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2013年12月27日 (金)

カラシニコフの死

Photo 

1223日、カラシニコフが94才で亡くなった。

新聞では、自動小銃「AK47」の開発に成功。

(中略)その銃の特徴からコピー製品も大量に出回り、

多くの紛争やテロ攻撃に使われ

「史上最悪の大量殺戮兵器」ともいわれた。(朝日新聞)

 

以前、カラシニコフにインタビューした本を、

このブログで紹介したことがある。

カラシニコフの印象は、対ドイツ戦に勝つため、

祖国を守るために銃の開発に没頭し、

開発までに至る経緯と、

少年時代から好奇心が旺盛で、

機械のメカニズムを知るため、

何でも分解しなければ気がすまない性格が

強く残っている。

 

もしこの人物が世界で一番多く製造されている

銃の開発者でなければ、

東大阪や蒲田の匠の技をもつエンジニアの話と同じように

読めたのかもしれない。

 

しかし「史上最悪の大量殺戮兵器」と

呼ばれる銃の基礎を開発した人間の話である。

たとえ、その半生が波乱万丈に満ちて、

魅力的な人柄であったとしても、

しっかりとそこは見極めるべきである。

 

兵器開発というのは、

その勝つべき戦争が終ったからといって、

そこで打ち切りになることはない。

   

終戦後も開発は脈々と続けられて、

さらに殺傷能力の高い物、最新技術を取り入れたもの、

高性能なものが造られていく。

 

原爆しかり、ミサイルしかり、化学兵器しかり。

 

ひとつの技術が発明されると、

その後は、開発者の手を離れて、独り歩きをして、

人類破滅という悪魔の領域に近づいてしまうのである。

 

カラシニコフは事あるごとに

「私は祖国をファシズムから守るために、銃を開発した。戦争が終わっても私の開発した銃が世界中で使われるのは、私のせいではない。政治の責任とモラルである。その証拠に私はそれに関してお金を一円たりとももらっていない」

といった旨を発言していたそうである。

 

しかし女性や子供でも簡単に扱え、

メンテナンス性も抜群な究極の自動小銃は、

推定でも世界に2億丁あり、

ニュースにも上らないような紛争の地で、

今この瞬間も使われている。

 

上記の写真は、カラシニコフをキーワードにして、

世界の紛争地域を取材した本である。

 

松本仁一『カラシニコフ』(朝日新聞社)

 

紛争の地では、

カラシニコフは生活必需品のように取り扱われ、

老いも若いも、男も女も問わず、その衰弱した肩に担ぎ、

この紛争の真実を知らされることなく、

ただ生活のために、

見えない敵に対して発射しているだけの

単なるお手頃なな兵器と化している。

 

 

身近過ぎるゆえ、人を殺すための兵器という顔は

見失われてしまっている。 

 

 

生前のカラシニコフは、このような現状を、

実際のところどう思っていたのだろうか。

  

(店主YUZOO)

12月 27, 2013 ブックレビュー |

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