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2012年4月23日 (月)

マトリョーナは花子ではなかった?

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愛しのマトリョーシカは何処に行ってしまったのか。

ネクラーソフの詩に彼女の面影を一瞬見ただけで、

その後は、また闇の彼方に。

彼女に巡り逢うことは、もはや奇跡。

一糸の望みもなく、延々と続く砂浜で愛の鍵を

見つけ出すようなもの。

この宝箱が開くことは決してないのか。

 

その絶望の淵に佇んだ矢先、さらなる衝撃の発言を

見つけてしまったのである。

 

それから「マトリョーナ」って、よく、ロシア人の一般的な名前だと言うんだけど、僕は、あんまりそうは思わない。むしろちょっと珍しい名前なんです。

 

マトリョーシカの語源といわれ、もはや定説になりつつあった

マトリョーナ=マトリョーシカ説を根本から覆す発言。

19世紀の農村にマトリョーナという

可憐な少女はいなかったというのである。

この発言者、坂内徳明氏は、一橋大学の副学長で、

ロシア民俗学の権威。

マトリョーシカの語源については、綴りの”MAT”に注目し、

ロシア語で母親を意味する”MAMA”

が由来しているのではと推論としている。

英語の”MOTHER”も

同様の語源からの成り立ちだという。

 

次々と中から出てくるマトリョーシカの構造は、

子宝の象徴といわれているのは現在でも指摘されているとおり、

突飛な着想ではない。

論理的には滑らかで自然な推論である。

 

ただ権威ある専門家にいわれて、

すぐその説に鞍替えするという安易な転向は取りたくないが、

今自分にできることといえば、翻訳されたロシア文学や詩篇から

マトリョーナの名をできるだけ多く見つけ出すこと、

他の有力な説を導き出すことしかない。

 

マトリョーシカが誕生して、まだ130年程度なのに、

名前の由来も、現在までの成長過程も、

尽く曖昧で閉じられたままなのである。

やれやれ。

 

このマトリョーシカ界注目の坂内教授の発言は、

下記のHPに対談として載っています。

ただインタビュアーが、もう少しマトリョーシカやロシア文化について

知識があればと悔やまれるが。

チェブラーシカのマトリョーシカからワニが出てきて驚いた

なんて無邪気に言われてしまうと、どうもねぇ。

http://www.famipro.com/ryosika/matory_m00_cntn.html

PS画像は本文と関係ありません。猫のヘンリー君です。

(店主YUZO)

4月 23, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月18日 (水)

マトリョーシカの聖地で

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マトリョーシカの変遷について外すことのできない町

セルギエフ・ポッサード。

マトリョーシカ愛好家からすれば誕生の地というより、

聖地と呼んでも違和感のない町である。

 

昨年『セルギエフ・パッサードのおもちゃ工房』

という注目の本が出版された。

セルギエフ・パッサードの風土記みたいなのもので、

町の歴史、教会とイコン、おもちゃ工房と

全部で3冊に渡って編纂されている。

もちろん、おもちゃ制作をメインにした本に

自然と興味がいくのはこの仕事を始めてからの習性、

もしくは本能になっている。

 

残念ながら、全編ロシア語で書かれているため、

写真を眺めることしかできず、少々もどかしいのだが、

マトリョーシカだけでなく、ウッドバーニングの小箱、

素朴な土人形、木彫の熊、ペーパークラフトなど

幅広く紹介されていて十分に楽しめる。

 

当然のことながらマトリョーシカも気になるところ。

例のごとくソビエト崩壊後の作品や作家の紹介が続くなかに、

ひとりのバブーシュカの写真に眼が止まった。

エカテリーナ・シャトワ。

自慢の作品を抱えたスナップと

その下段には1978年につくられた逸品。

 

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ソビエト時代にも、しっかりと作家がいたではないか、

これで難事件も早々に解決だよワトソン君と、

祝杯をあげてしまいそうなるが、

私のメガネザルのような拙いロシア語読解力と

他の写真から推測すると、エカテリーナさんは、

工場を代表する絵描きだったようで、デザインや技術、

後進の指導に貢献したらしい。

 

ただソビエト崩壊後もマトリョーシカ制作続けていて、

2000年に75年の生涯を閉じたと言う。

マトリョーシカ一筋に生きた人だった。

 

日本という外からの眼で見ると、ソビエトの体制では

個人の顔はかき消され、均一されたものが生産されていると

思いがちだが、この本を見る限り、

制作には自由な発想や新しいアイデアが、

注がれていたように思う。

 

聖地でもあることを差し引いても、

マトリョーシカ制作には、おもちゃという概念を越えて、

どこか芸術の香りが漂っているのは、

このような芸術肌の職人の熱意があったからかもしれない。

  

(店主YUZO)

4月 18, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月16日 (月)

マトリョーシカはいかにして鍛えられたか

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今日もアンティーク・マトリョーシカの話。

先日刊行された洋書には1950~70年代の作家作品が、

幾点か紹介されていて、作家不在という観点は見直すべきと

書いたが、実はその伏線となる本がある。

 

1973年にK.ナザロワとT.オラディンスカヤが著した

「Rусский субенир」という小冊子。

その本に紹介されているマトリョーシカは、

計画生産でつくられた味気のないお土産品ではなく、

色合いも鮮やかで個性的な作品の写真が

一葉載っているのだ。

 Photo_2  

それが上記の写真。

モデルのポーズが艶めかしく斬新過ぎて、

脳内で金ラメがきらきらと舞っているようで眩しいが、

ここに写っているマトリョーシカは、

現在つくられているのと見間違えるほどの

今日的な作風ばかりである。

 

とくに足元に鎮座しているマトリョーシカのプラトークは

ペイズリー柄。1960年代後半に流行した柄を

数年遅れとはいえ、果敢に取り入れていることに注目。

明らかに伝統的なものではないファッションの流行を取り入れ、

今までにない色遣いに挑戦して、

従来の伝統の枠に囚われない作家の意思を感じるではないか。

 

ただこの写真には作家名も地名も載っていないのだよ。

ワトソン君。

 

ほかにある写真といえば残念ながら、

御馴染みのおもちゃ博物館に展示されている

黒い鶏を抱いたマトリョーシカと日本の入れ子人形。

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ひとつ興味深いのは

沼田元氣さんが『暮らしの手帖2009年早春号』で

マトリョーシカ制作が暮らしの一部になっている村と紹介した

マイダンの作品も載っていたこと。

現在つくられているマイダン産よりも

花柄はていねいに描かれているものの、

大胆な色遣いは今に通じるものがある。

(左からひとつ目とふたつ目がマイダン産)

 

この本ではロシア工芸「パレフ塗り」には

すべての作品に作者名が記載されているのから推測しても、

マトリョーシカにも作家が存在して、

外国から政府の要人が訪問したときに、要請を受けて、

手土産として制作していたのかもしれない。

 

その鍵を握るのは、やはりマトリョーシカ誕生の地

セルギエフ・ポッサードと睨んでいるのだが、いかがだろう。

(店主YUZO)

4月 16, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月13日 (金)

マトリョーシカ界に大激震

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今日は、先回紹介したマトリョーシカ本の話の続き。

 

この度刊行された本には、注視すべき点がふたつある。

今までマトリョーシカ・コレクターのバイブルといえば

『Art of Matryoshka』と『Russian Souvenir Matryoshka』の2冊。

その両方にかけていたのが、1950~70年代に制作された

マトリョーシカの写真。

その貴重な作品が、この本には何点か載っている。

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制作された町の名前はザゴルスクと、セルギエフ・ポッサードの

旧名(ソビエト崩壊後、元のセルギエフ・ポッサードに戻った)で

載せているという心憎い演出までして。

マトリョーシカをこよなく愛する身としては、

この失われた時代の作品が見られるというのは、

卵を割ったら黄身がふたつあった時よりも、

当然のことながら、格段に嬉しい。

 

しかもこの作品には、さらなる驚愕の事実がある。

何と作者の名前が判明しているというのだ。

 

ソビエト時代は、すべて計画生産で進んでいるから、

Made in USSSRという印が押してあるだけで、

作者のサインが入ることは到底考えられない。

アンティーク・コレクターの第一人者の

道上氏のコレクションを見たときも、すべて印のみだったし、

作家という概念は存在しないと結論づけていた。

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その定説が覆される、

再考すべき衝撃の事実が判明したのである。

「これはどえらいことになった。

もう一度、イチからやり直しだよ。ワトソン君」

とホームズさえも頭を抱えてしまうぐらいの大問題、

もしくは物的証拠の発見。

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写真を見ても分かるとおり、

お土産用につくられたデザインではない。

明らかに作家の製作意図を感じる作品である。

しかし個人売買が禁じられた国で、

何のためにつくったのだろうか。

個人で楽しむため?

謎は深まるばかりである。

(店主YUZO)

4月 13, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月11日 (水)

ロシア版『マトリョーシカ』本が出版されました

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以前から噂になっていた新しいマトリョーシカの本が、

ようやく出版されました。

ロシア人の仕事だけに、噂だけで終わってしまうのではという

危惧もありましたが、何とか出版に漕ぎ着けたようです。

ハラショー!

 

今回、チェリパシカ氏がロシアに買い付けに行った際、

あらゆる手段を使ってどうにか手に入れてくれました。

というのもこの本、早くも絶版に近い状態で、

コブロフさんも30冊ほど頼んだものの入らず、

仲買人のイワン君も全然手に入らないと嘆いていたほど。

 

値段もかなり高価ということなので、

このまま絶版になるのではという心配さえあります。

とりあえず出版社の情報を明記します。

 

著者 Gorozbanina Svetlana

題名 Russian matryoshka album

出版社 Interbook Business  Publishers

     216P・オールカラー(A4版)

HP www.interbook-art.ru

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マトリョーシカ・アルバムというだけあって、

1ページにひとつの作品を掲載するという贅沢なレイアウト。

「木の香」で紹介した

リャボフさん、アーニャさんの作品も載っています。

 

次回、ロシア仕入れのときには

何冊か買い付けようと考えていますが、

このような状態だと入荷しない可能性もあります。

 

海外とのトレードが慣れている方は、

いろいろと探してみたほうがいいかもしれません。

古本的見地からいえば稀少本になる素地あり(笑)

(店主YUZO)

4月 11, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | | コメント (0)

2012年4月 9日 (月)

20年前のロシアに留学

 

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古本屋をめぐりをしては、ロシアに関するを見つけては

買い求めるようにしている。

文化、芸術だけでなく、歴史、文学、

あまり好みではないが政治にについても、

仏頂面のエリツィンや沈鬱な表情のゴルバチョフに

苦笑いしながら手を出している。

 

すでにソビエト崩壊から20年。

日本人のロシアへの関心と興味は、

例のごとく薄れてしまったようで、古本業界では、

特価本や店頭ワゴン置きの状態。

安く買うことができるので嬉しい反面、

背表紙が日焼けした古本たちが哀れにさえ思う。

 

その特価本のなかに見つけたのが

森千種著『零下20度でアイスクリーム』。

著者はフジテレビのアナウンサーで、

社内制度を利用してモスクワ大学に留学。

留学中に91年のクーデターで揺らぐモスクワを

間近にしたという貴重な経験している。

 

しかし興味を持ったのはクーデターの生の声でなく、

慢性的な物不足と驚異的な物価の高騰に、

サービスという概念がまったくない紋切り型の行政機関。

自国の通貨よりもドルが幅を利かすという情況は、

自分が行くようになった2000年以降のロシアと、

月の表と裏ぐらい違うということ。

 

ロシアが短期間で経済や体制を変革してきたことを、

否応なく知らされる。

 

西側のファーストフードの典型、ピザハットが開店した頃の

市民への対応が興味深い。

ドルかルーブルの支払いの違いで、

席やサービスが露骨なほど異なり、

貨幣価値の高いドルが店の応対が良く、

オーダーも取りに来て待たせることがない。

もちろん同じ商品であっても、ルーブルで買うより断然高い。

 

ドルを持たない市民は羨望の眼差しで

ドルで買う人を見つめながら、ルーブルの長い列に並ぶ。

 

こういったエピソードを

著者はジャーナリストの目線で市民生活を描かず、

ひとりの留学生としてロシアを見つめているだけに、

身近な出来事に感じて飽くことがない。

 

この厳しい情況と知りつつ、

果敢にもロシアに留学した著者の好奇心に

ただ、ただ敬服。

ロシアでの留学生活を肌で感じることができる好書だと思う。

ただし20年前だけれども。

 

(店主YUZO)

 

4月 9, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | | コメント (0)

2012年4月 6日 (金)

酒樽を抱えてペトゥシキまで

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酔っ払いはときどき、

とんでもない人生の真理を口にすることがある。

ただ残念なことにその神がかった言葉も、

酔いが醒めてしまうと、まったく覚えていない。

霧のかかった荒野にぽつりと糸杉が生えているかのようである。

 

あの珠玉の言葉さえ思い出せば、

人生を一度たりとも悔いることなく、

大海の鯨のように朗らかに生きることができるのにと、

地団駄を踏んでみても、この霧が晴れることはない。

永遠に霞がかかったままである。

 

そして酔ったときだけの哲学者は、

二日酔いでがんがんと脈打つ頭を叩きながら、

必ずと言っていいほど、こう呟くのである。

「もう酒なんか、止めた」と。

 

この世に泥酔文学というジャンルがあるとすれば、

ヴェネディクト・エロフェーエフの小説、

「酔いどれ列車 モスクワ発ペトゥシキ行」は

第一線級の文学である。

この本と肩を並べることができる泥酔文学を挙げるならば、

チャールズ・ブコウスキーの「詩人と女たち」ぐらいだろうか。

 

粗筋を簡単に説明すると、

モスクワからペトゥシキ行きの列車に乗ったヴェーニチカは、

ひたすら酒を飲み続け、周囲に罵事雑言を浴びせて

管を巻いたかと思うと、大統領になった妄想を抱いたり、

ロシア人の未来を憂いたり、天使の幻覚を見たりと、

酔っ払いならではの現実と夢想の間を自由に行き来する。

だがヴェーニチカの桃源郷、約束の地と考えている

ペトゥシキに到着することはない。

やがて酒も尽きると、悲劇を迎えることになる・・・。

 

聖なる酔っ払いの戯言だけに、

この小説には人生の苦味を含んだ言葉が

たくさん散りばめられている。

 

「純朴は常に神聖にあらず。また喜劇は常に神曲であらず」

「ピストル自殺と同じやり方で、酒を飲んだのさ」

「ロシアの誠実な人間ならば皆そうだ。なぜ飲むのか?絶望のあまり飲んだのさ。誠実だから、人民の運命の重荷を軽減してやれるだけの力がないことを自分で身に沁みて知っているからだ!」

 

この小説はソビエト時代に、地下出版されて

ベストセラーになったという伝説があり、

この泥酔文学の名作としての相応しい勲章を持っている。

 

残念ながら日本では絶版になっていて、

なかなか手に入れることができないが、

もし手にすることがあったら、

ウォッカを片手に、ヴェーニチカの酔談をじっくりと聞くのも

酒飲みの友としていいのでは。

(店主YUZO)

4月 6, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | | コメント (0)

2012年4月 4日 (水)

花粉症VSノーガード戦法

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桜の便りは未だに聞かないが、花粉症は真っ盛り。

洟水と涙目に苛まれ、

毎日をぼんやりと過ごしている人も多いと思う。

もちろん私もその一人であるが。

 

昨年私は、一生付き合わなければならない相手ならば、

無理に薬などを処方せずに、無二の親友として共にする

通称ノーガード戦法というのを思いつき、試みた。

薬を服用するから花粉も、

そちらがその気で対処してくるのならば、

こちらも本気で戦いを挑まなければならないと、

猛威を奮ってくるのではないかと考えたからである。

 

国際関係と一緒。

こちらが防衛と称して兵力を増強すれば、

相手も軍事に力を入れてくる。

それならば花粉が多く舞おうと気にも留めずに、

涙は流れるまま、くしゃみも出るままに過ごしたほうが、

相手も馬鹿らしくなって私にまとわりつくのを止めるにちがいない。

 

この壮大な実験ともいえるノーガード戦法の結果はというと、

残念ながら、ほとんど例年どおり。

朝のうちはくしゃみ連発、海亀の眼の状態なのだが、

昼頃には症状が少し緩和。夜には自覚すらなしであった。

ただ前日に深酒をすると、次の日は過度に反応する羽目に。

それを知っただけでも収穫。

自分の身体というのが少しわかった気がした。

 

ということで今年は、

たまに薬を服用するプチ・ノーガード戦法を実践中。

 

さて冒頭の写真は、

ソウルの女王アレサ・フランクリンの名盤「レディ・ソウル」。

アレサは、未だ来日していない大物シンガーの一人である。

 

この人の力強い歌声を聴くと、花粉症の悩み自体

とても小さな事柄にさえ思えてしまうから不思議だ。

この世の中には考えなくてはいけないことで溢れているし、

人生は喜びに満ちていなければいけないと、

神々しい声で説教されているかのようである。

 

絶対にアレサは花粉症ではない。

断言できる。

(店主YUZO)

4月 4, 2012 店主のつぶやき | | コメント (0)

2012年4月 2日 (月)

プロ野球を愛するすべての人に

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いよいよプロ野球開幕。

以前はこの日が来るのを心待ちにしていたが、

今はそれほどの熱い気持ちはない。

年々減少する観客動員数に歯止めをかけるために、

セパ交流戦やクライマックスシリーズができたりと、

優勝までの条件が複雑になったせいかもしれない。

 

また球場まで足を運んで見たいと思う選手が、

どんどんアメリカに渡ってしまうのも一因にある。

とにかく勝負事は勝ち負けが明白で単純でなければ面白くない。

そして個性的な選手がいないと、見世物として魅力がない。

 

さて何故プロ野球の話をしたかというと、

ナターシャ・スタルヒン「ロシアから来たエース」を読んだからである。

スタルヒンといえば、プロ野球創成期に大活躍した伝説の投手。

名前からしてロシア系の人物ではと推測できるが、

どのような素性なのか本当のところは知られていない。

前も後ろも闇なのである。

 

この本によると、ロシア革命時、裕福な家庭だったスタルヒン家は、

迫り来るプロレタリア革命の荒波を恐れて、

財産を捨てて着の身着のままに日本に亡命する。

亡命先は北海道旭川。

その地で野球を覚えると、旭川にスタルヒンありと騒がれ、

その噂は東京にまで届く。

折しも球団を創設したばかりの巨人軍の球団社長の耳にまで

その噂が入り獲得に乗り出す。

入団までは紆余曲折あったものの、

巨人に入団してからは、まさにエース級の活躍で、

日本を代表する投手に成長、プロ野球初の300勝を達成する。

 

と書き進めると、日本人好みの立身出世物語に思われるが、

そんな人生が単純に栄光に向かって進むわけがない。

 

実の娘である著者は、日本国籍を希望しても

取得できない障壁に悩む姿と、

つねに“外人”として扱われる日本独特の

差別や疎外を描き出している。

とくに戦時中は肋膜炎に臥して生活は困窮極め、

しかも特高警察の監視下におかれた厳しい状況を綴っている。

 

結局、スタルヒンは日本国籍を取得することはなかった。

そして交通事故を起こし、40歳という若さで生涯を閉じる。

プロ野球を引退してから2年後である。

 

著者は巻頭で

「父にとって野球生活以外はなかったも同然だった。野球の生命が終わったと同時に、自分の生命も姿もこの世から完全に消えてしまったのである」

と綴っているが、果たしてそうなのだろうか。

 

その根にあるのは孤独や愛憎といった様々な感情が、

絡み合った挙句の無念の死という気がしてならない。

 

輝かしい記録を打ち立てながらも、あまり語られることのない大投手。

華々しいプロ野球の舞台に射し込む光と闇。

その闇の声に耳を傾けてはいかがだろうか。

(店主YUZO)

4月 2, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | | コメント (0)