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2018年11月 5日 (月)

第46回 紙の上を旅をする




高杉一郎『極光のかげに』(岩波文庫)

「青年老い易く学なり難し」と昔の人はよく言ったものである。
この歳になると、本を読んでは眼がショボつくし、何を記憶するにも翌朝にはケロリと忘れ、頭の中には一握の砂ほども残っていない。
そのくせ、若い頃の失態は憶えていて、ふとしたことで思い出すと、顔を赤くしたり、青くしたりと信号機のようになっている。
困ったものである。


先日、古本屋の店先にこの本が並んでいて、思わず手に取った。
実を言うと、この本の著者は私が大学の時に講義を受けていた先生、その人なのである。
児童文学についての講義だったと記憶しているが、何せ先輩から講義に出席しなくても、レポートさえ書けば単位が取れると吹聴されて受けたので、ほとんど内容については憶えていない。
高杉先生の経歴も研究テーマについても知る由もなく、たまに気が向いたら受講する、言わば幽霊のような存在。
それなのにレポート数枚で、卒業時の数少ない「優」のひとつをくださった、ありがたい先生なのである。

せめてもの罪滅ぼしと思い、いそいそと表紙を裏にしてレジに、この本を持っていった。
その時の私は断首台に向かうように頭を垂れ、エロ本を買うがごとく顔を赤くしている。
学生時代の自堕落な生活、将来の夢など抱かず酒三昧の日々、儚き初恋、根拠のない自尊心などが走馬灯のごとく巡ったからである。
アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい。




高杉先生は、戦前は改造社という、リベラルな出版社で編集部員として働き、またエスペラント語運動に共感していた、国際感覚を兼ね備えた人だった。
しかし戦争末期になると、そんな自由思想は弾圧され改造社は解散し、さらに徴兵されるや終戦を迎えシベリアに送られる。
想像を絶する過酷な重労働を強いられ、終戦から4年を経て、ようやく日本に帰国することができた。


この本はその抑留生活を綴ったものである。
旧日本兵60万人のうち6万人が、ロシアの地で死を迎えたというシベリア抑留で、どのように生き延びたのか、ソビエトという国はいかなる国家体制なのかを、思想に偏向しない眼と冷静な判断で見つめている。
そして非人道的なるものを強く批判する。
それはモスクワからの命令で重労働と抑留延長を強いるソビエト側に対しても、敗戦を迎えても変わらず権力然としている旧日本軍将校に対しても、その眼は揺らぐことはない。
その思いはあとがきに端的に著されている。

〈私は、四ヵ年の抑留生活のなかで、いい意味にせよわるい意味にせよ、忘れがたく心に残ったソヴィエトの人々の人間性を描くことによって、この国についてひとつの真実を伝えたいと思った。ここで私が努力したのは、できるだけ正直に書くことと、すべてのものが政治的な時代であるにしても、望むらくは、せまい党派的なものにかたづけてしまうことができないものの意味をできるだけあきらかにすること、であった〉




学生時代にいずれロシアに関係する仕事に就くとわかっていたら、もっとロシアについての質問を投げかけていただろうと、本当に悔やまれる。
人生は未来が見えないから面白いというが、私の場合は進むにつれて、恥が多い人生だったと思わずにいられない。

(店主YUZOO)

11月 5, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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