2020年8月31日 (月)

マトリョーシカと日露美術工芸研究会

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先日、慶應大学のK教授が中心となって発足した「マトリョーシカと日露美術工芸研究会」の第一回討論会が開催された。

コロナ蔓延のご時勢と今のトレンドに合わせて、ZOOMによるオンライン討論会である。

参加されたのは日露工芸について研究されている大家が多く、私のようにロシア語はろくに話せず、勉学に励むことなくオヤジになってしまった人間とは、まったく正反対の経歴を持った立派な人ばかり。

そんな敷居の高い研究会に参加することさえ、ふつうの心臓をお持ちの人ならば憚られるのだが、私の心臓には毛が生えているし、関東ローム層にも似た厚顔でもある。

嬉々として参加したのである。

 

 

第一回目なので、K教授の「マトリョーシカ日本起源説をめぐって」をという基調講演がメインで、その後に討論会という流れ。

「マトリョーシカ日本起源説」というのは、19世紀末にロシアの宣教師が、箱根で売られていた七福神の入れ子人形を祖国に持ち帰り(ロシア語でフクルマと呼ばれている人形)、それを元にして最初のマトリョーシカが制作されたという説が、一般的に流布していて、デザイン画はマリューチン、木工轆轤をひいたのはスビョードズキン、というところまで知られている。

しかしそれが事実なのかを、K教授が長年にわたってフィールドワークで採取した写真や文献などを元に、絵巻物を見ているかのように語ってくれる。

K教授のフィールドワーク対するフットワークの軽さ、文献や資料を追い求める貪欲な姿勢に驚嘆するばかり。

 

 

 

謎解き的な面白さ、埋もれた歴史の浪漫も手伝って、マトリョーシカ誕生までのベールが一枚、一枚とはがされていく。

結論から言ってしまうと、マトリョーシカが日本の入れ子人形がルーツという説に確かな証拠はなく、藪の中のままである。

しかも調査すればするほど、藪の繁みは深くなる。

しかし多くの森を要している日露ならではの木工芸文化の奥深さも感じ、木工技術の高さに頷き、そこに共通する技術があることに眼を瞠る。 

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興味深かったのは、七福神の入れ子人形が売られていたといわれる箱根についての推考。

箱根の塔ノ沢に、ロシア正教会の研修をかねた避暑施設があり、そこに有力な手掛かりがあるのではと推理したK教授、もといK探偵。

その裏づけをとるために、中村健之介訳『宣教師ニコライの日記(全9巻)』(教文館)の箱根に関する記事を探したという。

これは40年に渡り、日本で布教活動をした宣教師ニコライが日々の雑事やロシア正教への思いをつづったもの。

だいたい日記なんて、私的なことを書くのが主だから、よほどの情熱がなければ、たとえ拾い読みにしたって9冊に眼を通すのは、苦痛以外に何物でもない。

残念ながら、この労作に有力な手掛かりがなかったのだが、参加者から七福神の入れ子人形は、東北でも制作されていたという報告。

 

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それに箱根では、卵が入れ子になった「十二卵」というのが、江戸の頃から人気の土産物として知られている。入れ子ではあるが、人形ではない。

北海道から布教活動を始めた宣教師ニコライは、布教のルーツは東北にある。実際に、今でも東北にはロシア正教会が残っており、熱心な信者が多くいる。

東北の教会に派遣された宣教師が、赴任期間を終えて、土産物として持ち帰ったのではと、何の根拠もないが、七福神の入れ子人形は東北の可能性もあると、頭をよぎった。

何しろ、現在一般的に知られているマトリョーシカは箱根の入れ子人形という説は、決定的な証拠のない俗説なのである。

その後の討論会では、貴重な明治時代につくられた七福神の入れ子人形の写真、木工轆轤の変貌、マトリョーシカの底から歴史を読み解くなど、識者が手持ちの資料を掲げて説明しては、それぞれが見解を述べていく。

 

 

私みたいな薄学者は、膝を叩いて感心するばかりで、ひと言も発することができない。

マトリョーシカのルーツを探ることは、木工技術、日露関係、時代背景など、様々な角度から推論して決定的な資料をみつけて、外堀から徐々に埋めて結論に至らなければならない、地道な作業なのである。

ぐに明白になる史実には、歴史的な浪漫はない。

 

 

マトリョーシカが箱根の入れ子人形がルーツであろうがなかろうが、実際のところはどうでも良いというのが、今回の参加した人の大方の意見。

マトリョーシカが生まれた頃の19世紀末のロシアと日本の工芸文化が、どう交わっていたのかを少しでも感じるだけでも、滔々と流れる歴史の豊かさを知ることになる。

それが研究の愉しみなのじゃないのだろうか。

 

 

(店主YUZOO)

 

 

 

8月 31, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年8月21日 (金)

長期休暇をいかにすごすべきか

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今年のお盆休みは、怒涛の9連休だった。

世間を騒がしているコロナ患者の増加と政府の「GOTOキャンペーン」の狭間で心は揺れて、結局は安易の浜辺に流れて着いた。

親からは帰省しなくてもいいと、お墨付きの言葉も後押しをして。

そうなると、9連休の期間、どこにも出かけず過ごすとことになる。

何かしら目標を立てないことには、暑さにかまけて昼間から缶ビールを開けることになりかねない。

9連休の間、吞み続けていたら、さすがに肝臓が悲鳴を上げるだろうし、そのまま社会復帰ができなくなるにちがいない。

怠惰の神様は、つねに私の背後にいて、無作為に過ごせと、誘惑の言葉を耳元で囁いているのだ。

 

そこで、この9連休をポスト定年後と考えて、人生の黄昏時をいかに有意義に過ごすことの前哨戦と位置づけしたのである。

サラリーマン川柳や嘲笑ネタとしてあるような、定年後のオヤジが目的もなく、一日中テレビを観ながら愚痴を言っているような醜態は晒したくないし、我が家の粗大ごみと言われたくもない。

現実問題として我が町でも、邪魔者扱いされて家に居辛いのか、公園のベンチに座って、鳩の群れをぼんやりと眺めている御老人を見かける。きっと満足な小遣いさえ与えられていないのだろう。

企業戦士と言われた男の末路を見ているようで心が痛む反面、明日は我が身かと怯えてしまうのである。

いろいろと考えた末、以下の三点を目標とした次第。

 

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一点目は、一日最低、10キロはランニングする。

緊急事態宣言が発令された後、エントリーしていたマラソン大会がすべて中止となり、その通知が届くたびに心が折れて、この3か月間はランニングシューズさえ履くことがなかった。

身体というのは精神とはちがって正直につくられていて、みるみるうちに体重は増え、体脂肪率はK点を超え、腹回りが膨張した。

定期健診では、要注意の赤線を何本も引かれた。

身体のバカ正直さに驚愕である。

コロナが蔓延としようがしまいが、ランニングを再開しなければ、月が満ちていくように丸くなっていくだろう。

 

二点目は、絵を一日一枚描く。

これは自粛ムードが高まるなか、何かしら心を和ませるものを皆様に届けたいと、INSTAGRAMにカエルの絵を毎日アップしたのがきっかけ。もう百日を超えた。

一日一絵と題してアップするのは、芸術には門外漢だった私にはハードルが高いが、始めると新鮮な喜びがあって自分自身が愉しんでいる。

上手下手を考えたり、表現に悩んだりしなければ、絵を描くことほど愉しいものはない。

すべての人に芸術をと推奨したいぐらいである。

 

三点目は、断捨離。

今回、一日家に居て愕然としたのだが、家じゅうにCDと本が積みあがっていて、居住空間を圧迫している。

地震があったら崩れ落ちてくるのは一目瞭然で、自身も何がどこに置いてあるのか把握していない状態。

同じタイトルのCDをあちらこちらに見かけるのも、痴呆化が進んでいるようで悩ましい。

 

さてこの三つの目標、別の言葉で表すと、塩辛いオヤジにならないための三原則「怠惰にならず、言い訳をせず、他人のせいにしない」は、果たして達成できたのか。

 

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一点目は、トータル40キロ程度で終了。

陽が暮れても暑いとか、これからゲリラ豪雨が来るそうだと、言い訳を見つけては、ランニングシューズを靴箱にしまっていたので、完全に三原則を侵していた。

あらゆる言い訳を駆使して、解釈を捻じ曲げてでもランニングをしなかった態度は、核兵器に対する政府の態度と同じで、畜生にも劣る。

ここは純粋に反省すべき点である。

 

二点目は、無事に9枚は描いたので、達成を喜びたいところだが、絵を描くことが興に乗ったことを、ランニングしない言い訳にも使われたので、喜びは半減。

芸術は純粋な心で臨みたいものである。

 

三点目は、誰もが思い当たる節があると思うが、手にとった本やCDが懐かしくなって、じっくりと再読したり、もう一度CDプレーヤーに載せたりと、一向に片付けが進まなくなり、結局は前と変わらないまま。

右にあったものが左に移動し、左にあったものが右に納まったという図式。

片付けの真の敵とは、ものにたいする懐かしい気持ちであると、この場を借りて改めて言いたい。

というわけで、CDと本の山脈はかたちを変えて存在し、大惨事が起きることを、手ぐすねを引いて待っている。

就寝中に大地震が起これば、私は古本というの名の瓦礫に埋もれて、生涯を閉じることになるだろう。

現実的な問題として、ランニングよりも、絵を描くことよりも、最初に取り組まなければならないことではあるが。

 

こうしてポスト定年後を想定した9連休は、不完全燃焼のまま幕を閉じたのである。

合掌。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

8月 21, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年7月10日 (金)

第54回紙の上をめぐる旅

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高野秀行『世にも奇妙なマラソン大会』(集英社文庫)

なかなかコロナが収束しない。

それどころか第二波と呼べるような感染者の急増で、再び非常事態宣言が出されるような勢いである。

もう2020年は、マラソンに挑戦するのは無理なようである。今年エントリーしたマラソン大会も軒並み中止になったし、秋口から開催される大会も早々に中止を告知。

今の私の心境は、目的地を失った船のようにふらふらと漂っていて、練習にも気合が入らず、梅雨に入ったのを幸いに、休日は家に籠って絵ばかり描いている。

 

あの情熱はどこに消えたのか。

自問自答する日々が続いている。

というより運動とは無縁の自堕落な日々が続いている。

そこで心機一転を図ろうと、この本を手にとってみた。

辺境作家と自称するだけに、内容によっては萎れた我が心に、潤いを与えてくれるにちがいない。

期待で胸がふくらむ。

 

著者が選んだ大会は、サハラマラソン。予め断っておくが、世界的に知られた地上でもっとも過酷なマラソン大会と名高い、6日をかけてサハラ砂漠230キロを縦走するレースではなく、フルマラソンとハーフマラソンの二種目がある小規模の大会である。

こちらの大会は、モロッコに土地を奪われた西サハラの難民の現状を、世界に知ってもらうために開催されている、政治色の強いものらしい。どちらにせよ、灼熱の砂漠を走りたいと思うランナーは、よほどの変わり者か、もしくは通常のマラソン大会では満足できない強者しかエントリーしないだろう。

著者はジョギングする習慣はなく、過去に15キロほど走ったのが最長距離だという。

夜中に酒を飲みながらネットサーフィンをしていたとき、勢いで参加にクリックしたために、出場が決まったという経緯が語られる。

 

夜になるにつれ、なぜか万能の神が憑依して、怖いものなしの気分になってしまうのは、妄想を頼りに生きてきた自分としては身につまされる。

昨年、山梨で開催された「巨峰の丘マラソン」に参加したときは、友人と盃を交わしているうちに、巨峰が実る小山や丘を縦走するレースの存在を知り、酒の勢いも手伝って、その場でスマホを手にとりエントリーした過去がある。

酒は私を強靭なアスリートに変え、何事にも屈しない精神の持ち主になり、プラス思考しか考えられない頭に変換してしまう。もちろんそれは酒が生んだ幻想に過ぎず、実際の大会では、両足が攣る、陽射しでめまいがする、ようやく下り坂かと思ったら、すぐに上り坂が控えているコースに腹を立てると、精神も肉体もずたずたに引き裂かれてゴールインという散々な結果だった。

マラソンに奇跡やビギナーズラックは起こらない。

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著者もサハラマラソンの詳細を調べることなく、ポチッとエントリーのクリックしてしまったわけである。

しかも大会は二週間後に開催されるという。練習する時間どころか、旅行の準備ぐらいの時間しかない。

それでも我に返ることなく、サハラ砂漠へと旅立ってしまうのである。

後悔という文字を辞書から消したこの行動力は、さすが辺境を大好物に世界を旅している人だけある。

 

サハラ砂漠を走っているときの描写は、見渡すかぎりの砂漠ゆえ目標とする目印がない、灼熱の炎天下をふらふらと彷徨い走る、給水所にランナーが群がる様子など面白く読め、とくに砂に足が埋まっていく様子が、砂漠でしか経験できない出来事で興味深い。

細かい砂地はさらさらと柔らかく、その質感に誤魔化されるが、幾層にも砂が積もっているわけでなく、注意深く踏む場所を選ばないと、直下に岩があって足を挫くことになるというのである。

スポ根ドラマでは砂浜で腰に紐をつけてタイヤを牽くけれど、あの場合は足が砂に深くはまっていくだけで、下に岩が潜んでいるわけではない。

それとは勝手が違うらしい。

砂の上走ると自然と抜き足差し足という動きになり、すると砂は蟻地獄のように待っていましたと、踝どころか足首あたりまで埋めにかかり、そのあと足の裏に堅い岩ががつんと当たってくる。

しかも灼熱の下。少々足首を捻っただけでも、患部は熱をもってすぐに膨れ上がってしまうだろう。

だれが好んで、この過酷な大会に臨むものかと、エアコンの効いた部屋で、ぶつぶつと呟いてしまう。

著者は這う這うの体で無事にゴールインをするのだが、書かれたタイムを見て眼を瞠ってしまった。

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5時間39分14秒。

初フルマラソンに参加で、しかも過酷な砂漠での大会で、この好タイムは考えられない。

ほとんど練習と呼べることをしていないと明言しておいて、実は陰でこっそりとハードな練習を黙々とこなしていたのではなかろうか。

よく期末テスト前に、ぜんぜん勉強していないから赤点かもしれないと嘯いて、好成績を残すタイプと似ている。

まあ、10キロ程度走ってリタイヤされては、読み物として成立はしないのだが。

 

さて読み終えて、天気予報を見ると、午後から雨が降るという。空を見上げると、雲の切れ目から陽の光が射しこんでいて、あと2時間は保ちそうである。

しかしスポーツウェアに着替える気など、まったくない。エアコンの効いた部屋は何物にも代えがたい。

マラソン生活復帰には当分かかりそうである。

7月 10, 2020 ブックレビュー | | コメント (0)

2020年7月 6日 (月)

SNSは進化する

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人はひとつのことを毎日続けていると、それなりに進歩するようである。

以前、コロナ禍のなか、酒におぼれた生活にならないように、毎日お絵描きの名のもとに、カエルの絵を描き続けてINSTAGRAMに上げていると書いたが、いつの間にか百枚を超えていた。

始めた頃より上手くなったのかと問われれば、低く小さな声で、たぶんとしか答えられないけれども、1日も休まずに描いたことに対しては、自分を褒めてやりたいのである。

 

SNSの特長でタグ付けをしていると、同好の士が私の拙い絵をフォローしてくれる。

その数も日を追うごとに増えていき、それが励みになり、すぐに弱音を吐いて止めてはいけないなと、自分を律する糧となる。

その相乗効果が、精神の脆い私を支えているとさえ思う。

 

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しかしSNSとは不思議な世界である。

上手いか、下手か。堅苦しいか、面白いか。理解できるか、理解不能か。また見たいか、もう見たくないか。

その二つの選択肢でしかないのだから、フォローする側としては、何らストレスはない。

気に入らなければフォローしなければいいだけである。

 

実社会のような義理人情の世界は存在しない。

あくまでもライトな関係を保っていたいのである。

SNSでは他人とつながることを求めるけれども、深く結びつくことで現実的な関係になることは欲しない。

その深層心理が、SNS隆盛の原動力になっているのではないか。

 

こう書くとSNSに対して批判的な立場だと思われそうだが、そんなことはない。

INSTAGRAMではカエルの絵というのをキーワードに、イタリアのパンクロッカー、フランスのイラストレータ、ロシアのマトリョーシカ作家、ナチュラリスト、写真家、カエルマニア等々、自分でも想像していない実世界では会うことがない人たちが、柔らかく繋がっている。

それが新鮮な驚きであり、興味深いのである。

交通網の発達で世界が狭くなったと言われていたのは昨日までのこと。

現在はSNSの進化が、世界を緩やかに結び付けている。

ボブ・ディランではないが、人間が想像する以上に世界は変わっていく。

 

(店主YUZOO

 

 

 

7月 6, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年6月 2日 (火)

木の香、再開しました!

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ようやく6月1日から木の香が再開しました。

この1カ月半の休業は、長かったと思う半面、何だか気持ちがふわふわと落ち着かないままに、月日だけが過ぎて行った気がしますな。

昔の人ならば、この刹那さに諸行無常を感じて一句詠むのでしょうが、風流の欠片もない凡人ですから、いつもの日常に戻っていくのだろうなと、漠然と思うだけです。

 

驚いたことに、6月になった途端、通勤電車は依然と同じ満員に変わったことです。

浦島太郎に喩えるならば、5月までが竜宮城でぬくぬくと過ごしていたのに、月が変わった途端に、あの満員電車の地獄絵図ですよ。

昨日まで密着禁止、ソーシャル・ディスタンスといっていたのに、日付をまたいだら、三密に注意しましょうというスローガンは、跡形もなくなって、押し合いへし合い、席の奪い合いといった、本性丸出しの生き様に変わってしまうことに、人の業というものを感じますな。

結局、テレワークや遠隔授業と声高に叫んだところで、人間の性分は、モニターに映る顔ではなく、実際に会って話したいというところにあるのかもしれません。

 

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しかしそんなことにお構いなく、ウイルスは、もう少し世界中を混乱させてやろうと、虎視眈々と狙っているいるにちがいない。

だいたい人間が合理的に決めた緊急事態解除に合わせて、ウイルスも潔く了解して家路に着くわけがないし、人に感染するのが本業ですから、あと1年は暴れてやろうかと、考えているはずです。

いずれ第二波が来ると、専門家やコメンテータが訳知り顔に言いますが、あの満員電車を体験すれば、小学生でもわかります。

そんな不穏な状況のなか、お店を開店することに気が引けないことはないのですが、いつ再開するのですかとお客様に訊かれるたびに、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

木の香は、小さなお店です。

お客様が3人も入れば、密着状態になってしまいます。

お客様の健康と安心のために、お手数ですが、来店される前に御一報いただければ幸いです。

空いている時間をお伝えします。

無理なお願いとは感じておりますが、ご了承のほど、よろしくお願いいたします。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

6月 2, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年5月28日 (木)

木の香便り

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先日、再アップしたパレフの写真が好評だったので、本日はウラジミールの寺院群を掲載しようと思いたちました。

そのくらいのことをしないと、今年はロシアに行けないという、このやりきれない気持ちを抑えることができません。

ウラジミールといえば、ロシア旅行では「黄金の輪」といわれる古都のひとつで、近くの町スズダリとともに、聖堂の美しさから1992年にユネスコ世界遺産に登録された、必ずや訪れたい町の筆頭。

「黄金の輪」を巡らずにロシアを語ることなかれというぐらいですから。

そのくらい美しい町ですな。

とくに快晴の日に訪れたら、寺院の白亜の壁が空の青さに映えて、極楽浄土が眼の前に広がっているような、ふわっとした気分になります。

 

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モスクワから電車で3時間。

約200キロ離れているので、日帰りで行くよりは、一泊してゆっくりと寺院群を巡ってみたいもの。

 

ツアーガイドのように語っていますが、私自身は残念ながら、セミョーノフに向かう途中にウラジミールがあるので、一度も長く滞在したことはない。

2時間もいれば良いほうで、せかせかと寺院を回って写真を撮ったぐらい思い出しかありません。

典型的な日本人の旅行パターンなのでございます。

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このような靴の上から足を掻くような思いをしているせいか、仕事が一段落ついたら、ウラジミールとスズダリは何泊かして、ゆっくりと町の美しさを愉しみたいという淡い願望があるのですがね。

いつになることやら。

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現在はコロナウイルスのおかげで海外渡航が禁止されていますが、ぜひ解禁になったら「黄金の輪」を巡ってください。

秋頃に旅行に行けるようになりましたら、ぜひロシア旅行を計画してください。

ロシアが一番美しい季節を堪能できると思います。

 

それまではお互いに辛抱ですな。

(店主YUZOO)

5月 28, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年5月27日 (水)

木の香便り

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 緊急事態宣言解除の宣言が発表されたけれども、この1か月半もの長い間、自分は何をしていたのかと、ふと思い返します。

外出は控え、ほとんど人と会うこともない、かつて経験したことのない不思議な時間。

自分を見つめ直すには絶好の機会と思う人もいれば、不安にかられて憂鬱な気分に苛まれたという人など、思い思いの時間を過ごしのだと思います。

 

私はと言えば、絵ばかり描いていましたね。

絵とは言っても、落書きに色付けしたような陳腐なものばかりなのですが、一日、最低一枚は描こうと決めて続けていきますと、なかなかに面白いものです。

少しでも思ったようにできますと、日毎に上手くなっているんじゃねえか、などと勝手に妄想したりしてね。

気がつくと夕暮れ時になって、一日が終わるわけです。

 

さてこのお絵描きについて説明しますと、ペンで描いたあとに、パソコンのペイント3Dというソフトで色付けしていくのですが、このソフトがなかなかの曲者でして、私みたいなパソコン初心者には手にあまりますな。

クリック一回で塗り潰してくれる手軽さがあって重宝しているのものの、色付けし終わると、フリーのイラストみたいなのっぺりとした面白みのないものになってしまう。

グラデーションや陰影をつけようとすると、一筋縄ではいかなくなって、結局、何度も近似色を塗り重ねてみたり、透明度で調整したりと、オリジナリティを出そうと苦心しているわけです。

しかもタッチペンなど持っていないから、マウスをあちらへヨチヨチ、こちらへヨチヨチと動かして、制作するという、昭和生まれらしいアナログな作業。

 

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おかげで、様々なところをクリックするものだから、いろいろな機能を覚えてしまいました。描いた絵の枚数も50枚を超えまして、怪我の功名というやつですな。

それらの絵を並べて思うのは、1カ月半というのは、決して短い期間ではないと、実感した次第。

「継続は力なり」とは昔の人は巧いことを言ったものです。

 

新型コロナウイルス蔓延は、生活や仕事に対しては負の要素が多いですが、見方を変えれば、余暇という日頃手に入りにくい時間を与えてくれたと思えば、なかなか有意義だった言えるんじゃないですかね。

だいたい齢50を超えて、小学生みたいに絵を描くことに熱中するなんて経験、ステイホームでなければ、一生味わうことなかった。そう考えるだけでも、この先の人生に少し光が射しこんだ気になるじゃないですか。

 

コロナウイルスさん、あなたが猛威を振るったおかげで、私はちょっとばかり大人になりましたよ。

そんな捨て台詞のひとことでも吐きたいですな。

 

おあとがよろしいようで。

 

(店主YUZOO)

 

 

5月 27, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年5月20日 (水)

木の香便り

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ステイホームが長く続くと、何が耐えられないのかというと、旅行や遠出ができないことでしょうな。

残念ながら、今年はロシアに行くことは、かなり難しくなりました。

ここ10年近く、初夏のロシアを新たなマトリョーシカとの出会いを求めて各地を巡っていただけに、この喪失感は、海よりも深く、ブラジルまで届いてしまいそう。

ああ、悲しくて、悲しくてとてもやりきれないと、思わず歌ってしまう日々を過ごしているのでございます。

 

やはり書を捨てて旅に出なければ、新たな出会いもないし、新鮮な驚きにも遭遇しないのは、万人の共通の真理。たとえ行きつけの店にいくときも、心の在り方を変えれば、十分に旅の気分を味わえると言ったのは、吉行淳之介だったでしょうかね。

「街角の煙草屋までの旅」で書いていましたな。

 

この閉塞感に満ちた日々を送っているときの気分転換として、昔に旅行した旅の写真をぼんやりと見るのが、良いのかもしれません。

昭和の頃は、フィルムではケチって、なかなかシャッターを押さないのが性分だったのですが、もう令和の世はちがいます。

携帯電話で簡単に写真が撮れる時代ですから、フィルムカメラ時代とは比べ物にならないぐらいに、膨大なストックがあるかと思います。

これはINSTAGRAM向け、これはブログ用、なんて仕分けしたりしてね。

その一日中見ても終わらない莫大な枚数の写真を、ぼんやりと眺めれば、家にいながらにして旅の気分を味わえるわけです。

 

そういう私にも、たくさんの写真がありました。

こんな所に行ったのかと、昔のアルバムをめくるように、じっくりと見入ってしまいましたねぇ。

 

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写真は細密画で有名なパレフに行ったときのもの。

産業はパレフ塗しかないような小さな町で、中心部に立派な教会があるだけで、陽が暮れたら、漆黒の闇が舞い降りてくるようなところでした。

久しぶりに暗闇に閉ざされた夜を経験しましたね。

次の日に博物館に行ったら「日本人がこの町に来たのは8年ぶりね」と言われたのを思い出します。

もう一度訪れたいかと訊かれれば、躊躇してしまいますが、悠々とした時間流れのなか、ロシア人は暮らしているのだなと実感しましたな。

 

テレビを観るのも飽きたし、ゲームに熱中する年齢でもないと、身を持て余しているようでしたら、ぜひ写真をお勧めします。

一度、訪れているのだから、新鮮味に欠けるかもしれませんが、ただあの時の感動がじんわりと心に染みてきますから。

ぜひ一度、騙されたと思ってやってみてください。

 

おあとがよろしいようで。

 

(店主YUZOO)

 

5月 20, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年5月19日 (火)

木の香便り

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ステイホームが続くと、家でだらだらと過ごしていても、何か新しいことを始めようと思うのが、人の心というものでございます。

アマビエを描くこともそうでしょうし、布製マスクを縫うことも同様でしょう。

 

GINZA HAKKO木の香もコロナウィルスの影響で、一月半ぐらい休業が続いていますが、ハンドメイド好きを応援したい気持ちは変わりません。

むしろこの逆境で、より熱くなったぐらいです。

 

今回、梨園染の老舗、戸田屋商店さんのお力を借りて、簡単にできる手づくりマスクをfacebookアップしました。

型紙も載せています。

 

マスクをつくって少しでも憂鬱な気分を払拭しましょう!

 

ぜひご覧くださいませ。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

5月 19, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)

2020年5月18日 (月)

木の香便り

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ステイホームが続くと、生活にメリハリが無くなるのか、怠惰な方向へと向かってしまうのは、私だけなのでしょうか。

土日の生活は、冬眠中のツキノワグマみたいなもので、食べては寝て、トイレに行っては寝て、少し読書をしては寝てと、寝ることが人生の目的みたいになってしまいますな。

「人間は考える葦である」なんて言われても、今さら何も思いませんな。

「人間は生まれながらにして枕である」とでも言いたいぐらい。とにかく思考することを忘れてしまいます。

 

しかしねぇ。

人間は思考を放棄した状態ほど、手につけられないものはない。

 

たとえばですね。

コロナウィルスの初期の頃、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」がパンデミック状態になったときに、毎日、どうなるんだろうとテレビに釘付けになって、2週間近くも船内で待機なんて非人道的じゃないかと憤慨していたものですが、最近は院内感染が大量に発生と聞いても、またかぐらいにしか思わなくなってしまっている。

そこで何人かの尊い命が奪われたとしてもです。

 

もうコロナウィルス情報に思考がマヒしているんでしょうな。

挙句には、新聞の昨日の感染者数を見て、一喜一憂するぐらいで、その数字は亡くなられた人の数でもあるのに、そこにまで思考がいかない。

この世から、コロナウィルスに感染したために、一人の人間がいなくなったことまで考えない。

亡くなられた人の残された家族のこと、もしかして初孫が生まれたばかりかもしれない、就職が決まって意気揚々としていたのに出社もできずに逝ってしまった、ゴールデンウィークに20年ぶりに母親と会う予定だったのになどなど。

 

すべての人には、その人が歩んできた唯一無二の人生があるわけです。

それがコロナウィルスで突然終わりを告げてしまった。

そういう思考、言い換えれば想像が、毎日、数多くの情報が流されるために、頭のなかで働かなくなってしまったのが、今の私の状態なわけです。

 

この状態は恐ろしいものです。

人の死が数字としてしか捉えられなくなったら、もう戦争が起ころうとも、撃ち落とした戦闘機の数しか興味がなくなってしまう。

貧困層が増加していると言われても、まだ半分にも満たないじゃないかと安堵してしまう。

絶滅危惧種の動物が一桁台になった生存数になっても、まだ生きているだけでいいじゃないと、短絡的に考えてしまう。

数字の羅列ほど、人の思考を奪うものはないと、この場を借りてはっきりといいたいですな。

 

そんな風に思ったら、おちおちと寝てばかりじゃいられないと、今顔を洗ったところです。

もちろん歯も磨きました。

今の時期は、冷たい水が気持ち良いですな。

ようやくステイホームから生還した気がします。

 

おあとがよろしいようで。

 

(店主YUZOO)

 

 

 

5月 18, 2020 店主のつぶやき | | コメント (0)