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2020年7月10日 (金)

第54回紙の上をめぐる旅

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高野秀行『世にも奇妙なマラソン大会』(集英社文庫)

なかなかコロナが収束しない。

それどころか第二波と呼べるような感染者の急増で、再び非常事態宣言が出されるような勢いである。

もう2020年は、マラソンに挑戦するのは無理なようである。今年エントリーしたマラソン大会も軒並み中止になったし、秋口から開催される大会も早々に中止を告知。

今の私の心境は、目的地を失った船のようにふらふらと漂っていて、練習にも気合が入らず、梅雨に入ったのを幸いに、休日は家に籠って絵ばかり描いている。

 

あの情熱はどこに消えたのか。

自問自答する日々が続いている。

というより運動とは無縁の自堕落な日々が続いている。

そこで心機一転を図ろうと、この本を手にとってみた。

辺境作家と自称するだけに、内容によっては萎れた我が心に、潤いを与えてくれるにちがいない。

期待で胸がふくらむ。

 

著者が選んだ大会は、サハラマラソン。予め断っておくが、世界的に知られた地上でもっとも過酷なマラソン大会と名高い、6日をかけてサハラ砂漠230キロを縦走するレースではなく、フルマラソンとハーフマラソンの二種目がある小規模の大会である。

こちらの大会は、モロッコに土地を奪われた西サハラの難民の現状を、世界に知ってもらうために開催されている、政治色の強いものらしい。どちらにせよ、灼熱の砂漠を走りたいと思うランナーは、よほどの変わり者か、もしくは通常のマラソン大会では満足できない強者しかエントリーしないだろう。

著者はジョギングする習慣はなく、過去に15キロほど走ったのが最長距離だという。

夜中に酒を飲みながらネットサーフィンをしていたとき、勢いで参加にクリックしたために、出場が決まったという経緯が語られる。

 

夜になるにつれ、なぜか万能の神が憑依して、怖いものなしの気分になってしまうのは、妄想を頼りに生きてきた自分としては身につまされる。

昨年、山梨で開催された「巨峰の丘マラソン」に参加したときは、友人と盃を交わしているうちに、巨峰が実る小山や丘を縦走するレースの存在を知り、酒の勢いも手伝って、その場でスマホを手にとりエントリーした過去がある。

酒は私を強靭なアスリートに変え、何事にも屈しない精神の持ち主になり、プラス思考しか考えられない頭に変換してしまう。もちろんそれは酒が生んだ幻想に過ぎず、実際の大会では、両足が攣る、陽射しでめまいがする、ようやく下り坂かと思ったら、すぐに上り坂が控えているコースに腹を立てると、精神も肉体もずたずたに引き裂かれてゴールインという散々な結果だった。

マラソンに奇跡やビギナーズラックは起こらない。

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著者もサハラマラソンの詳細を調べることなく、ポチッとエントリーのクリックしてしまったわけである。

しかも大会は二週間後に開催されるという。練習する時間どころか、旅行の準備ぐらいの時間しかない。

それでも我に返ることなく、サハラ砂漠へと旅立ってしまうのである。

後悔という文字を辞書から消したこの行動力は、さすが辺境を大好物に世界を旅している人だけある。

 

サハラ砂漠を走っているときの描写は、見渡すかぎりの砂漠ゆえ目標とする目印がない、灼熱の炎天下をふらふらと彷徨い走る、給水所にランナーが群がる様子など面白く読め、とくに砂に足が埋まっていく様子が、砂漠でしか経験できない出来事で興味深い。

細かい砂地はさらさらと柔らかく、その質感に誤魔化されるが、幾層にも砂が積もっているわけでなく、注意深く踏む場所を選ばないと、直下に岩があって足を挫くことになるというのである。

スポ根ドラマでは砂浜で腰に紐をつけてタイヤを牽くけれど、あの場合は足が砂に深くはまっていくだけで、下に岩が潜んでいるわけではない。

それとは勝手が違うらしい。

砂の上走ると自然と抜き足差し足という動きになり、すると砂は蟻地獄のように待っていましたと、踝どころか足首あたりまで埋めにかかり、そのあと足の裏に堅い岩ががつんと当たってくる。

しかも灼熱の下。少々足首を捻っただけでも、患部は熱をもってすぐに膨れ上がってしまうだろう。

だれが好んで、この過酷な大会に臨むものかと、エアコンの効いた部屋で、ぶつぶつと呟いてしまう。

著者は這う這うの体で無事にゴールインをするのだが、書かれたタイムを見て眼を瞠ってしまった。

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5時間39分14秒。

初フルマラソンに参加で、しかも過酷な砂漠での大会で、この好タイムは考えられない。

ほとんど練習と呼べることをしていないと明言しておいて、実は陰でこっそりとハードな練習を黙々とこなしていたのではなかろうか。

よく期末テスト前に、ぜんぜん勉強していないから赤点かもしれないと嘯いて、好成績を残すタイプと似ている。

まあ、10キロ程度走ってリタイヤされては、読み物として成立はしないのだが。

 

さて読み終えて、天気予報を見ると、午後から雨が降るという。空を見上げると、雲の切れ目から陽の光が射しこんでいて、あと2時間は保ちそうである。

しかしスポーツウェアに着替える気など、まったくない。エアコンの効いた部屋は何物にも代えがたい。

マラソン生活復帰には当分かかりそうである。

7月 10, 2020 ブックレビュー | | コメント (0)

2020年7月 6日 (月)

SNSは進化する

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人はひとつのことを毎日続けていると、それなりに進歩するようである。

以前、コロナ禍のなか、酒におぼれた生活にならないように、毎日お絵描きの名のもとに、カエルの絵を描き続けてINSTAGRAMに上げていると書いたが、いつの間にか百枚を超えていた。

始めた頃より上手くなったのかと問われれば、低く小さな声で、たぶんとしか答えられないけれども、1日も休まずに描いたことに対しては、自分を褒めてやりたいのである。

 

SNSの特長でタグ付けをしていると、同好の士が私の拙い絵をフォローしてくれる。

その数も日を追うごとに増えていき、それが励みになり、すぐに弱音を吐いて止めてはいけないなと、自分を律する糧となる。

その相乗効果が、精神の脆い私を支えているとさえ思う。

 

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しかしSNSとは不思議な世界である。

上手いか、下手か。堅苦しいか、面白いか。理解できるか、理解不能か。また見たいか、もう見たくないか。

その二つの選択肢でしかないのだから、フォローする側としては、何らストレスはない。

気に入らなければフォローしなければいいだけである。

 

実社会のような義理人情の世界は存在しない。

あくまでもライトな関係を保っていたいのである。

SNSでは他人とつながることを求めるけれども、深く結びつくことで現実的な関係になることは欲しない。

その深層心理が、SNS隆盛の原動力になっているのではないか。

 

こう書くとSNSに対して批判的な立場だと思われそうだが、そんなことはない。

INSTAGRAMではカエルの絵というのをキーワードに、イタリアのパンクロッカー、フランスのイラストレータ、ロシアのマトリョーシカ作家、ナチュラリスト、写真家、カエルマニア等々、自分でも想像していない実世界では会うことがない人たちが、柔らかく繋がっている。

それが新鮮な驚きであり、興味深いのである。

交通網の発達で世界が狭くなったと言われていたのは昨日までのこと。

現在はSNSの進化が、世界を緩やかに結び付けている。

ボブ・ディランではないが、人間が想像する以上に世界は変わっていく。

 

(店主YUZOO

 

 

 

7月 6, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)