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2011年10月14日 (金)

プレゼントを喜ぶ表現について考えた

Photo_2

今回のモスクワ訪問には、

仕入れという目的のほかに世話になっている

マトリョーシカ作家さんに「マトリョーシカ」本を

プレゼントすることももうひとつの目的としてあった。

 

遠く日本の地で、自分が丹精込めてつくったマトリョーシカが、

写真となって多くの人々の眼に触れてもらえるというのは、

作品をつくることを仕事にしている人々にとって、

このうえない喜びであるにちがいないからだ。

初日にコブロフさん、オリガさん、仲買人のイワン君、ザンナさん。

土日にタマラさん、オルガさん、ニコライバさん、セメノバさんと

差し上げたのだが、こちらが恐縮してしまうぐらいの大きなリアクションで、

心の喜びの気持ちを伝えてくれた。

 

コブロフさんは絶叫して周囲の仲間に自慢するし、

オリガさんは、何度も「ウラー!ウラー!」と声を上げて、

少女のような瞳で自分の頁を見つめている。

かなりな御年のタマラさんさえも、腰に手をやって小躍りすると、

旦那さんや娘さんに

「私は日本では有名人なのよ」と自慢げな態度をみせている。

仲買人のイワン君だって負けていない。

「気が変わったから返してなんて言うなよ」と冗談を飛ばして、

しっかりと胸に抱えている。

 

こうも屈託のない笑顔で、

喜びの気持ちをストレートに表現されると、

日本から持ってきた甲斐があったとしみじみと感じるのだ。

 

そこでふと思った。

日本人は、とくに私をふくめた日本のオジサンたちは、

絶対にこのような喜びの表現をできないだろうなと。

自分の心の内を曝け出すことに慣れていないだけでなく、

言葉や表情の表現力に乏しいのだ。

 

だから半分笑みをうかべて、

「ありがとう」とそっけなく言ってしまうのが関の山。

だからプレゼントをした方も、

何かまずい物をあげてしまったかなと余計な心配をしてしまうのである。

それが負のスパイラル、もしく誤解の芽となって、

プレゼントしても喜んでもらえないと拡大解釈がすすみ、

最後にはあの人には何もあげない方がお互いの幸せのためだと、

結論付けされてしまうのである。

 

日本のオジサンは、もっと表情や仕草に富んだ表現力を

身につけなければいけないと思う。

仕事場で国際化だのグローバル化だの偉そうに言っているだけでは、

真の国際人にはなれない。

それどころか家族からも、いつも険しい顔のお父さんと、

煙たがられた存在から脱することができない。

 

ともに変わろうではないか。日本のオジサンたちよ。

眉間の皺を縦から横に変えなければならない。

写真のコブロフさんのような笑顔をすぐに身につけようではないか!

 

今回は、「小沢昭一的こころ」のような話になってしまったナ。

 

註/「ウラー!」はロシア語でやった!の意味。

(店主YUZO)

10月 14, 2011 海外仕入れ |

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