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2018年2月10日 (土)

第35回 耳に良く効く処方箋




村八分『草臥れて』(ゲイターワブル)

この音源が発見されてCD化されとき、大きな話題になった。
何しろ村八分は、ライヴ盤1枚のみ発表して解散してしまった伝説のバンドであり、日本のロック黎明期において、はっぴいえんどと同じく、重要な位置にある。
そのバンドのスタジオ音源が存在したことに、驚きで眼の玉がぐるりぐるりと廻ったのを、昨日のことように覚えている。


ただスタジオ録音といっても、ミックスダウンが施され、各パートのバランスを均等にした、いわゆる完成された音源ではない。
ライヴ前のリハーサルのような一発録り。
このバンドの生々しい音がダイレクトに伝わってくるだけに、このラフミックスは、伝説をさらに雲の上へと昇らせる迫力がある。


ボーカルのチャーボーの独特の歌唱と山口冨士夫のブルージーで歯切れの良いギターが素晴らしい。
そして何よりも歌われている世界観が、デカダンス、アウトロー、ニヒリズム、ダダイズムに酔っているような、もしくは怠惰、堕落、無頼、厭世を宣言しているような、他者を拒絶した詩の世界をつくりあげている。
この「操り人形」の歌詞は、徹底したニヒリズムが歌われているが、チャーボーの描く世界は絶望のなかに純粋が潜んでいると、私は思うのだが如何だろうか。


神(の子)を殺して
人の心に葬ってやった
人を殺すかのように
引き裂いてやった
流れる人混みを弄び
馬鹿な人間どもを操り人形のように
操ってやる 操ってやる


また最終トラックの「あッ!」では、こんな詩が歌われている。


俺は片輪、片輪者
心の綺麗な片輪者




ここでは片輪という言葉を、尊いものへと昇華させて、聴く者の精神に混沌と疑問を与える。
それは常識への問いかけかもしれない。
言葉というのは、ひとつだけの意味付けしかされないと、時代の価値観と共に風化してしまい消えていく運命にある。
解釈の多様性によって言葉は、時代の流れのなかを生き抜き、常に新鮮な響きをもって迎え入れられるのだ。
あえて差別用語として嫌み嫌う言葉を使って、このような美しい世界を創りあげることができるのだと、ロック的なカウンターカルチャーな挑戦なのである。


残念ながら、ロックがカウンターカルチャーの代名詞だった70年代は終わり、この系譜をひくバンドは無くなってしまったが。


村八分が伝説になったのは、活動期間が短く、アルバムを1枚しか残さなかったからではない。
このチャーボーが描く世界、それに応呼するように、蛇が這い回るような湿った山口冨士夫のギターが、ライヴを観た者を釘付けにして、心に反抗的精神が巣食ってしまったからだろう。
伝説は必然的に生まれたのだ。


(店主YUZOO)

2月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー |

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