困るほど。
そして熱々といっても芯まで火が通っていて、舌が火傷するような地獄の沙汰なのである。
2分という短い時間で、これほどまでの高いクォリティの料理を完成するために、調理場では何が起きているのかと、いろいろと妄想してしまう。

ウェイターがメンタリストで、我々の顔を見るだけで、何を注文するのかわかってしまうとか、メニューには百以上の料理が書かれているけど、材料は同じで味付けの違いだけの料理が多いとか。

とにかく吉野家やすき家のような早い、安い、美味いでは、深圳では古い価値観なのである。
さらに品質と驚天動地が足されなければ、最先端とは言えない。

深圳、恐るべし見聞の旅であった。



※相変わらず、本文と写真は関係ないですが、
1枚目は業界人ならば笑えます。
究極のコピー製品。

(店主YUZOO)


11月 27, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月23日 (木)

中国深圳驚天動地の旅(上)





つい先日、会社から特命を受けて、中国深圳に行くことになった。
もちろん中国に木の香出店の下調べでもなければ、日中友好の特使としてでもない。
特命ゆえ内容は明記できないが、会社としては重要ような事項であるのは明白で、私以外にも3人が同行することなった。
当然のことであるが、正しい判断である。

羽田空港から香港まで飛行機で行き、それから陸路で深圳に入る。
飛行機は4時間半ぐらいで、入国審査が30分ぐらい。陸路は2時間ほどで、途中で国境の検問がある。
香港空港はハブ空港なゆえか、たくさんの人種が集まっていて、まさにメルティング・ポット。海外に来たという気分に否が応にもなる。





悪友が香港と深圳は歩いても行ける距離だと嘯いていたが、香港から海の彼方に深圳のビル群が見えるものの、霧に包まれて摩天楼のようである。
それも向う岸に数十キロにわたって何棟も高層ビルが聳えているから、深圳の大きさがわかるというもの。

距離感を日本で喩えるならば、瀬戸大橋を渡るような感じ。
もちろん岡山県にも愛媛県にも、あれほどのビル群は存在しないが、とうてい歩いて行ける距離ではない。
悪友は舌から先に生まれた鎌倉に住む男。
海が目の前にないと、すぐに嘯く癖がある。

国境の検問はETC導入前の料金所のようで、たくさんの自動車で渋滞しているが、銃を携えた兵士が跋扈するような物々しさはない。
病院の待合室のようで
「カトウサンハダレ?」
と小窓から検問官が言うと
「ワタシデス」と手を挙げてニコリと笑うだけで済む。
「ニュウコクノモクテキハ?」と威圧的な詰問もなく、袖の下を要求されることもなく、平和裡に事務的に進むのが嬉しい。
自分のパスポートはロシアのビザばかりなので、少し不穏な動きでも何故か緊張してしまうのが癖づいてしまっている。





そしてホテルに着くと、現地のスタッフが迎えてくれた。
スタッフはとても気遣いのある人柄で、中国語が話せない私にいろいろと便宜を図ってくれる。日本人の「おもてなし」の一歩先をいく心のきめ細やかさである。
そういう時に、いつも自己嫌悪に陥るのは、海外に行く前に挨拶や最低限の言葉を覚えれば良かったと、ツボから手が抜けなくなった熊のように反省してしまう。
「你好」と「謝謝」だけで会話にもならない。




初日は打合せを兼ねて広東料理の店へ。
思えば、まだ陽の開けない早朝から今まで、すでに14時間も経っている。
どんなに緊張を強いられても、悲しいことが起きても、腹が減るのは人間の業である。
メニューには日本語こそないが、分かり易いように写真と英語が添えてある。

ただ嬉しいのは同じ漢字を使う国。
ひらがなの無い重厚感のある料理名を見て、どんな料理なのか想像がつくのが嬉しい。
「清蒸石斑魚」、「芙蓉蛋」、「清炒菜心」、「海鮮炒飯」と漢字が表すとおりの料理が運ばれてくる。
私は当然のことながら、まずは「啤酒!」と注文する。
もちろん青島啤酒である。

そこで最初に覚える中国語は「啤酒」と「好吃」と腹に決めた。
人間が生きていく上で重要な単語である。

食事にありつけなければ、餓死してしまう。酒にありつけなければ、心が休まらない。

ちなみに「好吃」は美味しいという意味である。


♬写真と本文はあまり関係ありません。
(店主・YUZOO)

11月 23, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月19日 (日)

第9回 紙の上をめぐる旅




開高健編『それでも飲まずにいられない』(講談社文庫)

題名がしめす通り、酒にまつわる随筆、掌編小説、それにクレメント・フルードという作家の二日酔いに対する処方を綴った文章で構成されている。
当然のことながら、随筆はウンウンと我がことのように身につまされる話ではあるが、そんな風に酔ってはいけないと反面教師にはならない。
深い哀悼の念をもって同情するだけである。

酒呑みが反省と懺悔を毎朝繰り返していたら、教会はいくつあっても足りないだろうし、後悔という言葉はちがう意味に変わってしまうだろう。
しかしそんな凡人の酒呑みとは、まったくちがう肉体を持った人間、もしくはバッカスに愛された人間が、この世界には存在する。
開高健が尊師・井伏鱒二について書いた一文を紹介。

「あの人自身は、ハシャギもしない。ブスッとして飲んでいるだけだが、なんとなく人を誘い込んで、長酒にしてしまう癖があって、飲んでいる方は立てない。こちらはひとりで飲んでひとりでしゃべる。井伏さんは、相槌を打つだけだが、それでもなんとなく引きずりこまれてしまう。そのあげくが、玉川上水に飛び込んでしまったり、ご存じのように死屍累々という結果になる」

酒を呑んでついつい饒舌になり、仕事の愚痴を言ったり、自分がどれだけ女性にモテるのか吹聴したり、学生の頃の自慢話をしたりしているようでは、バッカスには愛されない。こちらに視線を送ることさえない。
しかも次の日、ズキズキ痛む頭を抱えて、布団の中で右へ左へと転がっているようでは。
他人の与太話に耳を傾けて頷きながらも、反論はせず、話の腰を折らず、黙って聞いている。今宵も愉しい酒だなと、目を細めるだけで十分ある。
そういう人物だけにバッカスは優しい瞳で見守ってくれるのである。

井伏鱒二が齢八十を越えての話である。
私のように酒の席で奇声を張り上げていては、バッカスが眼を瞠ることはない。
まだまだ若輩者と反省した次第。

11月 19, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月13日 (月)

第8回 紙の上をめぐる旅




山口瞳・開高健『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)

芥川賞・直木賞受賞作家が綴るサントリー七十年史。
両作家ともサントリー宣伝部に在籍していただけに、創業者である鳥井信治郎のベンチャー精神を、豊かな墨を含んだ筆で、活き活きと描いている。

しかし筆遣いの巧みさ以上に、鳥井信治郎の経営感覚があまりにも破天荒で、決断、発想、行動、冒険、挑戦、先見、人情、どれをとっても規格外。センチか、インチか、尺か、どの物差しで測っても測定不能。
その強烈な個性に、思わず私の小さな眼も瞠らざる負えない。
社史という特殊性を差し引いても、フィクションを悠々と越えてしまう経営者は、数えるほどしかいないだろう。

山口瞳は、その企業精神を明治期の実業家に根付いている心として「青雲の志」と名づけ、開高健は飽くなき挑戦に「やってみなはれ」という言葉で表した。

さて。しかし。現在。
麻袋に詰め込まれた小豆のような個性が、「自分探し」、「夢を信じて」、「新しいことに挑戦」だの声高に叫んだところで、どうやって麻袋から飛び出すことができようか。
少し紅く色づいた程度で終わりだろう。
撤回する公なる理由が見つかった時点で、その珠玉の志は微かな腐臭を漂わせ、時が経つにつれ、理由が結論へと移り変わりてしまうのがオチだろう。
酒場の議論にさえならない。

明治が規格外なのか、平成が既製品なのか。
世界がどんどん小さくなり、ライバルも国内だけでなく世界中の企業としのぎを削らなければならない現在、すべての会社が既成概念からの脱皮を謳っているものの、試みるのはどこかの二番煎じ、もしくは石橋を叩いて渡らずになってはいないだろうか。
目まぐるしく変化する世界に、思わず言葉を失い絶句し、舌を巻くどころか、尻まで捲り上げてはないだろうか。

開高健は「驚くこと忘れた心はつねに何物をも生みださない」と言い「森羅万象に多情多恨たれ」と説いた。
生き抜くための真理である。


11月 13, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月10日 (金)

第7回 紙の上をめぐる旅




川崎浹『ロシアのユーモア』(講談社選書メチエ)

ロシアはアネクドート(小話)の宝庫である。
しかし読み人知らずのアネクドートを耳元で囁いて権力を辛辣に笑う、庶民の憂さ晴らしの文化は、過去になりつつあるようだ。
原因は、対象となるべき絶対的な権力体制や社会的矛盾が、表向きは無くなったおかげで、鮮度の良いアネクドートを生み出す環境がなくなったというのが実情みたいだが。
つまり池の水が澄んでくると、アネクドートという魚が住める環境でなくなる。

池の水が濁っていた頃の珠玉のアネクドートは、酒井睦夫『ロシアン・ジョーク』(学研新書)に収さめられていてるので、興味のある方は一読を。
またインターネットでも「ロシア・ジョーク」で検索すれば、容易に愉しむことができる。

この本は、アネクドートにかけては世界一を誇るロシア人の気質を、300年に渡る政治体制とともに推移したもので、やや学術的な色合いを帯びている。
つまりロシア庶民が反体制の旗を翻すことなく、宴会の席や親戚の集いなどで、信頼できる相手だけに耳打ちしたささやかな反抗の歴史を紐解いた本でもある。

それだけにアネクドートのオチの部分を解説する時があり、興味を削がれることがある。
話のオチを解説して笑いをとれるのは、林家三平ぐらいのもので、詳細な説明した時点で鮮度は落ち、生節のように鉛色に変化してしまう。
逆を言えば、他国に住んでいる以上、その国の政情や体制をよくよく理解しない限り、そのアネクドートの真の面白さや辛辣が半分もわからないとも言える。

アネクドートが実り多き時代は、やはりロシアの体制が大きく変化している時と重なる。
スターリン批判があったフルシチョフ時代。ペレストロイカのゴルバチョフ時代。
また停滞期と言われたブレジネフ時代は、自虐ネタが多く、意外にも収穫期を迎えている。
さて、その極上のアネクドートが犇めくなかで、現在の我が国にも通じる辛口の吟醸酒をひとつ。

フルシチョフが壇上から独裁者スターリンをはじめて批判し、スターリンの専横ぶりを数えあげたとき、出席していた党委員のなかから声があがった。
「そのとき貴方は何をしていたのですか?」
すると即座にフルシチョフが応じた。
「いま発言したのは誰か、挙手していただきたい」
誰も挙手する者がいなかったので、フルシチョフは答えた。
「いまの貴方と同じように、私も黙っていた」



11月 10, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 8日 (水)

第6回 紙の上をめぐる旅




小沢昭一・宮越太郎『小沢昭一的東海道ちんたら旅』(新潮社)

TBSラジオの人気番組「小沢昭一的こころ」は、われわれ中年のどんよりと光る滓星にとっては、小沢昭一の軽妙な語り口を懐かしく思うだろう。

夕暮れ時に、会社に戻る車の中で、渋滞に苛立ちながらも、時事放談から猥談まで、その話術の巧みさと話題の広さに思わず微笑んで、すべての道は会社につながると、大船に乗った気分になった御同輩もいるのではないか。
冴えない父親の代表のような宮坂さんが、会社でも家庭でも粗大ゴミ扱いされ、行きつけの飲み屋でちびりちびりと酒を酌む姿に、深く同情した諸兄も多いのではないか。
私もそのクチである。

残念ながら小沢昭一の死去によって番組は終了してしまったが、さすが人気番組だけあって書籍やCD音源など、数々残されていて、あの語り口を思い浮かべながら、古本屋の鄙びた本棚で見つけては、少しずつ買っている次第。

この本は1995年に発刊で、東海道をテーマにしたもの。
カバーは車窓を模して四角い穴が空いていて、そこから琵琶湖を眺めることができ、カバーの裏は東京から大阪までの双六が印刷されている。
こういう凝った装丁は好むところで、電子書籍ではこの味わいは楽しめまい。

昭和生まれの私は、ページは人差し指で、あっち行けとばかりに携帯電話の画面の上を滑らすよりも、1枚1枚、楽しみながらめくっていくのが、性に合っている。
小学校の時代から、何かをめくることは楽しいものだ。

この本は、今や新幹線で2時間半で結んでしまう東京〜大阪間を、鈍行列車を乗り継いで行くのが粗筋。
あまりメジャーでない名所旧跡を巡ったり、B級グルメに舌鼓を打ったりと、肩肘の張らない気ままな旅が記されている。
昔の交通標語ではないが「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」を地で行っているような旅である。

岐阜にある男の遊園地、金津園の地名の由来を真摯に調査したり、セタシジミや山田大根といった今や食卓に上がらなくなった食材を探したり、それほど重要でない問題にこだわる姿がいい。
またベンチに座って、ぼんやりと若き女性の美尻に惚ける姿もいい。
これぞ、男の一人旅と言えよう。

あの名調子の語り口を頭に思い浮かべて読むのもよし、少しスケベなオジサンの道中記として読むのもよし。
どちらにせよ、肩の力が抜けること請け合い。四十肩も治ります。

11月 8, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 3日 (金)

第5回 紙の上をめぐる旅




吉行淳之介編『酒中日記』(中公文庫)

昭和41年1月から「週刊現代」で連載された人気コーナーを単行本にしたもの。
題名通りに32名の著名作家が、その日に行った居酒屋、バー、スナック等について日記風に綴っている。
今は存在するかわからないが、作家や編集者がよく行くバー、つまり文壇バーなるものが銀座界隈には数多くあり、陽が暮れて尻のあたりがむずむずとしてくると、人目を忍んで通っていたらしい。

そこには大作家の某先生がウィスキーを愉しんでおられ、カウンターの隅では新進気鋭の若手作家が影のように呑み、テーブル席では編集者と流行作家が怪気炎をあげている。
ゆえに32名の作家でありながら、日記の上では同じバーで席を共にしており、芥川龍之介の「藪の中」のごとく、ひとつの小事件について、それぞれの立場から書いている。
小事件には、彼奴の妄言で修羅場を迎えた、受賞祝いで浴びるほど呑まされた、酔うと梯子酒をするから付き合いきれないなど、数々の証言が綴られているが、所詮酔客の濁った眼で見たもの。真相は藪の中である。

橋の下をたくさんの水が流れるが如く、舌の上をたくさんの酒が流れていく。
酒を嗜まない人からすれば、そんな前後不覚になるほどまで鯨飲して、醜態を晒し、何が愉しいのかと思われる向きもあるだろう。
それについての反省は、翌日、寝床の中でズキズキ痛む頭を抱えて、何度も十字を切っていることからもわかる。
反省する気持ちはその朝にしか訪れない。
酒呑みという人種は。

酒は舌を滑らかにする。
酒はひと時でもこの世の憂さを忘れさせてくれる。
そんな使い古された言い訳は今更言わない。
そこに酒があるから呑んでしまうのである。
赤い酒やら白い酒、果ては黄色い酒が、目の前で手招きするから、それならば呑んでやろうという気になってしまうのである。
これは酒呑みの習性。仕方がない。

この本。
あの著名な作家も鯨飲しては宿酔いに苛まれていると知り、酒呑みは勇気づけられる本。
バイブルにはならないが、参考書にはなる。

11月 3, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月30日 (月)

第4回 紙の上をめぐる旅





米原万里・佐藤優編『偉くない「私」が一番自由』(文春文庫)

米原万里が天に旅立って10年、生前に交流のあった佐藤優が、ロシア料理のコースに喩えて、その才能と魅力ある文章で綴った随筆を、心ゆくまで味わってもらおうという編集本。
単行本に既に掲載された随筆が多いものの、いま読み返してもその鋭利な刃物なような文章は、今日の問題として十分に捉えることができる。

ただ既存の随筆を編集しただけの内容であれば、米原万里に興味を持ち始めた読者が対象であり、レコードでいうところのベスト盤。
長年のファンには、未発表作品が入っていないと再読するだけの物足りない本になってしまう。

そこで長年のファンを満足させるために、何と東京外語大の卒業論文「ニコライ・アレクセーヴィッチ・ネクラーソフの生涯 作品と時代背景」が収められているのだ。
普通、小説家ならばデビュー前の習作が収録されるのが一般的であり、学生時代の卒業論文が公開されるのは聞いたことがない。
それだけにディープなファンには充分に腹を満たせる料理であるものの、反面生前ならば絶対に許可しなかっただろうと後味に苦さも残る。

この曰く付きの卒業論文は、ネクラーソフ作品に対する思いを情熱に煽られて、一気に書き上げたらしく、誤字脱字や意味不明の文脈も見受けられるものの、この帝政ロシア末期の詩人が、豊潤な言葉で民衆の生活を生き生きと描いたことを物語ってくれる。
とくにネクラーソフの詩を翻訳する言葉選びが素晴らしく、もっと長生きしていれば、ロシア古典文学の翻訳も、仕事の枠として拡げていたのかもしれないのにと、その早い死が惜しまれる。

たぶん通訳、執筆家、ロシア文学研究者と、どの道に進んでも名を成したのだろうと思う。
酒を飲むぐらいしか能が無い私から見れば羨ましい限りである。

この本、ジミヘンに喩えればオリジナル・アルバムを全部聴いた上で、聴くべき対象の音源。
つまり『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』や『オリガ・モリゾヴナの反語法』、『不実な美女か貞淑な醜女か』などを一通り読んだ上で、習作以前のこの若き日の論文に挑戦すべきである。

そうすれば、米原万里が揺るぎない信念を持ち、民衆の目線で詩をうたったネクラーソフに共鳴する心を、最後まで貫いてことがわかるはずだ。

10月 30, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月25日 (水)

第3回 紙の上をめぐる旅






ピーター・バラカン『ラジオのこちら側で』(岩波新書)

深夜放送が青春の一頁だと言える世代は、いつ頃までなのだろう。
会社の若い同僚に訊いても、夜中に布団のなかで小さな音で、家族に知られずコソコソと耳を傾けたなんて話は聞いたことはないし、我が娘に至っては、SNSに夢中で、ラジオというメディアなどこの世に存在していないようである。
この本は、私たちのような世代が、うんうんと昔を懐かしみながら読む以外に、どの世代が共感できるのか心許ない。

当時のLPレコードは高価だった故に、音楽情報を得るのは、洋楽の新譜が流れることが多かったFM局でチェックし、その上で小遣いを掻き集めてレコード屋に走ったものだった。
内容が納得できなければ、レンタルで我慢した。
何せ、小遣いの半分以上が消えてしまうのである。
この本を読むと著者がイギリスから日本に渡って来た時と、音楽情報に飢えていた初々しい頃の私が、ぴったりと時間が重なり合う。

来日時はまだラジオDJの職には就ていなかったようだが、音楽雑誌にイギリスやアメリカの旬のグループやミュージシャンを積極的に紹介していて、しかもコマーシャルなヒットナンバーよりも、渋目のアーティストを好んでいるから、若い頃の私は、そのレビューをかなり参考にしていた。
ちなみにレコードコレクターズ誌で毎年開催される「今年の収穫」というコーナーで参考にしているのが、ピーター・バラカン、萩原健太、小西康陽。あとはコモエスタ八重樫ぐらいか。

その後、著者は『ザ・ボッパーズMTV』やニュースキャスターの仕事など、テレビにも活躍の場を広げていく。
しかし心の奥には学生時代に聴いたジョン・ピールやチャーリー・ギレットように良い音楽を流し、リスナーとDJが一体感のあるラジオ番組を作りたいと願っていて、デジタル配信が主流になったいる現在でもインターネットの音楽番組を制作して提供している。
その筋の通った仕事には、頭が下がる思いである。

ラジオの音楽番組が全盛の頃を思い出し懐かしむのも良いが、ラジオというメディアが決して古い媒体ではないと考えるのも良い。
震災の時に一番頼りになったのは、テレビではなく、ラジオだという声も聞くし。
この本は、魅力ある番組構成で、まだまだラジオには可能性があることを示唆してくれる。

10月 25, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月22日 (日)

第2回 紙の上をめぐる旅




忌野清志郎『瀕死の双六問屋』(光進社)

私はこの本を3冊持っている。
買ったことを忘れて、気がついたら3回も買ってしまったという痴呆初期症状の現れということではない。
3冊ともカバーデザインが違うのである。
しかし内容はまったく同じである。
つまり清志郎信者からすれば、内容が同じでも、デザインが違う以上、まったく別物として捉えなければならない。
そして、しっかりと3回読んでいるのも、その表れである。誰も文句は言えまい。

この本はブルースである。
アーティストと称する輩がゴーストライターに書かせて、こんなにも私は慈愛に満ちたことを常日頃から考えているんですよ、と言ったサギのような本ではない。
誰もが似たような価値観しか持たなくり、住み難くくなっていく世の中を嘆いているのだ。

小さな出来事に目くじらを立てるくせに、大きな犯罪行為には何も言わない小市民性に呆れているのだ。
呆れてものも言えないと歌った清志郎が、瀕死になりながら文字に変えて、それらの画一化されていく価値観に対して異議を唱えるために、双六問屋のブルースにして歌っているのだ。

ここでブルースを知らない人に断っておくが、辞書に書いてあるような、黒人の悲哀や生活の憂鬱を12小節の音楽形式にして歌にしたものではない。
ましてや、🎵窓を開ければ港が見える〜、と淡谷のり子が歌うものでもない。
ブルースとは、人が生きていくためのエネルギーである。憂鬱な出来事があっても、笑い飛ばしてしまうような強靱な精神力である。
だからこの本は、少しも陰鬱さはなく、ユーモアに満ち溢れている。
生きる力で漲っている。

「すべてがシステム化されて、まるで誰かに飼われているみたいだ。適当な栄養のある餌を与えられて、ほどほどに遊ばされて、まるで豚か牛か鶏のようだぜ」
「たかが40〜50年生きたくらいでわかったようなツラをすんなよ」
「外見をきれいにして何になる。中身をみがく方が大切なことなんだ。それは世界平和の第一歩なんだよ」

魂のブルースは、珠玉の言葉に溢れている。
憂鬱な色した瞳からは、自然と涙が溢れてくる。
生きる力で漲ったブルースが、何処かで鳴り響く。
まだまだ世の中捨てたものではないし、諦めた途端に自身の人生が終わるんだぜと、清志郎は歌っている。

10月 22, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月17日 (火)

第1回 紙の上をめぐる旅




吉村昭『ニコライ遭難』(岩波書店)

大津事件。
今や、歴史の彼方へと埋もれつつあるが、開国以来、近代化を推し進める日本にとって、日本国中が震撼した事件であった。
ニコライとは、のちのロマノフ王朝最後の皇帝となる人物で、その人が皇太子時代、日本に外遊に来日した際、滋賀県大津市で警備中の警察官に斬られる事件が起こった。

幸いにも命には別状はなかったものの、これは国際問題に発展すると、日本政府は大わらわ。すぐに斬りつけた警官、津田三蔵を即刻死刑にせよと司法に圧力をかける。
犯人の死を臨むことで、少しでも帝政ロシアの憤怒を和らげようと狙いがあった。

しかし司法は政府の方針に従順になっては、近代国家の体制を為していないと、罪状は何かと政府に問う。
当時の刑法で、皇室に危害を加えたものには重刑が課せられたのだが、この皇室というのが他国の皇太子も同様であると解釈する政府側と、皇室というのは日本古来のものであり該当せず、この事件は一般人に危害与えた殺人未遂にあたると主張する司法側と激しい論戦が繰り広げられる。

この論戦がスリリングで、まだ近代国家の道を歩み始めた日本だが、司法判断を捻じ曲げることなく、三権分立の精神をもとに法的に正当な結論を出そうと、政府の圧力に屈しない裁判官たちの志が熱い。
これから国をつくっていくという、明治人の気概と言うべきか。
また怪我をしたニコライの病状を慮って、日本国中から1万以上の電報が届いたというから、当時の日本人が平安を求める精神性も、優しくも熱い。

最終判決はどうなったかというのは、読書のお愉しみということで、ここでは控えさせておく。
ただ日本史の教科書では、ほんの2行程度の記述しかない大津事件であるが、日本の近代国家を進むにあたって、司法や外交のターニングポイントとなる重要な事件であったことを、この本では詳細な資料をもとに語られていく。

ニコライはその後、皇帝の座に着き、残念ながら日本とはこの事件から13年後に日露戦争が起きてしまう。
この外遊では日本人の穏やかな精神性に深く感動し、事件後も日本に対しては好印象を抱き続けていたというから、歴史はどこに向かって進んでいるのかわからない。
そのニコライもロシア革命で家族ともども殺害され、ロマノフ王朝は終焉を迎えることになる。

ちなみに大津事件が起こったのは1891年。
最初のマトリョーシカがつくられる前夜にあたる。(定説では1890年代末)
日露関係に影を落とすのが大津事件ならば、マトリョーシカは穏やかな光である。
そう思わずにはいられない。


10月 17, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月11日 (水)

at last ロシア買付日記





さらばモスクワ。
されどモスクワは涙を信じない。
モスクワで起こった数々の悲喜劇に比べたら、旅行者などは麦の一粒にしか過ぎない。
本日、帰国の途に着く。

しかし最終日は、散らかしたオモチャを箱に片付けなければならないような雑務がいろいろとある。
今回は8月のイベントに合わせて、陶器やガラスの小物が多いので丁寧に梱包しないと、ロシアから荷物が届いて封を開けた途端、分別ゴミ送りという悲劇になってしまう。
とくにガラスのオーナメントなんて、赤ちゃんの素肌のような繊細さ。
オヤジの武骨な手で触れるのも怖いくらいである。
これをもう一度、日本から持参した梱包材で包み直す。




それから手荷物で持って帰るものと、発送するものと仕分けをする。
この仕分けも単身赴任のお父さんのように「いる、いらない」と呟きながら、大まかに二つに分けていく。
高価なものだけが選別されると思われがちだが、角が折れたら価値がなくなる絵本や紙の飾り物などもトランクに入れられる。
トランク2個、リュック1個分の合計56キロが、手荷物組として一緒に帰国することになる。
それらを両手と背中に抱えながら、モスクワ郊外にあるドモジェドヴォ空港に向かうことになる。
単身赴任も楽ではない。





今回もたくさんの出会いがありました。
50歳の誕生日パーティがあんなに盛大にお祝いすることを初めて知ったし、ふだんはマトリョーシカを作っているおばあちゃんが、あんなに着飾って元気に踊っている姿を見て、まだまだ人生愉しいことがいっぱいあるのだと強く感じました。
もちろん、この日記では書けないようなハプニングもありました。
でもそれは小さな出来事すぎて、人生の悦びに比べたら些細なことに過ぎません。
ネット社会で世界が身近になったけれども、やはり人と人が出会うことほど素晴らしいことはないと思います。
それはバーチャルな世界ではなく、現実に自分に起こった出来事なわけですし。

今回は最初と最後は、いつもの自分とは違い気障な言葉で締めてみました。
あゝ、恥ずかしい。赤面也。

(店主・YUZOO )

10月 11, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 6日 (金)

第10話 ロシア買付日記




今日は買付の最終日。
昨晩はグジェリ作家のガラーニンさんの誕生日パーティということで、サプライズ訪問。
こちらはホームパーティということで、家族と友達を集めたこじんまりとした会だったけど、3人編成のバンドが何曲か披露してくれた。

しかしこのバンド、初めて組んで演っていますいった体で、チューニングは合わないし、コード進行を間違えるし、高校生の学園祭の方が上手いじゃないのと思う程の散々な演奏。けれどもガラーニンさんはニコニコしながら、マネージャーのように優しい目線で見守っている。
あとで訊くと、ソビエト時代にバンドを組んでいたそうで、若き日の自分に重ね合わせて聞いていたのだろう。
悪いと思うが自分は、下水の配管の中ような音にしか聞こえなかったけど。




今日は初日と同じように蚤の市巡り。
雨模様のモスクワなので出店者も少なく、今ひとつ気分が盛り上がって来ない。
しかしそういう時こそ、私の細い目を皿のようにして巡らないと、お宝を逃すことになる。ロモノーソフの置物を何点かと宇宙モノのマトリョーシカを数点買う。
あとは展示備品に使えそうなジョストボ風のお盆を一点。
雨降りの日は、出店者も気乗りしないのか「いくらだったら買ってくれる?」と逆に訊いてくる始末。
お互い顔を見合わせて苦笑いをする。



最後のロシアの夜は何を食べよう。
日本から持ってきた食品もだいぶ残っているし、祝盃のウォッカの鯨飲で胃がきりきりと痛むし、静かに過ごそうかな。

※写真も大したものを撮影していません。グジェリはガラーニンさんの宇宙人とチェス、なぜか安田家と書かれた猿。アーニャさんのウサギ。

(店主・YUZOO )

10月 6, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月29日 (金)

第9話 ロシア買付日記





いよいよロシア買付も終盤戦を迎える。
セミョーノフで大量のマトリョーシカを買付。
最近のセミョーノフは以前の赤と黄色のスタンダードなものだけでなく、カラーバリエーションも多彩になり、いろいろなデザインが生み出されている。
すべて木箱に入っているので、玉手箱ように蓋を開けて、新作がお行儀よく並んでいるいると、お宝を発見したような喜びがある。
これだから買付は愉しい。





その夜は近くのレストランを借り切っての誕生日パーティ。
ロシアの誕生日パーティは盛大と噂には聞いていたけど、まるで結婚式の披露宴のようである。友達が前に出て祝辞を述べるのはもちろんのこと、寸劇で笑いを取ったり、ゲームをしたりと、舞台は華やかである。
私たちはその場で覚えさせられた不思議な歌を合唱して、多大なる喝采を受ける。
ロシアでは誰もが知っている歌で、みんなで一緒に合唱。
日本人の歌に合わせてロシア人が歌うというのは、何とも不思議な感じ。





そのあとは、ずっとダンスパーティ。
華やかに着飾ったおばあちゃんが嬉々として踊っているのが何とも愉快で、何度もダンスの輪に誘われる。ここでは私はモテモテで、次々とおばあちゃんからチークを踊りましようと手を引かれる。
おばあちゃんのダンスは情熱的でありながら、開放的なユーモアがあって、一緒に踊っていると目尻が下がってしまう。
誰もが3回モテ期があると言われるが、そのうちの1回はこのパーティで使った気分。





踊り疲れて席に戻ると、今度はおじさんたちがウォッカを片手にやって来て、知り合いになったお祝いだと、祝盃を交わす。
こういう時は、自分は何語を話しているのだろうか。ほとんどロシア語が理解できないのに、しっかりと会話をしているから不思議だ。
お酒の神様の粋な計らいにちがいない。

6時からスタートとして、パーティは延々とと続き、気がつけば午前2時である。
元気いっぱいのおばあちゃん、笑顔が素敵なおじさん。とても愉しい夜会でした。

(店主・YUZOO )

9月 29, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月20日 (水)

第8話 ロシア買付日記




朝の4時には明るくなってしまうので、早起きして散歩にでる。
散歩なんて日本ではしない習慣だけど、やはり海外だと気分がちがうのだろう。

ロシアは窓枠が可愛いらしいので、家並みを見ているだけで楽しい。
窓枠が額縁のようで、窓辺に花瓶を置くだけで、1枚の絵のように見える。何処の家も窓枠にはこだわりがあり、隣の家同士が同じ枠組というのは、まず無い。




もちろんマトリョーシカとホフロマ塗りで有名な町なので、至る所に伝統デザインをつかったものがある。電柱にも、壁にも、公園の柵にも、それを見ることができる。
町として誇りがあるのだろう。
トイレの入り口にまでホフロマ塗りの皿で囲った門があり、日本人的な思考だと一礼したくなるような厳かな気分にさせられる。




まだ買付の時間まで、たっぷりある。
仕事までにこのゆとりの時間を過ごすなんて、日本ではなかなかない。
毎日、このような気分で朝を迎えたい。

9月 20, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月13日 (水)

第7話 ロシア買付日記





今日は移動日。
モスクワから電車と車でセミョーノフまでの長旅。約600キロある。
舗装路の状態は、日本のようにはいかない。大河ヴォルガも渡らなければならぬ。
朝6時にホテルを出発したが、いつ到着することやら。

今回のセミョーノフはマトリョーシカの買付はもちろんのこと、もうひとつの目的は、マトリョーシカ工場社長の50歳の誕生日をみんなでお祝いすることである。
日本は60歳を還暦として、いつもとは違う祝福をするように、ロシアでは50歳が人生の区切りとなるそうだ。
半世紀の人生を盛大に祝う為に、日本から樽酒(似せたものだけど)、いつまでも健康にとハブ酒、社長のポートレートをパッケージにしたチョコレートなど、いろいろとサプライズを用意したのだ。
パーティが盛り上がらないと、重い思いをして日本から持参した意味がない。





それにしても何処までも続く平原。
道沿いに白樺の林が続き、所々にラベンダーが咲いている。眼を開けていても、瞑っていても同じような景色が遠遠く延びている。





途中に寄ったガソリンスタンドで見たアイスクリームのパッケージの可愛らしさに、思わず眼を細める。
紙で包んだアイスクリームは、創業当時から味もパッケージも変えていませんといった感じの頑固さがあり、パッケージの派手さで勝負しないという潔さがある。
ロシアのアイスクリームは、コクがあってバターを舐めているような美味しさがある。
日本ではなかなか味わえない濃厚な味わい。

まだまだセミョーノフまで道は続く。

(店主・YUZOO )

9月 13, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 6日 (水)

第6話 ロシア買付日記




市場の人いきれで混沌とした熱気が好きである。
ロシアの雑貨市場は生鮮食料品を扱っているわけではないので、売り手と買い手の声高なやりとりはないが、それでも熱気はある。
リアカーを引いて果物を売る者もいれば、お茶を売る移動式の屋台も出る。

露地いっぱいにベレスタが積まれ、夏だというのに毛皮の帽子が壁一面に咲き乱れ、雛壇に並んだマトリョーシカたちは澄ました目線でこちらを見ている。
それらを買付にロシア各地から、いやヨーロッパからも名うての雑貨商たちが、さほど広くない市場に大挙してやって来る。




こちらも負けてはいられない。
かりにも極東の島国からはるばる来ているのだ。何を買うかは、昨晩から諳んじられるほどに頭の中に刻み込んでいる。
1個、2個といった染みっ垂れた買い方はしない。10、50、100が単位である。

この市場に来るようになって10年。
どの商品がどの店で扱っているのかは、もう百も承知。
天井の染みぐらいに知っている。
これで思い通りに買付られなかったとなると、自棄のやんぱち日焼けの茄子、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよと、寅さんの口上がつい口をつくことに。
つまり初秋に冬眠から覚めた蛙のような、自暴自棄な気分になってしまう。





今日はロシアならではの白木やヤーロスラブリの素焼きの人形、もちろんマトリョーシカも買付。何を血迷ったのかスノードームや寺院オルゴール、カレンダーまで、買付用の大袋に投げ込まれていく。
8月に大きなイベントが二つあるので、バラエティに富まそうと思い、かくなるご乱心を起こしている次第。
これだから買付はやめられない。





〈追記〉
ちなみに時間が勝負の買付ゆえ、写真を撮り忘れました。ということで市場と関係ないものをアップしてます。
お楽しみのところ、申し訳ありません。


(店主・YUZOO )





9月 6, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月29日 (火)

第5話 ロシア買付日記




今日はモスクワ中心部を巡る旅。
モスクワの竹下通りと謳われている新アルバート通りや文具や本の問屋を回る予定。
新アルバート通りは観光客を相手にしているせいか、マクドナルドやハードロックカフェ、スターバックスなどが軒を並べていて、ロシア的な旅情を求めるには、気分が削がれる。日本各地にある○○銀座の様相を帯びているのである。
何処の都市でも外資系企業が進出して、金儲けに血眼になっているようで、これでは国名が異なるだけで、行く店はみな同じ。異国情緒などあったものではない。
やれやれ。





ただお土産屋には様々な工芸品が並ぶため、買付人としては、市場価格や新しい作家を見つけるのに、最良のカタログになる。
近くにはモスクワ最大の本屋「本の家」があるし、いろいろな刺激をもらえる場所ではある。
「本の家」はウィンドー・ディスプレイが本屋の概念を越えており、剥製の熊がカゴを背負っている「マーシャと熊」を模したものがあった。日本でいえば、紀ノ国屋書店か三省堂書店のガラスケースに2mの熊が鎮座していると想像してもらいたい。




そしてウィンドーショッピングをひと通り終えると、次は腹ごしらえ。
まずはロシアのファミリーレストラン的な「Му-Му」。
読み方はマイマイではなく、ムゥムゥと読む。牛の鳴き声が店の名前の由来。ビフェ方式なので、目の前にある料理を好きに選ぶことができて、値段もリーズナブル。
サイズを表す簡単なロシア語で、十分に腹を満たすことができる。
前は新アルバート通りの真ん中辺りにあったけど、アルバートスカヤ駅近くにも、もう一軒できていて、店前で牛が客引きしていた。





マクドナルドもダンキンドーナツも、英語表記でなくキリル文字で、ロシアで商売する以上、ロシア語表記にしろと圧力がかかったのか気になるところ。ソビエト崩壊後、マクドナルド1号店が、この新アルバート通りの店だったはず。
はずと書くあたりが、記憶に自信のない表れであるが、ただ20年以上も前の話題である。
果てしなく続く行列をこぞってメディアが報道していたのを、誰もが記憶の片隅にあるだろう。
ペレストロイカは遠くになりにけり。
ちなみに写真は平和大通り駅のマクドナルド。




文具と本の問屋街では、きのこ型の板に糸を通すだけのシンプルなオモチャを見つけた。
ほとんど日本では見られなくなった懐かしいオモチャである。
こういうものに出会うと、私の細い目がさらに細くなり、自然と目尻が下がる。
どんなオモチャなのかは、8月に店頭に並ぶまで、楽しみに待っていてください。
他にも、ロシア版大人の塗り絵やカレンダーも買付ました。

(店主・YUZOO )

8月 29, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月26日 (土)

第4話 ロシア買付日記




今日は中距離バスに乗ってセルギエフ・パッサードへ。約1時間半の小さな旅である。
行き慣れた旅といえども、バスや鉄道の旅はやはり心が躍る。
モスクワ郊外に出ると何処まで続く果てない平原があり、時にはラベンダーが紫の絨毯となって草原を覆い、遠くには玉ねぎ頭の寺院が見え、飽くことのない景色が目の前に広がる。
気障な言い方かもしれないが、車窓から見える風景は一枚の絵であり、掌編小説である。
崩れかけた廃屋に絡まる樹木を見て、人々が生活を営んでいた頃の様子に思いを寄せ、自然が家屋を呑み込んでいく無慈悲さを痛感する。




チケット代は200ルーブル。(約400円)
距離を考えれば公共交通は、軒並み日本より安い。地下鉄だって、一回の乗車は距離に関わりなく70円程度。料金均一だから、わざわざ路線図を見て、切符を買う手間が省けるのも嬉しい。

セルギエフ・パッサードは世界遺産に登録されたセルギエフ大修道院とマトリョーシカ発祥の地として知られている町。
ショップ・ウィンドウもマトリョーシカを使った飾りつけをしている店が多く、目を楽しませてくれる。
もちろん観光で来ているわけでない。マトリョーシカ作家さんの家を訪問するのが目的だから、ご自宅や工房を巡っては、気に入ったものを買付ていく。




何を買付するかは腕の見せ所で、どんなデザインがお客様の好みに合うか、似たようなものを買わないように選ぶか、美的センスが問われる場面である。
ただ最近はインターネットの発達で、時差こそあれ、迷って悩んだ挙句に写真を転送すると、日本にいる美的センスが良いスタッフが、お客様好みのものを選んでくれる。

便利な世の中になった。
反面、地球から未知なる世界が減り、どんどん小さくなっていく。

(店主・Yuzoo )




8月 26, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月22日 (火)

第3話 ロシア買付日記




♬今日は朝から雨ぇ〜
嫌な天気やけどぉ
さぁ一緒に出かけよう〜

有山淳司の歌ではないけど、空を恨めそうに眺めて、外へと出ていく。
買付で日曜日に雨が降るのは、月曜日の朝に人身事故で電車が止まるぐらいに最悪である。天候のことだけに誰にも文句は言えないし、ロシアの天気予報を聴いても理解できないので、午後からの天気さえわからない。
今日は一日中雨降りなのか。

100円均一で買ったレインコートを着て地下鉄へ向かったけど、周りを見ると傘をさす人も、雨具を着ている人も少ない。
この位の小雨ならば身体に良いと言わんばかりに濡れている。
幼稚園から帰る子供のような無防備な格好でいて、小雨程度に神経を尖らせている、こちらが恥ずかしい。




ロシア人にとって雨に濡れるということは、如何なる意味があるのだろうか。
大地の民であるロシア人は、自然と寄り添い生きていると、為すがままに、為されるがままに、茄子がママの好物であるかのように、受け入れているのである。
突然の雨降りのために、コンビニで随時傘を置いてある日本と、店舗でも傘を見かけることが少ないロシア。
民族学的な見地から探っても興味深いテーマかもしれない。

本日はモスクワ郊外にあるマトリョーシカ作家さんの自宅を訪問。
地下鉄を乗り継いで行く。
詳細は書けないが或るアイデアを伝えに行くのが主な目的。もちろん買付もだけど。
自宅の窓から見える景色は、緑が鮮やかで美しい。このような四季の風景を目の前にして描くから、あのような色彩鮮やかなマトリョーシカができるのかと、改めて実感。





お茶の時間に自家製ピロシキのおもてなし。
日本のピロシキみたいには揚げてはいない。
何処で間違って日本に伝わったのかなと、ぼんやりと考えてみたが食欲が勝り、カレーライスやラーメンが独自に発達したのと同じと結論づけてみた。
たぶん中央アジアのパンが揚げたものが多いから、それがピロシキとして伝わったのだと思うけど。
香り豊かなお茶と美味しい食事。それに愉しいお喋り。
それさえ満たされていれば、何も必要はない。ロシア語があまり理解できなくても、胃袋が理解してくれる。

(店主・YUZOO )




8月 22, 2017 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月18日 (金)

第2話 ロシア買付日記





今日から買付初日。
朝の5時前というのに外が明るいので、目覚めも早く否応なく気分が急かされる。土日の市場は昼頃から賑わい、早朝はまだ商品を並べているか、お茶を飲んで寛いでいるかなので、そんなに気持ちを高ぶらせる必要はないのだが。
朝早くからテンションが上がっては、夕方迄には燃え尽きたマッチ棒になってしまう。





そこで腹が減っては買付できぬ、ということで、朝食をとることに。
ホテルのモーニングは高いので、ロシアのファーストフード「крошка картошка 」に行く。
この店、オーブンで焼いたジャガイモに、チーズ、サーモン、きのこなど好きなものをオーダーすると、トッピングしてくれる。
だいたい250ルーブルぐらいで食べることができ、値段もリーズナブル。(だいたい500円)
食事代を切り詰めることは、良いマトリョーシカを買うことに繋がると、改めて肝に銘じて、チーズとソーセージをトッピングした。





土日は蚤の市が出るので人出も多く、少しの差でお値打ちの逸品が他人の手に渡ってしまうので要注意。
食事も早々に終えて市場へと向かう。
数年前に比べると蚤の市はエリアが拡大し、様々なものに出会えるようになったが、反面業者風の露店も増え、価格を吹っかけてくるから、こちらの目利き力が必要になってきた。
わざとアンティーク風に汚して「これを買わなければ末代まで後悔するぞ」などと真顔でくるから、まったく気が抜けない。
しかし、これが買付の醍醐味と言えば、それまでだが。

(店主・YUZOO )

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2017年8月15日 (火)

第1話 ロシア買付日記





9時間半のフライト後、入国審査を受けて、ようやくロシアの地を踏む。
ロシアの入国審査は人が地の果てまで並ぼうと意に帰さず、マイペースを崩すことなく、パスポートを昆虫の標本を見るように眺め、ひと息ついてから入国の判子を押す。
その時間、約5分。
そして休憩時間になれば、そそくさと席を外す。また次の職員がすぐに来ないことも多く、入国審査の窓口が閉じられたままの時も。
せっかちの国から来た人間にとっては、苛立ちで青筋を立ててしまいそうだが、もう10回以上もこの通過儀式を経験しているので、仕方ない、いずれは入国できるのだからと妙に納得してしまう。
私も大人に、いやロシア的人間になったものである。




ロシアとの時差は6時間。
北緯が日本より高いため、空を見上げると陽は高く、短い夏の陽射しが照りつける。
Tシャツ1枚で充分である。
この暑さだと、ついビールでも飲みたくなるのが心情だが、明日からの仕入れの準備が終わらないかぎりは、ぐっと我慢をする。
このあたりはロシア的な人間にはならず、誘惑に心揺れない大人でいることが、真の大人。




夕方、いつもの安食堂でペルメニとジャルコエ、それとクワスを注文。
クワスはロシア夏を代表する飲み物で、黒パンを発酵させた清涼飲料。独特の酸味が舌に心地よい。
二人分、1000ルーブルでお釣りがくる。
買付の旅で食費で散財するのは禁物。金の斧を持った愚か者。
食べ物は舌の記憶にしか留まらないが、工芸品はいつまでも眼を愉しませてくれる。
この境地になったのも、長年の経験の賜物と独りごちになるのも大人である。
結局ビールは飲まずに陽が暮れた。

(店主・YUZOO)

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2017年8月11日 (金)

ロシア蚤の市雑記





8日から木の香で開催されている「蚤の市」について、雑考を少し。
最近、日本でも土日になると公園や駅前広場で、クラフト市や蚤の市、それに古本市などが開かれ、その手のモノが好きな方には、楽しみな休日になっている。
使い捨て文化、浪費社会から、モノを大切にする社会への変化の兆しとも感じられ、古いモノが好きな私には、ようやく住みやすくなってきた。
冬来りなば、春遠からじ。
もっとも断捨離ができず、本やレコードは当然ながら、チラシやDMでさえ捨てられず、ファイリングしているぐらいだから、その冬籠り前のリスのような性格にも問題はあるのだが。





ロシアも土日になると、公園や駅前など人が集まるところに蚤の市が出店する。
しかし最近はモスクワ市の条例が厳しくなったのか、私がロシアに行くようになった10年前より数は減り、開催場所が市の中心部から郊外へと移ってきている。
以前は地下鉄の改札を出ると、道の左右に様々な出店があり賑わっていたのに、今は足を止める人もなく寂しい路端になってしまった。

仕方なく定期的に開催される郊外の蚤の市まで、足を延ばさなければならなくなり、しかも世界各地からコレクターやバイヤーがかの地を目指すようになったので、激しい争奪戦となっている。
私はアンティークの目利きではないので、世界の猛者には到底太刀打ちできないが、唯一マトリョーシカや木工芸品だけは、少しばかり眼光が鋭くなる。
マトリョーシカの底にあるサインを見たり、顔つきから何年頃の製作か推定し、ソビエト時代と判断すれば買うようにしている。





買う人の心理を巧みに読むのが、売る側の腕の見せ所で、最初に高値を言ってから、徐々に安くするのは常套手段。
「いくらだったら買うんだい?」
「欲しくないなら、値段聞かないでおくれ!」
という強者もいて、ロシア語が1歳レベルの私は「いらないなあ」と、すねたように返すだけである。

とくにチェブラーシカの古いモノを扱っている人は、相当に手強い。
こちらが日本人とわかるや否や
「コンニチワ。ワタシ、スズキサン、シッテイマスカ?」
「クロサワ、ゲイシャ。アリガトウ」
と聞き覚えた日本語で近づいてきて、それからチェブラーシカの縫いぐるみやバッチ、陶器など見せ始める。
日本人のチェブラーシカ好きを熟知しているようで、価格交渉も安易な値引きはせず、まとめて買うのならばこの値段にすると、やや強気に提示してくる。
こちらも、それなりにこの世界で飯を食べている。
すぐに白旗を揚げる訳にもいかない。





「このオッサン、うちらの売りだけで、今日の売上を稼ごうとしているな」
「半分は最近つくられたモノだし、上手いことやるね」
チェリパシカ氏と相手の出方を判断して、その中から、欲しいモノといらないモノに仕分け、欲しいモノだけを価格交渉する。
「このチェブラーシカの縫いぐるみは、あの店でこの値段で売ってた。だから同じ値段じゃないと買わない」
そう言って、先ほど買ったチェブラーシカの縫いぐるみを、スズキサンを知っているオッサンに見せる。
そうすると饒舌だったオッサンの舌は、潤滑油が切れたように回らなくなり、日本人は商売が上手いなあと愚痴をこぼす。

そんなこんなとエピソードがあって買い集めた、私なりの逸品です。
今回は、ロモノーソフやリュドーボといったロシアの名陶を中心に、普段買わないサモワールやソフビなども揃えてみました。
明日から連休、木の香でロシア蚤の市の雰囲気を楽しんでくださいね。

(店主・YUZOO )

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2017年8月 9日 (水)

最終話 阪急うめだ細腕繁盛記





お祭りは終わった。
今、お志乃とお澄、それにチェリパシカ氏と新幹線に帰京しているところ。
会話らしい会話もなく、ただこの1週間を思い返して、それぞれがニヤニヤと薄笑いを浮かべ喜びに浸っている。
今回のイベントが、至福の喜びだっただけに、思い返すことは山ほどあって、1週間がうたかたの夢のように感じてしまう。

関西に木の香ファンが、こんなにも多くいたことは、まったく想像していなかったのが正直なところ。
ただSNSやメールでやり取りしていたお客様が来店されると、初めて会うのに旧知の友のように、マトリョーシカ談義に花が咲き、また出会えた喜びで笑顔になる。
マトリョーシカが結んだ縁とでも言おうか。
マトリョーシカは子孫繁栄の意味もあるらしいですよと説明することがあるが、一期一会の意味もありますと付け加えても、今や何も不思議はない。





「なかなか銀座は行かれへんので、今回だけでなく来年も開催、頼んます」
「こんなにマトリョーシカが集まったのは、初めてちゃう」
「店主ブログを休まんといて。楽しみにしてますさかい」
筆不精な私には耳が痛いコメントもあるが、どのお客様も次回の開催を、心の底から希望されている。
その言葉が思い返すたびに、ビールの酔いも手伝って実に心地良く、この仕事を続けて本当に良かったと、独りごちになる。
次はどんな展示にすればお客様に喜ばれるだろうか。3人と話す車内も、また愉しい。





お客様が更に満足される展示になるように、この細い腕によりをかけて、ロシアの未知なる逸品を探してまいります。
まだまだロシアには、驚くようなお宝が仰山眠っているさかいに。

ありがとう、華の都大阪。
愉しい夢のような1週間でした。


(了)

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2017年8月 7日 (月)

第6話 阪急うめだ細腕繁盛記





イベントも5日目ともなると、塩辛い年齢のオヤジにはきつく、腰や膝が痛くなったり、目がショボショボしてきたり、意味なく溜め息をついたりしている。
開店から閉店まで、ほぼ10時間立ち通しだから無理もない。
「責任者、出てこい‼︎」
と叫んだところで、自分で取り組んだ企画だから、自分自身に返ってくるだけ。
ひとりブラック企業を演じていると言ってもよい。
いや、お志乃やお澄、それにチェリパシカ氏までも巻き込んでいるから、確信犯的なブラック企業かもしれない。

連日の接客で気がついたのだが、やはり買い物にも関西には特有の文化があるということ。
「兄さん、少し勉強してぇや。それがダメならオマケつけてぇ」
という関東人が想像する典型的な関西人を言っているのではない。そんな花登筺の描くような人物像は、すでに絶滅危惧種になっている。たぶん。
私が提議するのは、もっと深淵なもので、文化人類学に近く、マトリョーシカに対する行動パターンを地域別分析したものというべきか。
徹底的に掘り下げて調査すれば、学術論文になるような興味深い内容で、一考の価値ありものである。




では最初の考察。
まずは同じデザインが続くマトリョーシカは好まない傾向にある。
たとえばキーロフやセミョーノフのマトリョーシカを開けていっても、入り数で感動を呼ぶものの、最後のひとつを見届けると、これで終わりかいなと、少々不満げな顔をされる。
それよりも物語を題材にしたものや、中身がバラエティに富んだものを楽しんでくれる。
写真の猫マトリョーシカは、なぜか最後がネズミなのだが、そのサプライズ感がたまらないようだ。
「最後に猫の腹からネズミを救い出したというオチやな?」
「実は3個目あたりから、ネズミに変わっていたんちゃうの?絵も何が描いているか、わからんし」
とか何かしら、関西人特有の独り言をつぶやいてくれる。物語でオチがあるものなら尚更である。
同じのが続くデザインのものでは、この独り言を発してくれない。



次に第2の考察。
次にマトリョーシカの中身を確認する方法である。
「これ、中からぽこぽこ出てくるんやろ?」
「はい、中から出てきます」
と応えると、中身を確認するのにマトリョーシカを耳元に持ってきて、振って音を聞き出したのである。
「あゝ、入っとる。入っとる」
とマトリョーシカを開けることなく、中身の有無を判断する。耳で中身を確認する方法は、10数年来、マトリョーシカを取り扱って、初めて見る光景。
初めはそのお客様特有の判別法かと思ったのだが、この5日間で10人ほど、耳元でかしゃかしゃと確認を見ているので、これは何かしら根底に共通する民族性のでちがいがあるのではと推測。
それは菓子箱を振って小判の枚数を言い当てる、お主も悪よのぅ的な商習慣にルーツを見ることができるのか、もしくは開けるのが面倒というセッカチな気性から来るのか。
結論を導くのにはまだ性急であるが、この行動パターンは注目に値する。




最後に第3の考察。
とにかく計算が早く、小売希望価格を告げている間に、瞬時に消費税の1円の桁を計算して、小銭を用意しているお客様が多い。
世界規模でいけば、インド人の次に計算が早いのではないかと思うほど。
計算が苦手な私には、どういう脳のメカニズムで消費税の計算をしているのか、甚だ検討もつかない。

この3つの考察を徹底的に分析すれば、関西の独自性が明白になるのではないか。
文化人類学を志す人には、ぜひ取り組んでもらいたい。ブラック企業の主犯格の私が、足腰の痛みと引き換えに辿り着いた、一筋縄ではいかないテーマである。
活発な議論を期待したい。

(つづく)

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2017年8月 6日 (日)

第5話 阪急うめだ細腕繁盛記





決戦の土曜日。
天気予報では台風が直撃するという噂もあったのだが、日頃の品行方正な生活をしっかりと雷神様は見ているのか、大阪に立ち寄るのは止めとこうと、じっと南方の海に鎮座しておられる。
品行方正な生活を過ごしているのは、もちろん私ではない。
たぶん番頭のお志乃か、デザイナーのお澄に対して、その謙虚な生活態度に感心しての雷神様の粋な計らい。
私に憑いている神様は、酒呑童子か貧乏神の二人しかいないのは、嫌というほど感じている。
しかも大阪に来てから酒呑童子が、私の胃袋に鎮座し続けている。




今日は淀川で花火大会が開催されるとあって、客足も良く、幸先の良いスタートを迎えられた。私の星座の乙女座も、新しいことにチャレンジすることは吉と出ている。
開店の音楽「🎵スミレの花〜、咲く頃ぉ〜」が終わると同時に、木の香にもお客様が来られる。

「木の香さんが大阪に来ると聞いて、もう休みが待ち遠しくて、待ち遠しくて、仕方なかったわぁ」
「木の香が来るんと知ってから、今日まで、よう眠れませんでしたわぁ」
などと、うら若き乙女に言われると、たとえリップサービスであっても、おだてられて木に登る豚のような気分になるのは、古今東西男ならば同じ道理。それに関西弁の柔らかな響きが、余計に木登り豚の気分にしてくれる。
この乙女の言葉を聞きたいがために、草臥れたオヤジがロシア買付に行く原動力になっている事実を、ここでお伝えしておきたい。




そして昨晩のこと、この木の香への思いに応えるために何をすれば良いだろうと、お志乃とお澄と打ち合わせした。
木の香は、北の某国とは違い独裁政治ではない。あくまでも協議して決定する民主主義を貫いているのは、周知の事実。
その結果、多めに刷ったポスターをプレゼントすることになった。
このプレゼントは好評で、お買い上げの際お客様に「ポスターはいかがでしょうか?」と訊くと、異口同音に「部屋に飾りたいので、・・・ください‼︎」と満面の笑みを向けてくださる。




これはデザイナー冥利に尽きるようで、お澄も、自分の作品がこれほどまでに喜ばれるとは予想外だったらしく、終始笑顔を絶やさない。
ちなみにポスターはだいぶ配ってしまい、残り少なくなっている。
ご希望のお客様は、お買い上げの際に、大阪人らしくモジモジとはにかむことなく、
「ポスターくれると聞いたんやけど、まだあるん?」と気兼ねなく訊いてください。
合言葉は「🎵スミレの花〜、咲く頃ぉ〜」です(笑)

(つづく)




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2017年8月 5日 (土)

第4話 阪急うめだ細腕繁盛記

【第4話 阪急うめだ細腕繁盛記】





商売の究極は、お客様に感嘆の声をあげてもらいたい。
レストランでお客様が「美味しい‼︎」と声を洩らすこと、お母さんが子供たちに「ママのつくったカレーが一番好き」と言われるのと、同根にある心情だと思う。
喜びの声。驚きの声。感動の声。
それを客商売する者として、聞きたいのである。

今回のイベントのテーマは、展示台から溢れんばかりのマトリョーシカ。
今迄に、これ程の数のマトリョーシカを見たことないと、お客様に声にならない感嘆の声をあげてもらいたいのである。
そこで寿司屋で言うところの「こぼれイクラ軍艦巻」のイメージで、準備をしてみた。
断っておくが、マトリョーシカを酢飯の上に乗せることではない。焼き海苔に巻くわけでもない。もちろん醤油もいらない。
あくまでもイメージ戦略である。

幸いなことに木の香には、お多恵とお澄という二人の優秀なデザイナーがいる。
プロ野球で言えば、二人で30勝は堅い剛腕エースである。
この二人がイベントに合わせて連投を重ね、ポスター、手拭い、ポシェット、トートバッグを製作。
この手拭いは、歌舞伎俳優が御用達の梨園染め、注染と言われる江戸時代からの技法で、1枚1枚を丁寧に手で刷っていく、たいへん手間のかかるもの。
良いモノにこだわる木の香の心意気と、二人のエースの見事な投球術を感じてもらいたいのである。



またポスターを壁という壁に、ナイアガラの滝のように四方八方に張り巡らし、ここがマトリョーシカ共和国だということを表現してみた。
お客様は入国したら、自分もマトリョーシカなのではと錯覚に迷い込み、この国の一員だと思ってもらいたい。ユートピアは意外に近くにあるのだと感じてもらいたい。



そのためマトリョーシカは、買付史上、最大数が、このイベントの為に取り揃えてみた。
いや数は正確にはわからないので、最大数の重量、150キロを買付けている。
これだけあれば、十分に棚から溢れ落ちる量である。寿司ざんまいも、腕組みして唸ってしまう数量である。

こういう話、普通はイベント前に書かなければならないのだが、連日ご来店いただいたお客様の感嘆の声を聞いて、つい内幕を明かした次第。

今日は土曜日。
阪急うめだ本店にお出かけになるお客様、広いフロアで、木の香が何処にあるのかわからないかもしれませんが、良く耳を澄ませてください。
10階で、声にならない歓声が上がっている場所が、木の香になります(笑)


(つづく)


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2017年8月 4日 (金)

第3話 阪急うめだ細腕繁盛記




長年の経験からいくと、木曜日はダレる曜日である。
週末にさしかかり疲れも溜まってくるが、あと1日働かなければならない。出来れば無理は控えたいと思う曜日なのである。
それは小売業にも表れていて、木の香でも木曜日は客入りは悪く、来られるお客様も何処となく覇気がないように感じられる。

だが大阪は違った。
さすが商業の街、大阪。うめだは華の都。
お客様の買い物に対する情熱がちがうし、眼の輝きがギラリとして曇りがない。
「マトリョーシカはロシアのもんかいな。よう遠いところから、ご苦労さんのこった」
「これマトリョーシカやろ?昔、うちのばあさんが持っとった」
「先日、ロシア旅行に行って、マトリョーシカ買うてきたのに、こっちの方が安いわぁ。損した〜」
独り言のように話し出すのだが、どう応対して良いのか解らず、それは残念でしたねと、NHKのニュース解説のように返すのが精一杯。ボケもツッコミもあったものではない。
たぶんこの独り言に上手く対応するのが、大阪で商売を成功させる第一歩であろう。



また以前、筋金入り関西女子のBさんに
「関西のおばちゃんは、眼に入ったものや思ったことは、口に出さないと落ち着かないんや」
とご教示してもらったがあり、それが現実として目の前で繰り広げられている。
まさに実地研修である。
「これマトリョーシカやな」
「マトリョーシカです」
「これ中からポコポコ出てくるんやろ?」
「ポコポコと出てきます」
「うわぁ、まだ出てくるん」
「出てきます」
「こんなもん、よく作るなあ」
「本当によく作りますねぇ」
これでは接客のイロハどころか、言葉を覚えたてのオウムである。
こんな対応ではBさんに
「ちょっとぐらい気の利いた対応しないと、東京の人はツンとして格好つけていて、イケ好かんわと、言われるで」
と叱咤されること間違いない。




ただマトリョーシカの魅力は、次から次へと出てくる入れ子であって、老若男女問わず、子供のように目をキラキラさせて、まだ次があるのかと見つめてくれるのが、ロシア買付に東奔西走した者として、何よりも嬉しい。至福の時である。
永遠に開けられるマトリョーシカがあったら、この至福の時も終わりなく続くのだと、つい思ってしまう。
「まだまだ出てきます」
とドヤ顔で言ってみたい。
「まだあるんかいな。マトリョーシカが、こんなケッタイなモンだと知らんかったわ。わかったから、もう堪忍してや」
と言われてみたい。


(つづく)

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2017年8月 3日 (木)

第2話 阪急うめだ細腕繁盛記





オープン初日。
デザイナーのお多恵、番頭のお志乃、ロシア通のチェリパシカ氏と私の4人で、お客様を迎えることになる。
オープンを告げる音楽が、店内に流れると、一同にキリッと緊張感が走る。沸々と何かが始まる予感がして、個人的には好きな時間である。

オープン直ぐに、コレクターのお客様が来店。この日を楽しみに来られたようで、300体以上のマトリョーシカのお出迎えに、思わず歓声が上がる。
「すごい!こんなにたくさんのマトリョーシカ並んでいるの、初めて見た‼︎」
「選ぶの迷ってしまいそう(^-^)」
ロシアの深層部へ買付に行く自分にとって、この言葉が一番嬉しい。自分が買付で迷うように、お客様にも迷ってもらいたいのである。悩んでもらいたいのである。



「この地球儀マトリョーシカの作家さんは、70歳を越えているのに、Facebookが大好きで、よく自分の作品をアップするモダンお爺ちゃんなんですよ」
「この工房のマトリョーシカは3個目以降は、福笑いみたいな顔になります」
「この作家は酔っ払うと、自分が鳥になったと思うみたいで、先日も4階から飛び立ちました」
ついつい私も説明に気合いが入ってしまう。
そしてお客様が気に入って買われると、嬉しい気持ち半分、嫁入りする娘を思う父親の気持ち半分という複雑な心境になってしまう。
いろいろあって買付したマトリョーシカが貰われていくと、尚更である。
「幸せになるんやで〜」
遠くを見る目をして、エセ関西弁で見送る自分がいる。




また初日ということで、関西に住む友人、知人が顔を出してくれた。その気持ちが何よりも嬉しい。
「なあ、お志乃。タカラという字は、ひとつ屋根の下で出会うこと、一期一会。友と人生を過ごすことや。だからウ冠に生きると書くんやな。まさにこの時間やで」
と夫婦善哉風にひとりごちに呟くと、お志乃は呆れた顔でこちらを見る。
「お言葉を返すようですが、タカラという字は、ウ冠に玉だと思うんですが」
「そうか。そんな字もあったなァ」
アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい。
だが梅雨は明けてしまった。街路では関東にはいないクマゼミが、喧しく鳴いている。

(つづく)


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2017年8月 2日 (水)

第1話 阪急うめだ細腕繁盛記



いよいよ、今日から阪急うめだ本店での企画展が始まる。
本社が大阪市浪速区にあるゆえ「故郷に錦を飾る」ような気分であるが、果たしてロシア雑貨が関西人に受け入れられるか、不安が募るばかり。私が知る限りでは、大阪にロシアを専門に取り扱っている雑貨屋はない。

「このマトリョーシカって、何に使うねん?」
「ただ飾るだけの人形が、こないしますの?」
と想定される質問を思い浮かべては、その模範解答を考えている。
というのも、木の香をオープンした当初、会社の同僚と顔を合わせる度に、同じような質問ばかり受けていたから。
おかげで関西人は、用途がはっきりとしないものは無用に等しいという思考回路だと、見る見るうちに刷り込まれてしまった。
偏見極まりないが、マトリョーシカを並べる度に、その同僚の言葉が思い出されて、つい苦虫を潰したような顔になってしまう。



今回の『スークの好きなモノ縁日』と題された企画展。この中央街区を覗くと、埴輪、多肉植物、招き猫とマニアックな雑貨ばかりを扱っている店が軒を連ねている。
それもディープなマニア様をも唸らせる極上のレア物もあり、門外漢であっても興味をそそられる物ばかり。
「誰が買うの?」とツッコミを入れたくもなるが、それはお互い様、他人様、恵比寿様。
マニア様を唸らせなければ、この稼業を続けることはできない。
この世知辛い世の中を渡っていけない。

そして小心者の私は、それら逸品がずらりと並んだ他店を眺めるうちに、果たしてうちの品揃えは、マニア様の心を躍らせることができるか、不安の虫に押し潰されそうになる。
苦虫、不安の虫と、どうも私の周りには様々な虫が飛び交っている。



「これだけ、ディープな専門店ばかり集合するなんて、さすがデパートの企画ですね。エネルギーが湧いてきました‼︎」
と番頭のお志乃が嬉々として言い放つ。
お志乃の辞書には、マイナス思考という言葉はない。いつも前を向いて生きている。
「そうやなぁ。泣いても笑っても、10時からが本番や」
と如何にも東京出身者が言いそうなエセ関西弁で応えてみる。そして言った瞬間、恥ずかしくなり、棚の上を掃除するフリ。
泣いて終わるのならば、笑って終えたほうがいい。もう船出は迫っている。
ここは肝を据えて、男ならばやり遂げなければならぬ。

(つづく)

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2016年3月15日 (火)

TOKYO FMで木の香が紹介されています

  Photo

TOKYO FMの朝の番組、

住吉美紀さんの「Blue Ocean」のコーナー「銀座美人」で

月曜日から金曜にわたって、

木の香の魅力を紹介してもらってます。

時間にしては9:45~9:50ぐらい。

ぜひ朝の仕事始めに聞いてはいかがでしょうか。

 

番組の内容としては、

ロシアの魅力やマトリョーシカのことなど

いろいろと聞いていただき、

なかなか奥深い内容になったと自負しています。

ただ私の鼻声が公共電波に流れるのは

恥ずかしい限りなのですが。

住吉美紀さんは和服姿が似合う美しい方でした!

下記が番組のホームページです。

http://www.tfm.co.jp/bo/index.php?catid=1091

(店主YUZOO)

3月 15, 2016 店主のつぶやき | | コメント (0)

2016年3月 8日 (火)

今日は国際婦人の日

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今日、38日は『国際婦人の日』。

ロシアでは祭日となり、女性に感謝する日となっている。

感謝する相手は恋人にかぎらず、母親、お婆ちゃん、

働く女性などすべての女性が対象で花束を贈るのが、

慣例となっている。

古いソビエト時代の絵ハガキを見ても、

チェブラーシカが花束を抱えているものがあったり、

雌鶏のまわりにヒヨコが集まっているのがあったり、

女性に対する敬愛に満ちたものが多い。

 

この『国際婦人の日』は、

アメリカで起こった婦人参政権の抗議デモ、

ロシアでは帝政ロシアが倒されるきっかけとなった

二月革命に端を発しているという。

それだけに当初は革命を祝う色が濃かったが、

時が経つにつれて赤い色から華やかな色へと変化して、

現在のような花束を贈るスタイルに定着したようである。

 

日本では女性に花束を贈る習慣がないので、

もしこの祭日が近づいたならば、

日本男児の唇が青ざめて喧々諤々となるのを想像できるが、

ロシア男児は、この日でなくても気軽に花を贈るので、

緊張した面持ちで花屋の店先に佇むことはない。

うらやましいかぎりである。

 

ただロシア男児が花屋の前で佇む理由があるとすれば、

それは財布の中身であろう。3月初めのロシアは零下で、

早春の足音は聞こえず、鮮やかな花々が咲き乱れる季節は、

だいぶ先のことである。

近隣諸国から輸入された、

文字通り高嶺の花しか店先に並んではいない。

その凛とした花々と薄い財布を交互に見つめながら、

どれを買えば安っぽく見られず、

相手に喜んでもらえるのだろうと苦心している。

さらにプレゼントまで買うとなると…。

 

本日、ロシアの花屋の前には、

ドストエフスキーのような風貌の男児たちが、

一輪の花を巡って、どうやって

真実の愛を伝えようかと苦悩しているはずである。

 

 

(店主YUZO)

3月 8, 2016 店主のつぶやき | | コメント (0)

2016年2月 2日 (火)

言い訳する店主

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早いもので、正月も終わり2月である。

ロシア仕入れ話が途中のまま、半年以上が過ぎようとしている。

早くセミョーノフまで辿りかなければと思うものの、

なかなか筆が進まない。

セミョーノフの民族祭やマトリョーシカ工場の話など、

記憶が風化する前に書留めなくてはと気持ばかり焦るだけで、

前にも後ろにも進んでいかない。

グジェリ工場に腰を下ろしたままである。

言い訳風に書くと、長期のスランプとでも言おうか。

笛吹けど筆は踊らず。

筆に墨が染みてこないのである。

 

さて、「3匹の仔ぶた」。

労苦を惜しまず、仕事をすれば最後には報われることを

諭したいのだろうけれども、私たち木の家に住む者としては

オオカミのひと息ぐらいで飛ばされることが、

どうも喉元にひっかかる。

通気性の良さ、木肌の温かみが、木の家にはある。

それらの良さを感じていたからこそ、次男仔ぶたは、

木の家を建てたのではないのではなかろうか。

蒸し暑い夏になったら、

石の家を建てた三男を呼んでやろうなどと考えて。

決して楽したいばかりで木の家を建てたわけではない。

それなりの理由があったはずである。

 

つまり私の筆が進まないのも、

それなりの理由があるからと言えなくもない。

むしろその理由が自分でもわからない故、

パソコンを前にしてもがき苦しんでいるとも言える。

 

というわけで、しばしお待ちを。

・・・・詭弁か?

(店主・YUZO)

2月 2, 2016 店主のつぶやき | | コメント (0)

2015年12月31日 (木)

2015年もご来店ありがとうございました

Photo


今年もGINZA HAKKO木の香にお越しいただき、

誠にありがとうございました。

 

最近、「木のあしあとブログ」更新がないと

多くのお客様にご指摘を受けまして反省しきりの店主ですが、

来年からはブログ再開いたしますので、

お楽しみにしていてくださいね。

 

来年早々は恒例の「東北こけし展」を開催いたします。

そちらもお楽しみにしてくださいね。

 

来年もよろしくお願いいたします。

12月 31, 2015 店主のつぶやき | | コメント (0)

2013年11月21日 (木)

セピア色になることのない音楽のために

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先回に引き続きポール・マッカトニーの話。

  

今回のツアーでは

ビートルズ時代の曲が多いと巷では噂されているが、

思え返せば、すでに40年以上前に解散したバンドの曲。

  

ふつうならば古き良き時代の音楽として、

同時期に青春を謳歌した人々の懐かしのメロディとして

胸の奥に静かに納まり、

たまに酒場の片隅から流れる有線放送に合わせて

口ずさむのが、流行歌の正しい在り方。

もしくは行く末。

  

消えゆくことはあるが、もう輝くことはない。

  

しかしそんな俗説、何をか言わんやである。

  

時代が移り変わろうとも、

ビートルズは新しいリスナーを獲得し続け、

初めて聴いたときの感動をそのままに、

決して古びることはない。

  

良いメロディは永遠であると嘯くことは可能だけども、

そんな教科書のごとき言葉が解答であるはずがない。

決して言葉で言い表せない、

ポピュラー音楽だけが持ちうる魔法が、

ビートルズが創り出した音には、

たくさん散りばめられているからだ。

  

それを証拠に、じっくりと耳を傾けると、

聴き慣れた曲のはずなのに、新たな音の発見があり、

ふとしたことで別のメロディの美しさに気づかされる。

これを魔法と呼ばずして、何と言い表そう。

  

ビートルズは世界で一番聴かれていると同時に、

一番カバーされているバンドでもある。

ジャズ、クラッシック、ソウル、レゲエ、

マンボ、フォーク、カントリー、果ては日本の民謡まで、

ジャンルを問わずにカバーされてきた。

 

  

在る者は、その魔法を解明するために。

在る者は自分も魔法が使えないかと望みを託して。

在る者は純粋に魔法の世界にどっぷりと浸かりたくて

 

この『健’z』というアルバム。

エル・アールの黒沢健一と

音楽評論家の萩原健太のユニットで、

ポールに対する限りない愛情とリスペクトに満ちた、

煌めく魔法に酔える好アルバムに仕上がっている。

 

アコスティック・ギターのみのシンプルな伴奏は

メロディラインの美しさを際立たせるし、

丁寧に歌う姿勢は曲への感謝の気持ちに溢れている。

 

数あるカバー・アルバムのなかでも、

純度の高さにおいて指折りの名盤ではなかろうか。

 

ちなみに2曲だけ入っている

ブライアン・ウイルソンのカバーも胸キュンもの。

 

今宵は、明日訪れる夢の時間にそなえ、

はやる気持ち抑え、このアルバムを聴いている次第。

というのも、実は明日東京ドームにポールのコンサートに

急遽行くことになったのである。

 

ゆえに興奮抑えきれない微熱な文章になってしまった。

 

氷上のシロクマのような気分で申し訳ない。

 

(店主YUZOO)

11月 21, 2013 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2013年11月18日 (月)

ポール・マッカートニーがやって来る!!ヤー!ヤー!ヤー!

  

Photo_2  

ポール・マッカートニーが来日している。

11年ぶりの日本公演。御齢71歳でのステージである。

私は熱心なポールマニアというわけではないが

1980年あたりまでの作品は、一通り聴いている。

  

なぜ1980年までかというと、

ポピュラー音楽業界が肥大化するにつれ、

消費システムに飲み込まれ、実験性や革新性を失い、

どの曲も同じようなアレンジ処理がなされ、

売れている曲こそ名曲であるという

流れになってきたためである。

 

そのような仰々しい曲を一括りにして

産業ロックと半ば皮肉って呼んだのも

この頃だったと思う。

ポピュラー音楽と決別したのは、

そんな音楽をつまらないと感じたためである。

 

 

もちろんポールのせいではない。

 

そんな私の勝手な思い込みとはよそに、

ポールは一度たりとも創作活動を滞らせることなく、

稀代のメロディーメーカーとして新譜を発表し続け、

こうしてツアーにも出て、

はるばる日本までやって来たのである。

  

しかし、なぜこの年齢になってツアーに出る

必要があるのだろうかと、凡人ならではの疑問もわく。

日本でいえば、

あと4年で後期高齢者に達する年齢である。

いつも通り、良い曲を書き続け、

コンスタントにアルバムを発表しているだけで

十分なのにと考えてしまうのは、浅墓ゆえか。

  

ポールの本音は何処にある?

  

さてこの疑問を少しばかり和らげてくれるのが

中山康樹『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』

という新書。

この本には60年代のロック黎明期に

輝かしくデビューを飾り、今も現役で活躍する

ミュージシャン14人の生き様を論じている。

もちろんポールについての項もある。

<すなわちポールは、ビートルズ時代から変わらず挑戦意欲を持ち続け、前衛芸術に対する抑えきれない創造的衝動を抱えたまま、創作活動を継続している>

とポールの創作への姿勢を見極め、

下記の言葉で締めくくっている。

<その引き算の潔さと高い音楽クォリティー、そして無尽のエネルギーと創造力。……ビートルズ時代に十分に与えたにもかかわらず、さらに多くのものを分かち与えようとしている>

すなわち、今回のツアーは

懐古的なものでも集大成的なものでもない。

たとえ演目にビートルズ時代の曲が多くとも、

そこには創造というスパイスが効いているはずである。

  

ポール、ここ30年ばかり熱心に聴かなくて、

本当にごめんなさい。

  

(店主YUZOO)

 

 

 

11月 18, 2013 ブックレビュー, 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2013年10月31日 (木)

中央区にマトリョーシカの花が咲く?

_0253 

銀座界隈をそぞろ歩いた人は気がついたかと思うが、

現在『中央区観光商業まつり』が開催されている。

何気なく街頭を見上げると、そのポスターのモチーフが

マトリョーシカになっているのに気が付くはず。

 

もちろん「木の香」が銀座に出店したことを

中央区が祝ってくれているわけではないのだが、

このポスターを見るたびに、腰に手をあてて立ち止り、

満面の笑みを浮かべひとりニヤニヤしている。

傍を通る人が私を見たら、

どこかに心を置き去りにしたオヤジのようで

かかわりたくない人物に感じるだろうなと

自分でも思うのだが、やめられない。

 

  

私の性根はプラス思考ではないが、楽天家である。

しかも学習能力が著しく欠けている。

だから毎日笑うことができるのだ。

たぶん。

  

さてマトリョーシカを採用してくれたお礼とは言わないが、

『中央区観光商業まつり』のHPは下記に。

お買い上げ金額に応じて籤引きがあったり、

観光写真コンクールなどが催されているらしい。

 

http://www.city.chuo.lg.jp/event/matsuri/kankousyougyoumaturi/

 

というわけで残念ながら、今回は深いイイ話はない。

もっとも、いつ深いイイ話をしたと問われたら、

「ご自由にお使いください」とかかれたケチャップが

蕎麦屋に置いてあるのを見つけた時のように

言葉に窮するのだが。

 

(店主YUZOO)

10月 31, 2013 店主のつぶやき | | コメント (0)

2013年10月28日 (月)

チェブラーシカよ!立ち上がれ!

T 

今回もチェブラーシカの話。

Tシャツの絵柄についてあれこれと話す次第である。

ロシアのTシャツは遊び心が旺盛なものが多く、

自国の愛すべきキャラクターが様々な扱いを受けていて、

またそれを見て笑って受け流すだけの度量に満ちている。

 

代表的なところではチェ・ブラーシカ。

伝説の革命家、チェ・ゲバラとの融合で、

甘えん坊なはずのチェブラーシカの風貌が、

「ぼくだって、やる時はやるよ」と

宣言しているようで微笑ましい。

 

このバージョンはほかにも、マシンガンを抱えた

キリリとした目付きのものもあって、

個人的にはそちらのほうが好み。

当然ながらマシンガンはカラシニコフである。

   

T2   

 

次はロシア的プロパガンダ・ポスターの

流れを汲んだもの。

ウォッカに溺れるゲーナを必死で止めている

チェブラーシカが健気で、

服の裾をひっぱる姿は三歳児のようで、心を打たれる。

 

ロシア語は「ウォッカを甘く見てはいけない」、

「ウォッカでへべれけにならない」

というような内容が書かれている。

 

最近、少しロシア語をかじっている者としては、

С Водкойという表現の凄まじさが、

ロシアのアルコール事情を如実に表しているようで、

背筋が裏寒くなる。

 

その部分を直訳すれば

「ウォッカと一緒に」とか「ウォッカとともに」。

まるでウォッカを伴侶として

墓場まで道連れにしていく姿を暗喩しているよう。

 

日本の「お酒は二十歳を過ぎてから」

なんて生易しさは微塵もない。

 

もっとも最近のロシアのアルコール事情は、

若者を中心にウォッカ離れが進んでいて、

普段はビールかワイン、

もしくはアルコールをまったく口にしない。

 

ウォッカが登場するのは、パーティでの

乾杯のときだけというのが主流になりつつあるようだ。

Tdsc_0235 

最後に紹介するTシャツは、

木の香では販売できないというよりも、

街中を着て歩くには相当な覚悟を要するもの。

 

ミッキーマウスやスポンジボブを

袋叩きにするチェブラーシカ一派。

ロシア語で高らかに「ロシアの愛国者たち」と告げている。

 

この邪悪な目付きのチェブラーシカを見よ。

もう電話ボックス内で、

ひとり独楽をまわしている気の弱さなど

欠片もないのである。 

 

アメリカのキャラクターどもがロシア国内を、

大手を振って歩いているのを、もう黙ってはいられない!

その怒りは極限を超えて狂気に満ちており、

奴らがロシアから出ていくまでは

戦い続けてやると言わんばかりである。

 

ゲーナ然り。シャパクリャクも然り。

T3

そしてTシャツの裏側には

「われわれは自国の英雄たちを知らなければならない」

と警告している。

 

その言葉にはソビエト時代は良質なアニメや映画を

量産していたロシア文化が、ソビエト崩壊とともに、

アメリカのビジネス戦略によって、無残にも衰退し、

どこもかしこもディズニーばかり

という現況を嘆いての声のようにもきこえる。

 

実際に子供向けの商品は、文具、絵本、ぬいぐるみ、

食器などは、ディズニーで溢れかえっている。

 

ただ、だからといって、このTシャツを着たら、

ディズニー好きはもちろんのこと、

心優しきチェブラーシカ・ファンにまで

総スカンを浴びるのは間違いない。

 

場合によっては、私がこの絵柄の

ドナルドダックにされること請け合いである

 

やれやれ。

 

(店主YUZOO)

10月 28, 2013 店主のつぶやき | | コメント (0)

2013年10月15日 (火)

チェブラーシカにおける種の分類について

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先回に引き続いてチェブラーシカ・コレクションの話。

 

チェブラーシカが

ロシアの国民的人気キャラクターなのは、

古今東西の誰もが認めるところ。

それゆえにソビエト時代、ポストカードやバッチなど

デザインに使われることが多かった。

 

また国内での著作権については無いに等しかったのか、

この時代には様々な

チェブラーシカがつくられていたようだ。

それが顕著に表れているのが、バッチの類。

 

上の写真のオレンジ色のチェブラーシカは

私の一番のお気に入りだが、

眠たげな瞳とボサボサの頭は、

映画の第一話の雰囲気をよくとらえているものの、

耳が象のようで、さらにヘンな生き物として

進化を遂げているのがわかる。

112

 

次の三つのバッチも然り。

それぞれ独自の成長を遂げていて、

足が短く胴が伸びたり、

眉間に仏陀のような有難いホクロがあったりと、

チェブラーシカが単体生物ではなく、

かなりの数の亜種が存在することがわかる。

どれも希少種には間違いないのだが。

 

 

古物が好き、どこかヘンテコなものに魅せられるのが

心情の私にとっては、

まるでチェブラーシカの似顔絵コンクールと化した、

これらのものを見つけると、

ついつい自分へのご褒美と称して

買い求めてしまうのである。

 

113

それを思うと3枚目の写真の面白くないことよ。

日本のご当地チェブ・ストラップのように

可愛さばかり強調されて、

制作側のチェブラーシカへの思いが伝わってこない。

 

ロシアならではの大らかさが消え、

欧米的な売れ筋こそが美徳という

価値観に毒されているようで、誠に残念である。

 111_2

 

相棒のゲーナも、心がバイカル湖のように広く、

誰にでも優しい性格が、この頃のバッチからは

感じられると言い切ったところで、

あながち的外れではないと思うのだが。

  

私だけか。

 

(店主YUZOO)

10月 15, 2013 店主のつぶやき | | コメント (0)

2013年10月11日 (金)

木の香店主の秘かな愉しみ

  

Photo_2

ロシア買付をしているがゆえ、

「自身のマトリョーシカ・コレクションは、

お店よりも凄いのでしょうね」と

憧れの眼差しでお客様に訊かれることがある。

 

だが実際のところ私のコレクションは20個にも満たない。

ほとんどが作家さんからのプレゼントか、

発送中に破損したものばかりである。

 

なにゆえ?

貴重な作家ものや新しいデザインのものに、

いち早く手を付けることに後ろめたさを感じるからである。

 

証券会社の社員が優良株を買い占めるようなもの、

銭湯の店主が一番風呂を愉しむようなこと

と同じに思えるからである。

 

それゆえ自分のためには一切求めず、旅の記念は何も残さず、

という断捨離的な生活を営んでいるかというと、

そこまで高貴な志は持ち合わせていない。

 

ソビエト時代の古い絵はがきや絵本、

図録などを、合間をみては買い漁っている。

とくにチェブラーシカ関連のものは、

時を経ることに増えている。

 

上記の写真は、そのコレクションの一部。

この絵はがきには、ちょっとしたエピソードがある。

ガラクタ市で、

ロシア的ふくよかなお婆ちゃんから買い求めたのが、

コレクションの始まり。

以降、このガラクタ市で、

そのお婆ちゃんに会うたびに買うようにしている。

 

というより、年に1,2回しか訪れない私のために、

チェブものを集めて取っておいてくれるのである。

しかも価格は全部合わせても喫茶店のモーニング程度。

 

そのときのお婆ちゃんの

「今回は、たくさん集めたでしょう!」

と少し自慢げな笑顔が、たまらなく素敵なのである。

 

1  

そして今回お婆ちゃんが見つけてくれたのは、

胸がキュンと締め付けられるぐらいの可愛らしいもの。

 

チェブラーシカの記念すべき映画第一話を描いた、

紙芝居風の絵はがきセットである。

  2

オレンジの箱に入った眠たげなチェブ、

シャパクリャクの投げたバナナの皮で転ぶゲーナ、

どれも穢れのないチェブラーシカの世界が広がっていて、

日々の生活で擦れ枯らしになった心を潤してくれる。

  

このひとときを得ることで、過酷なロシア買付の旅は、

一瞬にして癒しの旅へと変わるのである。

 

実に秘かな愉しみではある。

  

(店主YUZOO)

10月 11, 2013 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0)

2013年6月20日 (木)

教えて、ガリレオ。ロシアの交通標識

2012_130  

先日、ロシアに行った時の写真を眺めていると、

なぜか交通標識を何枚か撮影してたことに気がつく。

 

何故に?

自分でもその真意ははかりかねるが、

たぶん何を意味する標識なのだろうと考えた末、

いずれロシアに精通している聞けばいいと、

もしくは異国を感じるのは名所旧跡ではない

生活が息づいている街中であると、

鼻息も荒く、遮二無二シャッターを押したのだろうか。

気分だけはアラーキーだ。

 

上の写真は初めてロシアに行ったときに撮影したもの。

今ならば「ストップ」の意味だとわかる。

それだけでも自分には、記念日にも等しい進歩だと思いたい。

2012_129  

次の写真のこれは、道路工事中だと察しはつくが、

横の矢印は何を強調しているのだろう。

「この人の仕事ぶりを着目せよ!!」という

仕事をサボらないようと監視の意味も込めているのか??

それともロシア人は道路工事してようがお構いなく、

車が猛スピードで突っ込んでくるので、

「おらおら、この工事現場の紋所が目に入らぬか!!」

という怒りを強調した標識なのか。

2012_128  

個人的には好きなのは、この標識。

200M先に横断歩道ありという意味のようだけども、

「道路で陸上競技をしてはいけない」

もしくは「道路はスケートリンクではない」にしか見えないが。

美しくもアバンギャルドな標識である。

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最後に、この標識だけは、皆目見当がつかない。

日本だったら「喫煙禁止エリアだよ~ん」と受け取れるが、

ほとんど分煙が進んでいないロシアである。

そんな健気で殊勝な標識があるわけがない。

 

まさか国境線を意味していて、

「この一線は越えてはならぬ。お互いの平和のために」

ではないだろう。

だいたいモスクワ市内だし。

 

だれかご存知の方はおられないだろうか。

「一旦停止」なんて平凡な標識でないことを望むが・・・。

 

(店主YUZO)

6月 20, 2013 店主のつぶやき | | コメント (2)

2012年11月 2日 (金)

阪急うめだ店「SOUQ」にマトリョーシカ!

Photo 

今、関西で一番熱いデパート阪急うめだ店。

実は25日にオープンした10階にある「SOUQ」に

マトリョーシカが並んでいます。

 

実はお得意様から、

「阪急デパートでオリガ・イリーナ姉妹のマトリョーシカを

見たのですが、あれは木の香で扱っているものですか?」

というお問合せを受けたので、

これはまずいと思いブログアップした次第です。

 

そうです。正解です。

今回、阪急うめだ店のバイヤーと打合せして

展示したマトリョーシカなのです。

オリガ・イリーナ姉妹の作品やまだ展示していませんが、

コブロフ工房の青いサンタクロースやビーズマトリョーシカ

なども順次登場する予定です。

 

千葉まで行くには、月の裏側に行くぐらい遠すぎると

嘆いておられた関西のマトリョーシカ・ファンの皆様、もう安心です。

10階に行けば可愛いマトリョーシカに会うことができます。

今後は企画展なども考えていますのでお楽しみに。

 

PS次回のブログネタはロシア買付けの話にしますので、

楽しみにしているお客様、もうしばらくお待ちくださいね。

筆不精なので。やれやれ。

 

(店主YUZO)

11月 2, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年10月23日 (火)

マトリョーシカ便りの紹介です

今日は、ロシアの仕入れ話はちょっとお休み。

先日、「木の香」いただいたメールが

スタッフ一同、心がほっこりと暖かくなりました。

その気持ちをお裾分けしたく思い、紹介いたします。

 

自分でデザインを考えて、ウッドバーニングしたり、

色付けしたりして完成したマトリョーシカは、

我が子のように愛らしく思う気持ち、本当にわかります。

 

ものをつくる楽しみを、少しでもよいので

「木の香」で感じてもらいたいと思っている私たちにとって、

こういうお便りをもらうのは嬉しさの極みsign03

 

皆様も、ウッドバーニング作品やマトリョーシカを

気兼ねなく、メールしてくださいね。

お待ちしています。 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

Photo   

Photo_2

こんにちは、先日マイペンを購入させていただいた○○です。

あんまり楽しくて、あんまりうれしかったので、メールしてしまいました。

今までは、アクリル絵の具でマトリョーシカ作りをしていたのですが、筆では思い通りに描けず、3割引の文字をみて、今だ!と購入。
買って本当によかったです。

自分で「マトリョーシカ作家だ!」といえばそうなれる!なんて、最初は思っていたのですが、自分で作ってみて、プロの方の作品を見て、あぁ。そういうことではないんだ・・・
と、思い知らされています。
でも、いつかは、「マトリョーシカ作家」と呼ばれる日が来るまで、どうしても「私の作品がほしい!!」といわれる日が来るまで、家族や親しい友人にプレゼントしながら、秋、冬が来るたびにマトリョーシカを作り続けようと思います。
素敵な道具に出会うことができてうれしいです。

ありがとうございました。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

(店主YUZO)

10月 23, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年9月 5日 (水)

ロシア仕入れに行ってきます

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明日6日より、ロシア仕入れ旅に行ってまいります。

今回は、新たな作家を巡り会うために、

セルギエフ・パッサードを中心に、また陶器の町グジェリに行って、

チェブラーシカや動物のものを探したいと思います。

 

あと本の市場にいって、絵本を買ってきます。

これからロシア語を学びたい人にも親しみやすい

「三匹のくま」、「赤頭巾ちゃん」、「大きなかぶ」などの

絵本を手に入れることができればと目論んでいます。

 

・・・というより、自分がロシア語勉強に欲しいのですが(笑)

 

今回の仕入れは、なんとベトナム航空で

ホーチミン経由という荒業で行くことになったのですが、

なぜか直行便や北京、仁川経由よりも、断然に安い。

燃料も多く使うし、搭乗時間も長くなるのに、

なぜこんなにも安いのか?

国内でも、航空運賃が半分以下の格安があったりと、

なぜだろうと疑問が湧くのも無理もないところ。

 

私たちの知らない間に、

どんどん世界は小さくなっているのかもしれませぬ。

 

今回は、いつも以上にロシアの風景や工房の様子を

写真に撮ろうと思っています。

戻り次第、ブログにアップしていきますので、お楽しみに。

 

(店主YUZO)

9月 5, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月28日 (火)

クワスのその後

1  

さて、あれからクワスはどうなったのか。

結論を先に言うと、クマが新体操を練習しているような

目を瞠るような劇的な変化はなく、どす黒いまま。

真夏の神田川のようにどんよりとしている。

 

黒く澱んだ飲み物で美味しいのはコーヒーぐらいだが、

自分でつくった手前、進んで味見をしなければならぬ。

苦虫をつぶした顔で、意を決して一気に飲むと、

少し酸味が弱い気がするものの、

ロシアで飲んだときと、ほぼ同じ味。

初めてつくったにしては、上々の出来栄え。

 

少し古いが有森裕子の言葉を借りれば、

自分で自分を褒めてやりたい気にさえなる。

しかし何十年とアルコールで毒されてきた私の舌。

味の善悪についての判断は、かなり鈍っているはず。

 

そこで公平を期するため、何人か試飲してもらったが、

「私、この味、大好き!」

とアキバ風発言をしたのがひとりいただけで、

それ以外は明快なコメントを言わず

「ふうむ」と発しただけである。

 

日本人の発する「ふうむ」は恐い。

《今までに経験しなかった味覚。結構いけるじゃないの!》

という納得の「ふうむ」と

《今までに経験しなかった味覚。しかし日常的に飲み続けるには、少しきついものがあるね》

という疑問を呈する「ふうむ」のふたつのパターンが、

存在しているからだ。

 

誰もが私に気を遣ってか、顔色をひとつ変えることない、

山椒魚のような面持ちなので、どちらとも判断がつかねる。

山椒魚は岩場に幽閉されないかぎり、

顔色ひとつ変えないからね。

 

ただラテン的プラス思考の自分ゆえ、

アキバ風発言をしたのを有効票、

他の発言はすべて白票を投じたと判断し、本議案に対して

私のつくるクワスは美味しいという結論に達したのである。

 

2

そして月曜日より、水筒に入れて意気揚々と

会社に持参した次第。

しかも水筒には、野球の全日本ユニフォームを着せて。

何か文句あるかな?

(店主YUZO)

8月 28, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月25日 (土)

ロシアの夏はクワスにあり(2)

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さて人生初のクワスつくりに挑戦。

ブランド名は「ノルディっク」。

このパッケージを見ると、

自家製ビールのキットと間違われても仕方あるまい。

この佇まいがクワスなのである。

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さてパッケージを開けてみると、

水飴だかタールだかわからない黒くてネバネバしたものと、

葛根湯のような薄茶色の顆粒状のものが入っていて、

それ以外に何もない。箱を振っても何も出ず。

これが3個づつ入っていて、ひとつのパッケージで3Lできるらしい。

 

さて、つくり方。

箱の裏側に手順が載っているが、言語は英語、ロシア語、

エストニア語、ウクライナ語。

当然とはいえ日本語はないどころか、漢字さえ見当たらない。

もちろん現在、習っているロシア語レベルでは

知っている単語は5個程度。

英語に頼るしかないのだが、数字しかわからないトホホな状態。

若い頃に英語をちゃんと勉強しておけばなぁと、

ここでも後悔が後に立つ。

 

ただ初心者にも優しい簡単なイラストがあるので、

それを参考にして、というよりも唯一の頼れる情報として活用。

 

 

さてイラストからの手順。

というよりもクワスの神様からの手紙というべきイラストによる、

以下のとおり手順をふめた美味しいクワスが出来るそうだ。

 

①2.5~3Lの水を40℃に温める。

②クワスの元(黒水飴)をお湯に溶かす。

③よく混ざったところで、砂糖を20DL入れる。

※砂糖200gと書いていないのが不安なところ。

  ロシアでは砂糖や塩など分量はリットル表記なのか?

④もうひとつのクワスの元(葛根湯もどき)を入れる。

⑤鍋のふたを半分開けたままにし24時間待つ。

※醗酵させているので、密封しないように。

  密封する圧力で鍋のふたが吹っ飛びます!

⑥醗酵が落ち着いたところで壜に小分けして、さらに24時間。

 

この手順に従って完成したのが下記の写真。

上記パッケージの写真と見比べてください。

まだ24時間しか経過していないのを考慮しても、

かなり色が黒いと思うのだが。

 

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あと24時間あるのだよと言い聞かせて、自らを納得させる。

飲み頃には、黄金色に輝くクワスに変化するはず。

変化をするのがクワスのクワスたる所以。

それに原料の黒パンも黒いものほど味が濃いというしネ。

うん。うん。わかっている。わかっている。

劇的な変化を好むロシアの特長だしネ。

 

・・・・・解禁日は土曜日の夜。

(店主YUZO)

 

8月 25, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月24日 (金)

ロシアの夏はクワスにあり(1)

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8月も終わりに近づいているのに、まだ夏は去らぬ。

太陽は天空でどっかりと腰をおろして、

残暑がきついと音を上げている人間を嘲笑っているかのようである。

 

毎年、天気予報では何十年ぶりの猛暑だの、

観測史上初めての数値だの、夏には様々な形容句がついて、

その年の異例の暑さを表現するが、毎年続いてしまうと、

もう異常気象という言葉に耳が慣れてしまって、心に響かない。

時候の挨拶になってしまっている。

 

 

さて日本で夏の涼をとる飲み物の代表といえば麦茶。

ロシアではクワスである。

黒パンを醗酵させた飲み物で、色合いはコーラや黒ビールに

似ているものの、味はまったく異なる。

似たような味の飲み物が日本ではないので説明しにくいが

黒ビールの炭酸とアルコールが抜けた麦茶の親戚とでも言おうか。

 

それほど甘くもなく、少し酸味があるので、

夏の水分補給にぴったりの飲み物である。

夏のロシアでもっとも愛されている飲み物。それがクワスである。

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このクワス、夏になると街角に移動販売の車がやってきて、

冷たいものを気軽に飲むことができる。

だいたい一杯が100円程度。

チェリパシカ氏によると、

ボルシチ同様にクワスも様々な味があるという。

醗酵を徹底させて酸味をきかせたもの、甘く味付けされたもの、

横須賀の海のようにどす黒いもの、黄金色に輝くもの、

そらにモスクワと極東地域でも異なるらしい。

 

私はロシアに仕入れに行った際、昼はクワス、夜はビール

という麦三昧の暮らしをしていて、

このクワスもしくはビールが

美味しく感じてたくさんの量を飲めるかが、

体調のバロメータになっている。

 

ということで先日、

家庭でも簡単につくれるクワスセットを買ったのを思い出し、

ホームメイド・クワスに挑戦してみた。

なぜ急にクワスつくりを思い立ったか?

登山家が「そこに山があるからだと」と口にするのと同様、

「そこに夏があるからだ」もしくは

「クワスが私を呼んでいるからだ」と声を大にして言いたい。

 

というののも先日、とある有名ロシア料理に行った時、

クワスは置いていませんと涼しい顔で言われたからである。

だいたいクワスのないロシア料理屋なんて、

卵焼きがない寿司屋ぐらいのショックな出来事なのだ。

そこのところ、よろしくである。

(つづく)

8月 24, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月21日 (火)

オリンピック閉会式・雑考

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早いもので感動と熱気に包まれたロンドンオリンピックから

10日以上が過ぎてしまった。

前回の北京は、国の威信をかけた国家事業を強く印象づけたが、

今回は純粋なスポーツの祭典の風を感じたのは、私だけだろうか。

 

閉会式も大掛かりな仕掛けはなく、イギリスの音楽史50年と

銘打ったステージは、ミュージカル仕立てでありながら、

一筋縄ではいかないシュールで狂気を秘めた笑いを届けてくれ、

やはりモンティ・パイソンの国なんだなと呟いてしまった。

 

大砲の弾となって空高く飛ぶ男の寸劇、

奇妙な衣装をまとった人々が出てくるサイケデリックなバス、

高級車が大きな蛸になるや、その中心で嬉々として演奏するDJ。

実に奇妙、奇天烈、奇抜、滅裂なステージが繰り広げられて、

飽くことがない。

日本では、こんなナンセンスなステージ構成は無理だろう。

 

そして、ふと思ったのは、

60年代にビートルズが制作した映画『マジカル・ミステリー・ツアー』は、

この閉会式の着想やアイデアは同根にあるのではないかということ。

この映画は当時、酷評さけたらしいけれども、

ストーリーを追わずに、ビートルズの奇想天外な発想に主眼をおけば

この閉会式同様に、イギリス的な笑いを十分に楽しめるのでは。

 

ほかに閉会式での驚きを記すと、

まだまだマッドネスが現役のバンドだったという事実。

日本ではホンダのCMで一躍有名になり、悪く言えば一発屋と

いう扱いに近いバンドなんだけれども、本国イギリスでの人気は

別格のようで、出てくるなりの大歓声には唖然とした。

 

さらにキンクスのレイ・ディビスが

「Waterloo sunset」を歌ったのには感激。

ロンドンの街並みや風景、中産階級の生活をテーマに

シニカルに、皮肉たっぷりに歌いつつも、

誰よりもイギリスを愛しているミュージシャンである。

この選出にはイギリスIOCに金メダルを授けたいと思ったのは

私だけだろうか。

 

そして大トリは、大御所ザ・フー。

ザ・フーを知らない人に簡単に説明すると、

もっともエキサイティングなライヴをすると評されたバントで、

モンタレー、ウッドストックというロック史に燦然と残る

フェスティバルに参加して伝説を残し、

その間にロックオペラを制作したり、リーダーの

ピート・タウンゼントは小説を執筆したりと、

狂気と創造が混沌と同居したバンドである。

 

全盛期のアクションは観られなかったものの、

まだまだ死ぬまでロックし続けるぜという

生き様がダイレクトに伝わってくる。

 

そして放送終了間際、「My generation」を

始めたのが、はっきりと聴こえた。

激動のロンドンといわれた60年代半ばに、

「このまま年をとるぐらいならば、死にたいぜ」

と高らかに歌った名曲である。

この曲を発表した当時のメンバーの二人は、もう他界している。

そして残された、すでに60歳を越えた二人が

決して手を抜くことなく楽しみながら演奏している。

I hope I die before I get old

 

この歌詞を歌う時、

残った二人の頭の中に何が思い浮かんでいるのだろう。 

 

もちろん何事もひとつのことをやり続けることが肝心などと、

訳知り顔で人生を語るつもりはない。

(店主YUZO)

8月 21, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月19日 (日)

戦争を語り継ぐということ(3)

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今日は戦争を語り継ぐことについて、体験者の声に耳を傾ける

という「個」の視点ではなく、国家という「集団」の記憶として、

どう受け継げられているのかを考えてみたい。

と、大上段に構えたところで、所詮私の考察。

サルがリリアンを編むようなもの。

破れかぶれの結果になってしまうことをお許し願いたい。

 

藤原帰一『戦争を記憶する』(講談社現代新書)。

第二次世界大戦の記憶が、

勝戦国と敗戦国、侵略された側と侵略した側では、

同じ平和を希求する立場であっても解釈が異なることに着目し、

そのことが時によって歴史の修正だと相手を非難する一因に

なっているのではと論じている。

とくにアジア諸国では、

日本や諸外国に占領、または植民地化された苦難と、

その苦難から解放されて独立を勝ち取った歓喜が重なり、

先の戦争の解釈は、さらに複雑である。

 

そのことについてアメリカのスミソニアン博物館と

広島の原爆資料館を象徴的な例として取り上げている。

 

広島は絶対平和と核なき世界を切望をすることを主として、

原爆という度を越えた殺戮兵器を投下したアメリカを

断罪した展示はない。

それゆえ今回の広島市長の答辞でも、

福島の原発事故を憂い、被爆した住民や

汚染された土地にいて同情の念を述べたのだろう。

広島にとっては、多くの市民が巻き添えになる原爆や

何世代にも渡って苦しみを強いられる核は、

絶対悪で、いかなる大義もないのである。

 

一方、スミソニアン博物館は、ナチスのホロコーストの

残虐性や非人道性を膨大な資料で提示し、

その絶対悪に立ち向かったアメリカ市民の勇気を賞賛し、

あれは正義の戦争であったことを示している。

私はスミソニアン博物館を実際に観たことはないので、

それがすべてであると断定することは控えたい。

ただ以前読んだベトナム戦争やイラク侵攻に従事した

兵士の証言集では、

両者とも戦争について非難しているものの、

ベトナム戦争は共産主義から守るため、

イラク侵攻はテロリスト支援国家を殲滅させるためという

言葉が多く見られた。

大義があれば、正しい戦争はありうるという思考が、

根底に流れている気がする。

 

その違いを戦争に負けた側、勝った側の

ちがいと決めるのは簡単だが、

この戦争が次世代にどう影響を及ぼすのか、

百年千年といった単位の民族間の

絶対的な断絶や憤怒につながらないか、

絶対平和を世界が手中におさめることを望むならば、

そのような観点からも戦争を問うべきではないだろうか。

 

著者は「集団」による戦争解釈、記憶の構築が、

ともすれば強烈な「ナショナリズム」を生む原因となりうると、

指摘しているものの、理想とすべきものは示していない。

ただこの本を以下の文でしめている。

 

「沖縄南部につくられた慰霊碑である。名前ばかり記された石が並ぶこの慰霊碑には、ベトナム戦争の記念碑より一歩進んでいて、日本人、朝鮮・韓国人、アメリカ人、または軍人・市民を問わず、沖縄戦の死者の名前が、わかる限りすべて刻まれている。

死ぬ必要がなかった人々の、一人ひとりへの追悼が、ここにある。虚飾を取り払った後に、残された戦争の記憶が、ここにある」

 

(店主YUZO)

 

 

8月 19, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月17日 (金)

戦争を語り継ぐということ(2)

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戦争を語り継ぐことが年々難しくなっていることは、

反面長きに渡って日本が参戦せずに済んだ

嬉しい代償というべきかもしれない。

市民生活レベルでは、着実に日本国憲法が掲げる

平和理念が根付いている表れである。

 

20世紀最大の負の遺産、第二次世界大戦以降も、

世界のどこかで戦争、紛争、内戦、軍事介入が行われ、

地球上のあらゆる国と地域が、安らかに眠りにつける日は、

一日としてなかった。

アメリカにいたっては、自国の若者を一度たりとも、

我が家のベッドで心行くまで休ませてあけたいと

思ったことさえないのではなかろうか。

 

その平安な眠りを日本は67年もの間貪っていたと、

自虐的に語る人がいるが、

別に現実逃避をして安穏と過ごしていたわけではない。

時代の転換を迫られた時、その都度、

数ある選択肢のなかから、もっとも相応しいものを選んだり、

死守し続けたりした結果、この安らかな眠りを得ているのである。

 

敗戦で焦土化した国を目の当たりして、

もう二度とこの惨事を繰り返すまいと強く願う国民の英知が、

つねに働いていたからである。

 

アレン・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか』(講談社)

この本はベトナム帰還兵の著者が、

戦争の本質とは何か、戦場とはいかなる場所か、

ということを体験を通じて語られた講演録である。

そこには平和を切に願う、戦争のない世界への希求がある。

 

貧困ゆえ家族の生活を少しでも楽にさせようと入隊を志願し、

海兵で過酷な訓練を受け、ベトナム最前線へ送られる。

最初の殺人は言葉にできない嘔吐に襲われたが、

戦地での生活が長くなるにつれ、人を殺すことに何も感じなくなり、

殺人マシーンへと成り果てていく。

シンプルに語られる言葉は、

目の前に戦場が広がっているように生々しい。

 

その著者が人間としての感情を取り戻せたのは、

ある戦場の村で偶然にも出産を目撃したからだと語る。

その瞬間、生命誕生の神秘さ、命の尊さに打ち震え、

自分の戦地での行為が、非道で残忍なものだったか痛感する。

 

以後、戦場から早く逃れたいと考え、

前線から離れることを希望し、帰国の途に着く。

しかし除隊すればホームレス生活になり、

戦争による精神的後遺症に悩むことになる。

その後、著者はカウンセラーに恵まれ、精神障害を克服し、

家族や友人の助けもあって戦争体験の語り手として、

ひとりの平和を願う人間として、アメリカや日本各地を回って

戦争の愚かさを説いている。

 

この本は、私のような擦れ枯らしの年代よりも、

想像力が豊かな若い世代に読んでもらいたい。

戦争の本質や現実を深く考えた上で、

この国が歩むべき道を選んでもらいたいと願うからである。

(店主YUZO)

8月 17, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年8月15日 (水)

戦争を語り継ぐということ(1)

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終戦を迎えてから67年が過ぎた。

この時期、テレビや新聞では特集を組み、

あの戦争は何だったのだろうかと、

改めて問いかけて、平和の尊さを再認識させてくれる。

ただし、ここ10年言われて続けているのは、

戦争体験をされた世代の多くが、天へと旅立たれていくにつれ、

戦争の悲惨さをどう語り継ついでいくべきかという

問題に直面していることである。

 

政治が数の論理で反動的な方向へと舵取りがなされると、

戦争体験者は再び同じ道を歩むのではないかと危惧し、

戦争を知らない世代は、国際貢献として、

もしくは集団的自衛権の名の下に

正式に軍隊を保持して良いのではないかと、漠然と思う。

 

そういう私も戦争を知らない世代。

戦争はいかなる理由があろうとも断固拒否という立場なのだが、

もし戦争について討論があった場合、

曖昧な理由と論法でしか反戦を語れない。

もっとも正しい戦争という名の下(湾岸戦争、NATO軍空爆など)

での武力行使を認める人も、国際協調のためという、

世界における日本の立場からの意見であって、

戦争の本質を説いての意見ではない。

 

戦争を知らない世代同士が、

戦争に対して貧弱なイメージしか持ち合わせないままに、

非武装中立、正戦、反戦、平和国家、国際社会、自立国家

といった言葉で巧みにお互いの意見を主張したところで、

所詮、机上の空論を越えていないのではなかろうか。

 

もう一度、戦争とはいかなるものなのだろうかと、真摯に向き合い、

様々な視点から見つめ直して、様々な考察を組み立てた上で、

本質から迫ったほうがよいのではないか。

いざ戦争が始まれば、悠長に平和について論じる機会は

失われてしまうのである。

 

下嶋哲朗『平和は「退屈」ですか?』(岩波書店)。

この本は沖縄の元ひめゆり学徒が、

高校生と大学生に戦争の無慈悲さを伝え、

さらに戦争体験のない世代が同世代に対して、

いかに戦争体験を語るのかという難題にチャレンジした記録である。

 

この本が示すかぎり、

戦争を知らない世代が戦争について語ることは、

決して不可能なことではない。

戦争の記憶がないことで、逆に想像が羽ばたきはじめる。

人には想像という、誰も殺すことのない武器があるのだ。

(店主YUZO)

8月 15, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年6月17日 (日)

バーバーヤガは心優しきお婆さん?

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今日はロシア民話の話。

先日、『世界の民話』(全12巻・ぎょうせい刊)を手に入れた。

持ち金がなかったので、ロシア民話が収録されている

東欧Ⅱのみを泣く泣く購入。

 

個人的な思いとしては、マトリョーシカ界でもお馴染みの

バーバーヤガが、どんな役割で登場するのか

が気になるところである。

 

最初に収められているのは比較的に有名な「かえるのお妃」。

三人の王子がお妃をむかえいれる年頃になり、

王が放った矢を手にした者をお妃にしないという言い付けの許、

三人はそれぞれ相手を見つけるのだが、

不運か幸運か、末っ子はかえるが矢を手にしていたため、

かえると結婚することになってしまう。

 

周囲から嘲笑を買うなか、かえるは美しい布を織ったり、

美味しいパンを焼いたりして、王家の人たちを驚かせる。

というのも、このかえるは龍の呪いのために、

かえるに姿を変えられた美しい娘。

その美しい娘に再び逢うために王子は、

「三十番めのよその国、骨足のババ・ヤーガのところ」

へ旅に出るのである。

 

さてその骨足のババ・ヤーガと王子が出合ったときの会話。

 

「ときどき来て、頭のしらみを取ってくれる子だね」

「えっ?どこにいる?教えて」

「弟のところで働いているよ。日やとい女だね」

そして王子が熱心に弟の居場所をきくと、

「(中略)だが、気をつけな、ひどいめにあうよ!そのお妃とやらを見つけたら、一目散につれて逃げるんだよ。わき見をするんじゃないよ」

王子はババ・ヤーガに礼を言って立ち去った。

 

この民話ではバーバーヤガは親切なお婆さんの役。

身内の許で下働きしている

お妃を救うための助言をしているのである。

 

実はこの「かえるお妃」は

ソビエト時代にアニメ化している話なので、一度ご覧あれ。

妖異な風貌のバーバーヤガは黒魔術の祈祷師のようでもあり、

森の中で出会ったら、まず逃げ出すだろいう異様さ。

親切な心持ちとのギャップを映像で楽しむことができる。

他人を風貌だけで判断してはいけないという良い見本。

性格というのは、一筋縄ではない。

 

ちなみにお妃をかえるに変えてしまった龍は、

三つの頭を持っていて、火を吐いたりと

ゴジラ映画の敵役キングギドラに瓜二つである。

古今東西問わず、

民話に描かれる怪物の創造性には驚かされる。

 

この民話集には、ほかにも上半身が人間、下半身が熊

という「イワン・くまっ子」。

長靴をはいた猫と似た「雄ねことばか息子」。

欲深い人間には天罰がくだるという「魔法のぼだい樹」。

奇想天外な話が収められていて、

つまらない小説を読むより数段面白い。

 

上記の挿絵は「イワン・くまっ子」。

横にいるのはくまっ子に騙される小悪魔ちゃん。

とてもキュート!

(店主YUZO)

6月 17, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月30日 (水)

ロシアチョコレートの老舗「マツヤ」訪問記

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先週、新潟出張があったのでロシアチョコレートの老舗、

マツヤに寄ってきました。

1930年より、初代がロシアチョコレートをロシアの職人より

製法を伝授されたのが始まりというから、

ロシアについては「木の香」より断然付き合いが長い。

 

店の看板も、キリル文字でばっちりと決まっていて、

風格さえ感じます。

 

「木の香」もキリル文字にして「Кинока」にしようかなと、

ふと頭をよぎったりして。

хорошо!!

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店に入って職業柄か、まず目に飛び込んでくるのは、

マトリョーシカとチエブラーシカの並んだ棚。

セミョーノフ系のマトリョーシカが中心だけれども、

あの猫の数え遊びマトリョーシカがあるではないですか!!

 

それに棚の端には、あのマトリョーシカ界を震撼させた

世紀の名著『マトリョーシカ』があり、思わずニンマリ(笑)

 

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もちろん看板のロシアチョコレートも、12種類の味でお出迎え。

包み紙も色とりどりで目移りしてしまうほど。

 

何を買って帰ろうかと迷ってしまいますね~、

ロシアは近くになりにけりと、独り言などを呟いていると、

ショーケースの一番下にはクッキーのマトリョーシカが、

私たちもいるから見過ごさないでねと

小さな手で招いている。

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このクッキー、マトリョーシカ型に象っていながら、

描かれたマトリョーシカの絵が左右にずれていて

手作りでしか表せない可愛らしさ。

 

本場ロシア人でも考えつかないアイデアだと、またもやニンマリ。

 

実はマトリョーシカたちよりも、さらに可愛いのはマツヤのお母さん。

「記念に一緒に写真を撮りましょう」と私がいうと、頬を赤らめて、

「写真は苦手だから、マトリョーシカだけにして~」

とショーケースの下にしゃがみこんでしまう。

 

このお母さんの純朴さに会えただけで大満足。

「山田君、もう座布団なんか欲しくないから歌丸さんにあげて」

と悟りの境地でのたまってしまうようなひとりごち。

 

ロシア好きの皆様。

ぜひ新潟にお寄りの際はマツヤまで足を延ばしてみてください。

チョコレートの味は本場ロシアを思わずにはいられないです。

お土産にもお勧めです。

 

マツヤの地図と営業時間は下記になります。

(新潟駅から歩けますよ)

http://www.choco-matsuya.com/

 

(店主YUZO) 

5月 30, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月 9日 (水)

苦いブラックで一服を

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最近堅い話が多かったので、今回は気分転換でジョーク集を。

早坂隆著『世界の紛争地ジョーク集』(中公新書クラレ)。

物騒な題名がついたこの本は、為政者を皮肉ったもの、

対立した民族を小馬鹿にしたもの、自虐の笑い、

赤、黒、茶、黄、白と様々な色の小咄が入っている。

 

住む国、地域が異なれば

必然的に笑いの質も異なるのは当然としても、

そこには積年の恨みがあったり、

大国の論理で翻弄される怒りがあったりと、

極東の島国では、

その笑いの深さが理解し得ないものもある。

 

ただ笑いを伴ってこそ活きるジョークである。

ではこの本で紹介されている少々苦味のあるブラックはいかが?

 

●イラク

ある時、サダム・フセイン大統領が何者かによって誘拐された。数日後、犯人グループから大統領宮殿に電話がかかった。

「いますぐに百万ドル用意しろ。さもなければ大統領を生かして帰すぞ」

 

●パレスチナ

ある時、ユダヤ人で満員のバスが崖から落ちて、乗客全員が死亡した。それを二人のパレスチナ人が見ていたが、そのうちの一人がやがて大粒の涙を流し始めた。その様子を見てもう一人が聞いた。

「どうして泣いているんだい?乗客はユダヤ人だ。別にいいじゃないか」

涙を拭いながら彼は言った。

「でも、俺は見たんだ」

「何を?」

「席にひとつ空きがあった」

 

●アフガニスタン

ブッシュ大統領とビン・ラディンが電話で話していた。ラディンが言った。

「今日はあなたに二つのニュースがあります。一つは良いニュースでもう一つは悪いニュースです。どっちから聞きますか?」

「じゃあ良いニュースから」

「アメリカ人捕虜を全員返すことに決めました」

「本当ですか?それはありがたい。で、悪いニュースは?」

「はい、ニューヨークに飛行機ごと返します」

 

●旧ソ連

ニューヨーク発モスクワ行きの旅客機がいよいよ着陸態勢に入った。機内アナウンスが流れる。

「まもなく投機はモスクワ国際空港に到着いたします。なお、アメリカとの時差は二十年と一時間でございます」

 

●ハンガリー

ハンガリー人「今度、我国に海軍省ができるんだ」

ロシア人「何だって?でもハンガリーには海がないじゃないか」

ハンガリー人「でも君の国に文化省があるんだぜ」

 

●アルバニア

アルバニア初の国産飛行機がついに完成した。国民は大いに喜んだが、初フライトで墜落してしまった。翌朝の新聞はこの事件をこう報道した。

「アルバニア一号機、あえなく墜落。死者は百人を超える模様。原因は石炭の不燃・・・・・」

 

●フィリピン

ある日、エストラーダ大統領が、なぜだか随分に嬉しそうにしていた。それを見た側近が言った。

「何やら嬉しそうですね、大統領。何かいいことがありましたか?」

「実はね、脳に腫瘍があることがわかったんだ」

「それでなぜ喜んでいるのですか?」

「私にも脳があることを証明できたからね」

 

このブラックは少々ほろ苦いと書いたけれども、

胃の側壁がじっとりと汗をかくような強い酸味。

平和に浸った内臓では消化するのに難儀する笑い。

世界は実にタフにできている。

(店主YUZO)

 

5月 9, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月 4日 (金)

皇帝ニコライはマトリョーシカを知っていたのか?

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マトリョーシカがつくられ始めた時代は、帝政ロシア末期、

ロマノフ王朝滅亡の時期と重なる。

つまりマトリョーシカは元禄時代のように天下泰平を享受した

なかで生まれた工芸品ではない。

 

1890年前後に最初のマトリョーシカが誕生。

1900年にパリ万博に出展されて銅賞を受賞。

1904年日露戦争。

革命前夜の内乱に揺れる年月。

1913年第一次世界大戦。

1917年ロシア革命。

 

激流の大河のごとく時代が変貌をとげるなか、

全ロシアでつくられていたわけでもないのに、

マトリョーシカの制作が絶えることなく続いていたのは、

とても不思議な気がする。

 

このロバート・K・マーシー著「ニコライとアレキサンドラ」は

ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と皇后の悲劇を、

皇太子アレクセイが血友病だったことに着眼し、

史実を追って丹念に書き上げたもの。

 

パリ万博についての記述があればと読み進めたものの、

残念ながら載ってはいなかった。

著者にとってパリ万博は物語から外れる出来事だろうし、

マトリョーシカの存在すら知らなかったのかもしれない。

 

しかしこの皇帝ニコライは日本とは只ならぬ関係がある。

1891年、開国して間もない日本で、

ロシア皇太子の警備にあたっていた巡査が、

事もあろうか皇太子をサーベルで切りつける事件があった。

 

大津事件。

日本国民が、もし死去してしまったら両国の関係は、

どうなるのだろうと背筋が凍りついた事件である。

その皇太子こそが、皇帝ニコライなのである。

 

この本には書かれていないが、事件直後の日記で

皇太子ニコライは、日本についてこう綴っている。

「日本のものはすべて、4月29日以前と同じように私の気に入っており、日本人の一人である狂信者がいやな事件を起こしたからって、善良な日本人に対して少しも腹をたてていない。かつてと同じように日本人のあらゆるすばらしい品物、清潔好き、秩序の正しさは、私の気に入っている」

 

慈愛に満ちた心と穏やかな品性ある人柄。

その人柄ゆえ、またロシアを愛するがゆえの悲劇を、

この本はドラマチックに、大河ドラマ風につづっている。

俗っぽい表現をすると

「ロシア版ベルサイユのばら」かのようである。

 

私的な欲を言うならば、

パリ万博について皇帝はどういう思いだったのかを

半ページでもいいから割いて欲しかった。

芸術と平和の祭典である万博に対して、

この心優しき皇帝は、きっと満面の笑みで、

マトリョーシカの受賞を喜んだと察するからである。

 

やがて皇帝の運命を決定づける

動乱と革命の前の小春日和な出来事として。

 

ちなみに皇帝ニコライは51冊、1万ページにおよぶ

日記を残したそうである。

(店主YUZO)

5月 4, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月 2日 (水)

宣教師ニコライとマトリョーシカ

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マトリョーシカの原型とされる箱根の入れ子人形が

ロシアに渡ったとされる1880年頃。

 

どうしても避けて通れない重要人物がいる。

セルギエフ・パッサードの発展に足跡を残した

鉄道王モーマントフではない。

日本にロシア正教を布教するため、

1861年に函館にやってきた宣教師ニコライ、

東京御茶ノ水にある聖ニコライ堂を建立した

のちの大主教ニコライ、その人である。

 

なぜ宗教とマトリョーシカが関係あるのかと疑問に

思われる方がいるかもしれないが、

ロシアに伝来した説として箱根に遊びに来ていた宣教師が

持ち帰ったというのが有力で、実際に箱根の塔ノ沢に

正教会の別荘があったこともわかっている。

(もうひとつ、モーマントフ婦人が持ち帰ったという説あり)

 

誰かかが中からいくつも出てくる人形に眼を奪われて、

土産品として買ったのは、事実であろう。

果たして、その人物は誰なのか。

 

それどころか

塔ノ沢の別荘がいつ頃に建てられたのかによっては、

箱根の入れ子人形ルーツ説に、大きな疑問を

突きつけてしまう可能性さえある。

その手がかりがあるのではと、

中村健ノ介著『宣教師ニコライと明治日本』を読んでみた。

 

残念ながら塔ノ沢の別荘についての記述は、

「帰郷しない生徒たちは先生方がついて、房総のいまでいう民宿や、箱根塔ノ沢の正教会の別荘で過ごしたりしている」のみ。

当然のことながら宣教師ニコライの布教に捧げた半生に

スポットが当てられている。

 

この本の面白さは幕末、明治維新という日本の激動期に

布教のために来日したニコライ師が、

日本の変容、日本人をどう見ていたのか、

当時の新島襄、福沢諭吉といった知識人の

宗教観にどう感じていたのか伺い知ることである。

またニコライ師の目線を高く見据えず、

つねに庶民と同じ立ち位置でいる人間的な魅力も、

この本の重要なテーマである。

 

ニコライ師は50年もの長い間、日本に滞在して、

ロシア正教の布教に身を捧げた。

日露戦争時にさえ、信者に危害が及ぶかもしれないと、

自分の身を案ずることなく、たった独り日本に残った。

 

マトリョーシカと箱根の入れ子人形とを結びつけたのが、

一人の情熱的な宗教家の活動が絡んでいたと思うと、

心の奥に明かりが灯ったような気分にさせてくれる。

(店主YUZO)

5月 2, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月23日 (月)

マトリョーナは花子ではなかった?

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愛しのマトリョーシカは何処に行ってしまったのか。

ネクラーソフの詩に彼女の面影を一瞬見ただけで、

その後は、また闇の彼方に。

彼女に巡り逢うことは、もはや奇跡。

一糸の望みもなく、延々と続く砂浜で愛の鍵を

見つけ出すようなもの。

この宝箱が開くことは決してないのか。

 

その絶望の淵に佇んだ矢先、さらなる衝撃の発言を

見つけてしまったのである。

 

それから「マトリョーナ」って、よく、ロシア人の一般的な名前だと言うんだけど、僕は、あんまりそうは思わない。むしろちょっと珍しい名前なんです。

 

マトリョーシカの語源といわれ、もはや定説になりつつあった

マトリョーナ=マトリョーシカ説を根本から覆す発言。

19世紀の農村にマトリョーナという

可憐な少女はいなかったというのである。

この発言者、坂内徳明氏は、一橋大学の副学長で、

ロシア民俗学の権威。

マトリョーシカの語源については、綴りの”MAT”に注目し、

ロシア語で母親を意味する”MAMA”

が由来しているのではと推論としている。

英語の”MOTHER”も

同様の語源からの成り立ちだという。

 

次々と中から出てくるマトリョーシカの構造は、

子宝の象徴といわれているのは現在でも指摘されているとおり、

突飛な着想ではない。

論理的には滑らかで自然な推論である。

 

ただ権威ある専門家にいわれて、

すぐその説に鞍替えするという安易な転向は取りたくないが、

今自分にできることといえば、翻訳されたロシア文学や詩篇から

マトリョーナの名をできるだけ多く見つけ出すこと、

他の有力な説を導き出すことしかない。

 

マトリョーシカが誕生して、まだ130年程度なのに、

名前の由来も、現在までの成長過程も、

尽く曖昧で閉じられたままなのである。

やれやれ。

 

このマトリョーシカ界注目の坂内教授の発言は、

下記のHPに対談として載っています。

ただインタビュアーが、もう少しマトリョーシカやロシア文化について

知識があればと悔やまれるが。

チェブラーシカのマトリョーシカからワニが出てきて驚いた

なんて無邪気に言われてしまうと、どうもねぇ。

http://www.famipro.com/ryosika/matory_m00_cntn.html

PS画像は本文と関係ありません。猫のヘンリー君です。

(店主YUZO)

4月 23, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月18日 (水)

マトリョーシカの聖地で

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マトリョーシカの変遷について外すことのできない町

セルギエフ・ポッサード。

マトリョーシカ愛好家からすれば誕生の地というより、

聖地と呼んでも違和感のない町である。

 

昨年『セルギエフ・パッサードのおもちゃ工房』

という注目の本が出版された。

セルギエフ・パッサードの風土記みたいなのもので、

町の歴史、教会とイコン、おもちゃ工房と

全部で3冊に渡って編纂されている。

もちろん、おもちゃ制作をメインにした本に

自然と興味がいくのはこの仕事を始めてからの習性、

もしくは本能になっている。

 

残念ながら、全編ロシア語で書かれているため、

写真を眺めることしかできず、少々もどかしいのだが、

マトリョーシカだけでなく、ウッドバーニングの小箱、

素朴な土人形、木彫の熊、ペーパークラフトなど

幅広く紹介されていて十分に楽しめる。

 

当然のことながらマトリョーシカも気になるところ。

例のごとくソビエト崩壊後の作品や作家の紹介が続くなかに、

ひとりのバブーシュカの写真に眼が止まった。

エカテリーナ・シャトワ。

自慢の作品を抱えたスナップと

その下段には1978年につくられた逸品。

 

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ソビエト時代にも、しっかりと作家がいたではないか、

これで難事件も早々に解決だよワトソン君と、

祝杯をあげてしまいそうなるが、

私のメガネザルのような拙いロシア語読解力と

他の写真から推測すると、エカテリーナさんは、

工場を代表する絵描きだったようで、デザインや技術、

後進の指導に貢献したらしい。

 

ただソビエト崩壊後もマトリョーシカ制作続けていて、

2000年に75年の生涯を閉じたと言う。

マトリョーシカ一筋に生きた人だった。

 

日本という外からの眼で見ると、ソビエトの体制では

個人の顔はかき消され、均一されたものが生産されていると

思いがちだが、この本を見る限り、

制作には自由な発想や新しいアイデアが、

注がれていたように思う。

 

聖地でもあることを差し引いても、

マトリョーシカ制作には、おもちゃという概念を越えて、

どこか芸術の香りが漂っているのは、

このような芸術肌の職人の熱意があったからかもしれない。

  

(店主YUZO)

4月 18, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月16日 (月)

マトリョーシカはいかにして鍛えられたか

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今日もアンティーク・マトリョーシカの話。

先日刊行された洋書には1950~70年代の作家作品が、

幾点か紹介されていて、作家不在という観点は見直すべきと

書いたが、実はその伏線となる本がある。

 

1973年にK.ナザロワとT.オラディンスカヤが著した

「Rусский субенир」という小冊子。

その本に紹介されているマトリョーシカは、

計画生産でつくられた味気のないお土産品ではなく、

色合いも鮮やかで個性的な作品の写真が

一葉載っているのだ。

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それが上記の写真。

モデルのポーズが艶めかしく斬新過ぎて、

脳内で金ラメがきらきらと舞っているようで眩しいが、

ここに写っているマトリョーシカは、

現在つくられているのと見間違えるほどの

今日的な作風ばかりである。

 

とくに足元に鎮座しているマトリョーシカのプラトークは

ペイズリー柄。1960年代後半に流行した柄を

数年遅れとはいえ、果敢に取り入れていることに注目。

明らかに伝統的なものではないファッションの流行を取り入れ、

今までにない色遣いに挑戦して、

従来の伝統の枠に囚われない作家の意思を感じるではないか。

 

ただこの写真には作家名も地名も載っていないのだよ。

ワトソン君。

 

ほかにある写真といえば残念ながら、

御馴染みのおもちゃ博物館に展示されている

黒い鶏を抱いたマトリョーシカと日本の入れ子人形。

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ひとつ興味深いのは

沼田元氣さんが『暮らしの手帖2009年早春号』で

マトリョーシカ制作が暮らしの一部になっている村と紹介した

マイダンの作品も載っていたこと。

現在つくられているマイダン産よりも

花柄はていねいに描かれているものの、

大胆な色遣いは今に通じるものがある。

(左からひとつ目とふたつ目がマイダン産)

 

この本ではロシア工芸「パレフ塗り」には

すべての作品に作者名が記載されているのから推測しても、

マトリョーシカにも作家が存在して、

外国から政府の要人が訪問したときに、要請を受けて、

手土産として制作していたのかもしれない。

 

その鍵を握るのは、やはりマトリョーシカ誕生の地

セルギエフ・ポッサードと睨んでいるのだが、いかがだろう。

(店主YUZO)

4月 16, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月13日 (金)

マトリョーシカ界に大激震

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今日は、先回紹介したマトリョーシカ本の話の続き。

 

この度刊行された本には、注視すべき点がふたつある。

今までマトリョーシカ・コレクターのバイブルといえば

『Art of Matryoshka』と『Russian Souvenir Matryoshka』の2冊。

その両方にかけていたのが、1950~70年代に制作された

マトリョーシカの写真。

その貴重な作品が、この本には何点か載っている。

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制作された町の名前はザゴルスクと、セルギエフ・ポッサードの

旧名(ソビエト崩壊後、元のセルギエフ・ポッサードに戻った)で

載せているという心憎い演出までして。

マトリョーシカをこよなく愛する身としては、

この失われた時代の作品が見られるというのは、

卵を割ったら黄身がふたつあった時よりも、

当然のことながら、格段に嬉しい。

 

しかもこの作品には、さらなる驚愕の事実がある。

何と作者の名前が判明しているというのだ。

 

ソビエト時代は、すべて計画生産で進んでいるから、

Made in USSSRという印が押してあるだけで、

作者のサインが入ることは到底考えられない。

アンティーク・コレクターの第一人者の

道上氏のコレクションを見たときも、すべて印のみだったし、

作家という概念は存在しないと結論づけていた。

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その定説が覆される、

再考すべき衝撃の事実が判明したのである。

「これはどえらいことになった。

もう一度、イチからやり直しだよ。ワトソン君」

とホームズさえも頭を抱えてしまうぐらいの大問題、

もしくは物的証拠の発見。

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写真を見ても分かるとおり、

お土産用につくられたデザインではない。

明らかに作家の製作意図を感じる作品である。

しかし個人売買が禁じられた国で、

何のためにつくったのだろうか。

個人で楽しむため?

謎は深まるばかりである。

(店主YUZO)

4月 13, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月11日 (水)

ロシア版『マトリョーシカ』本が出版されました

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以前から噂になっていた新しいマトリョーシカの本が、

ようやく出版されました。

ロシア人の仕事だけに、噂だけで終わってしまうのではという

危惧もありましたが、何とか出版に漕ぎ着けたようです。

ハラショー!

 

今回、チェリパシカ氏がロシアに買い付けに行った際、

あらゆる手段を使ってどうにか手に入れてくれました。

というのもこの本、早くも絶版に近い状態で、

コブロフさんも30冊ほど頼んだものの入らず、

仲買人のイワン君も全然手に入らないと嘆いていたほど。

 

値段もかなり高価ということなので、

このまま絶版になるのではという心配さえあります。

とりあえず出版社の情報を明記します。

 

著者 Gorozbanina Svetlana

題名 Russian matryoshka album

出版社 Interbook Business  Publishers

     216P・オールカラー(A4版)

HP www.interbook-art.ru

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マトリョーシカ・アルバムというだけあって、

1ページにひとつの作品を掲載するという贅沢なレイアウト。

「木の香」で紹介した

リャボフさん、アーニャさんの作品も載っています。

 

次回、ロシア仕入れのときには

何冊か買い付けようと考えていますが、

このような状態だと入荷しない可能性もあります。

 

海外とのトレードが慣れている方は、

いろいろと探してみたほうがいいかもしれません。

古本的見地からいえば稀少本になる素地あり(笑)

(店主YUZO)

4月 11, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月 9日 (月)

20年前のロシアに留学

 

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古本屋をめぐりをしては、ロシアに関するを見つけては

買い求めるようにしている。

文化、芸術だけでなく、歴史、文学、

あまり好みではないが政治にについても、

仏頂面のエリツィンや沈鬱な表情のゴルバチョフに

苦笑いしながら手を出している。

 

すでにソビエト崩壊から20年。

日本人のロシアへの関心と興味は、

例のごとく薄れてしまったようで、古本業界では、

特価本や店頭ワゴン置きの状態。

安く買うことができるので嬉しい反面、

背表紙が日焼けした古本たちが哀れにさえ思う。

 

その特価本のなかに見つけたのが

森千種著『零下20度でアイスクリーム』。

著者はフジテレビのアナウンサーで、

社内制度を利用してモスクワ大学に留学。

留学中に91年のクーデターで揺らぐモスクワを

間近にしたという貴重な経験している。

 

しかし興味を持ったのはクーデターの生の声でなく、

慢性的な物不足と驚異的な物価の高騰に、

サービスという概念がまったくない紋切り型の行政機関。

自国の通貨よりもドルが幅を利かすという情況は、

自分が行くようになった2000年以降のロシアと、

月の表と裏ぐらい違うということ。

 

ロシアが短期間で経済や体制を変革してきたことを、

否応なく知らされる。

 

西側のファーストフードの典型、ピザハットが開店した頃の

市民への対応が興味深い。

ドルかルーブルの支払いの違いで、

席やサービスが露骨なほど異なり、

貨幣価値の高いドルが店の応対が良く、

オーダーも取りに来て待たせることがない。

もちろん同じ商品であっても、ルーブルで買うより断然高い。

 

ドルを持たない市民は羨望の眼差しで

ドルで買う人を見つめながら、ルーブルの長い列に並ぶ。

 

こういったエピソードを

著者はジャーナリストの目線で市民生活を描かず、

ひとりの留学生としてロシアを見つめているだけに、

身近な出来事に感じて飽くことがない。

 

この厳しい情況と知りつつ、

果敢にもロシアに留学した著者の好奇心に

ただ、ただ敬服。

ロシアでの留学生活を肌で感じることができる好書だと思う。

ただし20年前だけれども。

 

(店主YUZO)

 

4月 9, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月 6日 (金)

酒樽を抱えてペトゥシキまで

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酔っ払いはときどき、

とんでもない人生の真理を口にすることがある。

ただ残念なことにその神がかった言葉も、

酔いが醒めてしまうと、まったく覚えていない。

霧のかかった荒野にぽつりと糸杉が生えているかのようである。

 

あの珠玉の言葉さえ思い出せば、

人生を一度たりとも悔いることなく、

大海の鯨のように朗らかに生きることができるのにと、

地団駄を踏んでみても、この霧が晴れることはない。

永遠に霞がかかったままである。

 

そして酔ったときだけの哲学者は、

二日酔いでがんがんと脈打つ頭を叩きながら、

必ずと言っていいほど、こう呟くのである。

「もう酒なんか、止めた」と。

 

この世に泥酔文学というジャンルがあるとすれば、

ヴェネディクト・エロフェーエフの小説、

「酔いどれ列車 モスクワ発ペトゥシキ行」は

第一線級の文学である。

この本と肩を並べることができる泥酔文学を挙げるならば、

チャールズ・ブコウスキーの「詩人と女たち」ぐらいだろうか。

 

粗筋を簡単に説明すると、

モスクワからペトゥシキ行きの列車に乗ったヴェーニチカは、

ひたすら酒を飲み続け、周囲に罵事雑言を浴びせて

管を巻いたかと思うと、大統領になった妄想を抱いたり、

ロシア人の未来を憂いたり、天使の幻覚を見たりと、

酔っ払いならではの現実と夢想の間を自由に行き来する。

だがヴェーニチカの桃源郷、約束の地と考えている

ペトゥシキに到着することはない。

やがて酒も尽きると、悲劇を迎えることになる・・・。

 

聖なる酔っ払いの戯言だけに、

この小説には人生の苦味を含んだ言葉が

たくさん散りばめられている。

 

「純朴は常に神聖にあらず。また喜劇は常に神曲であらず」

「ピストル自殺と同じやり方で、酒を飲んだのさ」

「ロシアの誠実な人間ならば皆そうだ。なぜ飲むのか?絶望のあまり飲んだのさ。誠実だから、人民の運命の重荷を軽減してやれるだけの力がないことを自分で身に沁みて知っているからだ!」

 

この小説はソビエト時代に、地下出版されて

ベストセラーになったという伝説があり、

この泥酔文学の名作としての相応しい勲章を持っている。

 

残念ながら日本では絶版になっていて、

なかなか手に入れることができないが、

もし手にすることがあったら、

ウォッカを片手に、ヴェーニチカの酔談をじっくりと聞くのも

酒飲みの友としていいのでは。

(店主YUZO)

4月 6, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月 4日 (水)

花粉症VSノーガード戦法

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桜の便りは未だに聞かないが、花粉症は真っ盛り。

洟水と涙目に苛まれ、

毎日をぼんやりと過ごしている人も多いと思う。

もちろん私もその一人であるが。

 

昨年私は、一生付き合わなければならない相手ならば、

無理に薬などを処方せずに、無二の親友として共にする

通称ノーガード戦法というのを思いつき、試みた。

薬を服用するから花粉も、

そちらがその気で対処してくるのならば、

こちらも本気で戦いを挑まなければならないと、

猛威を奮ってくるのではないかと考えたからである。

 

国際関係と一緒。

こちらが防衛と称して兵力を増強すれば、

相手も軍事に力を入れてくる。

それならば花粉が多く舞おうと気にも留めずに、

涙は流れるまま、くしゃみも出るままに過ごしたほうが、

相手も馬鹿らしくなって私にまとわりつくのを止めるにちがいない。

 

この壮大な実験ともいえるノーガード戦法の結果はというと、

残念ながら、ほとんど例年どおり。

朝のうちはくしゃみ連発、海亀の眼の状態なのだが、

昼頃には症状が少し緩和。夜には自覚すらなしであった。

ただ前日に深酒をすると、次の日は過度に反応する羽目に。

それを知っただけでも収穫。

自分の身体というのが少しわかった気がした。

 

ということで今年は、

たまに薬を服用するプチ・ノーガード戦法を実践中。

 

さて冒頭の写真は、

ソウルの女王アレサ・フランクリンの名盤「レディ・ソウル」。

アレサは、未だ来日していない大物シンガーの一人である。

 

この人の力強い歌声を聴くと、花粉症の悩み自体

とても小さな事柄にさえ思えてしまうから不思議だ。

この世の中には考えなくてはいけないことで溢れているし、

人生は喜びに満ちていなければいけないと、

神々しい声で説教されているかのようである。

 

絶対にアレサは花粉症ではない。

断言できる。

(店主YUZO)

4月 4, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月 2日 (月)

プロ野球を愛するすべての人に

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いよいよプロ野球開幕。

以前はこの日が来るのを心待ちにしていたが、

今はそれほどの熱い気持ちはない。

年々減少する観客動員数に歯止めをかけるために、

セパ交流戦やクライマックスシリーズができたりと、

優勝までの条件が複雑になったせいかもしれない。

 

また球場まで足を運んで見たいと思う選手が、

どんどんアメリカに渡ってしまうのも一因にある。

とにかく勝負事は勝ち負けが明白で単純でなければ面白くない。

そして個性的な選手がいないと、見世物として魅力がない。

 

さて何故プロ野球の話をしたかというと、

ナターシャ・スタルヒン「ロシアから来たエース」を読んだからである。

スタルヒンといえば、プロ野球創成期に大活躍した伝説の投手。

名前からしてロシア系の人物ではと推測できるが、

どのような素性なのか本当のところは知られていない。

前も後ろも闇なのである。

 

この本によると、ロシア革命時、裕福な家庭だったスタルヒン家は、

迫り来るプロレタリア革命の荒波を恐れて、

財産を捨てて着の身着のままに日本に亡命する。

亡命先は北海道旭川。

その地で野球を覚えると、旭川にスタルヒンありと騒がれ、

その噂は東京にまで届く。

折しも球団を創設したばかりの巨人軍の球団社長の耳にまで

その噂が入り獲得に乗り出す。

入団までは紆余曲折あったものの、

巨人に入団してからは、まさにエース級の活躍で、

日本を代表する投手に成長、プロ野球初の300勝を達成する。

 

と書き進めると、日本人好みの立身出世物語に思われるが、

そんな人生が単純に栄光に向かって進むわけがない。

 

実の娘である著者は、日本国籍を希望しても

取得できない障壁に悩む姿と、

つねに“外人”として扱われる日本独特の

差別や疎外を描き出している。

とくに戦時中は肋膜炎に臥して生活は困窮極め、

しかも特高警察の監視下におかれた厳しい状況を綴っている。

 

結局、スタルヒンは日本国籍を取得することはなかった。

そして交通事故を起こし、40歳という若さで生涯を閉じる。

プロ野球を引退してから2年後である。

 

著者は巻頭で

「父にとって野球生活以外はなかったも同然だった。野球の生命が終わったと同時に、自分の生命も姿もこの世から完全に消えてしまったのである」

と綴っているが、果たしてそうなのだろうか。

 

その根にあるのは孤独や愛憎といった様々な感情が、

絡み合った挙句の無念の死という気がしてならない。

 

輝かしい記録を打ち立てながらも、あまり語られることのない大投手。

華々しいプロ野球の舞台に射し込む光と闇。

その闇の声に耳を傾けてはいかがだろうか。

(店主YUZO)

4月 2, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年3月26日 (月)

音楽で花粉症は治るか?

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春は。

春は別れと出会いの季節と言いたいところだが、

私にとっては花粉の季節。

眼は産卵中のウミガメのようにウルウルとして、

鼻の穴は廃坑になった炭鉱のように深く閉ざされたまま。

無気力の井戸に放り込まれて、休日はひたすら惰眠を貪る

怠惰な生活に堕ちている。

 

潤んだ眼では読書する気分にもならないし、

もちろんマトリョーシカをつくろうという気分も起こらない。

 

ということで音楽を聴く時間が必然的に多くなる。

鼻の穴はずっしりと塞がったけれど、耳の穴は通じている。

清涼感のある音を聴いて、

少しでも閉塞した気持ちを耳から開放したいのである。

 

昨日は二十数年前に流行したブルガリアン・ヴォイスを聴いた。

当時、神秘のハーモニーと注目され、

ワールド・ミュージック・ブームも追い風となって来日も果たしている。

残念ながらコンサートに行くことはできなかったが、

音楽評論の大家・故中村とうよう氏に

「ブルガリア合唱を体験すると、音楽に対する感性がフッ切れるのである」

と言わしめた素晴らしいステージを繰り広げた。

 

その言葉とおり、この公演期間中、日本独自の企画で

ライブ盤1枚と録音盤2枚の、3枚ものCDがつくられた程だった。

 

人間の歌声とハーモニーは、どんな楽器よりも優れている

という言葉を再認識させてくれる中身の濃いCDである。

 

ちなみにブルガリアン・ヴォイスを簡単に説明すると、

日本人が好んで歌う合唱曲や

ウィーンの聖歌隊のような澄み切った歌声で歌うミサ曲でもない。

ブルガリアの古い民謡や祝祭歌、農作業の歌などを

現代的にアレンジして歌われる、いわば土着の歌である。

発声も地声のままに歌われ、何の装飾もない。

ただハーモニーとリズムは複雑に絡み合いながら融合し、

幾何学模様の手織物のようである。

もし興味ある方がいましたら、一度聴いてみては?

 

さて冒頭の花粉症の問題。

以前、雑誌にヨーグルトを食べ続けたら、いつの間に治っていた

という記事が載っていて、早速試したことがある。

1年間、3日に1箱というペースでブルガリア・ヨーグルトを食べた。

砂糖は不要、常温で食べたほうが効果ありというので、

それも律儀に守って。

 

結果は言うまい。

(店主YUZO)

3月 26, 2012 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0)

2012年3月16日 (金)

マトリョーナ、君はいずこに

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マトリョーナを探す旅、始まる。

その旅とはマトリョーナの名前が流行したと言われる

18世紀末~19世紀末に書かれた小説に、

もしかしたら彼女の名前が載っているのではと予想して、

いろいろと読み漁ろうと思った次第。

 

この時代のロシア文学といえば、トルストイ、ドストエフスキー、

チェーホフ、プーシキンといったその名を世界に

轟かせた文豪が勢揃い。

もしくはその名前は、世界に響き渡れども、

意外に読まれていない文豪の時代でもある。

私自身も登場人物の多さと呼び名が相手によって変化するので、

早々に白旗を揚げて退散してしまった作品群である。

 

という背景もあるので、手始めにサルでもわかる初歩として、

トルストイ民話集『イワンのばか』を読んでみた。

 

結論から言ってしまうと、愛しのマトリョーナはここにはいなかった。

そしてサルには到底理解できない深い人生哲学が、

そこには描かれていた。

 

平易な文章でありながら

~翻訳されたものなので原文はわからないが~

人間の真の幸福な生き方とは何ぞやと、

鋭利な刃物で心の肉をえぐったかのごとく、

その真髄にまで達しているのである。

 

装飾語やきめ細かい情景描写を極力削ぎ落とした文章ほど、

真理に辿り着くといわれるが、

そのお手本みたいな圧倒的な筆力。

 

「わしらは兵隊には行きたくねえ」と、彼らは言った。「同じ死ぬもんなら、うちで死ぬほうがいいです。どのみち死ななきゃならねえなら」

 

この国にはひとつの習慣があるー手にたこのできる人は、食卓につく資格があるが、手にたこのないものは、人の残りものを食わなければならない。

 

だいたい世界的な文豪が50才を過ぎて達した境地、

人生観、世界観なのである。

子どもの絵本ですまされるようなテーマではない。

そして私のような凡人が気安く語るような作品でもない。

 

嗚呼、愛しのマトリョーナはどこにいる?

(店主YUZO)

3月 16, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年3月13日 (火)

人が死ぬということ

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人が死ぬということ。

その人がこの世界から存在がなくなったという意味のほかに、

夥しい数の遺品が残されるということでもある。

長年愛用していた食器、お気に入りの蔵書、趣味で集めた雑貨、

長年にわたって写された家族の写真、親友からの手紙。

 

私の祖母が亡くなったとき、

晩年には物欲もなくなっていた祖母なのに、

嫁入り道具たった足踏みミシン、旅先で集めた民芸品、

着られそうもない服、母が生まれた頃の写真など、

質素を好んで生きていた人の所持品とは思えないほどの

たくさんの物で溢れていた。

 

何十年と陽の目を見ぬまま押入れに納められた物たちは、

時間が止まったまま佇んでいて、その歳月の重みと深みに、

ただ沈黙せざるおえなかった。

これらの所持品がきちんと仕分けされ、

形見の品として数点が残された瞬間、

祖母の死を受け入れたことになるのだろう。

 

そう思いながら、休日の陽だまりのなか黙々と母と片づけをしていた。

 

リディア・フレイム「親の家を片づけながら」は、

そんな思いを綴った、ゆっくりと読みたい本である。

この本ではっと気がつかされるのは、

自分が生まれる以前の出来事は全然知らないということ。

父と母がどのような偶然の星のもとに出会って、

運命的に結ばれたのか。

その頃は過酷な時代だったのか。

幸福に満ちた時代だったのか。

本当に子供は何も知らないのである。

 

「人生の第一歩から立ち会ってくれた人、自分を創り出してくれた人、命を分けてくれた人を、土の中にいざなわなければならなくなる。しかし両親を墓の中に横たえるのは、子供の頃の自分を一緒に埋めるということなのだ」

 

「家の整理や引っ越しは、本来は単調な作業だ。しかしそうすることで故人の過去が揺さぶられ、その人が亡くなったという事実を突きつけられた時、それはとても耐えがたいものになる。親はもういないのに、なぜ私は彼らの家にいるのだろう?」

 

震災から一年が経った。

愛する人の死を自然と受け入れるまでには、

生前の故人の生き様を讃えたり、想い出に帰するまでには、

まだまだ一年は短すぎる。

(店主YUZO)

3月 13, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年3月11日 (日)

最愛の人を失うということ

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震災から一年が過ぎようとしている。

一瞬にして最愛の人を失った哀しみは、

あらゆる想像力を働かせても測り知ることはできないし、

その哀しみを同じ想いで共有することはできない。

励ましの言葉で、深い心の傷が癒えるわけでもない。

 

それどころか悪意のない励ましの言葉ほど、

逆にその傷をさらにえぐってしまっている気さえするのだ。

「絆」という言葉は良い響きがあるものの、

支え合う者が同等であればよいが、

どちらか片方が受け入れる側で、もう片方が差し伸べる側

という図式になってしまうと、お互いの均衡がとれずに、

差し伸べる側に奇妙な優越感が生まれてしまう

恐れさえあると思う。

 

耳に心地の良い言葉は、時には現実を曖昧に美化してしまう。

 

私の行うささやか援助では、

あなたの哀しみを喜びに変えることは絶対にできないと、

深く祈るように頭を垂れて、黙々と支援し続けたい。

今年もチャリティー作品展を開催する予定である。

あの時の記憶を風化させないためにも。

 

最愛の人を失った哀しみを題材にした写真集に

荒木経惟「センチメンタルな旅・冬の旅」がある。

写真集というよりモニュメント。

最愛の人を病気で失うまでを綴った日記。

 

家の中の風景や窓辺からの街並み、路傍の看板や植木は、

当事者しかわからない極めて私的なスナップで、

そこには生前の愛する人のぬくもりあり、

この世を去ってしまった現実を映した絶望と空虚がある。

頁をめくりながら、天才写真家の繊細な心の揺れと虚しさを、

少しだけでも感じることができる。

 

最後の雪景色のなかで遊ぶ愛猫チロのスナップが、

悲しいほど美しい。

 

ふと思うのは、最愛の人を看病しなから失う場合とちがって、

震災の場合は死の予感すらない。

ほんの数時間前まで一緒にご飯を食べたり、

他愛のない話で笑っていたりしたのだ。

その幸せのひとときは、一葉のスナップとして残っていない。

 

あの震災後、生きることの意味は大きく変わってしまったと思う。

すくなくとも私は。

(店主YUZO)

3月 11, 2012 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年3月 5日 (月)

マトリョーシカの国際デビュー年

 

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マトリョーシカが国際デビューを果たした1900年の

パリ万博とはいかなる祭典だったのだろう。

ついマトリョーシカはパリ万博で銅メダルをとり、

それ以後ロシアを代表する人形になったのですと、

安易に語ってしまうものの、実際に見学したわけでもないし、

その様子を伝え聞いたわけでもない。

ロシア工芸を扱う者にとって、

マトリョーナの名前同様に、気になるところである。

 

ただパリ万博の翌年は20世紀。

新しい世紀にむけて希望と博愛に輝いた

祭典だったのだろうと想像できる。

 

動く歩道やエッフェル塔にエレベータが設置されて、

開催国のフランスは

「フランスの美術100展」と題した美術展が開き、

開催国の威信をかけ、新世紀を夢見る人々が4700万人来場した

まさに19世紀の最後を飾るに相応しい一大イベントだったのである。

 

日本は日清戦争と日露戦争の狭間の年。

日本も西洋列強に追いつけ、追い越せと鼻息も荒く、

法隆寺金堂を模した建物に、御物や古美術品を並べて、

日本の芸術の質の高さを紹介している。

その熱意もあってか、大橋翠石という日本画家の

『猛虎の図』という作品が、優勝金牌を受賞している。

 

その華やかな舞台で、素朴な入れ子人形のマトリョーシカが

注目を浴びたというのも不思議な気がするが、

きっと開いても開いても次々と出てくる人形に、

人々は目を細めて、子供に戻って無邪気に楽しんだのではと思う。

 

この万博で希望した20世紀は、人々の想いとは正反対の

戦争の世紀になってしまった。

万博の活気は、その予感さえない蜜月の時間だったのだろう。

 

それを思うと、マトリョーシカは平和の使いと言えなくもない。

※写真はパリ万博のポスター。さすがにお洒落~♪

(店主YUZO)

 

 

3月 5, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年2月29日 (水)

マトリョーナという名の君を探して

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マトリョーシカを扱っていて度々思うのは、

その名前の由来が何かということ。

ネットでは当時流行していた女性の名前、マトリョーナから

きていると簡単に書かれているだけで、その先も後もない。

限りなく白紙である。

 

つまりマトリョーシカの名前は、日本的に言い変えれば

「花子ちゃん」ということになるのだが、

そう易々と答えに辿り着くとは思えない。

というのも未だかつてマトリョーナという名前の

女性に会ったことも、目にしたことも無いのだ。

 

ナターシャ、イリーナ、オリガはスポーツや演劇などで

何度も見つけることができるのに、

ロシアの花子ちゃんの名は一度たりとも耳にしたことがない。

 

100年経って、マトリョーナの名前は

受け継がれず壊滅してしまったのか。

それとも架空の人物だったのか。

 

ちなみに2010年のモスクワで人気の名前は、

1位マリーヤ、2位アナスタシア、3位ダリーヤ、4位アンナ、

5位エリザヴェータだそうである。

 

日本でも花子と名づける親は、今や無きに等しいから、

さもありなんと肩を落とすべきだろうか。

 

ところがである!!

ネクラーソフというロシアを代表する詩人の作品

「だれにロシアは住みよいか」の一節に

マトリョーナは高らかにうたわれていたのである。

 

マトリョーナ・チモフェーエヴナは堂々とした女

肩 身体 幅ひろく 丈夫で三十八ぐらい

きれいな白髪まじりの髪 目は大きくてきびしく

まつげはとっても濃く 厳格で浅黒い

白いルパーシカの上に みじかいサラファン

肩に鎌

 

風采、風貌、風格すべてが、

マトリョーシカそのものを表現しているようではないか。

マトリョーナという名前が流行の名前とまでは判断つきかねるが、

大詩人の作品中でタフな百姓女として

力強く描かれていたのである。

 

この詩が書かれたのは1873年。

最初にマトリョーシカがつくられた年の十数年前である。

もしや、この詩がマトリョーシカの由来?

気持ちが昂ぶるあまり、そう結論づけてしまいそうである。

 

ああ、

一度でもいいから生身の人間のマトリョーナに会ってみたい。

(店主YUZO)

 

2月 29, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年1月23日 (月)

可愛いはつくれる!?

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以前、化粧品のCMで「可愛いはつくれる!」という

コピーを聞いて愕然としたことがあった。

同じようにテレビを見たまま凍りついた男性諸氏も多かったと思う。

可愛いの定義は、先天的および遺伝的なものに内包していて、

フィットネスやジム、美容エステに通っても、

その努力は肉体的なものを追及した別次元、

可愛いは持って生まれついた者だけに、そう簡単には

手に入れることはできないはずと信じていたからだ。

 

それが化粧ひとつで、文字どおり可愛く変身してしまうのである。

もしくは化けてしまうのである。

 

可愛いが一部の人だけの特権であったものが、

あのCMで一般に解放された歴史的瞬間だったのだ。

まさに可愛いの革命。

 

以後、可愛いという言葉は特別な意味を持たなくなり、

ゲームのキャラクター、携帯電話の着信音、先の丸い靴にまで、

可愛いが使われるようになったと結論づけるのは言い過ぎか。

 

さて何故、可愛いについて考えたのかというと、

今マトリョーシカ制作の真っ只中。

可愛いマトリョーシカは何ぞやという疑問が沸いたからである。

 

だいたい初めてマトリョーシカを見る人は、

十中八九、見るやいなや「可愛い!」を連発する。

それが作家もの、工場ものでも、絵が稚拙、芸術的でも、

そんなことはまったく気にしている様子はない。

 

つまりマトリョーシカ=可愛いという回路に繋がっているのだ。

可愛くつくることを意図していない作品にまで、

可愛いの一言で片付けてしまうのだから、

それではつくる側としては少し淋しい。

 

そこで逆転の発想で、自分なりの定義する可愛いは何かと

試行錯誤してつくったのが上の写真である。

一般的に可愛いと呼ばれるものは単純化されている。

キティーちゃん然り、ミッフィー然り、チェブラーシカ然り。

単純なものほど、目や口の位置、大きさや角度で

全然印象が変わってしまう。

ほんの1mm違うだで大人の顔になってしまうのである。

 

究極の可愛いは、単純化されたもの。

今回は名だたるキャラクターのデザインの深さに眩暈を感じた次第。

 

そのうち化粧品のCMで「可愛いはシンプル!」という

コピーが発せられるかもしれない。

 

(店主YUZO)

1月 23, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年1月16日 (月)

風邪をひいたマトリョーシカ

  

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年明け早々に風邪をひいたみたいで、すこぶる調子が悪い。

来月にマトリョーシカ展を控えて、最後の追い込みだというのに、

この体たらくには困ったものである。

 

この休日は床に臥しながらも、時折食卓に向かい

マトリョーシカの色付け作業。

ちなみに私には工房など無いゆえ、食卓が作業場を兼任。

根をつめて少々疲れが出てきたと身体が訴えてきたら、

床に戻るの繰り返し。

 

自分が著名な工芸家であれば、このような態度は

妥協をゆるさぬ創作意欲に写って、聞こえが良いが、

実際はマトリョーシカ制作に生活がかかっていない、

名声を得ているわけでもない、謂わば道楽そのもの。

床を出たり入ったりする様は、干潟に住む蟹のようで、

呑気の極みである。

 

何ゆえ風邪をひいてしまったのだろうと、

思いを巡らしているうちに、

ふと流行した風邪の名前に、スペイン風邪、

香港型、ソ連型があったのを思い出した。

 

当然、自分が罹っているのはソ連型と勝手に決めつけ、

パソコンで調べてみた。

ソ連型が流行したのは1977年から1978年の1年。

今から30年以上も昔の話である。

しかも世界的に広まったのではなく、

ソビエトだけの局地的な流行だったらしい。

原因はソビエトの研究所で保管されていたウィルスが、

何らかのかたちで外に流出したという見方もあるとしか、

書かれていない。

後にも先にも、それのみ。

情報統制を敷かれた国家体制ゆえ、不明な点が多すぎて

詳細な内容を書くための資料が少ないのだろうか。

 

症状、処方箋、ウィルスの潜伏期間について知りたいのに、

足の小指に蚊が刺したようで、むず痒くて口惜しい。

 

ということで自分はソ連型の風邪に侵されていると信じて、

咳き込み胸をおさえながら、雛のマトリョーシカを完成させた。

病に罹っていると極楽浄土のごとく、

色彩がきらびやかになるのは偶然か。

この極彩色が今の私には心地よい。

(店主YUZO)

1月 16, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2011年12月14日 (水)

コブロフさんHAPPY BIRTHDAY!(後編)

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さて誕生日の当日。

集まったのはコブロフ夫妻、ロシアンティの店長、チェリパシカ氏

グラフィック社の担当者、高島屋の担当者、ロシア語通訳者など

合計9名。

歓談するには、程好い人数である。

 

場所は神田にある日本風な個室の居酒屋で、

時代劇にたとえるならば照明が暗く、悪代官と強欲商人が、

「御主も悪よのう」と、密談に使いそうな雰囲気の部屋。

ここで日露でマトリョーシカ談義に花を咲かせる算段。

さらにロシア語でお誕生日おめでとうの言葉も練習したし、

それぞれプレゼントも用意してきたし、

盛り上がることは陽の目を見るより明らかと、

ひとりごちになる私。

 

また日頃、「テレビでロシア語」での成果を試すときでもある。

拙いロシア語で、みんなからオーダーを取るも、

コブロフ夫妻には大受けし、

「10月に会ったのは、別の人だったんじゃないか」

と冷やかされ、コブロフさんも対抗して覚えた日本語を披露。

「オオキイ。チイサイ。アリガトウゴザイマス。コレ、カワイイデス」

ふと思えば、マトリョーシカを説明するときに使う言葉ばかり。

今度は、チェリパシカ氏と私が大受けする。

 

それからはロシア語、日本語、英語が飛び交う

カオス的な状態に変わり、御主も悪よのうというより、

明治維新もしくは戦後直後の混乱期のようで、

さらに酒の勢いも手伝って、

何を話しているかわからないハイパー会話が続く。

何だか、へらへら坊ちゃん化して、とても愉快。

 

ロシア語通訳の女史は最初の「地球の歩き方」の

編集に従事した権威のある方で、発音には手厳しい。

Л(エル)とР(アール)の発音がなっていないと、

即席のロシア語練習が始まったりと、

こちらもハイテンション。

酔っているときの巻き舌というのは、

寿限無、寿限無と3回繰り返すより難しい。

愉快。愉快。

 

気づくとコブロフさんは焼酎が甚く気に入ったらしく、

麦・米・芋の利き酒を始めている。

このとき、芋(薩摩芋)を説明するのに苦心して、

赤いじゃがいもだの、スィートポテトの原料だの、鹿児島の芋だの、

ビーツの仲間だの、好き勝手に名づけて説明する始末。

あとで知ったのだが、ロシアでは薩摩芋が栽培されていないため、

赤い肌の芋は見たことがないということ。

ちなみにコブロフさんの舌に合った焼酎は、芋・麦・芋の順。

 

また今回、判明したのだがコブロフさんはウォトカが嫌いらしく、

最初にこちらが気にして頼んだものの一向に飲む気配がない。

チェリパシカ氏によると、これはとても重大な発見で、

ウォトカが嫌いなロシア人に出会うのは、

砂漠でイルカを見つけるぐらい難しいのこと。

愉快。愉快。

 

そしてプレゼントタイムでは、

タイで買った台湾製のロレックスを筆頭に、スペインのキャンディ、

ロシアのタビトモ会話帳、花束、匠仕様の彫刻刀セットなどが、

渡されて、とてもご満悦の様子。

 

そして宴もたけなわとなり、コブロフさんからのお礼の挨拶が。

「本日は、私の誕生日に駆けつけてくれて本当にありがとう。みなさんに祝ってもらった、この時間が一番のプレゼントです。そして宝物です。みなさんと出会えたことがとても嬉しく、この友情がいつまでも続くことを祈ります」

 

こんな挨拶をされたら来年も誕生パーティをしなければなるまい。

今度はひと肌脱いで、桜吹雪を舞い上がらせて、

ひとつ店を借り切ってやるかな?

コブロフさんも粋を心情にしているのだと思った次第です。

  

 

註・店が暗すぎてパーティの様子が撮影できなかったので、

ロシアNO.1ビール「バルティカ」の写真にさせていただきました。

やはり、密会部屋は撮影ご法度の明るさなのね~

(店主YUZO)

12月 14, 2011 店主のつぶやき | | コメント (0)

2011年12月12日 (月)

コブロフさんHAPPY BIRTHDAY!(前編)

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12月8日。

太平洋戦争開戦の日、もしくはジョン・レノンが殺された日。

人それぞれにこの日には想いがるだろうが、

実は木の香でも人気のマトリョーシカ工房主

セルゲイ・コブロフさんの誕生日でもある。

 

3年程前から年末にデパートのクリスマス催事で来日している

コブロフさんであるが、いつも自分の誕生日は仕事が重なっていて、

ここ数年満足に誕生日を祝ってもらったことがないらしい。

今回は仕事も休みになっているので

盛大に祝って欲しいとメールがあった。しかも英語で。

 

ロシアにいった際には世話にっているのに、

これを適当な理由つけて断るのは粋ではない。

それに異国の地で、慣れない店頭販売や実演で

毎日を過ごすのは、精神的に辛いだろうし、

ここは日本男子たるや、ひと肌脱がなければ男が廃る。

何度も書くが、私は粋を心情としている男である。

 

すぐに学生時代に英語偏差値40だった頭脳が

ショートして煙が上がるぐらいフル回転させて、

ここは大船にのった気持ちで、私に任せてください、

ゆかりの人々を呼ぶので盛大に誕生日を祝いましょう

といったニュアンスの文章をこしらえた。

 

思い返せば、英語で手紙もメールも書いた記憶がない。

自分の英語表現に関する情報源は、

ロックやソウルの歌詞のみなので、

それらの印象的なリリックを繋げ合わせた不思議な

文章に必然的になってしまう。

 

たとえば、コブロフさんの仕事の状況をきくのに

ビートルズの「ハード・ディズ・ナイト」かせ拝借して

Have you been working so hard like a dog ?と書いたり、

楽しい夜を過ごそうはローリング・ストーンズの曲そのままに

Let spend the night togther !!と綴ったり。

ちなみに、発表された時代のエピソードとして、

性的な意味が強いとしてテレビ放映の際、

歌詞の変更させられたことがある曰くつき曲。

一晩中、ペットで楽しもうぜといった内容のためらしい。

 

さすがに自分でも学生時代から未だに

英語を受け付けようとしない頑固者の頭脳に、

苦笑する以外になかった。

 

これではコブロフさんのバースディ・パーティを開催するどころか、

自分の無能ぶりを暴露しているようなものだと悔い改め、

会社で英語のできる人に添削してもらい、

中学1年生レベルの文章から3年レベルの文章に整えてもらい、

返信したのであった。

 

そしてコブロフさんの返事は、こちらも楽しみにしていますのこと。

こうして師走最大のプロジェクト

「コブロフさんの誕生日を祝う会」がスタートしたのであった。

(プロジェクトA風に)

(つづく)

 

 

 

(冒頭の写真は、この話とは関係ありません。

モスクワ最大の本屋「ドーム・クヌーギ」で見つけた

「マーシャと熊」の剥製をつかった展示。

やはり、ロシア人の考えることのスケールはちがう?)

 

(店主YUZO)

12月 12, 2011 店主のつぶやき | | コメント (0)

2011年10月22日 (土)

モスクワの花束

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モスクワに住む友人から聞いた話である。

上記の写真は、その友人が撮影したもの。

何の写真だかお分かりだろうか。

 

これは東日本大震災後の日本大使館前の写真。

数多くのモスクワ市民が訪れては、

献花しては黙祷し、

死者への鎮魂と復興への祈りを捧げていた。

年金暮らしのおばあちゃんまでも、

わずかなお金のなかから花束を買い捧げてくれたという。

市民の列は途切れることなかった。

 

友人はその死者を悼むモスクワ市民の姿に感動して、

日本に住む人々にこの事実を知ってもらいたく、

夢中でシャッターを押したらしい。

 

また友人の話によると、

スーパーマーケットでも信号の待ち時間でも、

数多くのロシア人に声をかけられ、

「遠くモスクワにいて辛いでしょう。でも落ち込まないで。

私たちがついているわ」

「何か私に手伝えることは