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2017年12月 7日 (木)

第15回 紙の上をめぐる旅




ジョージ・オーウェル『動物農場』(ちくま文庫)

飲んだくれ農場主を追い出して、動物たちが理想の国を築く。最初の数ページ読むと、動物たちは均等に食物が分配され、労働もそれぞれの得意なものに従事でき、何事も集会を元に決定される。
一見、ユートピア小説のように、もしくは原始共産制への回帰小説のように思えるが、読み進めるにつれ、独裁者が誕生すると、宣伝役が生産計画を代弁し、お互いを監視していく社会に変わっていくデトピアの様相を呈してくる。

そして最後は、敵対関係にあったはずの人間と指導者たちは手を結び、この動物農場はもはや理想社会ではなく、全体主義国家に変貌させるという結末になる。
否応にも、国家とは何か、理想的な社会とは何かと、いつまでも反芻させられる後味が苦い小説である。

デトピアを提示することで、ユートピアについて考えさせられる羽目になる。
これはこの小説が誕生した1945年が大きく影響しているのだろう。
第二次世界大戦の惨禍は、ヨーロッパの隅々まで焼き尽くしたにもかかわらず、その終戦間近では、早くも東西冷戦の悪臭を放つ花が芽を出し始める。
共通の悪の帝国だったファシズムが滅亡したにもかかわらず。

また人民のための国家として誕生したソビエト連邦も、スターリンの大粛清によって、全体主義国家の面を露呈した。
やがてアメリカも核開発と民主主義という飴と鞭で、同盟国という名の支配を世界に広げていく。世界の警察として。
まるで新しい手法の植民地である。

この小説は寓話的に書かれているだけに、国家の本質を突いているのではいか。
ファシズムも共産主義も民主主義も、本質的には一本の幹から枝分かれした国家体制であって、その幹とは権力を維持するシステムの構築であると、呑んだくれの塩辛い頭のオヤジでも考えてしまう。

開高健が解説で「権力ノ目的ハ権力ソレ自体ダ」という提議を果敢にも試みた小説家と、オーウェルのことを評しているが、この提議、グローバル化の名の下に価値観が一元化され、情報過剰な社会の中で思考するのをやめつつある現代人にも通ずるものではないだろうか。

多数決の原理を逆手にとって、きな臭い方向に突き進む国に住む人間にとって、この小説は、ほろ苦い。実にほろ苦い。

12月 7, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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