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2020年3月31日 (火)

第52回 紙の上をめぐる旅

Fullsizer

ロック好きが興味深いのは、多感なティーンエージャーの時期に、何が流行していたのかで、人格形成に多大なる影響を受けるという事実。

私の場合は、七〇年代のパンク・ニューウェーブになる。それまでのピンク・フロイドやクィーンなどが創り上げた、構築された完成美は欠片もなく、とにかく素人の耳が聴いていても、楽器演奏はアマチュア・バンドのレベル、音を外していてもかまわない、勢いだけの演奏。

ふつふつと沸き上がる怒りを表現した初期衝動で創られた音楽は、清々しくと思ったと同時に、これならば自分でも出来そうとアルバイト代を貯めて、楽器屋へ走ったのもほろ苦い思い出である。

 

著者はロック評論誌の草分け的存在である『ロッキング・オン』の編集に創刊時から携わり、以後は音楽に関するエッセイや小説などを書いている、ビートルズが青春ど真ん中の世代。

著者のビートルズに関するものは評論というよりは、ビートルズが若い頃の自己形成に多大なる影響を与えたかと、筆先を熱くして綴るのが常である。その曇りのない実直な文に惹かれて、つい本屋の棚にその著名を見つけると、つい購入してしまう。

  

解散して五〇年が過ぎ、今やビートルズ研究は深みを増して、レコーディング・データは全貌が明らかになり、世界各地で行ったライブでの曲目は網羅され、インタビューでの発言は白日に晒され、もう余地はないところまで到達している。

ビートルマニアと呼ばれる人たちのこのような粘り強い研究には、一歩さがって深く頭をさげるしかないし、ビートルズに一生を捧げる情熱に、二歩さがって敬服するしかない。

ビートルズの活動が広く知られるようになった現在、現役世代と後追い世代とのちがいは、当時の熱気を肌で感じたか、否かでしかなくなった。

 

そこで興味深いのは、著者がビートルズ世代として一貫して立場は、六〇年代はビートル旋風が吹き荒れて来日公演は最高潮に達したと、あの時代を懐かしむような発言に、真っ向から否定していることだ。

以前『ロッキング・オン』の誌上でも、小林信彦氏が当時のビートルズ人気の凄さを著した際、その根拠を示せと誌上討論を臨んだのは、よく知られるところで、この本でもその立場に一ミリのブレも生じていない。

解散から五〇年以上経った現在でもその立場が揺るがないのは、次の一文からビートルズへの不変の思いが伝わってくる。

 

 

《新橋のSLの広場の酔っ払いに訊くと、みんなビートルズは青春だったと言っていた。はっきり言おう、それは嘘だ。ビートルズは僕達の青春であって、お前達の青春ではない。音がうるさいとか、髪が長いとか、大学に行っていないとか、わけの分からないことを言っていたじゃないか》

 

 

この一文で、ふと思い出すのは、みうらじゅん氏の「日本のお父さんは、みんな昔はワルだった」説。たいした青春を送っていないお父さんでも、記憶が曖昧になるうちに、その時代の真っ只中にいたという疑似体験が生じ、あの頃のお父さんは少々ワルでなあと、たいして聞いてもいない息子に熱く語ってしまうと、悲哀のこもった理論である。

そんなお父さんは、安保闘争に積極的に参加し、ヒッチハイクで世界一周をし、マリワナを吸い、インド哲学に傾倒し、フリーセックス提唱者で、三〇歳以上は信じないことを信条に、青春時代を過ごしたことになる。

そんな偽善的な人生を送っている人たちを、心底から軽蔑しているからこそ、このような発言になるのではないか。あなたの都合で、敬愛するビートルズが穢されるのは許せないとばかりに。

 

著者のほかの本でも語られるのは、個人的なビートルズ体験がほとんどである。

そして一貫して綴られるのは、ラブレターにも似たビートルズへの思いである。

追体験でしか接することができない私にとっては、それは羨望であり、少しばかりの嫉妬もある。

あの頃に生まれていればよかったと。

人生は選べない。時代が決定する。

 

(店主YUZOO)

3月 31, 2020 ブックレビュー |

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