感慨深きセルギエフ・パッサードのココロだ①
昨日と今日は、セルギエフ・パッサードに宿をとり、この町に住む作家さん宅や工房を手当たり次第に巡る、マトリョーシカ三昧の夢の2日間。
紹介された作家に初めて会う時もあれば、旧知のなかで、お茶とケーキで、他愛のない世間話で終始する時もある。
マトリョーシカを目の前にして、小さな目を細めたり、見開いたりと忙しい2日間なのである。
思い返せば、ロシアを訪ねるようになってから、はや12年が経つ。
右も左もわからない蕾から、少しずつ花びらが開いて、大きく花開いたと考えると、実に感慨深い。
もちろん花びらが陽に向かっている時ばかりでなく、作家さんが製作を辞めてしまったり、工場が閉鎖されたりと、花が色褪せてしまう時もあった。
それら無数の邂逅を辿り、思いを馳せたので、いっそう感慨深いのである。
今回は、さすがに多くの人に会うので、私の二歳児並みのロシア語力では、相手に指先ほどの意思さえ伝えられない。
「ダー」と「ニエット」だけでは、お茶の一杯にもありつけない。
そこで10年前に知り合ったニコライさんに同行してもらうことにした。
日本語堪能なニコライさんは、私がロシアの行くようになって間もない頃から、いろいろとアドバイスをくれて、影となり陽となり、支えてくれた恩人である。
こうして10年経ても、私の仕事を自身の人生の楽しみとして、心良く引き受けてくれる。
この事実も感慨深い。
というわけで、今回の旅は「感慨深きセルギエフ・パッサードのココロだ」と題した訳である。
(小沢昭一的ココロのパクリだけどね)
さて今回の感慨深い旅のなかで、とくに印象に残った出来事を綴っていこう。
まずひとつめ。
ここ数年、伝統的なセルギエフ・パッサード柄のマトリョーシカを頼んでいたビクトール夫妻が、もしかすると近いうちにマトリョーシカを作るのを辞めるかもしれない、と突然告げてきた。
ご年齢を伺うと、もう80歳になるという。
手先を動かす人は若く見えるというが、ハツラツしていて、池袋の老人とはちがい、車の運転も流暢で、まったく年齢を感じられない。
その理由としては、細かい絵付けに眼がついていかないこと以外に、いつも素材を削ってくれる職人も同様に御高齢で、いつその手を止めるかわからない、私は彼の削った素材以外には描きたくないと言う。
彼とは、ソビエト時代に操業していたマトリョーシカ工場からの長い付き合いだし、工場閉鎖後も、ずっと私のために削ってくれた。
私は彼の腕しか信用していないんだと、さらに続けられると、こちらも返す言葉や励ましさえも見つからず、じっと深く皺が刻み込まれた顔を見入ってしまう。
セルギエフ・パッサードは作家さんがつくるマトリョーシカは増えているが、その一方で伝統柄を描く職人は減る傾向にある。
たぶんお土産的な扱いで安く売られてしまうものよりも、自身のアイデアとデザインで個性的なマトリョーシカを作ったほうが、高値で売れるからだろう。
永遠に伝統的なマトリョーシカを作り続けると信じていたビクトール夫妻の口から、辞めると告げられると、ひとつの時代が閉じつつあるのを感ぜずにはいられない。
言葉にならない感慨である。
(つづく)
(店主YUZOO )
7月 2, 2019 海外仕入れ店主のつぶやき | Permalink
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