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2011年11月30日 (水)

小沢昭一「道楽三昧」

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今や平成生まれの子供たちが社会人になる時代である。

昭和は遠くになりにけりの心境をひしひしと感じるこの頃である。

この何ともいえない感情は大正生まれの人にはわからないであろう。

 

自身は戦争に担ぎ出され、空襲で老いも若きも焼け出され、

終戦を迎えたときには着の身着のまま。

財産といえば痩せこけた身体ひとつという状況である。

時代が変わったと感じたのは、高度成長期に入った

昭和30年代になってからではないだろうか。

 

今の平成生まれといえば、ゆとり教育の世代。

落ちこぼれを出さず、優劣をつけず、

運動会の順位も決めずといわれた世代。

どう話せば、こちら意志が伝わるかと腫れ物に触るように、

慎重に言葉を選ばないと、突然キレるてしまうか、

すぐに仕事を辞めてしまう世代なのである。

そのため明日の話題を何にしようかと、

わけもわからぬ流行音楽を聴いたり、人気ドラマを観たり、

仕事では極力叱咤せず、褒めて褒めて、褒め殺すぐらいが、

適度ではないかと悩んでいる管理職が多いのではと察する。

 

それがいけない。

もう人生の半ばを過ぎたのに、

そんなことで胃を痛めてはいけないのである。

憤っても何もならないのである。

かつて自分たちも若い頃は、新人類などと命名されて、

やる気のないだの、ガッツが足りないだの、不可解な行動だの、

上の世代から言われ放題だったではないか。

 

この本は道楽のかぎりを尽くした著者が昭和を振り返りつつ、

当時の流行や風俗、生活を思い出いっぱいに語っている。

著者は私の父とほぼ同世代。

かつて私たちを新人類扱いした世代である。

 

この本を読むかぎり昭和は思うほど彼方へ去っていない。

子供の頃に遊んだベーゴマ、めんこ、虫取りなど、

遊びの質は違えど、熱中する気持ちは同じ。

そして年を経るごとに遊びが変わり、

相撲に野球、やがては競馬に釣りと、

ホビーだの趣味だの洒落た言葉で言ってみても、

所詮、人が歩むべく道は道楽なのである。

 

仕事は道楽を極めるためにあり、

道楽は仕事の気分転換に必要不可欠である。

平成生まれが入社したからって浮き足だっては、

道楽を極める道のりが遠のくだけである。

 

道楽三昧の人生を過ごした著者も、締めくくりとしてこう話ている。

「その日その日をしのいできた道楽のなかで、なんべんも仕事に疲れて溺れかかっているのを、道楽に助けてもらって這いあがってきたような、そんな気がしています」

 

芸だけでなく道楽も身を助けるのである。

(店主YUZO)

11月 30, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月28日 (月)

柳家小三治「ま・く・ら」

Pillow  

立川談志が死んだ。

またひとつ巨星が墜ちた。

私は熱心な落語ファンというわけではないが、

一抹の淋しさがある。

 

昔、テレビでは寄席番組がたくさんあって、

身近に落語を楽しむ機会があった。

今のお笑い芸人が嵩じる学芸会にも似た悪ふざけではなく、

長年の研鑽と経験に磨かれた極上の話芸を楽しめたのである。

牧伸二が司会の「大正テレビ寄席」、「花王名人劇場」、

昼のNHK「お好み演芸会」など。

それが時代が流れるにつれ、

日本人の生活の質や習慣が変わるにつれ

今や残っているのは長寿番組の「笑点」と

たまにEテレで放映される「日本の話芸」ぐらいではないか。

 

ただ別の視点から見れば噺家にとって、10分や15分程度で

演目をするのは、かなり困難を要したのではと思う。

まくらにしても手短に終えて本筋にいかなければならないし、

その本筋もかなり削り落とさなければならない。

となると話すのが本筋ではなく、粗筋になってしまう。

噺家がテレビに登場しなくなったのも、それが要因にあるのではないか。

 

以前に林家菊扇の落語を聞きに行ったときだが、

とにかくまくらが面白い。

「笑点」でみせる与太郎キャラではなく、芸能界から政治、

さらには当時幅を利かせていた細木数子の占いまで、

ユーモアと風刺精神に溢れていて、

その目の付けどころの鋭さにほとほと感心したし、

何よりも噺のテンポがよく腹の皮がよじれるぐらい楽しめた。

一時間の演目が、まくらで終わったぐらいである。

 

さてこの本は、まくらの面白さでは定評のある柳家小三治の

上物ばかりをセレクトしてまとめたもの。

ほとんど英語がわからないのに単身アメリカに渡り、

むりやり英会話学校に入学してしまう「めりけん留学奮戦記」。

賃貸駐車場でなぜか自分のエリアにホームレスが住み着き、

追い出すこともできず、強く抗議することもできないうちに、

逆にその生活態度の潔さと合理性に感心してしてしまう

「駐車場物語」。

18もの新鮮な極上ネタが惜しみなく大盤振る舞いされている。

 

最近「木のあしあと」も趣味に走って

ロシアから遠ざかりはじめたとお嘆きの方、

実はこの本にも、ちゃんとロシアの話が隠されていました。

「あのロシアという国にいきますと、ソバの花から取れたミツは貴重品として非常に重んじられているとか、そういうことがね、いろいろと調べているうちに・・・べつに面白くないですね。こんな話(笑)

顔をみればわかります。

あーあ、あいつもとうとうああいう世界にいっちゃったのかって(笑)

そうなんです、だけどね、ロシアのパンってのは、真っ黒けなパンでしょ。カラスムギだとか燕麦だとか、ああいう。それにつけてみっとうまいんですよ。フランスパンなんかにつけると、そのえごさというか、まずさというか、なにこれ、泥食わされてる、ニス食ってんじゃねぇかと思うような、色もそうなんですがね、非常にまずい。

それがね、ロシアのパンにつけるとおいしいんですよ。けっこう深いですよ。これ」

 

こんなに鮮やかに評されるとロシアのハチミツが一筋縄ではいかない

奥深いものだとわかって、すぐにでも食したくなるでしょう?

それと以前に紹介したハチミツ市のでの話が嘘でないことも(笑)

(店主YUZO)

11月 28, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月26日 (土)

ローラ・ニーロ「Gonna take a miracle」

Laura20nyro 

今日は音楽の話。

ローラ・ニーロと聞いただけで

甘酸っぱい気持ちになるのは、私だけだろうか。

 

喩えるならば憧れ慕うお姉さま。

ピアノを弾いて歌うものの人を笑わすようなMCはせず、

孤高を愛し、誰かが話しかけてもニコリと笑うだけで、

決して多くを口にすることはない。

 

きっとそのイメージはそれ以前の作品、

『イーライと13番目の懺悔』や『ニューヨーク・テンダベリー』

のモノクロを基調にしたジャケットと、

収録されている内省的な歌の数々が

そう想起させたのだろう。

 

ちょっと近づき難いけれども、

その才能には寄り添っていたいお姉さまなのである。

ある解説でローラ・ニーロを「火のように寂しい」

と評していたのがあったが、

この表現が実によく合った雰囲気を醸している。

 

そのお姉さまが普段は見せない表情で歌ったのが本作。

子供の頃にストリートで歌っていたR&Bやソウルの名曲を、

実に気持ちよく歌っていて、その歌声も力強くて美しい。

バックコーラスのラベルも好サポートしていて、

極上のブラック・ミュージックに仕上がっている。

(註・ラベルはパティ・ラベルが在籍していたグループ)

 

 

「火のように寂しい」と思っていたのに、

実は身体の中では「火のように燃えている」。

このアルバムを聴くたびに、

お姉さまが今まで見せなかった笑顔を、

自分だけに見せてくれたような気分になって、

思わず萌えとなってしまうのである。

 

残念ながらローラ・ニーロは、もういない。

47歳の若さで帰らぬ人になってしまった。

多作な人ではなかったけれども、

残していたアルバムは女性(母親)としての優しさと

歌うことへの情熱に満ちている。

(店主YUZO)

11月 26, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年11月24日 (木)

本秀康「レコスケくん」

 Leco 

何かをコレクションしている人ならば身に沁みていると思うが、

長年かけて蒐集した物も、他人からすれば、

何の価値もないガラクタ同然の代物にすぎないことを。

特に生活を共にしている家族は、それが顕著に出ていて、

いつか全てを処分してすっきりしたいと企んでいる。

 

もっとも家族の立場からすれば、

年を追うごとにネズミ算式に増え続けるコレクションは、

生活スペースを圧迫する侵略者にしか見えないのだろう。

私の場合は本とCDなのであるが、

今や置き場所に困り、布団の隙間に押し込んであったり、

勝手に服を捨てて衣装ケースに納まっていたりするので、

その怒りにも似た気持ちがわからないでもない。

 

マトリョーシカ・コレクターの方も同様の悩みがあるようで、

常連さんからこんな話を聞いた。

家族に増えたのを気づかれないように毎日置き場所を変え、

新しいのを買う前は、5個型の中身をひとつひとつ並べて、

実際の数を把握させないようにして目眩ましをする。

また家族から「また新しいの買った?」と訊かれると、

「前からあったじゃない」と冷静を装って答えるらしい。

 

この涙ぐましい努力と深層心理をついた深い知恵。

 

私は思わず「同志!」と叫んで、

しっかりと手を握ったことは言うまでもない。

 

この漫画は、そんなコレクター心理を描いた、

いわばコレクター応援歌のような物語。

主人公のレコスケくんは中古レコード屋巡りを日課としている

ジョージ・ハリスン好きの愛すべきキャラ。

しかも彼女までいて一緒にエサ箱を漁ったり、

収穫した代物を聴いたりしているのが何とも羨ましい。

(註・エサ箱とはレコードが並んだ箱のことです)

 

家族の理解や置き場所の問題で、

コレクター道を挫けそうになったときに読むと、

心底から癒されて、気分一新して

まだまだ続けるぞという気持ちになること請け合いです。

(店主YUZO)

11月 24, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月22日 (火)

テルミン博士とブライアン・ウィルソン

Photo  

手で触れることなく演奏できる不思議楽器。

「テルミンは取り扱っていないのですか?」もしくは、

「マトリョミンありますか?」と訊かれることがある。

残念ながら楽器まで取り扱いを広げるのは不可能なので、

丁重にお断り申し上げている。

 

テルミンはロシア生まれの電子楽器で、ウィッキペデアによると

1919年にテルミン博士によって完成したとある。

1919年といえばロシア革命が起こってまだ日が浅い年、

国の体制が大変革を遂げているとぎに、

こつこつと電子楽器の研究をしていたのだから、

このテルミン博士は胆のすわった大人物か、

計り知れない変人ではないかと窺える。

 

実際、レーニンがテルミンの発明を喜んで600台を購入。

鑑賞会の後は、はヨーロッパに演奏旅行、

アメリカで販売契約まで結んだというのだから恐れ入る。

 

ただ音程が定まりにくいテルミンは曲の中で使われることは少ない。

恐怖シーンや不気味な場面の効果音として使われことが多い。

有名どころではビーチ・ボーイズの「グッド・バイブレーション」ぐらいか。

 

1966年、当時は破格の5万ドルの制作費をつかって作られた

ビーチ・ボーイズの、いやポピュラー音楽の永遠の名曲である。

作者である孤高の天才ブライアン・ウイルソンは、

この曲を完成させるために20以上のテイクを撮り、

さらに完成に至ったテイクも11バージョンが存在するという。

まさにブライアンならではのこだわりの大仕事。

おかげで見事全米チャート1位に輝いている。

テルミンはサビの部分で独特の浮遊する音が、

効果的に使われている。

 

ポピュラー音楽が日々変革を遂げていた60年代。

ブライアンがテルミンの不思議な音色に魅せられたのも頷ける。

 

さて多少強引に結論づけると、

あの何処に着地するのかわからないフワフワした音が、

大きな変革のある時代に合う音色なのかもしれない。

ロシア革命とカウンター・カルチャーの時代。

ふむ。やはりこの結論はかなり強引だな。

似ていてようで、似て非ざるか。

 

ちなみに「グッド・バイブレーション」は

ビーチ・ボーイズのベスト盤や未完の名盤

「スマイル」などに収録されています。

(店主YUZO)

 

11月 22, 2011 CDレビュー | | コメント (0)

2011年11月20日 (日)

朽見行雄「イタリア職人の国物語」

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今日はロシアでなくイタリアの話。

イタリアといえば伝統と美を重んじる国という

イメージが私にはある。

新しい方法を安易には取り入れず伝統に基づいて熟考し、

地に足がついていて、浮つくことがない頑なイメージ。

一度も訪れたことがないのに、そのようなイメージを抱くのは、

以前に展示会でイタリアの工芸品の素晴らしさを

眼にした経験からきているのだろう。

 

この本ではイタリアの代表的な工芸品をつくる工房を

24件、紹介している。

ベネチアン・ガラスやバイオリン制作、カメオつくりといった

世界に名だたる工芸品から、カポデモンテ焼きや

牧人笛といったこの本で初めて耳にしたものまで、

イタリアには様々な工芸品があることに、

まず驚かされる。

 

また著者は車を手配して工房を訪問するという

安易な方法をとらず、

時刻表を睨んで鉄道とバスを乗り継いで訪ね行く。

おかげで伝統工芸が息づく街の風景や気質、

空の色までもが思い浮かべることができる。

風土や気候は工芸品が成り立つには

欠くことができない要素であり、

また住人の気質によって生み出されるからだ。

 

先祖代々、長いと数百年単位で受け継いできた

職人たちの言葉は深い洞察と人生哲学に彩られていて、

現代社会が何を失いつつあるかと考えさせてくれる。

その偉大なる職人(マエストロ)の言葉を紹介。

 

「ゴンドラは左右対称ではないので、右側と左側の丸さ、カーブの具合を目で覚えることが必要です。目だけが判断できるのです。目がなければ、どんなに素晴らしい技術があっても、何もできません」

 

「祖父も父も、八十歳以上まで生きていましたが、仕事をやめると死にました。一日八時間以上働く習慣があったから長生きしたのだと思います。父は仕事ができなくなると家にばかりいて、太ってきて死にました。私も古い機械に似ています。止めると錆が出てきます」

 

「日本人はイタリア人ほど自分たちの街を散歩しないと聞きましたが残念ですね。みなさん自分たちの住んでいる街のすばらしい通りを、ゆっくり眺めながら散歩するようになったら、きっと日本人もステッキがとてもいい散歩の友になることがわかると思いますよ」

 

「いつも他人の仕事を見ながら、目を使って仕事を覚えてきた。なぜなら他の人は教えてくれないから。何にでも注意深く、我慢強くなければならなかった」

 

「一つ一つ手で作ったものと機械製は全然ちがう。全部手で作ったものはこの世界でたった一つしかないものであり、機械で作ったものはいくらでもある。そのちがいは、絵と写真のちがいと同じことだ」

 

残念ながら本に載っている写真は、

すべてモノクロなので、手が生み出す工芸品の素晴らしさを、

十分に目で楽しむことはできない。

ただし言葉の感動はある。

(店主YUZO)

11月 20, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月18日 (金)

南佳子「生誕100年」展

Photo 先日、佐倉市美術館に行って来た。

芸術の秋から冬支度への衣替え、

展示しているマトリョーシカを入替えるためである。

 

一息ついたところで、ミュージアムショップの店長が、

「今日は佐倉市民文化の日だから、美術館は入場料無料ですよ。仕事の気分転換で行かれては?」と言ってくれた。

展示の掲示板を見ると、

南佳子「生誕100年」の銅版画のポスターが貼られている。

 

私の勉強不足で名前も作品も知らなかったが、

繊細な色彩で描かれた大きな木にとまる小鳥の絵があった。

木は写実的に幹や枝、葉を描くわけでなく、

大胆に縦と横の線のみで描かれているのに、

やわらかく暖かい。

小鳥も子供が描くように素朴でありながら、

今を生きている感じがする。

Photo_2 南佳子は生涯の半分近くをフランスやアメリカで過ごしたそうである。

そして93年の長い人生を小鳥や木々、女の子を描くのに費やした。

 

初期の作品をのぞいて、その姿勢は一貫している。

年を重ねるごとに、小鳥も木々も女の子も、

作者の心象風景を反映して、深く深くなかへと分け入っていく。

 

 

展示の中に私の大好きな詩集

谷川俊太郎「空に小鳥がいなくなった日」

初版の装丁画があった。

私の持っているのは改訂版なので、この絵ではない。

この詩集に、こんな一節がある。

 

 

空に小鳥がいなくなった日

空は静かに涙ながした

空に小鳥がいなくなった日

人は知らずに歌いつづけた

 

 

この装丁画は、詩のイメージに優しく寄り添っている、

寂しげながらも強い意志を秘めた小鳥の絵でだった。

詩集にとって絵は、紡ぎ出された世界を案内してくれる

言葉を発することないガイド役である。

Photo_3南佳子の作品には、見る人に媚びないといおうか、

澱みのない幸福と救いようのない孤独が、

絡み合うように心の荒野の中をたうたうと流れている。

そう思わずにはいられなかった。

 

 

作品展は11月27日迄である。

芸術の秋も、そろそろ晩秋を迎えた。

「木の香」に寄ったあと、もう一足先へと運んで、

佐倉市美術館に銅版画に色づいた秋を見に行かれては?

(店主YUZO)

11月 18, 2011 展示会情報 | | コメント (0)

2011年11月16日 (水)

きのこの精霊はどこに消えたのでしょうか?

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あなたは、きのこの精霊を見たことがありますか?

私は何度か見たことがあります。

 

一度は古家の押入れの片隅でじっと寄り添って、

こちらを心配そうに見ていました。

次に見たのは祖母が死ぬ前日でした。

やはり5人の精霊が寄り添っていて、

祖母の顔を心配そうに覗き込んでいました。

 

といった出来事が重なり、不安にかられた私は、

きのこの精霊たちは何らかメッセージを伝えたいのだ

と感じ、面影が脳裏から消え去らないうちに、

マトリョーシカにして残さなければいけないと、

憑かれたような夢にうなされたような気分になって

このマトリョーシカを無心で作ったのです。

 4

 

完成した途端に私の目の前に、

きのこの精霊が現れることがなくなりました。

私の身体を押さえつけていた底知れぬ力も、

ふっと霧が晴れたように消え去りました。

 

ただ、まったく覚えのない虫や小動物たちが、

きのこの傘にしっかりと描かれているのです。

そして、きのこの精霊たちの顔も

亡くなった祖母や叔父の顔に知らぬ間に、

だんだんと似てきたのです。

 

この不思議な現象をもったマトリョーシカは

下記のギャラリーに展示されています。

ぜひ超常現象を体験すべく、展示会に遊びに来てください。

このマトリョーシカの裏側にも、

ある秘密が隠されているとだけ伝えておきます。 

 

●第5回ウッドバーニング協会関東支部作品展

 11月15日(火)~20日(日)

 12:30~19:00(最終日は15:00迄)

 会場・アートスペースi

 品川区西五反田2-26-4  I.Aビル2F

  電話03(3491)4786

 http://www.artspace-i.com/

 ★私は20日の12:00に在廊しています。

 

この物語はフィクションであり不思議な現象は、

私の夢の中で起こった出来事です。

このきのこの精霊を見たあなたに、

そのような現象が起こる保障はありませんが。

 

ときどき夢は現実を超えることがあります。

そして夢うつつの波間を漂ううちに本当に起こっていることか、

何かわからなくなることも、あなたもあるでしょう?(笑)

(店主YUZO)

 

11月 16, 2011 展示会情報 | | コメント (0)

2011年11月14日 (月)

リュドミラ・ウリツカヤ「ソーネチカ」

Photo_15  

現在、ロシア文学界で、

もっとも注目されている作家の中編小説。

訳は「テレビでロシア語」でお馴染みの沼野恭子さん。

 

と書くと、自分がかなりロシア文学に精通しているように

思われそうだが、ロシア文学に関しては

ドストエフスキーやトルストイといった文豪の作品を

数冊読んだにすぎない。

 

というわけでロシア文学界で注目云々というのも、

あとかぎからの受け売りである。あしからず。

しかしこの小説は海外で大きな反響があったようで、

フランスのメディシス賞、

イタリアのジュゼッペ・アツェルビ賞を受賞している。

 

粗筋は以下の通りである。

本好きで容姿も華やかでないソーネチカが、

逆らいがたい運命の悪戯で画家のヴィクトロヴィチと結婚する。

戦争が始まった年に、二人の暮らしははじまり、

スターリンの大静粛には流刑地で苦しい生活を強いられ、

ソビエトの歴史に寄り添うように運命はすすんでいく。

しかし、どんな辛い生活が待っていようともソーネチカは、

つねに素晴らしいことがあるはずと前向きに受け入れ、

決して弱音や苦言を吐かない。

人生の黄昏期を迎えたときに夫に愛人がいると知ったときも

(しかも娘の友人!)

夫の創作活動が新たな方向に向かうのなら、

こんな幸せなことはないと心の底から喜ぶのである。

 

著者はソーネチカに対して特別な思いを入れて書くのでなく、

むしろ身に降りかかる出来事を淡々と描くのである。

 

本の帯には「紙の恩寵に包まれた女性の静謐な一生の物語」

とあるが、その言葉にはどうしても違和感を禁じえない。

もしこの物語が白痴か精神薄弱者が主人公で、

その純粋無垢な魂によって、夫の罪も生活苦も救っているのだと

暗喩しているのらば納得もできよう。

しかしソーネチカは読書好きで分別もある。

神の恩寵とは別の次元にいる気がしてならないのである。

 

ただソーネチカは人生に起こる様々な出来事を現実としてでなく、

一篇の短編小説のように美しいと感じたり、

長編小説のように波乱とロマンに満ちていると感じている節がある。

 

この本が書かれたのは1997年。

ロシアに市場経済が雪崩れ込み、

人々の生活が日毎脅かされていた頃。

著者は時代からどんな息吹を感じとって、

この不可思議な希望の物語を書いたのだろう。

 

いろいろと考えずにはいられない物語である。

(店主YUZO)

11月 14, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月12日 (土)

米原万里「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」

Photo_2  

年を重ねると中学や学校の学友が、

何をしているのだろうと想うのか、

同窓会や学級会がたびたび開かれる。

そんな大規模なものでなくても、クラブやサークル単位の集いは、

気心が知れた仲間なだっただけに、

懐かしさをともなって話題が尽きることがない。

 

私の場合も多聞にもれず、

同じ釜の飯を食べた間柄だっただけに、

クラブの仲間とは最近は頻繁に会うようになった。

当時の失敗談や象徴的な出来事が話題に上がるのは

当然としても、血糖値やコレステロール値、人間ドックの話が

つい口をつくのも年齢からくる特長的な話題か。

 

そのなかで若くして病気や事故で亡くなった友の名前が出ると、

一瞬、飲み会の座はしんと静まり返る。

ふつうだったらこの場にいるべき友がいない寂しさと、

まだやりたいことがあっただろうと友の無念さと。

 

この本は小学校のときに通っていた

プラハあったソビエト学校の友達に

40年近くのときを経て再会する話である。

当時のソビエト学校は、東欧の国々から来た共産党幹部の子女から

非合法活動家として亡命したきた一家の子息など、

様々な生い立ちの子供たちが席を並べていた。

その学校生活の様子は子供ならではの見栄や自慢があったり、

まだ見たことのない祖国への憧れだったりと、

私たちの学校生活と変わらない微笑ましいものだ。

 

そして時は流れソビエト崩壊後、それぞれの友だちに

数奇な運命を背負い込むことになる。

著者の構成の上手さもあって、何十年ぶりの友人との再会は、

映画の1シーンを見ているようである。

 

その中でユーゴスラビアの友人は、

民族紛争が勃発し、国に自由が訪れるどころか、

いつNATO軍の爆撃によって命を落としかねない

過酷な状況に置かれている。

 

「この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具をひとつも買っていないの。食器も。コップひとつさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに悲しみが増えるだけだ、という思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家が皆殺しなってしまうかもしれないって」

その友人が悲痛な表情を浮かべ、今の心情を打ち明ける。

爆撃は数十キロ先の街で起こっていて、

今すぐにも爆弾の雨が降り注いでも不思議ではない状況。

 

このような状況に、

私ならばどんな言葉で友を勇気づけるのだろうかと考える。

戦争に巻き込まれなくても、

似たような状況が親しい人に起こらないとはかぎらない。

 

この本を読むと昔の友は何しているだろうかと、

無性に手紙を書きたくなる。

そんな気持ちにさせてくれる本です。

(店主YUZO)

 

11月 12, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月11日 (金)

有隣堂テラスモール湘南店にマトリョーシカ!

Photo 

本日、JR東海道線の辻堂駅前に、

テラスモール湘南がオープンしました。

281店舗の専門店やレストランなどがある

ショッピングモールです。

 

有隣堂テラスモール湘南店もテナントとして入っています。

実は八王子店でお世話になっていた担当者が、

こちらの店に転勤になり、

ぜひオープンに合わせてマトリョーシカを並べたいと

声をかけていただきました。

 

たくさんの人にロシアを知ってもらいたい

という「木の香」の思いもあるので喜んで引き受けしました。

 

今回、並んでいるのは作家物はありませんが、

伝統的なデザインのマトリョーシカを中心に、

大小さまざまな作品を並べています。 

またバッチやブローチといった雑貨もあります。

 

マトリョーシカ、ロシア雑貨好きな方は、

辻堂でマトリョーシカやロシア雑貨の本を見て、

鎌倉(由比ガ浜)のコケーシカに立ち寄る

という日帰り旅行が楽しめますよ!!

 

ぜひ神奈川近郊にお住まいの方は、

遊びに行かれてはどうでしょうか。

(店主YUZO)

 

 

11月 11, 2011 展示会情報 | | コメント (0)

2011年11月10日 (木)

C.ハリソン&k.リーデン著「モスクワの女たち」

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今回も本の紹介。

ソビエト時代、モスクワの女性に子育て、家事、仕事、結婚、

男女平等などについてインタビューした本。

20代~70代までの10人が、それらの問題について語っている。

 

本が刊行されたのは1980年。

ソビエト当局の監視の目をくぐって、

これだけの取材を行ったことは驚嘆に値する仕事内容である。

実際にこの本で登場する女性は、外国人に話す開放感からか、

実に溌剌と自身の生活について、価値観について答えている。

 

彼女たちが語る事柄に、共産主義体制の非効率性や

矛盾を見つけ出して、こんな国だから消滅すべくして消滅したのだ

と、論ずるのは容易い。

たとえば買い物をするにも長蛇の列に並ばなければならないとか、

証明書をひとつ取るのに役所を盥回しにされ何日もかかることに。

ただその視点では、この本が暗示している

根源的な問題点には行き着くことはできないだろう。

 

ソビエトの女性は共働きがほとんどで、

夫婦で稼ぐお金だけでは生活できず

親からの仕送りで何とか遣り繰りしている。

また幼い子供を預ける保育所も充実しておらず、

衛生面など決して良い環境とはいえない施設に

仕方なく面倒をみてもらっている。

もちろん住宅事情も悪く、狭いアパートに

何家族が暮らしていることも別に不思議なことではない。

そして男女平等といっても管理職は男性が中心。

 

彼女たちはそのような厳しい環境のなか、

仕事と家庭を両立させながら、自身の夢である

大学の研究者になりたいとか、考古学を専攻したいといった夢を

必死になって追い続けている。

 

と、ここまで読んだらお気づきかと思うが、

今の日本の状況とほとんど変わりがないのである。

国の体制が違えども、そこで暮らす人々は日々の生活に追われ

子育ての悩み、生活費、住居といった問題で、

どう遣り繰りしていこうかと頭を抱えているのは同じなのだ。

そして社会的には男女平等と謳っていても、

家庭内では、女性が仕事だけでなく、

同時に家事と子育ての重荷を背負わされてしまうのも同じ。

 

ちなみに当時のソビエトは少子化が問題になっている。

彼女たちも、子供はたくさん欲しいが今の収入では無理と

半ば諦めているのも、今の日本と似ているではないか。

 

国家や社会が、すべての国民の幸福を保証する、

もしくは国民は等しく幸福になる権利があると明言したところで、、

崇高な理念と達成までの持続的な実行力が伴わないと、

実現が不可能なのではとさえ思えてしまう。

 

ただこの本で語り口が、まったく異なるのが70才の女性の証言。

夫も兄も兵隊に取られただけでなく、

村は戦争の最前線となって破壊され財産をすべて失い、

靴ひとつ買ってあげられないような極貧生活のなか、

三人の子供を学校に行くまで育てたことを口重く語っていて、

一言一句がずっしりと胸に響き、先を読むのが辛かった。

 

戦争は最愛の人を失わせるだけに留まらず、

衣食住といった基本的な生活さえも破壊し尽くしてしまう。

そこには幸福になる権利という言葉さえ虚しく響く。

(店主YUZO)

 

11月 10, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月 8日 (火)

小林和男「1プードの塩」

1  

今日は本の紹介。

長年NHKでモスクワ支局長を務めた著者が、

ロシアで出会った人々の回想録である。

出会った人々といっても、ゴルバチョフ、ブブカ、ニクーリン、プリセツカヤ

とロシアに精通していなくても、その名は一度は聞いたことがある

著名人が紹介されている。

 

NHKの支局長だから名だたる著名人と交流が持てたのだろうと、

斜めにものを見てしまいがちだが、

そんな簡単に物事が進むわけがない。

お互いの家に友人として招き合う親密な関係になるには、

自身が誠実であるのは当然のこと、

豊富な話題を有している理知的な人柄でないと、

これら著名人と末永く交友するのは難しい。

 

私なんぞでは、著名人を前にしたら3分と経たずに話題が尽き、

ひたすら酒をあおって理性をなくすか、

日本の童謡でも歌って場を有耶無耶にするかがオチである。

 

支局長を務めた時期が84年から95年ということもあって、

ソビエト崩壊からロシア誕生の混迷期が話題の中心となり、

その激動の歴史のなかで運命を翻弄された人、

機運を掴んで登りつめた人などが登場する。

なぜか運命を翻弄された人は政治家や実業家が多く、

芸術家は生活が苦に瀕しても信念を曲げることはない。

古今東西、その気質は共通している。

 

その典型的な例として、以下のエピソードを。

世界的な指揮者でありチェリストでもあるロストロポーヴィチが、

反体制的な作家として迫害され、

便所の同然の掘っ立て小屋に住まざるえなかった

ソルジェニーツィンをかくまったことについての言葉。

「君も知ってのとおり、ソビエト時代には友人を裏切って当局に売り渡し、それによって給料や地位を上げてもらったり、家を割り当ててもらうことができた。高い給料、新しい家は最初のうちは満足かもしれない。しかし、いつかそんな自分の行為を問い返さなければならない時がやってくる。自分が売り渡した友人が亡くなった時、なぜあんなことをしたのかと、自分を許せない瞬間が必ずやってくる。良心に責められるのだ。良心に照らし合わせて、自分の行為は正しかったのだと思えるような生き方をしている人にとって、良心は見方であり、力を与えてくれるものなのだ」

 

この言葉に出会えただけでも、この本は価値がある。

(店主YUZO)

11月 8, 2011 ブックレビュー | | コメント (0)

2011年11月 6日 (日)

ぬいぐるみチェブラーシカ考

今や日本でも大人気のチェブラーシカですが、

ぬいぐるみも生まれ故郷のロシアのものが

欲しいのが人情というもの。

 

日本で企画されているチェブラーシカは、

可愛くつくり過ぎていて、

イマイチ馴染めないという声も聞きます。

 

そこでロシアで企画されている

チェブラーシカのぬいぐるみを一挙紹介します。

主なメーカーは3社。

それぞれ表情が微妙にちがうのが

ツウにはたまらないところです。

 

ではでは、早速紹介いたします。

Photo_24  

■マルチプルチ社のチェブラーシカ

こちらはモスクワでよく見かけるぬいぐるみです。

手を押すとロシア語で話しかけてくれるのが、

何とも意地らしいチェブです。

このメーカーは茶色だけでなく、赤や黄色、水色などを

制作しています。

 

オリンピックのマスコットでもあるチェブは、

トリノは白、バンクーバーは水色と

大会によって色が変わっています。

カラーバリエーションで集めたいのならば、

お勧めのメーカーといえます。

次のオリンピックは、ロシアのソチ。

どんな色のチェブが出てくるのか楽しみです。

Photo_25 

■レイワードトーイ社のチェブラーシカ

こちらもモスクワでは、よく見かけるぬいぐるみです。

このメーカーは、コック、探検家、ピエロといった

衣装をもとっているのが特長です。

コスプレしたチェブに萌えたい方にお勧めです。

もちろん手を押したらロシア語で話しかけてくれます。

 

おもちゃ問屋にカタログを見せてもらったのですが、

スリッパや枕などの日用品に扮したチェブもあるので、

部屋のなかをチェブ色に染めたい方には、

注目のメーカーかもしれません。

Photo_26  

■ファンシーのチェブラーシカ

モスクワでは、あまり見かけないメーカーです。

こちらのチェ・ゲバラに扮したのは限定生産なのか、

まだ一度しか巡り合ったことがありません。

顔が布地なのが特長で、ロシア語も話もしませんが、

個人的には素朴な感じが

映画に近い雰囲気がして好きです。

 

そんなレアなメーカーですが、

なぜかシェレメチボ空港の売店に並んでいました。

ロシアに遊びに行った際は、

チェブちゃんを買うお金だけは残したほうがいいですよ(笑)

 

以上が、チェブラーシカぬいぐるみ情報です。

今度の仕入れでは、スリッパを仕入れようと、

目論んでいるYUZOからの報告でした。

(店主YUZO)

 

11月 6, 2011 海外仕入れ | | コメント (0)

2011年11月 4日 (金)

恋するハチミツ市

Photo  

モスクワの友人がハチミツ市に行きたいというので、

チェリパシカ氏と一緒にお供をした。

酒呑みの私にとって甘い物への興味は

AKB48のメンバーの顔と名前を覚えるぐらい興味が薄いのたが、

友人はマトリョーシカとロシアをこよなく愛する、

うら若き乙女。

乙女の願いとあれば叶えなければいけない。

Photo_2

以前、誰かのブログで読んだのだが、

ロシアのハチミツ市は秋から冬にかけて各地で開催されて、

その味を知ってしまうと、

日本で食べているハチミツが水飴やら添加物やら混ざった

加工されすぎた甘味料に過ぎないと書いてあった。

実はそれが脳裏にあって、乙女の願いを叶えると共に、

この擦れ枯らしの舌で本物のハチミツを確かめようという

気持ちもあったのだが。

 

私たちの行ったのは、

宿泊しているホテル近くで開催していたハチミツ市。

10店舗程度がテントを張って売っている

小さな市場だったが、それでもたくさんの人で賑わっている。

 

それぞれの養蜂家が自慢のハチミツを並べていて、

その中で気になるハチミツをマドラーでひと掬いして試食し、

好みの味であれば買うという方式。

ロシアの市場らしく売り子が大声で客引きをするわけでなく、

自分の店の前でお客が足を止めると、

重たい口を開いて自分のハチミツ説明をする。

私たちは一店舗ずつハチミツの色や花の名前を吟味しながら、

ついでに試食しながら何度も市場を往復して楽しんだ。

Photo_3 

私が驚いたのは、ハチミツは花によってまったく味が違うこと。

まったりとバターのような濃厚なものもあれば、

ミントのようにすっと鼻がとおるクールなものもある。

複雑にして雑味なし。

甘さの表現は、こんなにもバラエティに富んでいるのかと

酒でくたびれてしまった舌が納得している。

自然が紡ぎ出した味は人智を駆使しても

到達できないと断言してしまう深みである。

 

何を買うか迷っていると、乙女である友人は

「これからの風邪予防にはプロポリスのハチミツがいいわよ」

というアドバイスしてくれたので、

私とチェリパシカ氏は自分へのご褒美として

ひとつづつ買った。

乙女は美と健康について詳しくてなくては、

真の乙女になれないのだと納得した次第である。

 

私たちの買ったプロポリスのハチミツは、

純度が高いせいか、練った水飴のように大きく糸をひき、

養蜂家のおじさんは手際よく糸切りをしてカップに納めていく。

その手馴れた手つきを見ているだけで、

このハチミツの味の濃厚さを想像させる。

 

甘い物に興味がない私でも、

ロシアのハチミツには心を許してもいいと感じた日だった。

この日はロシアのハチミツに恋をした記念日でもある。

(店主YUZO)

11月 4, 2011 海外仕入れ | | コメント (0)

2011年11月 2日 (水)

欧米系外食産業の波

Ay  

今までロシアのファーストフード店を紹介したけれども、

モスクワにも大手外食産業の波が、例外なく押し寄せている。

市場経済の名のもとに、モスクワのあちらこちらに

徹底したコスト管理とマニュアル化したサービスを旗印に、

店舗を驚異的に増やしている。

 

かつてマルクスが「共産党宣言」の冒頭で、

ヨーロッパを共産主義という名の怪物が徘徊している

と書いたけれども、現在は

モスクワをマクドナルドという名の怪物が徘徊していると

書くのが正しい感じである。

 

上記の写真は、昨年まで不味い日本レストランがあった場所。

なんちゃって日本料理の店だっただけに、

不味かったけれども憎めない店であった。

 

たとえば焼きそばを頼むと、

蕎麦に醤油をかけて鉄板で焼いたもの出てきたり、

雑炊を頼むと、

まったくお米は入っていない不思議なスープが出てくる。

 

まあ、そんな店だから経営も困難だったのだろう。

今年からサブウェイに取って代わってしまった。

 

しかし私がモスクワに行くようになったわずか五年の間に、

どんどん街の景色が変わっていくのを見るは、

何とも物悲しい。

市場経済の荒波をかぶって詩情豊かだった街並みが、

みるみるうちに本来の顔を失って、

どこの街も似たような顔つきになってしまっている状況と、

同じ末路を辿るのかと思うと、やり場のない憤りさえ感じる。

 

日本の地方都市が○○銀座と名乗っていた頃は、

また愛嬌があった。

今は大手外食産業や大手スーパーが

経済的に利益を見込めないと判断した街は、

人々の流出も拍車をかけて、

シャッター商店街に変わってしまった。

また利益が見込めると判断された街は、

どこも同じような街の顔にされてしまっている。

 

そんな日本の街並みをいろいろと見てきた者として、

モスクワの街も大手チェーン店に蹂躙された挙句、

精気を失った街にならないかと、

変わりゆくのが心配で

夜な夜な枕を涙で濡らしている次第である(嘘)

 

さてここからが問題。

下記が大手ファーストフードチェーン店の看板ですが、

すべてキリル文字で書かれています。

それぞれの店名を当ててください。

答えは巻末にあります。

簡単なヒントもついていますよ。

Photo_10

①言わずと知れた超大型ハンバーガーチェーンです。

(難易度1)

Photo_7  

②このチェーン店は日本でもお洒落なカフェとして人気です。

(難易度2)

Photo_8Photo_9 

③看板の色は日本と同じです。

エルビス・プレスリーが好きだった食べ物を売っています。

(難易度3)

 

④日本では一度撤退しましたが、最近復活したようです。

(難易度4)

 

   

   

   

 

  

答え

①マクドナルド

②スターバックス・コーヒー

③ダンキン・ドーナツ

④ウェンディーズ

以上、いくつ正解したかな?

(店主YUZO)

11月 2, 2011 海外仕入れ | | コメント (0)