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2018年6月25日 (月)

帰国の愉しみ




10日ほどの買付を終えて帰国の途に着く際、愉しみにしていることがひとつある。
日本の地を踏んだら、まず寿司をつまんで舌鼓を打ち、日本酒の繊細な芳香と味わいに身も心も委ねたいとか、鄙びた温泉宿で何も語らず、何も思考せず、ぼんやりと過ごしたいとか、他愛のない妄想に耽ることではない。
フライト時間は10時間近くあるゆえ、そのような妄想に費やしたとしても、時間はサッカーの試合3回分ぐらいは残る。


それに寿司を想像したところで、回転するレーンの上を黙々と通り過ぎる鉄火巻や紙のように薄い鮪の赤身ぐらいしか浮かばず、薄っぺらい財布では名店の暖簾をくぐれないのが現実。
妄想によって己れの甲斐性の無さを思い知らされことになり、陰鬱に首を垂れるだけになってしまう。
そんな思いをするのならば、機内食を口に放り込んで早々に寝てしまうのが、精神衛生上一番の得策とも言える。


飛行機はドモジェドボ空港を17時45分に飛び立ち、翌日の朝8時頃には日本に到着する。
日付をまたぐことになる。
この夜を飛び越えることが、帰国の愉しみの重要ポイントなのである。
5月の北半球は夏至が近いので、強い陽射しのなか飛行機は飛び立ち、1時間もすると眼下にはロシアの大平原が広がり、やがてはシベリアの鬱蒼とした太古の原野へと変わる。
見渡すかぎり深く豊饒とした緑一色で、人間の生活空間はどこにも感じられない。
蛇行する大きな河があり、湿地か湖沼か区別がつかない水溜りが点在するだけである。


その頃にはあれほど栄華を極めていた太陽は心なしか衰えを見せ、柔らかな光をシベリアの森林に注ぐ壮年期に入っている。
さらに機内食が配膳される時間になると、太陽は好々爺の表情となり、もはや力強い陽射しの面影は微塵もない。
そして機内食が終わると室内灯は消され、弱々しくなった陽の光が唯一の光源となる。




私は座席に備えられた小さなモニターで映画を観るのは好まないから、窓の外へと視線を移す。
この時間帯が帰国の愉しみとなる。
相変わらず、人間の手垢で染まっていない果てることのないシベリアの原野があり、陽を受けた河川は鈍色に輝いている。
東の空は暮れ始め、濃紺の空に星々が煌めきはじめる。
あれほど若さに満ち溢れていた太陽は、白、黄、橙、赤、紅、茜と変化して、今では肉眼でじっくりと眺められるほどだ。
すっかり老いてしまった太陽は、西方の果ての終の住処へと家路を急ぐ。
落陽する周辺の雲は、黄金色に燃えて美しい。
それも、ほんの一瞬。
地平線を辿るように細いひと筋の光が流れると、そのあと空と大地のけじめがつかない暗闇が訪れる。
星が瞬く。
シベリアは漆黒の原野となり、静かな眠りにつく。




まるで人の一生を垣間見ているかのようである。
太陽の生老病死があり、それに伴って太陽と共にあったものが静寂に包まれていく。
森羅万象。
この自然が織りなす悠々かつ深遠なる美を眼に焼き付けたいがために、ロシアに買付に行っていると思うほど、感情が滔々して昂ぶり、深い息を飲まされる。

この美しい自然の芸術を愉しむことができるのは、左側の座席のみ。
ヨーロッパ方面から帰国される方は、多少窮屈な思いをしても、左側の窓側席を確保することをお勧めする。
涙を流すのも良し、何かを悟るのも良し。
旅の終わりを締めるには、これ以上の美は他にない。

(店主YUZOO )

6月 25, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 1日 (金)

買付人の食生活




いよいよ帰国の日が来た。
ある方面からは、ロシアではマトリョーシカや工芸品を愛でて、夕餉はロシア料理に舌鼓を打っていると思われている節があるが、それは根も葉もない風説。
実際は、毎日財布の中身と相談しながら切り詰めた生活を送っている。
移動手段は地下鉄、バス、路面電車といった公共交通を利用し、そこから現地まで徒歩で行く。
自慢ではないが、ロシアに来てから一切タクシーを利用したことはない。


買付人は悲しいことに、贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは、という旧日本軍の思想が未だに根付いている職業である。
ここで贅沢しなければ、あと2つマトリョーシカが買えると考えてしまう哀しき性根の持ち主なのである。
一度でもいいからキエフ風カツレツやビーフストロガノフを心の底から堪能し、グルジア・ワインに酔い痴れたいのだが、これは叶わぬ儚い夢である。




ではどのようなところで食を満たしているかというと、ロシアのファーストフード、「クローシュカ・カルトーシュカ」か「テレモーク」の安セットを頼むことにしている。
「クローシュカ・カルトーシュカ」はロシアの主食であるジャガイモをオーブンで焼いたものが定番の店で、「テレモーク」はボルシチやブリヌイなどロシア家庭料理をメニューにした店。
これを食してロシア料理を語るのは間違いで、回転寿司を食べた後に江戸前寿司を論ずるようなもの、あくまでもファーストフードの域を超えない味である。
ただ一食につき500円程度住むのは、財布には嬉しい。


また仕事終わりの一杯にしても、スーパーで買ってきたハムやチーズを肴とする慎ましい宴。
鮮度の良い刺身や焼トン串があればと思う時もあるが、それは空想上のメニューとして頭のなかで食し、缶ビールをグラスに傾け、良しとしている。
ロシアのビールは様々な銘柄があり、また隣国チェコやドイツ産のものも幅を利かせているが、今回は浮気をせず「バルチカ」と「トリー・メドベーチ(三匹の熊)」の二枚看板のみで、1日の締めとした。




「バルチカ」も「トリー・メドベーチ」も日本のビールと変わらないドライで少し苦味のある味で、ドイツビールのようにずっしりとした重みはない。
飽きのこない、締めに相応しい味である。

ただ最期の晩ぐらいは、少し違う銘柄を試そうと、ペットボトルに入った自家製ビールなるものを買ってきた。
どの家で作られたのかは計りかねるが、スモーク臭が強い、スコッチウィスキーをホッピーで割ったような一癖ある味。
ハムを肴にすると良い塩梅だが、日本から持参した柿の種だとスモーク臭が勝って、ビールの気軽さがない。




やはり浮気がいけなかったのか。
味覚を刺激するような主張の強いビールは、気の強い女性と同様に、私には合わないという結論に至った次第。
こうして買付最後の貧しい晩餐は幕を閉じた。

(店主ЮУЗОО )

6月 1, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)