2018年10月 9日 (火)

第48回 耳に良く効く処方箋




オーティス・ラッシュ『ザ・コブラ・セッションズ1956-1958』(コブラ/P-vine)

オーティス・ラッシュが亡くなった。
ここ数年は糖尿病を患って体調が優れないと言われていたから、とうとうこの日が来たかと腹は決めていたものの、訃報を耳にしてしまうと、どうにもやるせない。
颱風が接近しているのを理由にして、夕方早々から弔い酒を片手に呑んでいる。
もちろんオーティス・ラッシュが遺した一連の作品を肴にして。


オーティス・ラッシュの代表作といえば、ブルースの情念が熱いマグマとなって噴き出した、コブラ・レコード時代ということに異論の余地はないだろう。
デビューして間もない22才の若者が、ここまでブルース魂を搾り出してことに驚愕し、天賦の才能が成せる表現力という以外、何ものでもない。


しかしデビューで強烈な一撃を与えてしまったことは、不幸でもあった。
以後の録音については、覇気がないだの、気紛れだの、厳しい評価がつきまとって、正統な評価が得られなくなってしまった。
だがこの不運もオーティス・ラッシュが背負いこんだブルースと言えなくもない。


今回、順を追って聴いていくと、コブラ以降は録音機会に恵まれず、言わば飼い殺し状態。
移籍したチェス・レコードの「So many roads so many trains 」は渋めのスロー・ブルースでオーティス・ラッシュらしさが出ているものの、次に移籍したデューク・レコードの「Homework 」はR&B調の当時の流行を取れ入れたスタイル。
出来栄えは悪くないが、どちらもヒットとは縁遠かった。


音楽シーンがブルースからロックンロール、R&Bへと移り変わる時代に、レコード会社がオーティス・ラッシュの性根の座ったブルースを上手くプロデュースできなかったことが、この不運に繋がっている気がする。
オーティス・ラッシュ自身も器用な人でない。
音楽シーンに合わせて、自身のスタイルを変化させるなんて無理な相談である。


しかし近年、オーティス・ラッシュの未発表音源が発表されるなか、傑作ライブ盤『オール・ユア・ラヴ〜激情ライヴ1976』を聴くと、約束事の多いスタジオ録音よりも、瞬時にブルース魂を昇華できるライヴのほうが、性に合っていたのだろうと思う。
バック・バンドに恵まれて、自身も気分に乗っているときは、桁違いのパーフォマンスを見せつけてくれる。


1995年に日比谷野音でオーティス・ラッシュの雄姿を観た時もそうだった。
夕暮れ時の周囲のビル郡が紅く染まるなか、マーシャル社のアンプに直接シールドを突っ込み、バック・バンドの倍以上の音量でギターを響かせ、振り絞るように歌う姿に、完全にノックアウトされ、不覚にも涙が出てしまった。
ひとつ、ひとつのギターの音が、唸るような歌声が、オーティス・ラッシュが背負いこんだブルースであり、人生が凝縮されていたからだ。
ブルースはその人の生き様、そのものが音楽だと思った。


年が過ぎ行くにつれ、好きなミュージシャンが天に召されていく。
安らかに。

(店主YUZOO)

10月 9, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月26日 (水)

第44回 紙の上を旅をする




色川武大『喰いたい放題』(光文社文庫)

異色のグルメ本である。
大方の食べ物に関する書籍は、名も知れぬ名店や創業時の味を頑固までに貫いている老舗店、あとは食に関するウンチク、たとえば烏賊は呼子に限るとか、英虞湾の牡蠣を食さなければ真の食通とは言えないとか、とにかく読者の口内を唾で満たすことを主眼においたものばかりである。
そのため絶品料理を芸術作品や宝石箱などという洒落た表現を使って、文字で舌先を疼かせるわけである。
文字で腹を満たさなければならないから、ありきたりの比喩ばかりでは、読者が胃もたれを起こしてしまう。
一筋縄ではいかない分野である。


この本は、読者に名店や絶品グルメを紹介するために書かれていないゆえに、異色なのである。
色川武大はアウトロー、無頼としてその名を知られた作家。
晩年はナルコレプシーに悩まされ、心臓疾患や高血圧など満身創痍の状態。
医者からは食事制限をきつく言われ、このまま野放しにしておくと着実に死が訪れると恫喝されている、出口なしの状況なのである。
その半病人が頭でわかっていても、身体は食べ物を眼の当たりにすると、つい欲望が優ってしまう。


《年齢相応、体調相応に、淡白なものばかり喰べているせいだろうか。ここのところは、主治医のセンセイ方には、ぜひご内聞にねがいたいのだが、どうも全体に、喰い物に対する意志がたるんできて、守るべき筋を守っていないきらいがある》と反省の弁を述べたものの、その数行後に《油でぎらぎらしたものが喰いたい》と政治家の公約のように前言を翻し、胃袋の欲求に導かれるように、あれやこれや食してしまう。
さらになかなか改善しない体重を医師から咎められるのだが、相談しているのは主治医ではなく、主治医の友人である神経科医というのだから恐れ入る。


なぜ主治医のもとに行かないかという理由が《もうすくなくとも十キロほど痩せ、不摂生を排し、血圧を下げるなどして、心身ともにクリーンにしてから主治医の前に現れたい。今のままではあまりに見苦しい》というのだから恐れを通り越して、苦い笑いを浮かべてしまう。


この本は健康診断の結果を見るたびに、落第点を取ってしまった子供のごとく首を垂れる我らが世代が、とくに共感できる内容である。
若かりし頃のように溌剌した身体に戻すために、ジョギングや水泳で汗を流し、果ては高価なサイクリング車を買ったりするものの、足腰を痛めて1ヶ月と続かない。
3日も保てば上出来であるという貴兄も共感できる。
医食同源というものの、食と酒に対しては節度をわきまえないのが、成人病と背中合わせに生きている世代なのである。


美味しいものは脂肪と糖でできているという言葉は、真を射ている。
よく言ったものだ。たしかに。

(店主YUZOO)

9月 26, 2018 ブックレビュー, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月30日 (木)

第47回 耳に良く効く処方箋




O.V.ライト『ライブ・イン・ジャパン』(ハイ)

魂の歌唱と謳われたサザンソウル・ファンのなかでは人気の高いライブ盤である。
その理由としては実際にコンサート会場に足を運んだ人が、O.V.ライトの鬼気迫る歌に神々しさを感じ、伝説として伝わっているからだろうか。
来日を果たした翌年に帰らぬ人になっている。

O.V.ライトが来日したのは1979年。
残念ながら、私はO.V.ライトの歌う勇姿を眼の当たりにしていない。
何せ、当時はニキビや恋に悩む蒼き高校生である。
サザンソウルの濃厚な塩辛い歌に心を奪われるような年頃ではないし、60年代ブリティッシュ・ビートやパンクにどっぷりと浸った耳しか持ち合わせていない。
だからO.V.ライトの来日するファンの熱気は知る由もないのだが、別の見方をすればこのアルバムにパッケージされた放射するエネルギーが原体験。
邪推することなく純粋な気持ちで、向き合うことができるのが、冷静な判断につながる。
体験に勝るものはないけれども、未体験だけに想像力が武器となる。

結論から言ってしまおう。
このアルバムは死期を悟ったO.V.ライトが、特別な感情に突き動かされ、聴衆に何か伝え残したいという意志を貫いた、他とは比較しがたい名盤である。
いわゆる凡庸なライブにありがちな、薄っぺらなメッセージを伝えたいという感情ではない。伝え遺したいという強靱な魂で貫抜かれている。
渾身の力を振り絞って歌う姿に、魂を揺さぶられるのは当然のこと、O.V.ライトの遺言といっても過言ではないアルバム。


ゴスペル・シンガーとしてキャリアが始まった人である。
「ソウルは教会音楽だ」と断言するような信仰に篤い人である。

白眉は代表曲をメドレーで歌う6曲目。
「God blessed our love 」から「You’re gonna make me cry 」と滔々と歌っていく姿をこの日、目の当たりにした観客は神の恩恵とO.V.ライトが説く愛の尊さに、目頭が熱くなったにちがいない。
このアルバムの一番の聴きどころである。
このメドレーを聴けるだけでも、購入する価値は十二分にある。

惜しむべきは、CDの時代にあってLP時代のストレートな再発ではなく、この伝説のコンサートの全貌をパッケージした完全ライブを望みたい。
体調不良ゆえに声が出来れていない曲があってもいい。
それでもO.V.ライトの歌に対する真摯な姿勢に、涙を流さずにはいられないだろう。

しかしそれは酒の湧く泉を見つけるのと同様、塩辛いオヤジの叶わぬ夢なのだろうか。
もしそんな盤が発売されたら、日本のオヤジの3%ぐらいは元氣になると思うのだが。

(店主YUZOO)

8月 30, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月28日 (火)

第46回 耳に良く効く処方箋




アレサ・フランクリン『レア&アンリリースド・レコーディングス』(アトランティック)

アレサ・フランクリンが天に召された。
あまりにも偉大な存在ゆえに、音楽を愛する者の喪失感は計り知れない。
ここ数日はアレサが残した遺産に静かに耳を傾ける日々が続いている。
そんな喪に服している人も多いのではあるまいか。私もその一人。

しかし不思議なもので、力強く聴く者を包み込むような歌声は、気分が落ち込んでいればいるほど、憂鬱に苛まれている私を励ましてくれているようで、逆に勇気づけられている気分になる。
「悲しみに打ちひしがれてないで、顔を上げて前を向きなさい」と諭されているようである。

アレサの長い音楽生活のなかで充実期といえば、コロンビアからアトランティックに移籍して数々の名演名曲を発表した60年代。
ソウルの女王という称号を授かった時期という見解は、誰もが一致することだろう。
公民権運動の機運が高まり、ブラック・イズ・ビューティフルが声高に主張していた頃、時代の寵児として颯爽と登場した印象が強い。
(残念ながらアレサの登場時期は、まだ私は虫捕り網を振り回して蝉を取っていた厚顔の美少年。原体験ではなく、追体験になってしまうのだが)

あなたは考えた方がいいわ
あなたが私に何ができるかということを
考えた方がいいわ
あなたの心が解き放たれて自由になることを「Think 」

女だって人間よ
そのことあなたは理解すべきだわ
単なる慰めものじゃない
あなたと同じように新鮮な血が通っているのよ
「Do right woman -Do right man 」

他人が書いた曲であろうと、アレサ流に解釈して、普遍的なメッセージ・ソングへと昇華させてしまう才能。
ゴスペルに幼い頃から慣れ親しんだアレサは、社会の不正義や差別する人間の不誠実に対して、この才能をたずさえて、それらに戦いを挑んだのだろう。
しかしそこには神を信じる者だけが救われるといった偏狭なものではない。
その伸びのある歌声は、抑圧された人々に勇気を与え、自由で新しい世界を、人間が人間らしく生きる世界を、創り上げようという意志に変える力があった。

この説得力のある歌唱と時代の機運をとらえた歌詞が、当時の人種差別に苛まれた黒人に、エネルギーと意識を高めたのかは、想像に難くない。
とくに黒人女性にとっては自分たちの気持ちを代弁してくれる、輝かしい女性として映っていたのではないだろうか。

さてこのアルバムは、アレサが神がかっていた頃の未発表曲とレア音源を2枚にまとめたもの。
2008年に発表されてソウル・ファンの間では、かなり話題になったアルバム。

今回、アレサの死を機に聴いてみようと思う人には不向きだが、全盛期のアレサがどれだけ才能を解き放っていたのかを知るには絶好の1枚。
未発表曲、つまり採用されなかった曲ばかりを収められているのに、凡人で到達できないようなクォリティで、既発表曲と何ら遜色はない。
ソウルの女王と呼ばれた理由が、否応なくわかるアルバム。
ひと通り聴いたら、ぜひ耳にしてもらいたい一枚です。

(店主YUZOO)

8月 28, 2018 店主のつぶやき, CDレビュー | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月28日 (土)

365日ぶりのご無沙汰でした!




1年ぶりに阪急うめだ本店に登場である。
残念ながら最近は心身ともに劣化がひどくなったせいか、昨年のように搬入から搬出まで全日参加という体力もなく、この企画展半ばにしての出場である。
いよいよ真打ち登場とか、抑えの切り札の出番とか、そんな大それたことではない。
単にポンコツに成り下がっただけである。

だいたい近年は物忘れがひどい。
何事も面倒くさい。
すぐに結果を求める。
典型的なオヤジ体質が進行しているので、木の香のスタッフが私の身を案じてか、もしくは煙たがっているのが理由で、シーズン半ばに参加と相成ったのである。
とかくオヤジ体質は敬遠されがちである。




こう書くと我が身のことを暗喩しているのではと、気もそぞろになる貴兄尊父もいるかと思うが、それは宿命として諦めるより他ない。
だいたい説教じみた言葉が増えた時点で、人生の第三コーナーを回っているのだ。
老兵は去るのみ。
右眼で若者を諭し、左眼で微笑まなければ、誰も貴兄の言葉に耳を傾けることはない。
悲しいことに、これは宿命である。
もしくは生老病死にも通づる生命の真理である。
尊父はどう思うか。




しかし愚痴を言っても始まらない。
今回の展示スペースは前回をはるかに超えて広大である。
喩えるならば、アメリカ大陸からロシアに変わったぐらい広い。
現時点で、日本国内で最も多くのマトリョーシカが観られるのは、阪急うめだ本店である。
マトリョーシカ愛好家の聖地である。
その為、すべてのマトリョーシカはモスクワに向けられている(嘘)

こんな機会は滅多にあるものではない。
ぜひ聖地に足を運んでくださればと願う次第である。
お待ちしています。

(店主ЮУЗОО )

7月 28, 2018 展示会情報, 店主のつぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月25日 (月)

帰国の愉しみ




10日ほどの買付を終えて帰国の途に着く際、愉しみにしていることがひとつある。
日本の地を踏んだら、まず寿司をつまんで舌鼓を打ち、日本酒の繊細な芳香と味わいに身も心も委ねたいとか、鄙びた温泉宿で何も語らず、何も思考せず、ぼんやりと過ごしたいとか、他愛のない妄想に耽ることではない。
フライト時間は10時間近くあるゆえ、そのような妄想に費やしたとしても、時間はサッカーの試合3回分ぐらいは残る。


それに寿司を想像したところで、回転するレーンの上を黙々と通り過ぎる鉄火巻や紙のように薄い鮪の赤身ぐらいしか浮かばず、薄っぺらい財布では名店の暖簾をくぐれないのが現実。
妄想によって己れの甲斐性の無さを思い知らされことになり、陰鬱に首を垂れるだけになってしまう。
そんな思いをするのならば、機内食を口に放り込んで早々に寝てしまうのが、精神衛生上一番の得策とも言える。


飛行機はドモジェドボ空港を17時45分に飛び立ち、翌日の朝8時頃には日本に到着する。
日付をまたぐことになる。
この夜を飛び越えることが、帰国の愉しみの重要ポイントなのである。
5月の北半球は夏至が近いので、強い陽射しのなか飛行機は飛び立ち、1時間もすると眼下にはロシアの大平原が広がり、やがてはシベリアの鬱蒼とした太古の原野へと変わる。
見渡すかぎり深く豊饒とした緑一色で、人間の生活空間はどこにも感じられない。
蛇行する大きな河があり、湿地か湖沼か区別がつかない水溜りが点在するだけである。


その頃にはあれほど栄華を極めていた太陽は心なしか衰えを見せ、柔らかな光をシベリアの森林に注ぐ壮年期に入っている。
さらに機内食が配膳される時間になると、太陽は好々爺の表情となり、もはや力強い陽射しの面影は微塵もない。
そして機内食が終わると室内灯は消され、弱々しくなった陽の光が唯一の光源となる。




私は座席に備えられた小さなモニターで映画を観るのは好まないから、窓の外へと視線を移す。
この時間帯が帰国の愉しみとなる。
相変わらず、人間の手垢で染まっていない果てることのないシベリアの原野があり、陽を受けた河川は鈍色に輝いている。
東の空は暮れ始め、濃紺の空に星々が煌めきはじめる。
あれほど若さに満ち溢れていた太陽は、白、黄、橙、赤、紅、茜と変化して、今では肉眼でじっくりと眺められるほどだ。
すっかり老いてしまった太陽は、西方の果ての終の住処へと家路を急ぐ。
落陽する周辺の雲は、黄金色に燃えて美しい。
それも、ほんの一瞬。
地平線を辿るように細いひと筋の光が流れると、そのあと空と大地のけじめがつかない暗闇が訪れる。
星が瞬く。
シベリアは漆黒の原野となり、静かな眠りにつく。




まるで人の一生を垣間見ているかのようである。
太陽の生老病死があり、それに伴って太陽と共にあったものが静寂に包まれていく。
森羅万象。
この自然が織りなす悠々かつ深遠なる美を眼に焼き付けたいがために、ロシアに買付に行っていると思うほど、感情が滔々して昂ぶり、深い息を飲まされる。

この美しい自然の芸術を愉しむことができるのは、左側の座席のみ。
ヨーロッパ方面から帰国される方は、多少窮屈な思いをしても、左側の窓側席を確保することをお勧めする。
涙を流すのも良し、何かを悟るのも良し。
旅の終わりを締めるには、これ以上の美は他にない。

(店主YUZOO )

6月 25, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年6月 1日 (金)

買付人の食生活




いよいよ帰国の日が来た。
ある方面からは、ロシアではマトリョーシカや工芸品を愛でて、夕餉はロシア料理に舌鼓を打っていると思われている節があるが、それは根も葉もない風説。
実際は、毎日財布の中身と相談しながら切り詰めた生活を送っている。
移動手段は地下鉄、バス、路面電車といった公共交通を利用し、そこから現地まで徒歩で行く。
自慢ではないが、ロシアに来てから一切タクシーを利用したことはない。


買付人は悲しいことに、贅沢は敵、欲しがりません勝つまでは、という旧日本軍の思想が未だに根付いている職業である。
ここで贅沢しなければ、あと2つマトリョーシカが買えると考えてしまう哀しき性根の持ち主なのである。
一度でもいいからキエフ風カツレツやビーフストロガノフを心の底から堪能し、グルジア・ワインに酔い痴れたいのだが、これは叶わぬ儚い夢である。




ではどのようなところで食を満たしているかというと、ロシアのファーストフード、「クローシュカ・カルトーシュカ」か「テレモーク」の安セットを頼むことにしている。
「クローシュカ・カルトーシュカ」はロシアの主食であるジャガイモをオーブンで焼いたものが定番の店で、「テレモーク」はボルシチやブリヌイなどロシア家庭料理をメニューにした店。
これを食してロシア料理を語るのは間違いで、回転寿司を食べた後に江戸前寿司を論ずるようなもの、あくまでもファーストフードの域を超えない味である。
ただ一食につき500円程度住むのは、財布には嬉しい。


また仕事終わりの一杯にしても、スーパーで買ってきたハムやチーズを肴とする慎ましい宴。
鮮度の良い刺身や焼トン串があればと思う時もあるが、それは空想上のメニューとして頭のなかで食し、缶ビールをグラスに傾け、良しとしている。
ロシアのビールは様々な銘柄があり、また隣国チェコやドイツ産のものも幅を利かせているが、今回は浮気をせず「バルチカ」と「トリー・メドベーチ(三匹の熊)」の二枚看板のみで、1日の締めとした。




「バルチカ」も「トリー・メドベーチ」も日本のビールと変わらないドライで少し苦味のある味で、ドイツビールのようにずっしりとした重みはない。
飽きのこない、締めに相応しい味である。

ただ最期の晩ぐらいは、少し違う銘柄を試そうと、ペットボトルに入った自家製ビールなるものを買ってきた。
どの家で作られたのかは計りかねるが、スモーク臭が強い、スコッチウィスキーをホッピーで割ったような一癖ある味。
ハムを肴にすると良い塩梅だが、日本から持参した柿の種だとスモーク臭が勝って、ビールの気軽さがない。




やはり浮気がいけなかったのか。
味覚を刺激するような主張の強いビールは、気の強い女性と同様に、私には合わないという結論に至った次第。
こうして買付最後の貧しい晩餐は幕を閉じた。

(店主ЮУЗОО )

6月 1, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月28日 (月)

アルファホテル・インフェルノ




グジェリからホテルに戻ったら、買付史上、最大の災難が起きたのである。
その日はアントン君にグジェリ駅まで送ってもらい、近郊電車に乗って意気揚々と常宿であるイズマエロボのホテルが林立する地へと帰った。
イズマエロボのホテル群は、1980年のモスクワ・オリンピックの選手村だった場所で、オリンピック閉幕後、ホテルへと生まれ変わった。


買付人としては近くにはベルニサージュという市場があるし、中心部へも地下鉄で乗り換えなく行ける。
また最近は外環状線が全通したおかげで、モスクワ郊外に行くにも便利になった。
エアコンが付いていない部屋が殆どなので、観光客には向いていないかもしれないが、買付人にとっては絶好の立地条件なのである。




それはさて置き、大量のグジェリが入ったバッグを両手に、左にヨタヨタ右にトボトボと歩き、ようやくアルファ・ホテルへと辿り着いた。
このアルファ・ホテルはイズマエロボ・ホテル群では、一番施設が充実していると、仲間内からは噂されている由緒正しきホテルである。

部屋に辿り着いて万歩計を見ると、15,000歩を超えている。
その事実からも、両手に10キロ以上の陶器を持って歩いた行程の過酷さが、お分かりいただけるだろう。
買付は目が利く審美眼を持つこと以上に体力勝負なところがある。




椅子に座って小休止。
買付した戦利品を眺めてニヤニヤと微笑んで、お茶を飲んでいると、突然激しくドアを叩く音がする。
ドアを開けると部屋清掃のおばちゃんが、鬼の形相で仁王立ちし、私に対して抗議をするがごとく強い口調で捲したてる。
「あなた!部屋が違うわよ!出て行きなさい!」と咎める風でもなく、
「休んでなんかいないで、陽が暮れるまで働きなさい!そんな法律が日本で成立したでしょ!」と弾劾しているわけでもない。


こういう時はロシア語が話せないのは、実に困る。
ただ「早く、一階に降りなさい!」という意味だけは理解できたので、着の身着のまま、廊下に出てエレベーターに乗ろうとすると、非常階段で降りなさいと理不尽な指示をする。
11階から歩いて降りなさいとは、砂糖がかかった秋刀魚の塩焼きを食べさせられるような災難だと思いつつ、おばちゃんの勢いに急かされて一階フロアに降りると、何やら物々しい様子。
ただ事ではない。


消防士がホースを持って入ってくるわ、辺り一面が白い煙で充満しているわ、ヘリコプターが旋回しているわ、消防車が何台も停まっているわの大騒動。
そこで初めて何が起きているのか理解したのである。
「火事やんか!」



その後、多数の宿泊客とともに駐車場から様子を眺め、どのような顛末になるのか、買付たモノが焼けたら嫌だなとか、もう少し着込んでくればよかったなとか、携帯電話を忘れたなとか、取り留めのないことを考えて、収まるのを待った。
幸いにも火の手が上がるような地獄絵にはならず、怪我人も出ず、ただのボヤ騒ぎで済んだ。
後になって知ったのだが、エレベーターの一機が出火元のようである。




ただし無事に消火されても、現場検証を行ったり、換気をして煙を排出したり、水浸しになったフロアの清掃があったりして、すべてが終わるまで部屋に戻ることを許されず、ようやく部屋に戻れたのは夜中の11時半。
もちろんエレベーターは使用不可で、降りたときと同様に非常階段で、11階までひたすら部屋を目指して登ったのである。
やれやれ。


(店主ЮУЗОО )

5月 28, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月27日 (日)

グジェリの名も無き逸品




今回の買付はマトリョーシカ以上に陶器に主眼を置いている。
しかもインペリアルポーセレン=ロモノーソフというような高級陶器ではなく、グジェリ、リュドーボといった、誰でも手に取って愉しむことができる一般的なもの。
日本でいえば瀬戸物に類する庶民派の陶器である。


庶民が日常的に使っているモノにこそ藝術性が秘められていると提議したのは柳宗悦だったか、此の国ロシアでも革命時に「民衆のなかへ!」をスローガンにロマノフ王朝を倒した歴史があるだけに、生命力が漲るモノは庶民性のなかに宿っているはずである。
煌びやかな高級品に目を眩まされて、高いモノは良いモノだという単純思考に陥ることなく、鋭い眼光で庶民的なモノからキラリと輝く名品を見つけ出すことこそが、真の買付人の仕事ではなかろうか。




なんて、そんな深い洞察をもとに買付している気持ちは爪先ほどもなく、結果としては高級品よりも庶民的なモノが、性に合っているからである。
元来、四畳半と六畳二間の文化住宅で育った人間である。
高尚なモノの良し悪しを見極める審美眼など持ち合わせていない。
グジェリのユーモラスな動物の置物が、私の眼には良く馴染む。

さてグジェリに直接買付となると、車が無いとかなり不便を要して、近郊電車でグジェリ駅で降りたとしても、野原のど真ん中に置き去りにされたようで、前にも横にも進めない。
今回はコブロフさんの息子のアントン君が手伝ってくれた。
アントン君に最初に出会ったときは、まだ中学生。
それが大学を卒業して父親の仕事を手伝いながらも、新しいビジネスを模索しているのだから、時が経つのは早いものである。
しかもアントン君がヘビィーメタルに陶酔していたときにプレゼントしたメタリカのTシャツを、今も大切に来ているのが嬉しい。




買付に来たのはグジェリ工場の直営店。
グジェリには11ほどの窯元が点在しているが、このお店ではそのほとんどの製品が置いてあるので、1日かけて工場を巡るよりは時間の節約ができ、さらに価格もリーズナブル。
しかもグジェリの名工が制作した逸品も取り揃えているので、至れり尽くせり、ビールの付け出しに落花生が添えられているような塩梅である。


ただ名工の逸品と名も無き職人が制作したものが、同じような熊の置物であっても、価格差が5倍も違うのには、思わず眼を瞠ってしまう。
一緒に並べたら画力に雲泥の差があるのは一目瞭然なのだが、単品として置かれたら、名も無き作品でも堂々とした風格を感じてしまうのは、私の眼が節穴だからなのか。


とりあえず名工と名も無き職人の作品関係なく、眼に止まったものを、次々と買付していたら、その数は優に100個を超え、アントン君も店のおばさんも、半ば呆れ顔で見ている。
審美眼を持ち合わせていないと、買付量が増える傾向にあると痛感した次第。
まだまだ人生の途上である。

(店主ЮУЗОО )

5月 27, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月23日 (水)

ボゴロツコエ・フェスティバル




今回の買付のメインとなるのがボゴロツコエ・フェスティバル。
買付人としては、以前にセミョーノフ、ゴロジェッツと工芸が盛んな町で同様のフェスティバルに足を運んだとき、大きな成果を上げただけに、否応にも期待が高まる。
ボゴロツコエについて多少説明すると、大きな熊の彫り物や柱の彫刻など、木彫に関することならばわが町にお任せください、という職人気質が今も息づいている町。
私のレベルでは、等身大の熊を発注して輸送するノウハウも売り先もないので、紐のついた玉を回すと板のうえに乗ったニワトリが順番に餌を啄ばむ、クローチカという素朴なおもちゃを主に買い付けているが、本当は木彫が知られた町なのである。

その地で開催されるフェスティバルとなれば、クローチカを主に製造している工場以外にも、新たな工場や工房が見つかるかもしれない。
セミョーノフやゴロジェッツのフェスティバルでは、200近くの出店が軒を連ね、いくつかの逸品、珍品、希少品を掘り出した確固たる実績もある。
新たな出逢いの物語が、この町で始まるはず。
その期待が初恋をした若き頃のように心臓の鼓動を高めている。




当日は小雨が降っているものの、傘を差すほどではない。
ようやく運にも恵まれてきたようだ。
フェスティバル会場に入ると、簡易ステージが眼に飛び込んでくる。
風船で装飾された学園祭並みのステージだが、その質素な佇まいこそ、未だ見ぬ工芸作家が片隅で出店を暗示しているようで、思わず細い眼をさらに細める。


インターネット全盛の時代に自ら宣伝するわけでもなく、ひっそりとフェスティバルのために、作品をつくっているバブーシュカ(お婆ちゃん)が、机いっぱいにマトリョーシカや木のおもちゃを並べている姿を想像してしまう。
バブーシュカは、木彫も得意で子熊や仔猫の愛くるしい作品も並べている。


プラトークからのぞく風貌は、この世の不幸をすべて見てきたという苦渋に満ちているが、一旦話を始めると止まらなくなるバブーシュカ。
日本人と話したのは生まれて初めてだよと顔をくしゃくしゃにして笑うバブーシュカ。
計算が苦手なバブーシュカ。
私の頭のなかでは、初めてロシア買付をした10年前に巡り逢ったナジェンダ・ニコライバさんの再来を、勝手に想像している。


こうなると、ボゴロツコエは大いなる叙事詩である。
ステージの裏手には広場があり、その外れでバブーシュカは私との出逢いを待ち侘びているはず。
ボゴロツコエで生まれた隠れた名品が、日本に紹介されるときは、今そこまで来ている。




だが、しかし、詰まるところは、叙事詩は遥か彼方へと流れていった。
ステージ裏には10数軒の出店のみ。
東西南北、前後左右、何も無い。
空を見上げても青い鳥は飛んでいない。
もちろん苦虫を潰した表情のバブーシュカもいなかった。

結局、いつも買付をしているクローチカ工場で、気分転換に大人買いをした次第。
フェスティバルのせいか、いつもロシア的な対応の社員も殊の外対応が良く、何人もの社員が出てきてひとつずつビニール袋に入れていたのは、その非効率的な大らかさに口元が緩んだ。

結論。
ボゴロツコエ・フェスティバルは、町内会の餅つき大会と同じである。
以上。

(店主ЮУЗОО )

5月 23, 2018 店主のつぶやき, 海外仕入れ | | コメント (0) | トラックバック (0)