« 2009年4月 | トップページ | 2009年6月 »

2009年5月29日 (金)

念願のマトリョーシカ工場見学②

「最初は木を削るところを見てもらいます」といきなりクライマックス!

たかなしさんも私も、凹んだ気持ちに、興奮のスイッチが入る。

作業場には70歳を過ぎた体格の良いお爺さんが、

ニコニコしながら私たちを迎え入れる。

「よ~く、見とくけよ(=たぶん、そう言っている)」

と言うと、まだ樹皮のある板を機械に備え付ける。

そして横にあるボタンを押すと、もの凄い音を立てて切断機が降り、

あっという間に角材の出来上がり。

機械がやったことなのに、お爺さん少し自慢げ。

「次はこの角材から入れ子をつくるよ(=たぶん、そう言っている)」

と言い旋盤の前に立つお爺さん。

私が見たかったのは、この作業だよと、

思わず生唾をごくり。

181

センターに角材を取り付けるのは、日本の旋盤と同じ。

センターが決まると旋盤が回転し、刃物を当てて角材を丸棒に変えていくのも同じ。

丸棒が出来上がると、いよいよ入れ子つくり。

182_3 

まずマトリョーシカの下部になる部分を削り出した。

ここで図面はなく目測だけでつくる。下部が作りあがると、

上部の瓢箪型をつくる作業にうつる。

さすがに手際よく、あっという間に瓢箪型に。

そしてここから重要な作業。上部と下部の合わせた上に、

中をくりぬかなければならないのだ。

下部の凸部分が上部の凹部分に、きっちりと合わさらないと、

入れ子にならないのだから、ここは細心の注意を払うところである。

げっ?、げっ?、げっ!、げっ!

何と物差しで測ることもなく、目測だけでがりがりと削り始めた。

それも余裕の表情で、削り上げ、手品師のように私たちの目の前で、

上部と下部を合わせてみせる。

しかも所要時間は20秒程度。

183

「ハラショー!ハラショー!」

眼が輝かせて、やんやと拍手喝采する私たち。

お爺さんも、どうだと言わんばかりの得意満面で、

もう一度やってやろうと、旋盤を回す。

御茶の子さいさいの出来上がり。ハラショー!ハラショー!

得意満面。もう一度旋盤を回す。出来上がり。ハラショー!

と結局、4回も、この芸術的な職人技を披露してくれた。

「俺は、この仕事を50年もやっているんだ。

こんなもの朝飯前だぜ!(=たぶん、そう言っている)」

このときのお爺さんの顔、職人ならではの少しクールさを漂わせつつ、

自信に満ちているのが格好良かった。

ただお爺さんに続く職人も、もうキャリアが30年だそうである。

どこの国でも、職人技というのは消えゆく運命にあるのかと思うと、

虚しい気持ちにならずにはいられない。

ニコライさんが、「若手でも30年だそうです」と訳してくれたのが、唯一の救い・・・

(つづく)

5月 29, 2009 海外仕入れ | | コメント (0)

2009年5月28日 (木)

念願のマトリョーシカ工場見学①

いよいよ、念願のマトリョーシカ工場見学である。

絵付けをしているのは前回見たけれども、素材を削りだすのを見たことはない。

寸法がバラバラにつくられている事実が、

きっちりと測って物をつくる国で生まれた私には、信じ難いのである。

いくらナルマイナ(問題ない!)が口癖のロシア人でも、

図面もあれば、専用の冶具もあるでしょう。

171

工場はセルギエフ・パッサードの外れにあって、少し寂れた感じ。

ソビエト時代から操業していたのか敷地は広いが、

人影はなくも崩れたレンガも放置されたまま。

植え込みに手が入った様子もなく、廃工場の雰囲気さえ感じる。

「ちょっと淋しい工場ですね」と私が言うと、ニコライさんは困惑した顔で、

「いろいろ探したのですが、見学できるマトリョーシカ工場は少ないんです。

個人でつくっている人が多いみたいで」

工場内の待合室に通されると、

そこには目映いばかりのマトリョーシカの山々・・・・。

という期待に反し、無造作に積まれた書類とツギハギだらけの応接セット。

「この工場、ちゃんと操業しているのですかね」

15分ほど経ったのに担当者は現れず、さらに気持ちを不安にさせる。

172

あまりにも待たせるのでニコライさんも痺れを切らし、

最初に応対したおばさんに文句を言いに、部屋を出て行ってしまった。

さらに15分。カップ麺ならば10杯出来上がるところ、

先ほどのおばさんとニコライさんが戻ってきて、ようやく工場見学が始まった。

(つづく)

5月 28, 2009 海外仕入れ | | コメント (0)

2009年5月 5日 (火)

はるばる来たぜ!セルギエフ・パッサード

モスクワに着てから4日目。

今日は念願だったおもちゃ博物館とマトリョーシカ工場へ行くことに。

163

おもちゃ博物館には、マトリョーシカの原型となったといわれる

箱根の入り子人形が展示されており、

マトリョーシカ工場は、どのようにして木を削っているのか、

この眼でしっかりと確かめてみたかったからだ。

マトリョーシカを蒐集されている方なら知っていると思うが、

同じデザインであっても互換性はなく、大きさも微妙に違い、

マトリョーシカ同士の上下が合わさることはない。

一品一様。

工場製品のような互換性はないのだ。

この感覚、きっちり制作する日本人には、なかなか理解できない。

はたして寸法図があるのか?

特別な工具でサイズを測っているのか?

朝のこってりとしたバイキングにも慣れ、

エネルギーを充電した私たちは、

昨日に続きニコライさんの案内のもとセルギエフ・パッサードに向かう。

車に乗る際、ニコライさんが

「今日の運転手は少々気が荒いから、気をつけてください」

と耳打ちをする。

恐る恐る運転手を見ると、腕がビール樽のように太く、

短く刈上げた髪と冷たい光を放つ青い眼は、元KGBといった風貌である。

161

「ドブラェ・ウートラ(おはよう)」

と小心者の私は、その風貌に圧倒され、自然と小声になってしまう。

笑顔で力強い握手されて、さらに萎縮する私。

神様。今日、どうか無事に終えることができますように。

ニコライさんが言ったように、

なるほど実に男ぶりのよい、いや荒々しい運転で、

朝の渋滞のモスクワ市街を突っ走る。

上下の車線はお構いなし。横断する人にはクラクションを連呼して蹴散らしていく。

「こういう運転は、日本ではカミカゼタクシーと呼ぶんですよ」

とニコライさんに嘯くと、

「カミカゼ?それはあまり良い意味の言葉ではないですよね」

と顔と身体をこわばらして苦笑いする。

おかげで予想時刻の30分前にセルギエフ・パッサードに到着。

こちらはフルマラソンに参加したときのように心身ともに、ぐったりである。

しかもおもちゃ博物館は開館していない。

「善は急げ」は、いつも正しいわけではないと改めて痛感。

さてセルギエフ・パッサードはどんな街か簡単に説明すると、

トロイツェ・セルギエフ大修道院を中心として栄えた小さな町で、

モスクワから約70km離れた場所にある。

162

町の象徴であるこの大修道院は、たまねぎ型の黄金と青い屋根が並び、

白い壁面が美しい建築物で、世界遺産にも登録されている。

クレムリンで見られるようなあの独特のかたちをした、たまねぎ建築である。

この日もたくさんの観光バスが止まっていて、

たくさんの参拝者と観光客が訪れていた。

しかしそれ以外、名所旧跡はなく、閑散とした静か町。

この地でマトリョーシカが生まれたのだが、

どこかの国のように「マトリョーシカ誕生の地」と大きな看板を掲げる貪欲さもなく、

人々が日々の生活を淡々とこなしている風情を感じる。

もちろんその生活には、マトリョーシカ制作を生活の糧にしている人もいるのだが。

その謙虚さがこの町の魅力であり、

マトリョーシカの素朴な表情は、この町の風土によるものかもしれない。

ゆっくりと時間が進むような町である。

(つづく)

5月 5, 2009 海外仕入れ | | コメント (0)