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2020年8月31日 (月)

マトリョーシカと日露美術工芸研究会

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先日、慶應大学のK教授が中心となって発足した「マトリョーシカと日露美術工芸研究会」の第一回討論会が開催された。

コロナ蔓延のご時勢と今のトレンドに合わせて、ZOOMによるオンライン討論会である。

参加されたのは日露工芸について研究されている大家が多く、私のようにロシア語はろくに話せず、勉学に励むことなくオヤジになってしまった人間とは、まったく正反対の経歴を持った立派な人ばかり。

そんな敷居の高い研究会に参加することさえ、ふつうの心臓をお持ちの人ならば憚られるのだが、私の心臓には毛が生えているし、関東ローム層にも似た厚顔でもある。

嬉々として参加したのである。

 

 

第一回目なので、K教授の「マトリョーシカ日本起源説をめぐって」をという基調講演がメインで、その後に討論会という流れ。

「マトリョーシカ日本起源説」というのは、19世紀末にロシアの宣教師が、箱根で売られていた七福神の入れ子人形を祖国に持ち帰り(ロシア語でフクルマと呼ばれている人形)、それを元にして最初のマトリョーシカが制作されたという説が、一般的に流布していて、デザイン画はマリューチン、木工轆轤をひいたのはスビョードズキン、というところまで知られている。

しかしそれが事実なのかを、K教授が長年にわたってフィールドワークで採取した写真や文献などを元に、絵巻物を見ているかのように語ってくれる。

K教授のフィールドワーク対するフットワークの軽さ、文献や資料を追い求める貪欲な姿勢に驚嘆するばかり。

 

 

 

謎解き的な面白さ、埋もれた歴史の浪漫も手伝って、マトリョーシカ誕生までのベールが一枚、一枚とはがされていく。

結論から言ってしまうと、マトリョーシカが日本の入れ子人形がルーツという説に確かな証拠はなく、藪の中のままである。

しかも調査すればするほど、藪の繁みは深くなる。

しかし多くの森を要している日露ならではの木工芸文化の奥深さも感じ、木工技術の高さに頷き、そこに共通する技術があることに眼を瞠る。 

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興味深かったのは、七福神の入れ子人形が売られていたといわれる箱根についての推考。

箱根の塔ノ沢に、ロシア正教会の研修をかねた避暑施設があり、そこに有力な手掛かりがあるのではと推理したK教授、もといK探偵。

その裏づけをとるために、中村健之介訳『宣教師ニコライの日記(全9巻)』(教文館)の箱根に関する記事を探したという。

これは40年に渡り、日本で布教活動をした宣教師ニコライが日々の雑事やロシア正教への思いをつづったもの。

だいたい日記なんて、私的なことを書くのが主だから、よほどの情熱がなければ、たとえ拾い読みにしたって9冊に眼を通すのは、苦痛以外に何物でもない。

残念ながら、この労作に有力な手掛かりがなかったのだが、参加者から七福神の入れ子人形は、東北でも制作されていたという報告。

 

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それに箱根では、卵が入れ子になった「十二卵」というのが、江戸の頃から人気の土産物として知られている。入れ子ではあるが、人形ではない。

北海道から布教活動を始めた宣教師ニコライは、布教のルーツは東北にある。実際に、今でも東北にはロシア正教会が残っており、熱心な信者が多くいる。

東北の教会に派遣された宣教師が、赴任期間を終えて、土産物として持ち帰ったのではと、何の根拠もないが、七福神の入れ子人形は東北の可能性もあると、頭をよぎった。

何しろ、現在一般的に知られているマトリョーシカは箱根の入れ子人形という説は、決定的な証拠のない俗説なのである。

その後の討論会では、貴重な明治時代につくられた七福神の入れ子人形の写真、木工轆轤の変貌、マトリョーシカの底から歴史を読み解くなど、識者が手持ちの資料を掲げて説明しては、それぞれが見解を述べていく。

 

 

私みたいな薄学者は、膝を叩いて感心するばかりで、ひと言も発することができない。

マトリョーシカのルーツを探ることは、木工技術、日露関係、時代背景など、様々な角度から推論して決定的な資料をみつけて、外堀から徐々に埋めて結論に至らなければならない、地道な作業なのである。

ぐに明白になる史実には、歴史的な浪漫はない。

 

 

マトリョーシカが箱根の入れ子人形がルーツであろうがなかろうが、実際のところはどうでも良いというのが、今回の参加した人の大方の意見。

マトリョーシカが生まれた頃の19世紀末のロシアと日本の工芸文化が、どう交わっていたのかを少しでも感じるだけでも、滔々と流れる歴史の豊かさを知ることになる。

それが研究の愉しみなのじゃないのだろうか。

 

 

(店主YUZOO)

 

 

 

8月 31, 2020 店主のつぶやき |

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