マトリョーナ、君はいずこに
マトリョーナを探す旅、始まる。
その旅とはマトリョーナの名前が流行したと言われる
18世紀末~19世紀末に書かれた小説に、
もしかしたら彼女の名前が載っているのではと予想して、
いろいろと読み漁ろうと思った次第。
この時代のロシア文学といえば、トルストイ、ドストエフスキー、
チェーホフ、プーシキンといったその名を世界に
轟かせた文豪が勢揃い。
もしくはその名前は、世界に響き渡れども、
意外に読まれていない文豪の時代でもある。
私自身も登場人物の多さと呼び名が相手によって変化するので、
早々に白旗を揚げて退散してしまった作品群である。
という背景もあるので、手始めにサルでもわかる初歩として、
トルストイ民話集『イワンのばか』を読んでみた。
結論から言ってしまうと、愛しのマトリョーナはここにはいなかった。
そしてサルには到底理解できない深い人生哲学が、
そこには描かれていた。
平易な文章でありながら
~翻訳されたものなので原文はわからないが~
人間の真の幸福な生き方とは何ぞやと、
鋭利な刃物で心の肉をえぐったかのごとく、
その真髄にまで達しているのである。
装飾語やきめ細かい情景描写を極力削ぎ落とした文章ほど、
真理に辿り着くといわれるが、
そのお手本みたいな圧倒的な筆力。
「わしらは兵隊には行きたくねえ」と、彼らは言った。「同じ死ぬもんなら、うちで死ぬほうがいいです。どのみち死ななきゃならねえなら」
この国にはひとつの習慣があるー手にたこのできる人は、食卓につく資格があるが、手にたこのないものは、人の残りものを食わなければならない。
だいたい世界的な文豪が50才を過ぎて達した境地、
人生観、世界観なのである。
子どもの絵本ですまされるようなテーマではない。
そして私のような凡人が気安く語るような作品でもない。
嗚呼、愛しのマトリョーナはどこにいる?
(店主YUZO)
3月 16, 2012 店主のつぶやきブックレビュー | Permalink
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