« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月31日 (火)

第52回 紙の上をめぐる旅

Fullsizer

ロック好きが興味深いのは、多感なティーンエージャーの時期に、何が流行していたのかで、人格形成に多大なる影響を受けるという事実。

私の場合は、七〇年代のパンク・ニューウェーブになる。それまでのピンク・フロイドやクィーンなどが創り上げた、構築された完成美は欠片もなく、とにかく素人の耳が聴いていても、楽器演奏はアマチュア・バンドのレベル、音を外していてもかまわない、勢いだけの演奏。

ふつふつと沸き上がる怒りを表現した初期衝動で創られた音楽は、清々しくと思ったと同時に、これならば自分でも出来そうとアルバイト代を貯めて、楽器屋へ走ったのもほろ苦い思い出である。

 

著者はロック評論誌の草分け的存在である『ロッキング・オン』の編集に創刊時から携わり、以後は音楽に関するエッセイや小説などを書いている、ビートルズが青春ど真ん中の世代。

著者のビートルズに関するものは評論というよりは、ビートルズが若い頃の自己形成に多大なる影響を与えたかと、筆先を熱くして綴るのが常である。その曇りのない実直な文に惹かれて、つい本屋の棚にその著名を見つけると、つい購入してしまう。

  

解散して五〇年が過ぎ、今やビートルズ研究は深みを増して、レコーディング・データは全貌が明らかになり、世界各地で行ったライブでの曲目は網羅され、インタビューでの発言は白日に晒され、もう余地はないところまで到達している。

ビートルマニアと呼ばれる人たちのこのような粘り強い研究には、一歩さがって深く頭をさげるしかないし、ビートルズに一生を捧げる情熱に、二歩さがって敬服するしかない。

ビートルズの活動が広く知られるようになった現在、現役世代と後追い世代とのちがいは、当時の熱気を肌で感じたか、否かでしかなくなった。

 

そこで興味深いのは、著者がビートルズ世代として一貫して立場は、六〇年代はビートル旋風が吹き荒れて来日公演は最高潮に達したと、あの時代を懐かしむような発言に、真っ向から否定していることだ。

以前『ロッキング・オン』の誌上でも、小林信彦氏が当時のビートルズ人気の凄さを著した際、その根拠を示せと誌上討論を臨んだのは、よく知られるところで、この本でもその立場に一ミリのブレも生じていない。

解散から五〇年以上経った現在でもその立場が揺るがないのは、次の一文からビートルズへの不変の思いが伝わってくる。

 

 

《新橋のSLの広場の酔っ払いに訊くと、みんなビートルズは青春だったと言っていた。はっきり言おう、それは嘘だ。ビートルズは僕達の青春であって、お前達の青春ではない。音がうるさいとか、髪が長いとか、大学に行っていないとか、わけの分からないことを言っていたじゃないか》

 

 

この一文で、ふと思い出すのは、みうらじゅん氏の「日本のお父さんは、みんな昔はワルだった」説。たいした青春を送っていないお父さんでも、記憶が曖昧になるうちに、その時代の真っ只中にいたという疑似体験が生じ、あの頃のお父さんは少々ワルでなあと、たいして聞いてもいない息子に熱く語ってしまうと、悲哀のこもった理論である。

そんなお父さんは、安保闘争に積極的に参加し、ヒッチハイクで世界一周をし、マリワナを吸い、インド哲学に傾倒し、フリーセックス提唱者で、三〇歳以上は信じないことを信条に、青春時代を過ごしたことになる。

そんな偽善的な人生を送っている人たちを、心底から軽蔑しているからこそ、このような発言になるのではないか。あなたの都合で、敬愛するビートルズが穢されるのは許せないとばかりに。

 

著者のほかの本でも語られるのは、個人的なビートルズ体験がほとんどである。

そして一貫して綴られるのは、ラブレターにも似たビートルズへの思いである。

追体験でしか接することができない私にとっては、それは羨望であり、少しばかりの嫉妬もある。

あの頃に生まれていればよかったと。

人生は選べない。時代が決定する。

 

(店主YUZOO)

3月 31, 2020 ブックレビュー | | コメント (0)

2020年3月12日 (木)

ウラジオストック慕情(下)

Imagesk33iarsu

 

人いきれ。売り声。活気。喧噪。混沌。

市場の雰囲気が好きである。

外国旅行の愉しみは、市場に尽きるといっても過言ではない。

ウラジオストックの市場は、港近くで開催されていて、生鮮食品、黒パン、ソーセージやハムといった加工食品テントが並び、ウラジオストック市民の台所を支えているのか、人出が多く、次々に欲しい食品を買い求め、両手いっぱいに袋をかかえている。

 

ひとつひとつの店をゆっくりと見ていると、売り子が威勢のいい声で、安いよ、安いよと、自慢の品物を私たちの目の前に差し出してくる。

ただ一週間分の食材を基本としているのか、どの店も量が多過ぎて、一介の旅行者では食べきれない。

試食すれば、半ば強引に買わされる羽目になるので、足を止めることは憚られる。

今回は二泊三日の旅行ゆえ、ハムを一本だけ買ったとしても、明日の朝までハム三昧の食事になってしまう。

 

もうひとつウラジオストックで眼を瞠るのは、朝鮮半島に近いので、売り子は同じモンゴル系の顔が多いこと。

味噌を売っていれば、キムチ専門店も出ている。

ちなみに街中を走っているのは、90%近くは日本車だ。

ほとんどが中古車で、日本では久しく見られなくなった、昔の名車が現役として颯爽と走っている。

社名ステッカーもそのままに、ヤマト運輸もいれば、幼稚園のバスも走る。

市場横には西原商会と書かれたトラックが止まっていた。

自動車の群れをぼっと眺めているだけでも、時間が過ぎていく。

旅行会社は、日本に一番近いヨーロッパと宣伝しているものの、裏腹にアジアの体臭をきつく感じるのが、ウラジオストックの面白いところ。

 

Photo_20200311173901

 

市場をひと通り散策した後は、ロシア名物バーニャに向かう。

バーニャとはロシア式のサウナ風呂のことで、ロシアの重要政策はバーニャのなかで、決定されると言われるほど、信頼関係を築く社交場、裸の付き合いが大原則な大衆浴場というべき場所。

日本の狭いサウナ風呂とはちがい、公共のバーニャは、ホテルのラウンジぐらい広く、プールやダイニングテーブルが併設されている。

しかも貸し切りで利用できて、ウォトカやビール、酒の肴を持ち込んで、時間がゆるすかぎり、吞めや歌えや、汗かけやと、実に精神と身体に良い。今回は男ばかり4名で、郊外のバーニャを借りた。

 

早速、バーニャに入ったのだが、なぜかロシアVS日本の様相を呈して、玉のような汗をだらりと垂らしながらも、誰もが口を真一文字に結んで、なかなか出ようとしない。

日本男子たるや、蒸し風呂ごときで、弱音を吐いてはいけないと、身体を火照らしてアレクサンドル氏を横目に、とにかく我慢。さらに我慢。

時間にして10分を超えた頃、チェリパシカ氏が最初に音を上げると、堰を切ったようにバーニャから飛び出し、プールにダイビングした。

ゆらゆらとラッコのように水の中を漂い、芯から凛と熱くなった身体を冷ます。

その後は缶ビールを一気吞み。極楽と浄土が同時におとずれる。それを1クールとして4回ほど繰り返すと、バーニャで血行がよくなったせいか、ふだんより酔いが回るのが早く、寒暖の差がわからなくなり、朦朧としてきた。

果たして、本当にバーニャは健康に良いのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。

結局、バーニャには2時間ほど滞在し、健康体になったのか、酔態になったのか、区別がつかなくなった身体を引きずって、ホテルに戻った。

 

Photo_20200311174001

ウラジオストックの1日は長い。夜になると、街の中心部へと繰り出し、ウォトカによる迎え酒。

酔漢はバカと同義語である。

身体が死んだとしても、魂で呑んでいるにちがいない。

気がつけば、夜中の2時まで酩酊するまで呑み続けていた。

次の日、海より深い猛省と胃の痛みが、身体を苛んだのは、言うまでもない。

ウラジオストックの思い出は、とどのつまりウォトカの味と言えようか。

日本で呑むウォトカとロシアで呑むウォトカは、空気がちがう。

新しく航路ができた今、ぜひ一番近いロシアに味覚と酒を求めて旅立たれてはいかが。

 

6russianstandard_1

※ウォトカのお勧めは「ルースキー・スタンダルト」です。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

3月 12, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年3月 5日 (木)

ウラジオストック慕情(中)

Photo_20200304175401

 

ランチはウラジオストックで有名なレストラン「ノスタルギア」で、ロシア家庭料理を愉しむ。このレストランは、全ロシア家庭料理コンテストで見事に1位を獲得した店だと、ローマさんとチェリパシカ氏が、自身の名誉のように自慢するので、想像の輪がアドバルーンのごとく膨らんでくる。ネットで調べてみると、ウラジオストックを訪問したら、必ず行くべきレストランであり、ローマに行ってトレビの泉に行かないようなものである。

店内に入ると、その名声に恥じないようなシックな内装とアンティークな調度品が並び、中世の貴族の屋敷を思わせる。

 

いつもの買付旅行だと、コンビニの軽食コーナーのような簡素な店で、ペルメニやピロシキ、ボルシチで済ましてしまうのが日常だっただけに、この内装だけで心が車海老のように踊る。

メニューも分厚い。

ファイルに挟まれた手書きメニューとはちがう。

深くため息をつき、心が落ち着くのを待つが、元来、吞み屋といえばホルモン焼き、レストランと言えば町中華、という食生活が煮汁のように染み込んでいるので、なかなか平常心を保つことができない。

結局、食べ慣れたペルメニとオリヴィエサラダ、それに「ノスタルギア」の看板メニュー、ビーフストロガノフを注文。ローマさんとチェリパシカ氏は、それ以外にもカツレツや海鮮料理を頼み、私の貧乏性の胃袋を笑う。

 

「せっかくウラジオストックに来たんだ、ステーキを1プードぐらい食べたらどうだい?

1プードって?

「ロシアの重量をはかる単位で、今だと16キロぐらいの重さだ」

16キロの肉なんて、1年分の食べる量だよ」

「日本人の胃袋は、ウサギ並みというのは嘘じゃないんだな」

「その喩え、大食漢のウサギに悪いね」

 

Photo_20200304175403

そんな他愛ない会話をしながら、ビーフストロガノフをスプーンですくう。

生クリームが溶け込んでいるのか、濃厚な味わいが舌の上をとろりと転がっていく。

そのなかを赤ん坊の拳大の肉の塊と玉ねぎが皿のなかを、所狭しと絡み合っている。

日本の淡白なクリームシチューを想像していてはいけない。

濃密、濃艶、豊潤、強靭、豊満な舌触りは、草食系民族である日本人には、脂質が強すぎて、皿一杯分を食べ終えただけで、ずっしりと胃のなかに鎮座してしまい、ほかの料理にまで手が回らなくなる。

 

ロシアは日本に比べて、サワークリーム、チーズ、ヨーグルト、ケフィアと乳製品の種類が多いのは、端から端まで並ぶスーパーマーケットの棚を思い出せば、その圧倒的な量に納得がいく。

乳製品とマヨネーズですべての栄養を賄っているという感じである。断っておくが、「ノスタルギア」はウラジオストックを訪問したら、ぜひとも寄っていただきたい名店。

ただ食習慣のちがいが脂質でこってりとした味わいが、胃弱な草食ウサギには、ロシアの様々な料理を愉しむには、相当な覚悟がいると言いたいだけである。

私はビーフストロガノフを完食しただけで満ち足りてしまった。

 

Photo_20200304175402

ちなみにペルメニはロシア版水餃子。

中国発祥の水餃子は、いまや形を変えて、それぞれの地域で民の舌に合わせて、独自に発展しているだけに、とびきり美味いとは思わない。

ペルメニにかぎっては、日本の味のほうが私には合う。

 

食事のあとは、ウラジオストックっ子自慢のルースキー島までドライヴ。

連絡橋の長さに驚嘆し、ウラジオストック市の風光明媚に眼を瞠る。

ひと通り観光地を巡った後、待望の夕食となったのだが、残念ながら何を食べたのか覚えていない。

たぶん「ノスタルギア」と比べたら、幕下レベルのレストランに入ってしまったのだろう。

 

明日は、港近くで開催されている朝市。

市場好きは、眠る時間さえも惜しい。

子どものように明日着る服を枕元に並べて、眠りにつく。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

3月 5, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)