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2018年1月 5日 (金)

第20回 紙の上をめぐる旅




『努力とは馬鹿に恵えた夢である』(新潮社)

立川談志らしい辛辣でありながら、哲学的な題名である。
江戸落語に描かれた庶民像は、現代に生きる人間の精神や思考にも通じ、時代が変われども、所詮人は人、何の進歩もなければ後退ももない。
人間の精神性に、江戸と現代の間に優劣はなく、ただ生活様式が変化しただけであると、考えるのが健全である。


ただ人はこの世に生を授かった以上、業を背負って生きなければならず、その言動や行動は他人が伺い知ることではなく、至って本人は真面目に取り組んでいるが、本人以外は滑稽に思え、何であんなにも慌てているだろうねなどと、周囲の笑いを誘う。
笑いの本質として、俺ならばあんなことしないけどなぁという心理、浅はかな奴だね、見ていられないよというような優越感が、笑いへと変換されるのではないか。


本来、理解不能な他人を演じるのが落語という芸の本質ならば、その芸を高めるには深い洞察力や観察眼が要求される。
熊さん、八つぁん、長屋の御隠居、古女房など、それぞれの人間関係や距離感などを見極め、独りで何役も演じるわけである。
独り何役。笑いを観客に提供する芸としては、世界広しといえども落語だけではないのか。





この本は談志没後3年、とくに円熟期から晩年に書かれたエッセイを中心に編集されたものである。
自身の老いや病を自覚しながら、落語の本質、人間の業をえぐり出そうとする姿勢は、鬼気迫るものがある。
晩年の談志が何を追い求め、何を畏れていたのかが、ひしひしと伝わってくる。
この題名も、自嘲気味に己に向けて発した言葉なのではとさえ思えてくる。


伝説と謳われた2007年の独演会で演じた「芝浜」。

「神が(芸術の神が)立川談志を通して語った如くに思えた。最後はもう談志は高座に居なくなった。茫然自失、終わっても観客は動かず、演者も同様立てず、幕を閉めたが、又開けた、また閉めて、又開けた。その間、演者は何も云えなかった。だった一言
“一期一会、いい夜を有難う”としか云えなかった。


このくだりは、一瞬、談志の遺書か遺言かと思えてくる。


そして爆笑問題との対談がこの本の締めくくりとなる。


「何なのかネ、そんな重大なことでなくても、他人に伝え、自分が納得することによって人間生きているのかもしれないネ。してみりゃ話題なんて何でもいいのかも知れない」


こう呟くところに、談志の人間を洞察力の奥深さを感じる。
やはり天才肌の落語家であった。

(店主YUZOO)

1月 5, 2018 店主のつぶやきブックレビュー |

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