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2018年9月26日 (水)

第44回 紙の上を旅をする




色川武大『喰いたい放題』(光文社文庫)

異色のグルメ本である。
大方の食べ物に関する書籍は、名も知れぬ名店や創業時の味を頑固までに貫いている老舗店、あとは食に関するウンチク、たとえば烏賊は呼子に限るとか、英虞湾の牡蠣を食さなければ真の食通とは言えないとか、とにかく読者の口内を唾で満たすことを主眼においたものばかりである。
そのため絶品料理を芸術作品や宝石箱などという洒落た表現を使って、文字で舌先を疼かせるわけである。
文字で腹を満たさなければならないから、ありきたりの比喩ばかりでは、読者が胃もたれを起こしてしまう。
一筋縄ではいかない分野である。


この本は、読者に名店や絶品グルメを紹介するために書かれていないゆえに、異色なのである。
色川武大はアウトロー、無頼としてその名を知られた作家。
晩年はナルコレプシーに悩まされ、心臓疾患や高血圧など満身創痍の状態。
医者からは食事制限をきつく言われ、このまま野放しにしておくと着実に死が訪れると恫喝されている、出口なしの状況なのである。
その半病人が頭でわかっていても、身体は食べ物を眼の当たりにすると、つい欲望が優ってしまう。


《年齢相応、体調相応に、淡白なものばかり喰べているせいだろうか。ここのところは、主治医のセンセイ方には、ぜひご内聞にねがいたいのだが、どうも全体に、喰い物に対する意志がたるんできて、守るべき筋を守っていないきらいがある》と反省の弁を述べたものの、その数行後に《油でぎらぎらしたものが喰いたい》と政治家の公約のように前言を翻し、胃袋の欲求に導かれるように、あれやこれや食してしまう。
さらになかなか改善しない体重を医師から咎められるのだが、相談しているのは主治医ではなく、主治医の友人である神経科医というのだから恐れ入る。


なぜ主治医のもとに行かないかという理由が《もうすくなくとも十キロほど痩せ、不摂生を排し、血圧を下げるなどして、心身ともにクリーンにしてから主治医の前に現れたい。今のままではあまりに見苦しい》というのだから恐れを通り越して、苦い笑いを浮かべてしまう。


この本は健康診断の結果を見るたびに、落第点を取ってしまった子供のごとく首を垂れる我らが世代が、とくに共感できる内容である。
若かりし頃のように溌剌した身体に戻すために、ジョギングや水泳で汗を流し、果ては高価なサイクリング車を買ったりするものの、足腰を痛めて1ヶ月と続かない。
3日も保てば上出来であるという貴兄も共感できる。
医食同源というものの、食と酒に対しては節度をわきまえないのが、成人病と背中合わせに生きている世代なのである。


美味しいものは脂肪と糖でできているという言葉は、真を射ている。
よく言ったものだ。たしかに。

(店主YUZOO)

9月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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