« 第14回 耳に良く効く処方箋 | トップページ | 第15回 耳に良く効く処方箋 »

2018年1月11日 (木)

第22回 紙の上をめぐる旅




A.プーシキン『スペードの女王・ベールキン物語』(岩波文庫)

ロシアに関係する仕事をしていると、どうしてもプーシキンは避けて通ることはできない。
ロシア語を文学芸術に昇華させた偉人であり、ロシア人ならば誰もがプーシキンの詩の一節を諳んじることがある、もっとも親しみ深い詩人であり作家であるからだ。


マトリョーシカのお腹に描かれた絵には、プーシキンが創った物語であることが多いのだが、浅学の私は、お客様に絵について問われると、しどろもどろになって、たぶんロシアで古くから伝わるお話でしょうと、お茶を濁してしまう。
口惜しい。
美味しい刺身を目の前にして、醤油を切らした時のように口惜しい。


ロシア工芸品を取り扱う店であっても、常にプーシキンの影が見え隠れして、極めようとするかぎり、その存在を無視することは到底できない。
そこで岩波文庫の出番となったわけである。
さすが戦前から知の世界をリードしてきた出版社だけに、昨今流行している新訳ではなく、「スペードの女王」(昭和8年)、「ベールキン物語」(昭和12年)と、当時のロシア文学研究の第一人者、神西清の旧訳を現代仮名遣いに改めたものになる。


時折、現れる文語調の訳は、プーシキンが紡ぎ出す物語に格式を与え、「彼が酩酊いたしおるを見掛けしことは、迂生ただ一度も無之(これ実に当地方にあっては空前の奇跡とも申すべし)」のような文脈に目が深く微笑む。




「ベールキン物語」五つの短編を織り込んだ作品集だから、この本には合計六つの物語を収められている。
悲劇、喜劇、ロマンス、怪奇譚など様々な手法の作品に富んでいるが、なかでも現代に通じる物語は「スペードの女王」であろう。


賭事には人知では計ることができない法則があると信じられていて、それを知ることができれば、永遠に勝負に勝ち続け、巨万の富をこの手にすることができる。
現代人もその法則を我がものにしたいがために、宝くじはこの売り場で3時に買う、競馬場には7番の扉からしか入場しない、パチンコは足した番号が9になる台しか打たない、それぞれ縁起を担いで見極めようとする。


「スペードの女王」の主人公ゲルマンも同じこと。
ある霊感を持った貴婦人から勝つための法則を聞き出し、言われた通りに賭けトランプに興じ、一夜にして今までに手にしたことないのない富を手にする。
それから熱病に罹ったように毎晩、賭博場に出入りするようになったゲルマンの行く末は。
ここでは結末は明かさないが、悪銭身につかずの諺にある通りである。


プーシキンが現在でもロシアで読まれる理由がわかる気がする。
物語はフィクションである以上、読書に心地良い裏切りがないといけない。
プーシキンの作品はロシア語の美しい響きも合わさって、読者を魅了しているのだろう。
もっとも原書で読まないかぎり、ロシア語の美しさを堪能することはできないのだが。

(店主YUZOO)

1月 11, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/184818/66265207

この記事へのトラックバック一覧です: 第22回 紙の上をめぐる旅:

コメント

コメントを書く