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2018年3月30日 (金)

第39回 紙の上をめぐる旅




岡本太郎『美の世界旅行』(新潮文庫)

旅行記を読むのが好きである。
自分が訪れたことのない国の見聞も良いし、何度か訪れた場所であっても、感性がちがうと印象までも異なってしまうことに驚かされるのも良い。
そのような視点で観られなかった自分の感性の未熟さを思い知らされ、顔を赤らめて口を噤んでしまうこともある。


人の数だけの感性があるのならば、その数だけ旅先での体験や感動があるはずである。
それは何度も訪れた場所でも、実は表層しか見ていなくて、まだ自分はその土地について、何も知らないという事実につながる。
無知の知というか、未知の地。
世界は驚きに満ちている。


この本で岡本太郎は感性の触角をピンと張って、世界の様々な芸術作品と対峙している。
その感性は大きく時代を遡り、騎馬民族が世界を席巻した頃まで辿り着き、「北ユーラシアの大草原、ウラル・アルタイ、そしてモンゴルを通って朝鮮半島に吹きつけて来た流動感。私はそれを「風」として素肌に感じとるのだ」と感慨深く語るのである。
それもチャンスンという発祥の地、韓国でも忘れられた存在になっている、ひょろりと長く伸びた棒切れを眼の前にして。
その感性の自由さ。大らかさ。
時代も文化もひとつの凝縮した塊となって、それは棒切れでなく、隆盛を極めた騎馬民族の証しとして、岡本太郎の眼には映っているのだ。


その類稀なる感性をもって、スペインのサクラダファミリア教会に、メキシコのアステカ文化に、インドのタントラに、激しく揺さぶられて、強く共鳴していく。
漲るエネルギーを内包して。


岡本太郎が創り出す芸術作品、美術論に共感できない人は多いかもしれない。
しかし、これだけの鋭い感性とエネルギーの放射をもって、対象物と対峙したことはあるだろうか。
有名な絵画だから素晴らしいとか、世界的な画家だから一流だという、固定観念で鑑賞していないだろうか。
岡本太郎の眼は世界的な評価という束縛を嫌い、一貫して原初的なプリミティブな作品に対して、畏敬を抱いて見つめている。


我の眼は濁っているか、澄んでいるか。

(店主YUZOO)

3月 30, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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