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2011年11月12日 (土)

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

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年を重ねると中学や学校の学友が、

何をしているのだろうと想うのか、

同窓会や学級会がたびたび開かれる。

そんな大規模なものでなくても、クラブやサークル単位の集いは、

気心が知れた仲間なだっただけに、

懐かしさをともなって話題が尽きることがない。

 

私の場合も多聞にもれず、

同じ釜の飯を食べた間柄だっただけに、

クラブの仲間とは最近は頻繁に会うようになった。

当時の失敗談や象徴的な出来事が話題に上がるのは

当然としても、血糖値やコレステロール値、人間ドックの話が

つい口をつくのも年齢からくる特長的な話題か。

 

そのなかで若くして病気や事故で亡くなった友の名前が出ると、

一瞬、飲み会の座はしんと静まり返る。

ふつうだったらこの場にいるべき友がいない寂しさと、

まだやりたいことがあっただろうと友の無念さと。

 

この本は小学校のときに通っていた

プラハあったソビエト学校の友達に

40年近くのときを経て再会する話である。

当時のソビエト学校は、東欧の国々から来た共産党幹部の子女から

非合法活動家として亡命したきた一家の子息など、

様々な生い立ちの子供たちが席を並べていた。

その学校生活の様子は子供ならではの見栄や自慢があったり、

まだ見たことのない祖国への憧れだったりと、

私たちの学校生活と変わらない微笑ましいものだ。

 

そして時は流れソビエト崩壊後、それぞれの友だちに

数奇な運命を背負い込むことになる。

著者の構成の上手さもあって、何十年ぶりの友人との再会は、

映画の1シーンを見ているようである。

 

その中でユーゴスラビアの友人は、

民族紛争が勃発し、国に自由が訪れるどころか、

いつNATO軍の爆撃によって命を落としかねない

過酷な状況に置かれている。

 

「この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップひとつさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに悲しみが増えるだけだ、という思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家が皆殺しなってしまうかもしれないって」

その友人が悲痛な表情を浮かべ、今の心情を打ち明ける。

爆撃は数十キロ先の街で起こっていて、

今すぐにも爆弾の雨が降り注いでも不思議ではない状況。

 

このような状況に、

私ならばどんな言葉で友を勇気づけるのだろうかと考える。

戦争に巻き込まれなくても、

似たような状況が親しい人に起こらないとはかぎらない。

 

この本を読むと昔の友は何しているだろうかと、

無性に手紙を書きたくなる。

そんな気持ちにさせてくれる本です。

(店主YUZO)

 

11月 12, 2011 ブックレビュー |

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