マトリョーナは花子ではなかった?
愛しのマトリョーシカは何処に行ってしまったのか。
ネクラーソフの詩に彼女の面影を一瞬見ただけで、
その後は、また闇の彼方に。
彼女に巡り逢うことは、もはや奇跡。
一糸の望みもなく、延々と続く砂浜で愛の鍵を
見つけ出すようなもの。
この宝箱が開くことは決してないのか。
その絶望の淵に佇んだ矢先、さらなる衝撃の発言を
見つけてしまったのである。
それから「マトリョーナ」って、よく、ロシア人の一般的な名前だと言うんだけど、僕は、あんまりそうは思わない。むしろちょっと珍しい名前なんです。
マトリョーシカの語源といわれ、もはや定説になりつつあった
マトリョーナ=マトリョーシカ説を根本から覆す発言。
19世紀の農村にマトリョーナという
可憐な少女はいなかったというのである。
この発言者、坂内徳明氏は、一橋大学の副学長で、
ロシア民俗学の権威。
マトリョーシカの語源については、綴りの”MAT”に注目し、
ロシア語で母親を意味する”MAMA”
が由来しているのではと推論としている。
英語の”MOTHER”も
同様の語源からの成り立ちだという。
次々と中から出てくるマトリョーシカの構造は、
子宝の象徴といわれているのは現在でも指摘されているとおり、
突飛な着想ではない。
論理的には滑らかで自然な推論である。
ただ権威ある専門家にいわれて、
すぐその説に鞍替えするという安易な転向は取りたくないが、
今自分にできることといえば、翻訳されたロシア文学や詩篇から
マトリョーナの名をできるだけ多く見つけ出すこと、
他の有力な説を導き出すことしかない。
マトリョーシカが誕生して、まだ130年程度なのに、
名前の由来も、現在までの成長過程も、
尽く曖昧で閉じられたままなのである。
やれやれ。
このマトリョーシカ界注目の坂内教授の発言は、
下記のHPに対談として載っています。
ただインタビュアーが、もう少しマトリョーシカやロシア文化について
知識があればと悔やまれるが。
チェブラーシカのマトリョーシカからワニが出てきて驚いた
なんて無邪気に言われてしまうと、どうもねぇ。
http://www.famipro.com/ryosika/matory_m00_cntn.html
PS画像は本文と関係ありません。猫のヘンリー君です。
(店主YUZO)
最近のコメント