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2012年5月 4日 (金)

皇帝ニコライはマトリョーシカを知っていたのか?

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マトリョーシカがつくられ始めた時代は、帝政ロシア末期、

ロマノフ王朝滅亡の時期と重なる。

つまりマトリョーシカは元禄時代のように天下泰平を享受した

なかで生まれた工芸品ではない。

 

1890年前後に最初のマトリョーシカが誕生。

1900年にパリ万博に出展されて銅賞を受賞。

1904年日露戦争。

革命前夜の内乱に揺れる年月。

1913年第一次世界大戦。

1917年ロシア革命。

 

激流の大河のごとく時代が変貌をとげるなか、

全ロシアでつくられていたわけでもないのに、

マトリョーシカの制作が絶えることなく続いていたのは、

とても不思議な気がする。

 

このロバート・K・マーシー著「ニコライとアレキサンドラ」は

ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と皇后の悲劇を、

皇太子アレクセイが血友病だったことに着眼し、

史実を追って丹念に書き上げたもの。

 

パリ万博についての記述があればと読み進めたものの、

残念ながら載ってはいなかった。

著者にとってパリ万博は物語から外れる出来事だろうし、

マトリョーシカの存在すら知らなかったのかもしれない。

 

しかしこの皇帝ニコライは日本とは只ならぬ関係がある。

1891年、開国して間もない日本で、

ロシア皇太子の警備にあたっていた巡査が、

事もあろうか皇太子をサーベルで切りつける事件があった。

 

大津事件。

日本国民が、もし死去してしまったら両国の関係は、

どうなるのだろうと背筋が凍りついた事件である。

その皇太子こそが、皇帝ニコライなのである。

 

この本には書かれていないが、事件直後の日記で

皇太子ニコライは、日本についてこう綴っている。

「日本のものはすべて、4月29日以前と同じように私の気に入っており、日本人の一人である狂信者がいやな事件を起こしたからって、善良な日本人に対して少しも腹をたてていない。かつてと同じように日本人のあらゆるすばらしい品物、清潔好き、秩序の正しさは、私の気に入っている」

 

慈愛に満ちた心と穏やかな品性ある人柄。

その人柄ゆえ、またロシアを愛するがゆえの悲劇を、

この本はドラマチックに、大河ドラマ風につづっている。

俗っぽい表現をすると

「ロシア版ベルサイユのばら」かのようである。

 

私的な欲を言うならば、

パリ万博について皇帝はどういう思いだったのかを

半ページでもいいから割いて欲しかった。

芸術と平和の祭典である万博に対して、

この心優しき皇帝は、きっと満面の笑みで、

マトリョーシカの受賞を喜んだと察するからである。

 

やがて皇帝の運命を決定づける

動乱と革命の前の小春日和な出来事として。

 

ちなみに皇帝ニコライは51冊、1万ページにおよぶ

日記を残したそうである。

(店主YUZO)

5月 4, 2012 店主のつぶやき |

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