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2018年11月14日 (水)

第48回 紙の上を旅をする




高野秀行『怪魚ウモッカ格闘記』(集英社文庫)

今回も旅行記である。
前回、仕事のストレスがたまると、ついつい旅行記に手が伸びてしまうと書いたが、その心境において一番安らぎを与えてくれるのは、高野秀行の諸作になるだろう。
辺境ライターと名乗るだけあって、アマゾンやアフリカの奥地にUMA(未確認不思議生物)を探しに行ったり、アヘン栽培地に潜入したり、内戦が絶えないソマリアとその隣のソマリランドを行き来したりと、その行動力と発想は常軌を逸していて、むしろ清々しい。
この本もインドに棲息するというUMAウモッカを捕獲に悪戦苦闘する旅行記となる。


結論からすれば、ウモッカは捕獲できなかった。
もっとも、もしウモッカを捕獲していたら、世紀の大発見となって、マスコミを賑わしていただろうから、そんなニュースがなかった以上、本を読む前から「水戸黄門」のラストのように、お約束事としてわかっている。
それでも、はやる気持ちでページをめくってしまうのは、捕獲のための情報収集と計画遂行に対する並々ならぬ情熱が、ついこちらの指先まで熱くさせるのだろう。




著者は過去の旅もそうだが、自ら現地の言葉を取得することを信条としているゆえ、今回もオリヤー語を勉強するために奔走し、さらに最初にウモッカを目撃した人物に会い、当時の話を聞くどころか、ウモッカの最大の特徴であるトゲを持ったウロコの模型を製作してもらうのである。
ウモッカの目撃者が芸大出身の放浪者だったのも、偶然とはいえ、ヒキの強さを感じずにはいられない。
そしてウモッカを捕獲した際の運搬やマスコミへの通達など様々な業務を考慮して、長年の友人であるキタ氏に同行を依頼する。
用意周到という言葉がぴったりとくる準備ぶりである。


それでも読者としては、ウモッカが捕獲できなかったことはわかっている。
しかし、ここまで準備万端であっても、予期せぬ災難が待ち受けているのが、辺境の旅たる所以。何が起こるのかと背筋を立てて期待してしまう。
他人の不幸は蜜の味。
そう考えてしまうのが、旅行記好きの読者なのである。




その期待は、こちらの想像を遥かに凌駕していて、こんな顛末が本当に起こったのかと、小さな眼を大きく瞠いてしまった。
この徒労感に比べたら、札幌の時計台を見学した落胆の方が、数倍お気楽である。
しかしこの300ページにも及ぶ顛末記を飽くことなく、一気に読破させる筆力はすごい。
何が起こったのか気になる方は、一度この本を手に取られてはいかが。

(店主YUZOO)

11月 14, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月12日 (月)

第47回 紙の上を旅をする




下川裕治『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』(新潮文庫)

仕事に追われる日々が続くと、旅行記を読むことが多くなる。
それはひとときでも現実逃避したいという願望の表れかもしれない。
とくに困難極まる破天荒な旅に惹かれる傾向がある。
その視点から見れば、この本の題名は、世界最悪のというタブロイド紙のような見出しはいただけないが、ユーラシア横断2万キロという言葉は、充分に魅力的である。


巻頭の地図を見ると、ロシアの極東からポルトガルの最西端の駅まで、すべて鉄道で走破しようという大胆な旅程。
しかもシベリア鉄道は使わずに、中国大陸、中央アジアを駆け抜け、トルコからバルカン半島、イタリア、スペインと巡り、ポルトガルに到達する。
この鉄道旅行が過酷で、幾多のトラブルに巻き込まれたのだろうと容易に想像できる。


飛行機の旅とはちがい鉄道の場合は、通過する国ごとに出入国審査を受けなければならず、そこには難癖をつけて賄賂を要求する職員がいたり、線路の規格ちがいで台車交換があって、思いがけず時間が浪費されたりと、時刻表とおりにコトは運ばない。
それ以外にも政情不安を抱えた国があり、鉄道自体が運行されない場合もある。




旅行は成田からサハリンのユジノサハリンスクまでのフライトから始まる。
そこからフェリーで極東の町ワニノに向かう。
著者が調べたところによると、ユーラシアの最東端の駅はワニノではなく、隣のソヴィエツカヤ・カヴァ二が緯度では該当駅と判明し、そこまで戻ってからの念の入れよう。
そこからの列車はゆっくりと時間をかけてウラジオストクに向かう。
平均時速34キロ。
都電荒川線並みの速度ではなかろうか。


そして中国国境へ。
入国審査の横柄な態度、切符を買うのに列をつくらない国民性、人で溢れかえった駅の構内。
そういうものに辟易としながらも、中国が世界に誇る新幹線「動車組」には、割り込み防止バーが備え付けられていることに、妙な関心を覚えたりする。


さらに中国以上に驚愕するのは中央アジアの国々。
職員の怠惰な仕事ぶりと時間感覚、ソビエトの構成国だった頃からの態度に、開いた口が塞がらない。
挙げ句の果てには、コーカサス地方に入った途端、一つ前の列車が爆破テロに遭い、そのおかげで足止めされ挙句、ロシアのアストラハンに戻され、列車運行の報せを待つうちにビザが切れるという最悪な状況へと追い込まれていく。
この苦い思い出が、つい世界最悪のと名付けてしまった要因だと想像に難くない。




様々な困難や問題が雷雨のごとく降り注いだ末、トルコへと抜けることができたのだが、そこはヨーロッパ。
嵐が去ったかのように災難は去り、誰もが憧れる「世界の車窓から」的な世界が訪れる。
著者も緊張から解放された虚脱感からか、筆先も急に淡白になっている。
鉄道による世界旅行が20世紀の遺産になりつつある現在、心身を削ぐような旅を成し遂げたことに、驚嘆の念を抱くし、アジア諸国には、先進国の概念では計れない魅力を知ることができたのが、大きな収穫。
紙の上でしか旅ができない者には、嬉しいことこの上ない。

世界はまだまだ広い。
未知なるものに溢れている。


※写真は日本の鉄道です。

(店主YUZOO)

11月 12, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 5日 (月)

第46回 紙の上を旅をする




高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫)

「青年老い易く学なり難し」と昔の人はよく言ったものである。
この歳になると、本を読んでは眼がショボつくし、何を記憶するにも翌朝にはケロリと忘れ、頭の中には一握の砂ほども残っていない。
そのくせ、若い頃の失態は憶えていて、ふとしたことで思い出すと、顔を赤くしたり、青くしたりと信号機のようになっている。
困ったものである。


先日、古本屋の店先にこの本が並んでいて、思わず手に取った。
実を言うと、この本の著者は私が大学の時に講義を受けていた先生、その人なのである。
児童文学についての講義だったと記憶しているが、何せ先輩から講義に出席しなくても、レポートさえ書けば単位が取れると吹聴されて受けたので、ほとんど内容については憶えていない。
高杉先生の経歴も研究テーマについても知る由もなく、たまに気が向いたら受講する、言わば幽霊のような存在。
それなのにレポート数枚で、卒業時の数少ない「優」のひとつをくださった、ありがたい先生なのである。

せめてもの罪滅ぼしと思い、いそいそと表紙を裏にしてレジに、この本を持っていった。
その時の私は断首台に向かうように頭を垂れ、エロ本を買うがごとく顔を赤くしている。
学生時代の自堕落な生活、将来の夢など抱かず酒三昧の日々、儚き初恋、根拠のない自尊心などが走馬灯のごとく巡ったからである。
アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい。




高杉先生は、戦前は改造社という、リベラルな出版社で編集部員として働き、またエスペラント語運動に共感していた、国際感覚を兼ね備えた人だった。
しかし戦争末期になると、そんな自由思想は弾圧され改造社は解散し、さらに徴兵されるや終戦を迎えシベリアに送られる。
想像を絶する過酷な重労働を強いられ、終戦から4年を経て、ようやく日本に帰国することができた。


この本はその抑留生活を綴ったものである。
旧日本兵60万人のうち6万人が、ロシアの地で死を迎えたというシベリア抑留で、どのように生き延びたのか、ソビエトという国はいかなる国家体制なのかを、思想に偏向しない眼と冷静な判断で見つめている。
そして非人道的なるものを強く批判する。
それはモスクワからの命令で重労働と抑留延長を強いるソビエト側に対しても、敗戦を迎えても変わらず権力然としている旧日本軍将校に対しても、その眼は揺らぐことはない。
その思いはあとがきに端的に著されている。

〈私は、四ヵ年の抑留生活のなかで、いい意味にせよわるい意味にせよ、忘れがたく心に残ったソヴィエトの人々の人間性を描くことによって、この国についてひとつの真実を伝えたいと思った。ここで私が努力したのは、できるだけ正直に書くことと、すべてのものが政治的な時代であるにしても、望むらくは、せまい党派的なものにかたづけてしまうことができないものの意味をできるだけあきらかにすること、であった〉




学生時代にいずれロシアに関係する仕事に就くとわかっていたら、もっとロシアについての質問を投げかけていただろうと、本当に悔やまれる。
人生は未来が見えないから面白いというが、私の場合は進むにつれて、恥が多い人生だったと思わずにいられない。

(店主YUZOO)

11月 5, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)