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2017年12月 4日 (月)

第12回 紙の上をめぐる旅




桂川甫周『北槎聞略』(岩波文庫)

日本でロシアについての見聞録を残した、最初の記述書であり、現代においても当時のロシアを知る貴重な資料となっている。
奇跡的な帰国を果たした大黒屋光太夫への質疑応答を元にした内容は、難破してロシアへ辿り着いた経緯からロシア人の生活や言語に至るまで、詳細に綴られており、その頭脳明晰ぶりと観察力には、ただ舌を巻くばかり。

10年の歳月を経て帰国するまでの大黒屋光太夫の冷静かつ的確な行動も、魅力のひとつとなっている。
何しろ、船が難破してロシアに辿り着いた者は以前にもいたが、日本に帰国できたのは光太夫と乗組員だった3人のみ。
しかし1人は根室に着くなり、病に伏し無念の死を遂げている。
しかも光太夫は、女帝エカテリーナに拝謁できた唯一の日本人でもある。
井上靖、吉村昭といった歴史小説家が、その波瀾万丈の一生を見過ごすわけがない。

さて歴史小説家ではない、愚鈍なる頭脳の持ち主の私は、この記述書をどう読んだか。
大黒屋光太夫が、まったく未知の言語であるロシア語を覚え、さらに女帝エカテリーナとの拝謁がゆるされるほどにまで、どのようにして習得したのかが、知りたかったのである。
ロシア語は格変化が多彩だけに、会話ができるまでには、相当な言語的感性が求められる。
マトリョーシカ買付が10年になるが、未だに提示された価格を聞き取れず、さらに希望の個数を50と500を間違える、私が言うのだから間違いない。

江戸時代の書物ゆえ、読み慣れない文語体だけに、行きつ戻りつ読み進めていったのだが、驚くべきは、光太夫の記憶力。
難破して同乗していた仲間がどのようにして亡くなったのか、同じ漂流民としてロシアの地で亡くなった人の末路、願い叶って帰国の途につく際に、女帝エカテリーナ、ロシア貴族や親友からいただいた餞別の品々までも克明に覚えている。
ロシア人の名前も、ほぼ父性を含めてのフルネームで記憶。
さらに光太夫が廻船問屋の出身だからというのも差し引いても、餞別の品々の数量や重さまでも記憶しているのには、恐れ入谷の鬼子母神である。
残念ながら、如何にしてロシア語を学習したのかという記述はないが、この驚愕べき記憶力があればこそ、難解極まるロシア語も、砂に水が染み込むように難なく覚えていけたのではと思う。

『北槎聞略』は11の巻に別れていて、映画化にもなった漂流については3巻、ロシアの地名、風習、政治制度、物産などの記述が一番多く7巻、巻末付録のようにミニ露和辞典が1巻で構成されている。
この巻末付録が日本語訳が絶妙で、つまらない旅行用の会話本より面白い。

ドロカ=高直にうる
ズダラア=平安を賀する
ドモーイ=やどに居る
カクソート=名は何と
ウォーツカ=美酒

ウォッカは美酒である。
日本人が珍しかった当時、事あるごとに会食に呼ばれ盃を酌み交わした光太夫が、ウォッカを美酒と伝えたことに、お主もいけるクチだのうと、つい眼を細めてしまう。

これからロシアに行かれる方は、この偉大なる先人、大黒屋光太夫が残した『北槎聞略』をガイドブックとしてお勧め。
慣れない文語体に最初は引いてしまうが、丁寧な註釈があるので、ゆっくり読み進めていくと、冒険譚のような面白さと同時に中世ロシアを知るという一挙両得な内容です。

12月 4, 2017 ブックレビュー, 店主のつぶやき |

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