グジェリの名も無き逸品
今回の買付はマトリョーシカ以上に陶器に主眼を置いている。
しかもインペリアルポーセレン=ロモノーソフというような高級陶器ではなく、グジェリ、リュドーボといった、誰でも手に取って愉しむことができる一般的なもの。
日本でいえば瀬戸物に類する庶民派の陶器である。
庶民が日常的に使っているモノにこそ藝術性が秘められていると提議したのは柳宗悦だったか、此の国ロシアでも革命時に「民衆のなかへ!」をスローガンにロマノフ王朝を倒した歴史があるだけに、生命力が漲るモノは庶民性のなかに宿っているはずである。
煌びやかな高級品に目を眩まされて、高いモノは良いモノだという単純思考に陥ることなく、鋭い眼光で庶民的なモノからキラリと輝く名品を見つけ出すことこそが、真の買付人の仕事ではなかろうか。
なんて、そんな深い洞察をもとに買付している気持ちは爪先ほどもなく、結果としては高級品よりも庶民的なモノが、性に合っているからである。
元来、四畳半と六畳二間の文化住宅で育った人間である。
高尚なモノの良し悪しを見極める審美眼など持ち合わせていない。
グジェリのユーモラスな動物の置物が、私の眼には良く馴染む。
さてグジェリに直接買付となると、車が無いとかなり不便を要して、近郊電車でグジェリ駅で降りたとしても、野原のど真ん中に置き去りにされたようで、前にも横にも進めない。
今回はコブロフさんの息子のアントン君が手伝ってくれた。
アントン君に最初に出会ったときは、まだ中学生。
それが大学を卒業して父親の仕事を手伝いながらも、新しいビジネスを模索しているのだから、時が経つのは早いものである。
しかもアントン君がヘビィーメタルに陶酔していたときにプレゼントしたメタリカのTシャツを、今も大切に来ているのが嬉しい。
買付に来たのはグジェリ工場の直営店。
グジェリには11ほどの窯元が点在しているが、このお店ではそのほとんどの製品が置いてあるので、1日かけて工場を巡るよりは時間の節約ができ、さらに価格もリーズナブル。
しかもグジェリの名工が制作した逸品も取り揃えているので、至れり尽くせり、ビールの付け出しに落花生が添えられているような塩梅である。
ただ名工の逸品と名も無き職人が制作したものが、同じような熊の置物であっても、価格差が5倍も違うのには、思わず眼を瞠ってしまう。
一緒に並べたら画力に雲泥の差があるのは一目瞭然なのだが、単品として置かれたら、名も無き作品でも堂々とした風格を感じてしまうのは、私の眼が節穴だからなのか。
とりあえず名工と名も無き職人の作品関係なく、眼に止まったものを、次々と買付していたら、その数は優に100個を超え、アントン君も店のおばさんも、半ば呆れ顔で見ている。
審美眼を持ち合わせていないと、買付量が増える傾向にあると痛感した次第。
まだまだ人生の途上である。
(店主ЮУЗОО )
5月 27, 2018 海外仕入れ店主のつぶやき | Permalink
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