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2012年5月30日 (水)

ロシアチョコレートの老舗「マツヤ」訪問記

1  

先週、新潟出張があったのでロシアチョコレートの老舗、

マツヤに寄ってきました。

1930年より、初代がロシアチョコレートをロシアの職人より

製法を伝授されたのが始まりというから、

ロシアについては「木の香」より断然付き合いが長い。

 

店の看板も、キリル文字でばっちりと決まっていて、

風格さえ感じます。

 

「木の香」もキリル文字にして「Кинока」にしようかなと、

ふと頭をよぎったりして。

хорошо!!

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店に入って職業柄か、まず目に飛び込んでくるのは、

マトリョーシカとチエブラーシカの並んだ棚。

セミョーノフ系のマトリョーシカが中心だけれども、

あの猫の数え遊びマトリョーシカがあるではないですか!!

 

それに棚の端には、あのマトリョーシカ界を震撼させた

世紀の名著『マトリョーシカ』があり、思わずニンマリ(笑)

 

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もちろん看板のロシアチョコレートも、12種類の味でお出迎え。

包み紙も色とりどりで目移りしてしまうほど。

 

何を買って帰ろうかと迷ってしまいますね~、

ロシアは近くになりにけりと、独り言などを呟いていると、

ショーケースの一番下にはクッキーのマトリョーシカが、

私たちもいるから見過ごさないでねと

小さな手で招いている。

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このクッキー、マトリョーシカ型に象っていながら、

描かれたマトリョーシカの絵が左右にずれていて

手作りでしか表せない可愛らしさ。

 

本場ロシア人でも考えつかないアイデアだと、またもやニンマリ。

 

実はマトリョーシカたちよりも、さらに可愛いのはマツヤのお母さん。

「記念に一緒に写真を撮りましょう」と私がいうと、頬を赤らめて、

「写真は苦手だから、マトリョーシカだけにして~」

とショーケースの下にしゃがみこんでしまう。

 

このお母さんの純朴さに会えただけで大満足。

「山田君、もう座布団なんか欲しくないから歌丸さんにあげて」

と悟りの境地でのたまってしまうようなひとりごち。

 

ロシア好きの皆様。

ぜひ新潟にお寄りの際はマツヤまで足を延ばしてみてください。

チョコレートの味は本場ロシアを思わずにはいられないです。

お土産にもお勧めです。

 

マツヤの地図と営業時間は下記になります。

(新潟駅から歩けますよ)

http://www.choco-matsuya.com/

 

(店主YUZO) 

5月 30, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月28日 (月)

ロシア語を学んでいるけれども(2)

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先回、ロシア語を学び始めたことを書いたけれども、

今回はその続き。

ロシア語の勉強といっても近くにロシア人がいるわけでもなく、

早々ロシアへ旅する予定もないので、

もっぱら初心者向けのテキストを何冊か手に入れて、

パラパラと眺めている。

 

外国語一般として言えるのは、ことわざや慣用句の着眼点が、

その民族ならではの言い回しで、思わずニヤリとしてしまうこと。

 

あの忌まわしい受験勉強ときに覚えた、

「零れたミルクは戻らない⇒覆水盆に帰らず」

「走らずに歩け⇒急がば回れ」。

今では記憶の彼方で星屑となって、

英語で何と言ったのかすら覚えていない。

 

そのロシア版というべきもの。

 

ロシアで親しみのある動物といえば熊。

世界中の誰よりも熊を溺愛しているといっても過言でないくらい

熊にまつわる言い回しが多くある。

 

いろいろと拾い集めたのでいくつかを紹介。

 

он настоящий медведь

(彼は本物の熊だ。⇒ 彼は本当にぶきっちょだ)

медвежья  услуга

(熊の親切 ⇒ よけいなお世話)

 

ロシア人にとって熊は、図体ばかりでかくて

うすのろな動物というイメージらしい。

さすが熊から猫までサーカスで芸を仕込んでしまう民族。

熊の不器用さには、ほとほと参っているのかもしれない。

 

Медведь не умывается,

да здоров Живёт

(熊は顔を洗わないのに丈夫に生きている)

 

上記は、不潔とか臭いとかなじられたときに言い返す言葉。

この開き直りの文句は、只者ではない。

日本でこんなことを言ったら、百年の恋も冷めてしまうどころか、

音信不通になることは間違いなしである。

そんなこと言う前に風呂に入れよと、思わずきつ~い裏拳を。

 

мне медведь на ухо наступил

(熊が私の耳を踏んづけた)

 

こちらは日本的な説明をすると、

上司にカラオケのデュエットを強要されたときに、

すんなりと断る言い回し。

私は歌が下手だという意味になるらしい。

今度日本語で言ってみても面白いかも。

 

こういうのを見つけては独りニヤニヤしているばかりで、

本当はロシア語の格変化や単語のひとつでも

覚えればいいのに、慣用句に眼を奪われて

今ひとつ頭に入らない。

 

落ちこぼれ生徒になる日は近い。

(店主YUZO)

5月 28, 2012 ロシア語 | | コメント (0)

2012年5月21日 (月)

ロシア語を学んでいるけれども(1)

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実は、この4月からロシア語を学んでいる。

 

いつもロシア仕入れの際、なんちゃって英語に

申し訳ない程度にロシア語を足した会話は、

たぶん火星人並みの語学力で、

「欲シイダヨ、少シ。5コダケ。コノまとりょーしかイイダガネ」

のようなことを恥かしげもなく、話していたように思う。

 

ロシア語の授業は毎週水曜日。

「はじめてのロシア語」とう超入門講座で、

頭にも耳にも優しい内容。(もしかして胃にも)

 

しかし通っているのは、何と語学教育の最高峰、

○○外語大学の一般市民講座で、受講者は

すべて社会人、仕事を終えてから何かを学びたい

という意欲的な人ばかり。

 

だいたい英語の偏差値は、中高と40をキープしていた

語学拒否に凝り固まった頑なな頭の持ち主ゆえ、

落ちこぼれ生徒になるのは、早々に覚悟しなければならないが

今のところは、少しは慣れ親しんでいるキリル文字の

アルファベットと挨拶の慣用句だけに、

何とかしがみついている。

 

「青年老い易く、学成り難し」と古人は上手いことを言ったもので、

今の私は「中年ボケ易く、記憶力まるで無し」なだけに、

今後、予断は許さない。

 

という流れも手伝って、ついに露和辞典(研究社)を

大枚はたいて買ってしまったのである。

この辞典、ロシア語を専攻する大学生の必需品。

こんな高価なものを臆することなく買ってしまう

社会人の根性がいやらしい。

 

休日は、ぼんやりと辞典を眺めているのだが、

いくつか面白い発見をしてはロシア人の感性に驚いている。

молодец

これは「偉い!」「よくやった!」といった褒め言葉なのが、

それ以外にも「若者」という意味もある。

若さゆえ、頑張ったときは褒めてあげようという親心なのか、

それとも若いというだけで素晴らしいということなのか。

 

これが動詞になると、

молодеть

「若返る」という意味だそうだ。

 

やはり歌にもあったように、

♪若いって~素晴らしい~

という少し嫉妬にも似た気持ちが語源の言葉かもしれない。

 

(店主YUZO)

5月 21, 2012 ロシア語 | | コメント (0)

2012年5月18日 (金)

ドナルド・ダック・ダンの死

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今週は長かった。

一週間が千日でひと回りしているようにさえ思えた。

 

月曜日にドナルド・ダック・ダンが亡くなった。

この日本の地で。

しかも前日には素晴らしいステージを披露していたというのだ。

ダック・ダンは誰だろうと思われる方がいると推するので、

簡単に説明すると、ソウル・ミュージック黄金時代の

1960年から70年代にスタックス・レコードのベーシスト

として屋台骨を支え続けた人物である。

 

映画『ブルース・ブラザース』でパイプを咥え、

渋くベースを弾いていた姿も印象深い。

 

とにかく南部録音のソウル・レコードのクレジットを見たら、

必ずといってよいほど、ギターのスティーヴ・クロッパーと

共に明記されていて、この名前が載っていれば、

内容は保障できるという、

いわばソウルの「特保マーク」のような存在。

 

私事になるが、二十年ほど前バンド活動をしていたときに、

憧れとしてあったのが、ダック・ダンが在籍していた

ブッカーT&MG'sとニューオリンズ・ファンクの雄ミーターズ。

もちろん私達の拙い演奏力では、その足元どころか、

影を踏むことさえ出来なかったのだが。

 

さてダック・ダンのベースの特長というと、

ずっしりと重く響くものの、決して音数は多くなく、

バスドラムに程良くからんで南部特有のグルーヴ感を出す。

 

一聴すると地味な印象を与えるが、歌の伴奏者とすれば、

これほど心強く頼りになる、歌心を知っている人はいない。

それゆえに一流のソウル・シンガーから多大な信頼を受け、

オーティス・レディング、サム&ディヴ、ルーファス・トーマス

たちと数々の名曲を作り上げることができたのだろう。

 

上記のアルバムはブッカーT&MG'sの未発表曲集。

ソウルやブルースの名曲が歌なしで演奏されていて、

曲をグルーヴさせるにはベースとドラムの相性だと

再認識させてくれる優れもの。

 

この一週間はこればかり聴いている。

人間の身体のなかで耳が一番頑固なのかもしれない

と、ふと感じながら。

(店主YUZO)

5月 18, 2012 CDレビュー | | コメント (0)

2012年5月16日 (水)

今ユーラシアが熱いのだ

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先回、ユーラシア大陸の鉄道旅行記を紹介したので、

引き続き、ユーラシア関連の少しお堅い本を。

堀江則雄著『ユーラシア胎動』(何だかんだの岩波新書)

 

2010年に出版された本で、上海協力機構を中心とした

最近の著しいユーラシアの経済発展と、

活発な相互貿易の状況を報告している。

 

政治に疎い私は、上海協力機構なるものを全く知らないが、

ロシアや中央アジアの豊富な天然資源と

世界の工場として経済を牽引している中国が深く結びついて、

驚異的な発展を遂げて、活気に満ちているという。

 

あのシルクロード鉄道も(ここではユーラシア鉄道と呼んでいる)

人員や貨物の輸送に重要な役割を果たしている。

前書では千一夜を要した列車の台車交換が、この14年間で

2時間の作業に短縮されているのも、その表れか。

 

好景気に沸く背景には、ロシアと中国の間で、

何百年と続いた国境問題を完全に克服し、

お互いの合意の下、

国境線を明確にしたことを挙げている。

それに追随するように、天然ガスや石油の

パイプラインがユーラシアにひかれたことにあるという。

 

著者はこのダイナミズムなユーラシアの胎動について

「……「近代」が始まって以来の世界秩序の転換という時代認識である。資本主義の勃興以来ずっと西欧という「西」がアジアなど「東」を含む非西欧世界を支配してきた。(中略)その世界秩序の転換が「西」から「東」への“重心”の歴史的な移動として起きているのである。」

と分析している。

 

その言葉の裏には、従来のアメリカ追従路線でいくのではなく

同じアジアの国としてユーラシアに眼を向けるべきという

主張がうかがえる。

北方領土問題に固執するあまり、硬化して進まぬ関係から、

まず具体的にシベリア共同開発や日本海貿易の活性化を

始めて両国の関係を改善すべきという指摘も。

 

私ごときが、訳知り顔で政治や経済を

声高に語るのは本意ではない。

ただ、もっとロシアについて日本人が知る機会が増えれば、

もっと相互理解が深まればと願うのみである。

 

さてこの本で気になった記述を。

「カザフスタンの商品はウォッカなどの種類、マトリョーシカ、ナイフ、それに皮革物の土産品類だけで、寂しいかぎりだ」

 

カザフスタンのマトリョーシカ。

セミョーノフからの流れ品か、それともカザフスタンの国産か。

実に気になるところ。

思わず、寂しいかぎりな品物ではないと、

少し声を荒げてみた次第。

(店主YUZO)

5月 16, 2012 ブックレビュー | | コメント (0)

2012年5月14日 (月)

ユーラシア大陸で酒三昧の本

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古本屋を巡っていると、ときどき一瞬脱力してしまうような

題名が眼に飛び込んでくることがある。

そして帯が付いている場合は、

その短かなコピーにさらなる脱力を強いられる。

 

種村直樹著『ユーラシア大陸 飲み継ぎ紀行』(徳間書店)。

帯には「ヨーロッパ、中国の地酒に酔いしれながら、総鉄道距離17000kmの大列車旅を敢行。酒好き、汽車旅ファン垂涎の1冊!」とある。

 

ユーラシアの大平原を車窓を肴に飲み続けるのは、

常人ならば馬鹿げていると一笑しかねないが、

酒好き、汽車の旅が好きな輩にとっては、

贅沢この上ない旅と言えよう。

もちろんこの旅の経由地としてロシアも入っている。

 

これだけの条件が揃っていれば内容が悪いはずがない。

さっそく購入。

 

ポルトガルのポルトでワインを起点に、へレスのシェリー酒、

フランスのコニャック、ベルギーでビールという具合に、

ポーランド、ベラルーシと続く酩酊汽車の旅。

先日紹介した『酔いどれ列車モスクワ発ペトゥシキ行』

までとはないが、途中体調不良に見舞われながらも、

初心貫徹。

とにかく現地につけば本場の銘柄を

しっかりと五臓六腑に流し込む。

酒呑みの鑑である。

 

さて気になるのはモスクワの様子。

この本が出版されたのは1996年だから、ソビエト崩壊後、

まだ経済が混乱し、安定しない頃になる。

 

「ホテルーインツーリストのピザ屋が、米ドル主、ルーブル従のメニューを置いていたのは、ほとんど外国人ばかり利用する店なのだろうと、さほど気にならなかったものの、市内で外国の通貨がおおっぴらに流通しているとは驚いたことだ。ルーブルが気の毒である」

 

期待したほど興味をひく記述は少ない。

ロシアに限らず、もっと町の人々と交流してくれれば、

旅行記に奥行きが出るのにと悔やまれる。

まあ著者は鉄道専門のルポライターだから仕方ないが。

 

ただ1992年に開通したウルムチから西安を結ぶ

シルクロード鉄道の記述は面白い。

線路の幅が異なる路線で結ばれているので、

幅に応じて台車交換の作業が入るのである。

その作業の段取りが大陸的というか、

シルクロード的な悠久の時間というか、

千一の夜を越えるかのようである。

 

約一ヶ月近い酔いどれ旅行の締めくくりとして、

千葉県の酒々井町に降り立つ。

鉄道好きならではの選択。

シブイ。

(店主YUZO)

5月 14, 2012 ブックレビュー | | コメント (0)

2012年5月11日 (金)

橋本洋美さんのミニ個展「物語の途中で」

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木の香でもポストカードを取り扱っている

橋本洋美さんの「物語の途中で」と題したミニ個展が、

下北沢ACTUAL PROOFで開催されます。

ミニというだけに展示スペースは一坪。

幻想的な作品が並ぶには最適なスペースかも。

 

個人的には下北沢の中古レコード屋を巡りつつ、

見に行こうと考えています。

どんな作品を出展されているのか、今から楽しみです。

 

もちろんレコード屋も(笑)

■2012年5月14日(月)~5月20日(日)

 12:00~20:00(最終日は18:00まで)

 定休日・水曜日

■ACTUAL PROOF

   東京都世田谷区代沢2-10-8

   下北沢駅南口より徒歩0分!

   (駅前過ぎて迷うことがないのが画期的なギャラリーです)

5月 11, 2012 展示会情報 | | コメント (0)

2012年5月 9日 (水)

苦いブラックで一服を

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最近堅い話が多かったので、今回は気分転換でジョーク集を。

早坂隆著『世界の紛争地ジョーク集』(中公新書クラレ)。

物騒な題名がついたこの本は、為政者を皮肉ったもの、

対立した民族を小馬鹿にしたもの、自虐の笑い、

赤、黒、茶、黄、白と様々な色の小咄が入っている。

 

住む国、地域が異なれば

必然的に笑いの質も異なるのは当然としても、

そこには積年の恨みがあったり、

大国の論理で翻弄される怒りがあったりと、

極東の島国では、

その笑いの深さが理解し得ないものもある。

 

ただ笑いを伴ってこそ活きるジョークである。

ではこの本で紹介されている少々苦味のあるブラックはいかが?

 

●イラク

ある時、サダム・フセイン大統領が何者かによって誘拐された。数日後、犯人グループから大統領宮殿に電話がかかった。

「いますぐに百万ドル用意しろ。さもなければ大統領を生かして帰すぞ」

 

●パレスチナ

ある時、ユダヤ人で満員のバスが崖から落ちて、乗客全員が死亡した。それを二人のパレスチナ人が見ていたが、そのうちの一人がやがて大粒の涙を流し始めた。その様子を見てもう一人が聞いた。

「どうして泣いているんだい?乗客はユダヤ人だ。別にいいじゃないか」

涙を拭いながら彼は言った。

「でも、俺は見たんだ」

「何を?」

「席にひとつ空きがあった」

 

●アフガニスタン

ブッシュ大統領とビン・ラディンが電話で話していた。ラディンが言った。

「今日はあなたに二つのニュースがあります。一つは良いニュースでもう一つは悪いニュースです。どっちから聞きますか?」

「じゃあ良いニュースから」

「アメリカ人捕虜を全員返すことに決めました」

「本当ですか?それはありがたい。で、悪いニュースは?」

「はい、ニューヨークに飛行機ごと返します」

 

●旧ソ連

ニューヨーク発モスクワ行きの旅客機がいよいよ着陸態勢に入った。機内アナウンスが流れる。

「まもなく投機はモスクワ国際空港に到着いたします。なお、アメリカとの時差は二十年と一時間でございます」

 

●ハンガリー

ハンガリー人「今度、我国に海軍省ができるんだ」

ロシア人「何だって?でもハンガリーには海がないじゃないか」

ハンガリー人「でも君の国に文化省があるんだぜ」

 

●アルバニア

アルバニア初の国産飛行機がついに完成した。国民は大いに喜んだが、初フライトで墜落してしまった。翌朝の新聞はこの事件をこう報道した。

「アルバニア一号機、あえなく墜落。死者は百人を超える模様。原因は石炭の不燃・・・・・」

 

●フィリピン

ある日、エストラーダ大統領が、なぜだか随分に嬉しそうにしていた。それを見た側近が言った。

「何やら嬉しそうですね、大統領。何かいいことがありましたか?」

「実はね、脳に腫瘍があることがわかったんだ」

「それでなぜ喜んでいるのですか?」

「私にも脳があることを証明できたからね」

 

このブラックは少々ほろ苦いと書いたけれども、

胃の側壁がじっとりと汗をかくような強い酸味。

平和に浸った内臓では消化するのに難儀する笑い。

世界は実にタフにできている。

(店主YUZO)

 

5月 9, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | | コメント (0)

2012年5月 7日 (月)

毛皮よりもマトリョーシカを

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宣教師ニコライといい、皇太子ニコライといい、日本に何を感じて

遥か遠くの極東の島国まできたのだろう。

欧米列強国に先んじて有利な条件で交易をしたいという思惑は

当然あっただろうが、一方では未知なるエキゾチックな国という

魅力もあったのかもしれない。

 

生まれながらに住んでいると

自国の良さや魅力に気がつかないわけで、

他から言われて、はっと気がつくものである。

 

司馬遼太郎著『ロシアについて』(1986年刊)。

この本では、幕末までロシアは日本に対して熱い眼差しを

向けていたのかを、史実に照らし合わせて推論している。

 

実は司馬遼太郎を読むのは初めて。

というのも中年のオッサンが愛読する作家のイメージが強く、

場末の安い居酒屋で

「司馬遼太郎によると坂本龍馬はね。今の日本経済の低迷にも一石を投じるような思想を持っていて・・・・」

などと赤ら顔で力説されることに辟易していてからである。

今や自分も同じ中年のオッサンになったが、

その思いは変わらないままである。

私はひねくれ者のオッサンなりたいのである。

 

さて話を元に戻すと、

ロシアが頑なに鎖国をしていた日本に着目したのは、

領土が東へ東へと拡大するにつれ、凍土に覆われた

シベリア地域の安定した食料調達にあったという。

モンゴル騎馬民族には数百年にわたって支配されていた

忌まわしい過去があり、中国清朝とも長年にわたり

国境で鬩ぎ合いをしている。

 

それならば利害関係のない日本と交易を始めて、

この難局を乗り切ろうと考えた。

ただ日本は未知なる部分が多く、どうにか情報を得ようと、

日本の漂流民を篤く保護し、シベリアの都市イルクーツク

には日本語学校もあった。

 

しかし鎖国の重い扉を開くことはできず、

それどころか艦隊を組んで脅かして強引に開国を迫った

アメリカに先を越され、明治政府には西欧列強のなかでも

ロシアは二流の国と位置づけされ、戦争まで起きてしまう。

さらに太平洋戦争末期のロシア参戦によって

両国の関係は、日本海の溝よりも深い隔たりができて、

現在に至ってしまうのである。哀呼。

 

歴史をひとつの見解から論ずるのは危険極まりないが、

ちょっとしたボタンの掛け違いから不信感が募っていった

という推論は、なかなか興味深い。

 

だいたいロシアは日本との貿易品として

クロテンやラッコの毛皮を考えたという。

現代ならば飛びついたのかもしれないけれど、

江戸時代の風俗や生活習慣を考えれば、

受け入れ難い品とわかりそうなものである。

 

その時点で不信感の輪が始まったのかもしれないネ。

(店主YUZO)

5月 7, 2012 ブックレビュー | | コメント (0)

2012年5月 4日 (金)

皇帝ニコライはマトリョーシカを知っていたのか?

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マトリョーシカがつくられ始めた時代は、帝政ロシア末期、

ロマノフ王朝滅亡の時期と重なる。

つまりマトリョーシカは元禄時代のように天下泰平を享受した

なかで生まれた工芸品ではない。

 

1890年前後に最初のマトリョーシカが誕生。

1900年にパリ万博に出展されて銅賞を受賞。

1904年日露戦争。

革命前夜の内乱に揺れる年月。

1913年第一次世界大戦。

1917年ロシア革命。

 

激流の大河のごとく時代が変貌をとげるなか、

全ロシアでつくられていたわけでもないのに、

マトリョーシカの制作が絶えることなく続いていたのは、

とても不思議な気がする。

 

このロバート・K・マーシー著「ニコライとアレキサンドラ」は

ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と皇后の悲劇を、

皇太子アレクセイが血友病だったことに着眼し、

史実を追って丹念に書き上げたもの。

 

パリ万博についての記述があればと読み進めたものの、

残念ながら載ってはいなかった。

著者にとってパリ万博は物語から外れる出来事だろうし、

マトリョーシカの存在すら知らなかったのかもしれない。

 

しかしこの皇帝ニコライは日本とは只ならぬ関係がある。

1891年、開国して間もない日本で、

ロシア皇太子の警備にあたっていた巡査が、

事もあろうか皇太子をサーベルで切りつける事件があった。

 

大津事件。

日本国民が、もし死去してしまったら両国の関係は、

どうなるのだろうと背筋が凍りついた事件である。

その皇太子こそが、皇帝ニコライなのである。

 

この本には書かれていないが、事件直後の日記で

皇太子ニコライは、日本についてこう綴っている。

「日本のものはすべて、4月29日以前と同じように私の気に入っており、日本人の一人である狂信者がいやな事件を起こしたからって、善良な日本人に対して少しも腹をたてていない。かつてと同じように日本人のあらゆるすばらしい品物、清潔好き、秩序の正しさは、私の気に入っている」

 

慈愛に満ちた心と穏やかな品性ある人柄。

その人柄ゆえ、またロシアを愛するがゆえの悲劇を、

この本はドラマチックに、大河ドラマ風につづっている。

俗っぽい表現をすると

「ロシア版ベルサイユのばら」かのようである。

 

私的な欲を言うならば、

パリ万博について皇帝はどういう思いだったのかを

半ページでもいいから割いて欲しかった。

芸術と平和の祭典である万博に対して、

この心優しき皇帝は、きっと満面の笑みで、

マトリョーシカの受賞を喜んだと察するからである。

 

やがて皇帝の運命を決定づける

動乱と革命の前の小春日和な出来事として。

 

ちなみに皇帝ニコライは51冊、1万ページにおよぶ

日記を残したそうである。

(店主YUZO)

5月 4, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年5月 2日 (水)

宣教師ニコライとマトリョーシカ

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マトリョーシカの原型とされる箱根の入れ子人形が

ロシアに渡ったとされる1880年頃。

 

どうしても避けて通れない重要人物がいる。

セルギエフ・パッサードの発展に足跡を残した

鉄道王モーマントフではない。

日本にロシア正教を布教するため、

1861年に函館にやってきた宣教師ニコライ、

東京御茶ノ水にある聖ニコライ堂を建立した

のちの大主教ニコライ、その人である。

 

なぜ宗教とマトリョーシカが関係あるのかと疑問に

思われる方がいるかもしれないが、

ロシアに伝来した説として箱根に遊びに来ていた宣教師が

持ち帰ったというのが有力で、実際に箱根の塔ノ沢に

正教会の別荘があったこともわかっている。

(もうひとつ、モーマントフ婦人が持ち帰ったという説あり)

 

誰かかが中からいくつも出てくる人形に眼を奪われて、

土産品として買ったのは、事実であろう。

果たして、その人物は誰なのか。

 

それどころか

塔ノ沢の別荘がいつ頃に建てられたのかによっては、

箱根の入れ子人形ルーツ説に、大きな疑問を

突きつけてしまう可能性さえある。

その手がかりがあるのではと、

中村健ノ介著『宣教師ニコライと明治日本』を読んでみた。

 

残念ながら塔ノ沢の別荘についての記述は、

「帰郷しない生徒たちは先生方がついて、房総のいまでいう民宿や、箱根塔ノ沢の正教会の別荘で過ごしたりしている」のみ。

当然のことながら宣教師ニコライの布教に捧げた半生に

スポットが当てられている。

 

この本の面白さは幕末、明治維新という日本の激動期に

布教のために来日したニコライ師が、

日本の変容、日本人をどう見ていたのか、

当時の新島襄、福沢諭吉といった知識人の

宗教観にどう感じていたのか伺い知ることである。

またニコライ師の目線を高く見据えず、

つねに庶民と同じ立ち位置でいる人間的な魅力も、

この本の重要なテーマである。

 

ニコライ師は50年もの長い間、日本に滞在して、

ロシア正教の布教に身を捧げた。

日露戦争時にさえ、信者に危害が及ぶかもしれないと、

自分の身を案ずることなく、たった独り日本に残った。

 

マトリョーシカと箱根の入れ子人形とを結びつけたのが、

一人の情熱的な宗教家の活動が絡んでいたと思うと、

心の奥に明かりが灯ったような気分にさせてくれる。

(店主YUZO)

5月 2, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)