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2018年10月22日 (月)

第45回 紙の上を旅をする




ロシア・フォークロアの会なろうど『ロシアの歳時記』(東洋書店新社)


ロシアに関する書籍はプーチン大統領の動向と政治分析、軍事力、それに北方領土と、どうもキナ臭いものが多い。
私としては仕事の関係上、ロシアの文化、風習、芸術、伝統行事、食物といった一般庶民の生活を伝えるものを欲しているのだが、なかなか書棚に並ぶことはない。
とくにユーラシア・ブックレットを刊行し、ロシア語の入門書など、すれっ枯らしオヤジにも分かり易い本を出版していた東洋書店が、2016年に倒産したのは、かなり痛かった。


今後、ロシアをテーマにした書籍は、プーチン大統領と北方領土ばかりになってしまうのならば、さらに両国の友好は遠のくばかりになるだろうと、枕を涙で濡らして嘆いたほどである。



しかし、どういう経緯か計りかねるが、東洋書店新社という屋号で、ロシアとユーラシアに関する書籍を刊行する出版社が再び現れたことは、素直に嬉しい。
東洋書店新社のホームページには、わざわざ東洋書店とは別会社ですと断り書きを掲載しているだけに、何かしら関係があるだろうと邪推したくなるものの、それは野暮天というもの。
不惑の年をむかえた者は、軽率な発言や友達への忖度にうつつを抜かしてはいけない。
「背後」ぐらいは読めなくてはいけない。




さてこの本、『ロシアの歳時記』という題名だけに、ロシアの古くからの風習、農作業、民族衣装、祭事、民間信仰などを、エッセイ風に書かれているので読みやすく、当時の生活を伺い知ることができる。
中世から20世紀初頭の帝政ロシアまでの庶民の生活は、ロシア革命によって激変したかというと、そう単純なものでなく、表向きは変えつつも根幹は変えていないことも興味深い。

それは政治体制の変革にともなった生活の変化よりも、ロシアの厳しい自然の中で生きる農民は、春の何時頃に種子を撒き、夏の陽射しで今年の収穫量を予測し、そして秋に刈り取りをするという不変的な営みがあるから、暦の上での祭事を無視することはできなかったのだろう。
これらの祭事が頭の片隅に入っているだけで、ロシア文学や民話を読む際に、さらなる豊穣なイメージを喚起させてくれるはず。

またマトリョーシカに描かれているパンやご馳走は、どの祭事で振舞われるものなのか知ることになり、さらに愛でたい気持ちになること請け合いである。
他にもプラトークに描かれた花がいつ頃咲くのか、林檎、苺、きのこ、ナナカマドの実が、いつ頃収穫されるのだろと思いを馳せてはどうだろう。




昔、学校で習った世界史では、帝政期のロシアは農奴制で、ヨーロッパよりも100年近く遅れていたと記述されることが多い。
しかし厳しい自然環境のなかで、自然の猛威を神の怒りや悪霊の仕業と畏れながらも、豊かな文化を根付かせて、地域社会を形成したことに、ある種の感慨を覚えるはずだ。
ロシア文化を知る上で、外せない一冊。


(店主ЮУЗОО)

10月 22, 2018 ブックレビュー, ロシア語, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 9日 (火)

第48回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『ザ・コブラ・セッションズ1956-1958』(コブラ/P-vine)

オーティス・ラッシュが亡くなった。
ここ数年は糖尿病を患って体調が優れないと言われていたから、とうとうこの日が来たかと腹は決めていたものの、訃報を耳にしてしまうと、どうにもやるせない。
颱風が接近しているのを理由にして、夕方早々から弔い酒を片手に呑んでいる。
もちろんオーティス・ラッシュが遺した一連の作品を肴にして。


オーティス・ラッシュの代表作といえば、ブルースの情念が熱いマグマとなって噴き出した、コブラ・レコード時代ということに異論の余地はないだろう。
デビューして間もない22才の若者が、ここまでブルース魂を搾り出してことに驚愕し、天賦の才能が成せる表現力という以外、何ものでもない。


しかしデビューで強烈な一撃を与えてしまったことは、不幸でもあった。
以後の録音については、覇気がないだの、気紛れだの、厳しい評価がつきまとって、正統な評価が得られなくなってしまった。
だがこの不運もオーティス・ラッシュが背負いこんだブルースと言えなくもない。


今回、順を追って聴いていくと、コブラ以降は録音機会に恵まれず、言わば飼い殺し状態。
移籍したチェス・レコードの「So many roads so many trains 」は渋めのスロー・ブルースでオーティス・ラッシュらしさが出ているものの、次に移籍したデューク・レコードの「Homework 」はR&B調の当時の流行を取れ入れたスタイル。
出来栄えは悪くないが、どちらもヒットとは縁遠かった。


音楽シーンがブルースからロックンロール、R&Bへと移り変わる時代に、レコード会社がオーティス・ラッシュの性根の座ったブルースを上手くプロデュースできなかったことが、この不運に繋がっている気がする。
オーティス・ラッシュ自身も器用な人でない。
音楽シーンに合わせて、自身のスタイルを変化させるなんて無理な相談である。


しかし近年、オーティス・ラッシュの未発表音源が発表されるなか、傑作ライブ盤『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』を聴くと、約束事の多いスタジオ録音よりも、瞬時にブルース魂を昇華できるライヴのほうが、性に合っていたのだろうと思う。
バック・バンドに恵まれて、自身も気分に乗っているときは、桁違いのパーフォマンスを見せつけてくれる。


1995年に日比谷野音でオーティス・ラッシュの雄姿を観た時もそうだった。
夕暮れ時の周囲のビル郡が紅く染まるなか、マーシャル社のアンプに直接シールドを突っ込み、バック・バンドの倍以上の音量でギターを響かせ、振り絞るように歌う姿に、完全にノックアウトされ、不覚にも涙が出てしまった。
ひとつ、ひとつのギターの音が、唸るような歌声が、オーティス・ラッシュが背負いこんだブルースであり、人生が凝縮されていたからだ。
ブルースはその人の生き様、そのものが音楽だと思った。


年が過ぎ行くにつれ、好きなミュージシャンが天に召されていく。
安らかに。

(店主YUZOO)

10月 9, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)