グジェリ工場訪問記(7)
5月初めに「木の香」銀座に進出、
同時に千葉そごう店閉店と、
目まぐるしく変わろうとしている現実を前に、
この非常事態、オチオチとブログなど
書いてはいられないと、
勝手に断筆を宣言したのであるが、
しかし冷静に考えれば、こういう揺れ動くときこそ、
平常心と普段と変わらない行動が必要なのではと
思い直し、 再開した次第。
地震、雷、火事、親父などの災害に
直面したときに求められるのは、
筋のとおった判断力と迅速な対応と、
幼少のころから口酸っぱく言われているではないか。
それに私が断筆したところで、
出版社の社員の誰ひとりとして路頭に迷うことはないし、
「木の香」のスタッフが悲観して辞表を出すことは、
まずあり得ない。
すべて明朗。
私の気持ちの持ちようだけなのである。
というわけで
2か月近く中断していたグジェリ工場訪問の続き。
陶磁器の最初の作業は、
石膏型に流し込むことからはじまる。
絵付けする素材がなくては、
息を呑むような美しい花柄も、水を運ぶ可憐な少女も、
カブを引き抜こうとするお爺さんも、
文字通り絵空事、空想のなかだけの名器となってしまう。
通されたのは、一切の色彩を排した白い部屋、
石膏型がごろごろと無造作に置かれている部屋、
作業場というよりは石膏型の墓場と
呼んでも失礼にならない、潤いのない部屋である。
その印象に追い打ちをかけるのは、
田舎の公民館ぐらいの広さに、
独りお婆さんが切り盛りしているのを知ったからだ。
女社長に呼ばれて私たちのところに来たお婆さんは、
少女の面影を残したまま、
知らぬ間に年を重ねていたと思われる、
溌剌とした容姿の、はにかんだ笑顔がチャーミングな人。
石膏の砂漠に咲いた一輪の花と呼んでも、
少しも誇張にはならないと思われる。
この仕事への誇りと情熱は、
若い頃からまったく衰退も、
マンネリもしていないらしく、
たぶん生まれて初めて見た日本人に対して、
実に丁寧に饒舌に説明してくれる。
自分の仕事の素晴らしさを、
多くの人に知ってもらいたいという
無垢な気持ちなのである。
「シトー・エータ?(これ何ですか?)」
としか訊くことができない、
この部屋には300以上の石膏型があり、
パーツだけ数えると1000以上にも及ぶ。
その夥しい数の石膏型のすべてを把握し、
どうパーツを組み合わせれば、
どの作品の原型になるのかを熟知しているのである。
無造作に置いてあるわけではない。
お婆さんの頭のなかでは、
合理的に収納されているのである。
「すごいね」と思わず言葉を漏らすと、
一瞬、誇らしげに微笑んだ顔が、またまた
チャーミングでこちらの顔が赤らんでしまうのだった。
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