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2017年12月 1日 (金)

第11回 紙の上をめぐる旅




林芙美子『下駄で歩いた巴里』(岩波文庫)

先日、紹介した『女三人のシベリア鉄道』での底本にもなっていた、この本を神保町の古本屋で見つけることができた。
やはり引用文を読むだけでは物足りない。実際に林芙美子の文章を辿りながら、当時のシベリア鉄道の旅を味わいたい。
その逸る気持ちが後押しして、古本屋を見つける度に、本棚を前にして背表紙を探していた。
快呼である。

ただこの本は、日本から巴里までの旅程を綴ったものではなく、生前に林芙美子が書いた旅にまつわる紀行文や随筆をまとめたものである。
国内旅行や樺太を主題としたものもある。
編集は立松和平。

まず眼を瞠ったのは、昭和初めの封建的な時代に、大胆に女性の一人旅を試みた個性と、自由奔放なる精神。
バックパッカーという言葉もない時代、好奇心と行動力で、言葉の問題など意に返さず、巴里や倫敦まで鉄道や船舶を乗り継いで、行き着いてしまう。
計画もどちらかと言えば無計画。
気の向くまま、足が向くままに、行き先を決めていく。大胆。奔放。流浪。享楽。無鉄砲。規格外。根無し草。
どの言葉も林芙美子の精神を、的確に言い表すことはできない。

「二ツある椅子ときたら背が高くて、足がどうしてもぶらんこしてしまいます。だが、時々笑いころげるにいい椅子。この椅子から楽しい仕事が出来ればなんぞ野心を持たぬ事。笑いころげて笑いころげて死んでしまう時は、この椅子にかぎります」

巴里で借りることになる、お世辞にも綺麗とは言えない部屋を見て、こんなことを思う好人物は、なかなか居るまい。

人生の意義を問い続けると、どうしても刹那的になりがちである。そして塞ぎこむことが多くなる。
しかし林芙美子はそのような薄弱さはない。

「私はいったい楽天家でしめっぽい事がきらいだが、そのくせ、孤独を全我としている。私の文学はあこがれ飢えることによって、ここまで来たような気がする」

そして現実的な生活者であった。
この本でも家計簿のように、食料、衣服、運賃などの価格を詳細に書き残している。
入金があると、飛び上がって喜んだ。
林芙美子の魅力は、この庶民性と決して虚勢を張らない生き方、そして生活者だけが理解できるユーモアが、今も愛されている理由だろう。


12月 1, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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