« きのこの精霊はどこに消えたのでしょうか? | トップページ | 朽見行雄「イタリア職人の国物語」 »

2011年11月18日 (金)

南佳子「生誕100年」展

Photo 先日、佐倉市美術館に行って来た。

芸術の秋から冬支度への衣替え、

展示しているマトリョーシカを入替えるためである。

 

一息ついたところで、ミュージアムショップの店長が、

「今日は佐倉市民文化の日だから、美術館は入場料無料ですよ。仕事の気分転換で行かれては?」と言ってくれた。

展示の掲示板を見ると、

南佳子「生誕100年」の銅版画のポスターが貼られている。

 

私の勉強不足で名前も作品も知らなかったが、

繊細な色彩で描かれた大きな木にとまる小鳥の絵があった。

木は写実的に幹や枝、葉を描くわけでなく、

大胆に縦と横の線のみで描かれているのに、

やわらかく暖かい。

小鳥も子供が描くように素朴でありながら、

今を生きている感じがする。

Photo_2 南佳子は生涯の半分近くをフランスやアメリカで過ごしたそうである。

そして93年の長い人生を小鳥や木々、女の子を描くのに費やした。

 

初期の作品をのぞいて、その姿勢は一貫している。

年を重ねるごとに、小鳥も木々も女の子も、

作者の心象風景を反映して、深く深くなかへと分け入っていく。

 

 

展示の中に私の大好きな詩集

谷川俊太郎「空に小鳥がいなくなった日」

初版の装丁画があった。

私の持っているのは改訂版なので、この絵ではない。

この詩集に、こんな一節がある。

 

 

空に小鳥がいなくなった日

空は静かに涙ながした

空に小鳥がいなくなった日

人は知らずに歌いつづけた

 

 

この装丁画は、詩のイメージに優しく寄り添っている、

寂しげながらも強い意志を秘めた小鳥の絵でだった。

詩集にとって絵は、紡ぎ出された世界を案内してくれる

言葉を発することないガイド役である。

Photo_3南佳子の作品には、見る人に媚びないといおうか、

澱みのない幸福と救いようのない孤独が、

絡み合うように心の荒野の中をたうたうと流れている。

そう思わずにはいられなかった。

 

 

作品展は11月27日迄である。

芸術の秋も、そろそろ晩秋を迎えた。

「木の香」に寄ったあと、もう一足先へと運んで、

佐倉市美術館に銅版画に色づいた秋を見に行かれては?

(店主YUZO)

11月 18, 2011 展示会情報 |

コメント

コメントを書く