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2018年4月13日 (金)

第42回 紙の上をめぐる旅




ソルジェニーツィン『短編集』(岩波文庫)

長い間、探していた本を、ようやく神田で見つけた。
今はインターネットで検索すれば欲しいものを容易に手に入れられる時代ではあるが、クリックひとつで実現してしまうのは、何だか味気ない。
古本屋の薄暗い灯りの下で、眼をしょぼつかせながら、本棚を一段ずつ右から左へと追っていき、ようやく見つけ出した時の喜びは、金鉱を掘り当てような気分で、何ものにも代え難い。


まさに一期一会。出会いに物語がある。


何故ゆえにこの本を探し続けていたかというと「マトリョーナの家」という短編が収められているからである。
マトリョーナといえば、マトリョーシカの元となったロシア女性の名前で、マトリョーシカが生まれた19世紀には、かなり一般的な名前だったと言われているものの、意外にも文学作品で巡り合わない。


私が読んだ範囲では、ネクラーソフ「だれにロシアは住み良いか」とドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」に出てきたぐらい。
ネクラーソフのマトリョーナは大地に生きる逞しい女性がいきいきと描かれていたが、ドストエフスキーのマトリョーナは、下働きの貧しい女性で、個性も乏しい。
それだけにソルジェニーツィン版マトリョーナに対する期待は、否応にも高まるというもの。


発表されたのは、スターリン批判が行われた第22回ソビエト共産党大会があった1961年、雪解けの頃。
その歴史的な批判から2年後の1963年に「新世界」から出された。
マトリョーナの一生を描いた、この物語は1953年に設定され、1893年生まれの60才にしているところに、思わず細い眼をさらに細くしてしまった。
マトリョーシカが誕生したのが、1890年代末と推測されているので、ほぼ同年代だからである。


マトリョーナはとても貧しいのだが、困っている人があれば無償で手助けし、多くの資産を持たず、他人に騙されても、それなりの理由があるからだろうと考える、温厚で信心深い人柄として描かれている。
ソルジェニーツィンはその温厚な人柄に、ロシア革命以前の古き良き共同体が成立していた社会と、ノルマを達成することと個人財産を守ることに終始する、今のソビエト社会に生きる人々と対比させている。
マトリョーナの生き方を通じて、どちらの社会が人間らしい生活を送っているのかと、問題提起しているのだ。


物語は、奪われた自分の財産を乗せたトラックが線路で立ち往生した時に、お人好しのマトリョーナは手助けに行き、非業の死を遂げてしまう。
ソルジェニーツィンはその死を悼み、慈しみ深い言葉でこう結ぶ。


「自分の夫にすら理解されず、棄てられたひと。六人の子供をなくしながら、おおらかな気持ちをなくさなかったひと。妹や義理の姉とちがって、滑稽なほどばか正直で、他人のためにただ働きばかりしていたひと(中略)われわれはこのひとのすぐそばで暮らしておりながら、だれひとり理解できなかったのだ。このひとこそ、一人の義人なくして村はたちゆがず、と諺にいうあの義人であることを」


この小説が書かれた時とマトリョーシカが生まれた時代は、70年以上の隔たりがある。
しかし私が手にしているマトリョーシカは、無償の愛を兼ね備えた人が生きた時代。
この人のように生きなさいという願いを込めて付けられたのである。
そう思わずにはいられない。


(店主ЮУЗОО)

4月 13, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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