かっこ悪くても生きなければならないだろう
熱心なファンというのではないのだが、
日頃から言動や行動が気になるひとがいる。
道しるべのような存在。
日々の泡に揉まれているうちに、厭らしさ、卑しさ、見栄やら、
欲望やらに、どっぷりと骨の髄まで浸かってしまうと、
このような生活は果たして望んでいたものかと、
反省どころか懺悔にも似た気持ちに苛まれることがある。
私がこの世からいなくなっても地球は廻り続けるし、
世界が大混乱に陥ることもない。
それなのに何か理由をつけては進もうとしない。続けようとしない。
しっかりと腰をすえて自分が本望とすることに、脇目もふらずに
注力すべきだとおもうのだが。
そう簡単にいかないのが、私の人生のようである。
早川義夫『たましいの場所』(晶文社刊)。
題名からすると偉大な得のある僧侶の説教本のように思われるが、
若い頃は先鋭のミュージシャン、それから町の本屋さんに転向して、
その店を諸事情で閉じると、再び音楽活動を始めた人。
再開までには30年近い月日が流れている。
しかし鉄の信念を抱いた人というわけでなく、
着飾らない純粋な言葉で歌うことは、
とても恥ずかしいことけれども、この心の奥に潜んでいる気持ちを
表すのには笑われても仕方ないと、ぼんやりと考えている人である。
この本で書かれている言葉は、至ってシンプル。
ゆえに、いつの間にか失ってしまったことに気がつかせてくれる。
「芸術は感動するものである。感動しないものは芸術ではない。それは、音楽も、仕事も、人間も、恋愛も、何でもそうだ。人を感動させて、はじめてそのものになれるのだ。感動しないものは、なにものでもない」
「今、輝くことができれば、過去も輝くことができる。僕たちは、過去に生きているのではない。今を生きているのだ」
「本当の評論は、人のことより、自分のことを書く。自分がいったい何者かを書く。なぜそれに感動したのか。感動はどこからやってくるのか。なぜそれに感動しないのか。自分の心を書く」
デビューアルバムの題名に
『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』
と23歳でつける人である。
ゆるやかで純粋な創作姿勢は、まったく変わっていない。
その姿勢が、自分の座標軸を失いかけたときに勇気付けられる。
稀有で大切な存在である。
(店主YUZO)
6月 28, 2012 ブックレビュー | Permalink
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