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2018年1月31日 (水)

第29回 耳に良く効く処方箋




ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビック・ピンク』(キャピトル)

冬真っ盛りの季節となると、外に出ようという気もなく、ひたすら音楽を聴く休日になる。
あまり聴いていないアルバムを掘り出して新鮮な驚きに満たされるのも良いが、もう何百回と聴いたお馴染みを聴くのもいい。
そのアルバムを初めて聴いたときの喜びを思い出したり、サビのところを一緒に口ずさんだりする。
そんな冬の過ごし方も悪くない。


ザ・バンドのこのアルバムと2枚目は、何度聴いただろうか。
ボブ・ディランとリチャード・マニュエルの共作「怒りの涙」で始まる本作は、最初の1曲でその世界に入り込める稀有なアルバムである。
古き良きアメリカを思い浮かべるハートウォーミングなサウンドは、カナダ出身のメンバーが占めているグループでながらも、ロニー・ホーキンスやボブ・ディランのバックで演奏力を高め、ルーツミュージックを学んでいったのであるのだろう。


とくにロニー・ホーキンスのバックを離れ、独立した時は、場末のバーや安酒場のステージに立ち、ヒモや娼婦、アルコール中毒を相手にしていたというから、耳を傾けて聴く相手でもないのに、様々なレパートリーを要求されて、さらにバンドの結束力が高まり、このメンバーでしか出せない音を作り上げたに違いない。




例えで言うならば、ロック・バンドを目指している若者が「あんたら、楽器持っているんだから、『三年目の浮気』を演ってくれや」と酔漢からリクエストされるような状況。
その中でこのバンドならではの独特なサウンドが創り上げられた。
この例え、ちょっと違うかな。


このアルバムのベスト・トラックは「The weight」、「I shall be released 」なのは、誰もが認めるところ。
とくに「I shall be released は、1986年に残念ながら自殺してしまうリチャード・マニュエルがリード・ボーカルを取っていて、この人の哀愁を帯びた歌声に胸を締め付けられる。


俺には朝日が輝き出すのが見える
西に沈んだ太陽がまた東から昇るのが
いつの日かまた
いつの日かまた
俺は自由の身になるだろう


リチャードだからこそ、描くことができた世界だと思う。
武骨な男の繊細な心を聴くことことができる。
自ら命を絶ったのが口惜しい。

(店主YUZOO)

1月 31, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月30日 (火)

第28回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』(デルマーク)

このライヴ盤を聴かずして、オーティス・ラッシュを語ること無かれ。
とにかく表題どおりの嘘偽り無しの激情ライヴである。


ブルースのガイド本で語られるオーティス・ラッシュは、デビュー当時のコブラ録音が凄まじいブルースを放っていたため、以後のアルバムは評価が厳しく、今ひとつだの、眠れる巨人はいつ目覚めるのかと、手放しで受け入れられることがなかった。
最初に後世に残る傑作群を発表してしまうと、次作以降は手厳しくなってしまうのは、世の常かもしれないが、長年にわたって言われ続けると、さすがの巨人だって不貞寝したくもなる。


私観だが、オーティス・ラッシュはスタジオでこじんまりと録音するよりも、鉄壁のバンキングに煽られているうちに、自身のブルース魂に火がつき、抑えていた激情をボーカルに、ギターに解き放つのではないか。
何テイクも録音して、トラックを重ねていくスタジオは合わない。
ライヴに本領を発揮するブルースマンなのである。


日比谷野音で行われたブルース・フェスティバルでも、オーティス・ラッシュは周りのビル郡のガラスが震えて落ちるぐらいのギターを聴かせてくれたし、艶のある男気に満ちたボーカルは、巨人の名に相応しい素晴らしいものだった。
このアルバムは、その時のライヴを彷彿させ、ブルースメーターの針を振り切った最高潮の音を聴かせてくれる。




とくにスローブルースで聴かせるボーカルとギターは極上で、オーティス・ラッシュの実力をまざまざと見せつける。
「You’re breaking my heart 」、「Mean old world 」、「Gamblers blues 」など感情を抑えたボーカルの後に、斬り込むように入るギターソロは鳥肌もの。
完全に自己の世界に観客を引き摺りこみ、陶酔させている。
この世界を目の当たりにするなんて、この時の観客が羨ましい。


この音源は、30年経った2005年に陽の目を見ているのだが、すぐに発表していれば、眠れる巨人と揶揄されずに済んだのに。
オーティス・ラッシュの1枚を選べと言われたら、迷わずこれを選ぶ。
そう思うと口惜しい。
デルマーク・レコードの罪である。

(店主TUZOO)

1月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月29日 (月)

第26回 紙の上をめぐる旅




伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書)

スペインに滅亡されられたインカ帝国の遺産として、今や全世界で栽培されるに至ったジャガイモ。
生産性が高く栄養も豊富ゆえ、「貧者のパン」とまで言われるようになったジャガイモが、如何にして海を渡ってヨーロッパへ、アジアへ、そして日本へ辿り着き、飢饉や動乱であえぐ庶民の空腹を満たす食材として重宝されたのかを紐解いてくれる。
それは戦争や自然災害で翻弄される庶民の歴史でもある。


日本史の教科書で初めての公害事件として記される足尾鉱毒事件。
公害により先祖代々続く土地を、泣く泣く離れなければならなくなった住民を、県と国は言葉巧みに、北海道開拓移民の道を勧め、オホーツク海をのぞむ極寒地の佐呂間へと入植させるのである。そこは未だ人間が足を踏み入れたことのない原生林が生い繁る太古の原野。
その未開の土地を額に汗をして、少しずつ開墾して、何とか人の住める土地へと変えていく。


この本に当時の写真が掲載されているが、住居は藁葺きの掘っ立て小屋。
冬には−20度を超える厳しい生活が見てとれ、この入植が過酷極まりないものだと想像できる。
その地で人々の生命を現世に繋ぎ止めてくれたのは、ジャガイモのだったという。




ロシアでもジャガイモに救われた話が、20世紀の終わりに起きている。
ソビエト崩壊後の経済が混迷するなか、自給自足で何とか食をつなぐことができたのは、ダーチャとジャガイモのおかげだと、当時を知る者は口々に話す。
人々はスーパーに並ぶ1日ぶんの給料を超えるような食材を尻目に、ダーチャで畑を耕し、ジャガイモを植え、家族の飢えを満たすことができた。


「ジャガイモは五百キロぐらいとれたから一年分あったね。野菜類を含め、食べ物の半分はダーチャの作物で賄えた。両親は本当に喜んでくれた」
この言葉に、当時のロシア人がダーチャとジャガイモに助けられた事実に実感がある。


第二次世界大戦敗戦後のドイツでは、国民ひとりあたり1日1000キロカロリー以下にまで貧窮したため、公園の敷地を耕作可能な土地にして、市民農園として貸出たという。もちろん、主に植えられるのはジャガイモである。


またジャガイモが疫病に罹り、大飢饉に陥ったアイルランドの例も紹介している。
やむなく母国を離れ他国へ移り住んだ人と餓死した者を合わせると、250万人以上だという。
ジャガイモの収穫の良し悪しが、国の根幹さえ揺るがしてしまうのである。


世界を揺るがしたジャガイモに、うむと唸ることさえできず、ただ眼を瞠るばかり。
そして、ふと思う。
スペインに侵略され滅亡に至ったインカ帝国だけども、ジャガイモによって平和裡に世界征服をしているのかもしれないと。

(店主YUZOO)

1月 29, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月28日 (日)

第27回 耳に良く効く処方箋




シュレルズ&キング・カーティス『ギヴ・ア・ツイスト・パーティ』(セプター)

ツイスト・ブーム真っ盛りの1962年、この流れに乗って企画されたアルバム。
当時「Will you love me tomorrow 」、ビートルズもカバーした「Baby it’s you 」などのヒット曲を連発していた人気のガールズ・グループ、シュレルズと売れっ子サックス奏者、キング・カーティスが組んだら、どんなご機嫌なアルバムが出来上がるのだろうと、レコード会社が熱を入れた企画だったのがわかる。


このアルバムの企画で注文すべきは、何曲かキング・カーティスがボーカルを取っていること。
サックスでは艶めかしい音色が特徴のカーティスだけど、ボーカルは意外にも軽めの豚骨味で、手本にしていたのはレイ・チャールズだと、はっきりわかるスタイルが微笑ましい。
「Take the last train home 」は、完全にリズムからボーカルまでレイの「What’d I say 」の影響が大きいナンバー。
心の底からレイのことを陶酔していたのでしょうな。思わず目頭が熱くなります。




シュレルズ・サイドの聴きどころは、一曲目の「Mama here comes the bride 」。
結婚行進曲のイントロに導かれて、嬉々として歌い始める姿に、箸が転んでも笑い転げる女の子たちの若さが弾けんばりのボーカルに、もう目尻が下がりニヤケてしまいます。
はち切れんばかりの若さがないと、こんなにエネルギッシュに歌えませんな。
目尻の皺が目立つ私には、もう逆立ちしたって、こんな曲は歌えません。


あとジェシー・ヒルのヒット曲「Ooh poo pah doo 」でディープな歌唱を聴かせて、シュレルズの違った一面を見られたのが、意外な収穫。
星の数ほどあるガールズ・グループの中でも、実力はひとつ抜き出ていたことを証明してくれる影の注目曲です。


ソウル・ジャズ好きとガールズ・グループ好きの両方のお腹を満たせてくれる良盤。

(店主YUZOO)

1月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月27日 (土)

第26回 耳に良く効く処方箋




ヴァン・ダイ・パークス『ムーンライティング』(ワーナー・ブラザーズ)

ヴァン・ダイ・パークスが1998年に発表したアッシュ・グローヴでのライブ盤。
音源自体は、1996年に録音されたというから、2年の歳月を経て発表というあたり、実に奇才音楽家らしい。
きっとミックス・ダウンしながら、左右の音のバランスが悪いだの、奥行きを感じられないだの、ぶつぶつと小言を並べて、遅々として作業が進まなかったのだろう。


満を持して発表された音だけに、悪い訳がない。さすが職人が成せる技といいたい。
昨今、納期に間に合わずため、原価を下げるため、データを改竄して安直にモノづくりを行う輩がいるけれど、ヴァン・ダイ・パークスの爪の垢を煎じた上に、更に発酵させて、熱いお茶と共に飲んでもらいたい。
良いモノをつくるには、手間隙と妥協をしない心持ちが大切なのである。




さてこのアルバムは、ベスト・オブ・ヴァン・ダイ・パークスという体裁を取っていて、新旧の名曲を織り交ぜており、老若男女が愉しめる内容になっている。
もっとも寡作の音楽家だから、この時点で活動歴30年のベテランでありながら、発表されたアルバムは10枚にも満たない。
しかし曲つくりの姿勢が一貫しているので、違和感なく聴くことができる。
まさに頑固職人の風情。
世間に流されず、目を向けずの精神である。


フル・オーケストラが優雅に奏でる名曲の数々は、旧き良き映画音楽のサントラを聴いているようであり、アメリカが輝いていた時代を思い浮かべる。
そのこだわりは、SP盤を模したジャケット・デザインにも現れている。
20世紀は終わりに近づいているけども、戦争に明け暮れていただけではない、素敵な音楽もたくさん生まれたんだよと言わんばかりに。


そしてクレジットを眺めて驚いたのだが、コンサート・マスターは、ダン・ヒックス&ザ・ホットリックスでバイオリンを弾いていた、シド・ページなのである。
旧き良きアメリカ音楽を知り尽くしている2人が、タグを組んでいるのだ。悪い訳がない。


(店主ЮУЗОО)

1月 27, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月26日 (金)

第25回 紙の上をめぐる旅




室謙二『非アメリカを生きるー〈複合文化の国で』(岩波新書)

良い意味で裏切られた本である。
表題から察すると、アメリカ永住権を取得した人が、かの地で生活していく際に、立ちはだかる人種差別や文化の違いに翻弄される半生を綴ったものと想像してしまうが、その内容とは異なる。


この本に登場するのは、最後のインディアンと呼ばれたイシ、スペイン戦争に自ら志願して赴いた若者たち、ジャズの革命児マイルス・ディヴィス、禅に人生の意味を問うビートニク、生き延びる術を幼い頃から身につけるユダヤ人。
それらの人々が信念として内に秘めているアイデンティティこそが、アメリカが本来理想として掲げている自由なる精神を体現しているのではないかと、鋭く考察している。


スペイン戦争に参加することは、共産主義に傾倒する恐れがあるとして禁止し、不当に取り締まる母国アメリカに屈せず、密航してまでもスペインに向かい、しかも武器も充分に手にしないまま約3割が命を落とす。
自ら危険を冒してまでスペインへと駆り立てたアイデンティティとはと、友人であるハンクの言動や回想録に答えを求めようとする。
またビートニクが東洋思想にこそ真理が在ると、仏教や禅にそれを求める姿に、たとえその修行が我流であったとしても、その姿にアメリカらしい自由なる精神が現れていると、著者は考える。




ひとつの音楽スタイルに安住することなく、飽くなき挑戦を続けたマイルス・ディヴィスの精神からも、征服者アメリカに敵対心を抱かず、インディアン文化を貫いたイシの精神からも、迫害と流浪の歴史から論理的思考を身につけることで現実を知るユダヤ人の精神からも、同様の自由なる精神があると考える。


敢えて著者が題名に「非アメリカ〜」と書いたのは、逆説的な意味合いを含んでいて、これらの人々はアメリカ社会では、少数で構成されたコミュニティであり、アウトローであり、落伍者であり、アメリカの大多数を表しているのではない。
しかしその「非アメリカ」が示す多様性に、価値観に、アメリカが独立宣言のときに高らに謳った精神が息づいていると考えたからこそ、副題に〈複数文化〉と加えたのだろう。


著者は終章で、アメリカについてこう綴っている。

《アメリカに住んでいて「自由さ」を感じるのは、この国には多様な要素があり、雑多なものが多く紛れ込んでいるからだ。さまざまな人種が住み、さまざまな場所(空間)がある。そこには異なった歴史と文化がある》


白人至上主義の大統領が就任しようとも、アメリカの魅力は、ここにある。

(店主ЮУЗОО)

1月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月25日 (木)

第25回 耳に良く効く処方箋





ウッドストック・マウンテンズ』(ラウンダー)

前作から5年を経て、再びハッピー&アーティ・トラウム兄弟の呼びかけで、ウッドストックにあるベアズヴィル・スタジオに名うてのミュージシャンが集まって制作されたのが本作。
この5年の間に音楽シーンは激変したのだが、古き良きアメリカ音楽を現在に再現することが主のプロジェクトのため、ディスコでフィーバーしようとパンクが吹き荒れようと、まったく関係ない。


もっとも当時、この優しきアコスティークな音が、若者の耳が受け入れたのかと問われると、心許ない。
当時は輸入盤で良く見かけたのは覚えているものの、手に取って眺めた記憶はないし、ここに参加しているミュージシャンで知っているのは、ポール・バターフィールドぐらいだし、トラウム兄弟については、猫の額ほどの知識もない。
ブリティッシュ・ロックに眼を輝かしていた紅顔の高校生だったから、このような渋い音楽を知らないのは仕方ないとも言えるが。


このアルバムで活躍しているのは、ラヴィン・スプーンフルのリーダーだったジョン・セバスチャン。
ハート・ウォーミングなハーモニカを随所に聴かせてくれて、ラスト曲「Amazing grace 」では、ポール・バターフィールドとの夢の共演を果たしているが嬉しい。




前作と同じく収録曲はすべて吟醸の香りに満ちているが、敢えて選ぶならば、その大活躍のジョン・セバスチャンと主催者ハッピー・トラウムが、二人で仲良く歌う「Morning blues 」。
ギター二本のみの演奏だが、ジャグ・バンド風の愉しさに溢れていて、思わず眼を細めてしまう。


このマッド・エイカーズは形を変えて続けられているプロジェクトらしいが、残念なことに、その音源を再発するレコード会社は少なく、前作共々、世界初CD化したのは日本のヴィヴィッド・サウンドである。
多感な高校生のポピュラー音楽という大海に船出し始めた頃、スルーしていたアルバム群を、現在、こうして聴けるように再発してくれたことに感謝。
そうでなければトラウム兄弟を知らずに、あちらの世界に行くところでした。

(店主YUZOO)

1月 25, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月24日 (水)

第24回 耳に良く効く処方箋






マッド・エイカーズ『ミュージック・アマング・フレンズ』(ラウンダー)

昨日、紹介したエリック・ジャスティン・カズが幻の名盤を録音していた同時期に参加したのが、このアルバム。
ハッピー&アーティ・トラウムというウッドストック派と呼ばれる兄弟が企画したアルバムで、ハドソン河をピクニックしながら、レコード会社の制約を受けない自由奔放なセッションをして、古き良きアメリカのフォークやカントリー、ブルースを愉しもうという、何ともユニークなものだった。


参加したミュージシャンは、マリア・マルダー、ビル・キース、トニー・ブラウン、ジム・ルーニー、リー・バーグなど、ウッドストック派ではお馴染みの人で占められている。
曲ごとに参加するメンバーが異なるのだが、古き良きアメリカ音楽という共通言語で結ばれているので、まったく違和感がない。
この人懐っこいサウンド作りは、70年代の高田渡や細野晴臣に多大なる影響を与えたと思う。


ベスト・トラックは全曲と言いたいところだが、あえて独断で決めさせていただくならば、マリア・マルダーとリー・バーグの歌姫が歌う「Oh , The rain 」をあげさせてもらおう。
ブラインド・ウィリー・ジョンソンという戦前に活躍した盲目のブルースマンの曲なのだが、原曲の重苦しい曲調に比べると、二人のハーモニーの美しさを強調しているものの、原曲にある物哀しさを失っていない。
幼い頃から、この曲を良く口ずさんでいたのではと思えるほど、しっくりとした歌いぷりである。




さてエリック・ジャスティン・カズは、このアルバムでの役割というと、ピアノとハーモニカで曲を支え、自身も1曲目の「Cowpoke 」でリード・ボーカルを取っている。
子供が歌う童謡みたいな曲で、同時期に『イフ・ユアー・ロンリー』を製作していたのだと考えると、何となく微笑ましくなる。
このセッションは、大切な息抜きの時間だったのだろうね。


解説で鈴木カツ氏が「マッド・エイカーズの素晴らしさは、アメリカン・ミュージックの財産をロック全盛の70年代に掘り起し、ノスタルジックな気分におぼれることなく、うたは歌い継がれてこそ生きのびることができるのだ、と教えてくれた点にある」と書いておられる。
深く共感する。

(店主YUZOO)

1月 24, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月23日 (火)

第23回 耳に良く効く処方箋




エリック・ジャスティン・カズ『イフ・ユアー・ロンリー』(アトランティック)

幻の名盤と銘打たれたアルバムは数多くあれど、ほとんどが迷盤、駄盤、凡盤の類いで、真に心に響くものは数少ない。
このアルバムは1972年に発表されたが、さほど話題にならず、日本での発売は1978年。
CD化されたのは1998年に「名盤探検隊」シリーズの1枚として、しかも日本で世界初という有様。
だいたい1978年は、ディスコ・ブームでフィーバーしていた時代、こんな地味なアルバムが話題になる訳がない。


1曲目の「Cruel wind 」からこのソングライターの資質が表れていて、実直で朴訥ながらも、意志の強さが伺える。
一語一語を丁寧に歌いながら、救われることのない家族の悲しみを描き出す。
泥沼化したベトナム戦争の最中だっただけに、反戦歌として捉えられる向きもあるようだが、もっと社会の底辺で生きる人々を慈悲深く歌っているように、私には思える。


父親は愛する息子を失った
母親は気が付かなかった
ぼくは冷酷な風に運ばれた
ぼくは引きずりこまれてしまった
冷酷な風に運ばれた

弟は泣きだした
ほかにどうすることが出来ようか
潮の流れは変わるかもしれない
しかしお前には分からない

この世界がどうなったのか
この世界がどうなったのか





全曲が短編小説ような世界が紡がれている。
アメリカ小説の礎となったシャーウッド・アンダーソンの一編を読んでいるような、哀しみに打ちひしがれた家族や生活が歌われ、神に救いを求めているしかないと嘆く。
エリック・ジャスティン・カズの経歴はわからないが、信仰心の篤い人なのだろう。
奏でるピアノはゴスペル調で、決してテクニックを披露するようなことはしない。
なかなか神が降臨しないことに悲嘆しながらも、この苦難に満ちた世界に生きていくのは、信仰心を失わないことだと、朴訥とした歌声で説いているのだ。


こう書いたものの、神を持たない信仰心のない私には、彼の描く世界観を真に理解するのは無理だろう。
しかし歌に対して真摯に向き合う姿に惹かれてしまうのも事実だ。
ほろりと苦味を感じるアルバムである。

(店主YUZOO)

1月 23, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月22日 (月)

チェブラーシカ『誕生日の唄』





先日、木の香でオープンから一緒に仕事をしているTさんが誕生日だったので、チェブラーシカ好きならば誰もが思い出す「誕生日の唄」についてひとつ。


チェブラーシカの第2話の冒頭で唄われる「誕生日の唄」は、ロシアでは特別な歌であるようだ。
この第2話が製作されたのは1971年だから、もう40年以上も前になる。
元々は童話作家エドゥアルド・ウスペンスキーが、1966年に書いたワニのゲーナを主人公にしたシリーズ童話だったのを、ロマン・カチャーノフが監督し、キャラクター・デザインをレオニード・シュヴァルツマンを担当して、映画が製作され、あの愛らしいキャラクターが誕生した。


レオニード・シュヴァルツマンがのちにインタビューで、チェブラーシカ誕生について、こう発言している。
「本には耳のことが書いてなかったから、他のすべての動物と同じく、上に立った耳を最初に描いた。それから大きくするようになり、動物ではなく、人間のように頭の両側まで耳を『降ろした』。撮影前、人形には短い足がついていて、人形使いが苦労していた。だから足関節から下の部分だけを残したら、キャラクターの不思議さが増した。尻尾も取ったら、人間の子どものようになった」(ロシアNOW より)


第1話が上映されたのは1969年。
好評だったのか、すぐに第2話が製作されるのだが、人形アニメは製作が困難なのか、ロマン・カチャーノフが細部にまでこだわる正確なのか、完成は2年後。
さらに次作へと入るのだが、3話が1974年にようやく上映。
そして1983年に4話が上映された後、長い沈黙に入る。
つまり14年で4話しか製作されていないアニメなのである。
それなのにロシア人ならば誰もが知っている、国民的なアニメになっているのだから、その完成度の高さとキャラクターの愛くるしさが、心を捉えているのだろう。


それゆえに「誕生日の唄」は、ロシアでは「Happy birthday to you 」に代わる愛唱歌になっている。
昨年、セミョーノフのマトリョーシカ工場の社長の誕生日祝いには、50歳という節目だけあって、集った人々がホールに響き渡るぐらいに、この唄を歌ったし、私の誕生日の時も、ささやかにこの唄で祝ってくれた。
残念なことに誕生日は一年に一回しかないんだという歌詞が、愉しいことは続かないけど、今夜だけは特別な日だよと祝福されているようで、心にしんみりと響く。
ロシア人もその歌詞が好きなようで、この部分になると歌声もひときわ大きくなる。


年を重ねると、それほど誕生日が特別な日だ思わなくなっていたけど、この唄を聴くと、みんなで「誕生日の唄」を歌ってくれたことを思い出し、自分にとって大切な日じゃないかと思い返す。
ロシア語なので簡単に口ずさんむことは出来ないけど、ぜひ覚えて、大切な人の誕生日に歌ってあげてはいかがでしょうか。


映像は下記のYouTubeからどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=8hmrzZxbtB8

歌詞はこちらになります。

Пусть бегут неуклюже
Пешеходы по лужам,
А вода - по асфальту рекой.
И неясно прохожим
В этот день непогожий,
Почему я веселый такой.

я играю на гармошке
У прохожих на виду...
К сожаленью, день рожденья
Только раз в году.
К сожаленью, день рожденья
Только раз в году.

Прилетит вдруг волшебник
В голубом вертолете
И бесплатно покажет кино,
С днем рожденья поздравит
И, наверно, оставит
Мне в подарок пятьсот "эскимо".

雨の中を水たまりを避けて急ぐ人々
アスファルトには水が溢れ
川となって流れていく
みんなはわからないだろうね 
こんな最悪な日に
私がなんで陽気でいられるのかなんて

私はアコーディオンは奏でる
往き交う人を眺めながら
けれども残念なことに誕生日は
一年に一度しかないんだ

大きな青いヘリコプターで
魔法使いがやってきて 
無料で映画を見せてくれたよ
誕生日を祝ってくれて
プレゼントには500個のアイスクリーム

私はアコーディオンを奏でる
往き交う人を眺めながら
けれども残念なことに誕生日は
一年に一度しかないんだ



1月 22, 2018 ロシア語, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月21日 (日)

第22回 耳に良く効く処方箋




デラニー&ボニー『モーテル・ショット』(アトコ)

窓から注ぐ冬の陽だまりのなか、猫を膝に乗せて、ぼんやりと空を見上げいる。
夏の強い陽射しとは違って柔らかく、身体に染み込んで来る穏やかさである。
空気が乾いているからだろうか。
雲ひとつない。どこまでも青く澄んでいる。
中秋の物悲しき夕暮れ時も好きだが、この冬の静けさも、また心安らぐ季節もない。


1971年に発表されたこのアルバムは、この季節に最適な作品である。
元祖アンプラグド・アルバムと称されているだけに、ギターやベースなどすべてアンプを通さないサウンドで仕上げられている。
しかしスタジオ録音でなく、アルバム・タイトル通り、宿泊先のモーテルで、気心の知れた音楽仲間同士が集まったセッションである。
たぶんマイクの配置も、それほど気を配ってはいないだろう。
一聴すると、海賊盤に匹敵するような音質だが、それがこのセッションがリラックスのもとに生まれたものだと解する。




参加ミュージシャンは、当時の名うて腕利きばかり。
グラム・パーソンズ、デイヴ・メイスン、デュエン・オールマン、レオン・ラッセル、カール・レドル、ボビー・ウィットロックなどの豪華な面々。
彼らが親しんだフォーク、ブルース、ソウル、ゴスペルの名曲群を肩肘張らずに「この曲でも演ってみるかい?」という気楽な気分で演奏し始める。


このセッションで演奏面での核は、ピアノのレオン・ラッセルであることは間違いないが、ゴスペル・タッチの指さばきが、堪らなく良い。
1曲目「Where the soul never dies 」、「Will the circle be unbroken 」、「Going down the road feeling bad 」などで、そのピアノの腕前を堪能できる。
当然のことながら、主役のデラニー&ボニーのご両人も、リラックスしているせいか、スタジオより愉んでいる様子。


決して名盤として讃えられるものではないが、冬の陽だまりのように、ホッとひと息できるアルバムである。
こういう気楽なセッションを演ってみたいなと、楽器を手にする者ならば、思わずにいられないアルバムでもある。

(店主YUZOO)

1月 21, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月20日 (土)

第21回 耳に良く効く処方箋




キング・カーティス『オールド・ゴールド』(Tru-Sound )

キング・カーティスの推薦盤として『アット・フィルモア・イースト』と共に挙げられるのが、このアルバム。
1961年に新興レーベル、トゥルー・サウンドより発表。
嬉しいことに日本では、オールディズ・レコードが紙ジャケットで再発している。
オールディズ・レコード、相変わらず良い仕事をしています。
再発レーベルの鑑。


『アット・フィルモア・イースト』がファンキー・ソウルの名盤だとしたら、こちらはソウル・ジャズの名盤と言えようか。
若き日のエリック・ゲイルのギター、ポスト・ジミー・スミスのオルガン奏者ジャック・マクダフ参加と、ひと癖ある実力者が名を連ねているのも注目。
ここでのキング・カーティスは、ジェイ・マクリーニーやジミー・フォレストからの系統、ジャンプ・ブルース流儀のサックスを聴かせてくれる。


こういうサックス・プレイは、正統派ジャズ愛好家は、眉を八の字に、眉間に縦皺を走らせてしまう下卑た音。
知性を感じられないと嫌悪するマッチョな音なのだが、私はこちらの方が豚タンと同じくらいの大好物。
高級焼肉店よりも下町のホルモン焼きが、私の耳には合っている。




特にそのマッチョぶりが最高潮に達するのは、ジャズ・スタンダードの「Harlem nocturne 」。
玉のような脂汗で汗臭いの、肩の辺りが筋骨隆々だの、男汁が飛び散るの、サックスが熱い吐息で悲鳴をあげているだの、我こそが夜の帝王キング・カーティスだといわんばかりの黒光りするブローで主張しているのだ。


今宵はお前を寝かさないぜというより、今宵はお前をバターにしてやるという男気のある音色。
そういえばバターがとろける名作「チビ黒サンボ」は、差別を助長する絵本に指定されて、今は絶版になっているそうだ。
トラがバターになって、ホットケーキにかけられるという自由奔放な発想は、突拍子なくて好きなんだけどなあ。


このアルバム。
ミッドナイトに独り聴いてはいけない。
キング・カーティスのマッチョぶりが強烈なあまり、ベッドの横に誰もいない自分の境遇が、惨めに思えて仕方なくなってくる。


そんな私に、ジャケットのキング・カーティスが、今宵は熱い夜を過ごせよと、ウィンクしているのが心憎い。
まったく。

(店主YUZOO)

1月 20, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月19日 (金)

第20回 耳に良く効く処方箋




オムニバス『ブルース・アット・ニューポート1963』(ヴァンガード)


ニューポート・フェスティバル。
なんと甘美な響きだろう。


戦前から活動していたブルースマンがフォーク・リバイバルによって再発見された頃、このニューポートで行われたフェスティバルは、間近にその勇姿を観られる最良の場であった。
たぶん聴衆は白人のフォークファンが中心だったのだろうが、ブルースマンのギター・テクニックに酔い痴れ、歌詞が描く豊穣な世界観に深く溜息をついたに違いない。
たとえボブ・ディランやジョン・バエズを目当てに会場に足を運んだのであっても。


のちにこのニューポートでは、伝説となったボブ・ディランがバンドを率いてロック・スタイルでライヴを行い、センセーショナルを巻き起こしたのだが、このアルバムから2年後の出来事である。
それ故、このアルバムが録音された1963年は、フォークギターの弾き語りが主で、エレクトリック・バンドは未だない。


このアルバムには6名のブルースマンが収録されているが、聴きどころは、ゲイリー・ディヴィス牧師とジョン・リー・フッカーだろう。




ゲイリー・ディヴィス牧師は、ライ・クーダーの師匠にあたる人物で、その卓越したフィンガー・ピッキングの軽快さは、溜め息が出るほどに美しい。
YouTubeでその指さばきを確認したのだが、親指と人差し指を中心に弾くツーフィンガー・スタイル。
素早い指さばきでリズミカルに動き、そう簡単に真似することが出来ない。
フォークギターを弾く人は、一度聴かないといけないギターリストである。


ジョン・リー・フッカーは、唸り声を上げるだけで、一瞬にしてその世界観に引き摺り込んでしまう、圧倒的な存在感。
まるでミシシッピ河に棲んでいるアリゲーターのようだ。
足踏みしながらブルースを唸る姿に、聴衆も聞き惚れているというより、完全にジョン・リー・フッカーに耳を呑み込まれている雰囲気で、手拍子ひとつ叩くことが出来ない。
曲が終了すると、我に返り拍手をする有様だ。


他にもブラウニー&マギー、ミシシッピ・ジョン・ハート、ジョン・ハモンド、ディヴ・ヴァン・ロンクを収録。
アコスティーク・ギターを弾くブルースファンは、一度聴いてみてください。

(店主YUZOO)

1月 19, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月17日 (水)

第19回 耳に良く効く処方箋




ザ・バーズ『バードマニア』(コロンビア)

ロックとフォークの融合、カントリー・ロックの創始者とロック界に、燦然たる業績を残したバーズ。
実は私が最初に買ったのがこのアルバムである。
普通ならば、デビュー盤『ミスター・タンブリング・マン』か、ロック史では避けては通れない『ロデオの恋人』を、最初に聴くのが定石なのだろうが、何をどう間違ったのか。
悩み多き高校時代は、ときおり理解不能の行動に出ることがある。実に甘酸っぱい。


このアルバムは音楽評論家の間では、当時酷評されていて、たぶん現在でも駄作という烙印が押されている、不憫な評価になったままで、前に進んでもいなければ、後退りもしていない。
その哀しき迷盤が先日、リサイクルショップで500円均一で売られていたのを見て、ついつい懐かしく思い、高校時代の私が何にのぼせ上がって、泣け無しの小遣いで買ったのだろうと確認する意味で買ってみた。


一曲目「Glory,glory 」は、古いゴスペル・ソングをアレンジしたもの。
ポップな感じのアレンジになって聴き易くなっているが、実際の1940から50年代のゴスペル・クァルテット全盛期を経験してしまった今の耳には、凡庸に聴こえる。


R.Hハリスが率いたソウル・スタラーズの同曲なんぞは、良く響くリードボーカルの美声、ハーモニーの素晴らしさと、悶絶もののコーラスワークを聴かせてくれる。
ゴスペルを知らなかった高校生の私は、このアルバムで一番好きな曲だったのに、年を重ねるということは、昔輝いていたものを鈍色に変えてしまう。
やれやれ。





2曲目「Pale blue 」、3曲目「I trust 」とロジャー・マッギンの曲が続くが、そんなに悪い出来ではない。
当時の酷評ではアレンジ過多というのがあったが、バーズの系譜でみるのならば、その後のイーグルスやポコなどもストリングスを入れたり、仰々しいギターソロが挿入されたりと、ドラマチックな展開が定番になっていくのだから、その先駆けと思えば、自然に耳に入ってくる。
1971年の発売当時では、フォーク・カントリー系ロックでは、斬新過ぎたアレンジだったということか。


4曲目「Tunnel of love 」、5曲目「Citizen Kane 」と今度はベースのスキップ・バッティンの曲に変わる。
これがまったくバーズには無かった曲調で、しかも平凡極まりない駄曲なのである。
50年代R&B調に仕上げているのだが、歌は下手だし、使い古されたコード進行だし、バーズが演奏することに何の必然性も感じられない。


このつまらない曲を聴くならば、古いアトランティック盤の方が、どんなに耳に優しいか。
酷評の元凶を垣間見た思いである。


CDには3曲のボーナス・トラックが入っていて、ロジャー・マッギンが敬愛するボブ・ディランの「Just like a woman 」のカバーが聴けます。
これはなかなかの出来です。


(店主YUZOO)

1月 17, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

第24回 紙の上をめぐる旅




R.Oハッチンソン『ゆがんだ黒人イメージとアメリカ社会』(明石書店)

公民権運動というアメリカに大きな改革を迫った歴史的な出来事ののち、以後どのような社会の変革がなされ、人々の意識がどう変化したのか、昔から興味があった。
国を震撼させるほどの運動が起これば、その後には前進的な発展と、それとは逆に反動がある。
一夜過ぎれば、元の社会に戻るような祭り事ではない。


法の改正や人権の向上など善き改革があれば、それとは正反対の障壁が築かれるこたもある。
「365歩のマーチ」ではないが、三歩進んで二歩下がるといった軌跡をたどりながら、社会は迷走しつつ発展していくのではないか。


先日紹介した藤本和子著『ブルースだってただの唄』が、公民権運動後に黒人女性の意識や生活にどのような変化や芽生えがあったのかを、インタビュー形式で行ったレポートであったが、この著書は黒人男性が、どのような立場に置かれているのかを論じたものになっている。
『ブルースだって〜』が出版されたのが1986年。
この著書は1994年で、公民権運動から30年を経た現状を捉えたものになっている。


この本で一貫して著者が訴え続けているのは、黒人は働くのが嫌な怠け者、まともな家庭を築けない堕落者、すぐ怒る乱暴者、セックスしか頭にない好色者、といった負のイメージ日常的に市民社会に拡散していく偏見に、強く異議をとなえている。
その汚れた手法は、アンクル・トムと蔑まされた100年前の奴隷時代と、ほとんど変わらないという。




たとえばダウンタウンやゲットーで起こった殺人や麻薬密売など、人口に対する犯罪比率は、ほぼ変わらない。
むしろ白人社会の方が多いのに、新聞の一面は黒人が起こした犯罪で占められる。


有名な事件では、警察官の職務尋問で、不当な暴力を受けたロドニー・キング氏に対しても、警察を非難する記事は少なく、主要各紙は、夜中にあんな大きな黒人がうろついていたら怖いに決まっている、警察官の行動は、むしろ正当防衛であるという論調が主となる。
被害者が加害者に変わっていく。
著書は同じ事件が起こっても、白人でも同様の扱いを受けるのかと、強い疑問を投げかける。


残念ながら私はハーレムに住んでもいないし、ゲットーを目の当たりにしたこともないので、軽はずみな言動は差し控えるが、アメリカ史において輝かしい一頁を刻んだ公民権運動後も、何ら現状は変わらないと弾劾されると、市民社会に根付く不誠実に、陰鬱な気分になる。

偏見と非寛容。
日本の市民社会にも同じく、強く根を張っているのだろう。
沖縄、フクシマ、在日、ホームレス、同性愛、ハンセン病.....。
本当に市民社会は、紆余曲折しながらも、より善き社会に向かっているのだろうか。

(店主YUZOO)

1月 17, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月16日 (火)

第18回 耳に良く効く処方箋




ジム・ディッキンソン『ディキシー・フライド』(アトランティック)

20年ほど前、本の漫画をキャラクターにして「名盤探検隊」と銘打って、1960〜1970年代に発表された埋もれた名盤を発掘するシリーズがあった。
それはレコーディングの裏方さんだったり、寡作なミュージシャンの作品だったり、1枚だけ残して音楽シーンから消えてしまった人だったり、様々な視点から発掘していくユニークなシリーズだった。


このジム・ディッキンソンもこのシリーズで発掘されたひとり。
当時は初めて名前を聞くミュージシャンで、解説には「ライ・クーダーの名盤『紫の渓谷』の共同プロデューサー、ピアノ、キーボード・プレイヤーとして名を連ねて〜」と書いてあり、なるほどねと膝を叩いた覚えがある。
どちらかと言えば、プロデューサーとして、スタジオ・ミュージシャンとしてキャリアを積んできた人だ。




タイトルが示すとおり、南部で活動している人で、このアルバムではジム自身のルーツとなる音楽スタイルを前面に出していて、まさにごった煮状態、悪く言えば何でもござれ的なアプローチになっている。
一曲目はリトル・リチャードばりのワイルドなロックンロール、次にゴスペル、カントリー、ヴードゥー的な呪術的な音楽、トラディショナル・フォーク、カントリー・ブルースと続きアルバムが終わる。


個人的には、デラニー&ボニーやウッドストック派にみられるようなブルースに敬意を表した一曲「Casey Jones 」がお気に入り。
戦前のブルースマン、フェリー・ルイスの曲とクレジットされているが、たぶん古くから歌われている、作り人知らず的なホーボーソング。
戦前ブルースマンのアルバムには、この曲がよく収録されている。


この曲をジムのホンキートンク調のピアノとアコスティック・ギター、ベースとドラムというシンプルな編成で、寛いだ雰囲気で歌われる。
こういう味わいを醸し出せるのは、南部音楽にどっぷりと浸っているからこそ。
他の地域だと、ついつい教科書的なお堅い演奏になってしまうのが常である。


南部音楽の豊潤さを十分に味あわせてくれる好アルバムである。
フライドチキンを片手に聴いてはいかが。

(店主YUZOO)

1月 16, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月15日 (月)

第23回 紙の上をめぐる旅




立川談志『世間はやかん』(春秋社)

ここで言う「やかん」というのは、お湯を沸かすためのひょっとこ口のらあれではなく、楽屋の符丁で「知ったかぶり」のこと。
その語源は、長屋の住人の八五郎とご隠居との問答が噺になった「やかん」からきている。


というわけで、この本もインタビューという形式はとらず、八五郎(聞き手)の問いに対して、ご隠居(談志)が回答する形式をとり、落語だけでなく、文明とは、知識とは、欲望とは、女性とは、人間と動物のちがいはなど、縦横無尽に話題が飛びつつも、落語風なひとつの噺として体を成すことを主題としている。
ただこの形式で、談志が常日頃から抱いている、落語や世間に対する思索の核心まで触れることができたかというと、その思惑の半分も満たさなかったのだろう。





その歯軋りしたくなるようなジレンマがあったのか、本の帯には「ナニィ、談志の本買い?よした方がいいよ」と赤字で大書し、あとがきにも「言い訳しないと恥ずかしくて、保たない。買わないことだ」と綴っている。
得てして、実験的な試みは、十分な満足いく結果にはならない。


常に喉元に魚の小骨がつっかえたような違和感が残るもの。
ひとりの読者としては、それほど内容を否定するような、悪い出来映えには思えないのだが。
そこは立川談志という天才肌の噺家。
この程度の出来映えでゼニを取るなど恥の上塗りと思ったのだろう。いやはや。


そのせいか話題が停滞する兆しがあると、少しでも読んで耐えられるものにしようと、随所に世界の小噺やジョークを挟み込んでくれる。
なかにはロシアのアネグドートまで披露するので、その博識、笑いに対する並々ならぬ姿勢に舌を巻くばかり。
小噺を拾い読みするだけでも、この本の元は十分に取れる。
では、そのなかでも秀逸なものをひとつ。


談志と中国人ガイドとの会話
「アナタは変わったヒトですね」
「なんで?」
「アナタはオンナの処へ連れてけとか、そういう要求しませんネ」
「いわねぇんだ。そういうの好きぢゃねぇんだよ」
「そうですか、・・ところで、それはイイんですけど、あそこにずっと一緒に来ているアサハラさんと信者の皆さん、みなさんきちんとして、ちゃんとして、礼儀のイイひとたちばかりですね」
「そうかい」
「ただワカラナイことが一つ」
「なんだい?」
「アサハラさんが入ったお風呂の残り湯、みんなで飲みます」


おあとがよろしいようで。

(店主YUZOO)

1月 15, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月14日 (日)

第17回 耳に良く効く処方箋




ジョニー・オーティス・ショウ『同』(キャピトル)


R&Bのゴッドファーザーと謳われたジョニー・オーティス。
バンドリーダーであり、ミュージシャンであり、作曲家であり、そして自らナイト・クラブを経営し、日夜ご機嫌なR&Bやロックンロールで観客を熱狂の渦に巻き込んだ顔役として、才能も発揮し一時代を築いた男。
ジャケットからも判るように、大所帯のバンドを率いて、様々な出し物で観客を魅了したのだろう。
才能に溢れた人というのは、どこの世界にもいるものである。


このアルバムは、ロックンロールが世界を席巻した1958年に発表。
元々はジョニー・オーティス・ショウのライヴを、鮮度そのままに録音しようと企画されたが、観客の熱狂ぶりが尋常過ぎて、取り止めに。同じパッケージを、観客無しで録り直したらしい。
そのような逸話が残されているぐらい、ジョニー・オーティス・ショウは人気があったのだろう。


「紳士、淑女の皆さま。オルフェウム劇場がお届けします、ジョニー・オーティス・ショウ。衝撃のロックンロール・エンターテイメント!さあ、登場です!キング・オブ・ロックンロール、ジョニー・オーティス!」のMCで幕が開ける。
このMCで一挙に時空を超えてロックンロールとR&Bが華やかし時代へと、タイムスリップである。





まずはジョニー・オーティス御大が歌う「Shake it,lucy baby 」。
その後に続けて、ふくよかさん3人組コーラス、スリー・トンズ・オブ・ジョイの軽快なナンバー「In the dark 」、「Loop de loop 」でヒートアップ。


そして伊達男メル・ウィリアムズ「Lonely river 」がゆったりとバラードを聴かして、オバサマ方のハートを鷲掴み。
吉本新喜劇のようにステージを熟知していても、この鉄板進行に何人もの観客が、ジョニー・オーティスの策略に堕ちていく。
そんな王道ステージが、このCDでは再現されている。


映画『アメリカン・グラフティー』が青春だった貴兄には必聴盤である。
枕は悦びで濡れるだろう。股間も久々に応答してくれるだろう。昔の彼女から電話がかかってくるだろう。


ご機嫌な音楽とは何かと問われれば、このアルバムの中に答えがあると断言できる。
武士ではないが、二言はない。

(店主YUZOO)

1月 14, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

第16回 耳に良く効く処方箋




スリーピー・ジョン・エスティス『1935ー1940』(MCA )

故中村とうようの偉業は、世界各地の音楽を紹介し、その魅力と歴史などを知識豊かに説明してくれたことだろう。
ロックのルーツとなるとブルースを語るのが一般的な見解だが、さらにその先まで見据えて、リズムから発声方法まで掘り下げて分析し、分かり易く紹介してくれた。


なぜ清く澄んだ発声とは対極に、濁らせて小節を回して歌う歌唱法が、大衆音楽では好まれるのかという分析には、私の小さな眼が見開き、ぎょろりと瞳が唸ったものだった。
ブルースと浪花節を同系列で語れる斬新さがあった。


その中で私には馴染みの深い仕事は、MCAの豊富なカタログから「GEMシリーズ」と銘打って、戦前のブラック・ミュージックや大衆音楽を系統立てて、普段耳にしないような音楽を紹介してくれた。
レコーディングの意味を、録音より記録という部分に重きを置いていたように思える。





このスリーピー・ジョン・エスティスも、戦後再発見のデルマークでの録音ばかりが語られるなか、全盛期の1930年代を主に編集し、この悲運がつきまとうブルースマンの最も輝いていた時代にスポットを当ている。
この時代から盟友ハミー・ニクソンと活動を共にしていて、ほとんど曲で彼のハーモニカが聴ける。


二人とも技巧派というより、素朴さが前面に出ていて、ホームパーティで演奏しているようだ。たぶんジャグ・バンドの影響が強いのだろう。
デルマーク時代にはない明るさがある。

また歌っている内容も、生まれ故郷のブラウンズヴィルで起こった小事件だったり、彼女から手紙が来ていないかと郵便配達人に問いかける歌だったり、自身の生活での出来事を題材にしているものばかり。
それを独特の甲高い声で歌うのだから、何とも味わい深い。

こういう丁寧な仕事のおかげで、デルマーク盤のイメージが先行していた、スリーピー・ジョン・エスティスの全盛期を聴くことができるようになったのだ。


戦前の音源を、ドキュメントやヤズーといった再発専門レーベルではなく、大手レコード会社が復刻したのは、中村とうようの功績と言わなければなるまい。
スリーピー・ジョンも、ようやく真っ当な評価が成されて、草葉の陰で喜んでいるはずである。

(店主YUZOO)

1月 13, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月12日 (金)

第15回 耳に良く効く処方箋




オムニバス盤『アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァル1962-63』(オールディズ)

またまた買ってしまったオールディズ・レコード。
このジャケットの佇まいも良いね。
色遣いも落ち着いていて気品がある。
24bitマスターを使用して、アナログ盤の音質に近づけようとする精神に、身も心も洗われるようですね。
大切になさってください。
と、中島誠之助にでもなったように気分で、じっとジャケットを見つめている。


このアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァルは、1962年から8年間続いた伝説的な音楽フェス。
ヨーロッパ各地を巡業したようで、この時に大物ブルースマンが若いミュージシャンに影響を与えたことは、間違いない。
若きローリング・ストーンズもヴァン・モリソン、エリック・クラプトンも、本場仕込みのブルースを間近にして、興奮冷めやらずに夜を過ごしたんだろうなと想像する。


マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン、ジョン・リー・フッカー、Tボーン・ウォーカー、メンフィス・スリムなどなど、伝説のブルースマンが一堂に会し、演奏を繰り広げるのだから、興奮の神に憑かれるのは当然のこと。
こうして50年以上も前の音源を聴いている私も、聞き入ってしまうのだから仕方ない。




また現在だからこそ、聴いていて面白く思うのは、スタイルの違うブルースマン同士が、それぞれの曲の時にバックに回る違和感が、微妙な化学反応が起きていて興味深い。


ワン&オンリーの孤高のブルースマン、ジョン・リー・フッカーに、都会派ブルース・ピアニストのメンフィス・スリムがバックにつく。
ジョン・リーはブルースの基本12小節など意に介さず、時には13にも14にも小節が変化するから、メンフィス・スリムも付いていくのが大変で、何とか小節のヅレを誤魔化している。
ジョン・リーのバックだけは演りたくないと、メンフィス・スリムの心中を察してしまうほど。
ドラムのジャンプ・ジャクソンは、勢い余ってスティックを落としているし。


ただ唯一堂々たる演奏をしているのは、シカゴ・ブルース界のボス、ウィリー・ディクスン。
百戦錬磨、百戦百勝の俺だ。
演奏が空中分解するような下手なマネはしねえと、安定したベースラインを刻んでいく。


当時のヨーロッパの観客は概してお行儀良く、ブルースマンたちが日常活動している、シカゴのウェストサイドやバレルハウスの雑多な雰囲気がないので、猥雑でどろりと濃厚なブルースは臨めないが、それを差し置いても貴重な記録である。
ウクレレを弾いて歌うブルースウーマン、ヴィクトリア・スピヴィなんていう異色派も収録されているし。
ブルース・ファンなら揃えておきたい1枚。

(店主YUZOO)

1月 12, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月11日 (木)

第22回 紙の上をめぐる旅




A.プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)

ロシアに関係する仕事をしていると、どうしてもプーシキンは避けて通ることはできない。
ロシア語を文学芸術に昇華させた偉人であり、ロシア人ならば誰もがプーシキンの詩の一節を諳んじることがある、もっとも親しみ深い詩人であり作家であるからだ。


マトリョーシカのお腹に描かれた絵には、プーシキンが創った物語であることが多いのだが、浅学の私は、お客様に絵について問われると、しどろもどろになって、たぶんロシアで古くから伝わるお話でしょうと、お茶を濁してしまう。
口惜しい。
美味しい刺身を目の前にして、醤油を切らした時のように口惜しい。


ロシア工芸品を取り扱う店であっても、常にプーシキンの影が見え隠れして、極めようとするかぎり、その存在を無視することは到底できない。
そこで岩波文庫の出番となったわけである。
さすが戦前から知の世界をリードしてきた出版社だけに、昨今流行している新訳ではなく、「スペードの女王」(昭和8年)、「ベールキン物語」(昭和12年)と、当時のロシア文学研究の第一人者、神西清の旧訳を現代仮名遣いに改めたものになる。


時折、現れる文語調の訳は、プーシキンが紡ぎ出す物語に格式を与え、「彼が酩酊いたしおるを見掛けしことは、迂生ただ一度も無之(これ実に当地方にあっては空前の奇跡とも申すべし)」のような文脈に目が深く微笑む。




「ベールキン物語」五つの短編を織り込んだ作品集だから、この本には合計六つの物語を収められている。
悲劇、喜劇、ロマンス、怪奇譚など様々な手法の作品に富んでいるが、なかでも現代に通じる物語は「スペードの女王」であろう。


賭事には人知では計ることができない法則があると信じられていて、それを知ることができれば、永遠に勝負に勝ち続け、巨万の富をこの手にすることができる。
現代人もその法則を我がものにしたいがために、宝くじはこの売り場で3時に買う、競馬場には7番の扉からしか入場しない、パチンコは足した番号が9になる台しか打たない、それぞれ縁起を担いで見極めようとする。


「スペードの女王」の主人公ゲルマンも同じこと。
ある霊感を持った貴婦人から勝つための法則を聞き出し、言われた通りに賭けトランプに興じ、一夜にして今までに手にしたことないのない富を手にする。
それから熱病に罹ったように毎晩、賭博場に出入りするようになったゲルマンの行く末は。
ここでは結末は明かさないが、悪銭身につかずの諺にある通りである。


プーシキンが現在でもロシアで読まれる理由がわかる気がする。
物語はフィクションである以上、読書に心地良い裏切りがないといけない。
プーシキンの作品はロシア語の美しい響きも合わさって、読者を魅了しているのだろう。
もっとも原書で読まないかぎり、ロシア語の美しさを堪能することはできないのだが。

(店主YUZOO)

1月 11, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月10日 (水)

第14回 耳に良く効く処方箋




ベイビー・ワシントン『ザッツ・ハウ・ハートエイクス・アー・メイド』(SUE原盤/オールディズ)

またも買ってしまったオールディズの再発盤。
たぶん以前に英ケントから出ていたブツを持っているはずなのだが、この丁寧な仕事に敬意を払って購入。
今や部屋のなかがCDタワーが林立した状況で、英ケント盤を探し出すのは、石油を掘り当てるぐらい困難だし、仕方ない。
しかし再度地震が来たとき、このCDタワーが崩れ落ちて下敷きになるのかと想像すると、やはり断捨離することも大事かとも思う。
物欲と虚無の板挟みである。


このCDは1963年にSUEレコードから出たファースト・アルバムに、ボーナス・トラックを加えたものである。
タイトル曲がR&Bチャート10位に上がり、その勢いに乗って編集されたアルバムのようで、以前に発表されたシングル盤などが加えられている。


ソウル黎明期に活躍だけに、R&Bの香りを残しながらも、バラードやミディアム・テンポの曲に実力を見せた歌手である。
少しハスキーで力強い歌声は、耳にまとわりつく甘ったるさはなく、辛口の吟醸酒のようである。
タイトル曲は当然のことながら、アルバム最後に収めらた「A handful of memories 」にも、その表現力豊かな歌唱を聴かせてくれる。


個人的にはシングル・カットされず、数合わせのために収録されたようなミディアム・ブルース調のナンバー「Standing on the pier 」。
ワシントンのハード・ブルースばりの歌唱力も素晴らしいが、バックで支えるハモンドオルガンの音色が不可思議で、耳を惹く。
鍛冶屋のふいごのような、喘息持ちのお爺さんの寝息のような、何とも形容し難い音色。
思わずうがいをしたくなる。


ベイビー・ワシントン。
後世に名を残すようなヒット曲には恵まれなかったが、アーリー・ソウル好きには忘れがたい歌手である。


(店主YUZOO)

1月 10, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 9日 (火)

第21回 紙の上をめぐる旅




ロナルド・サール『ワイン手帖』(新潮文庫)

酒呑みとは、酒について何かしらウンチクを語りたい人種である。
ただ酔えば泰平というものではない。
酒の種類は言うに及ばず、銘柄から産地まで、強いてはその土地の風土からお国柄まで申さないと、気が済まない。


「日本酒は純米酒に限る。醸造アルコールを含んだのでは、この酒の良い部分を殺してしまっている」
「この◯◯正宗は、年間500本しか造らない小さな酒蔵でね。昔ながらの技法を忠実に守っているわけよ。酒の基本は、何も引かず、何も足さずだからな」
しかし聴く側も黙って盃を傾けているわけではない。
「私の舌が感じるには、◯◯正宗は甘味があり、刺し身には合わない。それに比べて見よ。この△△誉れは。水の如く滑らかで、刺し身にはもってこいの銘酒である」
と鼻の穴を膨らませて、やり返すのである。





安酒場では、この議論が延々と続くわけだが、論理が破綻しようとも、天地がひっくり返ろうとも構わない。
酒場の論議は、結論が導き出されることを好まないからである。


この「ワイン手帖」なる本。
ワイン通も日本酒党と同様に、酒について一席講釈をたれないと済まないようである。
著者は、それら酒を語る自称ソムリエたちを、苦い目つきで見つつ、ワインを語るのならば、しっかりと詩情を含んだ美しい表現で語りなさいと、叱咤するように綴っている。
皮肉とエスプリに満ちたイラストを添えて。


裏を返せば、この著者も多かれ少なかれ、我々と同じ安酒場の唎酒師と同じ血が流れているのではあるまいか。
ただワイン通が味を表現するのに、これほど言葉豊かに表現しているのに、それほどの詩情はなく、ひと言だけ、旨いと済ましてしまっている。
真の唎酒師だったら、その言葉の拙さにアルコールの酔いだけでなくとも、頬を赤く染めてしまうはず。


「ピリッとした辛さの残る熟成の頂点を過ぎた大年増の味」
「天国にいるような芳香」
「まだ若過ぎる、熟成させれば魅力が出るのは確か」
「心地よいスモーキーなあと味」


安酒場の唎酒師は、舌の経験値を上げるとともに、言葉遣いを鍛錬しなければならない。
しかし、頂点を過ぎた大年増の味がするワインというのを、一度呑んでみたい気がする。

(店主YUZOO)

1月 9, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 8日 (月)

第13回 耳に良く効く処方箋




リンダ・ルイス『ラーク』(リプリーズ)

このアルバムが世界初CD化が成された時、かなり話題になった。
故中村とうようが、ミュージック・マガジン誌で、この名盤を幻のままにしておくのは何たることかと、かなり強い口調で書かれていて、それに同意する声に押されて、レコード会社が重い腰を上げたと記憶している。
またクラブ・シーンで「sideway shuffle 」が話題になり、何度もターンテーブルに乗ったことも後押しになった。


世の中に幻の名盤と言われるレコードは数多くあれど、ほとんどが迷盤か冥盤の類で、このアルバムのようにじっくりと聴けるものは、皆無に等しい。
しかしこれ程、慈愛と歌うことの喜びに満ちたアルバムが、1972年発売日当時は、ほとんど話題にならなかったのだろう。


シンガーソングライターの旗手として、キャロル・キングやローラ・ニーロが注目されて、マーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーも新しいタイプのソウル・ミュージックを創り上げていく。




このアルバムもカテゴリーに囚われない様々な音楽の要素が煮込まれていて、ジャズ、ゴスペル、ボサノヴァ、カリプソなどの最良の味覚が溶け込んでいる。
話題になっても不思議ではないのだが、当時の最新スタイルよりも、さらに半歩先を進んでいたため、どう評価して良いのか判断がつかなかったのではないか。


それほどまでにリンダ・ルイスは歌うことに自由で、このアルバムのタイトルどおり、天に向かって囀る雲雀のように歌う。
これ程、気の赴くままに自由に歌うことができる女性シンガーは、アレサ・フランクリンとエリス・レジーナぐらいしか思いつかない。
まさに神に選ばれた天性の歌声。


このアルバムがCD化されたのは1995年。
再び幻の名盤にならないように祈るばかりである。


(店主YUZOO)

1月 8, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 7日 (日)

第12回 耳に良く効く処方箋




ビリー・ポール『360ディグリーズ』(フィィラデルフィア・インターナショナル )

久しぶりの三連休だというのに、何もヤル気がおきず、音楽を聴くか、本を読むか、うつらうつらと転寝するかで、一歩として外に出ていない。
ヤル気スイッチなど初めから付いていないようである。


外が寒いからという理由ではない。
今流行りのオヤジの更年期というやつが、心身を侵しているのか。
前世がハシビロコウで一日中、川の流れを見ていても飽きない性格。それが年を重ねて露わになったということなのか。
どちらにせよ、万歩計を見ると1日200歩程度しか動いていない。
転寝好きのハシビロコウである。やれやれ。


このアルバムはビリー・ポールの特大ヒット「Me and Mrs Jones 」が入ったもので、フィィラデルフィア・インターナショナルを代表する1枚となっている。
ギャンブル=ハフのプロデュース体制で、最初に放ったNo.1ヒットでもある。
この特大ヒットは、言わば不倫ソングで有名な曲で、艶かしい昼ドラマのような歌詞が、当時、御婦人や殿方の心を捉えたのだろう。


僕とミセス・ジョーンズ
二人は秘密を持っている
よくないこととは知りながら
忘れるにはあまりに強いこの思い
これ以上気持ちが高まらないように
ぼくらは必死に努めてきた




そしてジャケットに写るビリー・ポールは、色事師の典型といった顔つきだけに、さらに妄想が膨らんで、歌詞にリアリティが加わったにちがいない。


会うのはよくないと口では言っておきながら、カフェでお互いの手を絡め合わせて、次に会う計画をたてているのである。
必死に努めるというのは、謙虚に受け止めると同義語で、もっと周到な計画をたてていること。
これも色事師の常套句ではないか。



ただ実際のビリー・ポールは、色事師でも不倫萌え男でもなく、公民権運動に携わり、二度逮捕されたという経歴を持つ、社会の不正と戦う活動家でもあった。
このアルバムにも自身が作曲した「I’m a prisoner 」、「I’m gonna make it this time 」というメッセージ色の濃い曲を歌っている。



それを思うと、ビリー・ポールは気の毒である。
特大ヒットを放ってしまったおかげで、そのイメージが先行して、勝手に色事師シンガーと型にはめられてしまい、本来の自身が抱いている思いや感情は、聴く側は伝わることなく、ヒット曲だけが勝手に先へと進んでいく。


その後、これ以上のヒット曲に恵まれなかったのだから、尚更であろう。
たぶん今でも場末のキャバレーで、年増の御婦人から、あの曲を歌ってとせがまれて、脂ぎったバリトンボイスで、その御婦人の耳元で囁くように歌っているにちがいない。
可哀想なビリー・ポール。


ハシビロコウの私が憂いているのだから間違いない。

(店主YUZOO)

1月 7, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

第11回 耳に良く効く処方箋




ブレイヴ・コンボ『ポルカス・フォー・ア・グルーミィ・ワールド』(ラウンダー)


テキサスで誕生したポルカ・バンド。
ブレイヴ・コンボは、いろいろな国の民族音楽をポルカに仕立て上げ、どのアルバムも掛け値無しで楽しませてくれる。
我々日本人にとっては、日本の古い流行歌をまとめた『ええじゃないか』というアルバムが、親しみ易さではひとつ頭抜けていて、当然、私もそのアルバムを聴いてから、このバンドに注目するようになったクチ。
以後、中古レコード屋のカビ臭い棚から見つけては、コレクションにしている。


このアルバムでも雑食的に世界中の民族音楽をポルカに仕上げていて、ドイツ民謡、テックスメックス、チェコとその食指を動かしているが、やはり個人的な注目は、ロシア民謡「カチューシャ」を、どのような味付けを施しているかが気になるところ。


「カチューシャ」と言えばロシア国歌ともいうべき歌で、元々は第二次世界大戦時に広く歌われた軍歌。
戦地に赴く若い兵士を、無事に帰郷することを祈る娘の心情を歌ったもの。
今でも戦勝記念日の5月9日では、ロシア各地のイベントで「カチューシャ」が声高らかに歌われる。


日本でも♬リンゴの花ほころび〜と、歌声喫茶の世代では思い出の一曲だ。


さてそのロシアを代表する曲を、どのような味付けで料理に仕上げたのか。
メキシコ風ピリ辛料理か、ドイツ風ザワークラウト風味か、東欧風肉料理か。
イントロは「ヴォルガの舟歌」で重々しい前菜のあと、テンポが変わり「カチューシャ」とメイン料理が運ばれてくるが、意外にも正当なロシア料理。脂肪分と塩分の高い味付けで、大量のスメタナで食欲を促してくる。
そして歌詞も、ちゃんとロシア語で歌われている。





『ええじゃないか』の時もすべて日本語で歌っていたのだが、リーダーのカール・フィンチは言葉を聴き取る耳力が良いのだろう。
どの言語でも違和感なくメロディアスに歌ってしまう。


その器用さが逆にアダになる節もあって、よく駅前で売られている海賊盤みたいに聴こえてしまうのも正直なところ。
もっと怪しげなエセ無国籍性を全面に出ていれば、左眼で笑って、右眼で頷いていたのにと惜しまれる。
器用過ぎるというのも、面白味が煮崩れせずに、身が固くなるというきらいがある。


最後の曲は「In heaven,there is no beer 」。
歌詞が掲載されていないので、詳細はわからないが、私の拙い耳の聴き取りによると、天国は良いところだけども、ビールもワインも、さらにSEXさえないんだ、愉しむのならば現世が最高だよ、といった内容。
やはりこういう歌は、ブレイヴ・コンボの独壇場。


左眼も右眼も笑っている自分がいる。

(店主YUZOO)

1月 6, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 5日 (金)

第20回 紙の上をめぐる旅




『努力とは馬鹿に恵えた夢である』(新潮社)

立川談志らしい辛辣でありながら、哲学的な題名である。
江戸落語に描かれた庶民像は、現代に生きる人間の精神や思考にも通じ、時代が変われども、所詮人は人、何の進歩もなければ後退ももない。
人間の精神性に、江戸と現代の間に優劣はなく、ただ生活様式が変化しただけであると、考えるのが健全である。


ただ人はこの世に生を授かった以上、業を背負って生きなければならず、その言動や行動は他人が伺い知ることではなく、至って本人は真面目に取り組んでいるが、本人以外は滑稽に思え、何であんなにも慌てているだろうねなどと、周囲の笑いを誘う。
笑いの本質として、俺ならばあんなことしないけどなぁという心理、浅はかな奴だね、見ていられないよというような優越感が、笑いへと変換されるのではないか。


本来、理解不能な他人を演じるのが落語という芸の本質ならば、その芸を高めるには深い洞察力や観察眼が要求される。
熊さん、八つぁん、長屋の御隠居、古女房など、それぞれの人間関係や距離感などを見極め、独りで何役も演じるわけである。
独り何役。笑いを観客に提供する芸としては、世界広しといえども落語だけではないのか。





この本は談志没後3年、とくに円熟期から晩年に書かれたエッセイを中心に編集されたものである。
自身の老いや病を自覚しながら、落語の本質、人間の業をえぐり出そうとする姿勢は、鬼気迫るものがある。
晩年の談志が何を追い求め、何を畏れていたのかが、ひしひしと伝わってくる。
この題名も、自嘲気味に己に向けて発した言葉なのではとさえ思えてくる。


伝説と謳われた2007年の独演会で演じた「芝浜」。

「神が(芸術の神が)立川談志を通して語った如くに思えた。最後はもう談志は高座に居なくなった。茫然自失、終わっても観客は動かず、演者も同様立てず、幕を閉めたが、又開けた、また閉めて、又開けた。その間、演者は何も云えなかった。だった一言
“一期一会、いい夜を有難う”としか云えなかった。


このくだりは、一瞬、談志の遺書か遺言かと思えてくる。


そして爆笑問題との対談がこの本の締めくくりとなる。


「何なのかネ、そんな重大なことでなくても、他人に伝え、自分が納得することによって人間生きているのかもしれないネ。してみりゃ話題なんて何でもいいのかも知れない」


こう呟くところに、談志の人間を洞察力の奥深さを感じる。
やはり天才肌の落語家であった。

(店主YUZOO)

1月 5, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

第10回 耳に良く効く処方箋




ジェームス・ブラウン『セイ・イット・ライヴ&ラウド』(ポリドール)

JBの発掘ライヴ音源で重要な位置を占めるのが、このアルバムとブッチー&キャットフィッシュのコリンズ兄弟が参加したパリ公演盤になるが、歴史的な重要性という観点から見れば、こちらの作品に軍配が上がるだろう。
JBのドキュメンタリー映画『ピュア・ダイナマイト』を観た時も、このダラス公演は、映画のハイライトになっていた。


このアルバムの副題にある08.26.68は、この公演が開催された日付。
公民権運動が最高潮のうねりとなってアメリカ全土を席捲していた。
その中で中心をなしていた指導者キング牧師、マルコムXが相次いで暗殺され、まさにアメリカは二分されて、いつ各地で暴動を起こるかわからない緊張に満ちていた。
とくにダラスは対立が先鋭化して、危ないと言われていた、まさにその時。
その緊張を強いられていたダラスで、黒人たちの怒りを納めようとライヴを企画するのである。


映画では、そのステージに立ったメンバーが、この歴史的なライヴを回想する場面があるのだが、いつ暴漢が乱入してきても、凶弾で狙われても、おかしくない状況だったと口々に言う。
その一触触発の出口なしの状況のなか、JBはステージに立ち、このコンサートに来てくれた人々に礼を言い「I’m black and l’m proud 」を高らかに宣言し、歌い出すのである。


俺は黒人で、俺には誇りがある。


この時代に、これほどシンプルで美しいメッセージがあるだろうか。
先日紹介した『ブルースだってただの唄』の中でも、インタビューされた黒人女性は、このメッセージにどれほど勇気づけられたかと、熱く語っていた項がある。


このアルバムは、このダラス公演の全てを収録している。
JBのボーカルは、言うに及ばず神が降臨しているが、バックの演奏力の高さもハンパではない。
クライド・スタブルフィールドのファンキー・ドラムとチャールズ・シュレールの野太いベースのコンビネーションに、リズムと一体となって、会場全体を激しく揺らしている。
このライヴの山場「Cold sweat 」、「There was a time 」でみせるファンク魂は悶絶もの。
黒人である誇りを高らかに、音楽にして宣言しているようだ。


とにかく神が宿っているアルバム。
体験すべし。

(店主YUZOO)

1月 4, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 3日 (水)

第19回 紙の上をめぐる旅




立川志の輔『志の輔旅まくら』(新潮文庫)

当然ながら落語家だって旅をする。
もちろん酪農家だって旅をする。
生まれながらにして人には、ここより他の場所に行きたい気持ち、異邦への憧れ、まだ見ぬ桃源郷を希求する遺伝子が色濃くある。


この本、立川志の輔の旅をテーマにしたまくらをまとめたもので、同じく柳家小三治『ま・く・ら』という名著があるが、それと双璧をなすぐらいの快書である。

ただこういう肩肘を張らずに読める本の解説を目にするほど、つまらないものはない。
外国の小噺を通訳を介して聞くようなもので、鮮度が落ちるのは当然のこと、さらに妙に教訓めいたお堅い話に変わってしまう。


小噺は諺ではない。
というわけで、思いついたことを、つれづれなるままに書くことにしよう。

立川志の輔が巡った旅のなかで、羨ましく思うのは映画『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』を観て、キューバ行きを思い立ったこと。
太い葉巻を加えてビシッとしたスーツを着た、90才のミュージシャン、コンパイ・セグンドの「俺の人生そのものが、恋だった」と粋な台詞にガツンとやられて、こんなに人生と音楽を満喫している老人が住むキューバとは、いったいどのような国と好奇心が芽生えたのが発端。


このフットワークの軽さと行動力。
私の行きたい国No. 1が長年キューバなので、羨ましいと言ったらこの上ない。





この誰も行こうとは思わない国こそ、何か面白いことが隠されていると考えるのが、この稀代の落語家の勘どころで、インド、北朝鮮、メキシコ、羽咋市、高知市へと足を延ばしていく。


石川県羽咋市はUFO の町で宇宙博物館があるそうで、そこに飾られている宇宙船ルナ24号がロシアから届くまでの顛末記。
門外不出と思える宇宙船を、どうやってロシアから運んできたのかという件は、NHK『プロフェッショナル』よりも面白い。
羽咋市には失礼だが、国内でも魅力的秘境は、まだあると再認識した次第。


この本の正しい読み方。
まず『ブエナビスタ・ソシアル・クラブ』をツタヤで借りてくる。観終わったのちに、この本を読む。
次に羽咋市の場所をグーグルで探し、自分の家からどれだけ時間がかかるのか調べてみる。そして空を見上げて、UFO かミサイルが飛行していないか確認する。
安心したところで、羽咋市と北朝鮮の旅を読む。これが正しい。

(店主YUZOO)

1月 3, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

第9回 耳に良く効く処方箋




プロフェッサー・ロングヘア『ザ・ラスト・マルディグラ』(アトランティック/タワーレコード)

このアルバムで眼を瞠るべきは、再発をタワーレコードが「良盤発掘隊」というシリーズで行なっていること。
以前は新星堂がフランスのサラヴァ・レーベルやブラジル・サンバの再発を積極的に行なっていたが、大手レコード販売会社が直接再発に乗り出すのは、それ以来ではないか。
ドーバー海峡を泳いで横断したくらいの快挙である。快呼。


ただ世界初CD化というのではなく、以前にライノという再発レーベルから『ビック・チーフ』、『ラム&コーク』という2枚に分割された形で、この音源は世に出ている。
もちろん2枚とも所有しているが、オリジナルに忠実でない曲順だったり、1992年というデジタル音源化が発展途中の頃だっただけに音質が平べったく聴こえたり、あまり印象に残らないアルバムになってしまっている。


その印象を覆し、2枚のCDにまとめてオリジナル通りに再発した、タワーレコードの担当者の心意気には頭が下がる。
長髪教授の講義には、熱心に出席している生徒である私が言うのだから間違いない。


もうひとつ、この仕事ぶりに頭が下がるのは、1982年にLPで国内盤が出た時のライナーを、そのまま掲載していることで、日暮泰文氏の愛情溢れる文章に、このニューオリンズが産んだ稀代のピアニストの生涯に触れられる。





フェスには7人の子供がいた。35才くらいの長男から18才の娘までだが、その娘が「大学へ行きたいっていうんで、どんなことがあっても入れてやりたいんだ」と語っているフェス。その娘が大学へ入ったとすれば、彼は全ての子供を育て終わったという、緊張が解けた頃、この世に別れを告げたということになる。


長髪教授の特異性や革新性、音楽的な素地だけを論ずる文を目にすることが多いなか、生活の糧として音楽を演奏していたという視線は、目から鱗が落ちる思いであり、ひとりの父親像として立派に仕事を成し遂げたのだと、枕を涙で濡らしてしまうほど。
ちなみに我が家も今年で子育てが終わるので、この文章の一節は、なおさら感慨深い。


さてアルバムの内容はというと、娘を大学へ入れるために、いつも以上に張り切って鍵盤を打ち鳴らす、長髪教授の快演が聴ける。
この2年後に死を迎えてしまうとは、そんな翳りを一切感じさせない。


最後まで父親としても、ひとりの音楽家としても、その筋を通したのである。
偉大な音楽家である。

(店主YUZOO)

1月 2, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)