第49回 紙の上を旅をする

開高健『日本人の遊び場』(光文社文庫)
今日は昭和30年代の日本への旅である。
昭和30年代といえば、神武景気、岩戸景気に国中が沸き立った時代。
もはや戦後ではないという名言まで飛び出て、欧米人並みの生活が夢ではなく、現実になると信じて疑わず、団塊の世代ならば、エネルギーに満ち溢れた日本をなつかしむ時代。
平成生まれの若者ならば、教科書では知っているけど少しマユツバに思える時代。
私が生まれたのは昭和30年代も終わりの頃だから、好景気に浮かれ、東京オリンピック、高度成長、所得倍増計画、巨人、大鵬、タマゴ焼きという言葉に実感はなく、爪に火をともすような、赤く貧しい生活しか思い出はない。
この好景気の締めくくりとなった1970年の大阪万博に、新幹線で出掛ける裕福な家庭など、40名のクラスの中でも1名いれば良い方だった。
すべての家庭が、狭いながらも楽しい我が家を、地でいく暮らしぶりだった。
その体験からいえば、平成生まれと同様、日本現代史に燦々と輝く右肩上がりの好景気に対して、ねっとりとしたツバをマユに塗りつけないわけにいかない。
この寝ても覚めても仕事に明け暮れ、給料袋を覗いては一喜一憂していた日本人たちは、どのように余暇を楽しみ、どんな行楽施設があったのだろうか。
しかも週休2日は皆無に等しく、日曜日のみが唯一の骨休めとなる労働環境である。

目次は、ボーリング、パチンコ、湘南海岸、浅草木馬館など、行楽地や遊戯場が13ヶ所が列挙してあるが、そのなかで瞠目すべきは、ほとんどが衰退したり、名称が変更になったりしながらも、現在もしぶとく生き残っていることである。
たとえば船橋ヘルスセンターは消えたが、スパリゾートハワイアンズが同様のコンセプトで継承しているし、各市町村にある健康ランドも、同形態を簡略化したものであろう。
軽井沢、湘南海岸、磐梯高原はリゾート地として人気は下がったものの、夏季休暇となれば、周辺道路は渋滞し、お父さんは眠い目をこすりながら、ハンドルを握っているはずである。
当時は存在しなかったが現在あるのは、東京ディズニーランドとユニバーサルスタジオぐらいではなかろうか。
それでさえ、この本に載っているテクニランド(鈴鹿サーキット、多摩テックなど)の発展型といえなくもない。
いや、ひとつだけあった。
今や世界共通語となったカラオケである。

結局のところ、日本人は遊び場を提供されなければ、自ら考えて遊ぶことができない人種なのだろうかと思ってしまう。
この本が50年が経っても、遊びの意識が進んだのは、3歩にも満たないのではないか。
〈“大国”の民の熱中する遊びが、こともあろうにパチンコだということは、どういうことだろうか。子供のハシカみたいな病気からいつまでも大人がなおれないでいるというようなことだろうか。いまの日本がよほど抑圧にみちているということたまろうか〉
著者は深く嘆息し、働きづくめの日本人の手を見つめて、こう歎く。
同感である。
高度に発達した資本主義経済では、浪費は美徳であり、停滞は悪である。
人気の場所や話題のスポットに群がり、そこに行ったことがステイタスとなる日本人の習性は、浪費させるには効率良く、ある程度の収支計算が見通せる。
従順でトロリとした眼をした、羊科の民族である。
心底から喜びに満ちた遊びとは、他から与えられるものではなく、自ら生み出すしかないと思うのだが。
(店主YUZOO)
11月 26, 2018 国内仕入れブックレビュー | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
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