スーパーマーケットで私も考えた
先回に引き続きスーパーマーケットの話。
ロシアでは、肉や魚といった生鮮食料品は量り売りが主で、
ショーケースに、これでもかと言わんばかりに並んでいる。
そのショーケースも5m近いガラスばりのもので、
「これをください」と指でさすと、
ケースの向こう側に立っているおばさんが、秤に乗せてくれる。
日本のようにカレーライス用、しゃぶしゃぶ用などと、
用途に応じてパックに小分けされておらず、
腿、肩、尻、顔、といった部位が、でんでんと置かれている。
これぞ肉の塊といった感じである。
日本の親切すぎる小分けは、
これが肉だという事実 を忘れさせるためにあるようだ。
血が滴るのが肉。
これを目の当たりにしたら、
草食系男子、肉食系女子なんて比喩をうっかり口に出せまい。
この肉を喰らい付き、平らげなければ、我が生命の灯は、
いずれ消えてしまうのではないかという気分にさせられる。
あの肉には、先まで生きていたような、グロテスクな生々しさがある。
残 念ながらホテルには調理器具がないので、
指を咥えて見ているだけだが、一度は岩塩と胡椒をたっぷりかけて、
挑んでみたいと思う。
「あれを思い切り、喰らいついてみたいね」と私が言うとカメさんは、
「昔、1キロのステーキを食べたけど、あれは格闘 技だね。
ロシアの肉は味が単純すぎて、すぐに飽きる」
とうんざりした顔で言う。
「そうなんだあ」
日本の牛や豚も気の毒である。
日本人の繊細な舌に合わせて品質改良され、
生命体であったこともパックに入れられて消され、
グラム単位にまで切り分けられて。
もはやスナック菓子のような浮ついた存在に成り下がっている。
やはり、うんざりした気分になっても良いから、
あの肉の塊と格闘 してみたい。
一瞬にして負けるかもしれないが、ロシアの大地で育った奴等は、
人間は他の生き物を食べて生き続けるから、生きながらえるという真理を、
再認識させてくれるに違いない。
(つづく)
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