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2012年3月11日 (日)

最愛の人を失うということ

Photo  

震災から一年が過ぎようとしている。

一瞬にして最愛の人を失った哀しみは、

あらゆる想像力を働かせても測り知ることはできないし、

その哀しみを同じ想いで共有することはできない。

励ましの言葉で、深い心の傷が癒えるわけでもない。

 

それどころか悪意のない励ましの言葉ほど、

逆にその傷をさらにえぐってしまっている気さえするのだ。

「絆」という言葉は良い響きがあるものの、

支え合う者が同等であればよいが、

どちらか片方が受け入れる側で、もう片方が差し伸べる側

という図式になってしまうと、お互いの均衡がとれずに、

差し伸べる側に奇妙な優越感が生まれてしまう

恐れさえあると思う。

 

耳に心地の良い言葉は、時には現実を曖昧に美化してしまう。

 

私の行うささやか援助では、

あなたの哀しみを喜びに変えることは絶対にできないと、

深く祈るように頭を垂れて、黙々と支援し続けたい。

今年もチャリティー作品展を開催する予定である。

あの時の記憶を風化させないためにも。

 

最愛の人を失った哀しみを題材にした写真集に

荒木経惟「センチメンタルな旅・冬の旅」がある。

写真集というよりモニュメント。

最愛の人を病気で失うまでを綴った日記。

 

家の中の風景や窓辺からの街並み、路傍の看板や植木は、

当事者しかわからない極めて私的なスナップで、

そこには生前の愛する人のぬくもりあり、

この世を去ってしまった現実を映した絶望と空虚がある。

頁をめくりながら、天才写真家の繊細な心の揺れと虚しさを、

少しだけでも感じることができる。

 

最後の雪景色のなかで遊ぶ愛猫チロのスナップが、

悲しいほど美しい。

 

ふと思うのは、最愛の人を看病しなから失う場合とちがって、

震災の場合は死の予感すらない。

ほんの数時間前まで一緒にご飯を食べたり、

他愛のない話で笑っていたりしたのだ。

その幸せのひとときは、一葉のスナップとして残っていない。

 

あの震災後、生きることの意味は大きく変わってしまったと思う。

すくなくとも私は。

(店主YUZO)

3月 11, 2012 店主のつぶやきブックレビュー |

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