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2012年4月 6日 (金)

酒樽を抱えてペトゥシキまで

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酔っ払いはときどき、

とんでもない人生の真理を口にすることがある。

ただ残念なことにその神がかった言葉も、

酔いが醒めてしまうと、まったく覚えていない。

霧のかかった荒野にぽつりと糸杉が生えているかのようである。

 

あの珠玉の言葉さえ思い出せば、

人生を一度たりとも悔いることなく、

大海の鯨のように朗らかに生きることができるのにと、

地団駄を踏んでみても、この霧が晴れることはない。

永遠に霞がかかったままである。

 

そして酔ったときだけの哲学者は、

二日酔いでがんがんと脈打つ頭を叩きながら、

必ずと言っていいほど、こう呟くのである。

「もう酒なんか、止めた」と。

 

この世に泥酔文学というジャンルがあるとすれば、

ヴェネディクト・エロフェーエフの小説、

「酔いどれ列車 モスクワ発ペトゥシキ行」は

第一線級の文学である。

この本と肩を並べることができる泥酔文学を挙げるならば、

チャールズ・ブコウスキーの「詩人と女たち」ぐらいだろうか。

 

粗筋を簡単に説明すると、

モスクワからペトゥシキ行きの列車に乗ったヴェーニチカは、

ひたすら酒を飲み続け、周囲に罵事雑言を浴びせて

管を巻いたかと思うと、大統領になった妄想を抱いたり、

ロシア人の未来を憂いたり、天使の幻覚を見たりと、

酔っ払いならではの現実と夢想の間を自由に行き来する。

だがヴェーニチカの桃源郷、約束の地と考えている

ペトゥシキに到着することはない。

やがて酒も尽きると、悲劇を迎えることになる・・・。

 

聖なる酔っ払いの戯言だけに、

この小説には人生の苦味を含んだ言葉が

たくさん散りばめられている。

 

「純朴は常に神聖にあらず。また喜劇は常に神曲であらず」

「ピストル自殺と同じやり方で、酒を飲んだのさ」

「ロシアの誠実な人間ならば皆そうだ。なぜ飲むのか?絶望のあまり飲んだのさ。誠実だから、人民の運命の重荷を軽減してやれるだけの力がないことを自分で身に沁みて知っているからだ!」

 

この小説はソビエト時代に、地下出版されて

ベストセラーになったという伝説があり、

この泥酔文学の名作としての相応しい勲章を持っている。

 

残念ながら日本では絶版になっていて、

なかなか手に入れることができないが、

もし手にすることがあったら、

ウォッカを片手に、ヴェーニチカの酔談をじっくりと聞くのも

酒飲みの友としていいのでは。

(店主YUZO)

4月 6, 2012 店主のつぶやきブックレビュー |

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