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2012年5月 7日 (月)

毛皮よりもマトリョーシカを

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宣教師ニコライといい、皇太子ニコライといい、日本に何を感じて

遥か遠くの極東の島国まできたのだろう。

欧米列強国に先んじて有利な条件で交易をしたいという思惑は

当然あっただろうが、一方では未知なるエキゾチックな国という

魅力もあったのかもしれない。

 

生まれながらに住んでいると

自国の良さや魅力に気がつかないわけで、

他から言われて、はっと気がつくものである。

 

司馬遼太郎著『ロシアについて』(1986年刊)。

この本では、幕末までロシアは日本に対して熱い眼差しを

向けていたのかを、史実に照らし合わせて推論している。

 

実は司馬遼太郎を読むのは初めて。

というのも中年のオッサンが愛読する作家のイメージが強く、

場末の安い居酒屋で

「司馬遼太郎によると坂本龍馬はね。今の日本経済の低迷にも一石を投じるような思想を持っていて・・・・」

などと赤ら顔で力説されることに辟易していてからである。

今や自分も同じ中年のオッサンになったが、

その思いは変わらないままである。

私はひねくれ者のオッサンなりたいのである。

 

さて話を元に戻すと、

ロシアが頑なに鎖国をしていた日本に着目したのは、

領土が東へ東へと拡大するにつれ、凍土に覆われた

シベリア地域の安定した食料調達にあったという。

モンゴル騎馬民族には数百年にわたって支配されていた

忌まわしい過去があり、中国清朝とも長年にわたり

国境で鬩ぎ合いをしている。

 

それならば利害関係のない日本と交易を始めて、

この難局を乗り切ろうと考えた。

ただ日本は未知なる部分が多く、どうにか情報を得ようと、

日本の漂流民を篤く保護し、シベリアの都市イルクーツク

には日本語学校もあった。

 

しかし鎖国の重い扉を開くことはできず、

それどころか艦隊を組んで脅かして強引に開国を迫った

アメリカに先を越され、明治政府には西欧列強のなかでも

ロシアは二流の国と位置づけされ、戦争まで起きてしまう。

さらに太平洋戦争末期のロシア参戦によって

両国の関係は、日本海の溝よりも深い隔たりができて、

現在に至ってしまうのである。哀呼。

 

歴史をひとつの見解から論ずるのは危険極まりないが、

ちょっとしたボタンの掛け違いから不信感が募っていった

という推論は、なかなか興味深い。

 

だいたいロシアは日本との貿易品として

クロテンやラッコの毛皮を考えたという。

現代ならば飛びついたのかもしれないけれど、

江戸時代の風俗や生活習慣を考えれば、

受け入れ難い品とわかりそうなものである。

 

その時点で不信感の輪が始まったのかもしれないネ。

(店主YUZO)

5月 7, 2012 ブックレビュー |

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