グジェリ工場訪問記(8)
チャーミングなお婆さんの懇切丁寧な説明が終わると、
次に絵付けをしている部屋に通される。
グジェリは一般的な生活雑貨の磁器が中心であって、
マイセンやウェッジウッドのような高級品には
目を向けていないと思っていたのだが、さもありなん。
ディナーからティータイムまでを網羅する
ディッシュセットや置時計も制作しているのである。
もっともそれらを絵付けする職人は限られているらしく、
狭い部屋にふたりだけ、黙々と作業に没頭している。
興味深いのはグジェリといえば
白地に青で絵付けするのが定理、
原則だと思ってばかりいたのだが、緑で絵付けされ、
効果的に金も施されている。
今まで見てきたグジェリとは、まったく別物に見え、
思わずため息が漏れる。
昔、ノリタケの工場を訪問したとき同じ感動である。
最高級品を目指さないことには、それに伴って技術も
上がっていかないということの表れなのだろうか。
職人の眼には私たちは映っていないようである。
静寂の中に絵筆を走らす音だけがきこえる。
私の拙い語学力では、部屋の空気を乱すだけである。
早々に「高貴なる沈黙の部屋」をあとにした。
次に訪れたのは、巨大な窯が並び、
レールが敷かれた貨物操車場みたいな場所。
窯の高さは5m近くあり、何棟も連なっている様は、
たとえが悪いが火葬場を想起させる。
幾重にも器が積み上げられた、何トンもある台車を、
女性たちが力を合わせて窯の中へ誘導していく。
しかも積み上がった器が崩れてこないように注意深く。
たいへんな重労働である。
なぜか男性はひとりもいない。
「あなた、働きたいのならば、今すぐに働けるわよ」
と冗談とも本気ともつかぬことを言われたが、
一連の作業を見ている限り、
あながち嘘ではないようである。
夏場は窯の放射熱と、
なかなか沈まない太陽のおかけで40度近くなるそうで、
そのなかで仕事を続けることは、
気力、体力のほかに、忍耐と連帯が必要にちがいない。
誰かひとり欠けた分だけ、
その分ほかの誰かが重荷を背負うことになる。
腹痛だの、頭痛だの、
二日酔いなどの屁理屈は言っていられない。
「男手があれば楽なのにねぇ」と声を上げて笑いつつ、
コブロフさんとチェリパシカ氏をちらりと見る。
(なぜか私には視線は注がれない)
ロシアの母たちは重労働を毛嫌いするどころか、
むしろ楽しんでいるかのようである。
その屈託のない仕草に、ロシアの母たちの
大らかな忍耐を感じずにはいられなかった。
(店主YUZO)
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