« 人が死ぬということ | トップページ | 音楽で花粉症は治るか? »

2012年3月16日 (金)

マトリョーナ、君はいずこに

Photo  

マトリョーナを探す旅、始まる。

その旅とはマトリョーナの名前が流行したと言われる

18世紀末~19世紀末に書かれた小説に、

もしかしたら彼女の名前が載っているのではと予想して、

いろいろと読み漁ろうと思った次第。

 

この時代のロシア文学といえば、トルストイ、ドストエフスキー、

チェーホフ、プーシキンといったその名を世界に

轟かせた文豪が勢揃い。

もしくはその名前は、世界に響き渡れども、

意外に読まれていない文豪の時代でもある。

私自身も登場人物の多さと呼び名が相手によって変化するので、

早々に白旗を揚げて退散してしまった作品群である。

 

という背景もあるので、手始めにサルでもわかる初歩として、

トルストイ民話集『イワンのばか』を読んでみた。

 

結論から言ってしまうと、愛しのマトリョーナはここにはいなかった。

そしてサルには到底理解できない深い人生哲学が、

そこには描かれていた。

 

平易な文章でありながら

~翻訳されたものなので原文はわからないが~

人間の真の幸福な生き方とは何ぞやと、

鋭利な刃物で心の肉をえぐったかのごとく、

その真髄にまで達しているのである。

 

装飾語やきめ細かい情景描写を極力削ぎ落とした文章ほど、

真理に辿り着くといわれるが、

そのお手本みたいな圧倒的な筆力。

 

「わしらは兵隊には行きたくねえ」と、彼らは言った。「同じ死ぬもんなら、うちで死ぬほうがいいです。どのみち死ななきゃならねえなら」

 

この国にはひとつの習慣があるー手にたこのできる人は、食卓につく資格があるが、手にたこのないものは、人の残りものを食わなければならない。

 

だいたい世界的な文豪が50才を過ぎて達した境地、

人生観、世界観なのである。

子どもの絵本ですまされるようなテーマではない。

そして私のような凡人が気安く語るような作品でもない。

 

嗚呼、愛しのマトリョーナはどこにいる?

(店主YUZO)

3月 16, 2012 店主のつぶやきブックレビュー |

コメント

コメントを書く