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2018年5月10日 (木)

第44回 紙の上をめぐる旅




岡本太郎『青春ピカソ』(新潮文庫)

最近どういうわけが気分が沈殿し、休日は予定を入れず家に篭りきり、外出する気にさえなれない。
四月は花粉症ゆえ、あえて外出を控えていたのだが、それが板についてしまったようである。
日頃の痛飲、鯨飲、暴飲に愚痴を言わず辛抱強く最後まで付き合ってくれる肝臓を休めるには好い機会と思いつつも、黄金週間のほとんどを家で過ごしているというのは、さすがに不健全である。


今、巷で囁かれている男の更年期とは思いたくない。
単に出不精の性格が、この年齢になって再び顔を出したのだと思いたい。
子供の頃は、昆虫図鑑や鉄道の時刻表を眺めては、ぼんやりと夢想したり、徐ろに絵を描いたりして、夕飯まで過ごしていることが多かった。
旅するのは好きだが、突き詰めれば私の性根は、筋金入りのインドア派なのである。
そんな部屋に篭りきりの私に呆れ顔の家族を尻目に、読書三昧の日々を過ごしている。


本日は岡本太郎『青春ピカソ』を読んだ。
出版されたのが昭和28年だから、岡本太郎が42歳の時の作品になる。
青白いエネルギーで満ち溢れていた青春の日々とピカソの永遠に流転する創作活動を重ね合わせて、このような甘酸っぱい題名にしたのだろう。
それは若き日、ピカソが既成概念を破壊する凄まじい光を放つ作品群を観た瞬間、血肉が熱く沸騰し、産毛が逆立ち息もできない程の衝撃を食らいつつも、同時にピカソが創作した新しい芸術に対し、今度はこの芸術を破壊し新たな芸術を創造するのが、自分の使命だと感じた野心も表している。


《いうまでもなく芸術は創造である。とすれば過去の権威を破砕することによって飛躍的に弁証法的に発展すべにものである。芸術家は対決によって新しい創造の場をつかみとるのだ。もっとも強力な対決者を神棚に祀り上げてしまったのでは、この創造的契機は失われる》


私は美術史や美術様式については門外漢なので、低い声でボソボソと呟くしかないが、この自身の創作に対する所信表明は、諸手を上げて共感する。
権威ある芸術の模倣だけで終わってはならないは、画家にかぎらず、詩人、小説家、音楽家、舞踏家も同じである。
その芸術表現に激しく魂を揺さぶられ、畏敬の念を表しながらも、自身が手にした絵筆は、それを超越する表現を模索しなければならない。
この創作態度は、終始一貫していて、岡本太郎が残した他の著書でも、繰り返し述べられている。
たぶんその頑なな創作姿勢に魅かれて、没頭してしまうのだろう。


最後に何年ぶりかのピカソとの邂逅についての随筆が載っている。
世界的な名声を得た大芸術家と旧交を温めつつ、日本文化や今日の芸術について、若い頃のように議論を戦わすことなく、世間話風に寛いでいる姿に、つい眼を細めてしまう。
ピカソと親友でいる日本人が存在したのが誇らしいというような下世話なことではない。
同時代に旧態然とした価値観を破壊して、新しい芸術を創造しようと挑戦し続けた、規格外の芸術家が日本にもいたことが嬉しく思うからである。
ピカソとの邂逅は、戦争の世紀だった20世紀に、芸術家として共に戦った戦友との思い出話と言えなくもない。

(店主YUZOO)

5月 10, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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