ロシア語は学んでいるけれども(6)
先回の講義で前期は終了したのだが、
語学力がアップしたのかと問われたら、実に心許ない。
ロシア語という大海原が目の前に広がっているのを実感しただけで、
どこに進めば果てがあるのか、
近くに取り付く島があるのかも区別がつかぬ。
語学習得の基本は、声に出して何度も反復することにあると、
語学の権威から酒場の哲学者まで口にするが、
馴染みのないロシア語ゆえ、自分の発音が合っているかさえも、
判断がつかいないのが現状である。
さらに酒場の哲学者は
「語学が上手くなるには、その国に恋人をつくればいいんだ。そうすると全身全霊でコミュニケーションしようと必死になるだろう?
恋人をつくることが最良かつ王道なのだよ」
と悦に入った赤ら顔で自らの論理を諭すのである。
だが。けれども。しかし。
口説き文句さえ知らないのに、どうやって恋人をつくるのだ?
これは生物の源と同じ、鶏が先か卵が先かにも
通じる問題なのではあるまいか?
閑話休題。
最後の講義で配られたのが、ロシア人ならば
誰でも歌うことができる「カチューシャ」。
この曲はナチスドイツに勝った戦勝記念日には、
必ずといっていいほど歌われる第二の国歌というべき曲。
講義では戦勝記念日の様子をビデオで観賞。
50万人は軽く越える人々が野外ステージに集い、
ロシア兵の制服を身にまとった歌手とともに、
この曲を高らかに合唱し、大きな犠牲を払いながらも、
祖国を守ってくれた兵士たちに感謝の意を表していた。
第二次世界大戦で、もっと多くの戦死者を出したのは、
中国でも、ドイツでも、日本でもイギリスでもない。
ロシアなのである。その数は2000万人とも言われている。
戦勝記念日の熱狂は、その犠牲者を悼みつつ
ファシズムを打ち勝った喜びの心情でもあるのだ。
さてこの「カチューシャ」。
私も今回までそう思っていたのだが、女性の髪飾りの名ではない。
女性名エカテリーナの愛称で、最愛の人に対しての呼び方。
そう念頭に入れて、このカチューシャの歌詞を読むと、
遠く故郷を離れて戦地に赴いた兵士の恋人と
故郷の風景を思う気持ちが、しんみりと伝わってくる。
ちなみに日本語で歌われている歌詞と、原詩はだいぶ違います。
さて後期講義は10月より再開。
それまでは独学である。
教科書を読むと30分で眠くなる性分ゆえ、
熊のように10月まで冬眠ということにならなければいいのだが。
(店主YUZO)
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